私自身が終活の日々になってしまいましたが、これはとてもではありませんが断捨離できないものの一つです。
義父の形見である旧海軍の短刀です。
義父は主計兵から特務士官となり、終戦は呉鎮守府において特務中尉として迎えましたが、この短刀は時の呉鎮守府司令長官であった金澤正夫中将から直々に拝領したものです。
その義父は呉鎮での終戦処理にあたり、長官の指示を受けてあれこれ動き回ったわけですが、その中の最大のものが海軍兵学校の参考館に収蔵された貴重なものを進駐軍に接収されないように秘密裏に各所に分散・隠蔽することでした。
特に旧海軍の歴史的な価値がある遺品などのものそのものではないものは、進駐した連合軍兵士達の手によって散逸してしまう恐れがありましたので、貴重な絵画や武具の数々などのこれらは厳島神社や大山祇神社などに預かってもらい隠して置くことに奔走したのです。
そしてこれらが一段落した時に、このことが連合軍にバレたときにはもしかするとその隠蔽工作の責任を問われることがあるかもしれないと、金澤長官からその時にはこれで潔くと渡されたものと義父本人からから直接聞いています。
目釘などは外したことがありませんので、柄内側の刀身のなかご(茎)に刻まれているかもしれない銘などは判りませんが ・・・・
家内の親族の中では誰もこのようなものに興味を持つ者がいなかったようで、長い間義父の元で放ったらかしになっていたようですが、家内との結婚の時に義父から私が持っているほうがと渡されたものです。
家内などは子供の頃に兄弟達でこれと短剣でチャンバラをして遊んだこともあったとか (^_^;
私には義父からの大切な遺品になっていると共に、旧海軍の隠れた逸話の一つを伝えるものなっています。
なお、この時に義父が奔走して海軍兵学校の参考館から分散・隠蔽したものの多くは、連合軍の江田島撤収・返還後に戻ってきましたが、特に刀剣や鎧兜などの武具については分散先から 「あれは旧海軍から貰ったものだ」 と言い張られていまだに海上自衛隊には戻ってこないものも多々ありますが (^_^;