2016年12月26日

朝雲新聞 (2)


朝雲新聞の12月22日号が届きました。

「世界の新兵器」 コーナーでは私が担当する艦艇編の2回目として、今回はアルジェリア海軍の MEKO A-200AN 「エルラディ」 級を採り上げました。

Asagumo_Shinbun_h281222.jpg

( 文字が小さくて内容は読めないかもしれませんが ・・・・ 自衛隊及びミリタリー関係に興味のある方は是非定期購読を )

お馴染みドイツの MEKO シリーズの最新型で、満載排水量 3,700トンの船体に斬新なアイデアと多彩な兵器を盛り込んだ大変有力なフリゲートで、しかも建造費約500億円というものです。

日本の護衛艦の調達・建造形態からみると驚くべきものですね。


さて、次回は何にしましょうか。

posted by 桜と錨 at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2016年12月25日

艦隊司令部職員の構成と職務 (4)


さて、前述の明治22年に制定された 「艦隊條例」 と 「軍艦條例」 ですが、これらはそれまでの海軍省達などではなく、勅令となっています。

これは、この年の2月に大日本帝国憲法、俗に言う明治憲法が発布されたことによります。 即ちその第12条で、

 第十二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及其ノ常備兵額ヲ定ム

とされました。 これがいわゆる 「編制大権」 と言われるもので、これによって関連する法規類も勅令によることとなったわけです。 因みに第11条が有名ないわゆる 「統帥大権」 です。


そこで、前述した明治17年の 「艦隊編制例」 及び 「艦隊職員条例」 と同時に定められた司令長官等及び艦隊職員に対する補佐業務のための 「旗艦増員表」 です。

この海軍省達として定められた旗艦増員表は明治19年2月19日に廃止されました(達丙28号)。

Kikanzouin_haishi_M1902.jpg

換わって同日付の海軍省達丙29号によって、旗艦の構造により増員する上限を示すものとなります。


そして明治22年の憲法発布により、艦隊條例などと同様にこれも23年10月になって勅令として定められることになります。

これが 「鎮守府艦隊司令長官旗艦増加定員表」 (勅令239号) で、更にこの増加定員の内訳を示したものが 「同 識別表」 (達392号) です。


この時の増加定員表には司令官旗艦についての定員増加は有りませんでしたが、明治27年6月の艦隊條例改訂に併せ、同年7月に旗艦増加定員表が改正 (勅令71号) されて司令官旗艦にも増員されることとなりました。



そこでこの明治27年ですが、この年に朝鮮で発生したいわゆる東学党の乱は静まることはなく、6月になって鎮圧に失敗した朝鮮政府が清国に助けを求めるとの情報が日本にもたらされました。

これに応じて6月5日には前年の5月19日に制定された「戦時大本営条例」(勅令52号)に基づいて大本営が設置され、朝鮮国内の平定と居留邦人保護のための出兵の体制を整えます。

海軍も情報収集を兼ねて朝鮮周辺に艦艇を集中すると共に、7月13日これまでの常備艦隊に加えてもう一つ、臨時に 「警備艦隊」 を編制し、19日にはこれを 「西海艦隊」 と改称します。

Keibikantai_M27.jpg   Saikaikantai_M27.jpg

そしてその19日付けで常備艦隊と西海艦隊の2つをもって 「連合艦隊」 が組織されました。 ここに 旧海軍初の連合艦隊が誕生 することになったのです。

Rengoukantai_M27.jpg


ところが、ここに大きな疑問があります。 なぜなら6月に勅令をもって定められたばかりの 「艦隊條例」 ではその第2条で

第二条 艦隊ハ之ヲ常備シ又ハ臨時編制ス 其ノ名称ハ特ニ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

とされているからです。

この規定にもかかわらず、警備艦隊の編制及びその西海艦隊への改称はそれぞれ 「海軍省達117号」 及び 「同122号」 によってなされており、更に連合艦隊の編制については大臣官房から 「官房2019号」 により示されているに過ぎません。

もちろんこれらは全て上裁の上で裁可されていますが、ではなぜ勅令として出されなかったのか?

Keibikantai_jousai_M27.jpg   Seikaikantai_jousai_M27.jpg

Rengoukantai_jousai.jpg

いくつかの理由は考えられますが、“これだ” という史料がありませんので実際のところは不明です。


なお、この連合艦隊ということについてはまた後でお話しする予定です。

-------------------------------------------------------------

前 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (3)

次 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (5)
posted by 桜と錨 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年12月24日

クリスマス・イブ


私はどうも人混みが苦手ですし、しかもクリスマス・イブだからと言ってわざわざ街に出かけて派手にやるのもあまり好きではありません。 ( あっ、飲み会・忘年会は別です。)

子供の頃からイブは家で家族と一緒に、そして船乗りになってからはクリスマスや年末・年始は進んで当直を引き受け、調理員の人達の腕を振るった特別献立を楽しむ。 クリスマス・イブとはそうした静かなものだと思ってきました。

( まあ、デートする相手もいなかったというのもありますが (^_^; )


そこで今年は折角ですから家内と一緒に近くの教会のミサに行ってみることに。

Xmas_missa_h281224_01.jpg

田舎の住宅地の中にポツンとある小さな教会で、普段は日曜礼拝と金曜日以外は誰もいないところです。

Xmas_missa_h281224_02.jpg

中も小さな礼拝堂があるだけの簡素な作りですが、これはこれで良いかも。 今夕は集まっていたのは近くの信者の方々が約20名ほど。

祭壇周りにキャンドルが灯され、他には小さなクリスマス・ツリーが片隅に置かれている程度の質素な飾り付けです。

ミサは牧師さんの話しも程よく、信者の方々も少人数ながら皆さん互いに顔馴染みのようで、堅苦しい雰囲気はなく、なかなか良かったです。


実は私はクリスマス・イブのミサに行くのは実に60年振りです。

当時長野に住んでいましたが、近くにカナダ人の経営するミッション系の 「旭幼稚園」 というのがありまして、ここに3年間通いました。 (今も別の所へ移転して存続しているようです。)

Asahi_youchien_1956.jpg
( 1956年春の最上級園児卒園式での記念集合写真 )

ここは普段は特にキリスト教関連のものは無かったのですが、毎週日曜日に教会へ礼拝にだけは行かされました。

また毎年クリスマス・イブには夕方から幼稚園でシスター達によるキャンドル・サービスに続きミサが行われたあと、簡単なお食事会 (もちろん園児ですから晩餐といえるようなものでは) があったことを覚えています。

ですから、その後はキリスト教徒になったわけではありませんが、教会などの雰囲気は今でも嫌いではありません。 それに賛美歌は好きですので、今でもほとんどの曲は歌えますから。


で、家に戻ってからは、デートの約束がない三女と老夫婦の三人で家内の手作りの料理で食事を。

一匹丸のローストチキンなど大変に美味しかったのですが ・・・・ 写真を出すとまた家内に怒られますので (^_^;

posted by 桜と錨 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年12月21日

艦隊司令部職員の構成と職務 (3)


明治17年に定められた 「艦隊編制例」 は、明治22年になって 「艦隊條例」 (勅令100号) となました。


この條例によって、これまで大・中・小の3種であった艦隊の区別がなくなり、艦隊司令長官は大中少将のいずれでも良いことになります。

そして大・中将が司令長官の場合で艦隊の隻数が多い時には、その下に少将又は大佐の司令官を置くことができるようになりました。

この條例に併せて7月29日、海軍省達294号によって常備小艦隊は 「常備艦隊」 と改称されます。

Joubikantai_kaishou_M2207.jpg

これにより小艦隊ではなくなったことにより、井上良馨司令官は少将のままで 「常備艦隊司令長官」 となりました。 ただし少将ですのでその幕僚には参謀長がおりません。


この艦隊條例には艦隊の編成についてだけではなく、司令長官等や艦隊職員についても盛り込まれ、“艦隊及びその司令部とは何か?” ということが次第に明確になってきました。

そしてその職員としてこれまで 「属員」 と呼ばれていたうち、参謀長、参謀、伝令使、秘書については初めて 「幕僚」 という名称となりました。 

bakuryo_M22_s.jpg

また、この艦隊條例制定と同時に 「軍艦條例」 (勅令99号) が制定され “軍艦はどのように運用さるか?” が明確となり、そして艦隊に編入中といえどもその本管 (所管) は鎮守府にあることが規定されました。


いわば艦船の修理・補給などの後方支援や准士官以下の乗員の人事などは所管の各鎮守府が全て一括して担当し、任務行動が可能となった 「在役艦」 を艦隊に派出するという形になったわけです。

これによって各艦の艦長はもちろん、艦隊の司令長官等も後方支援や人事などについて所管の鎮守府と調整すれば良く、スッキリとした形となり随分と楽になったと言えます。


次はいよいよ連合艦隊の誕生となります。

-------------------------------------------------------------

前 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (2)

次 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (4)

posted by 桜と錨 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年12月19日

我が家のクリスマス・デコ


先日クリスマス・ツリーを出してきたことをお話ししました。


庭側から見るとこんな具合でチカチカしています。

Xmas_deco_2_h281218_02.jpg

こうしてみていると、我ながらだんだんクリスマス・ムードになってきたなという気がします。

で、その後ですが ・・・・ 家内の手によって玄関の靴箱の上がこんな風になりまして 、こういうものならどこの家庭でも飾られるでしょうから、これはこれで良いのですが ・・・・

Xmas_deco_2_h281218_01.jpg

昨日、庭の木がこんな風になってしまいました (^_^)

Xmas_deco_2_h281218_03.jpg

枝の上にソーラー充電式の沢山の豆球の列を這わせてチカチカやっており、そしてこれもソーラー充電式のライトで下から木を照らしています。

道路側からは隣家と我が家に挟まれたその奥になりますのでほとんど見えませんから、まあいいかと。

Xmas_deco_2_h281218_04.jpg

でも普段は小さなランタンのほの明かり以外は真っ暗な庭ですから、裏の家からすると “一体何を始めたのか” と呆れられているかもしれません (^_^;

う〜ん、こうなると残りはあと玄関の外周りかな ・・・・ ?
posted by 桜と錨 at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

艦隊司令部職員の構成と職務 (2)


前回お話ししたように、明治17年の 「艦隊編制例」 とその関連の規定により、ようやく今日の 「艦隊司令部」 に通じる姿が出来てきました。

とは言ってもまだまだ荒削り、試行錯誤の段階であり、艦艇が次第に整備し始めるに併せて順次改定・修正が加えられつつ形を整えていくことになります。

これらの詳細については機会があれば別項にてお話しすることとし取り敢えず先に進みますが、ここでは一つ補足をしたいと思います。 それは艦隊の指揮官の名称についてです。


明治3年に初めて小艦隊が編成された時は、その指揮官の名称は 「小艦隊指揮」 でした。

その後 「艦隊指揮」 「艦隊指揮官」 「艦隊司令官」 などが使われていましたが、明治15年になって海軍省達丙70号によってこれらを 「大 (中) (小) 艦隊司令官」 と呼ぶことで統一されました。

Kantaishireikan_kosho_M15.jpg

そして更に明治17年には同じく海軍省達丙139号によって大 (中) 艦隊は 「司令長官」 と改正され、小艦隊は 「司令官」 のままとされました。

これが後に 「(連合) 艦隊司令長官」 「戦隊司令官」 へと繋がっていくことになります。

kantaishireichoukan_kosho_M17.jpg


ついでにもう一つ、明治17年の 「艦隊編制例」 によって艦隊はその編制される軍艦の規模によって大、中、小の3種に分け、そしてこれら常備又は臨時に編制されることとされました。

そこで、これに基づき翌18年12月29日になって、海軍省達丙82号により当時編制されていた中艦隊の8隻をもって 「常備小艦隊」 が編制されました。

joubishoukantai_hensei_M18.jpg

初代の司令官には 「扶桑」 艦長であった相浦紀道大佐が少将に昇任の上での補職です。 もちろん小艦隊ですから、司令長官ではなくて司令官です。
 
この常備小艦隊は 「艦隊編制例」 の規定によりその編制目的が冠された初めての艦隊名となり、また明治・大正・昭和を通じて連合艦隊が編成された場合を除き、常設の艦隊が置かれる始まりとなりました。

-------------------------------------------------------------

前 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (1)

次 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (3)

posted by 桜と錨 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年12月17日

呉のイルミネーション


昨日は同期会の呉地区忘年会でした。 こちらは例によって2時間、それはもうワイワイガヤガヤで、大変に楽しい一時でした。 周りのグループの方々はさぞうるさかったのでは (^_^;

で、いつもどおり参加者全員が二次会無しの一次会のみで一斉解散となりましたので、折角ですから呉のクリスマス・イルミネーションを見てきました。 私はこれを見るのは初めてです。

呉市街の中心部を流れる堺川とこれと並行する蔵本通りとの間に、毎年2区画分だけイルミネーションが施されます。

まあ何というか、呉らしい飾り付けです。 全国広しといえども、これらがメインというのもちょっと珍しいでしょう (^_^)

kure_Xmas_illumi_h281216_03.jpg

kure_Xmas_illumi_h281216_01.jpg

kure_Xmas_illumi_h281216_04.jpg

一個所だけは、子供さん向けのコーナーもあります。

kure_Xmas_illumi_h281216_02.jpg

金曜日で、しかもまだ20時過ぎでしたので、結構家族連れやグループ、カップルなどの姿がありました。

ただ、これも呉の現状を現しているのでしょうか、クリスマスのこの種飾り付けはここだけしかなく、他には街路樹のイルミネーションなども全くありませんので、ちょっとこの区画だけが異空間というか、異質な雰囲気になっているのが少々残念かと。

posted by 桜と錨 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年12月11日

艦隊司令部職員の構成と職務 (1)


これもネットにあった話題からです。

某所で旧海軍の艦隊司令部などの参謀や幕僚などの構成とその職務についての質疑応答がありました。

その某所では内令定員表についてだけで良かったのかもしれませんが、これをきちんと説明するには、そもそも艦隊とは何なのか、艦隊司令部とは何をするところなのか、という基本的なところから進める必要があるでしょう。

そこでまずはその概要から。


旧海軍において艦隊というものを編成したのは明治3年7月25日のことで、普仏戦争勃発により中立を堅持し周辺海域の海防を確立するため、太政官より 「艦隊」 の編成が命ぜられ、横浜、兵庫、長崎の各港に小艦隊1個ずつを配備したことに始まります。

kantaihensei_M030725_p01.jpg

( 今に残るこの太政官の記録文書には内容的に誤りや矛盾点などが多くあって色々と問題も多いのですが、これについては省略いたします。 ともかく、艦隊の編成について出てくる最初のものということで。)

ただし、この時はまだ艦隊の編制について明文化された規定はなく、翌4年に制定された 「海軍規則並諸官俸給表」 において大中小艦隊について初めて定められました。


そして艦隊について改めて単独の規則として定められたのは明治17年の 「艦隊編成例」 (丙136号) によってです。


この中で注目すべきは、初めて 「連合艦隊」 という言葉が出てくることです。

そしてこれと同時に 「艦隊職員條例」 (丙137号) によって司令長官・司令次官・司令官 (以下単に 「司令長官等」 という) 及びその参謀長以下職員の職名、階級、員数が定められるとともに、司令長官以下の簡単な職務概要が規定されました。


この中で、参謀とは 「司令長官等謀略の資に供するを任とす」 (第37条) とされています。 なお艦隊職員の内、参謀長、参謀、伝令使及び秘書はこれを司令長官等の 「属員」 と称され、まだ 「幕僚」 という用語は使われておりません。

また当時はまだ 「司令部」 という概念はありませんでしたので、これら旗艦に乗艦する司令長官等と艦隊職員の雑務と身の回りを担当する下士官兵は、「旗艦増員表」 (丙138号) によって旗艦乗員の増員として取り扱われておりました。


因みに、軍楽隊一隊が旗艦増員として乗艦するようになったのは明治22年からのことです。


(12月15日追記):

明治22年からというのは、制度上の定員としての話しですので間違えないようにしてください。

実際に海軍軍楽隊が初めて艦船に乗り組んだのは明治16年当時中艦隊旗艦であった 「扶桑」 であるとされていますが、これが一時的であったのか常駐であったのかはわかりません。

ただし当時の海軍軍楽隊の状況からするならば、明治22年までは必要の都度であったと考えられます。

-------------------------------------------------------------

次 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (2)

posted by 桜と錨 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年12月10日

「この世界の片隅に」


今標題のアニメ映画が評判になっているようですが、(株) 三宅本店さんの工場売店にこんなものがありましたので、我が家用にも1本。

senpuku_h281209_01.jpg

「千福」 の720ml瓶に、中は 「大吟醸」 だそうで、これを記念ラベルに貼り替えて季節商品の一つとして販売しているのだとか。

senpuku_h281209_02.jpg

しばらくリビングに飾っておいて、お正月に娘達が帰ってきたら飲むことにしましょうか。

それにしても、なかなか商売上手ですね (^_^)

posted by 桜と錨 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年12月07日

軍艦吉野か、巡洋艦吉野か


先月の 「加藤友三郎元帥研究会発起会」 において、加藤元帥の経歴に関連して英国で建造した 「吉野」 の監督官兼回航委員であり、初代の砲術長であったことから、これを紹介する時に 「軍艦吉野」 と 「巡洋艦吉野」 のどちらが正しいのかが話題になりました。

この時に私がお答えしたのは “両方とも正しく、どちらでもOK” ということでした。

これについて少し説明をしたいと思います。


明治23年度第1回帝国議会において協賛され裁可された24年度の海軍の新たな軍艦建造計画は、軍艦3隻 (3,500トン、2,500トン、750トン) で、これらは後にそれぞれ 「吉野」、「須磨」 及び 「龍田」 として就役することになります。

ここで当時の旧海軍における艦船の分類についてどうなっていたかですが、

後の時代のように軍艦を類別して一等・二等戦艦、一〜三等巡洋艦などのようになるのは明治31年のことで、これが後に 「艦船類別標準」 へとなります。


「吉野」 の計画〜就役の時期である明治24〜26年の当時は、明治23年に定められた 「海軍艦船籍條例」 (達291号) の時代でした。


これに基づき、国内建造の艦船は命名式、即ち進水式の時をもって、また国外建造の艦船の場合は引渡、即ち就役の時をもって、海軍艦船籍に登録されます。

したがって、「吉野」 は英国アームストロング社から引き渡された明治26年9月30日をもって海軍の艦船籍に編入され、第一種の軍艦となったわけです。 大日本帝国海軍の 「軍艦吉野」 です。

しかしながら、これは海軍における艦船の公式な区別、類別であって、「吉野」 がどういった艦船のタイプ、艦種のものであるかとは別のことになります。

明治24年に建造予算が成立した当時、この3,500トン型のものは海軍部内において 「二等巡航艦」 と呼ばれていました。

この 「巡航艦」 というのは本家サイトの 『懐かしの艦影』 コーナーで公開している旧海軍の公式写真帳 『大日本帝国軍艦』 及び 『大日本帝国軍艦2』 にある要目表でも使われているとおりです。

もちろん「巡航艦」とは、世界共通的な (というより手本たる英国での) 呼称である 「Cruiser」 の当時の日本語表記です。

そして、これの建造が英国に発注され、次第にその姿が明らかになるに連れ、英国における艦艇の状況についても情報が入ってきた結果、旧海軍での呼び方も少しずつ変わっております。

即ち当初は 「巡航艦」 の内の 「二等巡航艦」 であったものが、アームストロング社との建造契約の段階で 「迅速鋼鉄防禦巡航艦」 という表現となり、明治25年半ば頃から現在の用語である 「巡洋艦」 というのが文書上に出始めます。 これにより 「迅速防禦巡洋艦」 なども使われるようになります。

そして25年8月の命名時には単に 「巡洋艦」 とされています。

Yoshino_meimei_01.jpg

( 旧海軍部内においては、この明治25年半ば頃に従来の 「巡航艦」 という用語が正式に 「巡洋艦」 に換わったと判断されます。)

これを要するに、帝国海軍艦船籍の艦船としては 「軍艦吉野」、艦種としては 「巡洋艦吉野」 ということで、どちらも正しいことになります。


なおついでですので 「吉野」 に関連して、例えば次の写真などは故福井静夫著 『海軍艦艇史2』 にも掲載されているものです。

Yoshino_fukui_01_s.jpg

そのキャプションに

“日清戦役当時の世界最優秀巡洋艦の勇姿を示し、以来、内外に著名の写真である”

となっていますが、残念ながらこの写真は後からコントラストを強調した上で軍艦旗などが書き加えられたものです。

この写真のオリジナルは本家サイトの 『懐かしの艦影』 コーナーで公開しているとおり、明治26年9月の全力公試時のもので、艦橋付近に安社の技師などが写っています。

Yoshino_trial_0rig_01.jpg

Yoshino_trial_0rig_02.jpg

流石に海人社の 『世界の艦船』 は、「日本巡洋艦史」 や 「日本軍艦史」 などでもこのオリジナルと同じものを掲載し、きちんと解説が付いていますね。

posted by 桜と錨 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと