2017年02月12日

長男 こうすけ 一周忌


ゴールデン・レトリバーの長男 こうすけ が虹の橋を渡って1年になります。 満16歳の誕生日を迎えた直後でした。

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私の父と同居するために二世帯住宅に建て替えたとき、私はまだ現役で単身赴任の最中でした。

家には家内と娘三人、それに年寄りの父、近所も “姥捨て山団地” と呼ばれるくらいにお年寄り世帯ばかりでしたので、番犬にもなるので家内達が犬を飼いたいと言い出したのです。

それは確かにそうなんですが、我が家も私の小さい時から犬はいましたが全て外飼いでした。 昔はどこの家庭でもそうだったと思います。

家の中で飼うというのは何となくちょっと抵抗もありましたので、大型犬なら家内達も躊躇するかなと思って、何気なく “レトリバーやシベリアンなどならいいかな〜” と言ったのですが ・・・・

したり顔で子供達と出かけてペットショップから連れてきたのが こうすけ でした。 まさか本気で、とちょっとビックリ。

永久欠番となった長男予定の名前をつけ、その日から我が家の家族になりました。

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( あっ、お父〜さんが返ってきた! )

3〜4歳くらいまでは大変なやんちゃで家内を手こずらせましたが、それ以降は本当に大人しい性格で、やはり大型犬ならではなのかと。

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( 私に怒られると頭だけ隠すこうすけ )

家内達が悪戯をしても、じっと我慢 (^_^)

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晴れた日には庭で日向ぼっこ。

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トイプードルの弟の じゅんぺい が家族に加わっても、おとなしくお兄ちゃんぶりです。

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そして孫娘が遊びに来るようになっても。

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ただ人間よりは歳をとるのも早く、10歳を越えてからは次第に足腰が弱ってきて一昨年頃からは次第に立てなくなり、ほとんど寝たきりの状態となりましたました。

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( 満10歳の誕生日のお祝い )

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そして昨年、これが最後の機会と思い長距離のドライブに連れて行ったのですが、その後16歳の誕生日を迎えて数日した日の明け方、眠るように息を引き取りました。

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特に末娘は物心付く前から一緒でしたので、愛着も一入で、いずれはと判ってはいたことですが、やはり大変なショックだったようです。

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もちろん家内も私も、いわゆる “ペット・ロス” 症状が続きました。 それでも一年経って、やっとこうしてご来訪の皆さんにもご紹介できるようになりました。

本当に良い家族の一員でした。 きっとあの世でも楽しい日々を送ってくれていると思います。

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2017年02月05日

『連合艦隊戦策 第1巻 戦闘編』 公開 !


本家サイトの今週の更新として、同サイトの 「史料展示室」 コーナーにて昭和18年12月5日発簡の機密連合艦隊法令第81号別冊 『連合艦隊戦策 第1巻 戦闘編』 をPDFファイルにて公開しました。

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「史料展示室」 内容一覧ページ :
     http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/tenji_main.html
「連合艦隊戦策」 公開ページ :
     http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/46_GF_Sensaku_S18_Nachi.html

この文書は、昭和19年12月にマニラ湾で米軍機の攻撃により沈んだ重巡 「那智」 からフィリピン奪回後に米軍が回収した旧海軍の文書、通称 「那智史料」 と言われるものの中の1つで、昭和36年に日本に返還されたものです。

旧海軍関係のものは終戦時にほとんどが焼却処分されており、ごく僅かしか残っておりませんので、この 「那智史料」 は大変貴重な史料で、研究者にとってはまさに第1級のものといえるでしょう。

この返還された 「那智史料」 は現在防衛研究所戦史研究センター史料室に保管されていますが、まだアジ歴などでは公開されていません。

今回私が公開するものはこの史料室にあるものではなく、別に複製されたもののコピーからです。

米軍が引き揚げた時の状態なのか、大変に傷みが激しく、一部欠落するとともに大変不鮮明な個所も多くあります。 また複製作成時に使用された複写機も今日からすれば大変旧式なものです。 それでもかなりの部分が判読可能ですので、ほぼその全容は掴んでいただけると思います。

私は防研保管のものを見たことがありませんので、もしかするとこれより鮮明なのかもしれません。 興味を持たれた方があれば、是非一度防研の原本をご覧になることをお薦めいたします。

posted by 桜と錨 at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2017年01月29日

HP 『海軍砲術学校』 の更新


当ブログの本家サイトである 『桜と錨の海軍砲術学校』 の更新として、『旧海軍の基地』 コーナーに 「オレアイ (Woleai)」 「ウェーキ (Wake)」 「ナウル (Nauru)」 の3つの航空基地のページを追加しました。

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( オレアイ環礁の全景写真 )

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( オレアイ島の日本軍施設配置図 )

航空基地リストページ :
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
オレアイ航空基地 :
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/070A-Woleai.html
ウェーキ航空基地 :
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/178A-Wake.html
ナウル航空基地 :
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/A018_Nauru.html

ウェーキはともかくとして、後の2つは大変にマイナーな基地ですので今ではほとんど知られていないものです。

もちろんいずれも日本側の史料に乏しく詳しい経緯などは不明なのですが、今のところここまでは何とか判る、というところで纏めまてみました。 こういうものも記録として残しておかないとと思っていますので。

リストにあるほとんどの航空基地については、史料等もそれなりに集まりつつあるのですが、なかなか時間がとれなくて記事に纏めることができないのが残念です。

本家サイトの他のコーナーと同じように、このコーナーも突然思い出したようにボチボチと追加していきますので、気長にお付き合いください。

もしこの航空基地をというご要望がございましたら、お聞かせいただければ手の空いた時にページを作ってみたいと思います。

posted by 桜と錨 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2017年01月28日

ランチバイキング


昨日は家内とちょっと街まで出ましたので、ついでにランチバイキングに。

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オフ・シーズンの平日だったからなのか、他のお客さんは3組くらいでした。

まずサラダ中心の一皿目

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続いて天麩羅と雑炊の二皿目

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そして最後に肉系とピザの三皿目

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う〜ん ・・・・ 残念ながらどの料理も味に個性が感じられずごく平凡で、ちょっと “えっ、こんな内容なの?” というものでした。

以前ここでシーズン中に家内が友達とランチした時は、お客さんも多く各料理の回転が速かったこともあったのか、どれもそれなりに美味しかったと言っていたので今回お邪魔してみたのですが ・・・・

他の用事を済ませてから、口直しを兼ねて某所で一休み。

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ここもオフ・シーズンの平日だったせいか、先客はず〜っと漫画を読んでいた一人のみ。 気兼ねなくノンビリできました 。 まあ穴場と言えば穴場ですね (^_^)

posted by 桜と錨 at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2017年01月20日

「世界の艦船」 2月号増刊


『世界の艦船』 の最新号は傑作軍艦アーカイブの第3集目となる2月号増刊の 『戦艦 「長門」 型』 です。

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編集部さんの意気込みどおり、豊富な写真ページも含めて 「長門」 型の総集編に相応しいものとなっています。

私もこの中で次の記事を担当させていただきました。

  「 長門型のメカニズム B 兵 装 」

もちろん紙幅の関係で 「長門」 と 「陸奥」 の就役から最終までにわたる変遷の詳細を全てご紹介することは出来ませんでしたが、それでもまずは十分な内容と自負しております。

以前にも書きましたが、私は原稿のご依頼をいただいた場合には、過去何処かに書かれたもののつまみ食いをするようなことはしたくありませんので、私の元船乗りとしての経験とこれまでの研究成果による独自の内容を心掛けております。

そして可能な限り一般出版物ではこれまで出たことのない事項やデータを加えることにしております。

それはご依頼いただいたことに対する感謝の気持ちと礼儀であると思っているからです。

今回も細かいことも含めて色々と盛り込んでおります。 特に 「一式徹甲弾」 についてはご来訪の皆さんに興味を持っていただけるのではないかと思っています。

書店の店頭で見かけられた時には、是非手にとってご覧下さい。

posted by 桜と錨 at 14:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2017年01月19日

邦訳版 ライト著 『With TOGO、東郷とともに』


本ブログでも度々ご紹介しているサイト 『軍艦三笠 考証の記録』 の管理人であるHN 「八坂 八郎」 氏の最新私家本です。

今回は日露戦争に日本側艦船に乗艦して従軍した英国人記者セッピングス・ライト (Seppings Write) がものした 『 With TOGO, the story of seven months' active service under his command 』 の邦訳版で、第1巻として原著の第1章から7章までが収録されています。

内容としては、英国出発から始まって、日本到着時は丁度旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫の葬儀の時で、その後連合艦隊の根拠地に向かい、蔚山沖海戦、そしてその後の旅順口封鎖作戦の始まりまでになります。

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いつもどおり丁寧な訳出で、大変に読みやすいものとなっております。 そしてなりよりも、著者の記憶違いなどによる地名、艦艇名などの誤りを丹念に調べて訂正が加えられています。

当該書の邦訳版が出版されたことは今までなく、かつ原著も日本ではあまり広く知られているとは言い難いものがあります。

しかしながら、外国人の目で見た日露海戦記であることはもちろん、旅順口封鎖作戦についての見聞であり、また日本海軍の日常を記したものとしても大変に興味のあるものとなっています。

これが今回八坂氏の手によって日本語で読めるようになったのは嬉しいことです。

もちろん原著の方は既に著作権が切れており、インターネットのいくつかのところで公開されていますので、両者を対比しながら読まれるのも面白いと思います。 (古本では8千円〜1万円くらいするようです。 (^_^; )

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八坂氏のサイトでの紹介頁は次のところです。


この邦訳書は昨年11月の 「文学フリマ 東京」 に出品されましたが、まだ余分があるようですので、興味のある方は入手方法など氏のサイトから直接コンタクトをとってみて下さい。 (プロフィール欄からメッセージが送れます。)


posted by 桜と錨 at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2017年01月14日

寒波来襲


裏日本を中心に各地で大雪となっているようですが、我が家の方では昨夕から降り始め、朝には1センチくらい積もった程度でした。

それでも昼間は晴れ時々曇りで、風が冷たいもののなんとか持ちましたので、明日からの寒さで陸の孤島化した場合に備えて近くのスーパへ買い出しに。

で、こんな寒い時こそやっぱりこれ (^_^)

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今日はあれこれ焼いてのBBQではなく焼き芋だけにしましたので、火を熾してその周りに並べ、後は家の中でゆっくり待つことに。

いつもの安納芋と今回は大分県産の甘太くんという紅はるかの品種の2種類です。

早く出来上がる安納芋を取り出したあと、更に30分ほどはBBQコンロに蓋をして蒸し焼き風にしてみました。

安納芋 (左) は普通にやってもしっとりとしていますが、甘太くん (右) の方もこれまた大正解で、どちらも我ながら大変に美味しい焼き芋になりました (^_^)

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・・・・ 夕方からはまた白いものがチラチラ。 今晩から明日午前中にかけて降るという予報です。

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来週一杯は気温も低く、早朝はマイナスの日が続くようです。 私は寒いのが苦手なので、ますます家から出たくなくなります。

それにしても、このところ毎年センター試験の日が生憎の天候になるようですね。 受験生の皆さんは大変でしょうが、頑張ってください。

posted by 桜と錨 at 20:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに

2017年01月10日

艦隊司令部職員の構成と職務 (6)


さて次の日露戦期まで進む前に、明治27年段階でのことをもう少しお話しします。


この明治27年に艦隊條例が改訂されたことは既にお話ししましたが、艦隊編制時のその名称は勅令によることは先のとおりです。

その他で注目すべきはその第3条で

 第三條 艦隊ニハ水雷艇及運送船等ヲ附スルコトヲ得

とされ、従来軍艦のみとされ、艦隊が狭義での戦闘を主眼としていたものが、常備艦隊の経験もあり、ここに来て広汎且つ柔軟な運用を可能とする近代的な艦隊としての編成とすることができるようになりました。

日清戦争ではまさにこれが具現化され成果を挙げたわけです。


もう一つが、従来の参謀に加え、幕僚として艦隊航海長、機関長及び軍医長という職員が置かれたことです。

なおこれら幕僚とその名称については多少の変遷がありますが、これについては省略いたします。

また、従来からあった 「伝令使」 についてはこの明治27年の制定時に、「秘書」 については明治32年の改正時になくなり、代わってその明治32年の改正時以降は 「副官」 が置かれることになりました。

例えば明治36年の条例改正時における幕僚及び艦隊付は次の様になっています。

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この明治27年の艦隊條例制定当時において、実際の艦隊の編制とその目的・任務が次第に拡がってきましたので、司令長官の職務も広汎なものとなり、それを補佐する幕僚の業務も次第に増えることになります。

このため、艦隊條例で定められた幕僚のそれぞれの職務内容の詳細について示す必要が出てきたため、明治27年11月に艦隊職員条例が廃止されて、新たに 「艦隊職員勤務令」 (達168号) が制定されたのです。


この艦隊職員勤務令は、明治34年に達42号を以て全面改訂されました。


そしてその後幾度かの小改正が行われましたが、大正3年になって廃止されてしまい、以後この種のものが制定されることはありませんでした。

なぜなんでしょう?

それは、この艦隊職員勤務令をご覧になれば、各幕僚の職務についての規定はともかく、指揮官たる司令長官等の職務はこの当時でも大変に広範多岐にわたるものであるということがお判りになるでしょう。

したがって、幕僚の役目はこの司令長官等の職責の全ての業務について円滑に行われることを補佐するものであることを考えるなら、一々これを “これは○○参謀担当” などと細かく分けて規定することは不可能であるということです。

そして大正、昭和へと益々艦隊の編成、目的、行動内容が多岐にわたってくるに及んでは、具体的な職務については海軍省達等で規定し、その都度一々改変していくよりは、各艦隊に任せ、艦隊内でその任務・行動や業務に応じて振り分ける方が都合がよくなりました。

これが艦隊職員勤務令が廃止された大きな理由です。

このため、海軍部内では当然のこととして行われてきたことが、海軍の公文書として明文化されていないこともあって、戦後の研究家などにとって “○○参謀が担当するものは何?” “艦隊機関長とは何するの?” ということになってきたのです。

したがって、これらの具体的なことについては艦に乗ったことの無い方々には、なかなか理解いただけないことではないかと。

とはいっても、明治期後半〜大正初期のものであり、また中には当時の古い条項もありますが、この艦隊職員勤務令をお読みいただけば、司令長官等の職務や各参謀や幕僚によるその職務分担の一端がお判りいただけるのではないかと思います。

例えば、ネットの某所で艦隊機関長や主計長について話題になった時に

 なんか……パッとしない職業なんですねぇ。

という所見を述べた方がおられますが、とんでもありません。 大変に重要で多忙な職務であり、単に機関大佐のポストを増やすためとか、あってもなくてもよいようなという配置ではないのです。

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前 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (5)

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2017年01月06日

艦隊司令部職員の構成と職務 (5)


前回明治27年7月19日に連合艦隊が初めて組織されたことを書きましたが、その中で “あれっ?” と思った方がおられるかもしれません。

そうなんです、連合艦隊編制に先立って警備艦隊が編制されましたが、その上裁・裁可が7月10日であるのに海軍省達の発簡は7月13日になっているのです。

裁可を得られたならば当日、遅くとも翌日には出されるのが当然ですが、これは何故なんでしょう?


これは次の通り海軍の意図として、 「橋立」 及び 「厳島」 が佐世保に集結し、常備及び警備の両艦隊の体勢が揃うのを待ってから実施するためだったんです。

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そして 「厳島」 は11日、「橋立」 は12日に佐世保に到着しており、これによって翌13日の警備艦隊編制となりました。


次ぎに、この初めて編制された連合艦隊ですが、何時何を以て解かれたのでしょうか?

旧海軍が出した公式資料である 『海軍制度沿革』 でも、なぜかこの時の連合艦隊が解かれたことについてだけは記述されておりません。 また、公刊戦史である 『二十七、八年海戦史』 にもありません。

このため戦後出されてきた多くの出版物などでもこれを明確に書かれたものはまずありませんでした。

実際には、日清講和条約発効直後の明治28年5月17日に 「官房1873号の3」 によって解かれております。

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また、戦時に際しての臨時編制であった西海艦隊は、戦後処理が一段落した同年11月15日になって 「海軍省達125号」 によって解隊されています。

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さて、そこで注目していただきたいのは、初めて連合艦隊が誕生した日清戦争においては、警備艦隊については 「編制する」 「解隊する」 となっていますが、連合艦隊については 「組織する」 「組織を解く」 として公式文書では明確に用語を区別していることです。

これは後で述べる “連合艦隊とは何か” ということについて重要なポイントになりますので、是非覚えておいてください。

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前 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (4)

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2017年01月02日

焼き牡蠣独り占め


昨晩は皆でワイワイの夕御飯が終わってから、私だけ殻付きの焼き牡蠣で一杯 (^_^)

炭火で焼くのが一番なんですが、そこはちょっと我慢してレンジでチン。 まず一皿目です。

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広島牡蠣は全国的にも有名ですが、なかでも音戸は潮の流れが強いので、身が締まって味の濃い大変美味しい牡蠣が採れます。

これの焼き牡蠣はもう最高です。

なんですが ・・・・ 家内も昔は大好きだったのですが、10年ほど前から何故か体が牡蠣を受け付けなくなりまして、今では1つでもダメ。 娘達も小さい時から全くダメです。

で、今では甥っ子から貰う新鮮な音戸の牡蠣は全て私が独り占め !!!


そして牡蠣と言えばやはり日本酒でしょう。 毎年年末なると長女の嫁ぎ先が泉橋酒造さんのものを送ってくれるのですが、今回はいつもの 「とんぼ」 でなく創業160周年記念の 「越冬卵と雪だるまラベルの楽風舞しぼりたて」 という生酒。

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お酒の通の人にはちょっと物足りないかもしれませんが、飲みやすく大変に美味しいお酒です。

焼き牡蠣を肴にこれをグビグビ。 これはたまりません。


・・・・ で、酩酊して目が覚めたのが昼前でした。 まっ、お正月ですから (^_^;

posted by 桜と錨 at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに