2018年06月08日

再 ・ 「水交会」 は海自OB会ではありません


同じことは以前も書きましたが、どうもその水交会自身が分かっていないような ・・・・

>「水交会」 は、国の策により、公益財団法人として、一般に門戸を開いた、「海上自衛隊OBを中心とする会」 です。

それは 「OB会」 とは言わないんですがねえ (^_^;

どこの会社、組織、団体であろうと、OB会というのは “OB会員相互の親睦を図る” のがその会の目的のトップです。

あくまでも会員はOBです。 そしてその他に準会員として希望するOBの遺族や現職の人達を認めるところもあるでしょう。

しかしながら “一般に門戸を開いた” などというOB会などあり得ないことですし、かつ組織の目的も全く本来のOB会とは異なります。 これは 「水交会」 の定款を見れば明らかなことです。


これのどこをどう読めば海自OB会と

>決して別物ではありません。

になるのでしょうか?


海自OBの方々の中には覚えておられる方も多いでしょう。

旧海軍出身者を中心として戦後出来た元々の 「水交会」 が本来の会員の自然減少により消滅の危機に陥った時に、当時出来て間もない海自OB会である 「桜美会」 に支援を求めてきました。

この時に一部のOBによってこの桜美会と旧水交会との合同案が出された時に、ほとんどの会員は反対であったと記憶しています。 また旧水交会自身でも異論・反対が多かったと聞いています。

当時私はまだ現役の 「準会員」 でしたが、もちろん反対の立場でした。 海自OB会はあくまでも海自OB会であり、その上で水交会をどの様に支えていくかを考えるべきであると。

海幕副長を努められた佐伯聖二元海将もその反対の立場の急先鋒でした。 曰く “つけを将来の海自OB達に回すな” というものです。

しかしながら 一部の人達によってOB会全体の合意がないまま強引かつ一方的に “合同” という名目で、表向きに耳障りの良い “発展的解消” と言いつつ “事実上消滅” させてしまいました。

その上、「OB会会費」 と言って集めてきたものや、その他全ての資産をOB会ではない水交会に 移してしまったのです。 

この短期間の 「桜美会」 の設立とは何だったのか? 穿った見方をすれば、始めから水交会の資金を集めるための口実だったのではないかと。 そしてその資産を手土産に自分達はそのまま水交会に横滑りしたとも。


そして、今まさに佐伯氏が危惧したとおりのことが現実となっています。

OB会でもないところに単にOBだからといって入る責務はない、というのが多くのOB達の共通認識であり、現在の会員数の減少がそれを如実に表していると言えるでしょう。

しかも現在の 「水交会」 の存在の実態は、その目的とは裏腹に海自という組織と現場の海上自衛官達にまさに “おんぶにだっこ” です。

そして 「水交会」 の役員名簿を見ていただけばお判りのように、役員になるのは元海自の要職にあった人達ばかり (が順にたらい廻しに) であり、彼等が何かにつけ海自の現場に顔を出しては “水交会の役員です” といい顔をしたがる。

それを目の前に見てきた一般の現職の人達が、OBになった時に 「水交会」 に入ろうとは思わないのは当然であり、自然な感覚でしょう。 水交会に海上自衛隊OBが入らない人が多いのは 決して

>今の日本社会のあり様、自衛隊の体質が、大きく影響していると思います。政治、教育、マスコミの誤った影響です。

ではありません。 現在の水交会自身の実態のためです。


誤解の無いように再度申し上げれば、公益財団法人 「水交会」 そのものは “任意の一般加入団体” ですから、それはそれとしてその存在についてとやかく言うつもりはありませんし、また水交会本来の目的と意義は大いに賛同し得るものです。

がしかし、それならば “海自OB会ではない” という一線は水交会自身が正しく、かつキチンと示すべき でしょう。


そして 元海自の要職にあった人達の重要な課題、というよりなすべき責務は“消滅させてしまった海自OB会を再興させる” ことでしょう。

そのOB会を再興させた上で、その次に “では水交会をどのように支援・協力していくか” でなければならないと考えます。


6月9日追記 :

当のご本人はご自分の “個人の言い分だから” と言うだけ言って、私や他の方の異議に何ら答えることなしに一方的に打ち切られてしまいました。

これが水交会自身の考え方でありやり方なんだと言われても仕方ありませんし、これでは海自OBはもちろん、近い将来にOBとなる現役の海上自衛官達に理解を得られるはずのものではないでしょう。

むしろ海自OBや現役の人達にとっては “現在の” 水交会というものに対する不信感を募らせるだけにしか思えません。

posted by 桜と錨 at 18:10| Comment(6) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年06月07日

五井水上機基地


先に関東地方所在の旧陸海軍航空基地の位置一覧図をご紹介したところですが、やはりいくつか入力忘れがありましたのでリストに追加したところです (^_^;

ところで、この一覧の中に入れるか入れないかで迷ったものが一つあります。 それがタイトルの 「五井水上機基地」 です。

この基地、ご存じの方はおられますか?

米軍史料のいくつかの中に出てくるものですが、日本側では旧海軍史料はもちろん 『日本海軍航空史』 (同編纂委員会(海空会)、時事通信社) などでも全く出てこないものです。

米軍史料では終戦時にまだ “建設中” としかありませんので、具体的な位置や実態などは分からなかったのですが ・・・・

国土地理院の写真閲覧ページをサーフィンしていましたら出てきました。 昭和22年の米軍写真に基地全体が写ったものがあります。 ↓↓↓

AB_Goi_photo_1947_01_s.jpg
( 昭和22年の米軍写真を元に加工 )

米軍史料にあるレイアウトの略図ともよく合致します。 ↓↓↓

AB_Goi_layout_01.jpg
( 左側が五井基地、右側が陸軍の千葉飛行場 )


また1945年版の米軍地図でも位置、地形ともに一致します。 ↓↓↓

AB_Goi_map_1945_01_s.JPG

現在の千葉県市原市の五井海岸と言われるところで、コスモ石油の製油所などの工場が並んでいるところです。 工業地帯としての海岸線の大規模な埋め立てによって、現在では全く当時の地形の面影は残されていません。

AB_Goi_sat_h30_01_s.jpg
( Google Earth より )

う〜ん、こんなところにあったんですねえ。

でも米軍史料にもあるように終戦までに完成していなかったようですが、もし仮に完成していたとしても、この時期の東京湾にあってどれだけ活用できたのかは疑問が残るところではあります。


ただし、この五井基地が判明したのはよいのですが、逆にすぐ近くにあったとされる陸軍の千葉飛行場がこの昭和22年の米軍の一連写真でも全く判別できず、分かりませんで ・・・・

posted by 桜と錨 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年06月04日

呉の風景


昨日は講演のために呉に前泊された久野潤氏から昼食のお誘いがありましたので、最も分かりやすい大和ミュージアム前の広場で待ち合わせ。

こんな風景も呉ならではですね〜 (^_^)

Yamato_Hiroba_h300603_01.JPG

posted by 桜と錨 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年06月03日

関東地方所在の旧陸海軍航空基地


先週末に急な上京が入りましてバタバタしましたので、今週の本家サイトの更新はお休みしました。

代わりと言っては何ですが ・・・・

現在旧海軍の航空基地について順次本家サイトにて公開していますが、先週占守島と幌筵島について公開しましたように、やはり旧陸軍の航空基地との位置関係も分かる方がいいかなと思って、手元にあるデータを入力中です。

そこで、その中から取り敢えずのご参考までに Google Earth の画像を使った関東地方に所在した旧陸海軍全航空基地の位置の一覧図をご紹介します。

Kanto_AB_sat_h30_02_mod_s.jpg

一応日米の情報を付き合わせて確実なところを表示しています。

ご覧いただいてお判りのように、陸軍の航空基地の何と多いことか。 ちょっと考えさせられるものがありますね。

もちろんこの他に不時着陸場や終戦間際の秘匿基地、未完成の急造基地などがありますが、これらは省略して入れていません。 (というより私としてはあまり興味がありませんので (^_^; )

代々木の練兵場を不時着陸場として使用することを考えていたようですが ・・・・

このデータを元に、本家サイトの 『旧海軍の基地』 コーナーを今後どうしていくかはこれから考えていくことにします。

posted by 桜と錨 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年06月02日

突然の駆け足上京


急に打ち合わせの件が入りまして、昨日突然の上京となりました。

今回は飛行機ではなく久々に新幹線で東京駅まで出ましたが、何というか完全なお上りさん状態で、都会の変化は早いものと痛感させられた次第です。

用件の方は取り敢えずの立ち上がりの話しで、今後に繋がるかどうかはまだまだ分かりませんが ・・・・ ?

そして急な上京でしたので、私的な予定を入れる余裕はなく、一泊して今日の夕方には戻ってきました。

ただ折角ですから、これだけは見ておきたいと思いまして、東京駅の丸の内側へ。

joukyo_h300601_01.JPG

大変綺麗に整備され、車などは入れない広い広場になっておりました。 東京の鉄道の表玄関として、駅舎の整備と共に大変良い雰囲気です。

もちろん海外からの訪日客や私のようなお上りさんが大勢おり、至る所で皆がそれぞれ思い思いにパチリ、パチリと (^_^)

そして宿は新橋駅近くのホテル。 ガラス張りの客室階通路から下のロビーが見下ろせます。

joukyo_h300601_02.JPG

へえ〜、っと思うところはやはり完全なお上りさん感覚になってなってしまっていますね。

でも観光旅行ならともかく、仕事での上京ですから、私的には昔ながらの極く普通のビジネスホテルの方が何となく落ち着くような ・・・・ (^_^;

posted by 桜と錨 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年05月27日

加藤友三郎研究会年次総会・講演会


本日は日本海海戦において旧海軍がバルチック艦隊に大勝した海軍記念日ですが、まさにグッド・タイミングで一昨年末に発足した 『加藤友三郎元帥研究会』 の初の年次総会、併せて講演会が行われました。

講演は海軍と政治の関わりについて熱心に研究され、この方面の著作も何冊か出しておられる福井工業専門学校の手嶋泰伸氏が 『軍人政治家としての加藤友三郎 −海軍と政党政治のはざまで』 と題して約1時間の話しでした。

tomosaburou_soukai_h300527_01.JPG

内容的に割り当て時間が少々足りなかったかな、という充実したもので、しかもこの手のことを研究される学者の方々にありがちなちょっとアンチミリタリー的なことは一切無く、極めて公平・冷静に分析されたものでした。

まだまだお若いですが、しっかりした研究手法とものの見方、そして健全な判断力を身につけておられ、これからが楽しみなお一人と言えるでしょう。

tomosaburou_soukai_h300527_02.JPG
( ご紹介しても多分問題ないと思いますが ・・・・ )

久々に良い講演を拝聴しました。

posted by 桜と錨 at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

占守島・幌筵島所在の旧海軍航空基地


本家サイトの今週の更新として、『旧海軍の基地』 コーナーに千島列島の内の最北端にある占守島と幌筵島にあった航空基地を追加しました。


ついでに前回同コーナーで海南島所在の旧陸海軍基地の概観を公開しましたが、これに合わせて今回も両島所在の旧陸海軍基地の概観ページを作ってみました。

Shumushu_Para_Islands_AB_sat_h30_01_m_mod.jpg


今回はちょっと遊び心を入れて、位置図の基地タイトルにカーソルを合わせると当該基地に関連する写真・図などが小ウィンドウでポップアップするようにしてみました。

こういう旧海軍のみならず旧陸軍も併せた航空基地の所在地やその概要の一覧という基礎的なデータベースが、出版物でもネット上でもなかなかありませんので、私なりに面白いのではと思っています。

ただし Java Script をオフに設定されていると表示されません。

また、Google Chrome では確認しておりますが、もしかすると他のブラウザーでは上手く表示されないかも知れません。


なお当該コーナーの次の機会には、残りの幌筵島以南の千島列島、次いで樺太所在の航空基地をやってみたいと思っていますが・・・・


posted by 桜と錨 at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年05月22日

オコゼのお刺身


いつものお魚屋さんを覗いてみましたら、若大将が私の顔を見るなり “今日のお勧めはこれ、お刺身になるよ” と言って大きなオコゼを。

ご存じのとおり、オコゼはお刺身にすると身は少ししか取れませんので、余程サイズが良くないとできません。

いつもは20センチくらいのが並んでいますので時々唐揚げにしますが、その度に私が “これのお刺身が食べたいよね〜” と言っていますので、今日はいの一番に声をかけてくれました。

早速まだ活きてピョンピョンしている中から一番大きな30センチ近いのを2匹選んでもらってお刺身用に捌いてもらいました。

夕食の時に、淡泊な味とコリコリした食感で、家内や末娘も “美味し〜い!”

okozenosashimi_h300522_01.JPG

それはそうでしょう、都会の普通のお魚屋さんでは、まだ活きていてしかもこれだけ形の良いものはまず手に入りませんから。

身よりも遙かに大きなアラ。 並べて比べてみるとオコゼのお刺身が如何に贅沢なものかが。 勿論コレのお味噌汁も堪りません (^_^)

okozenosashimi_h300522_02.jpg

posted by 桜と錨 at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年05月20日

艦砲操式沿革と改訂経緯


本家サイトの今週の更新として 『旧海軍の砲術』 コーナーで 『艦砲操式沿革と改訂経緯』 のページを公開しました。

  http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/ijn_frame.html
  http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/soushiki/soushiki_enkaku.html

本家サイトで旧海軍の砲戦術史の連載を始めまして、先日その第1部たる明治40年代の砲戦術の解説まで終わり、続いて大正初期のことに入る準備をしております。

この砲戦術に関連して、やはりこの 「艦砲操式」 についてご理解いただいておく必要があると考えた次第です。

「艦砲操式」 と言いますのは、単に 砲熕武器の操作法だけではなく、砲台員がチームとして射撃指揮官の指揮に従ってその 砲台において “どの様に射撃を行うのか” ということも含めたもので、艦砲射撃、そして砲術の基礎をなす重要な部分の一つです。

Kanpousoushiki_M36_cover_s.JPG
( 明治36年改訂版の艦砲操式の表紙 )

そしてその反面で、砲熕武器という本来爆発物を取り扱う大変な危険を伴うものですので、この 「艦砲操式」 の変遷というのはある意味で 砲熕武器の損傷や人員死傷の事故による教訓とその改善の積み重ねの歴史 でもあります。

旧海軍が砲術を発展させていく中で、こういう大変な苦心・苦労を積み重ねてきたということをご理解いただければと思います。

全て旧海軍自身の手になる各種史料に基づいておりますが、当該ページの様な内容を纏めたものは初めてのものであろうかと自負しております。

posted by 桜と錨 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年05月13日

十四糎砲の被帽通常弾


先週、本家サイトの掲示板の方で 「五十口径三年式十四糎砲」 の 「被帽通常弾」 についてのお尋ねがありましたので回答を付けたところです。

質問された方からのお返事はありませんのでご理解されたのかどうかは判りませんが、折角の機会ですから、本家サイトの今週の更新として 『旧海軍の砲術』 コーナーにて同砲及装薬等、そして同砲用の 「被帽通常弾」 のデータを追加公開いたしました。

http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/gun/gun_data/gun_data_main1.html
http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/ammo/proj/proj_data_main1.html
http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/ammo/powder/powder_data_main1.html

14cm_50cal_Type3year_draw_mod.JPG

14cm_capped_common_mod.jpg

14cm_50cal_powder_mod.jpg

余程の方でないとここまでの詳細データは必要とされないでしょうが、私のサイトならではということで、こういうものもキチンと残しておかなければと思っております。

それにざっと眺めていただくと、色々と興味深い点にもお気付きになることもあって面白いのではと。

posted by 桜と錨 at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し