2019年04月15日

マレーシア海軍艦艇来日


マレーシア海軍のフリゲイト 「レキウ」 (FFGH-30 KD Lekiu) が本日午後、呉のEバースに入港しましたので見に行ってきました。 マレーシア海軍艦艇としては実に17年ぶりの来日だとか。

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それにしてもこの 「レキウ」、基準排水量 1,845 トンのフリゲートですが、僚艦の 「ジェパッド」 と共に同国海軍最大の戦闘艦艇であるだけに、昨年のリムパック参加などを含めて、かなり酷使をされているようです。

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そして1999年の就役ですから艦令20年、したがって装備自体は最新とは言い難いところもありますが、海自艦艇のほぼ同じサイズの 「あぶくま」 型に比べて相当な重装備です。 しかも欧州系の定評のあるものを選りすぐっており、なかなか強力です。

船体の色は海自艦艇に比べると少し水色がかった明るい灰色です。

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( 最近国内では見かけなくなった 「ラット・ガード」 も )

入港歓迎行事の後、一般参加者の特別艦内公開がありましたので一緒に (^_^)

重装備の反面、艦内は通路も含めそれほど窮屈という訳ではありません。 また、欧州系らしく甲板への主要出入り口などには木製の内扉が装備されており、また机などにも木製家具が多用されています。

士官室は艦の大きさに比べればゆったりした広さで、質素ながら英国海軍系の内装が施されています。 

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( コーヒーと紅茶のサービスつき (^_^) )

もちろん英国式ですから士官室の長は少佐の副長で、中佐の艦長がこの士官室へ入るには副長の了解が必要となります。

士官は艦長以下18名が定員とされていますが、本日見た限りではもう少し多く、かつ少佐クラスが多いのが目立ちました。 長期の行動のために特別な配員なのか ・・・・ ?

見学が終わって帰る時には既に後部の飛行甲板ではレセプションの準備が始まっていました。 面白いのは、甲板上の主要部には 「+」 字のネットが張られておりました。 転落・落下防止のためなのか、一部は乗員の脱柵防止のためなのか (^_^)

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( 舷梯の飾り付け )

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( 入港歓迎行事が終わると直ぐにレセプションの準備に )

水兵さん達はやはり東南アジア系だけあって皆陽気で、こちらも私服でしたので話しかけてもニコニコしながら皆気楽に応じてくれます。

帰りがけには岸壁で作業をしていた水兵さん達が若い女性陣も一緒だったのを見つけて彼等の方から 「一緒に記念写真を」 と。 積極的ですなあ (^_^)

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えっ、肝心な入港歓迎行事はどうなったのか、ってですか? 敢えてご紹介するほどのものではなく、ごくありきたりのものですので省略いたします。 それに、広報やマスコミに出るでしょうから (^_^;


それにしても、先の 「しょうりゅう」 や練習艦隊などでもそうでしたが、またまた今回も何故か午後の入港行事です。

OB連と話しをしても皆揃って “昔から午前の早い時間と言うのが当たり前だったのに” と。 広報係にそれとなく聞いてみましたが、言葉を濁しておりました。

それぞれでそれぞれなりの理由や事情があるのでしょうが、とはいえそこをキチンと調整して伝統を守ることが重要ではないかと。

特に最近、何か大事な “船乗りの躾け” が一つ一つなし崩しになってきているように感じますね。 決して良くはない傾向と思います。

posted by 桜と錨 at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年04月14日

『朝鮮半島の旧陸海軍航空基地』 一覧ページ更新


今週の本家サイトの更新は、『旧海軍の基地』 コーナーで既に公開しております 『朝鮮半島の旧陸海軍航空基地』 一覧ページに、旧陸軍の 「海雲台」 「密陽」 「泗川」 「晋州」 及び 「木浦」 の5基地を追加しました。


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( 1945年版の米軍地図より海雲台航空基地 )

とは言っても、それなりのデータが揃っているのは戦後に 「釜山国際空港」 となった 「海雲台」 のみで、他の4基地については残された旧陸軍の史料はほとんどありません。 特に 「密陽」 及び 「晋州」 の2つについてはその所在場所さえ判りません。

しかしながら当面はこれ以上のデータは出てこないと思われますので、これにて朝鮮半島の一覧ページは一区切りといたしたいと思います。

もしこれらの基地についてご存じの方がおられましたら、是非ともご教示下さい。

posted by 桜と錨 at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月13日

立てば芍薬、座れば


我が家の庭に1本あるボタンの樹に、今年も10個ほどの蕾がついていまして、段々と大きくなってきました。

2〜3日すると、一つずつ順に大輪の花が開くものと思います。

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自然というのは凄いですね。 放ったらかしにしてあっても、こうして毎年ちゃんと綺麗な花を咲かせて楽しませてくれます。

posted by 桜と錨 at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年04月08日

平成最後のお花見


こちらではやっとこの週末が満開になりました。

近くの水源地ですが、普段は一般市民は入れませんが流石にこの時期だけは昼間のみ開放されます。

片田舎とはいえやはり人出がそれなりにあると思いましたので、今日、老夫婦二人で平成最後となるお花見に。

予想どおり平日でのこともありほとんど人はおらず、数組が池の周りの散歩やシートを広げてのお弁当の最中でした。

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昔キャンプ用に揃えたデッキ・チェアと折りたたみのテーブルを持って。 周りに人がおりませんので、散り始めた桜の木の下に広げてノンビリと。

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ここは指定駐車場から離れておりますので、多くの人達はその駐車場から直ぐの公園として整備された場所に行くようです。

臨時開放の通用口近くに5〜6台の駐車スペースがりますが、ほとんど知られていないこともあって、車に荷物を積んでの花見としてはちょっとした穴場かも (^_^)

この水源地は周りより少し高くなっており、反対側は川に沿った斜面です。 ここも桜は綺麗なのですが 、ちょっと景色が ・・・・

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例によって毎年恒例、近くのスーパーで適当に見繕ったものと、ノンアルコール・ビールで。 ただ、焼き鳥の美味しいところが無いのが残念です。

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実はこの水源地、本来はこちらの方が有名で、日本のダム湖百選にも選ばれているほどですが、桜は少なく花見向きではありません。

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来年は令和での花見。 いや〜、日本人に、そして日本に生まれて本当に良かったと思います。

posted by 桜と錨 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年04月07日

制服を着た能吏が現場に出ると (補足)


旧海軍及び海自の船乗りのことにはあまり詳しく無い方もおられると思いますので、先の件について少し補足を。

旧海軍時代から、船乗りの躾けとして厳しく言われてきたことの一つに艦の 威容の保持 というものがあります。

これも個艦でのことも大変多岐にわたりますが、当然部隊、則ち艦隊や戦隊などでのことも含まれます。

個艦での事についてはそれこそ極めて多岐にわたりますが、その内のいくつかは出版物などでも語られておりますし、また本ブログでかつて連載した 『艦船乗員の伝統精神』 の中でも出てきますので参考にしてください。


また海自関係の方々であれば、護衛艦隊の 『艦艇勤務基本しつけ集』 『術科しつけ集』、あるいは海上幕僚監部が出した 『シーマンシップのかん養』 などはご存じかと思います。 ( これらの中で旧海軍から伝わるものが十分に網羅されている訳ではありませんが )


そして部隊でのことになりますとこの 「威容の保持」 のためには特に 斉一 ということが求められます。

これは、一つの港や作業地などに停泊中は、その威容の保持について 旗艦又は最先任艦に合わせる ことになりますし、航海中も同じです。

例えば、艦旗掲揚・降下はもちろん、停泊燈の点灯・消灯、武器やハッチなどの覆の掛け外し、などなどです。

つまり何かを行う場合には、全体が一斉に行い、全体が同じ見かけになっていることが求められる のです。

したがって、港内で桟橋に横付けしている場合や前後浮漂繋留している場合には、それぞれ全艦が同じ向きになるようにすることは言わずもがななことです。

ですから、この呉での様なことなどは “余程の理由が無い限り” あり得ないことになります。

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では、この時にその様な “余程の理由” と事情があったのでしょうか?

この状況を見る限りでは、その様なことはまず無かったし、その様なことをさせる事情も無かったと言えるでしょう。

海自の定係港では、そこを母港とする艦艇以外が入港する時には、その艦艇に優先的に桟橋を割り当てるのが “常識” となっています。

ですから、もしこの例の 「こんごう」 「むらさめ」 (おそらく 「むささめ」 は 「こんごう」 のために) のように左舷横付けが必要である場合には、当然のこととして桟橋の南側 (右側) が割り当てられますし、もし桟橋に直づけが必要ならば、既にいる艦艇は係留替えして (場合によっては沖で錨泊して) 当該場所を空けるようにします。

他艦も巻き込む手間暇になりますが、それが “伝統” であり “威容の保持” なのです。

ところがこの例のような指揮官所掌事項でこの様なことをすると、それがなし崩しなり、それを発端に艦船乗員の末端に到るまでの全ての “躾け” が崩れて行くことになります ( いえ、実際に既にかなりのことが崩れてきてしまっているのですが )。

艦艇乗員からすれば “何だそんなのでいいのか” “一体どこが斉一 ・ 威容の保持だ” となる訳です。

したがって、各級指揮官自らが “襟を正して” 行くことが重要 なのです。


ここでご来訪の皆さんにお尋ねします。

港に停泊する場合は直ぐに出港できるように 「出船」 とすることが常識であり、またその様に躾けられてきました。

ところが、ここ呉のE及びF桟橋、そして佐世保の立神岸壁などでは従来から 「入り船」 としてきております。

この理由が何故かお判りでしょうか?


posted by 桜と錨 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月06日

制服を着た能吏が現場に出ると


本家サイトの方でいつもお世話になっている HN 「脇」 さんからご紹介をいただきました。

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いや〜、これは酷いですね。 平気でこんな事をやる指揮官達がいるのかと思うと、海上自衛隊も情けない組織になったものと嘆かわしい限りです。

“伝統の継承” ? 海自がモットーとして掲げるこれはあれですかねえ、今では 「伝統の継承が “できたらいいねえ”」 という意味なんでしょうね。

旧海軍の時から船乗りの躾として、天幕の紐一本でさえ厳しく指導され、“スマートネス” “威容” を保つためには手間暇を厭わない、とされてきたものは一体何だったのかと。

やはり内局の役人に一佐以上の補職・昇任の人事を握られ、彼等の覚えめでたさが重要と考える “制服を着た能吏達” と、それを見て育つ若い有能な者達が現場に出てくると組織もこうなるという見本ですね。

先の候補生学校の卒業式最後を飾るべき出港においても、あのお粗末さ、みっともなさ。

何というか、海上自衛隊はもう船乗りの世界では無くなってしまいましたね。

posted by 桜と錨 at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月04日

海自のシステム艦第1号 (5/終)


とは言っても、その結果として海自はこの 53DDG 「さわかぜ」 に至って始めて、と言うかやっと、本来の “艦艇戦闘指揮システムらしいシステム” を持つことになりました。 全くの他力本願ではありますが。

この 「さわかぜ」 に搭載した OYQ-4 システムは、メインのコンピューターに UYK-7 1台、コンソール OJ-194 9台 + OJ-197 OSC 1台、SPS-52C による目標の自動探知・自動追尾機能、BVP によるIFF Mode-II 信号を利用した自動味方識別、Link-11 機能、そしてソフトウェア (オペレーション・プログラム) は米海軍提案のものに加え、更に海自側から NTDS 最新の Model 4 というプログラムの内容や CGN-38 「バージニア」 級で採り入れられたアルゴリズムなどと同じものの追加を逆提案してその多くのものが採り入れられました。

( この逆提案の内容は、それを聞いた米海軍の担当者が “えっ、何でそんなことを知ってるの?” と驚いていたことがありました。 何でかなあ〜 (^_^) )

これによって目出度し、目出度し ・・・・ だったはずなんですが ・・・・ 結局 WES (OYQ-1/2)や 50・51DDH の 「しらね」 「くらま」 の TDPS (OYQ-3) より大きく進歩したこの新しいシステムが導入されたにもかかわらず、この システムの本来のあり方、考え方が活かされることはありませんでした。

既に建造が始まってしまった 「はつゆき」 とこれに搭載する国産の OYQ-5 に続く、汎用護衛艦とそのシステムには、結局元のまま、海幕担当者達の鉛筆舐め舐めの紙の上での予算説明上の都合・理屈に振り回されることには変わりはなかったのです。

つまり、当初から役に立たないことがハッキリしていた 「はつゆき」 とその OYQ-5 を “失敗作” “安物買いの銭失い” と言われないために、“使用実績と技術の進歩、戦術環境の変化に対応するための改善” を謳い文句にして、それこそ小出しにするが如く次々と手を入れることによってそれを誤魔化し続けてきました。 システムだけを見ても、

OYQ-5、-5-1、-5B-1、-5B-2、-5C-1、-5C-2、OYQ-6、-6-1、-6-2、-6C、OYQ-7、-7B、-7B-1、-7B-2 ・・・・

その結果、ソフトウェア (オペレーション・プログラム) の中身はともかくとして、ようやく DD タイプのシステムでも、見かけだけは まあ何とか CDS らしいといえるもの が装備されたのは、実に 「むらさめ」 の OYQ-9 になってと言えるでしょう。

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( クリックで拡大表示します)

即ち、内局の役人に対して予算獲得のための (= 自己の業績作りのための) 屁理屈を並べてきた海幕担当者達が、それが嘘であったとは言えないために更なる屁理屈を重ねるだけのために、実に14年、15隻 ( 「たかつき」 「きくづき」 や 「かしま」、それに途中更新艦を合わせると23隻) を無駄にしてきたのです。

“DD はハイ・ロー・ミックスのロー・コンセプト艦だから” というのはいかにも聞こえはいいですが、これの実態は “低性能であっても、低価格で数を多く” ということに過ぎません。

そのために既にお話ししたとおり、本来必要とされる “あるべき能力” の検討がまず先になされなければならないにも関わらず、それを抜きにして予算獲得のための 艦型が先に決まってしまい、後からその性能・能力の屁理屈をこじつける ことになりました。

そして “艦艇戦闘指揮システム” とは言いながら単なる “武器管制装置でしかないもの” を搭載した国産護衛艦をも延々 “システム艦” という美名で呼んできたのです。


最後に今回の纏めとして、

海上自衛隊における “システム艦” は、

デジタル・コンピューターを用いたシステムの導入により 米海軍の NTDS に関する考え方 (フィロソフィー)、システム開発手法、ソフトウェアのアルゴリズムなどをもたらした、という点を評価するなら 「たちかぜ」 型が 第1号艦

同様にシステムそのものはともかくとして、データ・リンク Link-11 を導入した という点を評価すれば 「しらね」 型が 第2号艦

次いで 「さわかぜ」 が 第3号艦

ということになります。

そして、実態として 少なくとも “艦艇戦闘情報処理システム” (CDS、Combat Direction System) といえるものを搭載したことを採るなら 「さわかぜ」 が 第1号艦 ということになります。

(この項 終わり)
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posted by 桜と錨 at 11:07| Comment(6) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2019年04月03日

海自のシステム艦第1号 (4)


前述のとおり、WES はデジタル・コンピューターを使用し、NTDS の技術を応用したものではありますが、実態は新型の武器管制装置の一種であったわけです。

しかしながら、当然そこには当時現用の NTDS に関する考え方 (フィロソフィー)、システム開発手法、ソフトウェアのアルゴリズムなど が盛り込まれており、これらを WES そのもののと一緒に米海軍から導入することができたのです。

海上自衛隊にとっては WES は一つの装置ではありますが、そのことよりむしろ これらの有形無形のものこそがその導入の最大の成果 であり、今後の艦艇情報処理システムのあり方を示す羅針盤となるものでした。 (と言うより、なる “はず” でした 。)

つまり、「たちかぜ」 型を海自の “システム艦” 第1号と呼ぶ本当の意味と意義はここにあった のであり、当時の PGC の 「大熊学校」 で教育を受けた者達はこれらのことを徹底的に教え込まれたのです。

ところが、海幕に勤務する者や、この大熊学校でシステムというものの本質を学ばなかった者、学んでもそのことを理解できなかった者達には、結局のところ WES は一つの装置としての見かけの姿でしか判らなかったと言えます。 いや、判らなかったというより、制服を着た能吏達にとっては必要なかったと言うべきでしょう。

このため、折角これらの重要なことを導入し得たにもかかわらず、単なる装置としてしか見なかった結果の典型例として、WES を真似して国産開発したとする先の 「はつゆき」 型システムの OYQ-5 と、それに続く DD のシステムとなって現れてしまったわけです。


更には、「たちかぜ」 型3番艦として予定されていた 50DDG は、予算の関係で更に3年遅れて 53DDG の 「さわかぜ」 となったのですが、当初海幕は何も考えることなく 「たちかぜ」 型の WES をそのまま装備することで計画しました。

ところが、これに驚いたのが米海軍です。 海自は一体何を考えとるのか、と。

米海軍では海自の WES の開発成功を見て、これを参考にして DDG-2 級の古い WDS Mk-4 を更新するための JPTDS (Junior Participating Tactical Data System) を開発しました。

(注) : 一般には海自の WES はこの DDG-2 用の JPTDS を参考にしたと流布されるものがありますが、既にお話ししたことがありますように、これは誤りで逆です。

JPTDS はその名が示すように、単なる WDS の更新ではなく、初めからミサイル駆逐艦用の簡易型 NTDS として計画・開発されており、メインのコンピューターには最新の UYK-7 を2台、そして実際の装備は少し遅れましたが データ・リンクの Link-11 の機能を盛り込んだものです。 このためもあって、JPTDS は後に NTDS (DDG-2) と改称されることになります。

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( UYK-7 2基 (2ベイ) タイプ 「さわかぜ」 はこれの1基タイプ )

そして何と言っても、この DDG-2 クラスの近代化計画において、ターター・システムについては WDS のJPTDS への換装だけではなく、三次元レーダーが SPS-52B からデジタル化された -52C へ、ミサイル射撃指揮装置の Mk-74 や ミサイル発射機の Mk-13 もデジタル化されたもの、つまり デジタル・ターター・システム (一般に、「ターターD」 と呼ばれます) に更新されることになっていたのです。

特にこの時点で注目すべきは、先の SPS-48C に続き 改良された SPS-52C によるデジタル化された信号情報を用いて、そして DDG-2 クラスの近代化のために開発された二次元の対空及び水上レーダーのアナログ信号をデジタル化する RVP (Radar Video Processor) により、全ての捜索用レーダーの目標の自動探知・自動追尾が可能となり、かつ BVP (Beacon Video Processor) により IFF の Mode-U 信号を使用した目標の自動追尾及び自動味方識別も可能 となっていました。

そして、このSPS-52C、RVP 及び BVP による目標の自動探知・自動追尾の機能をコントロールするために AN/SYS-1 というシステムが開発され、これによる目標データを JPTDS のコンピューターに取り込めるようにしたのです。

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( AN/SYS-( ) の構成概念図 )

そこで、米海軍は海自に対して “提供するミサイル・システムは新しいデジタル化したものになるのだから、WES ではなく JPTDS を真似したシステムにすれば良いだろう、コストもそれ程増えないのだから” と言ってきたのです。

海自としてはその必要性の有無を検討するまでもなく、ターター・システム一式を FMS で調達する以上米海軍の言うことには当然 “No” と言える訳はありませんから、目出度く 53DDG は WES ではなく、JPTDS の技術を利用した新しいシステム となり、もちろんコンピューターは新型の UYK-7 となって余裕がありますので、Link-11 機能も装備 されました。 これが「さわかぜ」の OYQ-4 となって実現しました。

ただし、折角米海軍からリコメンドがあったにも関わらず、目標の自動探知・自動追尾は三次元レーダーの SPS-52C の機能のみ となり、RVP による他の対空・水上捜索用レーダーの機能は採用されないこととされてしまいました。 米海軍は海自の OPS-11C や OPS-28 でも問題なく可能だと言っているのに、です。 ( 理由はおそらく、わずかな予算の増加をケチるためではないかと )

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( 米海軍による海自への RVP 採用のリコメンド文書の一部抜粋 )

このため、この捜索用レーダーと CDS とを繋ぐ機器は、米海軍は DDG-2 近代化用と同タイプの AN/SYS-1 を考えていたのですが、わざわざ海自向けの JADT (Japanese Auto Detection and Tracking) という機能限定版のものを作ることになったのです。

もう何とも勿体ないというか、情けない話しで ・・・・ (^_^;

(この項 続く)
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posted by 桜と錨 at 15:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2019年04月02日

海自のシステム艦第1号 (3)


前述の通り、「たちかぜ」 型に搭載した WES は 「あまつかぜ」 に搭載した古いリレー方式のアナログ計算機を使用した WDS を、米海軍が 「たちかぜ」 型のために NTDS の技術を応用して開発したデジタル・コンピューター・システムで置き換えるものでした。

(注) : 正確にいうとシステム・デザインは先のとおり米海軍と言うよりその下請けの RCA 社です。

DDG-168_Wep_Sys_01_m.jpg
( RCA 社作成の資料をもとにした概略の構成図)

そしてその WES ですが、メインは当時米海軍の NTDS で広く使われていた標準のデジタル・コンピューターである CP-642B が1台 (たった)、NTDS の汎用コンソール (操作卓) OJ-194 が6台を中心とするものでした。

WES_Config_01_m.jpg
( RCA 社作成の資料をもとにした概略の構成図)

(注) : 48DDG たる 「あさかぜ」 にはこれに更に司令部用として大型の OSC (Operation Summary Console) OJ-197 1台が追加され、また三次元レーダー用の HT/SZ (Height/Size) コンソールが汎用の OJ-194 に変更されました。

46-48DDG_CIC_Layout_01_m_mod.jpg
( 「たちかぜ」 型の CIC レイアウト 右が艦首方向 )

OSC_01_m_.jpg
( 右が OJ-197 OSC、左の3台が OJ-194 米艦での写真より )

その CP-642B というコンピューターは、デジタルとは言ってもまだ 「コア・メモリ」 と呼ばれるものを使った30ビット、64Kワードのもので、計算能力だけを取り上げるならばそれこそファミコンにも及ばないものでした。

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( CP-642B のキャビネット )

今から考えると、これたった1台でよくあれだけのシステムを動かしていたな、と (^_^;

したがってWES は、米海軍の NTDS 技術を応用したといってもその NTDS の簡易版でもなければ、ましてや CP-642B がたった1台のシステムですから、データ・リンクの Link-11 機能が入るような余地があるはずも無かったのです。

(注) : ネットや出版物などで、WES 導入時には Link-11 はまだ日本にリリースされなかったとしているものがありますが、これは誤りで、海自から要求もしていませんし、ましてや古い WDS の単なる置き換えでしかない WES について米側からの提案もあるわけがありません。 そもそもメインのコンピューターは CP-642B がたった1台のシステムなのですから。

その証拠に、ほぼ同時期であったといえる同じく米海軍が開発した 50・51DDH のシステム TDPS (Tactical Data Processing System、OYQ-3) は、米海軍の DD-963 スプルーアンス 級の CDS (最新の UYK-7 3台という大きなシステム) を参考にしたものですが、ターターや短 SAM を管制するわけでも無いのに CP-642B 2台となり、しかも当然の如くすんなりと Link-11 が導入されたのです。


そして捜索用レーダーによる目標の探知及び追尾は、 ADT (Air-target Detector & Tracker、対空目標探知追尾員) と SDT (Surface-target Detector & Tracker、水上目標探知追尾員) 各1名がそれぞれコンソールの PPI 上で、レーダー表示を見ながら目標の位置データを手動入力・更新していくもので、これを TK SUP (Track Supervisor) が監督する方式を採っています。

この手動入力方式そのものは、アナログ式の WDS で2台の TSTC (Target Selection & Tracking Console) で行っていたものとそれ程変わるわけではありません。

WDS_TSTC_01_m_mod.jpg
( WDS の TSTC とその目標データ入力要領 )

つまり、目標情報の精度はこの ADT と SDT の二人と、それを監督する TK SUP の技量にかかっていた訳ですが、それでもこれら全てを手動で行うには限界、特に目標数に、があることはお判りいただけるかと。

これは米海軍の当時の NTDS でも同じ方式で、このため空母などの大型艦のシステムでは倍の6名がそれぞれのコンソールで分担して行っていました。

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( 当時の米空母における NTDS のコンソール例 )

しかしながら、既にお話ししたことのあるNWC (Naval Weapons Center、海軍武器研究所) での研究による結論でも示されたように、これでは現代戦にはとても対応できないことは明らかで、今後は三次元レーダーも含む全ての捜索用レーダーは目標の自動探知・自動追尾とするべきであるとされました。

これにより、米海軍ではその対策の手始めとして、まず大型艦用の三次元レーダーである AN/SPS-48A の受信データをディジタル処理して、これによる目標の自動探知・自動追尾を可能にした -48C を開発し、既存の -48A をこれと換装することから始めたのです。

(この項 続く)
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2019年04月01日

海自のシステム艦第1号 (2)


海上自衛隊は、当時米海軍の作戦部長であったアーレイ・バーク大将直々の配慮を受けて、第1次防衛力整備計画 (一次防、昭和33〜35年度) における部隊防空能力向上のために、ミサイル駆逐艦 「チャールス・F・アダムス」 (DDG-2 Charles F. Adams) 級をモデル・シップ (正確には後期型の DDG-15 Berkeley) として、米海軍が “3T” システムの最後として開発した最新鋭のターター・システムを搭載するミサイル護衛艦を昭和35年度予算で建造 (35DDG) することとなり、これが 「あまつかぜ」 (DDG-163) となりましました。

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( 「あまつかぜ」 のモデル・シップとなった米海軍の 「チャールス・F・アダムス」 )

しかしながら、確かにターター・システムは、それまでに海上自衛隊が導入し得た第二次大戦の中古の様な装備に比べれば格段に素晴らしいものでしたが、その反面大変に高価でもあるため、米軍のモデル・シップに比して船体を小さくしたり (それでも当初案の 2600 トンではとても足りなくて急遽 3000 トンに増やしたのですが)、予定する兵装の一部を後日装備やスペックダウンするなどして建造予算を捻出せざるを得ませんでした。

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( 公試運転中の 「あまつかぜ」 )

このため、当時の海上自衛隊の乏しい予算の中では国産艦艇の隻数確保が優先されたため、「あまつかぜ」 に続く2隻目のミサイル護衛艦の建造は後回しとされてきました。

その海上自衛隊が何とか次のミサイル護衛艦建造の予算を獲得できる目処がついたのは、「あまつかぜ」 から実に11年後の、第三次防衛力整備計画 (三次防、昭和42〜46年度) の最終年度の事となったのです。 これが 「たちかぜ」 型3隻 (当初計画) です。

そしてまず昭和46年度計画で1番艦 「たちかぜ」 (46DDG) の予算成立に伴い、ターター・システム一式を FMS (Foreign Military Sales、対外有償軍事援助) 契約により米海軍から購入しようとしたのですが、「あまつかぜ」 が手本とした 「チャールス・F・アダムス」 級の武器管制装置 (WDS Mk-4) はリレー式計算機を使用したアナログのシステムで既に旧式化していたため、米海軍でもこれの更新をどうするかを検討している最中でした。

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( WDS Mk-4 の構成機器図、説明のためのもので実艦での配置は異なります )

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( 実艦装備例 左から TSTC、WAC、WCP、DAC の各コンソール )

そこで米海軍がこの WDS Mk-4 の代わりのものを米海軍のシステム開発に関わっている RCA 社に検討させた結果、同社から提案のあったのが同社がシステム・デザインを手掛ける NTDS のハード及びソフト技術を応用したシステムでした。

この案は直ちに海上自衛隊の受け入れるところとなり (というより他の代案があるわけもなく、拒否する理由がないので)、米海軍の監督の下、プライム・コントラクターとしてシステム全体を RCA 社が、デジタル・コンピューターのソフトウェアをスペリー・ユニバック社 (Sperry-UNIVAC) が担当して開発が行われる事となりました。

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( RCA 社作成の資料をもとに邦訳した WES の教育用資料の一つ )

そして米海軍のアドバイス (提案というより、強い要求) により、海自に納入後のソフトウェアの維持管理と教育訓練用を兼ねたテストサイトが横須賀船越のプログラム業務隊 (PGC) に作られることとなり、これの完成を待ってシステムの開発は米国から当該テストサイトに移されて継続されたのです。

このため、ソフトウェアの完成・引渡しまでの間、米側のエンジニアやプログラマー達がここに常駐して作業を行いました。

一方の海自側では、米国での開発が始まる前から海幕の CCS 幹事室で将来の情報システムについて研究を行なっていたメンバーを中心にしたチームを米国に送り込んで、米海軍の最新のシステムを研修させたのです。

このメンバーは WES の開発が始まるとこれの研究に取組み、次いで海自 PGC のテストサイトでの作業に移行すると、今度は領収後の自前の維持管理要員の育成を担当しました。

特に、プログラム2科長の大熊康之3佐 (当時) を長とするソフトウェア要員の教育訓練はその中心となり、これは後に海自内でも通称 「大熊学校」 として知れ渡ることになりました。

そして PGC のプログラム2科は、次第に海上自衛隊におけるデジタル・コンピュータを利用する艦艇戦闘情報処理システムについて研究・開発を担当するシンクタンク的存在となっていったのです。

(この項 続く)
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posted by 桜と錨 at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと