第8話 南寧整備隊 (2)
昭和15年6月〇日、整備隊は緊迫した空気に包まれていた。
「俺が整備した飛行機がエンジン不調ということはあり得ん。 何かの間違いだ!」
「しかし、ただ今、隊長機から、貴陽上空でエンジン不調、帰投困難という電報が入ったのだ。 作戦室からの連絡だ。」
「隊長 (私) は防空砲火に射たれたかも知れん。 俺の整備した飛行機のエンジンは、敵に射たれん限り、ストップすることは絶対にない。」
隊長機の担当整備班長草野上整曹は、何と言われようと、自分の整備した飛行機が今、敵上空でエンジントラブルを起こしているとは信じなかった。
彼は青白い顔を引きつらせて、指揮所の屋上見張台に駈け昇って、4時間前に攻撃隊が消えて行った貴陽市の方位330度の空を睨んで、双眼鏡を目から放さなかった。
その頃、私は貴陽市上空にあって、悪戦苦闘の最中であったのである。
貴陽市は、南寧市の北北西260浬、重慶の南180浬の地点にある。 当時、北部仏印から南西ビルマに亘る海岸に揚陸された物資が、貴陽市を経由して中国首都重慶に陸送されるので、これを封ずるために陸軍の南支作戦が開始された。
この作戦に呼応して、昭和15年5月、私達第十四航空隊は、南寧市を基地として貴陽攻撃を開始したのであった。
この日の作戦では、私は艦爆9機を率い、貴陽市北東郊外に集結したトラック群を奇襲した。
トラック数十台は、私達の攻撃によって炎上し、貴陽市と重慶に通ずる道路を一時遮断することに成功した。 敵の防禦砲火は機銃数門に過ぎなかったので、私達に直接の被害はなかった。
ところで、貴州省都貴陽市とは、
「西洋の家に住み、日本の女性を妻に持ち、支那料理を食べ、死んだら貴陽の棺桶に眠る。」
という諺からも察せられるとおり、深山幽谷に包まれた古都であって、黒檀製の棺桶の名産地であった。
棺桶を爆撃するつもりはなかったが、巻き添えを喰って燃えた棺桶もあったかも知れない。 黒檀は燃えて黒煙を発し、怨霊が中空にさまよい、私の飛行機はその崇りを受けたのであろう。
高度4千米から約65度の降角で急降下に入り、1千2百米で爆弾を投下し、引き起こして千米からエンジン全速で急上昇に移った時、燃圧が零となり、息をつき始めたのだ。
貴陽市の標高は6百米、高度の余裕は4百米しかなかったので、急いで燃料タンクを右翼から胴体に切り換え、ハンドポンプを懸命に衝いた。 エンジンは小刻みに息をついた。 喘ぎながらやっと水平飛行が可能であった。
全神経を爆音に集中し、注射ポンプの蓋が緩んではいないか、高度バルブが開き過ぎてはいないか、燃料コックは正しく開いているかを調べ、全動力計器に目を配った。
ブースト (混合気の吸入圧で一気圧を零とし、プラス (原著では〇中に+の字) マイナス (〇中に−の字、以下同じ) で示す) はプラス50粍であったが、大きく揺れていた。 筒温、油温、排温は正常位を示していたが、燃圧が殆ど零になっていた。
それから約30秒後、ブーストと回転は急落し、エンジンは空転を始めた。 その瞬間、胃袋は引きつり、全身が硬直した。
私は燃料が切れたと判断し、必死でポンプを衝きながらスロットルを巡航状態まで絞り、機首を下げて滑空状態に入った。 貴陽市の街の屋根が大きく近づいてきた。 それは網膜を刳 (えぐ) るような印象であった。













