2011年06月22日

VT信管と対空射撃 (2)


 対空戦能力の評価要素

 太平洋戦争中の日米両海軍艦艇による対空戦の実態をお話しするとは言っても、両海軍艦艇で使用された対空武器システムについては、その総ての種類を網羅してご説明することはとてもではありませんができませんので、HN 「猫」 さんからお尋ねいただきました第2次大戦中の日米両海軍の代表的なものに絞ることとします。

 具体的には次のシステムです。

   米海軍側 : 射撃指揮装置Mk−37 + 38口径5インチ両用砲

   日本海軍側 : 九四式高射装置 + 四十口径八九式十二糎七高角砲

 そして、各艦艇のそれらのシステムを中心とする対空戦能力を評価するため、これを次の要素について分けてお話しし、最後にその総括としての総合能力の評価を纏めてみることとします。

  (1) 砲弾 (信管を含む)
  (2) 砲熕武器
  (3) 射撃指揮装置 (FCレーダーを含む)
  (4) 個艦の対空戦システム

 米海軍では大戦後半となりますと駆逐艦以上には艦内にCIC (Combat Imformation Center) が設けられ、ここでレーダーを中心とする戦闘情報が集約され、これに基づく戦闘指揮が行われるようになりました。 これについても最後の項で合わせて触れてみたいと思っています。

 ただし、「対空戦 (Anti-Air Warfare,AAW)」 ということについては、現在では関連する事項を含めますと大変に幅広い内容となります。 また、本来ですと当時の艦隊における部隊防空にまで踏み込んでお話ししないと、なぜ日米海軍の対空戦があの様な様相になり、あれだけの差が出たのかの実態に繋がりませんが、これらについてはまた項を改めて別の機会とさせていただきます。

 つきましては、本家サイトに この 「四十口径十二糎七高角砲通常弾」 と 「九一式信管」 の詳細データについて既にUPしてありますのでご覧ください。

http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/ammo/proj/com_127mm_40cal.html
http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/ammo/fuze/fuze_type91_mt.html

 これのご説明は、次ぎに米海軍側の砲弾と信管のデータをUPしたところで纏めてしたいと思います。

( 現在、本家サイトでは米海軍のページは未開設のままですので、取り敢えず必要なものを公開できるように暫定版を作成中です。 ちょっと思わぬ手間暇がかかっていますが ・・・・ (^_^; )
(続く)

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posted by 桜と錨 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2011年06月19日

VT信管と対空射撃 (1)

 始めに

 本家サイトの掲示板の方でHN 「猫」 さんより次のご質問をいただきましたが、お答えを兼ねて、これを機会に第2次大戦中の日米両海軍の対空射撃について少し纏めてみたいと思います。

 同書 (是本信義著 『日本海軍はなぜ敗れたか』 ) には 「VT信管は化け物か?」 と題する対空射撃に関する項もありまして、日本の九四式高射装置と12.7cm砲に対して米国のMk.37と5インチ砲は命中率において0.3対30〜50%で、米側が圧倒的に有利とする記述がありました。 (最初、日本側は平射砲の三年式かと思ったのですが、高角砲とありました)

 私の知る限り、米軍は比島沖で1000発/機以上の砲弾を使用していたはずですが、是本氏の示された数字は理論値か何かなのでしょうか?

 また、氏はVT信管が有効に機能するためには高性能のGFCSが不可欠であり、また、時限信管であってもGFSC次第で十分な命中率が期待できると述べております。 その根拠として、氏がきくづき砲術長時代に Mk.56 を使用して吹流しへの射撃を行った際に初弾で命中させた例を挙げておられます。 そして、結論として、能力的に不十分な九四式高射装置を使用する日本側にVT信管を配備してもさほど効果がないと結論づけております。 この辺りの信憑性は如何なものなのでしょうか?

 合わせてお尋ねしたいのですが、事例として挙げられている 「きくづき」 のような戦後のフネの場合、砲自体が進歩している上、門数が減少していますから、戦中のフレッチャー級その他と対空射撃の手法が異なると考えてよろしいのでしょうか?

 ところで、先にも是本信義氏の著作 『日本海軍はなぜ敗れたか』 の記述内容につきましてご質問をいただいた時にも書きましたが、私は当該書を読んだことがありませんので、今回は正確を期すために近くの図書館から借りてきました (^_^;

Koremoto_books_01_s.jpg

 この2つの著書とも中で使われているネタはほとんど同じものなのですが、すぐに気がつくのは両書とも論述の具体的な根拠についてその出所 (引用) が全くと言ってよいくらい示されていないと言うことです。 特に今回話題にする対空戦については、私としてもその根拠が一体何に基づいているのか全く判りません。

 つきましては、太平洋戦争当時の日米両海軍の対空戦についてお話しするに当たっては、まず両海軍艦艇の武器システムがどのようなものであったかの実態について、主として双方海軍の部内資料に基づいてご紹介するところから始めることにします。 もちろんこれら資料には戦後のものも含みます。

 内容的には一般の方々にはちょっと詳細すぎるかなと思うところまで踏み込みたいと思いますが、折角の機会ですのでこれまで一般刊行物では出たことのない、桜と錨のブログならではのものにしたいと考えています。

 ただし、纏めるのには少々手間暇がかかりますのでかなりのスローテンポになりますことは予めご承知置き下さい。
(続く)

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posted by 桜と錨 at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2011年06月07日

日米両戦艦の砲術 (補)

本家サイトの掲示板の方にも書きましたが、HN 「猫」 さんからお尋ねいただいた是本信義氏の著作での記述内容につきまして、私は当該書を読んだことはありませんし購入もしておりませんので、正確を期すために近くの図書館から借りてきました。

 つきましては、先にお話しした 「大和」 と 「アイオワ」 の砲戦について、日米戦艦の試射に関する私のコメントで全く間違いはないことを確認しました。


 そして更に、試射に関すること以外でも、この件について是本氏が誤ったことを書かれていることを知りました。 ( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 の p209〜213、及び 『誰も言わなかった海軍の失敗』 の p177〜180 )

 何が正しくないかと言いますと、先にお話ししたMK−8及びMK−13のFCレーダーは勿論ですが、それを用いる米海軍の射撃指揮システムに関する総てについてです。 そのいくつかをご説明しましょう。

Mk-38_Gun_Director_01_s.jpg
( Mk−13レーダー装備のMk−38方位盤 )

 まず、名称からして誤っています。

アイオワのMK38GFCSは
   ( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p213 )

アイオワは大和のそれをはるかに上まわる 「MK−38GFCS」 を装備していた。
   ( 『誰も言わなかった海軍の失敗』 p178 )

とありますが、米海軍にMk−38というGFCS (Gun Fire Control System、射撃指揮装置) はありません。 当該Mk−38というのは方位盤 (Gun Director) の名称であって、「アイオワ」 型はこれと、Mk−8 Rangekeeper (旧海軍の測的盤+射撃盤に相当)、MK−8(Mk−13) Radar Equipment、Mk−41 Stable Vertical などが組み合わされたシステムであり、当時はまだこれらを一括して1つの 「GFCS」 とは呼んでおりません。 ただし、“ is known informally as the Gun Director Mark 38 system ” ではありました。

 たかだか名称ぐらいで、と思われる方もおられるかもしれませんが、このことを知らないと言うことはこの射撃指揮システムのことをキチンと調べていない (判っていない) という証明になります。

USN_GFCS_01_s.jpg
( 射撃指揮システムの構成例  方位盤の図はMk−34ですが、Mk−38でも同じ )

そして、測的及び射撃計算を行う Rangekeeper ですが、

以上のシミュレーションは、弾道計算を行う射撃盤すなわちコンピューターの性能を同じとした場合で、本当は大きな差があった。 「大和」 の九八式射撃盤は、各種データを手動調定して所要の計算を行う機械式だったが、アイオワのMk38GFCSは、当時としては最高の性能を誇る電気計算機を使用していた。
   ( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p212〜213 )

 残念ながらMk−8 Rangekeeper は日本海軍の九八式射撃盤と同じ “完璧な” 機械式です。 そして九八式とは射撃解法のやり方 (理論式) が異なる点を除けば、精度はほとんど互角と言えます。

MK-8_rangekeeper_01_s.jpg
MK-8_rangekeeper_02_s.jpg

 むしろ当日修正などでは九八式の方が優れていた点もあります。 ただし、工業量産品か職人の手作りかという差はありますが。

98shki_shagekiban_01_s.jpg
( 『九八式射撃盤改一参考書』 の表紙 )

 また、砲の操縦については、

自動操縦システムを持たない日本海軍は、砲側に送られてくるデータに基づき、砲台に一名の旋回手と砲身一門に一名の射手がローカル操縦で砲を動かしていた。 「大和」 の主砲三連装三基計九門の場合、旋回手三名、射手九名が必要なのである。 一方、「アイオワ」 は、サーボモーターを使用するフィードバック回路によるリモートコントロールシステムで、自在に自動操縦していた。
   ( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p213 )

 これも残念ながら、「アイオワ」 の主砲でも同じように砲塔に配員が必要であり、各種の操縦モードをその時の状況により切り替えていました。 もちろん氏の言うように Rangekepper から送られてくる発砲諸元により自動操縦を行うこともできましたが、だからといって常にこれで精度の高い砲の指向ができたわけではなく、海面状況などによっては、旋回手と射手による手動操縦 (それも幾つかのサブモードがあります) の方が良好な場合も多いのです。 というより、主用するモードは後者だったのですが。

USN_gun_elev_mech_01_s.jpg
( Schematic Diagram of Gun Elevation system )

 もちろん、米海軍の電動油圧、Aend-Bend などによる制御方式は確かにすばらしいものがありますが、水上目標を照準して追尾している限りにおいては、日本海軍の水圧、基針追針方式でも通常状態なら何等遜色があるわけではありませんし、状況によっては反ってこちらの方が精度が高い場合もあり得ます。

 そして最大の誤りは、先にご説明したMK−8 (Mk−13) FCレーダーです。 氏の言うような性能・能力はありませんでしたし、それよりも何よりも、

満足な捜索レーダーも持たず、射撃用レーダー皆無の 「大和」 は、優秀な捜索、射撃用レーダーを持つ 「アイオワ」 にロックオンされ、何が何だかわからないうちに命中弾を浴び沈没ということになっていたであろう。
   ( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p213 )

 「ロックオン」 という用語をどのような意味で使っているのかの説明がありませんので判りませんが、少なくとも現代における一般的な 「自動追尾・自動照準状態」 ということであるなら、このMk−8やMk−13も含めてその様なレーダーは当時の米海軍には存在しませんでした。 この ↓ ようなコンソールでレーダー員が手動で測っていましたし、ましてや連続かつ平滑化されたデータが自動的に Rangekeeper に入力されるわけではありません。

Mk-13_console_01_s.jpg

 また一方の日本海軍では、レイテ沖海戦までに2号2型の改造によって曲がりなりにも電探射撃ができるレベルにありましたし、捜索用レーダーにしてもこの砲戦距離程度ならばある程度の能力が発揮できましたので、「何が何だかわからないうちに」 となる可能性は低いと言えるでしょう。

 それ以前に、科学的合理性を説く両書において、広い大洋の真ん中で 「大和」 と 「アイオワ」 がそれぞれ単独で会敵して砲戦に至る、と想定すること自体に無理がありますが(^_^;  したがって、

文句なしに 「大和」 に軍配が上がりそうだが、それは海軍砲術を知らない人のまったくの素人考えと言える。 ズバリ言って、この勝負 「アイオワ」 の勝ちである。
   ( 『日本海軍はなぜ敗れたか』 p210 )

ところが、それは海軍砲術を知らない素人の考えなのである。 ズバリいって、この勝負はアイオワの完勝なのである。
   ( 『誰も言わなかった海軍の失敗』 p177 )

 もし是本氏が日米両海軍の砲術・艦砲射撃についてチキンと調べていたならば、少なくともこの様な断言には至らなかったのでは、と残念に思います。

 2回にわたり 「日米両戦艦の砲術」 と題して是本氏の記述の誤りを指摘した種々の事項は、この両書全体の論点からいうと小さなことではありますが、逆に言うと海自OBを名乗り、その上に 「私が護衛艦 「きくづき」 の砲術長を勤めていた時 云々」 と言っているだけに、この様なことをキチンと調べてから誤りの無いように書かないと、折角の著作全体の鼎の軽重を問われることになりかねないでしょう。

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(注) : 本項で使用した写真・図は総て本家サイト 『海軍砲術学校』 所蔵史料からです。
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2011年06月01日

日米両戦艦の砲術

 本家サイトの掲示板でHN 「猫」 さんから次の様なご質問をいただきましたが、私の見解をお答えするには少々長くなりますのでこちらに記事として掲載させていただきます。

 是本信義著 「なぜ敗れたか日本海軍」 の中で、大和 (光学測距) とアイオワ (電測) の比較をした部分がありまして、彼我の距離30,000m、弾着まで1分30秒、修正射に45秒と仮定してシュミレートされています。

 まず初弾が敵艦前方300mに着弾したところから始めて、大和の場合左切れ300m > 「右寄せ10次」 > 全遠 > 「下げ1,000次」 > 全近 > 「高め500急げ」 > 夾叉となって、夾叉まで試射三度、8分15秒を要するのに対して、アイオワは電探 (Mk.8か?) で最初の試射から遠近左右の誤差を測定してその次ぎから夾叉&斉射に移れるように書いてあります。 (測距儀が距離の自乗比で誤差が増えるのに対して電探は誤差が理論上一定であることも強みらしいです)

 ここで疑問なのですが、実際は帝国海軍の射法にも幾つか種類があるわけですし、交互射撃で修正に要する時間を短縮する等のことが行われていたように記憶しています。 実際、氏が主張するように、光学器のみの射撃でここまで時間がかかるものなのでしょうか?

 お尋ねの件の著者である海自OBの是本信義氏ですが、直接の部下になったことはありませんが現役の時に良く存じ上げている先輩です。 部内では有名だった方ですので。 また退職後は幾つかの著書を出されているようですね。

 ただし、氏の著書は読んだことはありませんので、お尋ねの件の内容だけに限って申し上げるならば、残念ながら旧海軍の砲術についてはほとんど調べておられないようです。 また、「アイオワ」 型搭載の Mk−8 (後にMk−13に換装) も含めた当時の米海軍の射撃用 (FC) レーダーにつきましてもその性能要目などの実態についてあまりご存じないように思います。


1.仮定諸元などについて

 射距離3万mで弾丸飛行秒時が1分30秒となっておりますが、明らかに誤りです。 46糎砲の射表がありませんので正確な秒時は出せませんが、40糎砲及び米海軍の16インチ砲の射表から判断しても、常識的には約60秒程 (55〜60秒前後) です。


 以下、ここでは射距離3万mというより飛行秒時60秒の場合としてご説明します。

 また 「修正射に45秒」 とありますが、これは弾着時からこれの観測により修正を行ってその修正弾を発砲するまでの 「修正費消時」 のことと思いますが、明らかに長すぎます。 旧海軍では一般的には10秒程度、長くとも (技量が低い場合) 20秒程度とされています。


2.旧海軍の試射要領などについて

 一斉打方を用いるか交互打方で行くかは別にして、試射を是本氏提示のような 「緩射 (緩徐なる一斉打方)」 で実施することは、少なくとも昭和10年代の旧海軍では特別なことが無い限りあり得ません。

 また是本氏提示の射弾修正における修正量も違います。

( 例えば、修正量 (捕捉濶度)が 1000mであるなどは旧海軍ではありませんし、捕捉後の本射移行の修正量はその半分の500mではありません。 簡単に説明するため切りの良い数字で、というのも判らないことはありませんが、しかしそれでは旧海軍の砲術の正しい解説にはなりません。)

 仰るとおり、旧海軍には試射の要領も含めて幾つかの射法や射撃のやり方がありますが、それのどれをその時に採用するかは何とも言えないものがあります。 砲術長を始めとする射撃関係員の技量や、彼我の対勢、気象海象状況、等々で変わってくるからです。

 ただし、これらのこと総てを脇に置いておいて、単純に “昼間砲戦での極めて平易な状況” でかつ砲機の状態や乗員の能力技能などに問題ないとした場合として考えますと、その標準とする試射のやり方などは当然決められています。

 これにつきましては、本家サイトにある 「砲術講堂」 で 「旧海軍の砲術」 → 「射法」 → 「射法理論」→ 「水上射撃の射法理論」 と辿っていただくと、その中に 「試射の要領」という項目があります。 つまり ↓ で、


 その項にある 「6.試射法の決定」 の一番最後に、標準の適用試射法を記述しています。 これが旧海軍における今次大戦開戦時のものです。

 残念ながら、というより当然のことですが 「大和」 型の射撃データが加味されたものではありませんが、旧海軍の技量という点からは 「大和」 型においても少なくともほぼこのまま適応可能と考えられます。

 したがって 「大和」 型の場合、ご質問の例ではごく普通 (標準) の状況ならば照尺差500m又は600mとする 「初弾観測2段打方」 又は 「同3段打方」 を交互打方によって実施すると考えられます。

 以上のことからするに、その典型的なものが旧海軍史料にありますのでそれをご紹介します。

IJN_shokan3dan_01_s.jpg
( 海軍砲術学校作成のテキストから )

 修正費消時を10秒とし、修正第1弾と2弾で捕捉 (弾着が目標を前後に挟む) して本射に移行する場合に、初弾発砲から本射第1弾の発砲までに2分30秒 (弾着までは3分30秒) としています。 これは旧海軍における大口径砲の射撃のごく一般的な要領の例を示したものです。

 もし初弾と修正第1弾で捕捉したならこれより−10秒、修正第2弾と3弾で捕捉するなら+30秒ですが、後者は旧海軍の射撃データに基づくとそれが生起する確率は低いと考えられます。

 しかも、「大和」 型はその 「九八式射撃盤改一」 において、測距儀(3重 x 4基=12種)や電波探信儀などから合わせて最大15種の測距データを2個の測距平均器により同時に平滑して平均距離を出しますので、これによってかなり測距誤差を縮小することが可能となっています。

 したがって射距離3万m程度ならば、もしかすると 「大和」 型の性能・能力的には 「初弾観測急斉射 (初観急) 」 が適用できた可能性も充分考えられます。 とすると、本射第1弾発砲までは僅かに70秒 (弾着までは2分10秒) となり、これで夾叉できる確率も高いですし、交互打方による急斉射を実施すれば相当早期に有効弾を獲得することが期待できることになります。

 左右誤差については、当時の日本戦艦の術力からすると、初弾からほぼ左右正中が期待できますので、試射においてこの修正はほとんど必要ないと言えます。 (というより、それが過去の射撃成績から期待できるからこそ、この射法適用が決められているのですが。)

 したがって、どう転んでも是本氏の8分15秒などというような見積りは旧海軍の常識から言って絶対に出てきません。 もちろん、射撃指揮官が生まれて初めて射撃指揮をする少・中尉だったと仮定するなら話は別ですが (^_^)

( なお、本射を交互打方から一斉打方に替えるかどうか、替えるとすると本射移行後の何時からか、などはその時の状況によります。)


3.米海軍の砲術について

 一方で 「アイオワ」 型ですが、米戦艦は原則として一斉打方のみです。 そして問題は、当時のFCレーダーはその機能・構造から方位精度 (方位分解能) が非常に悪く、また照準線の決定 (方位は勿論、俯仰も) できませんので、FCレーダーのみでの射撃はほとんど不可能 (=役に立たないという意味) です。

 つまり当時のFCレーダーの利点は、単一データとしては測距儀よりも精度が高い測距データのみということです。 ましてや射撃に有効な精度での左右偏倚量などは得られません。

( 加えて、Mk−8やその前のMk−3はシステムとしての信頼性 ・ 安定性が悪く、このためすぐにMk−13が開発されています。)

 このため有効な射撃を実施するためには、日本側と同じく光学照準が絶対に必要になります。 これはスリガオ海峡夜戦をご覧頂ければお判りと思いますが、FCレーダーのデータのみでは全く当たっていません。 当たる訳がない (確率0%という意味ではありません、念のため) のです。

 これからすれば、要するに試射を緩射で実施するのと同じことになり、夾叉が得られる (=適正照尺が得られる) のは上手く行って第2弾、常識的には (まともな夾叉が得られるのは) 第3弾からですので、60秒+20秒又はその2倍、即ち1分20秒又は2分40秒で本射に入ることができる可能性が高い、ということです。 (日本側より長い修正費消時20秒としているのは、レーダー員の読み取りとそれに基づく修正に時間がかかるためです。)

 ただし、最初から急斉射を実施すれば、もし初弾の修正が正しい場合には急速に有効弾を獲得できる可能性もあります。 もちろん逆に無駄弾(無駄な斉射)も大変に多くなりますが。

 その一方で、弾着観測・修正のやり方は、日本海軍では弾着と目標との距離差は関係なく、単に遠か近かにより公算データに基づいた修正で夾叉に持っていく方法ですが、これに対して米海軍の射弾修正は、弾着観測によってその都度弾着の中心点と目標位置との差分 (観測平均距間量の全量) を修正していく方法ですので、下手をすると夾叉がなかなか得られないということになります。

 しかも先のFCレーダーの性能 (方位分解能と距離分解能) からして、9発の水柱一つ一つがスコープに写るわけではなく、ボヮ−とした一塊の映像 (エコー) ですし、しかもその一塊は実際の水柱の散布界を現すものではありません。

 また、スコープ上で夾叉を確認できたとしても、そのレーダー性能上からどの様な夾叉の仕方なのかはほとんど判別できません。 極めて近距離に弾着した場合、実際には全遠又は全近であっても夾叉のように写ります。 (このレーダー弾観というのは、現在の射撃指揮装置においても大変に難しいものです。)

 したがって、米海軍における射弾修正の適否は、一重にFCレーダー員によるスコープ上の読み取り結果にかかっているといっても過言ではありません。


4.総 括

 以上のことから、3万m程度の昼間砲戦では 「大和」 型も 「アイオワ」 型も射撃計算そのものにそれ程差が出る訳ではありませんので、後は射法 (射弾指導) と射弾精度次第ということになります。

 射撃精度については、大戦後半には米海軍も散布界の短縮などでかなり精度を上げてきたとはいえ、それでも日本海軍の方がまだまだ上です。 つまり夾叉弾が得られた時に、その斉射弾で命中弾を得る確率は散布界が小さい日本側の方が高いと言うことです。

 その代わり、残念ながら、「大和」型も含めて日本側は連続射撃においてどれだけの装填秒時が維持できるのか実績がありません。 基本的に機力に依存する米海軍の方がこの面では有利であることは間違いありません。 実際、大戦中の米海軍の射撃はこれを最大限に活用した方式を採りましたので。 (ただし 「大和」 型の装填機構が実際面でどの程度向上し得たのかは判りません。)

 結果、米海軍の 「数打ちゃ当たる」 方式と、日本側の 「緻密打法」 方式のどちらに分があるか、ということになります。 これはもう、一重にその時の状況次第、と申し上げる以外にはありません。 砲術 ・ 艦砲射撃とはそう言うものです。

 もちろん最初にお断りしましたように、以上のことはあくまでも “極めて単純、かつ平易な状況・状態での単なる一般論” に過ぎないことを改めて申し上げておきます。

 ただハッキリしているのは、是本氏の提示されたものは残念ながら日米両海軍の実態 ・ 実状とはかけ離れており、根拠にも参考にもできない、ということです。

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(6月7日追記) このお話の続きは、



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2011年05月01日

日露戦争期の砲術の話しを終えて

  『艦砲射撃の基本中の基本』 に始まって 『安保清種の砲術』 まで全62回にわたって日露戦争期における旧海軍の砲術についてお話ししてきましたが、これにて取り敢えずこの項は一応の終わりにいたしたいと思います。


 ここまでお読みいただいた方々には、当時の旧海軍の砲術がどの様なものであったかをご理解いただけたものと考えております。

 『別宮暖朗本』 の砲術についての記述は全くのウソと誤りでしかないこともお判りいただけたと思いますが、まあ当該本については話しのネタの “ダシ” に利用させていただいただけですので、この本やその著者そのものについては本来は別にどうでもよいことです。

(もちろん、当該本について砲術以外のことについてはこれからも順次ウソと誤りを指摘して、読まれた初心者の方々がその口調に惑わされて勘違いをしないように事実・史実をお話ししていきますが。)

 日露戦争期における砲戦については、黄海海戦、旅順やウラジオストック砲撃、そして肝心な日本海海戦、特に東郷ターンや丁字戦法、等々採り上げるべきものは沢山ありますが、これらはそれぞれのテーマを設けて改めて別の機会にお話しすることにします。

 実は、この日露戦争期のことは私が本当に書きたいことのホンの “序章” に過ぎません。 「本編」 はこの日露戦争後の近代射法誕生以降のことであり、旧海軍が世界に誇った砲術であり、それに基づく砲戦術の話しです。

 したがって、これまでの話しはその近代射法誕生以前の砲術がどのようなものであったのかを理解していただくためのものであって、この内容を前提として本来のお話しへ続けたいと思います。

 とは言え、照準を始めとする射撃基礎の問題については、これ以前も以降も同じであり、これを近代射法誕生以降どのような形で解決していくのかもテーマの一つになりますので、砲術におけるキー・ポイントとして充分にご理解いただきたい重要な点です。

 そして、日露戦争期の旧海軍の砲術についてここまで詳細かつ具体的に説明したものは、砲術の大御所である黛治夫氏の著書も含めて無かったことであり、初めて明らかにし得たものであると自負しております。

 今後二度と出版物やネットにおいて “日本海海戦において連合艦隊は一斉打方を世界に先駆けて採用して勝利した” などと全く根拠のないことを言う人が出てこないことを願う次第です。

posted by 桜と錨 at 18:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2011年04月27日

安保清種の砲術 (10)


二十七、装甲鈑の背後に於ける充実せる石炭庫は防御上極めて有効なるを実証したり 防御甲板上の炭庫には中甲板の裏面迄毎に隅なく石炭を充実し置くは戦に臨むの準備として特に注意すべき要件の一なりとす


二十八、弾片防御用として釣床 「マントレット」 等の有効なるは既に普く了知せらるる処なりと雖も今回の海戦に於て其効果実に驚く可きものあるを実証したり

殊に艦橋、小口径砲の背後、砲塔砲廓の指揮塔空隙の側背等に使用したる釣床の如きは孰れも多少の破片弾片を食止め明かに人員砲具等を防護し得たる実跡を留め前檣中部の周囲に併縛したる釣床及び司令塔の周囲を巻きたる索具の如きは亦多数の破片弾片を食止め大に其散乱を防阻したるを証せり 「マントレット」 は釣床に比すれば少しく劣る処ありと雖も依然有効なりし


二十九、12尹砲塔の自働照準装置は全くに精巧に失し往々歪みを生じ易きの慮あり直接式に改良を要す

尚砲塔砲に照準器改装手を必要とするは一般の認むる処にして其位置と照準器に相応の設備を要す


三十、今回の海戦に 「ボロジノ」 型戦艦が砲弾に対して比較的脆かりしに反し 「クニヤージスワロフ」 が幾多の魚雷攻撃を被りしに拘わらず (魚雷の幾発が命中したりしやは固より不明なれども殆ど運動の自由を失いたるものに対し孰れも近距離より発射したるを以て割合に多数の命中ありしを推し得べし) 沈没容易ならざりしは此同型艦の特色たる水線下裏面の特製甲鈑が預って少なからざる効果ありしに由るに非ざるか兎に角戦利艦 「アリヨール」 に就きて充分装甲法を講究し新艦防御上の参考に資すること目下の急務なり


三十一、12尹砲発射に際し砲塔の換装室及其弾薬庫に在りし者は其激動の強弱により射弾の徹甲弾なると鍛鋼弾なるとを容易に区別し得たりしと言う 思うに両者其弾壁の硬軟により筒 (「月」 偏に 「唐」) 面に摩擦さうるの度に強弱あるが為に非ざるか筒内作用の参考に資するに足るやを思い暫く茲に付記す



 以上が6回に分けてご紹介した加藤寛治の 『日本海海戦に於ける実験事項並びに将来の改良に就いての希望』 の全文です。

 まさにこれが連合艦隊旗艦 「三笠」 砲術長による日露海戦における砲戦・艦砲射撃の総括であり、当時の関心事がどこにあったかを示すものです。

 そして砲術について言うならば、これを要するに 「三笠」 においてさえ一斉打方は実施していませんし、ましてやその必要性も着想もまだ無かった、ということです。

(この項終わり)

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2011年04月23日

安保清種の砲術 (9)


二十六、司令塔にして海戦に災害を被りしもの敵にして 「ツレサレウ井ッチ」 「リューリック」 「オスラビヤ」 等其重なるものにして我に於ても今回の海戦に三笠、朝日、富士、日進等孰れも人員要具に多少の損傷を被れり 之れ蓋し現時の司令塔が恰も弾片派遣の収容所たるが如き位置に設置せらるるに因るものにして必ず改良せざるべからざるものの一つなり

元来司令塔なるものは戦闘中主脳将校が其艦を指揮操縦すべき最良唯一の発令所として設計せられたるものなるに拘わらず今日尚実戦に際し艦長其他主務将校等の位置に関し区々として多少の議論ある所以のもの必意するに司令塔の位置比較的低きに過ぐると展望の点に於て較や欠く所あるが為めに外ならずして其位置の高低展望の便否は実際一艦の戦闘力発揚上少なからざる関係を有するを以てなり

砲火の指揮は指揮者の眼高大なれば大なる程有利なるとは夙に一般の認める処にして実戦を経るに従て益々其感を深くせり

近来英国に在りても指揮者の位置を上檣楼に選定すべしとの議論ありと言うも蓋し所以あるなり 然れども其効果は指揮に関する通信機関の完全なる具備と相俟たざるべからざるが故に造船上設計せられたる指揮者の位置を離れて戦闘中任意の位置を選ぶは自から幾分の不利不便を免れずさればとて現時の司令塔を其儘高めんには 「ツリム」 の許さざる所にして勢い鈑厚を減ぜざる可らず 然るに操艦に要する諸機関なるものは各種の砲弾に対し絶対的に防護するの必要あり 舵機は固より回転「テレグラフ」の微と雖も其破損は直ちに陣形紊乱の因をなして戦局の不利を醸すことなきを保せず 「ツレサレウ井ッチ」 「リューリック」 の如き舵機に関する其好適例なり

是に於てか高きに従て益々有利なるべき指揮者の位置と飽迄防護を要すべき操艦諸旗艦の位置との調和は自から容易ならずして其孰れかに幾分の譲歩を見るか全然分離するか二者を選ばざる可からざるに居たる

今試に司令塔に就ての小官の考案を述ぶれば左の如し 但し一等巡洋艦以上の新造艦に対するものとす

現時の厚甲鈑司令塔を廃し中甲板「シタデル」甲鈑内に薄甲鈑大型司令塔を設け此処に舵輪其他操艦に要する一切の旗艦を備え尚お砲火指揮に関する諸機関の予備装置を設くるものにして其大さは適宜とし甲鈑の厚さは「シタデル」甲鈑と相俟て各種の砲弾に対し絶対的に防護せらるるに足るを要す 其天蓋甲鈑も亦然り、前檣の下半部を装甲檣とし其頂点に一司令塔を設け此処に「コンパス」測距儀其他砲火指揮に関する一切の機関を備ふるものにして下層司令塔、上檣楼、各指揮塔に通ずる伝話管の如きは殊に大径なるを要す 其の高さは現時の「コンパスブリッジ」より較や高きを適当とし其大さは内径3米突乃至3米突半位とす

上層司令塔並に装甲檣の厚さは3吋乃至3吋半位にて4千米突内外の距離に於ける6尹以下の砲弾と破片とを防護するに足るを要す


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   測距儀は上層司令塔の上部と装甲檣の台とに2個を常備し孰れも防護鈑を有す 別に日常の航海用として操舵に要する機関の一部を現時の如く下層司令塔より 「ホイルハウス」 に導く可し 「ホイルハウス」 は戦時取除く様設計するも可なり

前檣は装甲檣とは全く独立にし小形のものを設くるも可なり 右は昨年10月小官八雲在職中提出したる意見と其主義に於て同一なるも今回の海戦に於て益々其必要を認めたるに付微細の点に修正を加え更に提出せるものとす


(この項続く)
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2011年04月19日

安保清種の砲術 (8)


十九、由来飛行中に於ける長弾運動は孰れも其弾軸と弾道切線と或る角度をなし遠きに従って其角度を増し弾頭の画く軌跡は恰も延伸せる 「スパイラルスプリング」 様の形状を呈するものにして弾長の大なるに従って弾丸銃身周に於ける曲線旋動の度は自から増加するを免れずとせば我鍛鋼弾の如き弾長大なるものは遠距離に対し能く其弾軸を正当なる方向に維持し得べきや否や聊か疑なき能わざるなり

旅順及浦潮の間接射撃に於て我十二尹及八尹砲弾の爆裂せざりしものありしと言うが如き 8月10日の海戦に7千内外の距離にて 「アスコリッド」 命中したる我8尹砲弾が爆裂せずして其儘石炭庫に存留せりと言うが如き

将た今回の海戦に於ても捕虜将校 (旗艦 「スワロフ」 の参謀長並に砲術士官なりと言う) の語る所なりと言うを聞くに我砲弾の中に著しき長口径弾ありて其命中せる場合には同じく爆裂したれども其飛来の状態は恰も跳弾の如くにして明らかに他と区別し得たりしと言うが如き

果して然りとせば我鍛鋼弾は7、8千以上の距離に於ては命中弾の幾分は或は爆裂せずして了るものあるやを疑わざるを得ず

尚斯弾飛行にして斯の如き現象あるとせば徹甲弾と同一縦尺を以てしては命中に少なからざる影響を及ぼす患なしとせず造兵上特に講究を要すべき処にして唯だ遽に其長弾を短くするが如きは徒に鍛鋼榴弾の本能を減却し去るに過ぎず此辺の所深く当局者の考慮を切望するものなり

我徹甲榴弾の装甲板に対する効果は不明なれども徹甲実弾を必要とせざるや否やに就き併て講究を望む


二十、海戦後検査したる所によれば後砲塔12尹砲身は約3ミリ呉製6尹砲身は約2ミリ其内筒の砲口の方に延長したる実跡あり

右は何れも本年1月呉工廠に於て換装したるものにして新砲を以て多数の発砲をなす時は其内筒の延出は或は免れざるものならんか


二十一、6尹砲砲尾腕の予備は14門に対し3個あり 従来装載の安社製砲に対しては孰れも適合したりしが本年1月換装したる呉製砲7門に対しては一つも適合せず

依て同4月工作艦関東丸に依頼し内1個を呉製砲に嵌合する様摺合せを施したれども呉砲の用に適合するもの必ずしも其乙丙に適合し能わざるを発見せり 斯りては呉砲の6門は全く砲尾腕の予備を有せざると同様にて準備上頗る遺憾なき能わず

多数の製作に際し各部厘毫の差異は固より免れざる処なるべしと雖も斯種の如き尾栓装置の緊要なる部に対しては造兵上一層の注意を切望するものなり


二十二、「ボートデッキ」 12听砲の準備弾薬にして其甲板に併列しありしもの10個は敵弾命中のため悉く誘発せり 然れども其位置に直接せる6ミリ鉄板の 「ロッカー」 内に格納しありし12听準備弾薬10個は 「ロッカー」 の壁板甚だしく破られたるに拘わらず毫も異条なかりし 12听砲準備弾薬格納用鉄 「ロッカー」 の設備は最も其必要を見る


二十三、6尹砲廓天蓋に敵6尹弾の命中爆裂するや其直下1米突半に準備しありし廓内後壁弾台の鍛鋼弾3個 (各430ミリを隔つ) や装填のため3番砲手の抱き居りし鍛鋼弾1個は1米突乃至4米突の距離に吹飛ばされ其導環は孰れも離脱し弾頭弾底の一部に欠損を生ぜしものありしも一つも炸発を起さざしりは幸なりし

然れども危機は真に一髪の間を存せざりしものにして曩には蔚山沖海戦に痛惨なる磐手の一例あり 今回の海戦に本艦に於ても上甲板砲廓の天蓋を破られしもの3弾に及べり

司令塔、砲塔、砲廓の如き主要部の天蓋は充分の防御を必要とするは既に吾人が屡々唱道したりし所にして少なくも新艦に対しては其断行を切望するものなり


二十四、本艦に於て防御部の外側に敵弾を被りしは12尹砲弾2発6尹砲弾5発にして12尹弾は孰れも5千内外の距離にて下甲板6尹甲鈑を貫き背後の石炭庫に其破片を留め6尹弾は5500乃至5800の距離に於て1弾は前砲塔外鈑に他の4弾は中甲板6尹砲門付近に命中し孰れも貫徹せずして其儘外側に炸発したるものなり

従て6尹以上の備砲にして敵弾のため廃砲に帰したるは砲鞍耳に直接命中を受けたる10番6尹砲1門のみに過ぎざりしと雖も外側炸裂、跳弾破片等のため砲身に多数の微痕を被り若しくは照準器砲具等を毀損せられたるもの6尹砲6門の多きに及べり

敵にして若し我下瀬弾の如き強猛なる高勢爆裂弾を使用せしものとせば我備砲は6尹砲以上のみにても恐らく半数以上の廃砲を見るに至りしこと推するに難からず 其他船体部に於ても彼我其位置を換ゆるとせば其災害の程度実に惨憺たるものありしを疑わず 将来の造船造兵に就ては深く戦利艦の被害程度に鑑み周到なる講究を重ねて高勢爆裂弾に対する船体兵器の防御に充分の改良刷新を施すこと最も緊要なりとす

各国に於て高勢爆裂弾の研究益々発達したる暁に於ては交戦未だ幾何ならずして忽ち沈黙に帰するが如き多数の備砲あらんより寧ろ幾分の砲数を減ずるも砲身孔、砲身の間隙、砲座の天蓋等其他充分の防護を施し長く交戦に堪える兵装を備えるを反って得策とするに至るべし


二十五、今回の海戦に於て敵装甲艦が砲弾のため比較的容易に沈没したりしは交戦距離比較的近くして我砲火の効果極めて確実偉大なりしに因るや固よりなりと雖も敵艦が石炭其他を過度に増載して常用水線以下に没し居たると当日風波高くして乾舷の較や低き部に穿たれたる弾孔は著しく浸水の媒をなしたるとに帰するを得べきが如し

現に我艦船に於ても水線付近に被弾して浸水のため甚だ困難を感じたるもの少なからざりしを思えば将来の新戦艦には下甲板 「シタデル」 甲鈑を前後に拡張して水線帯甲の上部に更に 「コンプリートアーモアベルト」 を装着すること得策に非らざるか

然れども我速力の彼に比し概して優越なりしは今回の海戦に於て戦略戦術上至大の効果を奏したるものにして今後益々之が増進を図るの必要あるを以て速力の幾分を犠牲として装甲に充つるが如きは断じて不可なり 其辺の処深く当局者の考慮を切望す


(この項続く)

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2011年04月14日

安保清種の砲術 (7)


九、下瀬弾の特長たる其爆裂効果は別問題として其命中弾の顕著にして遠距離にありて容易に識別し得るの点は実に砲火指揮上偉大の効果あるを認むると同時に其近弾が著しく敵の照準発射を妨ぐるに効ありしは益々其実証を示したり


十、我下瀬弾と雖も命中の箇所により其爆煙を認め得ざりし事往々あり殊に徹甲弾に於いて然りとす恐らくは船体を貫きたる場合ならんか

我十二尹砲弾が五千二百の距離に於いて工作船 「カムチャッカ」 に命中し遂に爆煙を挙げざりしも其一例なり


 下瀬火薬については、装甲に命中した際に薬室内の前部に圧縮され伊集院信管作動前に不完爆となったとの指摘もされており、「三笠」 側から炸裂しなかったと見えた場合の個々の事象が信管不良により作動しなかったのか、あるいはこれによるものかのどちらであるのかの詳細は今日となっては検証不可能です。

十一、海戦中目撃し得たる限りに於いては水面を打ちたる我が砲弾の約三分の一は爆裂したり 敵弾の我艦に命中して爆裂せざりしものありしも又往々水面爆発を致したるものありし


 ロシア海軍においては、徹甲弾・徹甲榴弾については遅延信管が使用されていたことはその捕獲艦からも明らかにされていますが、榴弾 (旧海軍で言う鍛鋼榴弾) の場合の信管については不明で、本項からすれば瞬発信管が用いられていたことも考えられます。

十二、十二尹砲は固より六尹砲に於いても交戦中一発毎に特製 「ポンプ」 を以て筒 (「月」 偏に 「唐」) 中を洗浄せしめたるは砲身冷却として夫れ自身有効なりしのみならず自然濫射を防ぎ砲員は頭脳を冷静ならしむるに間接の利ありしを認めたり


十三、四千五百乃至五千米突以外の射距離に於いて十二听砲以下の砲員受弾員等を毎々防御部内に位置せしめたるは大いに死傷者を減じたる一因なりし 戦闘中は必ず実施すべき守則の一なりとす


十四、六尹及び十二听砲揚弾機は今回の戦闘中殆ど故障を不見して其供給速度も毫も不足を感ぜざりし

然して各揚弾機の 「チェーン」 を通ずる滑輪の周囲に帆布帯を巻きたると十二听揚弾機の一部は 「チェーン」 に換ゆるに索を以てしたるは大いに各部の喧噪を減じ号令伝達の防害を少なくせり


十五、敵の陣形混乱の場合に際しては往々二様の目標を選ぶの必要あり 且つは両舷戦闘の必要上より距離測定器は必ず二個を艦橋若しくは其付近に常備するを要す

同一目標に対する場合にありても両者を参考とするは大いに利あるのみならず激動のため中途にして器も歪を生じたる際之を更換する間一方に於いて有効なる測距を継続し得るは至大の利益にして今回自然に実験したる処なり


十六、発砲電池、夜中照準用電池等の不能に帰するは使用の繁閑、潮、雨、寒暑に曝露するの多寡等種々の原因よりして戦時特に其多きを見る 本艦に於いて本年二月中旬呉出港以来五月上旬まで約三ヶ月間に此種の電器五百九十四個中不能に帰したるもの其数実に百八十三個の多きに及べり

今不能に帰せし電器毎月約百分比を挙げれば左の如し 尚参考として八雲に於いて実験したるものを保記す

     (表 略)

兎に角各艦は毎月約一割の電器を失ひつつあるものとして三笠にては毎月平均六十余個の電器を新にする必要あり

幸いに工作艦運送艦等の便豊なりしを以て毎々良好の状態を保ち得たりしも扨て戦場に臨むや風波起こりして海水瀑の如く砲門より進入し中甲板砲の発砲電池は短電路のため不能に帰せしもの多く主として信頼使用したりしは 「トランスフォーマー」 よりの 「ダイナモ」 電流なりし

然して我六尹砲の撃発装置の如きは遺憾ながら最後の副装置として信頼し難きものあり 各艦各砲に 「ダイナモ」 電流の応用は特に其必要を見る

又駆逐艦の如きは平素に在りても潮雨の爲め其電池を侵さるること多く海戦当日の如き殊に甚だしかりしと云う 駆逐艦装備の十二听砲に限り全然撃発専用に改むる方寧に簡単にして有利なりと認む


十七、通信近刊を導くに防御部内を通ずるは固より緊要なりと雖も伝話管の如きは其委曲延長の結果大いに通信の明瞭を欠くを免れずして今回の戦闘に於いても司令塔よりの後部六尹指揮塔に通ずるものの如きは殆ど用をなさざりし

艦橋と前後砲塔共に各指揮塔間の如き砲火指揮上最も緊要なる箇所には別々副装置として成るべく屈曲少なき大径直通伝話管を導き其破損せらるる迄の間極めて有効なる指揮を継続するは少なからざるの利益あり

又高声電話器は酣戦の際に於いても蓄音機的一種異様の発音をなすを以て場合により伝話管よりも有効なりしと云う


十八、「バー」 式距離号令通報器は戦闘中毫も故障なく終始有効なりし


 この件については、先の 「加藤寛治の砲術」 において黄海海戦時の戦訓として距離号令通報器は故障が多い旨がありましたが、工作艦 「関東丸」 による現地での目盛板の改造と併せての改修の成果が現れたものとも考えられます。
(この項続く)
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2011年04月10日

安保清種の砲術 (6)


二、砲戦の要訣は沈着精確なる射撃を以て努めて多数の命中を期するにあり 今回の海戦に於いては比較的近距離に在りても主として徐射常射を用い命中の確実を博し得たり

然れども艦砲射撃教範に規定しある徐射なるものは別に其必要を認めず一門毎の発射速度を著しく制限するは反て射手をして無為に困ましめ且つ砲台一般の労力不経済を免れず

寧に砲台の指命発射を以て常射を行い所謂砲数の制限を以て全艦の射撃速度を加減するを可とするが如し

従て徐射の号音も其必要を認めざるのみならず酣戦の際常射より徐射に復せんとする場合の如き往々急射の号音と誤解を来すの恐れあるを覚ゆ


 「指命打方」 を常用とし、それによって間接的に射撃速度を調整するとうアイデアであるということは即ち、「三笠」 砲術長をもってしても 当時はまだ本射における 「一斉打方」 の必要性は認識しておらず、かつ斉射間隔によって射撃速度を調整するという発想も無かったことになります。

三、敵の陣形混乱に陥り各艦右往左往に運動するに当たりては各砲台をして誤りなく艦橋より令する目標を会得せしむるには頗る困難を感ず 殊に目標返還の際の如きは酣戦中と雖も一時打方を中止して普く目標を会得せしむるの必要に迫らるる事多し

此場合に所するため艦橋及び各指揮塔に画度 「ダイレクター」 を備え各砲座には悉く旋回度を画し置き正横線を基線とし前方何度にある二煙突戦艦、後方何度にある三檣敵艦と令するが如きも大いに所令の目標会得を速やかならしむるの一手段なりとす

又た指揮塔を少しく外方に突出せしむる等其耕藏を多少の改良を施し塔内より直接砲台の砲身を視得る様にし砲台長をして毎に揮下の諸砲が果たして目標を誤解し居らざるや否やを確かめしむるも極めて緊要なり


 「ダイレクター」 を日本語にすると 「方位盤」 ですが、安保清種がここで言っているのは、今日で言う 「目標指示器」 の一種のことです。 つまり、「一斉打方」 によって有効な斉射弾を構成するための一元的な照準の必要性による、後の 「方位盤」 のアイデアではないことに注意して下さい。

四、海戦の際彼我離合し打方を開始する場合には毎に試射として一舷六尹砲の斉射を用いたり 或場合には其単発試射に優ること遠きを感ぜせしめたり


 適正照尺、つまり当時で言う 「決定距離」 を早期に得るための方法としての斉射の必要性を言っていますが、本射における連続した有効弾獲得のための斉射の必要性は言っておりません。 つまり、まだ安保清種には 「一斉打方」 の発想も必要性も無かったことになります。

五、砲戦中僚艦の弾着と混同して自艦の者を識別し能はざるに到らば近戦中に在りても一時打方を中止し 更に一斉試射を以て砲火を再始する事最も緊要なり


 砲側照準による独立打方であったからこそ、集中射撃時における弾着錯綜によるこの戦訓が出てくるのであって、本射も一斉打方であったならばこの意見が出ることはあり得ません。

六、混戦中自艦及び僚艦の落弾目標の幅に蝟集する場合に於いても四千米突内外の距離に在りては発砲の瞬時より其飛行を注目せば艦橋より自艦十二尹砲弾の弾着を区別し得ること比較的容易ならん


 射距離4千メートルにおける12インチ砲の弾丸飛行秒時は6.5秒ですので、秒時計などを使わなくとも弾着時期が判別できるという意味であって、決して目で弾を追えるということではありませんのでご注意を。

 もちろん、12インチ弾でしたら状況によっては瞬間的に弾が見えることはありますが、砲煙や発砲の衝撃等々によって常に確実かつ容易に見えるということはあり得ませんし、砲術長がこれをやっていては他の肝心なことが何もできなくなってしまいます。

七、高度低き日光に面して砲戦を交ゆるは照準の困難は兎に角弾着を識別し能わざる点に於いて極めて不利なり

廿七日海戦の末期に於いて 「ボロジノ」 「アリヨール」 等に対する際の如きは日光の爲め艦橋より僅かに十二尹砲弾の弾着を認め得るに過ぎずして専ら上檣楼監視将校の言を信頼し弾着の修正を施したるも到底其効果少なきを悟り一時打方を中止するの已を得ざるに到れり

風波高き時風下に位置するの不利亦た之に譲らず


八、上檣楼に弾着監視将校を配すること並びに上檣楼、艦橋間の通信確保は緊要事項なり


 この第7項及び第8項については、特にご説明するまでもないことでしょう。
(この項続く)
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2011年04月07日

安保清種の砲術 (5)

 さて、日本海海戦当時の「三笠」が実施した艦砲射撃について、最後のダメ押しを兼ねて、その総括に入りたいと思います。

 前回、砲術長安保清種の実施した砲術について 『三笠戦闘詳報』 から抜萃してご紹介しました。 この報告書は 『日本海海戦戦闘詳報 第一号』 (三笠機密第151号、明治38年6月10日) として連合艦隊司令長官に提出されています。

 この戦闘詳報は戦闘実施の詳細について、いわゆる “記録” として報告することが定められていますので、戦訓事項については本来的な意味からすると付加的なものです。

 そこで 「三笠」 艦長の伊地知は、将来の海戦及び戦備を念頭にこれまでの戦訓に基づいた改善・改良について、自らはもちろんのこと、主要幹部を始め、初級士官や候補生、准士官に至るまで広く意見を集め、これを纏めて連合艦隊司令長官に提出しました。 現場担当者の率直な意見をそのまま全て出した訳です。

 これが 『第二期戦闘中ノ実験ニ依リ攻究シ得タル事項並ニ将来改良ヲ要スベキ諸種ノ点ニ付キ意見』 (三笠機密第177号、明治38年7月4日) です。

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( 防衛省防衛研究所保存保管の史料より )

( なお、軍令部及び海軍省も同様の意見聴取の必要性を認め、8月8日になって 「官房機密第943号」 により全艦艇から提出させることとしました。)

 伊地知艦長自身の意見を始め、それぞれ大変に興味深いことが沢山書かれていますが、ここでは本題に沿って、当の安保清種砲術長の提出分からその全項目をご紹介します。

 当時の艦砲射撃について砲熕武器と砲術の両方の実態について記されているとともに、当時の戦艦の砲術長としてどの様な事が関心事であったかが判る貴重なものです。


   日本海海戦に於ける実験事項並びに将来の改良に就いての希望

         三笠砲術長 海軍少佐 安保清種

一、砲火の指揮は全然艦橋に於いて掌握するを原則とし指揮に関する通信系統は必ず之に基づきて設計するを要す

射距離は固より苗頭も総て艦橋より令するに尤して困難を認めず然して四千内外の距離に於いては我が集弾を目標中の任意の部に移し導くを要すること屡々なり

例えば前砲台は殆ど沈黙したるも後部主砲尚ほ存する時は此部に集弾を要するが如き即ち然り是を以て苗頭も其基準を艦橋より令すること極めて緊要なり

艦橋より通信連絡杜絶したる場合には砲台若しくは各砲の独断専行に任ずる事固よりなりと雖も之れには自ら程度あり 幾種の通信装置悉く破壊するも艦橋の本能にして全廃せられざる限りは人員の往復伝令を以て最後の通信手段とし飽迄 「ブリッジコントロール」 の主義を持続するは多少発射速度に関係を及ぼすべきも比較的不確実なる砲台若しくは各砲の独断専行に優ること萬々なり

今回の海戦に於いて本艦の六尹七番砲廓の甲板敵弾に破られ廓内の砲員悉く死傷し通信機関亦た破壊せらるる中勇敢なる 番砲手は疾を忍んで独り砲側を離れず自ら弾薬を装填し一発毎に走りて廓外に到り中甲板伝令員に就き一々距離苗頭を確かめて縦横尺を整ゆ以て有効なる発砲を継続せり (注)

又た六尹三番砲廓は戦闘の初期敵弾を被り其指揮塔より艦橋に通ずる通信装置は悉く破壊せられたるも一伝令員を廓外に出し艦橋伝令の黒板に注意せしめ終期迄有効なる通信を確保し得たり

蓋し酣戦の際一発毎に砲側を離るるが如き或いは廓外に一伝令を配するが如き如何にももどかしき観ありと雖も不確実の縦横尺を以てする命中なき速射に優るや遠し 即ち砲火の指揮は艦橋の本能廃せざる限りは終始艦橋に於いて之を司らざる可からずとの断案を下すに憚らざる所なり


(注) : 6尹7番砲の事とし、かつ砲手番号が未記入ですが、「三笠戦闘詳報」 を見る限りではこれは6尹5番砲の事で、当該砲手は5番の野村幸平二等水兵の事と考えられます。


 既に何度もご説明してきましたので更なるものは不要と思いますが、ここに記されてるのは砲側照準による 「独立打方」 を如何に有効ならしめるか、ということ であって、 「一斉打方」 の方法ではありませんし、勿論この要領では 「一斉打方」 はできません。
(この項続く)
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2011年03月13日

安保清種の砲術 (4)

 続いて同じく 『日本海海戦戦闘詳報 第一号』 (三笠機密第151号、明治38年6月10日) から、今回はその第13項 『戦闘中の実験に依り将来改良を要すべき点』 に記されているものをご紹介します。

 まず同項の中の 『砲銃水雷其他通信之部』 から砲術関係を抜萃します。

(一) 我海軍の安式12尹砲は多数発砲に際し筒圧に対する耐破力を較々欠くる処あるやの疑あり 将来の造砲に就ては充分改良を要すべきものと認む ・・・・(後略)・・・・


(二) 本年5月三笠機密131号を以て意見上申に及びたる12尹砲々身注水冷却装置並に同5月三笠機密191号を以て意見上申に及びたる6尹砲筒中注水冷却用ポンプは実戦に際し充分有効なるを認めたり ・・・・(後略)・・・・


(三) 海戦当日の風波強かりし為め中甲板6尹砲は絶えず海水の浸す所となり ・・・・(後略)・・・・


(四) 戦時一等巡洋艦以上に対しては今日の定額弾数の約半数を増載せしむる事絶対的に緊要なるを認む ・・・・(後略)・・・・


(五) 一舷戦闘に於ても敵艦隊混乱して方向亦区々たる時に在りては屡々目標を変更し数けの目標に向かって砲火を分つ事多きのみならず激動の為め距離測定器其物の歪を生じ易きを以て測距器は少なくも前艦橋に2台据付くるの必要を認む ・・・・(後略)・・・・


(六) 防御部内を屈曲通過する電話管は戦時避くべからざる騒声の為めに頗る其明瞭を欠き殆んど用をなさざりしもの多し ・・・・(後略)・・・・


(七) 戦闘に当り各種の命令を最上艦橋より司令塔に下すに単に一条の電話管によるは頗る通信の迅速確実を欠く嫌いあるを以て ・・・・(後略)・・・・


(八) 本年4月三笠第49号を以て上申改装したる距離命令通報器は歪を生ずる事なく ・・・・(後略)・・・・


(九) 高声電話は一種独特なる蓄音機様の音声を発する為め砲声盛なる時に於ては電話管に比し頗る結果良好なりし ・・・・(後略)・・・・


(十) 敵12尹砲弾の本艦6尹装甲板を貫きたる其2個所に就き甲板の破片弾片弾痕貫通の実跡等を推究するに敵12尹砲弾は徹甲実弾と徹甲榴弾の2種あるを認むるを得べし ・・・・(後略)・・・・


(十一) 砲門を開きたる場合に其下扉の其位置に於ける 「セキューア」 は薄弱なり ・・・・(後略)・・・・


 以上の11項目が砲術関係の戦訓として記されているものです。

 そして、この第13項 『戦闘中の実験に依り将来改良を要すべき点』 の総括としてその最後に次の様に記されています。 その全文をご紹介します。

 之を要するに今回の海戦に於て造船、造兵、艤装、兵装其他各種の事項に対し実地に教訓を示したるもの多々なりと雖も彼我全力を挙げたる堂々たる海戦に於て空前の大勝を博し得たる所以を稽うるに

 無線電信が敵情偵察、勢力集中等の戦略上に資するの効果大なりし事

 実戦に射撃に幾多の経験を重ね我射撃の技倆著しく優逸なりし事

 下瀬弾の威力極めて偉大なりし事

 其命中弾明瞭にして砲火指揮上至大の効ありし事

 二三遁走敵艦を除くの外我が速力概して彼に優りたる事

 魚雷襲撃の効果確実なりし事等其主因にして交戦距離比較的近かりし事

 敵艦が石炭其他を過度に増載して帯甲水線下に没し居たる事

 風波高くして乾舷の較々低き部に穿ちたる弾孔は著しく浸水の媒たりし事

 防御甲板上に浸水傾斜したる儘高浪中に転舵し自然 「ツリム」 を失いたる事等敵装甲艦の沈没を容易ならしめたる一因なりと認むるを得べし

 果たして然らば吾人は我の由て勝ちし所以の特長に顧み愈々講究訓練の歩を進め彼の由て敗したる所以の欠点に鑑みて益々改良刷新の途を講ずるは将来の一大要務とする処にして尚ほ我下瀬弾が強猛無比の高度爆発弾たるは開戦以来の実績に徴し各国の等しく直接間接に認識し挙つて之が探求に努めんとする処となるを以て此際一層其秘密を厳にする必要あると同時に我に於ても高度爆発弾の防御に対する造船上の講究は特に其要を認む

 又特種水雷は今後の海戦に於て大に其効果を発揮し得べきを以て苟も快速を有する艦艇には悉く之れを備える事とすれば一層水雷の効果を確実にすべしと信ずるが故に充分秘密を厳にし尚ほ其構造並に使用法に関し益々講究を重ぬるの必要を認むるものなり
太字 及び改行挿入は管理人による)

 つまり 『三笠戦闘詳報』 の中ではその戦訓事項として「今後は一斉打方でなければならない」 とか 「変距率盤は有効だった」 とかは一言も出てきません。 当たり前のことではありますが。

 もし本当にこれらが日本海海戦直前に導入されていたことが事実であるとするならば、まずその事が最大の戦訓として記されなければならないはずです。

 したがって、日本海海戦における 「一斉打方」 の実施のことも、また遠藤氏の主張する英国海軍某大尉の持参したとする 「変距率盤」 の話しも、この戦闘詳報の記述によって完全に否定することができます。

 もっとも 『別宮暖朗本』 の著者なら、“重大な極秘事項を隠蔽するために戦闘詳報から削除した” ぐらいは言い出しかねません。

 実際に当該書の中で

 『公刊戦史』 もロシア側の 『露日海戦史』 も同様であるが、デスクワークに専念する少壮官僚の作文であって、実際的な問題を精神主義的なことに置き換えることが多い。 連合艦隊が日没による砲戦時間の終了を考慮すれば、早めの出撃をなすべきだった、との批判にそなえ、信濃丸の通報時刻をわざと遅らせたものだろう。
(p291) (p302) 

 などと平気で言い放つほどですから。

( 上記については、既に 「203地点ニ敵ノ第二艦隊見ユ」 (前・後編) で根拠を示して絶対にあり得ないことをご説明済みです。 余りもバカバカしい話しですが。)


(この項続く)
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2011年03月11日

安保清種の砲術 (3)

 「三笠」 砲術長 安保清種の砲術について、続いて日本海海戦初日である明治38年5月27日当日の射撃の状況を 『三笠戦闘詳報』 の記述から抜萃して、時系列的に見ていきます。

第1次右舷戦闘

  2時07分  敵の先頭を圧しつつ左に回頭
  2時10分  射距離6千4百に至り嚮導艦 「スワロフ」 型に向て 右舷6尹前砲台
           の一斉試射
  2時11分  6千2百に至り右舷砲台の 並射撃 を開始 徹甲鍛鋼交互に発射
  2時21分  4千9百の射撃距離に到り一時 急射撃
  2時22分  射距離4千6百に於いて12听砲員を砲に配し専ら旗艦を射撃
  2時28分  並射撃 に復す 距離5千4百乃至5千7百
  2時40分  距離5千7百米突 我前部の12尹砲及び6尹砲毎発殆ど空弾無く目標
           は其の爆煙に包まれて認識し難く
  2時41分  一時打方を待つの止むを得ざるに至る
  2時47分  嚮導艦の我に向首し来るに対し射距離5千8百猛烈なる縦射を加う
  2時53分  左16点の変針と共に右舷戦闘を止む

第2次左舷戦闘

  3時11分  敵艦隊と反行射距離5千3百敵の戦闘に対し左舷砲火を集中
           嚮導艦 「スワロフ」 最近2千6百に及ぶ
  3時23分  2千9百の射距離に於いて最近戦艦 (嚮導艦と同型) 我顕著なる命中
           弾
          12听砲火は専ら 「ナヒモフ」 (距離3千3百) に集中
          目標の戦艦距離次第に遠ざかりしを以て全砲火を 「ナヒモフ」 に転じ射
           距離3千9百乃至4千2百に於いて一時之を猛射せしむ
  3時30分  射距離漸次遠ざかりしにより左舷の発射を止む

第3次右舷戦闘

  3時45分  左16点の変針を行い同行にて右舷戦闘となる
  4時01分  6千5百頗る好目標なる3煙筒の 「ヲスラビア」 を砲撃す
           次いで目標を当時戦闘に位置せる 「ボロジノ」 型に換ゆ
  4時07分  6千2百の射距離にて 「ボロジノ」 型を砲撃中前部12尹弾筒発したる
           の形跡あり直ちに筒中を検せししも異状なかりしを以て発砲を継続せり
           射距離は漸次減じて5千7百に至る
  4時10分  更に目標を換え嚮導艦 「スワロフ」 を猛撃す 射距離5千6百弾着最も
           良好
  4時13分  後部12尹砲弾筒発せるものの如く砲口近く海面に弾片飛散し濃煙を
           発す
  4時20分  射距離3千8百弾着良好殆ど艦外に落弾を認めず
  4時29分  弾薬の浪費を顧慮し 徐射撃 をなす
  4時35分  右舷戦闘を止め左8点変針続いて右8点に針路を変す

第4次右舷戦闘

  5時00分  三々五々隊を乱せる敵艦隊中2煙突の右翼艦 (戦艦の如し) に対し6
           千5百の射距離に於いて砲火を交え
           次いで5千米突なる2檣3煙突の仮装巡洋艦 (仮巡ウラル?) に目標
           を変更
           4千百に近づき猛火を注ぎ一時爆煙の為目標明らかならざるに至れり
           一時打方を中止せし
  5時18分  敵の最も左翼なる2煙突の巡洋艦を4千4百に発見し之を砲撃す
  5時28分  右舷戦闘を止め右16点の回頭

第5次左舷戦闘

  5時32分  射距離5千2百米突なる工作船 「カムチャッカ」 に対し 徐射 を行う
           次いで第4次右舷戦闘にて撃破したる3煙突の仮装巡洋艦型を射距離
           4千に近づくに至り全砲火を之に集弾し2千米突の近距離に肉薄接近
           するに至る迄連続最も猛烈なる砲火を継続す
           47密砲亦た之に加わり
  5時42分  其全く戦闘力を失わるるを見て小口径砲の外発砲を中止す
  5時52分  左舷艦首4千に敵駆逐艦を発見し小口径砲を以て之を砲撃
  5時57分  戦艦4隻単縦陣にて吾と同航6千3百米突の射距離より我左舷砲火を
           其先頭 「ボロジノ」 型に集弾
  6時04分  前12尹右砲筒発せるものの如く天蓋の前部及び砲身の一部破壊し廃
           砲に帰せし 左砲のみを以て砲火を継続
           先頭艦は我命中弾の爆煙に蔽われ照準し能わざりしを以て目標を2番
           艦に換え之を猛撃
           次いで再び先頭艦に復せしも当時夕陽に面し弾着の識別明瞭を欠きし
           を以て 徐射 となす
  7時04分  我が12尹弾の命中頗る良好
  7時10分  日没に垂んとする時本艦の砲火を止め戦闘中止

太字 は管理人による)

 以上は 『日本海海戦戦闘詳報 第一号』 (三笠機密第151号、明治38年6月10日) 中の第5項 『砲銃水雷の射撃及其威力』 を中心にして抜萃したものです。

 さて、これのどこをどう採ったら 「一斉打方」 を実施していたことになるのでしょうか?

 それどころか、ご覧頂けば容易にお判り頂けるように、この戦闘詳報に記されているものは、まさに 「加藤寛治の砲術」 でご説明してきた艦砲射撃そのままであることは明らかです。

 ましてや 『別宮暖朗本』 の著者の言う

 『三笠』 の12インチ主砲は、2時15分の第3斉射で夾叉を与えたものと推定される。 そこからは命中弾は連続する。 東郷平八郎は 「だいたい5〜6発目が一番よく当たる」 と後年語ったが、まさにこのときである。 (p300) (p311〜312) 

『三笠戦闘詳報』 によると、それ以降、12インチ砲及び6インチ砲毎発は、ほとんど空弾なく命中したという。 これが斉射法の威力であるが ・・・・ (後略)
(p300) (p312) 

太字 は管理人による)

 など何の根拠もない全くの “デタラメ” に過ぎないことがよくお判りいただけるでしょう。 よくこんな “大ウソ” が平気で書けるものと。

 これは “素人の書いたものだから割り引いて” で済ませられるような話しでは決してありません。 素人であろうと無かろうと、この著者が全く “知らない” “判らない” “調べていない” からだけのことです。 そしてその無知を棚に上げての “空想” “妄想” を書き連ねる。 挙げ句の果ては司馬氏や海軍軍人に対する謂われ無き暴言。 お粗末に過ぎます。

 もちろん、この射撃内容に限らず、開戦劈頭の敵前大回頭 (東郷ターン) や丁字戦法を含む日本海海戦の砲戦全体についても、この 『別宮暖朗本』 の記述は “デタラメ” ばかりなのですが、これについては後で別の項を設けて一つ一つ実証することにします。
(この項続く)
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2011年03月05日

安保清種の砲術 (2)

 『別宮暖朗本』 の著者以外にも、現在でも旧海軍が日本海海戦において 「一斉打方」 を行ったと主張する人がいます。 その代表が先にもお話しした遠藤昭氏です。

 遠藤氏のその主張の根拠とするのは次の2つです。

     1.明治38年4月の英海軍 Thring 大尉の来日 (「変距率盤」 の持参)
     2.明治38年4月17日の連合艦隊司令長官訓示

 英海軍大尉の来日については、既に本家サイトの 『砲術の話題あれこれ 第1話』 で述べているところで、この大尉の来日そのものはその事実があったとしても、ただそれだけのことに過ぎません。


 またその大尉が 「変距率盤」 を持参したとする話もまったく根拠がありませんし、かつ本ブログでもお話ししてきました様に、「変距率盤」 だけでは 「一斉打方」 が可能になる訳ではないことは、皆さん既にご理解いただいていると思います。 (しかも例え持参したとしても、一つや二つでどうなるのかと。)


 そして遠藤氏が主張する2つ目の根拠が、『戦闘実施に就き麾下一般に訓示』 と題する明治38年4月17日付けの 『聯隊機密第276号』 です。 氏はこれによって 「独立打方」 から 「一斉打方」 への転換が命ぜられ、連合艦隊は一斉にこれを実施したとしているものです。

 本当なんでしょうか? 今回はこれを検証します。

 その 『聯隊機密第276号』 ですが、原文はこれです。

rentai_276_02_s.jpgrentai_276_01_s.jpg

rentai_276_04_s.jpgrentai_276_03_s.jpg

 全5項目のものですが、注意していただきたいのは、これは連合艦隊全将兵に対する東郷平八郎の 「訓示」 であると言うことです。 即ち、間近に予期されるバルチック艦隊との決戦を控えて、連合艦隊の最高指揮官としての所信と要望を述べたに過ぎません。

 当然ながら 「訓示」 は、命令でも指示でもありませんし、戦策や法令を規定したものでもありません。 これをもって打方の変換命令を出したと解釈するのは、どの様に考えても無理があるでしょう。

 そして、この5項目中、遠藤氏が指摘するのがその第4項です。 改めてその全文を示します。

四、実戦及び射撃の経験に依るに 一艦砲火の指揮は出来得る丈け艦橋にて掌握し射距離は艦橋より号令し砲台にて毛頭之を修正せざるを可とす 殊に実戦に於いて其然るを覚ゆ 砲戦酣なるときは一艦各砲の弾着は素より各艦の砲弾一所に集注し其何れが我が弾着なるや分別する能わず 故に 一艦の全砲は同一の射距離にて発射し 其弾着を見て全砲の射距離を修正するを要す 斯くするときは艦橋よりの射距離不当なる場合には全砲弾を失うと雖も適良なれば全砲弾の命中を得結局の統計に於いて命中公算を増加すること疑うを容れず

又魚雷攻撃は水雷其物の機能に往々欠点あると、発射位置を得るの難きと、夜中敵艦の針路速力を測定するの困難なるとに依り其奏効を不確実ならしむ、然れども肉薄攻撃するときは距離の短縮に依り前記の三欠点を消滅せしむ、由来我が水雷攻撃の結果不充分なるに就いては世界已に其評多し深く戒めざる可らず 若し夫れ連繋水雷に到りては大なる技能を要せず唯だ断然敵前を一通過するにあるのみ

 ( 太字 は管理人による)

 後半は水雷戦に関するものですからご説明は省略するとして、さて、この前半部分のどこをどの様に解釈したら、遠藤氏が主張する東郷平八郎が命じたとする 「独立打方」 から 「一斉打方」 への変換命令になるのでしょうか?

 “艦橋において砲火指揮を掌握する” ことも、そして “射距離は艦橋より号令する” ことも既にご説明してきたところですので、これが 「一斉打方」 を示すものではないことは皆さん十分にご理解いただいているものと思います。

 しかも、ここで東郷が訓示として言っているのは “出来得るだけ” であり、“可とす” です。 “絶対に” とも言っておりませんし、“べからず” とも言っておりません。

 ましてや、“全砲は同一の射距離にて発射し” とは言っていますが、“一斉に発射し” とも “斉射をもって” などとは一言も言っていないことにも注意して下さい。

 これを要するに、この 『聯隊機密第276号』 は 「一斉打方」 とは何の関係もないと言うことです。

 したがって、遠藤氏の言う

 T大尉が日本側にイギリス海軍の研究成果を伝え、新兵器の 「変距率盤」 (the tool of rate of change of range) の説明をしたのが、翌4月15日。 そして日本側が対策会議を開催したのがその翌日の4月16日。 この日、東郷大将は今の日本式の射撃法 (「独立打ち方」) を廃止し、イギリス式の射撃法 (「一斉打ち方」) に変更することを決意した。 大将の決意は4月17日に連合艦隊全員に布告 (聯隊機密276号) された。 まさに、日本海海戦の40日前であった。
( 『戦前船舶 号外』 (平成16年10月) 6頁 )

 などは、何の根拠も伴わないちょっとお恥ずかしい限りの空想で、これで 「一斉打方」 を主張するのは全くもって無理な話しですね。

( そもそも、この時連合艦隊では 「聯隊日命第16号」 に基づいて4月10日から順番で常装薬艦砲射撃を実施中です。 そして4月17日には東郷は 「八雲」 「吾妻」 の射撃を視察しています。 「一斉打方」 への転換を命じたのであるならば、一旦中止をして、その転換を完了したところで改めて行うのが当然の筋です。 戦時中といえども年に1〜2回程度しかない、訓練の総仕上げとも言うべき貴重な常装薬射撃を、漫然と継続する訳がありません。 たったこの1点をもってしても、遠藤氏の主張は誤りであると簡単に断言できます。)

 そして、ダメ押しの文書です。

 “射距離は艦橋より号令し砲台にて毛頭之を修正せざるを可とす” というのがどの様な意味なのかは、既に 『加藤寛治の砲術』 のところでも詳細にご説明したところです。

 ところが、この東郷の訓示で “毛頭之を修正せざるを” と言ってしまったものですから、やはり多少の混乱があったものと考えられます。

 現場の砲術長以下にしてみれば別にどうと言うことはないのですが、艦隊内、特に艦長が砲術畑でない様な場合などには、例え訓示とはいえ流石に司令長官の一言であるだけに、その解釈を巡って砲術長・砲台長との間で色々問題が発生したであろうことは容易に想像できます。

 そこで、5月3日になって改めて出されたのが、次の 『聯隊法令第24号』 です。

rentaihourei_24_01_s.jpg

 これは 「法令」 ですから、先の「訓示」と異なり、従わなければならない事項について具体的に規定されています。 これによって、艦橋より令される射距離の意味も明確に定義され、誰がみても解釈に齟齬が生じないようにされました。

 内容は既にご説明してきた当時の砲術の要領そのままであり、改めてそれを連合艦隊として正式に追認したもの、ということです。

 そしてこれはつまり、日本海海戦においては 「三笠」 を始め連合艦隊のどの艦たりとも 「一斉打方」 は実施していないという証明でもあります。

 遠藤氏を始め 「一斉打方」 実施を主張する人達は、先の 『聯隊機密第276号』 を探し出してきてそれを根拠にしたものの、ここまでは誰も調べていないんですよね。 (というより、例えこの文書を見つけたとしても、その意味が判らなかった?)
(この項続く)

(注) : 本項で使用した各画像は、総て防衛省防衛研究所が保有・保管する史料からのものです。

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2011年03月03日

安保清種の砲術 (1)

 前回は 「三笠」 砲術長として黄海海戦を戦った加藤寛治が、その海戦において、そしてその教訓を得た後においてどの様な砲術を採用していたのかを2つの文書を根拠としてお話ししました。

 結論としては当時の旧海軍では 「一斉打方を行ってない」 「できない」 と言うことなのです。

 しかし、中には “加藤寛治に替わった安保清種が日本海海戦において実施したのでは?” と思われる方もおられるかも知れません。

 これを主張する最先鋒の一人が遠藤昭氏なのですが ・・・・ これは本家サイトの 『砲術の話題あれこれ』 で途中までお話ししているとおり、その主張の理由が全く根拠のないもので、お酒の肴にもなりません。

 既にお話ししてきました様に、一斉打方を行うためには、それまでの 「三笠」 の装備・設備・施設は勿論、射撃指揮組織では適応出来ません。

 そして、もし仮にこれらが新たに整ったとしても、その為に乗員の訓練を一からやり直さなければなりません。 全く新しい手順に従って。

 考えても見て下さい。 明治38年2月13日付けで発令になり、3月10日に 「八雲」 砲術長から着任した安保清種に、5月27日の日本海海戦までにこれが出来たとお考えになるでしょうか?

 安保清種にとっては、「三笠」 砲術長としての新たな職務に習熟することが精一杯であり、そして前任者の加藤寛治のやり方をそのまま引き継いで、これの練度向上に努める以外に無かったであろうことは容易に想像がつくことです。 バルチック艦隊がいつ来てもおかしくなかったのですから。

 このこと一つを考えただけでも “絶対に不可能” であったと断言できます。


 それでは順を追って、これを証明していきたいと思います。

 まず最初は、上記のとおり、もしそれまでのやり方から新しい 「一斉打方」 に転換したとすると、3月10日の安保清種の着任以降 「三笠」 の砲術訓練でそれが行われていなければなりません。

  『三笠戦時日誌』 には日々の状況が詳細に記されています。 幸いにして今日ではこれは 「アジア歴史資料センター」 からネット上に公開されていますので、その38年2月分から5月分までを是非一度目を通してみて下さい。


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( 画像 : 防衛省防衛研究所所蔵史料から )

 これをお読みいただければお判りの様に、呉での修理・整備を終えて2月17日に佐世保に回航、同20日に佐世保を出港して翌21日鎮海湾に到着しましたが、それ以降、砲術長が替わったからと言っても砲術訓練には何ら大きな変化はなく、引き続き内筒砲射撃を中心としたそれまでの訓練を更に徹底して行っています。

 そしてこれらの訓練の節目になるのが、内筒砲対抗射撃です。 これは連合艦隊司令長官命により実施されるもので、2隻が組になりそれぞれが曳航する標的を相互に撃ち合い、成績を艦隊中に公表するものです。 3月以降日本海海戦までの間に3回行われています。

 これらにおける 「三笠」 の成績は次のとおりです。

回 次実 施 日対 勢射距離 (m)命中率 (総命中弾数/総発射弾数)
第1回3月28日並 航380 〜 68023.5%  (154/656)
反 航250 〜 720 6.4%  (71/1106)
第2回3月30日並 航390 〜 660 37.6%  (683/1814)
反 航370 〜 950  8.6%  (127/1470)
第3回4月 5日並 航360 〜 640 45.4%  (631/1390)
4月 6日反 航280 〜 55030.7%  (285/927)
4月 7日並 航250 〜 580 52.5%  (894/1703)

 回を追って成績は向上していますが、それでも 「三笠」 の成績は第1戦隊の他艦には及ばず、毎回その結果について艦長の叱咤激励の訓示が行われました。 勿論その中にも、打方や訓練方法を換えたから云々、などとは一言も出てきません。

 既にご説明ましたように、内筒砲射撃というものは砲術長・砲台長の射撃指揮法や射撃関係員のチームとしての訓練もありますが、その主体はあくまでも射手の照準発射の演練です。

 したがって、対抗射撃において良い成績を出すためには、各砲の射手それぞれが各自で照準の最も良いと判断した瞬間に引金を引くことです。 これはつまり 「独立発射」 であって、斉射のために発射時期を令される 「発令発射」 ではありません。

 当時の砲術としては、決定距離を得るための試射の一部で斉射を用いるかどうかは別にして、艦砲の命中率を高めるためには本射は 「独立発射」 が当然と考えられていました。 だからこそ 「急射」 「常射 (並射)」 「徐射」 という区分が教範で規定され、個々の砲はそれぞれの射手が自己の照準の最も良い瞬間を判断して発射することになっていたのです。

 そして射撃計算、即ち苗頭・照尺だけは出来るだけ艦で統一したものを使おうと努力していました。 ですからその命令・号令が確実に伝達されるように通信伝達訓練も合わせて行われていました。

 これを要するに、5月27日の日本海海戦において 「三笠」 の艦砲射撃のやり方は、先にご説明した加藤寛治の砲術そのままであったと言えます。
(この項続く)
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2011年02月16日

加藤寛治の砲術 (10)

 9回に分けて加藤寛治 「三笠」 砲術長が自らものした 『八月十日の海戦に於て砲火の指揮に関し得たる実験要領』と、それを受けた 『三笠戦策』 をご紹介しました。

 さてこの項の最後に、例によって 『別宮暖朗本』 のウソと誤りだらけの記述についてです。

 5000メートルを超える中長距離砲戦では、斉射法は必須である。 ところが、現在に至るも誰が斉射法を発見したのかははっきりしない。 これは当然のことで、当時海軍砲術というのは、各国にとり死活的重要な国家機密だった。

 ただ、どの艦隊が実戦で初めて実行したのかははっきりしている。 すなわち日露戦争の黄海海戦の連合艦隊である。 このとき砲戦は1万2000メートルの遠距離で発生した。
 (p67) (p71) 

 「独立打ち方」 では、中口径速射砲がバラバラのタイミングで発砲するために、爆風が常時発生し、互いに照準をとることが困難である。

 また長距離実弾射撃をやれば、砲術計算の必要から 「独立打ち方」 が成立しないことは、誰でもどこの国でもわかる。
 (p68) (p72) 

  「斉射法を初めて実戦でやり、勝利した男」 の栄冠は戦艦三笠砲術長加藤寛治に与えられるべきだろう。 (p68) (p72) 

 結局イギリス海軍は、黄海海戦の観戦武官ペケナムの報告により、斉射法による長距離射撃が実際にできることを初めて知ることになった。 (p68) (p72) 

 この海戦を観戦したペケナムから (当時船便のため3ヶ月後) 長距離砲戦の概況報告をうけ、フィッシャーはドレッドノートと名付けられることになる 「オール・ビッグ・ガン・シップ」 の構想を練った。 (p208) (p215) 

 “外堀攻め” の 「艦砲射撃の基本中の基本」 から “本丸落とし” の 「加藤寛治の砲術」 まで、これまでのご説明で十分お判りいただいていると思いますので、もう何も付け加えることはありません。

 これを要するに、この 『別宮暖朗本』 の著者がいう艦砲射撃は、砲熕武器というハードウェアについても、そして砲術というソフトウェアについても、全くのウソと誤りの羅列に過ぎない、ということをその根拠を示して証明してきました。

 結局の所、最後の最後、この 『別宮暖朗本』 の最も核心部分でありキャッチフレーズでもあることについてさえ、この著者は全く何も “知らない” “判らない” “調べていない” ことが明らかで、それを棚に上げてのトンデモ話しでしかないと言うことです。

 しかも、加藤寛治がやってもいない 「斉射法」 などペケナムが報告できるわけもないのに関わらず、それを勝手に妄想した上で、英海軍の砲術の大家パーシー・スコットに対して、

 イギリス海軍のパーシー・スコットは鯨島砲術学校の校長となり、速射砲による連続射撃の実験を行い、本人は斉射の実験を1901年からしばしば試みたと回想している。 ・・・・ (中略) ・・・・ 唯一残るスコットの回想 (注) はイギリス海軍の実際と相当に乖離している。 (p68) (p71〜72) 

(注) : 『Fifty Years in the Royal Navy』 (Admiral Sir Percy Scott, 1919)


PercyScott_Fifty_01.jpg

 などと、何の根拠もない暴言を吐いてまで。

 この砲術の話しが 『別宮暖朗本』 の表看板としての “ウリ” だというのですから、まったくもって驚くばかりです。

 砲術はもちろん、海軍や艦艇についても何等の素養もない素人さんが調子に乗ってものした “空想” “妄想” 話に過ぎないものを 「これが真実だ」 と言う。 その揚げ句に暴言の数々。 余りにもお粗末です。

 そして更に言うなら、このような全くの素人さんの書いたものを、何等の裏付けも取らずに安易にそのまま本にして世に出す 「並木書房」 や 「筑摩書房」 の出版社としての姿勢も当然問われて然るべきでしょう。
(この項終わり)
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2011年02月14日

加藤寛治の砲術 (9)


     照準点

一、四千米突以上の射距離に在りて横射に在りては敵艦如何なる方向に在るを問はず敵艦首より約四分の一の処にして前檣の直下 (二檣の場合を言う一本檣の時は最前部煙突の前方前艦橋の下を言う) 水準線上約三分の一の所 (甲) と改む縦射に於ては乾舷上中部 (乙) を照準するものとす


mikasa_sensaku_02.jpg

二、四千米突以内の距離に在りては十二尹砲は主として中央機関部の水準線直上を照準し (丙) 六尹以下の砲は飽迄も第一項を継続するものとす


三、三千米突以内に在りては十二斤砲以下は主として六尹砲台以上艦の中央部に射注するを要す


四、水雷艇 (駆逐艦) は常に其の艇首を照準す可し


五、照準線は如何なる場合を問はず必ず敵艦の艦首より此を導き前記の照準点に至らしむるものとす


六、通常射手が引金を曳き発砲するの作用を為したる瞬間より弾丸の砲口を離るるに至る迄は平均約半秒の間隔ある事を記憶す可し


 照準点の設定については、この後の 「付言」 の項でその主旨について出てきますので、そちらと併せてお読みください。

     号 令

一、号令は総て号音、電話管、電気通信機及白書したる黒板を以てす


二、敵の軍艦水雷艇に向て同時に交戦する時は各必要なる号令の頭首に敵艦或は水雷艇なる語を冠して区別するものとす


三、距離の言令には左の発音を用ゆ
  ヒト フタ サン ヨン  ゴ  ロク ナナ ハチ キュウ ジュウ
  一  二  三  四  五  六  七   八   九   十


四、目標となす可し敵艦艇を示さざる時は砲台長或は砲台附将校は前に本職の指示する方針に従ひ適宜の選択をなし示令するものとす


五、先頭艦は戦闘艦と国音等しきを以て嚮導艦の語を用い最後の艦は殿艦なる語を用ゆ其の他の艦に在りては先頭或は我より見て右或は左より番号を以て示し 「右或は左より何番艦」 と唱ふ


六、転舵を為す時は面舵 (取舵) 宜候と唱へて砲台に通報す


七、射距離正確なりと信思するも弾着不良なる時は砲種或は砲番号と共に遠近を示して不良なるを知らしむ


 特にご説明を要するものはないと思います。

     付 言

(イ) 八月十日の海戦は砲弾の被害をして比較的艦の後部に多かりしを確証せり
而かも巨弾の破孔と雖も中央以後に於ては艦の応力より生ずる所の妨害を受けずして防水塞孔に易く吾人が最終の目的たる敵艦の進退度を失はしめ且つ之を撃沈するには極力彼の前部に集弾して比較的軽弱なる前部水準線の破壊を逞ふするにある事疑を容れざる所なりとす
此れ本職が戦策に於て六尹砲以下の照準点を敵艦前檣直下水線付近と変更せる所以にして唯だ十二尹砲に在りては尚ほ其の命中公算を減殺せしめざるの考慮より従前の如くに止めたり
各砲台長は深く此意を解し六尹以下の砲手にして努めて敵艦の前部に集弾するの習性を平素より涵養するに十二分の努力を希望す


(ロ) 厳格なる射撃軍紀の維持は砲戦中敵に制勝すべき唯一の素因なり
戦已に酣に砲声殷々号令の通達を妨げ砲火の指揮将さに錯乱せんとするに至るを見ば本職は直に 「打方待て」 の号音を発し一時射撃を中止し砲手を沈着せしめ静かに射撃諸元を修正して更に発砲を開始せしむる事あるべきを以て砲戦中此号音を聞かば各砲台は即時に発砲を止め静粛に且つ尤も留意して新諸元及射撃命令を聴取することに努むべし


 (イ) 項については、日本海海戦におけるバルチック艦隊に与えたダメージを見る時、この方針が守られ、かつ適切であったことが判ります。 逆に言えば、それが出来る砲戦距離でもあったわけですが。

 (ロ) 項についても、日本海海戦における諸艦の戦闘詳報を見るに、この方法が有効であったことが判ります。 そして逆に言えば、これが 「一斉打方」 ではなく、砲側照準による 「独立打方」 であったことの一つの証拠でもあります。

       水雷戦策

一、魚形水雷は甲種水雷を使用す 但し乙種調和器発条に変換し得る準備あるべし


二、水雷の発射角度は前部は正横前十度後部は正横後二十二度半なる故に逆行の場合には艦首より其の角度迄の方位以外に於ては殆んど発射の時機なきを以て其の方位以内に於て発射の時機を得る事に努む可し同行の場合には之に及ばず


三、敵艦隊と平行の場合に於て正横距離二千五百米突以内にあらざれば発射の時機を得る事難し此線上に於て発射し得る最遠距離は約五千米突にして正横より四点又は五点以上の方位以外に於て照準を定むるの必要あり


四、艦隊の戦闘に於て本艦が敵に接近するの機会は寧ろ前部発射管に多きを見るならん故に乙種若は甲種の変換は一層迅速ならん事を要す


五、水雷発射の為め転舵の必要あるも砲火の妨げをなすことなく其の成功を期し得るの時に限り施行せんとす

(終)

 水雷戦術のことですのでここではご説明は省略しますが、魚雷についてこの後別項にてお話しする時のために覚えておいていただきたいと思います。

 それは 「甲種水雷を使用す」 と言っていることです。 そして必要に応じて何時でも乙種に切り替えて使うということを。 (えっ、何を言いたいのかもう判った、ですって? 鋭い!)
(この項続く)
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2011年02月12日

加藤寛治の砲術 (8)


    射距離

一、八千米突以外に於ては発砲せざるを例とすと雖も指命砲火を試むる事在るべし但し十二尹砲は一万米突以内に入て試射をなす事在るべし


二、七千米突内外に於て砲種を指命し緩発射をなさしむるを例とす


三、六千米突以外に於ては急発射を行はざるを例とす


四、故障の為め艦橋或は司令塔より号令杜絶する時は砲台長は所信を以て下令し独断砲火の最大効力を期す可し


五、艦橋より令する射距離は六尹砲を基準とし弾丸命中の必すべき確信せる者を指示するを以て該種の砲に在りては随意に変更するを許さずと雖も他種の砲に在りては砲台長は其の性癖を鑑み是が修正をなす者とす


六、若し射手の性癖に依り自ら弾着の正中を期する能はざるを確信するものは照準するに当り現視点を加減して修正するを要す


七、砲台長の号令杜絶する時は砲台附将校又は射手は弾着に依り距離を修正する事を得


 海戦における砲戦距離は、日露戦争開戦前においては3〜5千メートル、砲戦開始時においては最遠距離でも6千メートル程度と考えられていました。

 これは明治36年に海軍大学校が作成した 『艦砲射撃要表』 でも明らかです。

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( 『艦砲射撃要表』 表紙   本家サイト所蔵史料より )

 この要表は、主として砲術長以上の指揮官、参謀用に作成された、ポケットブック式の見開きのもので、厚紙が裏打ちされています。 各種砲の簡易射表や、各種参考データ、距離苗頭簡易修正盤などがコンパクトに纏められている非常に便利なものです。

 そしてこの要表の 「常用射表」 の部は次のとおり射距離6千メートルまでしかありません。

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 つまり、当時は艦砲の砲戦能力は勿論、指揮要具・通信装置なども併せて、これが限界と考えられていたことが判ります。 ただしこれは砲弾が届く届かないとか、威力が有る無いの事ではありません。 射撃計算を含む、射撃指揮上の限界ということで、これより遠距離では有効な射撃が期待できないということです。 そして陸上砲撃などで使用する遠距離用の射表は別頁になっています。

 しかしながら、37年8月の黄海海戦では、冒頭の接敵運動などに錯誤があり、それまででは考えられなかった遠距離で砲戦が開始されてしまった上に、結局近距離での決戦に持ち込むことができずに終わってしまいました。

( 黄海海戦での砲戦については、また別に機会を設けてお話ししたいと思います。)

 本戦策ではこの射距離について、黄海海戦での教訓が盛り込まれており、出来る限り砲戦開始は7千メートル以下、主たる砲戦は6千メートル以下で実施したいと考えていたことが判ります。

 つまり、『艦砲射撃要表』 にも見られる様に、開戦直前に海軍大学校などにおける砲戦距離の考え方が正しかったことが実証され、遠距離あるいは反航戦では有効な射撃が実施できる目途が立たなかったということです。

 余談ですが、日本海海戦劈頭におけるかの東郷ターンは、敵艦が8千メートルに近づいたから回頭したのではありません。 回頭し終わった時に敵艦が常用射距離一杯の6千メートルになるように回頭したのです。 しかも、丁字戦法で敵の頭を押さえる位置になるように。 結果は実に見事な、ドンピシャリの回頭だったわけです。 加えて、既にお話ししました様に、日本側が回頭中は日本側はもちろんのこと、ロシア側も有効な射撃が出来ないこと理解した上で。 このことが判っていないと、世間一般によくあるおかしな論評に繋がることになります。

( もちろんこの日本海海戦における東郷ターンと丁字戦法についても、何れ別の機会を設けて詳しくお話ししたいと考えています。)

    苗 頭

一、風力及敵艦の速力を艦橋より通告すると共に六尹砲に対する苗頭は戦況此を許す限り一切の諸元を修正したる決定距離苗頭を艦橋より示令す 其の他の諸砲に在りては別表 (省略) に依り六尹砲との対照差を改正し砲台長之を令す


二、複雑なる戦況に会対し同一なる射距離及苗頭を以て発射する事能はざる時は艦橋より中央部六尹砲に対する射距離苗頭を示令するを以て砲台長は其の他の者に対し適当の修正を施し之を指揮するを要す


三、操舵の際は艦橋より通告するを以て砲台長は適当の修正をなすを要す


四、射手の性癖に依り自ら弾着の偏位を来すと確信する者は多少の照準点を傾偏して修正するを要す


五、艦橋或は司令塔よりの号令杜絶する時は砲台長は所信を以て修正し全然是が指揮をなすを要す


六、砲台長の号令杜絶する時は砲台将校或は射手は弾着に依り是が修正をなすべし


 「基準砲」 の考え方、そしてそれに伴う各砲台、各砲における艦橋よりの射距離・苗頭の修正については、既にご説明してきましたので、更なるものはもう不要でしょう。

    目標の選択

一、最近距離の敵艦を目標となすを原則とすと雖も旗艦若くは最も我に危害を与ふる敵艦を目標と為すは又本職の希望なり


二、縦陣の敵に対しては我に近き先頭艦を目標となすを例とすと雖も彼我相反航する時は次第に目標を変更し以て最近艦を狙う者とす但し追越陣形には殿艦より始むべし


三、横陣の敵に対しては我に近き翼艦を目標となすを例とす


四、指示艦を照準する能はざる砲に在りては砲台長は前項の主旨に留意し適当の目標を選択す可し


五、敵の軍艦及水雷艇 (駆逐艦) に向て交戦するに際しては十二斤砲以下の砲を以て水雷艇 (駆逐艦) を砲撃するを例とす然れども水雷発射の有効距離内に入るに及では六尹砲は是に併用するものとす


六、敵の軍艦及水雷艇 (駆逐艦) に向て交戦するに際し艦橋より下す令は主として敵艦砲撃の必要なる者を令し水雷艇の砲撃に対しては重なるものの外専ら砲台長の示令を待つを例とす


 これもそのままお判りいただけると思いますので、特にご説明を要することはないでしょう。
(この項続く)
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2011年02月10日

加藤寛治の砲術 (7)


      砲戦策

    砲火の指揮

一、砲火の指揮は本職是れが大要を掌握し其の幾分を砲台長に委かす


二、六尹砲を以て他方の基準とし其の他の諸砲に在りては砲台長は基準砲の射撃諸元及び弾着に従い射距離苗頭を修正して正確なる命中弾を期すべし

但し六尹砲射程以外に在りては前部十二尹砲塔を基準とし艦橋に於て是が指揮を掌握す後部十二尹砲塔は射撃諸元の修正に於て努めて同砲に準拠すべし


三、射距離は毎百米突を変更することに弾着は不良と認むる時期に於て示令通告す可し


四、艦橋若くは司令塔より下令する者は何人たるを問わず凡て本職より出づる者と心得べし


五、砲火の開始及継続は大約左の要領に従はんとす


  (イ) 彼我の速力及射撃すべき目標を示す


  (ロ) 六尹砲に対する基準苗頭を推算し風力と共に此を砲台に令す
但し基準苗頭は射距離、風向、風力、本砲射角 (大約の) 及び敵の針路角に対する一切の諸元を改正したる者にして六尹砲は直に此を用いて発砲し得べき者とす


  (ハ) 砲台長、砲台附は六尹砲に対しては直に之を復令し其の他の諸砲に在りては艦橋より令せられたる基準苗頭と本砲固有苗頭との対照差を施し此を各砲に復令す
但し同一目標を射撃せざる場合に於て射角に甚しき差異ある某砲は砲台長に於て適宜の修正を加ふ


 当時の射撃実施要領の基本が「基準砲」を指定して行う方法であることは、既にご説明したとおりで、その事が実際に 「三笠」 の砲戦策でも規定されています。

 ここではもう特に付け足してご説明する必要はないでしょう。

  (ニ) 目標の変距至少にして戦況之を許す時は左の順序に試射を行はんとす

    第一次

(甲) 六尹砲一門づつを以て行う指命発射法
    本法は六尹砲中最も熟練なる射手をして各独立に試射を行う者とす

    第二次

(乙) 六尹前部砲台の一舷四門を以て行う混射法
    本法は砲戦の初期に当り弾着の観測容易なるも最遠距離にして測距儀
    の指示甚だ信頼すべからざる場合に行ひ常に三 (四) 番六尹砲を以て
    基準砲と定む

   一、号令
    右 (左) 舷六尹前部砲台混射にて試し打方 ― 等差何百苗頭距離
   (等差は通常四百米突以内とす)

    砲台長は令して基準砲たる三 (四) 番六尹砲をして艦橋より令せられたる
    苗頭及射程を採らしめ基準砲より番号少なき一 (二) 番六尹砲は基準砲
    より等差を減じたる射程を採り番号多き砲即ち五、七 (六、八) 番砲は等
    差を追加せる射程を採らしむ
    其の他の諸砲は総て基準砲と等しき苗頭距離に照尺を整へ 「打方待て」
    の姿勢を保つべし

   (例) 左舷六尹前部砲台を以て本法の試射を行はんとする時等差二百射程
    七千米突とする時は四番六尹砲は七千に、二番六尹砲は六千八百に六
    番六尹砲は七千二百に亦八番六尹砲 (此の場合丈は特に四番分隊長の
    指揮下に入らしむ) は七千四百の射程に整る如し

    試砲発射用意 ― 打て (電気通報器及言令を用ゆ)

    試砲は殆んど一斉に発砲し迅速に装填して次の令を待つ本試射法に依り
    射程を修正するは左の標準に依る

    四発の内三発遠弾なる時基準射程に等差の半を減じたるものを決定距
    離とす
    四発の内三発皆近弾なる時は基準射程に等差の一倍半を加えたる者を
    決定距離とす
    四発中遠弾近弾相半ばする時は基準射程に等差の半を加えたる者を決
    定距離とす

(丙) 六尹砲台全部若くは六尹前部砲台の一舷砲を以て行う発射法
    本法は混射法に依り略ぼ射程を発見したる後更に正確に射距離を修正せ
    んとする時若くは艦隊戦闘の如き場合に於て弾着の観測容易ならざる時に
    用ゆ

   一、号令
    右 (左) 舷六尹砲或は六尹前部砲台一斉に試し打方 ― 苗頭距離

    砲台長は之を復令す戦側の諸砲は総て令されたる苗頭距離に照尺を整
    へ 「打方待て」 の姿勢を保つ
    試砲に命ぜられたる六尹砲は迅速に目標を照準し発砲の令を待つ

    試砲発射用意 ― 打て (電気通報器及言令を用ゆ)

    砲台長は此を復令し試砲は 「打て」 の令にて照準の来ると共に殆ど一斉
    に発砲し迅速に装填して再び次の号令を待つ艦橋に於ては弾着を観測し
    上檣楼の報告を斟酌して新苗頭及距離を令し再三同一の試射を繰返し
    弾着正確と認むるに至らば決定距離及苗頭を砲台に令し 「打方始め」 の
    号音を以て諸砲台の砲火を開始す


(備考)

  一、本法は努めて多数の弾丸を某点に集ぎんし以て弾着点の識別を容易ならしめ斯くのごとき落弾の集束を前後左右し結局此を以て目標を掩ふに至らしむるを修正の極度となすにあるが故に試砲たるべき各砲は艦橋より令する所の射距離及苗頭を厳守し固有差の外毫も任意の加減を許さず


  一、斉射毎回の間隔は少くも廿秒内外なるを要す


  一、本法は砲戦酣なる時と雖も弾着の観測不可能なる場合には此を用ゆることあるべし


  一、混射、斉射共に 「殆ど一斉に発砲す」 とは 「打て」 の時機に於て各砲照準線の目標に来れる者より号令に従て発射し照準線の来らざるものは尚ほ一、二秒の間隔を置き正視の時機に於て発砲するの猶予あるを示す


   (丁) 六尹砲射程以上の砲戦に於る試射
  右の場合に於ては前部十二尹砲の試射に依り射程を定む試射は独立打方
  の要領を基本とし同一の苗頭距離を以て砲塔長及砲塔次長をして別個に照
  準せしめ砲塔士官の号令に従い砲塔長の発砲に従て砲塔次長も殆ど一斉に
  発砲する準斉射法を用ゆ
  後部十二尹砲は前項の試射を了り決定距離及苗頭を得 「打方始め」 の号音
  ある迄は発砲するべからず


 試射の要領について、(甲) 〜 (丁) の4つの方法が規定されています。 そして注目していただきたいのは、先の 『八月十日の海戦に於て砲火の指揮に関し得たる実験要領』 において “ダメ” とされた方法である (甲) の1門をもってする試射法の優先度が最も高く、通常の方法であるとされている点です。

 そして当該文書には出てきませんでしたが、当時としては一般的に用いられていた 「混射法」 と言うのが新たに付け加えられ、2番目の方法とされていることです。

 その理由については記されておりませんので詳細は不明ですが、結局のところ加藤寛治が当初主張した (丙) の6インチ砲の斉射による方法では、当時の装備・設備をもってしては、その後の訓練などでも思った程上手く行かなかったものと考えられます。

 それは上記の備考で色々細かく指摘がなされていることからも推測できます。

 これを言い換えると、当時としては 「斉射」 ということだけをとってもそれが如何に難しいものであったか。 即ち 『別宮暖朗本』 の著者や遠藤昭氏などが机の上で空想に耽って出来る様な簡単なものではない、ということです。
(この項続く)
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2011年02月08日

加藤寛治の砲術 (6)

 それでは、黄海海戦後の 「三笠」 において艦長がその戦闘要領を定めた 『三笠戦策』 (砲戦策) が実際にはどうなっていたか、です。

mikasa_sensaku_01.jpg

 ここでご紹介するのは、本家サイトやこのブログへもご来訪されるHN 「へたれ海軍史研究家」 さんが入手されたもので、同氏のご厚意によりコピーを頂いたものです。 氏にはここで改めてお礼申し上げます。

 ただこれの最も残念な点は、37年8月の黄海海戦における戦訓を受けてそれまでの戦策を改訂したものですが、その改訂日が記されておりませんので、黄海海戦以降、日本海海戦までの何時の時点のものなのかが不明な点です。

 しかしながら、幸いにしてこの文書の表紙に当時第1艦隊附であった福井義房少尉 (海兵31期) の名が記されていることから、その時期が判断できます。

 つまり、福井少尉は明治37年9月23日に少尉候補生として 「三笠」 に乗り組んでおり、翌38年1月12日に少尉に昇任、同日付で第1艦隊附になっております。 そして、2月13日付けで 「出雲」 乗組を命ぜられて同18日に 「三笠」 を退艦しています。

 したがって、この文書は明治38年1月12日から2月13日までの間に福井少尉が入手したことになり、そして少なくともこの時点ではこの文書が 「三笠」 の現用の戦策であったということが判ります。

 そして、砲術長の加藤寛治はその同じ2月13日付けで海軍省副官兼大臣秘書官に補職替えとなって同15日に 「三笠」 を退艦、後任に同期の安保C種 (海兵18期) 少佐が 「八雲」 砲術長から補職替えとなり3月10日に 「三笠」 に着任しておりますから、この文書は安保C種へ申し継いだ加藤寛治の砲術の集大成でもあったことになります。

 何故なら、本戦策は当然のことながら、一艦の戦闘指揮官であり砲戦指揮官である艦長名で出されていることは言うまでもありませんが、艦長の伊地知彦治郎大佐 (海兵7期) は元々が水雷畑出身であり、ナンバー2の副長は38年1月7日付けで交代し、前任の秀島七三郎中佐 (13期) は水雷屋、後任の松村龍雄中佐 (海兵14期) は航海屋であることから、本戦策の策定に当たっては砲術長加藤寛治の意見がほぼ全面的に反映されていることは確かだからです。

 それでは、加藤寛治の砲術について、2つ目の根拠文書である 『三笠戦策』 の全文を頭から順にご紹介していくことにします。

  戦策 (八月十日海戦に鑑み増補改正す)
                      三笠艦長 伊地知彦次郎

 艦長は緒戦に於て能く其の指揮を掌握するを得ると雖も砲火一度開始せんが戦闘の変化は極まりなく種々の状態を現出すると共に混乱蝟集し往々是れが容易ならざる者あるを信ず 依て本職は茲に本職の採らんとする戦闘法を示し且つ戦闘の際下す可き号令命令等を成る可く簡単明瞭ならしめんと欲す

 本職は向後の戦闘を予想すると共に現長官の意志を考察するに最近五千内外の距離に在て交戦するを主とせらるるを相察し一意砲熕の力に信頼して勝敗を決せんとし水雷を以て第二に置き機宜に依り之を使用せんとす 本職は六尹砲を各砲種の基本とし終始是れが指揮を艦橋に掌握すると雖も其他は各部の長の技能に信頼し以て十全なる効果を発揚せん事を期す

 まず書き出しは、この戦策の策定目的と全般方針です。

 ここで注意していただきたいのは、「6インチ砲を各種砲の基本とし」 と言っておりますが、これは主砲よりも6インチ砲の方を重視することを意味するものではない、と言うことです。

 つまり、既にご説明してきました様に、各砲台長による射撃指揮を基本としていた当時の砲術にあって、艦長・砲術長が艦橋において一艦の全砲火を指揮するためには6インチ砲を基本に据えるのが最も簡単で都合がよい、ということなのです。

 即ち、複雑で面倒な主砲のことはその砲台長に任せておけばよい、ということで、決して主砲たる12インチ砲の能力・威力そのものを軽視したものではありません。 これは間違えない様にしてください。
(この項続く)
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