本回想録は、辰巳保夫氏が第19期乙種飛行予科練習生として三重海軍航空隊に入隊し、その後志願して第12震洋隊に配属となり、そして同隊と共にフィリピンへ進出した時の物語です。
先の回想録 『聖市夜話』 及 び『飛翔雲』 と同じく、私が若かりし時代に海上自衛隊の部内誌に連載されました。
しかしながら、その後この回想録は再び世に出ることはなく、そして本回想録が掲載された海自部内誌そのものも、今日となってはもうほとんど残っておりません。 私が知る限りでは2か所のみです。
私も定年退官した今、この素晴らしい回想録が現役の若い海上自衛官のみならず、ましてや一般の方々の目に触れず、このまま消え去ってしまうのは如何にも惜しい、勿体ない、そう思わずにはいられません。
著者の辰巳保夫氏については、残念ながら私は戦後に海上自衛隊に入隊され、本回想録を投稿された時には横須賀教育隊勤務だったとしか存じ上げません。 もし詳しい経歴などをご存じの方があれば是非ともご教示いただきたいと思います。
ご本人のその後のことなども判りませんので、私のこのブログでの掲載に当たり著作権などについての許諾は得ておりません。 また海自の発行元にも版権や編纂権上の承諾も得ておりません。
したがって、正式にはそれらのことを無視したものであることを承知の上で掲載いたします。 それは上に記したとおりの気持ちからです。
このブログにご来訪の皆様も、是非じっくりお読みになり、この回想録の素晴らしさを味わって下さい。
ただし、正当な権利を有する方からの要求があった場合には直ちに削除することは言うまでもありません。 これが前提での掲載であることを予めお断りしておきます。
なお、海自部内誌に連載された時の元々の標題は 『17フィートのベニヤボート』 ですが、ブログでの掲載に当たりカテゴリーの長さの都合上もあって 『第12震洋隊物語』 とさせていただきました。
まえがき
この手記は、“海軍特別攻撃隊” 「第12震洋隊」 を中心とした隊員の物語である。
時は昭和19年の夏、南太平洋上及びその周辺において日米両軍の死闘は熾烈をきわめ、米軍の反撃は急速化し、7月サイパン島守備隊は玉砕、連合軍は次いでグアム島、テニアンへ上陸、8月テニアン守備隊玉砕、グアム島守備隊も粉砕されるなど日本軍の敗退の報が次から次へと知らされ、軍人はもとより日本全国民は皇国日本の危急存亡をかける一大決戦の迫ったことをひしひしと身に感じ、総力を挙げて連合軍の猛反撃を食い止めんものと立ちあがったのである。
かかる重大戦局を前にし、海軍軍人の一人としてまた憂国の志士として、この危急を救わんがため若き飛行予科練習生の一団が肉弾による決死行をみずから志願し、比島戦線に出陣し敵艦に壮烈な体当たりを敢行、名誉の戦死を遂げたのである。