2022年05月08日

日本海海戦の話題

世の中GWの終盤らしいですが ・・・・ 本家サイトの今週の更新として、『海軍須知』 コーナーにおいて、第13話の 『日本海海戦の話題』 を新たに設け、以前にブログの方でお話ししました日本海海戦に関する事項をこちらに纏め直し、その第1段として 『連合艦隊の動揺』 を公開しました。 『第13-1話 連合艦隊の動揺』 :     http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/13_01_Tenshin.html 『第13話 日本海海戦..
posted by 桜と錨 at 12:47

2022年04月10日

『タンブルホームと船舶工学の基礎』

本家サイトの今週の更新として、 『海軍須知』 コーナーにて、その第12話 『タンブルホームと船舶工学の基礎』 を追加公開しました。     http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/12_Basic_Naval-Arch.html     http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/suchi_main.html
tamble_01_m.jpg
当該記事は、別宮暖郎氏の著作 『坂の上の雲ではわからない日本海海戦』 とその改訂..
posted by 桜と錨 at 13:03

2012年01月15日

日露戦争期の機雷の話し

 先程、今週の本家サイトの更新として 『水雷講堂』 中の 『水雷の話題あれこれ』 の項に 『第3話 日露戦争期の機雷の話し』 を追加いたしました。
http://navgunschl.sakura.ne.jp/suirai/TP_arekore/wadai_03.html
 これは既に本ブログで連載したものですが、ブログではその性格から日付順で流れてしまい、しかも一つの連載ものとしては大変に見難いものですので、改めて本家サイトの方へ纏め直したものです。  同じく..
posted by 桜と錨 at 12:50

2011年08月13日

『水雷兵器入門』

 お出かけの際にはその行き帰りの電車中で暇つぶしに手軽な文庫本を読むことが多いのですが、最近では既にその内の1冊、上坂紀夫氏著 『軍艦 「関東」 越前海岸遭難記』 をご紹介したところです。
http://navgunschl.sblo.jp/article/46689885.html
 今回はこの6月に光人社から出たばかりの大内健二氏著 『水雷兵器入門』 です。 著者としても水雷関係は初めてのもののようです。
book_ohuchi_suirai_cover_s.jpg
 「〇〇入門」 というタイトルの本は軍事関係でも..
posted by 桜と錨 at 16:00

2011年07月17日

『日露戦争期の旧海軍の砲術』

 先に62回にわたって連載しました 『日露戦争期の旧海軍の砲術』 を纏め直し、本家サイトの 『砲術講堂』 中の 『砲術の話題あれこれ』 にその第2話として掲載しました。
http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/arekore/arekore_main.html
 本ブログ上では “ブログ” という性格と仕様によって、連載ものはかなり見にくいものとなっておりますので、本家サイトでは随分とスッキリした形でお読みいただけるようになったと思..
posted by 桜と錨 at 11:12

2011年05月01日

日露戦争期の砲術の話しを終えて

  『艦砲射撃の基本中の基本』 に始まって 『安保清種の砲術』 まで全62回にわたって日露戦争期における旧海軍の砲術についてお話ししてきましたが、これにて取り敢えずこの項は一応の終わりにいたしたいと思います。
http://navgunschl.sblo.jp/category/843733-1.html
 ここまでお読みいただいた方々には、当時の旧海軍の砲術がどの様なものであったかをご理解いただけたものと考えております。  『別宮暖朗本』 の砲術についての記述..
posted by 桜と錨 at 18:20

2011年03月13日

安保清種の砲術 (4)

 続いて同じく 『日本海海戦戦闘詳報 第一号』 (三笠機密第151号、明治38年6月10日) から、今回はその第13項 『戦闘中の実験に依り将来改良を要すべき点』 に記されているものをご紹介します。  まず同項の中の 『砲銃水雷其他通信之部』 から砲術関係を抜萃します。

(一) 我海軍の安式12尹砲は多数発砲に際し筒圧に対する耐破力を較々欠くる処あるやの疑あり 将来の造砲に就ては充分改良を要すべきものと認む ・・・・(後略)・・・・

(二) 本年5月三笠機密..

posted by 桜と錨 at 13:14

2011年03月11日

安保清種の砲術 (3)

 「三笠」 砲術長 安保清種の砲術について、続いて日本海海戦初日である明治38年5月27日当日の射撃の状況を 『三笠戦闘詳報』 の記述から抜萃して、時系列的に見ていきます。
第1次右舷戦闘   2時07分  敵の先頭を圧しつつ左に回頭   2時10分  射距離6千4百に至り嚮導艦 「スワロフ」 型に向て 右舷6尹前砲台            の一斉試射   2時11分  6千2百に至り右舷砲台の 並射撃 を開始 徹甲鍛鋼交互に発射   2時21分  4千9..
posted by 桜と錨 at 19:25

2011年03月05日

安保清種の砲術 (2)

 『別宮暖朗本』 の著者以外にも、現在でも旧海軍が日本海海戦において 「一斉打方」 を行ったと主張する人がいます。 その代表が先にもお話しした遠藤昭氏です。  遠藤氏のその主張の根拠とするのは次の2つです。      1.明治38年4月の英海軍 Thring 大尉の来日 (「変距率盤」 の持参)      2.明治38年4月17日の連合艦隊司令長官訓示  英海軍大尉の来日については、既に本家サイトの 『砲術の話題あれこれ 第1話』 で述べているところで、こ..
posted by 桜と錨 at 11:05

2011年02月16日

加藤寛治の砲術 (10)

 9回に分けて加藤寛治 「三笠」 砲術長が自らものした 『八月十日の海戦に於て砲火の指揮に関し得たる実験要領』と、それを受けた 『三笠戦策』 をご紹介しました。  さてこの項の最後に、例によって 『別宮暖朗本』 のウソと誤りだらけの記述についてです。
 5000メートルを超える中長距離砲戦では、斉射法は必須である。 ところが、現在に至るも誰が斉射法を発見したのかははっきりしない。 これは当然のことで、当時海軍砲術というのは、各国にとり死活的重要な国家機密だった。 ..
posted by 桜と錨 at 12:26

2011年02月10日

加藤寛治の砲術 (7)

      砲戦策     砲火の指揮

一、砲火の指揮は本職是れが大要を掌握し其の幾分を砲台長に委かす

二、六尹砲を以て他方の基準とし其の他の諸砲に在りては砲台長は基準砲の射撃諸元及び弾着に従い射距離苗頭を修正して正確なる命中弾を期すべし 但し六尹砲射程以外に在りては前部十二尹砲塔を基準とし艦橋に於て是が指揮を掌握す後部十二尹砲塔は射撃諸元の修正に於て努めて同砲に準拠すべし

三、射距離は毎百米突を変更することに弾着は不良と認むる時期に於て示令通告..

posted by 桜と錨 at 18:07

2011年02月06日

加藤寛治の砲術 (5)

四、砲台区分    新式艦砲操式に拠る
 明治36年版 『海軍艦砲操式』 に基づく砲台区分は、「三笠」 では前部主砲、後部主砲、前部右舷6インチ砲、同左舷、後部右舷6インチ砲、同左舷で、後は補助砲の砲台です。 そして各砲台の砲台長が自己の各砲を指揮します。  更に、既に 「距離通報器について (2)」 でご説明しました下図のとおり、明治36年の通信装置改善工事後においても、前部主砲〜後部主砲間、及び6インチ前部砲台〜同後部砲台間の通信装置 (伝声管など) が無いこと..
posted by 桜と錨 at 11:41

2011年02月02日

加藤寛治の砲術 (3)

一、遠戦に於ては一時に艦隊全艦砲火を開始せざるべからざる時期多からず 故に艦隊戦闘に於て発砲開始の初期は特令なき限り旗艦及び殿艦のみ先ず射撃し二艦各別個の目標 (最近) を選定して試発数回の後決定距離を発見し本信号を以て目標及び射距離を全隊に報じ然る後全線の砲火を開始するの方法を講ずる必要あり 然らざれば僚艦の弾着相混交して彼此の識別に難く全く射距離の修正を不可能ならしむ

 試射により適正照尺 (当時は 「決定距離」 という用語を使っています) を把握するまでは、弾着錯綜を..
posted by 桜と錨 at 12:33

2011年01月30日

加藤寛治の砲術 (1)

 明治37年8月10日の黄海海戦において、 「三笠」 砲術長であった加藤寛治がどのような射撃指揮法を採っていたかをご紹介することにしましょう。  ただし、本項をお読みいただくためには、既に連載してまいりました 『別宮暖朗本のウソと誤り』 の 「カテゴリー:砲術の話し」 に掲げるすべての項をご理解いただいていることが前提です。
http://navgunschl.sblo.jp/article/34195253.html
 皆さんご承知のとおり、加藤寛治は 「三笠..
posted by 桜と錨 at 13:23

2011年01月16日

斉射のやり方 (2)

1.射撃の手順 (承前) (3) 各砲台へ発砲諸元の伝達 (4) 砲台における調定と照準  これらについては射撃指揮というよりは、主として艦の砲戦関係機器・設備に関係してきますが、既に 『連装砲の発射法』、『距離通報器について』、『艦砲射撃の基本中の基本 − 照準について』 などでご説明しておりますので詳しくはそちらをご覧ください。
http://navgunschl.sblo.jp/category/843733-1.html
 ここで再度強調しておか..
posted by 桜と錨 at 16:04

2011年01月14日

斉射のやり方 (1)

1.射撃の手順  前回 「打方」 という用語についてお話ししましたので、それでは 「一斉打方」 や 「交互打方」 においてどの様にしたら 「斉射」 が実施できるのか? ということに入りたいと思います。 ( なお、本項で使用する 「一斉打方」 「交互打方」 という用語は昭和12年以降の定義によります。 それ以前は既にご説明しましたようにそれぞれ 「斉発打方」 「一斉打方」 です。 念のため。)  まず最初は、射撃の手順についてです。 つまり、射撃 (砲火) 指..
posted by 桜と錨 at 20:10

2010年12月19日

「打方」 について (6)

 『別宮暖朗本』 のウソと誤りの更に続きです。  次の記述は日清戦争についてのところでこの著者が引用しているもので、黄海海戦時に観戦武官として清国海軍の 「鎮遠」 に乗艦していた米海軍少佐マクギフィン (実際はどうもお傭い艦長だったようで、艦長楊用林に代わり同艦を指揮していたと自分で言っています) が雑誌 『Century』 に投稿した記事からの抜萃です。
 日本のある艦は、統一指揮による舷側射撃 (Broadside Firing by Director) を実..
posted by 桜と錨 at 13:29

2010年12月18日

「打方」 について (5)

 『別宮暖朗本』 のウソと誤りの続きです。
 舷側射撃も近距離となれば、照準にあったところで発射すればよいのだから、19世紀後半になると、むしろ古くさい方法とされた。 (p62) (p67) 
 「照準にあったところで」 と言っていますが、では “誰が” “何処で” “どの様” に照準するのでしょうか? 先に引用したとおり、自分で 「直立のタイミングを教えるだけ (目標を指定しない)」 (p29) (p370) と言っているのに、です。  何ら正しい根拠に基づか..
posted by 桜と錨 at 12:44

2010年12月16日

「打方」 について (4)

 それでは、例によって 『別宮暖朗本』 の記述を見てみましょう。
 斉射 (Salvo Firing) は、複数の砲台・砲塔が同一目標に向けて、同じタイミングで射撃することである。 詳細は後述するが、船体動揺 (ローリング、ピッチング) の影響を受けないように、直立のタイミングを教えるだけ (目標を指定しない) の舷側射撃 (Broadside Firing) とは異なる。 司馬遼太郎は両者を混同している。 (p29) (p370) 
 斉射 (Salvo Firi..
posted by 桜と錨 at 13:03

2010年12月13日

「打方」 について (2)

明治期の射撃指揮のことに入りますが、まず最初に肝心な用語の話しを一つしておかなければなりません。  それは他でもありません 斉射 (Salvo) という言葉です。 実は旧海軍においては、この 「斉射」 と言う言葉は、特定の 「打方」 として定義されたものでもなければ、具体的な砲塔・砲の 「発射」 の方法を意味するものでもありません。 つまり専門用語ではなくて 一般用語 に過ぎないのです。  例えば、英語の辞書を引くなり、ネットで検索するなりしてみてください。 大..
posted by 桜と錨 at 14:21

2010年12月01日

「打方」 について (1)

 日露戦争期の砲術について、これまでで外堀 (ハードウェアのお話し) はほぼ埋め尽くしました (^_^) (砲熕武器と艦艇の発達史については、また別にお話しすることにします。)  ご来訪の皆さんには、もうこの外堀を埋めた段階で既に 『別宮暖朗本』 が実に如何にいい加減なウソと誤りだらけであるかはご理解いただけたと思います。  さていよいよこれから少しずつ肝心な本丸攻め (射撃指揮) のお話しに入っていきたいと思います。  まず最初は 「打方」 について..
posted by 桜と錨 at 15:29

2010年11月12日

「内筒砲射撃」 について (後)

 さてそれではこの項の最後として、例によって 『別宮暖朗本』 のウソと誤りをみてみましょう。
 前述 (63ページ) のように、近代砲術の世界では大中口径砲手の腕や目や神経は、命中率と関係がない。 いくら砲手を訓練したところで事故を防ぐことはできるが、命中率をあげることはできない。 6インチ砲や主砲を命中させることができるのは、砲術長、すなわち安保清種なのである。 (p269) (p278)
 これが全くの大ウソであることは既に 「照準」 のところで根拠を示してお話..
posted by 桜と錨 at 15:25

2010年10月31日

今週末は

 都内某所でかつてのニフティーサーブ時代から続く 「FDR」 というフォーラム主催の勉強会が開かれました。  定期的 (でもないかな?) に政治・軍事の様々な分野での講師を招いて行うごく内輪のものですが、今回これにお呼びいただきまして、旧海軍の砲術について一日お話しをしてきました。
gunnery_txt_cover_s.jpg
 通常ですと会員の希望を採り入れた内容について2〜3時間の講演型式でやるのですが、今回は私の方の希望を入れていただき始めから基本的にQ&A型式で行い、参加者各個人毎に砲術についての..
posted by 桜と錨 at 18:51

2010年10月27日

「変距率盤」 と 「距離時計」

 久しぶりに砲術の話しを少し。  これまで明治期を中心とした日本海軍の艦砲射撃については、主として “砲” とそれに関連するハードウェアについてご説明してきました。  そしてこれまで、日本海海戦を含め日露戦争期にはまだ旧海軍は 「一斉打方」 を “実施していない (できなかった)” ということもご説明しました。 これについては既に十分ご理解いただけたと思いいます。  今回は 「変距率盤」 と 「距離時計」 についてです。
range_rate_01_s.jpg   range_clock_01_s.jpg ( 明治41年当時の..
posted by 桜と錨 at 13:05

2010年04月03日

天気晴朗なれども浪高し

 旧海軍の連繋水雷については、既に 「連繋機雷 (一号機雷) について」 と題して 『別宮暖朗本』 のデタラメな記述に関連して4回に分けて説明してきたところです。  そこで、先日HN 「プロコンスル」 さんとのやり取りの中で日本海海戦時の有名な電報  「敵艦隊見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動之を撃滅せんとす 本日天気晴朗なれども浪高し」  のことが出ましたので、当該記事の補足としてお話ししておきたいと思います。  何かと言いますと、標題のこの電報..
posted by 桜と錨 at 11:58

2010年03月24日

「距離通報器」 について (3)

 そして肝心な問題です。 「号令通報器」 はともかくとして、この 「距離通報器」 によって砲術長から各砲台長へ伝達される 「距離」 とは一体何を意味するのでしょうか?  つまり、測距儀の測定結果による 「測距離」 なのか、測的の結果によるある時間後の 「未来距離」 なのか、はたまた射撃計算後の 「照尺距離」 なのか、ということです。  これを言い換えるならば、測的やそれによる未来位置の算出、そしてそれに基づく射撃計算はどこで誰がやるのか? ということになります。 ..
posted by 桜と錨 at 19:05

2010年03月21日

「距離通報器」 について (1)

 日露戦争当時の射撃指揮や射法といったことに入る前に、当時の射撃指揮要具がどのようなものであったかについてご説明しておきましょう。  これによって、今日のような射撃指揮装置などがまだ存在しなかった時代において、どの様な射撃指揮や射法が可能であったかが判るからです。  最初は 「距離通報器」 について。  例によってまず 『別宮暖朗本』 の記述から引用します。
 日露戦争のころ、砲術における三種の神器とされたのは、照準望遠鏡、測距儀、トランスミッターの三..
posted by 桜と錨 at 16:59

2010年02月21日

「筒発」 について (6)

 筒発に関する 『別宮暖朗本』 のウソ、誤りはまだまだあります。 そして、ここまで来ると、全く何をか況やです。
 主砲は連装砲塔に装備されており、1門の砲身が飛び散ると、他の1門に当たり、砲身を曲げてしまうことから、2門とも使用不能になる。 (黄海海戦で) 日本の戦艦4隻のうち3隻で筒発が起き、6門が使用不能となった。 (p202) (p209) 
 (注) : 青字 ( ) 内は管理人が追加
 連装砲塔だと1門が破壊されると、切断された砲身が別の1門にもあたり、砲..
posted by 桜と錨 at 12:50

2010年02月18日

「筒発」 について (5)

 更に 『別宮暖朗本』 の検証を続けます。
 現場では 「魔の28発目」 とささやかれていた。 すなわち筒発は試射第1発目から28発目に起きることが多かった。 (p307) (p319) 
 筒発を知るどこの海軍当局も極秘にした。 この事実を知らないと 「魔の28発目」 で砲塔一つの戦力が失われるわけだから、知った方は秘密にしないはずがない。  (p308) (p320) 
  “ささやかれていた” ということは、まずその 「魔の28発目」 の筒発事故が多発した、..
posted by 桜と錨 at 21:12

2010年02月17日

「筒発」 について (4)

 『別宮暖朗本』 の検証を続けます。
 日露戦争で海軍首脳を一番悩ませたものは筒発だった。 黄海海戦でこれが多発した。(201ページ参照) (p305) (p317) 
 実は、司馬遼太郎が書く、海戦における日本側がうけた残虐な場面の描写の大半は、筒発事故である。  「 後部の主砲である12インチ砲に砲弾が命中し、1門を破損した。 (後略) 」 ( 『坂の上の雲 (四) 』 55ページ )  これは黄海海戦における三笠の筒発事故であり、第2回戦で起きた。  (p..
posted by 桜と錨 at 13:56

2010年02月16日

「筒発」 について (3)

 さて、これまでご説明してきたことに基づき、例によって 『別宮暖朗本』 の記述を検証してみることにしましょう。
 弾丸が砲身の中で爆発する現象。 第1次大戦直前に信管誤作動防止装置が発明されるまで、連続発射を行うと必ず発生した。 原因は複数あるが、多いケースは砲身が灼熱し、弾丸がそこを通過するとき信管が作動するものだ。 (p115) (p376) 
 (黄海海戦第2期の) 砲戦は東郷が同航戦からT字をきりおわり、やり過ごすまで1時間20分以上つづいた。 このような長期..
posted by 桜と錨 at 13:55

2010年02月15日

「筒発」 について (2)

(3) 高温砲  砲を連続して発射すると、当然のことながら砲身が高温となります。 そしてこの高温によって砲弾や装薬中の火薬類の自然が生じる可能性が出てきます。 この状態を 「高温砲」 といいます。  この場合、普通は先に装薬が発火して砲弾は発射されてしまいますが、状況によっては砲弾内の炸薬、あるいは信管などが起爆してしまう可能性が全く無いとは言い切れないものがあります。  砲に余り詳しくない方々には、この高温砲が原因で砲弾が破裂して筒発となる、というと最も判..
posted by 桜と錨 at 20:00

2010年02月10日

艦砲射撃の基礎 − 連装砲の発射法 (補)

 砲術のお話しは、砲塔砲の発射法のところまで終わり、次の段階の準備を始めておりますが、その前にちょっと補足として。  といいますのも、本項でご説明したことの証拠として前回の (5) において 『別宮暖朗本』 の掲載写真にて当時は “斉射” をしていない事実を証明しました。  しかし中には、あれは 「敷島」 であって 「三笠」 は加藤砲術長指揮の下に斉射をやっていたのではないか? と思われる方もあるかもしれません。  ということで、連装砲の発射砲に関連してもう..
posted by 桜と錨 at 13:53

2010年02月04日

「大海令第1号」 と海軍の軍令 (補)

 この項に関連して、是非お話ししておかなければならないのは、昭和8年制定の 「軍令部令」 でどう変わったのか、ということでしょう。  既にご説明しましたように、平時は明治23年制定の 「海軍軍令部条例」 により、軍令部長は軍令の起案、上奏は行うものの、その後の実施については海軍大臣が行いました。  また、戦時になって大本営が設置されると、明治36年改正の 「戦時大本営条例」 によって軍令部長が統帥に関する軍令を直接所掌しました。 ( 余談ですが、皆さんご承知..
posted by 桜と錨 at 16:09

2010年01月31日

「大海令第1号」 と海軍の軍令

 『極秘明治378年海戦史』 から、

  「 (明治37年2月) 5日、山下大佐到着し、大臣の封緘命令を東郷司令長官に交付せしが、同日更にこれを開封すべきの命あり、是に至り、東郷司令長官は始めて発進の大命を蒙れり 」

 日本が対露開戦を決意し、天皇から連合艦隊に最初に与えられたものが 「封緘命令」 という言葉で有名な 「海大令第1号」 です。 実際には、山下源太郎大佐が持参した封書にはこの大海令ともう一つ、大海令についての海軍大臣から連合艦隊司令長官宛の理由説明書が同..
posted by 桜と錨 at 13:45

2010年01月17日

船舶工学の基礎 − タンブル・ホームと復原力 (4の補)

 ところで、  この縦隔壁のことは、日本海海戦における露戦艦の転覆沈没原因の一つとして、旧海軍にとっても艦艇設計上の貴重な戦訓となりました。  しかしです、  旧海軍はこの戦訓を得たにも係わらず、その後の艦艇設計において、遂に今次大戦までそれを活かすことはなかったのです。  このため、この大区画の縦隔壁の存在が、先の鋲構造の問題と併せ、今次大戦における旧海軍艦艇の浸水被害に対する “弱さ” の重大な一因となっていることは明らかです。  なぜ旧海軍..
posted by 桜と錨 at 20:57

2010年01月06日

船舶工学の基礎 − タンブル・ホームと復原力 (3)

 一般的に、傾斜が大きくなるほど復原挺も大きくなり、従って復原力も大きくなります。 そして、ある傾斜角度を過ぎると今度は逆に小さくなっていき、遂には復原挺 (=復原力) が 「零」 となります。  この復原力が零となる傾斜角を 「復原力消失角」 といい、これよりも更に傾くと船は転覆することになります。  これを表したのが下図の 「復原挺曲線」 です。 通常 「復原力曲線」 と言う場合にはこれを指します。
stabi_05a.jpg (注)
 (1) でご紹介した 「艦隊令第7号..
posted by 桜と錨 at 18:16

2010年01月05日

船舶工学の基礎 − タンブル・ホームと復原力 (2)

 鋼鉄製の艦船が何故水に浮くのか。 言うまでもなく船体構造によって得られる 「浮力」 が 「重量」 を上回るからです。  そして、その浮力と重量が釣り合った状態で浮いていますが、浮力が上回る分が水面より上にある 「予備浮力」 となります。  下図のように、通常の艦船では当然ながら 「浮心 (浮力中心 )」 (B) は 「重心」 (G) より下にあります。 このことが、復原力に関する様々な問題を引き起こしてくるのです。
stabi_01_s.jpg (注) 
 つまり、「浮心」 が ..
posted by 桜と錨 at 15:25

2010年01月04日

船舶工学の基礎 − タンブル・ホームと復原力 (1)

 ロシア戦艦で言われているタンブル・ホームの問題について、船舶工学という程までは行きませんがその簡単な理論についてご説明したいと思います。
stabi_09.jpg ( 「ツザレヴィッチ」 の船体中央横断面 (注)
 まず、
 タンブル・ホームとは舷側の下方が張り出している形をいい、重心を下げるための措置である。 (p45) (p371) 
 舷側が下方に張り出している、・・・・ ってバルジの説明じゃないんですから (^_^ ;  この一言で、『別宮暖朗本』 の著者が船舶..
posted by 桜と錨 at 14:36

2009年12月14日

『別宮暖朗本』 のウソと誤り

( 最終更新 : 平成23年8月10日 )
 本ブログのカテゴリー 「海軍のこと」 や 「砲術の話し」 で 『別宮暖朗本』 のウソや誤りについて、根拠史料を示してその史実・事実をご説明しているところです。  ブログの機能上各カテゴリーを横断するサブカテゴリーが作れませんので、ここでその目次ページとしてのカテゴリを作りました。  もちろん、ここで言う 『別宮暖朗本』 とは、次の書籍です。
「坂の上の雲」 では分からない 日本海海戦 ( 別宮暖朗..
posted by 桜と錨 at 13:33

2009年12月13日

機械水雷 (機雷) の基礎 (8) − 「ペトロパブロフスク」 撃沈 (後編)

 さてお待ちかね、いよいよこの機雷の項で最も笑えるところです。
 問題点がいくつもある。 点で敷設すれば間隔が空きすぎ、衝突するかどうかは神任せになってしまう。 つまり、敵の予想される航路に点ではなく線で敷設せねばならない。 (p184) (p191) 
 また、戦艦などの水雷防禦のため二重底の艦底を持つ船には、2発以上同時にあてる必要がある。 (p184) (p191) 
 小田は解答を出した。 2つ以上の機雷を互いにロープでつなげばよい。  (p184) (..
posted by 桜と錨 at 13:29

2009年12月12日

機械水雷 (機雷) の基礎 (7) − 「ペトロパブロフスク」 撃沈 (前編)

 さていよいよこの項の最後、旧海軍の旅順港前面への機雷敷設による 「ペトロパブロフスク」 撃沈です。  皆さんよくご存じの通り、この件は明治37年4月13日、日本海軍の誘致作戦に釣られて出港してきた 「ペトロパブロフスク」 が、その前夜に特別に編成された部隊によって敷設された 「二号機雷」 に触れて爆沈したものです。  同艦に座乗していた太平洋艦隊司令長官のマカロフ中将がその幕僚ともども戦死したことでも知られています。  そして、これがこの後12月6日まで続..
posted by 桜と錨 at 21:11

2009年12月11日

機械水雷 (機雷) の基礎 (6) − 小田喜代蔵と機雷 (後編)

 それでは小田は 「自働繋維器」 を考案しただけなのか?  いえ、実は小田の大きな功績は、日露戦争における連合艦隊の 「艦隊附属敷設隊」 ( 後に 「艦隊附属防備隊」 と改称された ) の指揮官 (隊司令) としての任務完遂にあります。 この著者は全く無視して、触れていませんが。  この艦隊附属敷設隊というのは、開戦時からずっと根拠地にあって、敷設水雷・機雷のみならず海底電纜も含む、いわゆる “敷設” に関する一切合切の総てを担当しました。  当然、港湾防備..
posted by 桜と錨 at 18:06

2009年12月05日

機械水雷(機雷)の基礎 (2) − 「機雷」 一般 (前編)

 敷設水雷に続いて、「機械水雷」、即ち 「機雷」 の一般的なことについてお話しします。 「機雷」 と言うものの、現代における分類については、前回の末尾に (参考) として付記させていただきました。  この分類のうち、日露戦争当時においては、単に 「機雷」 と言えば 「繋維機雷」 のことを指しています。 勿論、それ以外のものを意味する場合もありますが、非常に少ないことは頭に置いてください。  さて、一般的な繋維機雷がどの様なものかは、皆さんよくご存じとは思いま..
posted by 桜と錨 at 12:27

2009年12月02日

機械水雷(機雷)の基礎 (1) − 「敷設水雷」

 先に旧海軍の 「連繋機雷」 についてご説明しましたので、今度は一般的な機雷についてお話ししたいと思います。  その為にはまず、「敷設水雷」 というものから始めます。  ただし、「水雷」 という語源と起源などについては省略いたします。 それこそ火薬が発明されてそれを軍事的に使用され始めたときに存在するといえるからです。  例えば、1585年のオランダ独立戦争でのアントワープの戦いにおいて、火薬船を流してパーマ (Parma) 橋の破壊を企てたことを以て 「浮..
posted by 桜と錨 at 18:37

2009年11月29日

「203地点ニ敵ノ第二艦隊見ユ」 (後編)

 続いて、日本側の史料・文献からです。  まず、旧海軍の公式戦史である 『極秘明治378年日露海戦史』 の記述から。
0527_shinanomaru_02_s.jpg0527_shinanomaru_01_s.jpg
 次は、日本海海戦初日から3日後 (!) の5月30日付である当の 「信濃丸」 の 「戦闘概報」 から。
shinano_btl_rep_02_s.jpg  shinano_btl_rep_01_s.jpg
shinano_btl_rep_04_s.jpg  shinano_btl_rep_03_s.jpg
 午前2時45分に病院船 「アリヨール」 の燈火を発見し、近接、確認の後、敵発見を発信します。 その発見電の第1報及び第2報の発信時刻が書かれていませんが、成川艦長が4時40分過ぎ頃に第1報の発信を命じていますので、そ..
posted by 桜と錨 at 16:45

2009年11月28日

「203地点ニ敵ノ第二艦隊見ユ」 (前編)

 今回は、タイトルどおり、5月27日早朝の 「信濃丸」 によるバルチック艦隊発見時のお話しです。  何故これかというと、まずは次の 『別宮暖朗本』 の記述をご覧いただきましょう。
 信濃丸が203地点で「敵艦見ゆ」と発見し、無線で報告したのは、ロシア側記録では1時15分ごろとなっているが、『公刊戦史』では4時半とされている。 ロシア側が偽りをなす理由がないので、1時15分が正しいと思われる。 (p291)
 ひどい、余りにもひどい。 私もこれ程のものは他にそうそ..
posted by 桜と錨 at 18:18

2009年11月26日

艦砲射撃の基礎 − 連装砲の発射法 (5)

 さて皆さんお待ちかね、この項の最後として、笑える 『別宮暖朗本』 です。
 旅順艦隊旗艦ツェザレウィッチは独領膠州湾で抑留された結果、その被害を全世界にさらすことになった。 調査によると、12インチ砲弾は15発命中している。 ところが、このうちの 3発は1回の斉射 で与えたものである。 すなわち露天艦橋に命中してウィトゲフトを戦死させた1弾、後部艦橋を破壊した1弾、喫水線に命中し溶接部分をずらしこみ多少の浸水をもたらした1弾は、同一斉射の3弾 なのである。  主砲4門..
posted by 桜と錨 at 12:54

2009年11月25日

艦砲射撃の基礎 − 連装砲の発射法 (4)

 日露戦争後、種々の戦訓に基づきこの艦砲操式もそれを採り入れたものに改訂することとなり、まず明治41年に 『海軍艦砲操式草案』 が作成されて試行されました。 そして試行結果に基づいて所要の修正がされて大正元年に制定、続いて36糎砲などの新しい砲を採り入れての改定が大正8年になされます。  この明治41年版の草案では、先の連装砲塔の3種類の発射法の内の 「一斉打方」 が無くなりました。 要するに動力の問題で実用に適さないからです。  そして、その後45口径の12イン..
posted by 桜と錨 at 15:03

2009年11月23日

艦砲射撃の基礎 − 連装砲の発射法 (2)

 前回お話ししましたように、日露戦争における戦訓を反映した艦砲の操法は、明治41年の 『海軍艦砲操式草案』 で試行したあと、近代射法の誕生に整合をとる形で大正元年版 『海軍艦砲操式』 として制定されました。  この大正元年版では 「三笠」 の爆沈の件があってか、記述からその12インチ砲については外されていますので、「朝日」 の例です。  四十口径安式十二吋砲の砲員の新しい配置は下図のとおりで、砲塔長以下15名 (他に砲塔下部に更に3名) です。 36年版の時が 「..
posted by 桜と錨 at 17:08

2009年11月22日

艦砲射撃の基礎 − 連装砲の発射法 (1)

 日露戦争時代の連装砲 (連装砲塔砲) の打ち方、つまり発射の仕方についてです。  昭和期になってからの「一斉打方」、いわゆる「斉射」というものを行うためには、それぞれの連装砲塔で「斉発」、即ち “左右砲を同時に一人の射手で” 発砲することが大前提になります。  これが日露戦争当時は実施できたのでしょうか? というお話しです。  その前に、砲塔内にはどれだけの人員がどの様に配置されるのか、からご説明を始めたいと思います。  「三笠」 の主砲である 「四..
posted by 桜と錨 at 15:38

2009年11月18日

連繋機雷 (一号機雷) について (後編)

 この連繋機雷の用法の応用例として出てくるのが、バルチック艦隊北上に備えた津軽海峡防備です。  これも笑えます。 『別宮暖朗本』 ではこれについて 「津軽海峡封鎖作戦」 と題して、2頁にわたって色々書かれていますが、この2頁まるまる全部誤りです。
 黄海海戦が終了すると、海軍省は本格的にバルチック艦隊対策を検討し始めた。 1904年 (明治37年) 9月、海軍省は極秘裏に津軽海峡封鎖作戦の策案を小田喜代蔵に命令した。 封鎖せよという命令の本旨は防禦水雷敷設にある。..
posted by 桜と錨 at 18:26

2009年11月17日

連繋機雷 (一号機雷) について (中編−その2)

 続いて、この連繋機雷の実戦での使用例についてです。  連繋機雷の実戦での戦果は、実は、というか皆さんよくご存じのとおり、明治37年の考案時から昭和期までを通じて、日本海海戦の時に鈴木貫太郎海軍中佐 (当時) 指揮する第四駆逐隊の例、一つのみです。 ( その他には、戦果不明ですが、“攻撃した” というならば27日夜戦において、第十艇隊の水雷艇 「第三十九号」 と 「第四十一号」 がそれぞれ1群連 (4個) を敵艦前程に敷設しています。)  そして第四駆逐隊に..
posted by 桜と錨 at 19:15

2009年11月16日

連繋機雷 (一号機雷) について (中編−その1)

 前・中・後編の3回に分けて掲載するつもりでしたが、書き始めましたらどんどん長くなりましたので、後編は予定どおり津軽海峡防備をお話ししますので、この中編を2回に分けることにします。
---------------------------------------------------------
 それでは、この 「連繋機雷」 は誰の発想で、誰が考案したか、ということになります。  これもまず 『別宮暖朗本』 の記述から。
 小田は機雷の攻撃的な使用として..
posted by 桜と錨 at 21:25

2009年11月14日

連繋機雷 (一号機雷) について (前編)

  『別宮暖朗本』 の誤りについて、砲術関係については既にその基礎の解説に合わせて順次ご説明しているところであり、またその他についてもその一例として先日 「対馬か津軽か」 と題しご紹介したところです。  これからは、水雷関係についてもこの著書の誤りについてご説明して行きたいと思います。 もちろん、不定期の “気まま” に。  旧海軍の水雷史については、幸いにしてその創始より昭和年代初めまでについて 『帝国海軍水雷術史』 という素晴らしい公式史料が残されており、本..
posted by 桜と錨 at 21:41

2009年11月05日

「対馬か津軽か」 − 連合艦隊の動揺 (補足)

 本件について、既に 「別宮暖朗本」 での著者の主張が全く根拠のない “誤り” であることは充分にご理解されたと思います。  ただ、本件の史実としてのご説明としては、やはりこのことを追加しておく必要があるかと考えます。 それは先にも出てきました給炭船及び給水船の動きについてです。  聯合艦隊主力の北進の為には、先に補給・支援部隊や哨戒・警備部隊に準備をさせる必要が出てきます。  そこで東郷は、両者の指揮官に北進の意図を伝えると共に、特務艦隊司令官に対しては艦..
posted by 桜と錨 at 22:40

2009年11月04日

「対馬か津軽か」 − 連合艦隊の動揺

 砲術関係でその基礎の解説に合わせて、例の 『別宮暖朗本』 の誤りをご説明しておりますが、既に書いてきましたとおり、この本は砲術や水雷術のみならず、海軍や艦艇は勿論、戦術や戦略、戦史にいたるまでありとあらゆるところで誤りがあります。  砲術以外についてもこれから “気まま” にご紹介していくつもりですが、取り敢えずその一例として標題の件を。  皆さんご存じのとおり、本件は、日本海海戦が生起する直前の時機になって東郷平八郎や連合艦隊司令部の参謀達が、バルチック艦隊が..
posted by 桜と錨 at 18:36

2009年10月30日

艦砲射撃の基礎 − 「見越」 について

 前回の 「測的」 についてのお話しからちょっと間があいてしまいました、それはそこ 「気ままなブログ」 ということで (^_^;  今回は前回の 「測的」 の結果に基づく 「見越」 のお話しです。  艦砲射撃では洋上で互いに動きながらになりますので、弾着は砲の発砲時の目標艦の位置 (これを射撃用語で 「現在位置」 と言います) ではなく、弾の飛行秒時後の目標の未来位置であることは申し上げるまでもありません。  この現在位置に対する未来位置までの差を 「見越」..
posted by 桜と錨 at 19:40

2009年09月26日

艦砲射撃の基礎 − 「測的」 について (続)

ここで賢明な皆さんは思われることでしょう。 「 それなら、射撃のためにわざわざ相対運動から絶対運動を求めなくとも、最初の相対運動で得られた “単位時間当たりの距離変化率と方位変化率” で射撃計算はできるのでは?」 と。  実は、そうなのです。 ( この相対運動の測的による “単位時間当たりの距離変化率と方位変化率” を使った射撃計算の方法については、また後でご説明します。)  しかしまたその一方で、そうでもないとも言えますし、それではダメということにも..
posted by 桜と錨 at 19:33

2009年09月20日

艦砲射撃の基礎 − 「測的」 について

 今回は 「測的」 についてお話ししますが、この 「測的」 についての一般的な理論については、既に本家HPでご説明しておりますのでそちらをご覧下さい。 ( 『砲術講堂』 → 『射撃理論概説 初級編』 → 『未来位置の決定』 です。)  したがって、ここでは日露戦争当時における水上射撃を念頭に、もう少し的を絞ってお話ししたいと思います。  念のために再度確認しますが、本家HPにもありますように、  「測的」 とは、「照準」 と 「測距」 とにより得られる..
posted by 桜と錨 at 13:30

2009年09月05日

艦砲射撃の基礎 − 「苗頭」 について (続)

 さて、その 「苗頭」 ですが、『別宮暖朗本』 では次のように説明されています。
 長距離射撃をやるためには、旋回手や俯仰手のカンや暗算に頼ることはできなくなり、どこかで距離や苗頭を計算する必要が出てきた。 (p64)  長距離射撃で命中させるには、まず苗頭を正確に把握する必要がある。 苗頭とは次ページの図における 「β マイナス α」 である。 (p64)  自艦は C の位置で黒艦を射撃したいとする。 C にいるときには黒は A の位置に見えるのだが、実..
posted by 桜と錨 at 12:14

2009年09月02日

艦砲射撃の基礎 − 「苗頭」 について

 今までは “トンデモ本” という言い方をしてきましたが、やはり 旧海軍砲術界の名誉と、艦砲射撃についての正しい伝承のため にも、書名と著者名を出してキチンとその責任の所在を明らかにしながらお話しを続けることにしたいと思います。  多くの方はご存じでしょうが、この “トンデモ本” とは 別宮暖朗著 『 「坂の上の雲」 では分からない 日本海海戦 』 (並木書房 2005年) です。  今後は、この書籍のことを単に 『別宮暖朗本』 と称することにします。
--..
posted by 桜と錨 at 18:38