2015年03月22日

『猪口敏平著作集』


つい先日、シブヤン海の水深1000mの海底に眠る戦艦 「武蔵」 が戦後70年にして発見され、その映像がネットでも流れました。 まさに眠れる海の墓標と言える姿でしょう。

つきましては、これを機会に本家サイトでも、同艦の艦長であると共に、旧海軍における砲術の第一人者であった猪口敏平氏の業績を顕彰するために、『史料展示室』 コーナーに 『猪口敏平著作集』 を設けました。


まずは一般にもその名が知られている 『弾着観測参考書』 と 『砲術雑話』 の2つを公開し、併せて既に単独で公開していました 『公算学、誤差学参考書』 をここに纏めました。

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( 『弾着観測参考書』 のオリジナルである海軍砲術学校版の表紙 )

“猪口鉄砲” とも称される氏が到達した旧海軍砲術のエッセンスをお楽しみ下さい。

ただし、これらは射撃理論はもちろん、射法や射撃教範などを理解し、かつ艦隊における艦砲射撃を経験した砲術科将校を対象としたものであることにはご留意下さい。

2つともそれくらい奥の深い内容のものであると言うことです。

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2015年01月24日

『世界の艦船』 3月号


『世界の艦船』 3月号 (通刊813号) の特集は 「日米超ド級戦艦比較論」 です。

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その特集記事について次の項目を受け持たせていただきました。

  「日米超ド級戦艦の技術比較 @ 砲 力」

もちろん超ド級戦艦といってもその範囲は広いので、今回は紙幅の関係から太平洋戦争期の日米戦艦を念頭にして、その砲戦力について、純粋に砲熕武器システムと砲術に絞って纏めてみました。

それでも詳しくかつ平易に書くと大変に長くなりますので、「測距と照準」「測的と射撃計算」「砲熕武器」及び「術力」という主要要素について簡単に説明しております。

いわば日米海軍の砲術についての要約中の要約です。

したがって、個々の内容についても入門者の方々にはちょっと判りにくいところがあるかと思いますが、本項での内容をベースにして更に細部に進んでいただければと考えています。

ただし、これでも編集部よりいただいた当初の予定文字数を大幅にオーバーしてしまいまして、そのため考えていた図・写真などの多くを割愛せざるを得なくなってしまいました。

例えば次の様なものです。

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これらについては、いずれ別の機会にその詳細説明と共にご紹介することがあるかと思います。

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2014年12月30日

47ミリ重速射砲 (続2)


続いて本題の 「山内式」 です。

既に申し上げましたように、山内万寿治の発明考案は尾栓開閉装置と駐退装置の2つの改善です。

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まずその尾栓開閉装置ですが、次の様になっています。

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尾栓部の右側にボックスを設け、ここに尾栓の自動開閉機構を組み込んだのです。 ボックス内の主要部は連接桿と歯車機構で、連接桿は駐退装置の後端と繋がって固定されています。

発砲の衝撃により砲身が駐退装置内を滑って後退し、次いで複座バネによって前進するときに、この連接桿に付いている歯車機構によって、オリジナルの保式での尾栓開閉レバー (転把) を手前に回した時と同じ作動をします。

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即ち、打金を撃発の位置に後退させ、次いで尾栓を開き、空薬莢を自動排出します。

そして新たな弾薬包を装填し、ボックス上部後端に出ている閉鎖レバーを押すと、バネの力によって尾栓を閉鎖し、次弾の発砲準備が完了します。 以後は、照準及び発砲によりこれを繰り返すことになります。

即ち、砲員は弾薬包を装填し、閉鎖レバーを押すだけで連続発射を継続することが可能となりますので、発射速度が向上し、かつ保式砲のように尾栓開閉レバーを操作する人員がいなくとも、2名 (射手及び装填員) で砲の全ての操作が実施できるようになりました。

( ただし正規の操法の規定では、保式及び山内式とも弾薬員を含めて4名です。)

そして山内砲架は駐退装置の中を砲身が駐退・複座する同心退却砲架ですので、その動きは非常にスムースで、かつ砲鞍部に伝わる衝撃も少なく、これによって射手は発砲しつつ照準を継続することができ、発射速度の向上を活かすことができます。

保式砲の改良とはいいながら、その機能は実に画期的なものであり、英海軍をして感嘆せしめたのも無理のないところと言えます。

アームストロング社の改造実験によりやっとその優秀性に気が付いた我が海軍ですが、山内万寿治のこの発明考案に対して明治25年叙勲並びに賞金700円が下賜されました。

そして更に同砲は天覧に供された上、同年の米国シカゴにおける万国展覧会に出品され、世界にその優秀性を示したのです。


で、元に戻って、改めてHN 「八坂」 氏のブログに掲載された写真 (氏より転載引用の許可をいただいております) を見てみますと ・・・・

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砲架は確かに 「山内砲架」 なのですが、尾栓部右側にあるはずの閉鎖機ボックスと、これと駐退装置を繋ぐ連接桿がはっきりしない、というか見当たりません。

これらの部分が整備などの理由で外されているのか ・・・・ あるいは写真がレタッチされているのか ・・・・ ?

( 写真では尾栓開閉レバーが付いていますが、これは山内式でも最初の1発は手動で尾栓を開閉して装填しなければならないからです。 最初の1発を装填した後このレバーは外し、以後は自動開閉装置の作動により射撃を継続します。)

いずれにしましても、オリジナルの保式砲の砲身は山内砲架には使えませんし、これを改修することもできません。 また山内砲架に使用する47ミリ重砲で山内閉鎖機の付かないものは製造されていないはずですし、その様な砲は意味がありませんから、これも考えられません。

ちょっと不思議な写真です。
(本項終わり)

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47ミリ重速射砲 :

47ミリ重速射砲 (続) :

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2014年12月28日

47ミリ重速射砲 (続)


先にHN 「八坂」 氏のブログ 「軍艦三笠 考証の記録」 で掲載された47ミリ重速射砲の記事に関連して、こちらで当該記事の写真にある 「山内式」 についてお話ししたところです。

47ミリ重速射砲 :

つきましては、やはりオリジナルである 「保式」 に比べて、その改良型である 「山内式」 がいかに優れた考案であるかをご紹介しなければ尻切れトンボになってしまいますので、遅くなりましたが追加記事を。

まずは、オリジナルの 「保式」 がどの様なものであったのか、からです。

保社製のオリジナルのものには、元々の無退却砲架のものと退却砲架とがあります。

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( 保式無退却砲架 )

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( 保式退却砲架 )

そして英アームストロング社がこの砲のライセンスを取ってから同社製の駐退装置を付けたものを製造します。

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( 安社製退却砲架 )

いずれにしても、これらは砲架の違いだけで、47ミリ重速射砲そのものは全く同じです。

その尾栓部の構造は次の様になっており、大変にシンプルなものですが、速射砲として良く考えられた高性能なものでした。

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この尾栓部の構造は、3ポンド (47ミリ重) 速射砲だけでなく、2.5ポンド (47ミリ軽)、6ポンド (57ミリ) など他の保式速射砲でも基本的に同じものです。

作動は、砲尾部右側にあるレバー (転把) を手前に回すと、まず打金を後退させて撃発可能な状態となり、次いで尾栓が下がり、その位置で保持されます。

この尾栓下降時、発砲後であれば殻抜き機構によって薬室から空薬莢が引き抜かれて排出されます。

そして、新たな弾薬包を装填してレバーを向こう側へ回せば尾栓が閉鎖し、これにより発砲準備が完了します。

後は照準して引金を引けば発砲しますので、以後はこれを繰り返すだけです。 これだけでも、当時としては画期的な速射性を発揮できました。

この砲の作動は無退却砲架と退却砲架とで同じです。 退却砲架は単に発砲の衝撃を吸収するだけで、砲の操作そのものには関係しません。

無退却砲架の場合は砲の砲耳が砲架の砲鞍部に載って支持されており、砲鞍部で発砲の衝撃を直接受け止めることになります。

一方で退却砲架は、保社製でも安社製でも、砲耳が駐退装置に挿入されており、その駐退装置の軸が砲架に繋がっています。 そして発砲により駐退装置の水圧シリンダーが砲耳を支えて発砲の衝撃を吸収し、バネにより砲耳を押して砲を複座させます。

旧海軍には、保社製の無退却及び退却砲架、安社製の退却砲架のいずれもが採用され輸入されたようですが、数量などの詳細は不明です。
(続く)

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47ミリ重速射砲 (続2) :

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2014年12月15日

モデルアート 『戦艦総ざらい』


この度モデルアート社さんから 「艦船模型データベース番外編 V」 として 『帝国海軍 戦艦総ざらい』 が刊行されました。

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この番外編シリーズは、既に駆逐艦、空母、重巡及び軽巡の順に4冊が出ておりますが、今回はその戦艦編です。

当該シリーズは、もちろん艦船モデラーさん向けのもので、その製作テクニックやその製作上の参考となるものを中心に纏められているものです。


で、今回の戦艦編では既刊のものとちょっと毛色が変わって、私が艦砲射撃について書かせていただきました。 題して、

『 日本海軍の艦砲射撃について − 射撃手順と射法を中心に 』

折角戦艦のスケール・モデルの製作を楽しまれるのでしたら、その主砲を如何に使うのか、と言ったことを思い浮かべながら作られると、その戦艦についての興味も一段と深まるかと思ってお引き受けしたものです。

そしてこれまでの艦船専門書におけるこの種記事でも書かれて来なかったことも盛り込んで、昭和期の日本戦艦の艦砲射撃についての、包括的なお話しとしております。

とは言っても内容的には盛り沢山で、かつ出来るだけ平易にすることを心掛けましたが、この方面についての入門者の方々がマスターしていただくためには、ちょっとレベルが高いかもしれません。

( 本当は内容的にもう少し紙幅をいただけるとよかったのですが、これは本誌の性格上いたしかたないかと (^_^; )

もちろんこの総ざらい戦艦編は、私の記事だけではなく、艦船に興味のある方々ならモデラーさん以外でも十分楽しめる誌面構成になっておりますので、手に入れられて決して損はないと思います。

既に書店には出回っていること思いますので、是非一度手にとってご覧ください。

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2014年11月11日

日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続2)


HN 「KK」 さんよりいただいたご質問に対する回答の続きです。


(試射初弾の弾着で) 同じ水柱をあえて違う構図で描くことで強調したのか、それともあれは (初弾とは) 違う水柱なのか ・・・・ 三笠は片側の側砲が五門ですので違う水柱だと思うのですが

まず、認識を改めていただきたいのは、「三笠」 の副砲たる6インチ砲は片舷7門です。 そして試射はこの内の右舷前部3門 (1、3、5番砲) + 1門 (7番砲) の4門で行っています。 また、「側砲」 というのは、6インチ砲の他、舷側に装備された3インチ砲及び47ミリ速射砲の補助砲の全て含みます。

その上で、先にも申し上げましたとおり、発砲や弾着の映像は実際の経過どおりに一つ一つ全てを順序良く忠実に表現しているわけではありません。 そのようなことをしてもドラマとして意味が無いからであり、砲戦場面という画面効果を最優先にして編集されているからです。

そして 「三笠」 以外の各艦の射撃の状況 (いつ、どの艦が、どのように開始したのか) なども一切触れておりません。

したがって、ドラマの映像をカット毎に見比べて、どれが (どの艦の) どの弾であるかというようなことをお尋ねいただいても、仕方のないこととご了解下さい。

また私もそれの説明がつくような編集とするようにとはNHKさんにアドバイスもしておりません。


最初の斉射が海面に弾着し、スワロフ甲板が慌ただしいなか、見張りの水兵がロシア語字幕で 「また来たぞ」 と叫んでいます。 あれが不思議です。 というのは三笠の第二射準備のカットは 「また来たぞ」 の 「後」 に来るからです。 三笠はまだ二発目を撃っていないのになぜ 「また」 なのかわかりません。 ひょっとしたらドラマのなかでは二度目の斉射として描かれているのは、実は三度目か四度目の斉射なのですか。

当該シーンは、( 「三笠」 の) 試射の初弾なのかそれ以降なのか、あるいはその後の主砲を含む本射なのか、その次の装填シーンが何発目のものであるのか、などを意識して区別した編集にしておりません。 その理由は上記のとおりです。


「てーっ!」 で五門同時に発砲しているように見えます。 ですが当時は各門が別個に 「てーっ!」 とやっているはずです。 すると互いに数秒ないしコンマ数秒のずれがあると思います。

先にご紹介した本家サイトの 「三笠戦策」 の記事を良くお読みいただければ、誰が発砲を管制し、各砲がどのように発砲するのかをご理解いただけると存じます。


甲板でストップウォッチを見て 「だーんちゃく!」 と叫んでいます。 あれはどの門の発砲をゼロ時点として弾着の予想タイミングを計ったのですか。

砲台長の発砲号令が基準です。 各砲はこの号令により、ほぼ同時からそれよりは1〜2秒程度遅い範囲までの間で、各砲ごと照準が良い時に発砲しますので、秒時計による予定弾着時から、その範囲で各弾が弾着することになります。


散布界の理解はこれでよろしいでしょうか。
http://majo44.sakura.ne.jp/obs/02.html
ただドラマではこんな楕円ではなくもっと横一列に近い緩いカーブ上に水柱があがっていますが。

楕円の円周上に並ぶわけではないことは、各砲の弾道の “誤差” というものをお考えになればお判りになると思います。 多数砲 (6門以上) を以てする斉射弾の弾着範囲を包括的に示すとすれば、あるいは楕円状になる場合もあるかもしれませんが、実際の斉射弾の弾着パターンはその斉射ごと極めて複雑、不規則に変わるものです。

逆に少数砲の場合、3門なら三角形に、4門なら四角形にしかなり得ないわけで ・・・・

したがって、散布界というのは艦砲射撃においては面積ではなく、縦 (距離) 方向の “長さ” とそれに対する横方向の “幅” の2つで表します。

もちろんこの内重要なのは縦方向で、単に 「散布界」 と言った場合には、この縦方向の範囲 (長さ) を意味します。

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前 : 「日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続)」

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2014年11月08日

日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続)


HN 「KK」 さんより、先の「日本海海戦における 「三笠」 の試射について」に関連し続いて沢山のご質問をいただきましたが、とてもコメント欄にて回答出来る量と内容ではありませんので、取り纏めた上で改めて記事にさせていただくことにし、取り敢えず既にコメント欄にてお答えしていた内容をこちらで記事にし直します。


(試射の) 最初の発砲 (4発同時に撃っているように見えます) ですべて6400に揃えて発砲したのは

4門の射手がそれぞれで照準し発射しますので、距離の調定が同じでも照準のズレによって弾着点は異なってきます。 そして同じ射手でもその時その時の状況により微妙に照準がずれます。

もちろん弾着点がずれる原因は他にも沢山ありますが、この要因が一番大きくなります。

この射手による照準のズレを出来るだけ小さくなるようにしたのが海戦前の鎮海湾における猛訓練の成果の一つなのです。

これによって、基準砲(最も技量の高い射手を配置する砲、「三笠」では通常右舷の3番6インチ副砲及び左舷の4番砲です。)を中心とする狭い範囲に4弾を弾着させ、正確な射距離 (正しくは 「適正照尺」 と言います) を “迅速に” 把握することが可能になったのです。

なお、史実では午後2時10分に距離6400mで試射開始、同11分に距離6200mとなった時点で主砲及び右舷全6インチ砲の射撃を開始したとされています。 この間何斉射の試射を行ったのかは記録上不明でが、時間的には常識的に2〜3斉射と判断されます。


ドラマでは最初の斉射は側砲のみで行われました。 主砲が吠えるのは二斉射目からです。 最初に主砲を撃たなかったのはなぜですか。

当時の主砲は動力の問題で動揺や目標の動きに応じて照準を連続追尾させるよう砲及び砲塔をこまめに動かすことは不可能でした。

したがってある程度の見越位置で砲を停めておき、動揺や運動によってその停止位置での照準がピッタリとなった瞬間に撃つのです。

このため、日本海海戦時の主砲の発射速度は平均で十数分に1発となっています。 これでは迅速な試射には使えません。


あるマニアの方のブログで、「主砲がよく見ると左右の門の角度が違う。 距離設定が左右で異なるのだ。 NHKきちんと考証していて感心」 と綴っていました。 これは正確でしょうか。

左右砲で射距離に差を持たせて射撃したためではありません。 当時の主砲は同一砲塔2門の斉射は実施しておりません (実用にならない) ので、左右砲を交互に撃つ 「交互打方」 ですのでこうなります。

ご紹介した本家サイトの記事の第06項に詳しくご説明しておりますので、ご参照ください。

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前 : 「日本海海戦における 「三笠」 の試射について」

次 : 「日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続2)」
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2014年11月06日

日本海海戦における 「三笠」 の試射について


日本海海戦の砲戦開始冒頭における 「三笠」 の試射について、メールにて次のご質問をいただきました。

内容は質問者さんだけではなく、ご来訪の皆さんにもご参考になると思いますので、こちらに纏めて回答することにします。

日本海海戦のときの、三笠による試し撃ち方についてご教示いただけないでしょうか。

NHKの『坂の上の雲』最終回を観ていて、まず三笠の側砲(と呼ぶのですか?)から「試し撃ち方、6400!」と撃ちだします。

ヘリコプターによる空撮風のカットがあって、それを見ると、側砲が4つないし5つ同時に発砲してみえます。

旗艦スワロフの向こう側に水柱が並んで上がるということは、各砲そろって6400として撃ちだしていると考えられます。

素人考えなのですが、側砲がそれぞれ6400、6300、6200という風に違う射程距離で撃ちだしていればそのどれかひとつはスワロフに当たって、そうなればスワロフと三笠の正確な距離がそれでわかったはずです。

しかしながらドラマを見ると6400では遠すぎるとわかって6200に修正して、二発目を撃ちだし、今度は命中!となっています。

なぜ最初の砲撃で6400、6300、6200と各砲違う距離設定で撃たなかったのかわかりません。


ご説明に入る前に、まずは本家サイトの記事をじっくりとお読みいただければと思います。

即ち、「砲術の話題あれこれ」 中の 「第2話 日露戦争期の日本海軍の砲術」 、特にその第13項及び第14項です。


これをご理解いただいた上で、では、実際はどうだったのかということと、NHKのドラマとしては、ということの2つをお話しします。


1.実際について

日本海海戦時の 「三笠」 の艦砲射撃については、 「三笠戦策」 中で前任の砲術長である加藤寛治が起案したものを基本としています。

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替わって3月に 「八雲」 から着任した安保C種砲術長は、それから日本海海戦までに自分なりの砲戦策を編み出すことは時間的にも無理であり、取り敢えずは加藤寛治のものに則り鎮海湾での猛訓練に励んだと考えられます。

そして、その訓練の成果に基づき、加藤寛治の 「三笠戦策」 の規定を応用する形で日本海海戦に望みました。

この戦策の中で試射の方法については、副砲の6インチ砲1門による指命発射法を除くと、基本的に2つの方法が規定されています。

即ち、今回のご質問でのご指摘のようにそれぞれの砲に射距離に差を付けて行う方法と、射距離を同一にして行う方法です。

戦策では前者を 「6尹前部砲台の一舷砲4門を以て行う混射法」、後者を 「6尹砲台全部若しくは6尹前部砲台の一舷砲を以て行う発射法」 と言います。

そして前者は

“ 砲戦の初期に当たり弾着観測容易なるも、最遠距離にして測距儀の指示甚だ信頼すべからざる場合 ”

後者は

“ 混射法に依り略ぼ射程を発見したる後更に正確に射距離を修正せんとする時、若しくは艦隊戦闘の如き場合に於いて弾着観測容易ならざる時 ”

に用るものとされています。

これは加藤寛治が砲術長当時の測距儀の測距精度、そして主砲や副砲の照準発射の技量によりこれが最善と考えられたからです。 (この精度や技量については別に 「三笠」 に限ったことではなく、連合艦隊全般にいえることでした。)

では、日本海海戦冒頭で 「三笠」 はどちらの方法を採ったのでしょうか?

これは後者です。 「三笠戦闘詳報」 の中で

“ 射距離6千4百に至り嚮導艦 「スワロフ 」型に向け右舷6尹前砲台の一斉試射を行い”

と記されていることからも明らかです。

では何故最初に混射法を用いず、始めから斉射による方法を行ったのでしょうか?

これは鎮海湾における猛訓練の成果、当日の気象海象の状況、そして戦術様相・戦術状況を総合的に判断した結果によるものと考えられます。

特に鎮海湾における内筒砲射撃により、各砲射手の照準発射法の技量が格段に向上し、3〜4門で相当良好な散布界が得られると判断されたことが大きいでしょう。

即ち、当時の射撃は主砲以下全ての砲種で各砲毎の砲側照準・発射ですので、例え200m毎の距離差をつけての試射を行っても、200m間隔で弾着するわけではなく、各砲毎相当な誤差がありました。 特に各射手の技量によってその弾着は大きく左右されたわけです。

これが日本海海戦までに距離6千m付近でも弾着精度が向上し、このため試射の始めから斉射による狭い散布界によって正確な射距離を把握することが可能となったわけです。

( ただし、NHKのドラマ上ではシーンの長さの関係から、試射の2斉射で目標を夾叉したように編集されていますが、実際は試射の何斉射目かは記録にありませんので正確なことは不明です。)


2.NHKのドラマについて

第13話における艦砲射撃の場面は私のアドバイスにより作られたものです。 もちろん、史実どおりに映像化してもらうのが最も良いのでしょうが、それではドラマにはなりません。

例えば、試射において戦策どおりの号令詞などを忠実にセリフにしたところで、瞬間的に流れる当該場面でこれを一般視聴者の方々がその意味するところを瞬時に理解することはまず無理というものでしょう。

また、試射の号令の前後の関係員の動作や指示・命令・復唱・報告などの流れを全て順序立てて表現することも当該シーンの長さから不可能ですし、ドラマの中のものとしてあまり意味はありません。

したがって、“砲戦の冒頭に試射を行い、それがどのようなものであったのか” を簡潔明瞭に表現するものとして、あのようにしております。

とはいっても、当時の艦砲射撃の基本的なところは押さえてありますので、あのシーンとしては判りやすくかつ十分なものであると考えています。 (もちろん、ロケセットの各種装備品などによる制約は別にして、です。)

そして、これまでの日本海海戦についての映画などで、この試射を表現したものはありませんでしたので、初めてのことであると自負しております。

演出の加藤監督はもちろん、美術さんやVFXさんを始めスタッフの皆さんにより、大変印象的な映像にしていただけたことを感謝している次第です。

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(11月8日追記) : HN 「KK」 さんより、本項に関連し続いて沢山のご質問をいただきましたが、とてもコメント欄にて回答出来る量と内容ではありませんので、取り纏めた上で改めて記事にさせていただくことにし、取り敢えず既にコメント欄でお答えしていたものを次の別記事としました。

「日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続)」 :

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2014年10月14日

本家サイトご来訪40万名達成!

お陰様をもちまして、この度本家サイトはめでたくご来訪40万名の大台を達成することができました。 「超」 が付くマイナーな内容のサイトではありますが、多くの方々にご覧いただけておりますこと感謝いたします。

そこで、先程その感謝記念企画の第1弾をUPしました。

私のサイトらしく、『艦艇用装甲板実射耐弾試験写真集』 で、『懐かしの艦影』 コーナーの 『番外編』 にて公開いたしました。


これは1898年に米国カーネギー製鋼社が作成したもので、いわば同社製品の米国内及び諸外国向け販促パンフレットです。

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各種装甲板の試験写真とその解説及びデータが掲載されており、加えて、カーネギー社の工場紹介写真も含まれています。

とはいっても、如何に販促用とはいっても当時これだけの内容のものが公開されるのは珍しいことで、ここに収録されている写真のいくつかは有名なブラッセー海軍年鑑などでも記事と共に掲載されました。

そして現在においても、この種のものが公刊物として採り上げられることはあまりありませんので、当時の装甲板と砲弾の関係を示す大変貴重な史料と言えるでしょう。 ここに私のサイトにおいて本史料を公開する価値があるものと考えます。

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( 同公開写真集より )

本史料は、元々は斉藤實海軍大将が手に入れたものですが、後に海軍大学校の蔵書として保管されていたものです。

今回は同コーナーの他の写真集と異なり、写真頁と解説・データ頁に別れておりますので、全てを1つのPDF形式としました。

本来の保存用PDF版は200MB以上ありますので、サイズを落とした約12MBの縮小版としましたが、それでも300%程度までの拡大表示でも十分ご覧いただけるものと思います。

当時の艦艇における装甲板と砲弾との関係を示す格好の史料としてお楽しみいただければ幸いです。

なお、感謝記念企画はこの他にも準備中ですので、コンテンツが出来上がりましたら、また別途公開する予定です。
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2014年09月09日

『銃砲史研究』 第379号

「日本銃砲史学会」 の会誌 『銃砲史研究』 第379号に私の記事を掲載していただきました。

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題して

『 艦砲射撃の命中率に関する黛論文について (後) 』

前号の第378号では、黛氏の論文 『 日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷 』 の前編及び後編が再録され、そしてその前半についての私の解題が掲載されました。

同号では既にご紹介しましたように丁字戦法に関する論文も掲載していただきましたので、流石に一つの号に後半の分までは私も時間が取れませんでしたし、これも含めますと私一人の記事が多すぎることになりますので、解題の後半は今回ということになったものです。

旧海軍の砲術について、特に太平洋戦争期のことについては 『海軍砲術史』 (同編纂会編、非売品) を始め、今までの出版物などではほとんど語られることの無かった内容になっていると思います。

同会誌の黛氏の論文、あるいは氏の著作 『海軍砲戦史談』や『艦砲射撃の歴史』 をご覧いただきながらお読みいただけると良いのですが、それらをお持ちでなくとも、この解題だけでも十分お判りいただけるかと。

もしこの方面に興味のある方がおられましたら、是非ご一読をお願いいたします。

なお、会誌を希望される方がおられましたら、入手方法などについては 「日本銃砲史学会」 のサイトにてお尋ね下さい。

「日本銃砲史学会」 公式サイト :

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関連前記事

「 『銃砲史研究』 第378号」 :

「 『銃砲史研究』 第377号」 :

「敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

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2014年05月31日

「丸」 7月号


潮書房の月刊誌 「丸」 の7月号が発売になりました。

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今月号は戦艦 「伊勢」 型の特集ですが、私も一つ書かせていただきました。 編集部さんからいただいたタイトルは 『 「伊勢」 型の長槍 “36&14センチGun” 』

「伊勢」 型に装備された主砲の 「四十五口径四一式三十六糎砲」 と副砲の 「五十口径三年式十四糎砲」 についてです。

36糎砲については昨年8月号の 「扶桑」 でも少し触れましたが、今回のはある意味更にその続きとも言えます。 また14糎砲は初めてのものです。

私は原稿のご依頼をいただいた時には、内容は在り来たりのものではなく私なりの独自のものとし、併せて機会をいただいた編集部さんへのお礼も兼ねて、可能な限り本邦初となる内容やデータ、図表などを加えることにしています。

今回も両砲の詳細要目や弾道図、一式徹甲弾の各型、十四センチ砲被帽通常弾など色々なものをご紹介しています。

ここにご来訪の皆さんには、是非手にとってご一読いただければ幸いです。

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2014年04月13日

『射撃指揮装置発達史』 公開

本家サイトの今週の更新として、先週に引き続いて射撃指揮装置関連で、『砲術講堂』 コーナーに旧海軍の 『射撃指揮装置発達史』 を公開しました。


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旧海軍の史料に出てくるものの中から纏めましたが、旧海軍における射撃指揮装置の開発・装備の流れを体系的に纏めたものとしては初めてのものと思います。

本項の内容は元々が旧海軍の部内用のものです。 したがって、例えば方位盤などは兵器採用された 「方位盤照準装置」 という制式名称ではなく、部内一般での呼称である 「方位盤射撃装置」、あるいは単に 「方位盤」 としています。

これは 「方位盤射撃装置」 と 「照準装置」 とは別のものとして取り扱われていた事によるもので、発展経緯からも、そして本来の実態としてもこちらの方が適切な言い方であると言えるからです。

なお、本家サイトの射撃指揮装置関連では、次は構造概要に進むつもりにしています。


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2014年04月06日

射撃指揮装置とは

先日会合で一杯やっている時に、とある方から 「旧海軍の射撃指揮装置の中身が解らないんですよね〜、桜と錨さん教えてくださいな」 とのリクエストがありました。

そこでまず、本家サイトの今週の更新として、『砲術講堂』 の 『艦砲概説』 で1つ残っておりました 『射撃指揮装置』 の項の公開です。


これの追加が遅くなりましたのは、射撃指揮装置についてこれをどのようにご説明すればよいのか迷っていたからです。

それは 「射撃指揮装置」 と一言で言っても、その発達の経緯に起因して非常に複雑なものがありますので、簡単に 「これだ」 と言い表すことが出来ないからです。

取り敢えず今回、この 『艦砲概説』 で極々平易にお話しし、次いで具体的なことに入っていこうと思っています。

旧海軍における射撃指揮装置の考え方は、既に 『旧海軍の砲術』 の 『射撃指揮装置』 中で、『射撃指揮装置概説』 としてお話ししておりますので、そちらをご参照ください。


射撃指揮装置関連は、次回に旧海軍における発達経緯についてお話しするつもりにしており、準備出来次第公開したいと思います。

また米海軍の考え方や戦後のものについては別途項目を設ける予定です。 3Tシステムなどについては、もう相当突っ込んだことをお話ししても差し支えないでしょうから (^_^)

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2014年02月23日

丁字戦法についての拙稿

本家サイトの今週の更新として、『砲術講堂』 コーナー中の 『砲術の話題あれこれ』 にその第3話を追加公開しました。


この第3話は、日本銃砲史学会の会報誌 『銃砲史研究』 第378号に掲載された 『日本海軍における丁字戦法に関する一考察』 と題する拙稿をディジタル化したもので、旧海軍の戦術の発展、日本海海戦における丁字戦法の実現、そして日露戦争後の状況について纏めたものです。

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丁字戦法については今日に至るまで様々な議論がなされてきたところであり、私達船乗りからすると、これまでは海自のOBであり防衛研究所図書館の調査員である北澤法隆氏のものが最も当を得たものでしたが、今回の拙稿は更にそれを一歩進め得たものと考えております。

特に日本海海戦における部分は、既に本ブログにて何回かに分けてお話ししておりますので、ご来訪の皆さんにはよくご理解いただいていると思いますが、「相対運動」 というもので解析して説明したものが活字となったのは今まで無かったものと自負しております。

公開にあたり日本銃砲史学会には事前に了承を得ておりますが、ただ同会報誌のものは印刷の関係で画像があまり鮮明ではありませんので、ディジタル化にあたり元の原稿で使用したものに入れ替えております。

また、同会報誌は印刷に制約があり画像は全てグレーになっておりますので、一部カラーを使用したものは既に本ブログでご紹介したものをご参照下さい。 今回公開のものもこのカラーが入ったオリジナルのものに入れ替えてもよかったのですが ・・・・ (^_^;

この古くて新しい話題についてお楽しみいただければ幸いです。

posted by 桜と錨 at 12:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年02月12日

続4 ・ 敵前大回頭と丁字戦法


丁字戦法と相対運動

相対運動からする敵前大回頭の分析は先のとおりです。 そして、この敵前大回頭を 「三笠」 単艦のみならず、第一戦隊としての分析については、既にご紹介した下図のとおり (ただし戦艦4隻のみ作図) です。

Mikasa_turn_C_s.jpg

この図の意味するところをもう一度纏めますと、次のとおりです。

1.敵前大回頭中は 「三笠」 のみならず後続する各艦も、露艦隊側から一方的に撃たれるという危険性は全くなかった。

2.敵前大回頭は、敵の意表を突く位置とタイミングで行われ、回頭終了後に主砲及び副砲の最大有効射程に第一戦隊各艦揃ってほぼピタリと位置した。

3.同時に回頭終了後の戦隊としての対勢は、見事なまでに丁字戦法を実現している。

ここまでは前回までにお話ししたところですが、ではこの敵前大回頭を終えて砲戦を開始した以降はどうなのでしょうか?

地理的に作図された航跡である合戦図で、連合艦隊の第一戦隊とロシア第一戦艦戦隊の2時47分までの状況は次の様になっています。

BoSoJ_chart_03_mod2_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より2枚の部分図を合成 )

相対運動というものが判らずにこの図だけを見た人は 「ダラダラした並航戦」 であったと評することになります。 これが今日まで続く丁字戦法の実現論争に繋がっているのです。

しかしながら、これを海上におけるそれぞれの艦上から相手の艦がどの様に動いて見えるかを論じなければその実相は解りませんし、意味がありません。

司令長官であろうと艦長、砲術長であろうと、そして各砲それぞれの射手であろうと、全てはそれらの艦上にいるからです。


上の合戦図に基づき、「三笠」 の2時10分の砲戦開始から2時47分までについて、「スワロフ」 から 「三笠」 を見た相対運動は次の様になります。

teiji_01_mod2_s.jpg

「三笠」 以外の第一戦隊各艦も作図しますと図がゴチャゴチャしますので 「三笠」 のみとしており、他の艦の動きについては回頭時の相対運動図から判断して下さい。

この図で、薄赤線、薄緑線及び薄青線で示すところはそれぞれ 「フワロフ」 が右へ変針したために、相対的に 「スワロフ」 から 「三笠」 を見る方位が後ろにずれる (これを 「方位が後落する (落ちる)」 と言います) 様子を示しています。

しかしながら、「スワロフ」 の変針に応じて変針した 「三笠」 は、双方が新しい針路に定針すると、それぞれ実線で示す様にその優速をもって 「スワロフ」 の頭を押さえよう、押さえようと動いていることが解ります。

即ち、「スワロフ」 が大角度の変針ではなく、小角度の小刻みな変針を繰り返したことも幸いして、常に左前方の位置を確保しつつ、優速をもって最大射程距離以内で丁字対勢を維持しています。

つまり敵前大回頭によって丁字対勢を実現した後も、常にこれを継続しているということです。 これを 「丁字戦法」 の実現と言わずになんと言うのでしょうか?

これは2時44分までの状況ですが、この後の変針以降は艦隊旗艦 「スワロフ」 と戦隊旗艦 「オスラビア」 の2隻が撃滅されて戦列を離れ、実質的な艦隊決戦は決着がついておりますので、丁字戦法の話しとしては省略いたします。

要するに、ここまでの日本海海戦第一会戦の緒戦において、相対運動をもって考えるならば、第一戦隊は見事なまでに丁字戦法を実現して露艦隊を撃破していることが明らかです。

お読みいただいた方々にもこれで十分に納得いただけるものと思います。


ところで、この 「丁字戦法」 というものをよく理解されていない方々の中には、いまだに 「T」 (ティー) の字にならなければ丁字戦法ではないとか、その反対に 「T」 (ティー) の字にならなくても良いことを前提とするなら 「丁字戦法」 という名称そのものがおかしい、とまで言い出す人が現れる始末です。

つきましては、次回この丁字戦法について、詳しくお話しすることにしたいと思います。

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次記事

「丁字戦法についての拙稿」 :

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「続3 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続々 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

「敵前大回頭と丁字戦法」 :

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2014年02月07日

続3 ・ 敵前大回頭と丁字戦法

敵前大回頭と相対運動 (後)

さて、前回 「相対運動」 というものの概念について説明したところですが、今回はこの相対運動からする敵前大回頭はどのようになるのか、についてお話しします。

下図は既にご紹介しましたように、日本海海戦第一会戦の合戦図の一部です。 赤丸で示したところが敵前大回頭、いわゆる東郷ターンの部分です。

BoSoJ_chart_01a_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より部分 )

そして下図はこれも既にご紹介済みの更にその部分のみのものです。

BoSoJ_chart_02_mod_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より部分 )

灰色、薄水色、薄緑色の線はそれぞれ14時5分の「三笠」回頭開始時、8分の「三笠」回頭終了後の定針時、そして10分の 「三笠 」砲戦開始時の 「三笠」 と 「スワロフ」 の位置関係を示したものです。

さて、これを相対運動に直すと、それぞれの艦から互いに相手がどの様に見えていたのでしょうか?

前回ご紹介した 「運動盤」 を用いて、地理的に作図された合戦図を相対運動に作図し直すと次の様になります。

まず 「三笠」 から見る 「スワロフ」 の動きです。 

togo_turn_01_s.jpg

図の中心は 「三笠」 であり、その 「三笠」 そのものの実際の針路 (動き) がどうであろうと図の上方向が常に 「三笠」 の艦首方位です。

当然ながら 「三笠」 自身が左回頭しますので、「三笠」 艦上からはその艦首尾線に対して、「スワロフ」 は左前方から艦首を回って右正横やや後ろまで大きく動いて “見える” ことになります。

このため各砲の射手は 「スワロフ」 を正確に照準することが出来ません。

また砲術長や砲台長は射撃のための 「スワロフ」 の未来位置を計算することがでず、このためこれを射手に伝えて照準器に正しい見越を設定することができません。

即ち、「三笠」 は回頭を終えて定針するまでは 「スワロフ」 に対して命中させるための正確な射撃が出来ないことがお解りいただけるでしょう。

では 「スワロフ」 から 「三笠」 はどの様に “見えた” のでしょうか? 同じく相対運動に作図し直したものが次の図です。

togo_turn_02_s.jpg

回頭する 「三笠」 から見るほどではありませんが、方位、そして特に距離が大きく変化していることがお解りいただけるでしょう。

艦砲射撃というものは、目標と射撃艦が “互いに” 定針定速 (等速直進) していることが前提であり、そうで無い場合は “相対運動上の未来位置” を求めることができませんので、正確な射撃をすることは出来ません。

つまり、日本海海戦劈頭に 「スワロフ」 が射撃を開始したのは、 「三笠」 が東郷ターンを終えて新針路に定針した直後の14時08分であると言うのは、極めて合理的な理由の故であるということになります。

そして露艦隊側が正確な見越計算をできるようになったのは 「三笠」 側と同じ14時10分以降であることもお解りいただけるでしょう。

実際のところ 「三笠戦闘詳報」 では、「三笠」 が回頭終期になって方位・距離変化が少なくなった14時07分に 「オスラビア」 が最初に射撃を開始しておりますが全く有効な射撃ができていません。 「三笠」 が露艦隊側から最初の命中弾を蒙ったのは、「三笠」 が試射を終えて本射に移行した14時11分より更に遅い、12分のこととされています。

したがって、敵前大回頭というものは、いままで巷で広く言われてきた 「東郷提督は一方的に露艦隊から砲撃を受けるという危険を冒して大冒険をした」 というようなことは、全く当を得ていないと断定できます。


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「続4 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :


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「敵前大回頭と丁字戦法」 :



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2014年02月01日

続々 ・ 敵前大回頭と丁字戦法

敵前大回頭と相対運動 (前)

先の 「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 において、相対運動作図というものをご紹介し、これによる敵前大回頭の分析結果を説明しました。

ただ、当該記事の元々が日本銃砲史学会の会報誌 『銃砲史研究 第377号』 での黛治夫氏の記事再録に当たっての私の解題でしたので、十分な説明ができませんでした。

そこで、今回の同誌第378号において 『日本海軍の丁字戦法に関する一考察』 として一稿を掲載していただき、その中でこの相対運動についてももう少し分かりやすく解説してみました。

当該記事に基づき、こちらでも改めて説明してみたいと思います。

先にも書きましたが、「相対運動」 というのは地上に暮らしている一般の人々にとってはなかなか分かり難い概念であると思います。

例えば、都心などで列車に乗っている時、隣の線路を併走する列車との僅かな速度差によって、自分の列車がバックしているかのような錯覚を感じることがあるかと思います。 それも相対運動の結果なのです。

また、北海道などで見通しの良い開けたところで、遠くから相手の車がずっと見えているにもかかわらず、交差点での出会い頭の衝突事故がしばしば発生していることがニュースでも報じられます。 実はこれはこの相対運動の実際を理解していないための “錯覚” によるものなのです。

ただ、普通に生活している限りでは、道路や建物などの地理的に固定された地形地物を見ながらですので、なかなかこの相対運動というものを “感覚” として理解することが少ないといえます。

ところが、洋上では海原以外に見えるのは相手の船だけです。 このため、船対船の関係は常に 「相対運動」 で見ることになります。

簡単な例でご説明します。

今、下図のようにA船とB船が行き逢い、そのまま直進したために X点で衝突してしまったとします。

relative_01_s.jpg

この場合、地上であったならば、A船とB船の動きはこの図のように見えたはずです。

ところが、他に何も地形地物のない洋上において両船が衝突するまでの間、A船からB船、あるいはB船からA船はどの様に見えていたのでしょうか?

上の図を、もう少し細かくして一定間隔での両船の関係を表しますと、下図の左の様になります。 そしてこの図を、A船の船上から見た状況に書き直すと下図の右の様になります。

relative_02_s.jpg   relative_03a_s.jpg

そうです。 船乗りが最も嫌がる 「方位変わらず、距離が近づく」 という状況です。 これは衝突する危険が切迫しているということを示しているからです。

しかも、B船はA船に向首して近づいてくるわけでは無いことに注意してください。 このように横向きの対勢のまま距離だけがどんどん近くなってきます。

これが相対運動というものです。

私も何度も経験がありますが、夜間航海中に艦橋の艦長椅子で暫しの居眠りをしているとき、すぐ外にいる右見張からの 「右〇〇度の赤燈、方位変わらず、距離近づく」 という報告を聞くと、ドキッとして目が覚めます。 衝突の危険があり、そしてこちらに避航の義務があるからです。


この衝突の例の様な場合は簡単ですが、そうでない場合には 「相対運動作図」 あるいは 「相対運動解法」 というものによって相手の船の動きを測る必要が出てきます。

この相対運動作図というのは、今日では 「運動盤」 という紙に印刷されたものによって、三角定規とデバイダー、場合によってはコンパスを使えば簡単にできます。

運動盤用紙は米海軍及び海上自衛隊で最も一般的なものは下図の様なものです。

MarBoard_01_s.jpg

( でもこれ日本製は高いんですよ。 30〜40年前で1枚50円と言っていました。 ですから若手幹部の頃は、書いては消し、書いては消してボロボロになるまで再利用しました (^_^; )

先の衝突の例をこの運動盤で作図すると次の様になります。

MarBoard_02_s.jpg

B船の現在位置から両船の運動の合成ベクトル(薄青線)と並行に引いた薄赤線が 「相対運動線」 になります。 即ちA船からはこの線上をB船が近づいてくるように “見える” わけです。 しかも横を向いたままで。

この相対運動の解析は、戦後になってレーダーが一般船舶にも普及するにつれて良く知られる様になりました。

と言いますのも、レーダーのPPI (Plan Position Indicator) という表示方法は、下写真のとおり、常にその中心が自分の位置 (正確にはレーダーアンテナの位置) であり、表示される地形も他船舶も全てこの中心に対する相対運動として表示されるからです。

RDR_PPI_disp_01_s.jpg

( 因みに、もしこのレーダー画面に映っている場所 (海面) がどこかお解りの方がおられましたらお知らせ下さい。 正解の方には何かプレゼントを考えます (^_^) )

最近ではレーダー信号をディジタル化して自動的にこの相対運動解析を行い、操船者に警報を出す 「衝突予防機能」 付のものが増えてきましたね。
(続く)

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(2月4日追記):

先のレーダー画像は豊後水道水ノ子島の北北東約5浬の地点におけるもので、赤丸が佐田岬、緑丸が水ノ子島です


RDR_PPI_disp_01a_s.jpg

Bungosuido_chart_No210_01_s.jpg

これをご覧いただいてもお判りの様に、沿岸海域の航行でレーダーを利用するにはこれ単独ではダメで、常に海図と付き合わせてこそ初めて役に立つものと言うことができます。

なお、水ノ子島灯台は一般には映画 「喜びも悲しみも幾年月」 のロケ地としても知られていますが、船乗りにとっては豊後水道を行き来するための重要な目印となっています。

また、四国側伊予半島先端の佐田岬と九州側佐賀関半島の間を 「速水瀬戸」 (はやすいのせと) と言い、東の友ケ島水道、北西の関門海峡と並び瀬戸内海に出入りするための海上交通の要衝となっています。


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関連前記事

「敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

「 『銃砲史研究』 第378号」 :

「 『銃砲史研究』 第377号」 :

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2014年01月26日

「水上射撃の射法」 完結

先程本家サイトの今週の更新をしまして、先週に引き続いて 「射法の理論」 中の 「水上射撃の射法」 の残りを公開しました。


この方面に関心のある方々には 「転舵修正」 や 「飛行機観測を利用する場合の距離修正」 などは興味をもっていただけるのではと思っています。

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これにて水上射撃における射法の解説を一応全て終わりました。 本当は各理論の発展経緯や理論式、根拠データなどもっと色々ありますが、あまり詳細すぎても取っ付きにくいでしょうし、一般の方々にはこのレベルでも十分なものと思います。 今回のはいわば “初級編” です。

もちろん将来的には本来の詳細な理論についてご紹介したいとは思います。 きちんと残しておかないとそのうち忘れ去られて、旧海軍の砲術の真実について誰も判らないことになってしまいますので。

posted by 桜と錨 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年01月23日

『銃砲史研究』 第378号

「日本銃砲史学会」 の会誌 『銃砲史研究』 に前号第377号に続いて今回の第378号に私の記事を2つ掲載していただきました。

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1つ目が、

『 日本海軍の丁字戦法に関する一考察 』

です。 前号で黛治夫氏の論文の解題を書かせていただきましたが、その中で相対運動による敵前大回頭の解析をご紹介しました。 しかしながら元々が解題であったことから丁字戦法そのものについては詳しく述べることが出来ませんでした。

そこで、今回はその丁字戦法に関連して、日本海軍の創設期からの戦術の発達、丁字戦法の誕生と日本海海戦、そしてその後の丁字戦法について纏めたものです。

この丁字戦法についての論文は、これまでは防衛研究所図書館の調査員をされている北澤法隆氏のものが最も纏まったものあり、かつ最も当を得たものであったと言えますが、今回の私のものは更にそれを掘り下げ得たと自負しております。 特に相対運動による解析はいままで無かったものかと。

2つ目が、前号に続き日本銃砲史学会創立50周年としてかつての黛氏の論文を再録するにあたりその解題を書かせていただいたものです。

今回再録されたの黛氏の論文は次の2つです。

『 日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷 (前) 』

『 日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷 (後) 』

私の解題はその前編についてで、

『 艦砲射撃の命中率に関する黛論文について (前) 』

後編の分までは流石に私も時間が取れませんでしたし、これも含めますと本号中で私一人の記事が多すぎることになりますので、後編の解題は次号回しということに (^_^;

もし興味のある方がおられましたら、会誌の入手方法などについては 「日本銃砲史学会」 のサイトにてお尋ね下さい。

「日本銃砲史学会」 公式サイト :

なお、丁字戦法についての私の記事の中で、皆さんにも関心をもってもらえると思います敵前大回頭後の砲戦開始以降について、本ブログでもこのあと少し纏めましてから別記事としてお話ししたいと思います。

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関連前記事

「 『銃砲史研究』 第377号」 :

「敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :


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2014年01月19日

本家サイトの今週の更新

先程本家サイトの更新をしましたが、今週は久々にサイト本来のメインテーマである旧海軍の砲術についてのコンテンツ追加です。

『砲術講堂』 コーナー中の 『旧海軍の砲術』 で、『射法理論』 に水上射撃における 「全量射法」 と 「自変距射法」 の2つを解説しました。 とは言っても後者はたった数行で終わりなんですが (^_^;


全量射法という仰々しい名称ではありますが、早い話しが、近代射法が誕生するまでの射撃指揮官が弾道計算以外を全て頭の中でやる方法で一斉打方をやったならばこうなる、と思っていただければよろしいでしょう。

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なお旧海軍の水上射撃についての射法理論の解説は、残りの項目を纏めてあと1回で全て終わる予定にしています。

posted by 桜と錨 at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し