2020年03月12日

またまた巨星墜つ !!


先ほどまたまた訃報が飛び込んできました。 平間洋一氏がお亡くなりになられました。

私が申し上げるまでもなく、平間氏は防大1期のパイオニアの一人としてこの世界に入られ、そして海自定年退職後は防衛大学校教授、図書館長として後輩の指導に当たられつつ、自助努力で文学博士の博士号をとられました。

旧海軍史の研究家として、多くの著作と共に、「軍事史学会」 など幅広く活躍されてこられましたので、この方面ではその名をご存じ無い方はおられないと思います。

私は平間氏とは16違うこともあり、現役の時には直接ご指導いただく機会がありませんでしたが、退職後になってNHKのスペシャルドラマ 『坂の上の雲』 でご一緒させていただいてからになります。

『坂の上の雲』 では海軍指導を当初担当しておられたOBが諸般の事情で替わられることになり、その時に平間氏が “堤と一緒ならば” と声をかけていただいたのが始まりです。

そして平間氏が主として台本などの歴史考証を、私が主としてロケ現場などでの演技指導を担当することで、撮影終了までの約3年間の二人三脚でした。

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( 平成21年1月 『坂の上の雲』 第1部の川口でのロケ終了時に、監督の柴田さん、助監督の福岡さんとの記念写真 )

昨年お体を悪くされたとお聞きしておりましたが ・・・・ まだまだ86歳、これからも私達後輩のために引き続きご指導をと思っておりましただけに残念です。

本来ならば私などは何をさておいても駆けつけなければならないところですが、昨今の事情と、ご遺族のご意向により家族葬での身内のみでとのこともあり、不義理をさせていただくことに。

平間氏のご冥福を心よりお祈りいたします。 (合掌)

posted by 桜と錨 at 12:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年03月08日

独り言


木甲板の保存手入法

う〜ん、今では鉄甲板の上に木甲板を張るような艦は海外の保存艦船以外では無くなってしまいましたので、こういうことを知る人も少なくなったですね。

旧海軍時代のこの木甲板の保存手入法については、例えばその概要が海軍兵学校卒業直前の生徒に配付された初級将校勤務参考の中の一つ、『甲板士官勤務参考』 に記述されています。


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まずこれを手始めにして、次にこれの元になった更に詳しい史料に当たられるのと、運用術や造船工学などの史料によって、木甲板をどの様に張り付けていたのかを調べるといいでしょうね。

今日では 「トロ」 とは何か、オークムやピッチをどの様に使うのか、などなどということを聞いたことがない人が殆どでしょうから。

posted by 桜と錨 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2020年03月06日

家ネコ 小春


三毛猫の小春が我が家にやってきて半年が経ちまして、野良で生まれて保護センターに預けられていた期間よりも長くなりました。

普段は全く外に出ない完全な家ネコですので、来た時よりも少々野性味が無くなってきたようで、本来なら庭や近所を歩き回っているはずなのでその点ではちょっと可哀想かなとも思いますが ・・・・

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それでも今では本人も我が家の一員と思っているようです。 だんだん私達の周りの身近にいるのが普通になりました。

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そして家内が出かけている時などは、二階の私の仕事部屋に上がってきて、ストーブの前においてある座布団の上で寝ているのですが、その内私がパソコンに向かっていると、椅子の背もたれを後ろから “ドン、ドン!” と。

振り向くと座布団の上でゴロンゴロンと転がって相手をしろということなんですが、それでも無視をしていると、机の上に上がってきて2台並んでいるモニターの前をウロウロと。 これでは流石に仕事になりませ〜ん (^_^;

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夜は昨年末頃から寝室に上がってきて私と一緒に寝るようになりましたが、最近はすぐに一番上にかけてある毛布の上で寝てしまい、夜中になって寒くなると布団の中に潜り込んできます。

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相変わらず布団から顔だけ出してアゴを私の肩口に載せ、脇の間で寝ますので、重いのと動けないので ・・・・ (^_^;

今年は例年ほど寒くはないのですが、それでも朝方外が零度近くまで下がる日には、顔を出しているのも寒いのか、布団の中をズルズルと下がって、足の間で完全に丸まっています。

そしてやはり毎朝6時過ぎになると、必ず起きろ起きろ攻勢で顔を舐め舐め。

それで私がトイレに起きると、一緒にリビングまでついて来て一人で遊ぶのかと思えば、寒いのか自分はそのまま布団の中で寝ており、トイレから戻るとそのまままた一緒にしばらくネンネ。


今では家内にも私にも撫でさせたりダッコさせるようになりましたし、時には自分から催促に来るように。

あと2ヶ月したら1歳の誕生日もしなくては (^_^)

posted by 桜と錨 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年03月03日

巨星墜つ !!


私にとってはまさに “巨星墜つ” です。

私が初級幹部の頃から身近にお付き合いがあり、尊敬する海自の先輩である加藤武彦氏がお亡くなりになりました。

ご存じのとおり、加藤武彦氏は良く知られた加藤寛治海軍大将の孫で、防大6期生、幹部候補生学校13期で、私の11期上になります。

直接には、プログラム業務隊 (PGC、現在の艦艇開発隊の前身) で直属の上司、幹部学校高級課程学生の時の学校長、そして呉地方総監部防衛部第三幕僚室長の時の総監と、3度ご指導いただきましたが、人格、識見共に優れた大変に立派な方でした。

特に阪神淡路大震災においては、呉では余りにも被災状況が不明のため、発災の翌朝には総監自らヘリで視察をされて現地進出を決心され、翌3日目には幕僚などを率いて震災で半壊した阪神基地隊に海自災害派遣部隊司令部を構え、派遣艦艇・部隊の指揮をとられました。

私も同司令部作戦幕僚としてお仕えしたわけですが、加藤総監の端的で明確な判断と指揮振りは見事なものであったと思います。

中でも、総監のところへ海上幕僚長などから電話で “もっとテレビなどに映ることをやれ” “派遣艦艇の舷側に大きく目立つような 「災害派遣中」 という幕を掲げろ” などなど、やいのやいのと催促があったようですが、朝のオペレーション (作戦会議) で、「俺はそんなチンドン屋の様なことはやらない。 神戸の港に灰色の艦が赤白の自衛艦旗を掲げて在泊している姿を市民に見せるだけで十分。 あとは本当に必要とされる派遣業務を淡々とやるだけ。」 と言われ、その通りに実行されたときには、“あ〜、この人は本当の海上部隊指揮官だな〜” と感服した次第です。

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写真は発災から3週間ほど経った2月上旬、災害派遣は人命救助や行方不明者捜索などから給水支援などの定常業務へと移行し、以後順次それに必要な艦艇・部隊以外を派遣元へ戻す段階に来た時の記念写真です。

前列の赤白の腕章が災害派遣部隊指揮官の加藤総監、向かってその右が阪神基地隊司令の既に今は亡き仲摩海将補です。

加藤総監始め各級指揮官や司令部幕僚などの面々は、やっと何とか一息ついての安堵の表情が見られます。

ご持病があったとお聞きしましたが、まだ81歳、早過ぎますね。

心よりご冥福をお祈りいたします。 (合掌)

posted by 桜と錨 at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年03月02日

「朝雲新聞」 2019年縮刷版


朝雲新聞社さんより今年も同社の 「朝雲」 の縮刷版が届きました。

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私は同紙の 「世界の新兵器」 コーナーで年4回の艦艇編を載せていただいておりますが、昨年は更に観艦式に併せた (残念ながら台風来週のために中止となりましたが) 護衛艦 「いずも」 の空母化について1頁書かせていただきました。 この記事も縮刷版にありますので良い記念にもなり、嬉しいですね。

そして、縮刷版ですのでちょっと文字が小さいのですが、それこそやはり専門紙、その年の防衛省・3自衛隊について出来事や人事など何かの時に確認をするのに大変重宝します。

朝雲新聞社さん、ありがとうございます。

posted by 桜と錨 at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2020年03月01日

『海上自衛隊のシステム艦第1号』


本家サイトの今週の更新として、先週に引き続きこちらの方で5回にわたり連載しました 『海上自衛隊のシステム艦第1号』 を纏め直して、『現代戦講堂』 中の 『AAD・TMDの話題あれこれ』 コーナーに第4話として追加公開しました。

http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/AAW_TMD/AAW_arekore/AAW_arekore.html
http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/AAW_TMD/AAW_arekore/AAW_arekore_04.html

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こちらのブログの時よりは画像を大きくしましたので、少しは見やすくなったかと。


ただし、こういうネットのご時世ですので、画像にはロゴや透かしを入れておりますことをご了承ください。

なにしろ過去それをしていなかったものでは、海自OBでさえ自己のサイトでその内容を確認すること無しに間違った説明を付けて記事に使っている者も出てくる始末ですので (^_^;

posted by 桜と錨 at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2020年02月28日

人参たっぷり


家内から 「あそこのお野菜、美味しいからまた買ってきてね」 と言われまして、早速顔を出してきました。

今日はあまり多くは置いてなかったのですが、赤い色の 「金時ニンジン」 は沢山ありました。 3本で100円です。

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(上から、ホウレンソウ、大根、ブロッコリ、そして人参 3x3、計550円)

一般的なオレンジ色の 「五寸ニンジン」 も美味しいですが、こちらも良いです。

お酒のつまみにスティックにして何も付けずにそのままバリバリでもいけますし、野菜サラダや炒め物の料理に使ってもグッドです。

我が家の老犬のジュンペイは、スーパーで買ったものなどは見向きもしませんが、何故かここのお野菜はバクバク。

そしてニャンコの小春は、買ってきてテーブルに置いておくと、ニンジンや大根の葉っぱを口でちぎっておやつ代わりに (^_^)


ここの直売場の農園は、そろそろニンジンもブロッコリも時期的に終わりだそうです。 次は何が並ぶのかな 〜?

posted by 桜と錨 at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年02月24日

1980年代の米海軍のPDMS


本家サイトの今週の更新として、昨年こちらの方で記事にしましたものを纏め直して 『現代戦講堂』 の 『AAW・TMDの話題あれこれ』 コーナーで公開しました。

http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/AAW_TMD/AAW_arekore/AAW_arekore.html
http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/AAW_TMD/AAW_arekore/AAW_arekore_03.html

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ブログでは、どうしても時間が経つと後ろに流れてしまって判りにくくなりますので、今後とも必要と考える記事を纏め直して本家サイトの方に掲載してきたいと思っています。

次はこれも昨年5回にわたり連載しました 『海自のシステム艦第1号』 を纏め直したいと考えています。

また、同じくこちらでご紹介しました 『SO-2 と SO-3 レーダー』 は米海軍及び海自の詳細データを含めて改めて本家サイトでの記事にしたいと考えてはいるのですが ・・・・

posted by 桜と錨 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2020年02月21日

呉の 「眼鏡橋」


昨年の 『世界の艦船』 9月号に 「呉鎮守府創設130周年 呉基地と江田島教育の歩み」 と題して一文を掲載していただきましたが、紙幅の関係もあって省略したところや、直接呉鎮守府とは関係しないものについて、いくつかをこのブログでも補足いたしました。

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そこで、その残りの中の一つ。 呉の 「眼鏡橋」 についてです。

呉の本通りを南に下り、呉線の高架橋を潜るところに 「めがね橋」 という標識があります。

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昭和10〜12年にこの呉線の呉〜広間の延長と「海仁会下士官兵集会所」 (戦後の通称 「青山クラブ」 ) 敷地の拡張がなされるまで、この高架橋の少し先に 「眼鏡橋」 があり、その橋の向こう側の袂に 「海軍第1門」 というゲートがありました。

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( 呉市史編纂室所蔵 沖田輝明氏提供)

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( 呉市史編纂室所蔵 井上博義氏提供 )

眼鏡橋は明治23年に完成した石造りで、長さ26.2m、幅18.7mであったとされ、まさにこの眼鏡橋を境に呉市街と旧海軍の基地とが整然と別れていたのです。

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( 『最新撮影 呉名勝』 加藤恭夫氏提供 )

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( 大正12年下士官兵集会所表門改修時の眼鏡橋と清水川 元図 :防衛研究所所蔵史料より加工 )

しかしながら、上記のように昭和10〜12年頃になって、元の木造だった 「海仁社下士官兵集会所」 を現在も残る鉄筋のものに建て替える際に敷地が不足したことと、呉線の呉〜広間の延長工事とが重なったことから、ここを流れる清水川周りを埋め立てるとともに、眼鏡橋付近は暗渠となってしまい、眼鏡橋そのものは無くなってしまいました。

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( 昭和10年下士官兵集会所敷地改修時の計画図 元図 : 防衛研究所所蔵史料より加工 )

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(元画像 : Google Earth より 赤線は現在の清水川の暗渠部 )

もちろん、橋は無くなったと言っても周りの埋め立てによって橋そのものはその一部として地中になっただけで、下を通る清水川の暗渠は元の眼鏡橋の部分がそのまま使われています。

これもあって、地表上には現在ではこの眼鏡橋の当時を思わせるものは何もありませんので、中にはこの呉線の高架橋のところにあったと思っている人も少なくありません。

では、どこにあったのか、と言いますと、

海軍第1門の右手側には准士官 (兵曹長) の集まりである 「海友社」 があり、その敷地の北側が清水川の護岸になっていました。

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( 明治41年撮影 呉市史編纂室所蔵 沢原喜久氏提供 )

そしてこの 「海友社」 の建物も昭和11年に鉄筋のものに建て替えられましたが、昭和22年の米軍撮影写真では敷地のこの護岸部分が残っております。

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( 元画像 : 国土地理院所蔵写真 昭和22年米軍撮影 )

この 「海友社」 敷地北側の清水川両岸が元々の 「眼鏡橋」 が架かっていた当時と同じと考えられますので、写真の四角のピンクで囲んだ部分が大凡のこの 「眼鏡橋」 の位置と推定されます。

ただし、当時の正確な図面や地図などが残されておりませんので、詳細は不詳です。

いずれにしても、現在の鉄道高架橋少し南側にある交差点の停止線付近から、現在の集会所跡の建物の北端よりもう少し南側で、反対側の元海友社敷地跡の 「Honda Cars 広島呉東店」 の建物の南側あたりまでであったと思われます。

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( 元画像 : Google Earth より )

posted by 桜と錨 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2020年02月18日

独り言


三景艦と三十二拇加砲

日清戦争におけるこの三景艦に搭載した 「三十二拇加砲」 くらい後になって誤伝による悪評が酷いものはありませんね。

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そもそも、それほど役に立たないものだったならば、何故日清戦争後に他艦のように主砲が換装されず、そのまま使い続けたのでしょうか?

この理由一つをとってみただけでもその誤りが判りますがねえ。


(追記) :

う〜ん、まあ某所は誰であろうと書きたい人が何をどのように書いても構わない所ではありますが ・・・・


 あの当時の我国で、砲の換装は不可能と思われますが。

既に 「橋立」 は日本で建造し、砲の艤装もやっている技術レベルなんですがねえ (^_^;

このところ某所はグチャグチャになっていますが、それにしても HN 「hush」 氏や HN 「駄レス」 氏は我慢強く、やさしいですねえ〜 (^_^)

posted by 桜と錨 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し