前回、高校在学中のメーデーの時のことをお話ししましたが、もしかしてお読みいただいた中には当時のこの都立高校はとんでもないところだったと思われた方もおられるかもしれませんので、少し訂正方々。
私はこの高校で生涯忘れ得ぬ恩師となった教師に出会いました。
この高校は元旧制高等女学校であったこともあって、当時でも女生徒の数の方が圧倒的に多く、しかも1・2年はクラス替えが無くそのまま持ち上がりで、3年になって進路別のクラス編成となりました。
私は理系国公立の大学を目指すクラスを選びましたが、ここにきてやっと男子と女子の比率が逆転しました。
で、当然ながら男子の数が多くなると、それまでの反動もあって (?) 結構ヤンチャ揃いのクラスとなりました。
そしてそのクラスの担任が、これまた生徒に合わせたように、ヤンチャと言うかバンカラで名が知れた生物の名物教師でした。
この教師、クラスの隣が生物の実験室・講堂で授業はいつもここでやっていたのですが、授業中は実験だけでなく講義の時もいつも教室の中をウロウロしながらで、そして何かにつけて後ろから男女関係なく生徒の頭を拳で次々にゴツン、ゴツンと。 これが結構痛いものでした。
このためもあって女生徒達からの評判はあまり良いものではありませんでしたが、私達ヤンチャな男子生徒にはこのバンカラさ故に逆に結構人気があったのです。 私達男子生徒からは 「橋やん」 と愛称で呼ばれていました。
そして登校日には毎日の如く、昼休みにクラスの男子生徒数名で連れだってお弁当を持って生物教室の奥にある準備室兼控室に押しかけ、同室のもう一人の生物の先生も巻き込んで、一緒に食べながらワイワイ・ガヤガヤと。
夏期には冷蔵庫の中の冷たく冷やしたポットのお水を、そして冬期にはストーブがガンガン焚かれていて大変に暖かく、ストーブの上のヤカンではお湯が沸いていましたので、お弁当を食べながらいつも勝手にこれらを (^_^)
しかしながら、このクラス担任もそしてもう一人の先生も、昼休みに毎日の如く押しかける私達に嫌な顔一つせず、いつも一緒になってワイワイやってくれました。
多分そのもう一人の先生にはさぞ迷惑なことではあったかと思いますが (^_^;
日々の話題は他愛もない事がほとんどで、それこそ男達のくせに女の子達のようなおしゃべりの時間でした。 女子高の様な学校の中にあって、先生二人も合わせて男ばかりの小さな世界。
そうした中で、自分の親たちからは言われたことのない (多分他の男子生徒も同じようなものだったかと) 様々なことを教えてもらった記憶が残っています。
世の中の仕組みのこと、人生のこと、仕事というものの考え方のこと、学問を含めた学びのこと、etc.etc. ・・・・
後から考えると、これが私達ヤンチャ坊主にとって有意義な進路指導になっていました。 少人数の男子生徒に対するものではありましたが、まさに教室での授業以外で、学校というものの本来あるべき姿の一つであったのではないかと思っています。
で、この担任の教師が防大を受験するときに私を呼んで、「お前ね、文系が滅茶苦茶だけど理数系はまあまあなので、1年からの成績は学年で2番で生活態度もまじめな生徒だと推薦状に書いておいたから」 と。
この推薦状のお陰もあってか、旧制高等女学校を前身とする本校始まって以来初の防大に合格、進学でした。
そして防大に進んだ後、暫くして我が恩師と仰ぐこの教師が急逝したことを知らされ、後でご自宅に弔問に伺ったことを覚えています。 (確か中国からの帰りだったと聞きましたが、向こうで何かあったんですかねえ ?)
この恩師、これも後で聞いた話ですが、在校当時、国労や様々な労組の一大拠点となっていた某市での日教組の幹部であったとか。
在学中、その様なことはおくびにも出さない、男子生徒にとってはある意味大変面白い教師ではありました。
その日教組の幹部がよくまあ私の防大受験時に推薦状を書いてくれたと思いますが、彼なりに生徒達を大事にする人だったと感じた次第です。
私の人生で忘れ得ぬ人の一人となった、高校時代の恩師です。

( 既に立て替えられて今は無き校舎 )