2013年10月15日

『銃砲史研究』 第377号

「日本銃砲史学会」 の会誌 『銃砲史研究』 の最新刊である第377号に私の記事を掲載していただきました。

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同学会は今年で創立50周年だそうで、その記念企画の一つとして、同学会が出している会誌に以前掲載されたものの中から一定のものを選び、温故知新として再録されるものです。

その第1回目が昭和44年の第12号に掲載された、旧海軍砲術研究の第一人者である黛治夫氏の次の記事です。

『 日本海海戦における東郷艦隊の敵前大角度方向変換について 』

そしてこれに関連して、同会からこの黛氏の記事の解題を依頼されましたので、これについて纏めたものが私の記事です。 題して

『 (解題) 敵前大回頭に関する黛論文の評価と今日的実相 』

黛氏の研究成果の初期のもので一般に知られている有名なものは、かつて月刊誌 「世界の艦船」 に 『海軍砲術史話』 として連載され、そして後にこれを元に纏め直したものが原書房より出版された 『海軍砲戦史談』 であることはご存じのとおりです。

本会誌に掲載されたものはこれらより前のもので、黛氏の戦後における海軍砲術研究の成果発表の最初のものです。

そして、執筆当時までに世に出されていた回想録や伊藤正徳、水野広徳氏などの著書を引用したり、また対談形式での解説など、一般の人々に判りやすい内容を心掛けていることが特色です。

内容的には黛氏がその後に改めて出されたものから外れるところはありませんが、氏の研究の跡を辿る上では貴重なものと言えます。

もし興味のある方がおられましたら、会誌の入手方法などについては直接 「日本銃砲史学会」 にお尋ね下さい。

「日本銃砲史学会」 公式サイト :


なお、今回の私の記事の内容については、この後に項を改めてお話しすることとします。 ちょっと面白いことを書いてみましたので (^_^)

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2013年09月29日

「三笠」 の47粍保式軽速射砲

「三笠」 の考証では定評のあるHN 「八坂」 氏のブログ 『軍艦三笠 考証の記録』 で、今回は後部艦橋両脇に移設された47粍軽砲についての考察がUPされました。


その中で呉海軍工廠で修理を終えた 「三笠」 が佐世保への回航前に明治38年2月14日江田内に寄港した際の写真を解析し、これの存在を確認されています。

私の手持ちから当該写真をご紹介しますと、これ ↓ です。

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この写真の後部艦橋付近を拡大して、画質を少し調整してみますと、

mikasa_M380214_ss_mod.jpg

間違いなく、右舷の3番砲の砲身と肩当てが写っていることが判別できます。

左舷の4番砲は肩当てらしきものが写っていますが、残念ながら明瞭ではありません。

う〜ん、良く見つけましたねえ。 と言いますか、そもそもこのような写真を拡大してみるの、と驚かされます。 流石です。


折角ですから八坂氏の当該記事とコラボで、ちょっと補足を。

申し上げるまでもないと思いますが、旅順港に立て籠もるロシア太平洋艦隊を殲滅後、来るべきバルチック艦隊との決戦に備えて 「三笠」 は37年12月〜翌年2月に呉海軍工廠で修理を行いました。

この時に、それまでの戦訓により前後部マストにあった戦闘楼 (ファイティング・トップ) が廃止されましたが、ここにあった47粍重砲計8門の内の4門が左右ボートデッキの中央部に元々あった47粍軽砲各2門と換装され、そしてこの47粍軽砲が前後艦橋両脇にそれぞれ移設されたものです。

この47粍軽砲移設後の姿は、前部艦橋両脇のものは既に38年2月に佐世保で撮影されたもので確認されていましたが、後部艦橋両脇のものはこれまで写真での確認がとれていませんでした。

中には、37年9月に47粍軽砲2門を第三軍に貸し出したままで、移設後 (日本海海戦時) も後部艦橋両脇については欠のままではなかったのか、とまで言い出す人も現れる始末で ・・・・ (^_^;

( もっとも、日本海海戦時の47粍軽砲については、「三笠戦闘詳報」 で1、3、4番にそれぞれ損傷を受けたことが記載されていますので、元々言わずもがなですが )

この第三軍に貸し出したものは、旅順戦後に海軍に戻されており、呉海軍工廠において整備の後 「三笠」 に戻されております。

このことは 「極秘明治三十七、八年海戦史」 の中でキチンと記録されています。

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艦艇名   :  三笠
換装砲号 : 11765、11768
換装記事 : 38年1月20日呉海軍工廠より砲鞍と共に交付す。該砲は37年9月3日命に依り第三軍用として重砲隊に供給し同隊にて不用と為り後送の後再本艦に補充す

そして1月1日付けの 「軍艦三笠現状報告」 では、

Mikasa_Status_M3801_s.jpg

砲銃及其付属品 : 第三軍へ貸与したる軽47密砲2門を欠くの外現月内に完備の見込

とされていますが、2月1日付けの同報告では、

Mikasa_Status_M3802_s.jpg

砲銃及其付属品 : 第三軍へ貸与したる上陸砲架2台請求中に付之を除くの外2月10日迄に完成の予定

となっており、この事実が裏付けられています。

ただし、「三笠戦時日誌」 の1月20日の頁にはこのことについての記載はありません。 おそらく戻ってきた砲を単に移設した砲架の上に載せるだけですから、わざわざ記述するほどのことではないと考えられたのでしょう。

Mikasa_WD_M380120.jpg

なお、この野戦砲架も代用品を佐世保海軍工廠に請求し、3月中に受け取っています。

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( 図は正規の47粍砲用野戦砲架 )

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(注) : 写真及び図面を除き、本稿で使用した文書画像は全て防衛研究所図書館所蔵史料からのものです。 これらの史料はアジ歴でも公開されていますので、興味のある方は探してみて下さい。


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「三笠」 の47粍保式軽速射砲(続) :

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2013年06月26日

「丸」 8月号

潮書房の月刊誌 「丸」 の8月号が間もなく書店に並びます。

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今月号は戦艦 「扶桑」 型の特集ですが、私も一つ書かせていただきました。 題して 『 「扶桑」 型の砲戦能力と日本海軍の砲術』

スリガオ海峡夜戦の真実も含め、「扶桑」 「山城」 の砲戦能力について解説しております。 是非ご一読を。

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2013年06月14日

黒色火薬と無煙火薬 (補)

以前、黒色火薬と無煙火薬のお話しをしました。 何故無煙火薬が誕生したのか、ということで、その時は主として燃焼速度と成形の点からでした。

『黒色火薬と無煙火薬』 :

『黒色火薬と無煙火薬 (続) 』 :

そこで、両者のもう一つの大きな違いである燃焼時に発生する煙、即ち発砲煙について、その典型的な写真がありますので、ご紹介します。

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1890年代初頭の英国において6インチ速射砲を使っての試験のものです。 申し上げるまでもなく、上が黒色火薬、下が無煙火薬 (コルダイト) のものです。

速射砲における無煙火薬の必要性については、この写真が全てを物語っていると思います。


バタバタしておりまして手が空きませんので、簡単なもので (^_^;


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2013年05月05日

旧海軍の 「測距射法」 について

本家サイトの今週の更新として、『砲術講堂』 コーナーの 『射法理論』 に変距射法と並び旧海軍の二大射法の一つであった 「測距射法」 について追加公開しました。

測距射法は大変に優れたものですが、砲戦距離の増大に伴って距離測定のための肝心な測距儀の精度がそれに追いつかなくなったために、変距射法の後塵を拝することになってしまいました。

しかしながら、旧海軍でも今次大戦期後半には電探 (レーダー) が導入され、これを利用した 「電探射撃」 においてこの測距射法が再度復活しましたが、残念ながら十分な研究・活用期間がないうちに終戦を迎えてしまいました。

戦後の海上自衛隊では、当然ながらこのレーダー射撃の全盛期となり、射法も当初は旧海軍の流れを汲んだ測距射法を応用しましたが、射撃用レーダー及び射撃指揮装置の発達により、更に一歩進んだ 「連測射法」 へと進化しました。

今回はその旧海軍の 「測距射法」 の初歩について解説しましたが、本来はもっと複雑な話しであり、かつこれを実際の射撃において実践するのは大変に難しく熟練を要するものであることをご理解いただきたいと思います。

なお、「測距射法」 に関連して、複数の測距儀をどの様に同時に利用したのかの例として 「大和」 型に装備された 「九八式射撃盤改一」 の機構を一緒にご紹介しましたのでご覧いただきたいと存じます。

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2013年04月28日

今週の本家サイトの更新

本家サイトの今週の更新として、先程 『砲術講堂』 コーナーにおける旧海軍の 『射法理論』 について、変距射法における本射の要領のうち、残っておりました 「打消修正」 と 「本射要領のまとめ」 を追加公開しました。

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これにて変距射法についてはご説明を終わり、次回からは二大射法のもう一つ 「測距射法」 に移ります。

もちろん変距射法についても、もっと詳くご説明したいことは色々ありますが、そこまではとも思いますので、もし旧海軍の射法について興味をお持ちの方がおられましたら、今まで本家サイトでご説明してきたことを土台にして、専門史料に当たられることをお薦めします。


それにしても、

先日、某巨大掲示板においてこの旧海軍の射法についての議論が行われたようですね。

しかしながら、基本的なことさえ理解されないままで 「議論が噛み合わない」 とか 「推論して」 などという主張をされる方々がおられたようです。

また、常連さんと思われる方からでも、「目標の変針看破及び対処と公算射は別の技術です」 などという発言がありました。

う〜ん、ちょっと残念、と思いますが、逆に言えばそれくらい旧海軍の射法は奥が深いと言えますし、それだけに初心者の方々にとっては難しく、かつなかなか判りにくいものであるということですね。

私自身の経験としても、射撃指揮官として実際に自分で最初の射撃をしてみるまでは、頭の中で理屈を理解はしていても、感覚としては判らなかったというのが本音ですから (^_^;

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2013年01月26日

「扶桑」 の主砲射撃

HN 「北鎮海軍」 さんより、コメント欄にて 「扶桑」 の射撃についてお尋ねいただきましたので、こちらでその回答を兼ねてお話しすることとします。

ご質問の要旨は次のとおりです。

  いつも主砲身の左右仰角が違い、6砲塔ともきれいに同じ角度に撮影
  交互撃ち方専門戦艦? 左右一斉射撃ができない?


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( 「扶桑」 の主砲訓練風景 )

前にもどこかでお話ししたことがあり、また今回の雑誌 『丸』 2月号の拙稿の中でも触れさせていただきましたが、旧海軍においてはこの 「扶桑」 に限らず、全ての戦艦においては 「交互打方」 が基本でした。

これはひとえに砲塔動力の問題から来ており、全門一斉の斉射を行うとその駐退に水圧がとられてしまい、圧力回復に時間がかかることから、次弾の装填が極端に遅くなるからです。

旧海軍では大正期後半にこれについて実証試験を行い、その詳細な記録が今に残されています。

これによると、36糎砲搭載艦では、交互打方の場合の再装填秒時は平均で30秒弱といったところですが、斉射を行うと早い艦でも45秒を越えることになります。

このため、「扶桑」 のように6砲塔、全12門の場合、射撃指揮所において全砲塔 ・ 全砲の整備 (再装填を終わり、次発の発砲準備が完了) を確認して次の斉射を行うためには、斉射間隔は少なくとも約1分程度を要することになります。

したがって、必然的に用兵者としては 「交互打方」 をせざるを得ませんでした。

この問題は既に明治期から指摘されており、特に大正6年に射撃方位盤が装備され、これによる2万メートルを超える遠距離射撃が可能となると、用兵者から改善要望が強く出され続けました。

しかしながら、水圧問題がまがりなりにも何とか解決できたのは実に昭和12年のことで、これに伴って旧海軍ではそれまで実質的に交互打方だった 「一斉打方」 を本来の「交互打方」 に、そしてそれまでの「斉発打方」 を 「一斉打方」 という名称に変更し、砲術のバイブルである 『艦砲射撃教範』 の大改訂を行いました。

とは言っても、「長門」型に至って多少は改善されたものの、結局のところは装填機構そのものも含む技術的な問題もあって、用兵者が満足のいく 「一斉打方」 を実現することは遂にできず、基本的に 「交互打方」 が主用のままでした。

もう一つの問題が弾着観測です。

旧海軍では、長い間 の「交互打方」 によって作り上げられてきた射法によって、射撃指揮官が斉射弾着の1発1発を識別して、繊細な射弾指導を行う方法を採ってきました。

これが可能となるのは精々が6発程度、状況が余程良ければ8発程度、といったところです。 このため、特に 「扶桑」 型や 「伊勢」 型のように、全門12発の弾着を識別することなどはどんな熟練者でも不可能なことです。 (旧海軍の砲術の権威、猪口敏平氏でも6発までと言っています。)

この不確かな弾着観測による射弾指導では、それでなくとも遅い斉射間隔を以てしては早期に有効弾を得て、これを維持することなど不可能なことでした。 ここにも旧海軍において「交互打方」を主用とした理由 (特に平時の訓練射撃において) があります。

これを要するに、用兵者としては実戦に堪える射撃を行うためには 「交互打方」 とせざるを得なかったということで、決して 「扶桑」 型が機構的 ・ 構造的に斉発ができなかったということではありません。

したがって、今に残る戦艦の平時の訓練での射撃中 (単艦) の写真や動画はほぼ全て 「交互打方」 のもののみしかない、ということなります。

もちろん、初弾発砲前や外筒砲射撃のとき、あるいは単なる操砲・照準訓練のときは別であることは申し上げるまでもありませんし、また集中射撃では一斉打方を行うことがありますので、全門が同じ仰角の場合もあります。

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( 「山城」 の外筒砲訓練風景 )

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2013年01月06日

本家サイトの更新

先程本家サイトで今年最初のコンテンツの更新を行い、『砲術講堂』 コーナーの 『旧海軍の砲術』 で、『射法理論』 の 『水上射撃の射法』 に変距射法での 『本射の要領』 を追加公開 しました。

honsha_02_14.jpg

今回はその内の 「試射から本射への移行要領」 と 「本射中の修正要領」 の2つですが、既に公開している 『試射の要領』 と併せ、旧海軍の代表的な射法の一つである 「変距射法」 (時計射撃) について、そのエッセンスをお届けします。

できるだけ判りやすくと思いましたが、これ以上簡単にすると反って本質が見えなくなってしまいますので、慣れない方にはちょっと難しいかもしれません。

ただ、『海軍砲術史』 や 『艦砲射撃の歴史』 などにも書かれていない内容ですので、旧海軍の砲術を伝えるためにはこの程度のことは残しておかなければなりませんし、旧海軍の砲術を語る上での最低限のものかと思いますので、是非頑張って読んでみて下さい。

どうしても手に負えない方は、この後の続きでご紹介する予定の変距射法のまとめをお待ちいただければよろしいかと (^_^;


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2012年12月07日

『日本陸軍の火砲』 シリーズ全7部完!

 既に2回、佐山二郎氏の手になる 『日本陸軍の火砲』 シリーズをご紹介してきましたが、この度その第7部が刊行されてシリーズが完結を迎えました。

 つきましては、第7部も含めて一つに纏め直し改めてご紹介したいと思います。

 『日本陸軍の火砲』 全7部は次のとおりです。

   『高射砲』 (光人社NF文庫 N660、ISBN 978-4-7698-2660-6)
   『迫撃砲 噴進砲 他』 (光人社NF文庫 N676、ISBN 978-4-7698-2676-7)
   『歩兵砲 対戦車砲 他』 (光人社NF文庫 N697、ISBN 978-4-7698-2697-2)
   『要塞砲』 (光人社NF文庫 N714、ISBN 978-4-7698-2714-6)
   『機関砲 要塞砲続』 (光人社NF文庫 N729、ISBN 978-4-7698-2729-0)
   『野砲 山砲』 (光人社NF文庫 N745、ISBN 978-4-7698-2745-0)
   『野戦重砲 騎砲 他』 (光人社NF文庫 N761、ISBN 978-4-7698-2761-0)


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 今までは旧陸軍の火砲について纏まったものと言えば 『日本の大砲』 (竹内昭/佐山二郎共著、出版共同社、昭和61年) ぐらいしかありませんでした。 しかも当該書は既に絶版となっており、古書では3〜4万円ぐらい (定価9千円) します。

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 ここに来て佐山氏の全7部が立て続けに出版され、しかも文庫本で手軽に手に入りますので、これは非常に喜ばしいところです。

 内容は全て旧陸軍の史料に基づいており、図面や写真も当時の貴重なものがふんだんに掲載されています。 旧陸軍の火砲についてはまさに空前絶後の素晴らしい大作と言えるでしょう。

 この方面に興味のある方でまだお持ちでない方は、是非揃えておかれることをお薦めします。

 佐山氏とはNHKの 「坂の上の雲」 でもご一緒しましたし、某会での飲み友達 (失礼) でもありますが、非常に真摯な人柄の人でもあり、その著作は信頼するに足るものと言えます。 こういう良書が出版されるのは嬉しいですね。

 なお、本ブログでは現在イラスト・シリーズの一つとして 「日本陸軍の砲弾」 を連載中ですが、前回のドイツ軍の砲弾と同じく、火砲そのものについての説明はいたしませんので、この7部作などをご参照下さい。

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2012年11月11日

28糎砲弾

 2週間のお出かけ中に Mixi の方でHN 「呉市民まりもん」 さんから、呉の吉浦八幡神社の境内に飾られている28糎砲弾についてご質問をいただいておりました。


 この砲弾がどの砲のものなのか、そしてその史料的な価値は、ということですが、Mixi のメッセージで回答するにはちょっと長くなりますし、皆さんへのご参考としてもこちらでご紹介します。

 同氏は Wikipedia で紹介されている旧陸軍の 「二十八糎榴弾砲」 の砲弾に良く似ているとのことでした。


 この砲弾、その最大の特徴と言いますか、識別点は弾底部の形状にあります。

 実は上の2つのサイトにある写真では、その両方ともこの部分に本来あるべき導環部がありません。

rotating_Band_02.jpg   rotating_Band_01.jpg
( 両写真とも上記サイト掲載写真より部分 )

 本来は下図のとおりの形状をしたものがついており、この形式を 「エルズウィック式導環」 (Elswick Ring) と言います。

11in_ML_Arms_AP_02.jpg

 この導環形状をご覧いただくとお判りのように、発射の際には施条との勘合部で剥離、断裂などが生じやすく、したがって発射により施条に食い込む方式の後装砲では、この形状が用いられることはありません。

 旧陸軍の 「二十八糎榴弾砲」 は後装砲であり、したがってこの導環形式の砲弾が用いられることはありませんし、そしてこの砲の砲弾形状は残された写真及び図面からもハッキリしています。

28cm_kentetu_01.jpg
( 佐山二郎著 「日本陸軍の火砲 機関砲・要塞砲続」 より )

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( 佐山二郎著 「日本陸軍の火砲 機関砲・要塞砲続」 より )

 したがって、Wikipedia の掲載写真は誤りで、少なくともこの二十八糎榴弾砲のものではありません。

 吉浦八幡神社のものは、HN 「呉市民まりもん」 さんからのメッセージに

 この弾のサビ落としたら、「威海衛砲艦」 とか銘が出てきたらしく、

 とありましたが、これで正解で、日清戦争の時に威海衛で捕獲された 「鎮東」 型砲艦6隻が搭載した 「三十五噸前装安砲」 (旧海軍編入後に 「十一尹前装安砲」 と名称変更) 用のものです。

Chintou_01_s.jpg
( 旧海軍編入後の 「鎮東」 )

Chintou_02_s.jpg
( 砲架・砲台の旋回はできないため、左右の照準は艦の向きを変えて行います。)

 旧海軍にはこの砲用の弾丸として 「堅鉄榴弾」 「通常榴弾」 「榴霰弾」 「霰弾」 の4種がありましたが、吉浦八幡神社のものは弾頭信管を使用するものであることから、これらの内の 「榴霰弾」 と判断されます。



11in_ML_Arms_AP_01.jpg
( 堅鉄榴弾 )

11in_ML_Arms_SH_01.jpg
( 榴霰弾 )

 ただし、この 「十一尹前装安砲」 及びその砲弾についてのスペック・データは不詳です。 アームストロング社製であることは知られていますが、その英国側の文献でも出てきません。 安式の11インチ前装25噸砲というのは英海軍にあるのですが ・・・・?

 では、この砲弾の史料的価値は、ということですが。

 「鎮東」 型砲艦そのものが日清戦争を含む実戦に於いて全く活躍したことがなく、かつ旧海軍に砲艦として編入後もほとんど利用価値がありませんで、同型艦6隻は明治36年に雑役船となり、同39年には除籍されています。

 したがって、日本史、あるいは日本海軍史における史料的な価値があるかというと、残念ながらそれ程のものではないと言わざるを得ません。

 ただし、砲熕武器発達史における旋条砲への過渡期である前装旋条砲の砲弾の一種ということでは珍しいものです。 奉納の経緯などは判りませんが折角のものですので、鉄砲屋としては末長く保存して貰いたいですね。

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2012年06月09日

陸軍の砲弾で悩む

 次のイラスト・シリーズは旧陸軍の砲弾を予定していることは既にお知らせしてあるとおりです。

 ここで今ちょっと悩んでおります。 それは口径何ミリのものから始めるか、ということです。

 ご存じのとおり、旧陸軍では 「砲」 とは20ミリ 以上のものでした。 (正しくは13ミリ以上が 「砲」 ですが、実質的に20ミリ未満のものが存在しませんでしたので。)

 一方、旧海軍では明確な定義はされていなかったものの、大正期以降の実際的な区分としては口径40ミリ以上のものを指していました。

( 明治期には最小11ミリまでの「機砲」というものがありましたが、大正期以降は40ミリまでが 「機銃」 として存在しました。)

 それでは、旧海軍に合わせて40ミリ以上にするか、というと問題が出てきます。 37ミリの戦車砲や対戦車砲、高射砲などがあるからです。 これらのものを外すわけにはいかないでしょう。

000_37mm_AMMO_s.jpg
( 左から一式 (対戦車砲)、九四式 (対戦車砲)、九四式 (戦車砲)、ラ式 (対戦車
  砲) 用の各37ミリ砲弾薬で、弾丸は全て九四式榴弾、各弾頭には仮栓を装着 )

 では37ミリまでを含めるか、というと今度はこの口径の機関砲が出てきます。

 機関砲を含めるとなると、20ミリ以上と言うことになりますが、やはり機関砲弾を一般的な意味での “砲弾” に含めるには私としてもちょっと抵抗があります。

 そして今後のこととして、旧海軍の砲弾シリーズの時に機銃弾である20ミリから始めるとすると、では7.7ミリや13ミリの機銃弾はどうするのか、ということになってしまいます。

 う〜ん、どうしましょうかねぇ ・・・・ ?  悩んでしまいます (^_^;

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2012年03月29日

黒色火薬と無煙火薬 (続)

 先に某巨大掲示板での黒色火薬と無煙火薬の違いについての質問をご紹介しました。


 結論から申し上げると、質問事項に対する答えは 「No」 です。 無煙火薬との違いは燃焼速度遅延のための大きな形状の薬粒にし易いかどうかではありません。 薬質本来の違いからくる燃焼の仕方そのものが異なるからなのです。

 黒色火薬も無煙火薬も、その製造過程においてまず 「餅塊 (mill cake)」 というものを作り、そこから所要の形状のものにします。

 黒色火薬で 「細粒」 「小粒」 「中粒」 「大粒」 (これは単に薬粒の大小を表すだけではなく、その制式名称でもあります) の場合は、餅塊から圧搾機によって薄板状のものを作り、その上でこれを細かく砕いて所要の大きさの粒 (球形又は立方形) のものにします。 「六稜火薬」 の場合は、餅塊をその型に圧入して作ります。

 したがって、黒色火薬でも無煙火薬と同様にもし必要があるなら任意の形状、サイズのものを (多少の程度の差はあれ) 容易に作ることができます。

 では、何故火砲の装薬として無煙火薬の様に大きなサイズの薬粒が用いられなかったのでしょうか? そして何故無煙火薬に取って代わられたのでしょう?

 その大きな理由の一つが、黒色火薬は薬粒のサイズを大型のものにすると燃焼速度を正確、精密に制御できなくなるからなのです。 ですから、燃焼遅延の目的としての薬粒サイズはせいぜいが六稜火薬程度のもので最大の限度だったのです。

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 皆さんご存じのように、薬粒の燃焼は表面から順次内部へと進みます。 このため薬粒のサイズを大きくすると、それだけ燃焼に要する時間がかかることになります。 つまり装薬全体の燃焼完了時間を遅くすることができます。

 したがって、無煙火薬においては、燃焼速度 = f (表面積、温度、圧力) の関数としてその燃焼速度を厳密に制御可能です。 つまり、温度と圧力を同一条件とした場合には、その燃焼速度は薬粒の形状とサイズによる表面積の大小によって管制することができます。

 これによって、大口径、長砲身の砲では単純に大型の薬粒を用いることが可能であり、薬室・薬莢内の装薬充填密度を高め (薬量を増やす)、かつ所要の正確な燃焼速度を得ることができることにもなります。

 これに対して黒色火薬の場合は、粉末 → 細粒 → 小粒 → 中粒 → 大粒と大きくなるにつれて、薬粒と薬粒の間に大きな空間が必要になります。 これは火焔を迅速に装薬全体に回すためです。

 特に六稜火薬の場合には、その形状から薬嚢あるいは薬莢の中の充填密度を高くして多くの薬量を詰めることができます。 したがって、その六角柱の形状の中心に比較的大きな孔 (黒色火薬の場合は1孔又は7孔、褐色火薬の場合は1孔) が絶対必要になります。

 つまり、この孔は無煙火薬の薬粒の様に燃焼表面積を大きくするためというより、火焔がこの中を通って装薬全体に早く伝わるようにするためなのです。

 ここで大きな問題があります。

 皆さんご存じのように、黒色火薬の粒状のものを通常の大気中に並べて点火しても、その点火点からシュルシュル ・・・ と燃えていくに過ぎません。

 また、板状あるいは棒状に圧縮成形したものに点火した場合は粒状の時より更に遅く、僅かに秒速数cm 〜 十数cmでしかありません。 これは混合火薬という性質上からくる 「逐次燃焼」 のためです。

 しなしながら、粒状薬を容器に入れて点火すると瞬時に燃えます。 熱と圧力の作用によるからです。

 また、板状あるいは棒状のものをその断面より僅かに大きな筒の中に入れて点火すると、更に早く瞬間的に燃焼します。 秒速300m 〜 400mの燃焼速度とされています。 これは火焔がその隙間に沿って一気に広がるからで、この現象を 「伝火」 と言います。

 板状あるいは棒状の黒色火薬を装薬として使用した場合、この伝火が適切に起きるか起きないか、そしてどの様に起きるのかは偏に状況・状態次第であり、燃焼速度が秒速数cm〜400mの間のどこになるのかこれを予め計算し、予測することは困難なのです。

 つまり、黒色火薬では形状やサイズを変えて大型の薬粒を作っても、それに比例するごとく燃焼速度を所要の値に正確、厳密に制御することが出来ないということなのです。

 したがって、黒色火薬においては、燃焼速度を遅くする為に薬粒のサイズを多少大きくするのは六稜火薬程度が限度であり、それ以上の緩燃性を追求するためには火薬としての成分そのものを変えるほか方法が無かったのです。

 この後者の方法として取られたのが黒色火薬におけるの熱及びガス発生の主要源である木炭の質を変えることです。

 つまりそれまでの完全な炭化のもの (それ故に黒色火薬と言われる) から、300度C以下の比較的低温で炭化したものを使う事により燃焼速度を遅くすることへと進みます。 その炭の色が褐色であったことから褐色火薬と呼ばれるものがこれで、その代表的なものが英国の 「SBC」 (Slow Burning Cocoa) 火薬です。

 しかしながら、褐色火薬と言えども本来の性質は三味混合という黒色火薬そのものですから、結局のところ燃焼速度が制御可能な薬粒としては六稜火薬程度が限度であることには変わりはなく、したがって黒色火薬よりは遅くできたものの、それ以上の緩燃火薬としては無煙火薬の誕生を待つしかなかったのです。

 簡単にご説明すると以上のとおりです。 繰り返しますが、これは単純に大型の薬粒が作り易いかどうかという問題ではないと言うことです。

 そして無煙火薬の誕生により装薬としての燃焼速度をさらに遅く、しかもそれを正確かつ厳格に制御できることになりました。

 これにより、鋼線砲の発明と併せ、大口径砲の軽量化かつ長砲身化、そしてそれによる砲口威力の増大が可能となり、艦載砲の発展を著しく推し進めることになったのです。

 その状況については、次の記事で概略をご説明しておりますので、そちらも参考にして下さい。


 もちろん黒色火薬と無煙火薬との利害得失はこの燃焼速度の問題だけではないことは申し上げるまでもありません。 含有水分、発生熱量及びガス量、残渣、取扱・保管、等々のことがあり、特に小 〜 中口径速射砲における砲煙のことは燃焼速度制御と並ぶ大きな問題点です。

 それにしても、今日では黒色火薬 (褐色火薬を含む) については産業用火薬として以外、特に艦載砲用の詳細について、これを解説した適当な一般刊行物などがないですよね 〜  『火器弾薬技術ハンドブック』 などでもほとんど書かれていないし ・・・・

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次へ : 「黒色火薬と無煙火薬 (補)」

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2012年03月10日

黒色火薬と無煙火薬

 某巨大掲示板にて、黒色火薬と無煙火薬の違いについて質問が出ていました。

 曰く、両者を比較して無煙火薬の方が

 紐状薬や方型薬など装薬として成形しやすいがため燃焼速度の調整しやすいだけじゃないか

 ご来訪の皆さんならどの様に説明されますでしょうか?

 ご存じのとおり、無煙火薬の発明により装薬 (発射薬) としての燃焼速度を管制できるようになり、これによって艦載砲のスリム化と長砲身化が可能になりました。

 この長砲身化のメリットは、初速の増大、そして砲身構造の改善に繋がります。

( もちろん無煙火薬の利点はこれだけではないことは申し上げるまでもありません。)

 したがって、この無煙火薬の利点を正しく把握することは、艦載砲の発達を語る上では大変に重要なポイントの一つになります。

 当該掲示板では質問がUPされてから日にちが経っていますが、残念ながら今のところまともな回答はついておりません ・・・・ さてこの後どの様な回答が付くのか楽しみにしているところです。

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次へ : 「黒色火薬と無煙火薬 (続)」

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2012年01月08日

明治〜大正初期の砲熕データ追加

 本家サイト 『海軍砲術学校』 の今週の更新として、先程 『砲術講堂』 内の旧海軍の 『砲熕武器要目諸元』 について、明治期〜大正初期の4.7吋〜2.5听砲のデータを追加公開 しました。


 当面数値データのみですが、日露戦争期を中心にして取り敢えずはこれだけの種類のものがあれば戦史などを研究される方々には充分なものと思います。

 なお、これらのもののうち昭和期でも使用されていた砲については、昭和期の旧海軍史料に基づく詳細なデータを当該項の方でまた別個に公開する予定です。

4in7_cal45_arm_ped_01_s.jpg
( 45口径安式4吋7砲 (高脚砲架) )


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2012年01月01日

謹賀新年


shimekazari_h24_s.jpg

 年が明けまして、新年早々本家サイトの更新をいたしました。

 『砲術講堂』 内の旧海軍の 『砲熕武器要目諸元』 について、明治期〜大正初期の頁を追加し、12吋〜3吋砲のデータを公開 しました。


 取り敢えずは一般要目を中心に纏めましたが、全て旧海軍の史料に基づいております。

 当該頁については今後他の砲についても日露戦争期前後を中心に順次追加公開していく予定です。 また今回分についてもデータを更新するとともに、射表データや図面などを追加していく予定です。

Mikasa_30cm_gun_01_s.jpg
( 「三笠」 主砲塔断面図 )



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2011年12月06日

四十口径安式十二斤速射砲

 既にご紹介しておりますHN 「八坂」 氏のブログ 『軍艦三笠 考証の記録』 において、先日 「三笠」 の12ポンド速射砲訓練風景の絵葉書が紹介されました。

 「三笠」 のハリカンデッキ下の12ポンド砲の様子がよく判る写真は私は初めてです。 大変に貴重なものですね。


 そして八坂氏によるいつもどおりの大変丁寧な考証が記述されております。

 ただ1個所、この12ポンド砲についてのみ若干の誤解をしておられたようですので氏にお知らせをいたしたところですが、八坂氏には早速当該記事に修正を加えていただけました。

 そこで、ついでですので当該砲についてこちらでもう少し補足をしたいと思います。

 ご存じの方もおられるかと思いますが、実はこの砲は砲架の種類によって2つのタイプに分かれます。

 一つが 「高脚 (Pedestal) 砲架」 と言われるもので、露天甲板に装備される12ポンド砲にこれを用いました。 いわゆる 「露天砲」 の類です。

3in_draw_02_s.jpg
( HP 『海軍砲術学校』 所蔵史料より )

 この砲は、旋回輪と俯仰輪とをもって操作しますが、動揺が小さくかつ平易な状況下にあっては、旋回は射手が肩当てにより体で動かすことも可能です。

 もう一つが 「中心軸 (Central Pivot) 砲架」 と言われるもので、当該絵葉書に写っているような主として砲廓や中甲板など露天以外の場所に装備されるものです。 いわゆる一般的に言う 「砲廓砲」 の類です。 日露戦争後にはこの種の砲を 「中甲板砲」 とも呼んだ時期がありました。

3in_draw_01_s.jpg
( HP 『海軍砲術学校』 所蔵史料より )

 この12ポンド砲の中心軸砲架では、旋回・俯仰ともに射手が肩当てによって体で動かすようになっており、旋回輪も俯仰輪もありません。

 当然ながら 「中心軸砲架」 よりは 「高脚砲架」 の方が砲架の構造が複雑ですが、後者の方が堅牢であり海水などによる侵蝕にも強くなっています。 また平易な状況下にあっては、旋回輪と俯仰輪で照準を定めた後はいわゆる 「据え撃ち」 が可能です。 中心軸砲架では射手が支えていないと砲がぐらついてしまいます。

 ではこの12ポンド砲の場合どちらの方式が良いのか、と言うことですが、その時その時の状況によってそれぞれ長短がありますので、何とも言えないところです。

 こういった点も含めて、この12ポンド砲についても何れはデータを纏めて本家サイトの 『砲熕武器要目諸元』 の方にご紹介したいと考えておりますが ・・・・


 ところで、なぜ当該写真の12ポンド砲には 「鋼楯」 と言われるシールドが無いのでしょう? 日本海海戦直後の写真ではシールドが付いていることはハッキリしています。

mikasa_M3805_01_s.jpg   mikasa_M3805_02_s.jpg

 何かの都合で一時的に外されているのでしょうか? それにしてもそう簡単に取外し・取付けが出来るようなものではありませんが ・・・・ ? 撮影時期と併せ、もう少し情報が欲しいところです。


 それにしても、八坂氏の 『軍艦三笠 考証の記録』 は相変わらず素晴らしいブログですね。 こういう地道かつ足下のしっかりした考証のサイトは嬉しいもので、つい続きがUPされるのを待ちわびてしまいます (^_^)

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2011年08月05日

VT信管と対空射撃 (5)

2.信管の信頼性 (承前)

(2) VT信管

 回路図も含めて、当時のVT信管の一般的な構造や作動原理については、本家サイトの方でご説明する予定にしていますので、少々お待ちいただきたいと思いますが、それはともかく。

 太平洋戦争中に Mk32 及び Mk40 は Mk53 に取って代わられたとされていますが、実際終戦までにこれらのVT信管がどの程度の比率で用いられたのかは手持ち史料がありませんので判りません。

 それにしても、初期のVT信管である Mk32 のデータをよくご覧いただきたいと思います。


 Mk32 は最高 20%近くが早発してしまいます。 そして残りの 80%の内の 65%しか正常に作動しないとされています。 ということは射程が長い場合には約半数しか機能しないと言うことです。 後継の Mk53 でも長射程では約7割程度です。

 これは射撃精度が良いとか悪いとかの結果とは無関係で、単に信管が正常に作動するかどうか、という話です。

( この時点で、是本氏の言う “命中率30〜50%” は既に誤りであることがお判りでしょう。)

 さて、そので先の弾片散布図を思い出してください。 そして、下図がVT信管の電波の送信パターンです。 VT信管がこのような送信範囲で作動していたのでは、先の弾片散布に対してはほとんど役に立たないことがお判りいただけると思います。

VT_Fuze_effect_01_S.jpg

 そこで、VT信管の受信回路では、目標からの反射波の到来方向による受信感度を調整することによって、この弾片散布に合わせるようにしているのです。

 つまり、下図のように、受信部の感応範囲を弾片散布に最も適合するように設定しています。

VT_Fuze_effect_02_s.jpg

 しかし、当然ながらVT信管の感応・起爆時とその後の弾丸の炸裂、弾片散布との間にはタイムラグがありますので、想定する目標の大きさはもちろん、速度、相対的な運動方向などを勘案して、この感応範囲が決めなければなりません。

 下図は各種VT信管の感応範囲を比較したものです。 これも手書きの大変ラフなものですが、大凡の傾向は把握していただけるものと思います。

USN_VT_Fuze_Sensitiv_01_s.jpg

 初期の Mk32 はやや前向きに、次の Mk40 は正横少し前に、そして Mk53 が弾片散布より僅かに前方になってます。 これは理論と実証データによって、順次改良がなされてきたと言うことです。

 それでは、このVT信管の感応範囲と弾片散布範囲とによって、これが何を意味するがお判りでしょうか?

 そうです、VT信管と言えども、射弾に “適度な散布” がなければ命中率は高くならない、と言うことなのです。

 つまり、どんなに優秀な射撃指揮装置を用いようと、測的・射撃計算には誤差があります。 しかも目標は、その解法上の前提とする 「等速直進運動」 を維持して飛ぶ訳ではありませんで、特にレシプロ機の場合は通常に飛行してもかなりの “振れ” があります。

 即ち、この誤差をVT信管の作動や弾片散布の値以内に収める、つまりそれだけ精度の高い指揮装置は砲熕武器などは、現在においても難しいということです。

 したがって逆に、目標に対してこのVT信管の作動と弾片効果の範囲内に “どれかの” 射弾が入るように “適度な散布” と言うものが必要になってきます。

 VT信管さえあれば、そして精度の高い射撃指揮装置があれば、何が何でも有効な対空射撃が出来る、というような簡単なものではないことがお判りいただけると思います。
(続く)

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2011年07月27日

VT信管と対空射撃 (4)

2.信管の信頼性

 (1) 九一式時限信管

 「九一式時限信管」について、その詳細は本家サイトにて既にご紹介してあるところです。


 この時限信管の作動誤差値については、旧海軍の実射試験データから ± 0.15秒とされています。

 下図は、旧海軍史料による九一式時限信管歯輪付の通常弾の弾道略図です。 手書きの非常にラフなものですが、おおよその弾道についてはお判りいただけると思います。 

com_127mm_40cal_traj_01_s.jpg

 八八式及び八九式十二糎七高角砲において初速 720m/秒とすると、この口径でこの初速程度の砲では、その弾道からするならば対空射撃における有効射程はだいたい飛行秒時 20秒程度、射距離 9000m程度までくらいと言えます。

 そこで、この射距離付近においては存速 300m/秒程度となりますので、信管作動誤差 ± 0.15 秒の時、弾丸破裂点の散布は ± 45m 程度となります。 これに上下左右の誤差を考慮した範囲が炸裂範囲となります。

 この射程より近い場合には存速が高く、これにより弾道 (距離) 上の作動範囲が広くなりますが、その代わり射撃精度と弾道性能そのものが良くなることはもちろんです。

 ではこの信管作動誤差による破裂散布範囲は大きすぎるのか?

 これについてはもう少し詳細に検討の余地が残されていますが、しかしながら射撃指揮装置による射撃計算の誤差や発砲諸元伝達、発砲時の誤差などを考慮し、適宜の散布であることが必要となることは確かです。

 とするならば、先の弾片散布図と併せて考えるならば、これは射撃指揮装置の性能・精度さえそれなりに確保されていれば、当時としてはそれ程悪い値ではありません。

 むしろ、旧海軍の対空射撃の思想であった、射撃指揮装置1基で2〜4基の連装砲を管制しての弾幕射撃であるならば、この誤差散布は逆に充分に受け入れられるものであると言えます。

 初心者の方はこの射撃における誤差が小さければ小さいほど命中率は高くなるのではないかと思われるかもしれませんが、艦砲射撃というのはいわゆる “狙撃” とは違います。 如何に照準が正しかろうと、また如何に射撃計算が正確であろうと、射弾には必ず何某かの “誤差” が伴いますので、この “適度な散布” というのが重要なのです。

 この適度な散布による弾幕の中に目標を包み込まなければ “絶対に” (いつも申し上げますが、確率 “0%” という意味ではありません) 命中しません。 対空射撃システムのみならず、水上射撃も含めた 「艦砲射撃」 というものを考える場合には、このことが重要なのです。

 因みに、当時の旧海軍におけるこれら射撃指揮装置や高角砲をもってする対空射撃の考え方については、次の史料が参考になるでしょう。

『艦船対空砲装の研究』 (昭和18年、横須賀海軍砲術学校)

Kitamura_AAGunnery_01_s.jpg

(続く)
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2011年07月17日

『日露戦争期の旧海軍の砲術』

 先に62回にわたって連載しました 『日露戦争期の旧海軍の砲術』 を纏め直し、本家サイトの 『砲術講堂』 中の 『砲術の話題あれこれ』 にその第2話として掲載しました。


 本ブログ上では “ブログ” という性格と仕様によって、連載ものはかなり見にくいものとなっておりますので、本家サイトでは随分とスッキリした形でお読みいただけるようになったと思います。

 ついでに、例の 『別宮暖朗本』 について本記事で指摘した個所を1つに纏めたものを追加してみました。 これでも引用上の最小限のものに過ぎないのですが、たったこれだけでも一体何頁分になるのかと。

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2011年07月12日

VT信管と対空射撃 (3)

 さて、少し間が開いてしまいましたが、最初のお話しは日米両海軍の砲弾とその信管です。 各砲弾・信管の詳細データにつきましては、既に本家サイトの方にUPしてありますのでそちらをご覧下さい。

「四十口径十二糎七高角砲通常弾」

「九一式信管」

「38口径5インチ砲用 Mk−35 対空通常弾(VT信管付)」

「Mk32 VT信管」及び「Mk53 VT信管」


これらのデータを比較しながら、少し補足を。

1.砲弾の弾片効果

 米海軍の38口径5インチ砲用の対空通常弾には現在本家サイトでデータ公開中のMK35の他にMk31及びMk34がありますが基本的にはほぼ同じものです。

 威力に関する諸元で日米のものを比較すると次のとおりです

弾   種12.7cm/40
通常弾
5”/38
AAC
8cm/40
三号通常弾
3”/50
AA
全 重 量23.00kg25.03kg5.790kg5.9kg
炸 薬 量 1.778kg 3.29kg0.465kg 0.336kg
比   率7.73%13.1%8.03%5.57%

 さて、その両海軍の対空弾の弾片の有効範囲ですが、実はこれはその定義が非常に難しいもがあります。 何しろ “弾片” ですし、相手は航空機ですから、何を以て “有効” とするかということは、単なる弾片の拡散範囲や存速などだけでは決められないものがあります。

 例えば、旧海軍史料によるデータでは次のものがあります。

 弾  種12.7cm/40
通常弾
8cm/40
三号通常弾
 破裂高6000 m4000 m
 散布界直  径70 m40 m
面  積15000 m5000 m
 弾片密度
 (個/1m
平  均4.04.0
中央部55 (1〜300g)64 (1〜100g)
中間部10 (10〜300g)2 (10〜100g)
周辺部0.4 (100〜300g)0.3 (50〜100g)
( 弾片密度の ( ) 内は弾片1個の重量 )

 とはいえ、これだけでは話が続きませんので、各種史料を総合し、弾片の大きさ、散布界、存速、密度などを勘案して、「有効範囲」 をごく一般的に 「1発の弾丸の弾片により航空機に対して何等かの被害を与えられる範囲」 として考えますと、大体次の様な値になります。

 砲 種12.7cm/405”/388cm/403”/50
 遠 近20 m25 yds14 m15 yds
 左右・上下20 m18 yds14 m10 yds

 ところがここでご問題になるのは、この弾片の拡散範囲というのは、破裂点を中心とする “円球全体内に均一” に広がることではない、ということです。

 つまり、下図はその有効範囲における弾片撒布の状況を示した図です。 手書きのもので大変にラフなものですが、大体のパターンを理解していただくには十分と思います。

AA_proj_effect_01_s.jpg
( 図の上が弾道切線 (≒弾軸) の方向 )

 38口径5インチ対空通常弾 (AAC)、12糎7高角砲通常弾、8糎高角砲三号通常弾及び50口径3インチ対空通常弾で、総て同じ傾向のパターンであることがお判りいただけるでしょう。

 したがって、目標に被害を与える (=撃墜する) ためにはこの有効破片飛翔範囲に目標を捉える必要がある、と言うことです。
(続く)

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