2017年01月01日

平成29年の元旦


つい先程 “良いお年を” と言ったと思ったらもう新しい年が始まりました。

皆さんはどのようなお正月をお迎えでしょうか?


我が家は毎年NHKの 「行く年来る年」 を観ながら新年を迎えますが、今年も少々酩酊状態で寝ましたらすっかり朝寝坊してしまい、ようやく元旦ムードに入りました (^_^;

我が家の元旦はまず恒例のこれから。 七福神のお猪口占いです。

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今年は私は布袋様でした。

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そして普通の家庭ならお節料理ということなんでしょうが、我が家は皆お正月のあれこれ詰まったお節料理はあまり好きではない、というより子供達も全く食べませんでしたので、今では元旦の朝はシンプルなものです。

しかし、何は無くともこれだけは (^_^)

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私が言うのもなんですが (っと毎年言っていますが) 家内のお雑煮は絶品と思います。

これを食べると “あ〜、お正月だな〜” っと。


・・・・ で、今年もやはり年が明けたこれから賀状書きです (^_^;

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賀 正


新年明けましておめでとうございます。

旧年中は多くの方にご来訪いただきありがとうございました。

本年も本家サイトともどもよろしくご愛顧のほど、お願いいたします。

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posted by 桜と錨 at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年12月31日

もう今から酔ってます


先程活きワタリガニをご紹介したところですが、先日お話しした牡蠣の網元を継いでいる甥っ子が今年最後の水揚げが終わって剥き身と殻付きを持ってきてくれました。

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そして一緒にヒオウギ貝も。

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まずはワタリガニから。 活け締めして蒸し器に、その上からお酒を少し振りかけます。 い〜匂いです。

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ワタリガニは雄の身が好きという人と、雌の内子と味噌が好きという人がいますが、私も家内も後者の方です。

この蟹は佐賀の竹崎のものが一番と思っていますが、こちらでは流石に手に入りませんので、これで我慢です。 それでもこれも大変に美味しかったです。

で、肝心な孫娘は、と言いますと、これが何というか一人で一匹ペロリと平らげてしまいました。 用意した甲斐があるというものです。

後は何度か行った近くの居酒屋さんに頼んだ仕出しのオードブルをつまみながらNHKの紅白を、と思っていたのですが、長女も孫娘も初めてですので家内が急遽ヒオウギ貝の炊き込みご飯を作ってくれました。

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シンプルな炊き込みですが、これも先日お話ししたように絶品の味です。 ホタテより濃厚な味で、珍味と言えるでしょう。

ただ貝類特有の一寸した匂いがありますので、孫娘にはどうかなと思いましたが ・・・・ 心配無用、パクパク食べてくれました。 これも嬉しい限りです。

牡蠣の殻付きの方は流石に小学校低学年でもあり、年末年始でもありますから一応用心して、これは明日にでも私用の焼き牡蠣にしましょう。 これで一杯はたまりません ルンルン

安物のお酒を飲みながら、女4人に男1人、それこそワイワイ、ペチャクチャで久しぶりに賑やかな我が家の大晦日の夕食です (^_^)

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( 陶芸教室での家内のワインクーラーに入れて )

posted by 桜と錨 at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

孫娘来る


今日になってやっと孫娘がやってきました。 賑やかな大晦日とお正月になりそうです (^_^)

で、蟹が大好きな孫娘と一緒に食べようと、近くの鮮魚店に頼んでおきました。

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この時期ですので、少々値は張りましたが、大サイズのメスのワタリガニ。

まだ発砲スチロールに入れた水の中で泳いでおり、手に持ってもずっしりとしています。

これを蒸して ・・・・ 夕食が楽しみ楽しみ (^_^)

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2016年12月28日

「この世界の片隅に」 ロケ地マップ


呉市内に出たついでに 「大和ミュージアム」 に寄ってこれを貰ってきました。 今巷で話題のアニメ映画 「この世界の片隅に」 のロケ地マップです。

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片面が呉市、もう片面が広島の中島本町と江波港になっています。

映画の画面構成などに携わった浦谷千恵さんのイラストですが、ロケ地マップと言うよりは呉市内の散策ガイドにもなりますね。

「大和ミュージアム」 の玄関を入った受付のお姉〜さんに “あの映画のマップが貰えるそうですが?” と尋ねたら、こちらにありますということで案内されたのが入口ホール奥壁際のパンフレット置き場にあるラックの一つ。

館内では特に宣伝などをしている様子はありませんし、他のパンフレットと一緒に並んでいるだけですので、今日も多くの見学者がありましたがほとんどの人は気が付いていないようでした。 勿体ない (^_^;

“何枚ご入り用ですか?” とのことで家内の分と2枚貰ってきましたが ・・・・ 一応 「お一人様一枚で」 との張り紙もありますが、これらなもっと貰って良かったのかと (^_^)

posted by 桜と錨 at 14:37| Comment(7) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年12月27日

発射弾数の記録


某所でこういう事が話題になっていました。

 実戦で発射弾数を記録するものでしょうか?

平時であろうと戦時であろうと各砲ごとその時に発射した弾数、弾種、装薬 (発射薬) 種は必ず記録します。

その理由は大きく3つあります。

1.砲身命数 (砲齢) の計算のため

特に大口径になればなるほど命数は小さいため、この計算は重要です。

2.故障や事故が生起した時の原因究明ためのデータの一つとして

例え小さな故障であろうとも、これによって人身事故や砲の毀損に繋がり兼ねませんので、その分析には発射の記録も重要なデータになります。

そしてこれらが正確に記録されているからこそ、これが砲の改良や操法 (操作法) の改善などに繋がっているのです。

3.射撃における指定された発射の確認のため

平時の訓練であろうと戦時における実際の砲戦であろうと、指定されたこれらの確認は、有効な射撃を実施するためには重要なことです。


特に1.及び2.については各砲1門ごとにその砲の経歴や構成などを記した 「海軍砲砲歴」 という帳簿が備えられており、その都度各種の記録が書き加えられてその砲の現状が更新されます。

そしてその中でも発射弾数は最も重要な記録であり、だからこそその記注についての注意までが艦政本部から出されているのです。

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この発砲の記録は明治時代から行われており、ですから例えば日露戦争時に多発した筒発についても、各艦の戦闘詳報などにおいてどの砲が何時、何発目にどのような状況で撃ったときに生起したか、などが明らかにされているわけです。

“後々の戦闘への参考資料にでもした” などと言うようなそんな軽い話しのものではないことはお判りいただけるかと。

posted by 桜と錨 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2016年12月26日

朝雲新聞 (2)


朝雲新聞の12月22日号が届きました。

「世界の新兵器」 コーナーでは私が担当する艦艇編の2回目として、今回はアルジェリア海軍の MEKO A-200AN 「エルラディ」 級を採り上げました。

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( 文字が小さくて内容は読めないかもしれませんが ・・・・ 自衛隊及びミリタリー関係に興味のある方は是非定期購読を )

お馴染みドイツの MEKO シリーズの最新型で、満載排水量 3,700トンの船体に斬新なアイデアと多彩な兵器を盛り込んだ大変有力なフリゲートで、しかも建造費約500億円というものです。

日本の護衛艦の調達・建造形態からみると驚くべきものですね。


さて、次回は何にしましょうか。

posted by 桜と錨 at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2016年12月25日

艦隊司令部職員の構成と職務 (4)


さて、前述の明治22年に制定された 「艦隊條例」 と 「軍艦條例」 ですが、これらはそれまでの海軍省達などではなく、勅令となっています。

これは、この年の2月に大日本帝国憲法、俗に言う明治憲法が発布されたことによります。 即ちその第12条で、

 第十二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及其ノ常備兵額ヲ定ム

とされました。 これがいわゆる 「編制大権」 と言われるもので、これによって関連する法規類も勅令によることとなったわけです。 因みに第11条が有名ないわゆる 「統帥大権」 です。


そこで、前述した明治17年の 「艦隊編制例」 及び 「艦隊職員条例」 と同時に定められた司令長官等及び艦隊職員に対する補佐業務のための 「旗艦増員表」 です。

この海軍省達として定められた旗艦増員表は明治19年2月19日に廃止されました(達丙28号)。

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換わって同日付の海軍省達丙29号によって、旗艦の構造により増員する上限を示すものとなります。


そして明治22年の憲法発布により、艦隊條例などと同様にこれも23年10月になって勅令として定められることになります。

これが 「鎮守府艦隊司令長官旗艦増加定員表」 (勅令239号) で、更にこの増加定員の内訳を示したものが 「同 識別表」 (達392号) です。


この時の増加定員表には司令官旗艦についての定員増加は有りませんでしたが、明治27年6月の艦隊條例改訂に併せ、同年7月に旗艦増加定員表が改正 (勅令71号) されて司令官旗艦にも増員されることとなりました。



そこでこの明治27年ですが、この年に朝鮮で発生したいわゆる東学党の乱は静まることはなく、6月になって鎮圧に失敗した朝鮮政府が清国に助けを求めるとの情報が日本にもたらされました。

これに応じて6月5日には前年の5月19日に制定された「戦時大本営条例」(勅令52号)に基づいて大本営が設置され、朝鮮国内の平定と居留邦人保護のための出兵の体制を整えます。

海軍も情報収集を兼ねて朝鮮周辺に艦艇を集中すると共に、7月13日これまでの常備艦隊に加えてもう一つ、臨時に 「警備艦隊」 を編制し、19日にはこれを 「西海艦隊」 と改称します。

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そしてその19日付けで常備艦隊と西海艦隊の2つをもって 「連合艦隊」 が組織されました。 ここに 旧海軍初の連合艦隊が誕生 することになったのです。

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ところが、ここに大きな疑問があります。 なぜなら6月に勅令をもって定められたばかりの 「艦隊條例」 ではその第2条で

第二条 艦隊ハ之ヲ常備シ又ハ臨時編制ス 其ノ名称ハ特ニ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

とされているからです。

この規定にもかかわらず、警備艦隊の編制及びその西海艦隊への改称はそれぞれ 「海軍省達117号」 及び 「同122号」 によってなされており、更に連合艦隊の編制については大臣官房から 「官房2019号」 により示されているに過ぎません。

もちろんこれらは全て上裁の上で裁可されていますが、ではなぜ勅令として出されなかったのか?

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いくつかの理由は考えられますが、“これだ” という史料がありませんので実際のところは不明です。


なお、この連合艦隊ということについてはまた後でお話しする予定です。

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2016年12月24日

クリスマス・イブ


私はどうも人混みが苦手ですし、しかもクリスマス・イブだからと言ってわざわざ街に出かけて派手にやるのもあまり好きではありません。 ( あっ、飲み会・忘年会は別です。)

子供の頃からイブは家で家族と一緒に、そして船乗りになってからはクリスマスや年末・年始は進んで当直を引き受け、調理員の人達の腕を振るった特別献立を楽しむ。 クリスマス・イブとはそうした静かなものだと思ってきました。

( まあ、デートする相手もいなかったというのもありますが (^_^; )


そこで今年は折角ですから家内と一緒に近くの教会のミサに行ってみることに。

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田舎の住宅地の中にポツンとある小さな教会で、普段は日曜礼拝と金曜日以外は誰もいないところです。

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中も小さな礼拝堂があるだけの簡素な作りですが、これはこれで良いかも。 今夕は集まっていたのは近くの信者の方々が約20名ほど。

祭壇周りにキャンドルが灯され、他には小さなクリスマス・ツリーが片隅に置かれている程度の質素な飾り付けです。

ミサは牧師さんの話しも程よく、信者の方々も少人数ながら皆さん互いに顔馴染みのようで、堅苦しい雰囲気はなく、なかなか良かったです。


実は私はクリスマス・イブのミサに行くのは実に60年振りです。

当時長野に住んでいましたが、近くにカナダ人の経営するミッション系の 「旭幼稚園」 というのがありまして、ここに3年間通いました。 (今も別の所へ移転して存続しているようです。)

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( 1956年春の最上級園児卒園式での記念集合写真 )

ここは普段は特にキリスト教関連のものは無かったのですが、毎週日曜日に教会へ礼拝にだけは行かされました。

また毎年クリスマス・イブには夕方から幼稚園でシスター達によるキャンドル・サービスに続きミサが行われたあと、簡単なお食事会 (もちろん園児ですから晩餐といえるようなものでは) があったことを覚えています。

ですから、その後はキリスト教徒になったわけではありませんが、教会などの雰囲気は今でも嫌いではありません。 それに賛美歌は好きですので、今でもほとんどの曲は歌えますから。


で、家に戻ってからは、デートの約束がない三女と老夫婦の三人で家内の手作りの料理で食事を。

一匹丸のローストチキンなど大変に美味しかったのですが ・・・・ 写真を出すとまた家内に怒られますので (^_^;

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2016年12月21日

艦隊司令部職員の構成と職務 (3)


明治17年に定められた 「艦隊編制例」 は、明治22年になって 「艦隊條例」 (勅令100号) となました。


この條例によって、これまで大・中・小の3種であった艦隊の区別がなくなり、艦隊司令長官は大中少将のいずれでも良いことになります。

そして大・中将が司令長官の場合で艦隊の隻数が多い時には、その下に少将又は大佐の司令官を置くことができるようになりました。

この條例に併せて7月29日、海軍省達294号によって常備小艦隊は 「常備艦隊」 と改称されます。

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これにより小艦隊ではなくなったことにより、井上良馨司令官は少将のままで 「常備艦隊司令長官」 となりました。 ただし少将ですのでその幕僚には参謀長がおりません。


この艦隊條例には艦隊の編成についてだけではなく、司令長官等や艦隊職員についても盛り込まれ、“艦隊及びその司令部とは何か?” ということが次第に明確になってきました。

そしてその職員としてこれまで 「属員」 と呼ばれていたうち、参謀長、参謀、伝令使、秘書については初めて 「幕僚」 という名称となりました。 

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また、この艦隊條例制定と同時に 「軍艦條例」 (勅令99号) が制定され “軍艦はどのように運用さるか?” が明確となり、そして艦隊に編入中といえどもその本管 (所管) は鎮守府にあることが規定されました。


いわば艦船の修理・補給などの後方支援や准士官以下の乗員の人事などは所管の各鎮守府が全て一括して担当し、任務行動が可能となった 「在役艦」 を艦隊に派出するという形になったわけです。

これによって各艦の艦長はもちろん、艦隊の司令長官等も後方支援や人事などについて所管の鎮守府と調整すれば良く、スッキリとした形となり随分と楽になったと言えます。


次はいよいよ連合艦隊の誕生となります。

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posted by 桜と錨 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと