2019年03月15日

ギックリ腰 〜

またやってしまいました、痛い 〜

四日前の夕方に灯油のポリタンクを動かそうとしてギクッとして、あっやってしまったな、と。 いまだにまだほとんど寝ているか、高めの椅子に座っているかですが、立ち上がろうとすると痛くて、痛くて。

整骨院に毎日通っておりますので少しずつは良くなってはおり、一度立てば何とか少しは歩けるようには ・・・・

とは言っても、延ばし延ばししていた確定申告は今日が最終日。 家内に税務署まで送り迎えをして貰って、何とか行ってきました。

最終日だからなのか申告の人はほとんどおらず、直ぐに対応してくれてパソコン入力。 係の若い女性スタッフさんも気の毒がって入力はほとんどやってくれました。

で、タクシーで往復したと思って家内にランチをご馳走。 今日はチリメンジャコのパスタでしたが、何故か今日はいつもより大変にグッド。 シェフのその日の気分なんでしょうか (^_^)

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実は、私は防大の学生の時に腰を痛めてその時からずっと腰痛持ちで、通常の学生生活や訓練などには支障は無い程度なのですが、整形外科や神経外科などに度々通ったものの結局原因不明のままで直らず。

ところが結婚して暫くして、家内の両親の知人で柔道の先生が整体をやっていてこれがなかなか上手いということで、お願いしてポキポキっと。

そしたらあら不思議、2・3度やっても貰ったらすっかり直ってしまいました。 長いこと苦しんだあれは一体何だったのかと (^_^)

で、安心していましたら、今度は40歳近くになって一度酷いギックリ腰をやってしまいました。 それ以来今日まで時々何かの拍子で出てきます。

しかしながら、これ程酷いのは我ながら久しぶりです。

でもこの痛さ、経験のない人には判らないでしょうね ・・・・ (^_^;

posted by 桜と錨 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年03月10日

ヤルート航空基地


本家サイトの今週の更新として、前回 『旧海軍の基地』 コーナーに 「ウオッゼ航空基地」 を追加公開しましたので、折角の機会ですから、同コーナーのリストで一つ上にあり、かつ地理的にも近い 「ヤルート航空基地」 を追加公開しました。

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  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/071A_Jaluit.html

ここはヤルート環礁の中のイミエジ島にあった大艇及び水偵用の水上基地で、正式名称は 「ヤルート」 なんですが、ヤルート環礁、ヤルート島との混同を避けるためもあって、海軍部内の文書でも所在地名を採って 通称 「イミエジ」 としているものも多いです。

そして南方諸島の他の島々の基地と同じく、米軍の直接侵攻を受けなかったところは、制空権を奪われ、補給を絶たれた結果、終戦までの状況は似たり寄ったりとなったところの一つです。

posted by 桜と錨 at 13:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年03月09日

ランチへ


お昼も14時近くなりまして、例によって昼食を作る様子が一向に見られない家内に

私  : 「 お昼だけど、どこか食べに出る? 」
家内 : 「 いいけど、近くは選択肢が少ないものねえ 」
私  : 「 ランチ・タイムはどこももう終わりじゃろ? 」
家内 : 「 あそこならランチ・タイムでなくても単品が食べられるよ 」

ということで、車で5分ほどのところへ。

ランチ・タイムを丁度過ぎたところでしたが、ウェイトレスさんが 「聞いてきますね」 と厨房へ。 そして 「シェフが今日はまだ大丈夫と言ってます」 と。

で、二人ともパスタ・ランチを注文。 前菜とメインの5種のパスタの中から選択した一品。 これにスープ、コーヒーとデザートが付きます。

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( 世羅の野菜を使った前菜 )

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( 私のチョイスした生ウニのソースを絡めたパスタ )

ここは、まあメインのパスタはそれなりなんですが (^_^)、前菜の野菜類は世羅の農家のものを使っており、これがいつも新鮮でなかなか美味しいのです。

これのサラダ・ボールの単品があれば、それだけでも十分なのですが、残念ながらやっていないそうです。

う〜ん、十分売れると思いますけどねえ。 でも、ここは近くの主婦連の社交場なのでそれではダメか (^_^;

私達が食べている間に、大勢いたそのランチ目当ての主婦連グループは全て帰ってしまい、広いフロアーに私達二人だけポツンと。 お陰でノンビリしたランチになりました 。

あっ、ただし支払いはもちろん私です (^_^)

posted by 桜と錨 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年03月04日

戦線は音威子府付近で膠着し


継戦能力や陸自の自前輸送艦のことが話題に出てきまして、昔のことを思い出しました。

もう30年ほど前のまだ冷戦期のこと。 米軍の情報部門が作成した 「もし現在の世界的な軍事情勢の中で、ソ連が日本に対して武力攻撃を行うとしたら」 という想定シナリオ集がありました。

( 今となってはもうこんなものがあったことを覚えている人はいないでしょうし、冷戦期の資料そのものも残されているかどうか ・・・・ ? )

約10本くらいの色々なシナリオが収録されていましたが、その中には当然ながら日本本土に対する陸上兵力による本格的な武力侵攻を想定したものも含まれていました。

当時の日米共同・協同演習や海上自衛隊演習などでお馴染みの

「・・・・ 戦線は音威子府付近で膠着し ・・・・」 という演習想定は、まさにこのシナリオに基づいたものです。

しかしながらこの本土侵攻のシナリオは、蓋然性が高い順に並んでいるこのシナリオ集の確か一番最後か、巻末の付録に収録されていたと記憶しています。

で、これを疑問に思っていた私は、ある時米軍の情報部門担当者の一人に聞いてみたんです。

なぜ、日本本土侵攻のシナリオが最後の付け足しみたいになっているの? これが極東では一番重要なのでは?

すると、若い女性の中尉さんが、半分呆れたような表情を隠さず、笑顔で答えてくれました。

えっ、知らなかったんですか?

このシナリオは元々は無いものだったのですが、日米共同訓練などで使うためにわざわざ作って入れたんですよ。

これがないと、演習で日本の陸上自衛隊さんの出番がないでしょ?

日本侵攻のためにはソ連は海を渡ってこなければならないでしょ? そこまでの労力とリスクをソ連が冒すと思います? 東京を占領できるわけでもないのに?

私達はその様な事態が生起するとは全く判断していませんよ。

ということでした。

そう、当たり前と言えば当たり前のことですが、日本本土侵攻のためには “海を渡って来なければならない” んです。

先頭の正面兵力にしても後続兵力にしても、そして継戦能力維持のための後方支援、何よりも補給のために。

やっぱりねえ (^_^)


皆さんは 「1990年危機説」 というのをご存じでしょうか?

1985年を過ぎた頃から、ソ連の経済・産業の状態は既に全くの不振に陥り、これ以上の軍拡にはとても堪えられない (特に米国が打ち出した 「スターワーズ計画」 には対抗できない) ことがハッキリし、いずれはソ連そのものが崩壊するであろう事も視野の中に入ってきました。

こういう状況にあって、もし1990年までにソ連軍が最後の一か八かの全面通常戦争に打って出たならば、米軍・ NATO を初めとするは西側は、欧州方面でも、太平洋方面でも勝てないかもしれない、と考えられていました。 これは米軍自身がそう思っていたのです。

そしてその1990年を乗り切れば、西側は決して負けることはないと。

実際のところ、私が知る限りでは1986〜1988年頃は米海軍の現場のスタッフ達もピリピリしていましたね。


その時のソ連軍をもってしてでさえ、米軍の情報部門はソ連の日本直接侵攻はあり得ないと判断していたのです。

私はこの時の美人 (お世辞抜きに) 中尉さんの話を聞いて以来、日本のあるべき防衛力についてのそれまでの自分の考えに確信を持つに到りました。

日本本土防衛のための抑止力としてなら、陸上自衛隊は兵力は半分 (当時の) で良い、装甲部隊、特に戦車などはごく少数でよい。

その予算と人員を海上阻止兵力たる海上自衛隊と本土防空隊である航空自衛隊の強化に回すべきである。

と。 これは今でも全く変わりませんし、変える必要があるとも感じていません。

それはそうでしょう。 離島防衛の話しにしろ何にしろ、相手は “海を渡って来なければならない” んですから。


そしてそれを逆に考えるならば、海兵隊、そして両用戦というものを全く判っていない “海兵隊もどき” の 「水陸機動団」 や、ましてや陸さんが自前の輸送艦を持つなど (^_^)

日本は島国であるにもかかわらず、多くの日本人に “海” というものを何も理解していない人達がいるということがよく判ります。


それにしても、陸上自衛隊さんというのは、帝国陸軍の昔から相変わらず “策士” が多いですなあ (^_^)
posted by 桜と錨 at 15:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2019年02月28日

独り言

何の前提も条件も無しに、自衛隊の継戦能力はどれくらい、と聞かれてもねえ。

それに 「国防長官」ってどこの国の話しかな? (^_^;

あっ、いえ独り言です。

posted by 桜と錨 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年02月26日

ASMD : 米海軍と海自の違い


先に米海軍のブルー・リッジに関連して、

「はつゆき」 型などは就役時点で ASMD の “考え方” において既に米海軍に大きく水を開けられてしまっていました。

と書きましたが、実はこれ “水を開けられた” というよりは、正しくは米海軍は ASMD について全海軍を挙げて対策を考えてきたのに対して、海自はただひたすら予算獲得のための理屈を考える ことに集中し、実際の脅威評価に基づく戦闘様相の検討を行ってその結果を艦艇建造に反映させてきたのではない、と言うことなのです。

則ち、米海軍では1967年の 「エイラート」 事件を契機にして、 ASMD について既存装備の改善と新装備の開発を図るのみではなく、戦術はもちろんのこと、艦内編成・態勢、教育訓練と人事管理、艦隊での演習、などなど、ありとあらゆる全てのことについて海軍の全力を挙げて研究・開発・改善を行い、そしてその成果を艦隊に次々と反映してきました。

その中で装備面での研究の中心となったのが、カルフォルニア州チャイナ・レークにあった 「海軍武器センター」 (NWC、Naval Weapons Center) です。

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NWC はカルフォルニア州コロナにあった NOL (Naval Ordnance Labolatory) とカルフォルニア州チャイナ・レークにあった NOTC (Naval Ordnance Test Center) とが米海軍の組織改編により1976年に統合されたものです。

( なお、NWC は1992年に更なる組織改編・統合により閉鎖され、その機能は NAVSEA (Naval Sea Systems Command) 隷下の NSWC (Naval Surface Warfare Center) へと引き継がれ、当該地には新たに NAVAIR (Naval Air Systems Command) 隷下の NAWC (Naval Air Weapons Station) が置かれています。)

この統合前の2つの組織及びその後の NWC において、想定されるありとあらゆる対艦ミサイルの脅威とそれによる戦闘様相に対して、どの様な武器・システムならばどの程度まで対処可能なのか、現在及び近い将来の技術においてどこまで実現でき、どの程度までの対処で艦隊としての許容範囲なのかのシュミレーションを最新の情報に基づいて何度も行い、その都度研究結果に基づく提言を行ってきました。

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例えば CVBG (Aircraft-Carrier Battle Group、空母機動部隊、現在の CSG (Carrier Strike Group) に対して、敵の空・水・潜兵力による対艦ミサイル 32〜96発が60〜360度の範囲から1分〜4分/発の間隔で発射されて来襲する時に、我はどのような武器・システムでどのような態勢にあるならば、どのレベルまでの対処が可能であるか、などなどです。 もちろんこれには敵の電子妨害を伴う場合と伴わない場合とが含まれます。

そしてその結果が反映された初期のものが、BPDMS に代わる新しい NSSMS と NTDS とを連接した ASMD システムであり、そのコンピューターのオペレーション・プログラムなのです。

このシステムを装備した艦の代表例の一つが、ご存じ後の1998年に横須賀配備となる空母 「キティ・ホーク」 (CV-63 Kitty Hawk) で、1976〜77年の定期修理 (COH、Complex Overhaul) の際に元来のテリア・ミサイル・システム2基を撤去して、替わりに NSSMS (方位盤x2、8連装発射機x1) を2基 (計画3基) 装備し、これを NTDS と連接したシステムとなりました。

CV-63_NTDS_ASMD_Prog_cover_s.JPG

この時の NTDS の ASMD プログラムは、カルフォルニア州サン・ディエゴにある FCDSSA,Pac(Fleet Combat Direction System Support Activity, Pacific、艦隊戦闘指揮システム支援施設) で作られたもので、当時としては大変に優れた考え方に基づく素晴らしいアルゴリズムのものでした。

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そして米海軍は NWC での研究結果に基づき、 NSSMS による ASMD の次のステップとして、三次元レーダーの AN/SPS-48A をディジタル化しかつ目標の自動探知・自動追尾化した -48C への換装、更に TAS (Target Aquisition System) Mk-23 を加えたシステムへと進んだのです。

もちろんこの NWC の研究の中には、開発中であったイージス艦を加えた場合の艦隊防空のシミュレーションなども含まれており、この成果がイージス・システムのオペレーション・プログラムに反映されてきております。


その一方で海自はどうだったのか?

4個護衛隊群の8艦8機体制 (88艦隊構想) は打ち出したものの、そのワーク・ホースたるDDについては、まずは隻数を揃えるための予算獲得が最優先課題であり、そのためには実際のことはさておき、物事を紙の上でしか判らない事務方である内局の担当役人を納得させるための理屈のこじつけ書類が必要だったのです。

これが 「はつゆき」 型となった訳ですが、当然ながらこの予算獲得のための理屈付けには米海軍のような実戦における脅威評価や戦闘様相に即した ASMD システムの研究・検討がなされた訳ではありません。

「はつゆき」 型の建造に当たって作成された後付けの 『昭和52年度護衛艦 (52DD) の運用要求について』 に盛り込まれた ASMD 能力は、既に決まった艦型、システムならここまでできる、という説明に過ぎず、本来の “DDにはこういう ASMD 能力が必要” というものではありませんでした。

例えば、既に当時多額の開発費を注ぎ込んできた短SAM用射撃指揮装置 FCS-2-12 と砲用の FCS-2-21 を今更止めて、短SAM誘導用の CWI を組み込んだ方位盤 (最近になって FCS-2-31 として実現したような) を2基として短SAMによる2目標同時対処を可能とするなどはとても言い出せないどころか、検討さえされませんでした。

ましてや捜索用レーダーに自動探知・自動追尾機能を付加する RVP (Radar Video Processor、米海軍は当時既に実用化済み) や上述の TAS Mk23 を装備するなどによりどれだけの能力向上が図れるかなどの検討が行われた訳ではありません。

これらは初めから予算獲得のための理由には挙げられなかったのです。

したがって、国産初のシステム艦といわれる 「はつゆき」 型ですが、そのシステムである OYQ-5 などはとても米海軍で言う NTDS (Naval Tactical Data System、艦艇戦術情報システム) やその発展である CDS (Combat Direction System、艦艇戦闘指揮システム) の足下にも及ばない、単にアナログの武器管制装置 (WCS、Weapon Control System) をディジタル化した一種 であったに過ぎませんでした。

システムのコンピューターは米海軍ではサブ・システム (各武器・機器) 用にしか使われない小型の AN/UYK-20 がたった1台、しかもそのメモリーは僅かに64Kの最小限のタイプ。

加えてシステムのコンソール (操作卓) は NTDS 汎用の OJ-194 が全部でたったの4台 (当初案では僅か3台) であるに過ぎず、しかも捜索用レーダーによる目標の探知・追尾データは相変わらずコンソール上での手動入力、米海軍の NTDS では常識の Link-11 機能など初めから除外、というものだったのです。

当然、当時私達はこんな装備やシステムでは役に立たないと猛反対で、少し手を入れただけでももっとマシな性能・能力になるのだから、DDの計画を見直す必要があると声を大にしたのですが ・・・・ 既にお役所たる防衛庁 (当時)、そしてその下請けである海幕の施策として決まって (内局に説明してしまって) おり、残念ながら如何ともしがたいものでした。

これを要するに、「はつゆき」 型DDが建造された当時において、ASMD については米海軍に遅れをとったと言うより、初めから比較対象となる土俵にさえ上がっていなかった のです。

posted by 桜と錨 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2019年02月25日

久々の焼肉〜


昨夕は末娘の遅ればせながらの誕生日祝いも兼ねて焼肉へ。

車で5分ほどにある小さなお店ですが、ここは昨年の豪雨の時に水に浸かってしまいましたので、近くながら訪れるのは約1年ぶりになります。

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ところが昨日は予約してあったから良かったものの、我が家三人を入れて家族連れ5組、二十人以上でほぼ満杯でした。

美味しいところは皆さん良くご存じです。 ただし、お店の雰囲気が雰囲気の専門店ですので、やはりお客さんは常連の通の方々ばかりのようです。

ここはお肉が大変に美味しく、呉ではお気に入りのお店の一つです。

もちろんお金さえだせば高級品を出すところはいくらでもあるのでしょうが、庶民としてはこの値段でこのお肉が食べられるなら全く問題はありません。

家内と末娘は厚切りのお肉で。

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私はホルモンとセンマイで。 ここはコブクロが新鮮で大変に美味しいのですが、残念ながら昨日は既に売り切れ。

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そしてセンマイ刺しも絶品です。

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途中からは、大盛りのキムチを白ご飯に載せて。 ここのキムチも自家製で大変に美味しいです。 家内のお気に入り。

お肉は追加、追加で三人で散々食べてお腹一杯で家に戻りました。

次はお肉大好きな孫娘が遊びに来た時でしょうか (^_^)

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2019年02月24日

ウオッゼ航空基地


本家サイトの更新は暫く空きましたが、Facebook にて FBF さんによるウオッゼ島の遺骨収集を兼ねた慰霊訪問のことが話題に出ましたので、折角の機会ですから 『旧海軍の基地』 コーナーにて 「ウオッゼ航空基地」 のページを追加公開しました。


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(昭和16年概成直後のウオッゼ航空基地全景)

同航空基地は昭和16年に陸上・水上の両用基地として建設されましたが、この時に囚人で編成された 「赤誠隊」 が投入されたことで知られています。

また同島は太平洋戦争における南方戦線の小島守備隊の例に漏れず、米軍の直接侵攻から取り残されたことにより、終戦までに空襲・艦砲射撃による戦死者に加えて多くの餓死者が出たことでも知られ、今なお多数の軍人・軍属の方々の遺骨がそのままとなっているところの一つです。

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2019年02月16日

ヴァレンタイン・チョコ


今年は遂にゼロかと思っていましたら ・・・・

家内がこんなのをくれました。 流石は我が女房、好みがよく判ってらっしゃる (^_^)

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末娘は完全に義理チョコで

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でもまあ、あるだけいいかと (^_^;

posted by 桜と錨 at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年02月15日

『世界の艦船』 3月号増刊 『戦艦「扶桑」型/「伊勢」型』


もう店頭に並んでいるところがあるかも知れません。 18日に発売予定となっている3月号増刊は 「 傑作軍艦アーカイブ 7 」 の 『 戦艦「扶桑」型/「伊勢」型 』 です。

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編集部さんの努力によって、素晴らしい84ページもの写真ページや終戦直後のカラー写真などに加え、本文記事も著名な方々が揃い、日本戦艦に興味のある方は是非一冊お手元においておいて損はない出来になっていると思います。

その本文記事中で、私も次の項を担当させていただきました。

   「 扶桑型/伊勢型のメカニズム A 兵装 」

高角砲や機銃などの詳細については、既に出されてきた 「金剛」 型や 「長門」 型などと重複するところがありますので、これらについてはその装備などを簡潔に記述させていただき、後半にこの 「扶桑」 型及び 「伊勢」 型の砲戦能力について述べさせていただきました。

また、「伊勢」 型が航空戦艦に改造された時に搭載された噴進砲についてもこの機会にご紹介させていただきました。


旧海軍は、米英との太平洋戦争の開戦に当たり、その冒頭に空母機動部隊を以て奇襲攻撃を行ない、かつその後も中途半端な作戦を継続するなど、用兵及び戦略を誤るという大失敗をおかしてしまいました。

確かに、海上航空戦力というのは “近い将来においては” 戦艦に替わって海戦の主役になって行くであろう事は、航空機と空母の発達に鑑みれば “想定できる” ことではあります。

しかしながら、今日・明日に行う現実の戦争においては、その “近い将来においての思想” で戦うものではなく、今現在持てるもの全てを最善活用して 戦わなければなりません。

つまり、旧海軍は日本の戦備及び国力のあらゆる点からして、米国とはとても比較にならない、最も不得意とする航空戦力をもって始めてしまいました。

しかも、早期講和を目指すとしながら、何らその見込みも具体策も持たないままに。

結果はご承知のとおりです。 戦力・国力からして初めから勝てる見込みのない戦争をするわけですから、同じ勝てないにしてももう少しやり方があったはずです。

( いえ、山本は近衛に対して 「絶対にやってはダメ」 と強硬に主張するべきでした。 「やれと言われれば半年や一年は暴れてみせましょう」 などは絶対に言ってはならないことだったわけで ・・・・ )

戦後になって、旧海軍の用兵者達がいつまでも大艦巨砲主義にとりつかれて思想・用兵の転換が遅れた、などとおかしな批判をする人がいまだに多く見られます。

それが訳知り顔をした、結果を知った上での後知恵の意見に過ぎないことは明らかでしょう。

今回のテーマである 「扶桑」 型/「伊勢」 型の4隻などは、この太平洋戦争における旧海軍の誤りによって戦力として全く活用されることのないまま終わってしまいました。 大変に惜しいことであり、返す返すも残念なことであったと言えるでしょう。

書店の店頭で見かけられた時には是非手にとってご覧下さい。

posted by 桜と錨 at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと