2018年07月04日

勝目純也氏 『護衛艦建造史 増補改訂版』


もう書店に並んでいると思います。 平成24年にイカロス出版から同氏の同名書がでましたが、今回はその増補改訂版です。

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6年振りですが、この6年間にも海自の護衛艦は大きく様変わりしてきましたね。

この方面に興味のある方は、『世界の艦船』 誌とともに、ちょっとしたリファレンス用として横に置いておかれると便利でしょう。

今回は私の大先輩である平間洋一氏と並んでコラムを一つ載せて貰いました。 題して

『 「あさかぜ」 の思い出 』

ターターで米国留学、引き続いて長崎三菱での 「あさかぜ」 艤装から就役後の初代ミサイル士として、もう40年も前のことであり、その 「あさかぜ」 も既に退役して久しいですが、私にとっては忘れられない話しの一つです。


短いコラムですから掲載出来ませんでしたが、「あさかぜ」 就役後の SQT (装備認定試験) で米国派遣時にターター水上射撃において標的のマスト右アンテナヤードに直撃した時のものを。 もし実弾頭だったら確実に撃沈ですね。

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日米官民合同のターター関係者による 「あさかぜ」 就役記念の打ち上げ。 もうどんちゃん騒ぎで ・・・・ あっ、コラムに載せて貰う写真はこっちの方が良かったかも (^_^) 

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2018年07月02日

方位と距離の呼称法


某所で次の様な質問が出ていました。

艦橋では方位や距離の数字を読み上げたりすると思いますが、その時の数字の読み方について教えて下さい。

その後に続く文章からはおそらく全くの初心者の方かと思いますので、それはそれで仕方が無いのでしょうが ・・・・

一言で “艦橋で” とはありますが、方位や距離の呼称法について “どこの国の” “いつの時代の” “どの様な状況で” “どの様に使う” 場合なのかという前提が全くありません。

旧海軍か海上自衛隊でのことなんでしょうが、それにしてもこの前提がなければ本来は答えられないことではあります。

回答を付けた方々も何故かこれには全く触れておりません。 (まあ某所は質問したい人、回答したいと思う人がそれぞれ自由に書き込むところですので、それでも全く構わないのでしょう。)


旧海軍でも海上自衛隊でも、艦上で “聞き間違いの無いように” 呼称法が決められており、数字などは一般的なものとしての読み方もあります。

よく知られている、一 (ひと)、二 (ふた)、三 (さん)、四 (よん) ・・・・ というのはその代表的な一つですね。

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( 旧海軍の水兵さんが航海術について最初に習う教科書 )


しかしながら、見張り、測距・測的、砲戦・水雷戦、操艦・操舵、艦位・位置、時刻やそして測深 (測鉛) 法などではそれぞれの教範類において異なった (独特な) 報告・号令が定められています。

これらはそれぞれその必要があってのことで、これらが随時艦橋内で報告や指示・命令とし飛び交うことになります。

例えば、最も頻度の多いのが見張についてで、これは報告を受けた者がわざわざ羅針儀を見なくとも即座にその場で直感的に分かるように 「潜望鏡、右 (左) 20 (ふたじゅう) 度、(距離) 3千 (さんぜん)、向かってくる」 などとと艦首を中心にして左右180度まで、距離は目測概略のメートル単位又は遠距離の場合はマイル単位 (その場合は○○マイルと言う) で報告します。

よく言われるような百メートル単位は見張では使いません。 これは測距・測的や砲戦などの場合です。

また、艦位・位置でしたら360度法の方位とマイル単位 (2マイル以内ならメートル≒ヤード単位) での報告になりますし、操艦・操舵での方位も360度法で、例えば 「235 (ふたひゃくさんじゅうご) 度、宜候〜」 のようにです。

もちろん、旧海軍でも磁気羅針儀しかなかった古い時代と、転輪羅針儀 (ジャイロ・コンパス) を使い出してからとでは大きく異なってきたことは言うまでもありません。

また特に測深 (測鉛) は呼称法の中でも最も独特なものの一つでしょう。

そして戦後の海上自衛隊ではレーダーやソーナーの装備が当たり前になりましたが、レーダーは360度法で距離はマイル単位 (2マイル以内はヤード単位)、ソーナーはヤード単位 (TASS等の長距離の場合はマイル単位) です。 

これらのように、艦橋における方位や距離は全て一つの呼称法しかないのではなく、それぞれの場合などで異なることを説明する必要があるでしょうね。

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次記事 : 「 方位と距離の呼称法 (補) 」

posted by 桜と錨 at 23:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年07月01日

幌筵島以南の千島列島所在旧陸海軍航空基地


なんか相変わらずバタバタしておりますので、本家サイトの更新も3週間開いてしまいました。

先ほど 『旧海軍の基地』 コーナーにて 「松輪」 「天寧」 「年萌」 の3基地を追加し、併せて 「幌筵島以南の千島列島所在旧陸海軍航空基地一覧」 を公開しました。


千島列島の旧陸海軍基地につきましては、出版物はもちろんネットでもあまり纏まったものが見あたりませんので、先の占守島及び幌筵島の分と併せてお楽しみいただけるのではないかと思っています。


Army_AB_Shibetoro_data_01_ss.JPG
(旧陸軍の 「蘂取第一飛行場」 のポップアップ画像例 (縮小))

この基地一覧は、現在更新中の関東地区所在一覧暫定頁が一段落しましたら、次は樺太をやってみたいと考えております。

なお、関東地区所在一覧は現在旧陸軍の26基地までポップアップ表示するようにしました。 残りあと西側の15基地です。

posted by 桜と錨 at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年06月29日

SO-2 と SO-3 (続)


前述のとおり、SO-2 と SO-3 は小型・軽量でかつ大変に実用性に富んでいたことから数多くの小型艦艇に搭載されました。

もちろん両者は全く別個のレーダーですので、アンテナをはじめ、送受信機も電源も全て異なることはもちろんです。

が実は、レーダーの管制機と指示機は共通なのです。

SO2&3_Cont&Indicator_photo_01_m.jpg

SO2_3_Cont_Indicator_illust_01_m.jpg

このことは、製造上はもとより、これを使う艦艇乗員の整備及び操作、そしてそれらの教育訓練上、極めて有効であることは申し上げるまでもありません。

これを共通化できるところにも米国の工業力及び技術力の高さ、底力がある、と言えるでしょう。

しかも、この SO シリーズや SG シリーズのレーダーなどは、大戦中に既に開発、製造、装備が行われていたのです。

これだけでも、当時の日本の国力ではとても太刀打ちできるところではありません。 戦後、海上警備隊が出来てこれらのレーダーが貸与艦艇と共に入ってきた時、旧海軍出身者達がびっくりしたのも無理はないことでしょう。

posted by 桜と錨 at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2018年06月27日

SO-2 と SO-3 レーダー


コメント欄で懐かしいものの話しが出ました。

海上警備隊創設時から海自の初期まで使われた SO-2 と SO-3 というレーダーです。

当時のものとしては PF にも搭載されていた対空用の LA と水上用の LS、あるいは DE 以上に装備された SG シリーズなどの方がご存じの方が多いと思いますが、それらよりも数的には多かったこの2つのレーダーについてはあまり知られていないのではないかと思います。

SO-2 は、海上警備隊では米海軍から貸与された50隻の警備船 LSSL に装備された中出力の水上用レーダーで、米海軍では哨戒艇、上陸用舟艇、及び補助艦艇など数多く装備されました。

このレーダー、ビーム幅が水平9度、垂直23度あり、このため高角23度までの対空用としても使えました。

尖頭出力 60KW、周波数 3,000MHz、波長 10cmで、アンテナ回転数は 10.5rpmというものでした。 (その他の詳細データはまた何かの機会があれば。)

SO-2_draw_01_s.JPG

SO-2_draw_02_s.JPG

また SO-3 は、掃海船(当時)に装備されていましたが、米海軍では魚雷艇や哨戒艇、上陸用舟艇、その他の小艦艇など、これも極めて多数が装備されました。

尖頭出力 20KW、周波数 9,100MHz、波長 3cmで、ビーム幅は水平3度、垂直9度で、アンテナ回転数は9rpmです。 (同じくその他の詳細データはまた機会があれば。)

SO-3_draw_01_s.JPG

SO-3_draw_02_s.JPG


両者とも小型ながら実用性に優れ、まさに米国の工業力、技術力の成果と言えるものです。

海上警備隊では、全てについてまずは米海軍に学ぶという方針の下、これらのレーダーでも当初は英語のマニュアルを使っていましたが、日本人本来の気質なのか、どん欲までに米海軍からの知識を吸収し、すぐに新しく日本語のテキストを編纂するまでになりました。

私が所持するものは、昔これらの日本版からライフワーク資料として将来的に必要になると考えた部分をコピーしておいたものですが、この頃には既に元の米海軍のマニュアルはありませんでした。

そして現在となってはこれらの日本語版テキストも残されているのかどうか ・・・・ ?

posted by 桜と錨 at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2018年06月17日

旧陸軍航空基地のポップアップ追加


落ち着いて本家サイトのコンテンツを作る余裕がありませんので (バタバタしているのはいつもですが (^_^; )、今週の更新はお休みしました。

その代わりと言ってはなんですが、先週暫定ページとして公開した関東所在の旧陸海軍航空基地一覧図に 「鉾田」 に加えて、「壬生」 「高萩」 「成増」 「柏」 「東金」 「銚子」 の各陸軍基地についてポップアップを追加しました。


Army_AB_Kashiwa_data_01_ss.jpg
( 柏基地のポップアップの縮小画像 )

「福生」 や 「立川」、「調布」 などの有名どこよりは、こういういわゆるマイナーな基地の方を優先して、それも可能な限り戦時中や戦前の状況を現在の衛星写真と比較した方が面白いのではないかと (^_^)

ただ、各画像の説明は省略しているのですが ・・・・

posted by 桜と錨 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年06月10日

関東所在の旧陸海軍航空基地


本家サイトの今週の更新として、先にこちらでご紹介した 「関東所在の旧陸海軍航空基地位置一覧図」 と旧海軍の 「五井航空基地」 についてそれぞれのページを追加しました。

  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/000A_04_Kantou_AB.html
  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/A021A-Goi.html

前者は前回の 「占守島・幌筵島」 の場合と違って大変な基地の数になりますので、取り敢えず Google Earth の画像を加工したものを手直しした一覧図のみの “暫定ページ” です。

とはいってもそれだけでは面白くありませんので、旧陸軍の 「鉾田飛行場」 を例にとって、前回と同じように遊び心としてポップアップ表示するようにしてみました。

本家サイトでは旧陸軍の飛行場について個々の頁を作る予定はありませんが、折角ですので手元にあるデータを元に当面この形でご紹介していきたいと思っております。


それにしても、後者の 「五井基地」 というのは不思議なところですね ・・・・

↓ は当該ページで現在の地図との比較用に基地位置のトレースに使った国土地理院の昭和31年版 (27年測量) 2万5千分の1地図です。

Goi_map_1952_01_s.jpg

posted by 桜と錨 at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年06月08日

再 ・ 「水交会」 は海自OB会ではありません


同じことは以前も書きましたが、どうもその水交会自身が分かっていないような ・・・・

>「水交会」 は、国の策により、公益財団法人として、一般に門戸を開いた、「海上自衛隊OBを中心とする会」 です。

それは 「OB会」 とは言わないんですがねえ (^_^;

どこの会社、組織、団体であろうと、OB会というのは “OB会員相互の親睦を図る” のがその会の目的のトップです。

あくまでも会員はOBです。 そしてその他に準会員として希望するOBの遺族や現職の人達を認めるところもあるでしょう。

しかしながら “一般に門戸を開いた” などというOB会などあり得ないことですし、かつ組織の目的も全く本来のOB会とは異なります。 これは 「水交会」 の定款を見れば明らかなことです。


これのどこをどう読めば海自OB会と

>決して別物ではありません。

になるのでしょうか?


海自OBの方々の中には覚えておられる方も多いでしょう。

旧海軍出身者を中心として戦後出来た元々の 「水交会」 が本来の会員の自然減少により消滅の危機に陥った時に、当時出来て間もない海自OB会である 「桜美会」 に支援を求めてきました。

この時に一部のOBによってこの桜美会と旧水交会との合同案が出された時に、ほとんどの会員は反対であったと記憶しています。 また旧水交会自身でも異論・反対が多かったと聞いています。

当時私はまだ現役の 「準会員」 でしたが、もちろん反対の立場でした。 海自OB会はあくまでも海自OB会であり、その上で水交会をどの様に支えていくかを考えるべきであると。

海幕副長を努められた佐伯聖二元海将もその反対の立場の急先鋒でした。 曰く “つけを将来の海自OB達に回すな” というものです。

しかしながら 一部の人達によってOB会全体の合意がないまま強引かつ一方的に “合同” という名目で、表向きに耳障りの良い “発展的解消” と言いつつ “事実上消滅” させてしまいました。

その上、「OB会会費」 と言って集めてきたものや、その他全ての資産をOB会ではない水交会に 移してしまったのです。 

この短期間の 「桜美会」 の設立とは何だったのか? 穿った見方をすれば、始めから水交会の資金を集めるための口実だったのではないかと。 そしてその資産を手土産に自分達はそのまま水交会に横滑りしたとも。


そして、今まさに佐伯氏が危惧したとおりのことが現実となっています。

OB会でもないところに単にOBだからといって入る責務はない、というのが多くのOB達の共通認識であり、現在の会員数の減少がそれを如実に表していると言えるでしょう。

しかも現在の 「水交会」 の存在の実態は、その目的とは裏腹に海自という組織と現場の海上自衛官達にまさに “おんぶにだっこ” です。

そして 「水交会」 の役員名簿を見ていただけばお判りのように、役員になるのは元海自の要職にあった人達ばかり (が順にたらい廻しに) であり、彼等が何かにつけ海自の現場に顔を出しては “水交会の役員です” といい顔をしたがる。

それを目の前に見てきた一般の現職の人達が、OBになった時に 「水交会」 に入ろうとは思わないのは当然であり、自然な感覚でしょう。 水交会に海上自衛隊OBが入らない人が多いのは 決して

>今の日本社会のあり様、自衛隊の体質が、大きく影響していると思います。政治、教育、マスコミの誤った影響です。

ではありません。 現在の水交会自身の実態のためです。


誤解の無いように再度申し上げれば、公益財団法人 「水交会」 そのものは “任意の一般加入団体” ですから、それはそれとしてその存在についてとやかく言うつもりはありませんし、また水交会本来の目的と意義は大いに賛同し得るものです。

がしかし、それならば “海自OB会ではない” という一線は水交会自身が正しく、かつキチンと示すべき でしょう。


そして 元海自の要職にあった人達の重要な課題、というよりなすべき責務は“消滅させてしまった海自OB会を再興させる” ことでしょう。

そのOB会を再興させた上で、その次に “では水交会をどのように支援・協力していくか” でなければならないと考えます。


6月9日追記 :

当のご本人はご自分の “個人の言い分だから” と言うだけ言って、私や他の方の異議に何ら答えることなしに一方的に打ち切られてしまいました。

これが水交会自身の考え方でありやり方なんだと言われても仕方ありませんし、これでは海自OBはもちろん、近い将来にOBとなる現役の海上自衛官達に理解を得られるはずのものではないでしょう。

むしろ海自OBや現役の人達にとっては “現在の” 水交会というものに対する不信感を募らせるだけにしか思えません。

posted by 桜と錨 at 18:10| Comment(6) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年06月07日

五井水上機基地


先に関東地方所在の旧陸海軍航空基地の位置一覧図をご紹介したところですが、やはりいくつか入力忘れがありましたのでリストに追加したところです (^_^;

ところで、この一覧の中に入れるか入れないかで迷ったものが一つあります。 それがタイトルの 「五井水上機基地」 です。

この基地、ご存じの方はおられますか?

米軍史料のいくつかの中に出てくるものですが、日本側では旧海軍史料はもちろん 『日本海軍航空史』 (同編纂委員会(海空会)、時事通信社) などでも全く出てこないものです。

米軍史料では終戦時にまだ “建設中” としかありませんので、具体的な位置や実態などは分からなかったのですが ・・・・

国土地理院の写真閲覧ページをサーフィンしていましたら出てきました。 昭和22年の米軍写真に基地全体が写ったものがあります。 ↓↓↓

AB_Goi_photo_1947_01_s.jpg
( 昭和22年の米軍写真を元に加工 )

米軍史料にあるレイアウトの略図ともよく合致します。 ↓↓↓

AB_Goi_layout_01.jpg
( 左側が五井基地、右側が陸軍の千葉飛行場 )


また1945年版の米軍地図でも位置、地形ともに一致します。 ↓↓↓

AB_Goi_map_1945_01_s.JPG

現在の千葉県市原市の五井海岸と言われるところで、コスモ石油の製油所などの工場が並んでいるところです。 工業地帯としての海岸線の大規模な埋め立てによって、現在では全く当時の地形の面影は残されていません。

AB_Goi_sat_h30_01_s.jpg
( Google Earth より )

う〜ん、こんなところにあったんですねえ。

でも米軍史料にもあるように終戦までに完成していなかったようですが、もし仮に完成していたとしても、この時期の東京湾にあってどれだけ活用できたのかは疑問が残るところではあります。


ただし、この五井基地が判明したのはよいのですが、逆にすぐ近くにあったとされる陸軍の千葉飛行場がこの昭和22年の米軍の一連写真でも全く判別できず、分かりませんで ・・・・

posted by 桜と錨 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年06月04日

呉の風景


昨日は講演のために呉に前泊された久野潤氏から昼食のお誘いがありましたので、最も分かりやすい大和ミュージアム前の広場で待ち合わせ。

こんな風景も呉ならではですね〜 (^_^)

Yamato_Hiroba_h300603_01.JPG

posted by 桜と錨 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに