2014年11月11日

日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続2)


HN 「KK」 さんよりいただいたご質問に対する回答の続きです。


(試射初弾の弾着で) 同じ水柱をあえて違う構図で描くことで強調したのか、それともあれは (初弾とは) 違う水柱なのか ・・・・ 三笠は片側の側砲が五門ですので違う水柱だと思うのですが

まず、認識を改めていただきたいのは、「三笠」 の副砲たる6インチ砲は片舷7門です。 そして試射はこの内の右舷前部3門 (1、3、5番砲) + 1門 (7番砲) の4門で行っています。 また、「側砲」 というのは、6インチ砲の他、舷側に装備された3インチ砲及び47ミリ速射砲の補助砲の全て含みます。

その上で、先にも申し上げましたとおり、発砲や弾着の映像は実際の経過どおりに一つ一つ全てを順序良く忠実に表現しているわけではありません。 そのようなことをしてもドラマとして意味が無いからであり、砲戦場面という画面効果を最優先にして編集されているからです。

そして 「三笠」 以外の各艦の射撃の状況 (いつ、どの艦が、どのように開始したのか) なども一切触れておりません。

したがって、ドラマの映像をカット毎に見比べて、どれが (どの艦の) どの弾であるかというようなことをお尋ねいただいても、仕方のないこととご了解下さい。

また私もそれの説明がつくような編集とするようにとはNHKさんにアドバイスもしておりません。


最初の斉射が海面に弾着し、スワロフ甲板が慌ただしいなか、見張りの水兵がロシア語字幕で 「また来たぞ」 と叫んでいます。 あれが不思議です。 というのは三笠の第二射準備のカットは 「また来たぞ」 の 「後」 に来るからです。 三笠はまだ二発目を撃っていないのになぜ 「また」 なのかわかりません。 ひょっとしたらドラマのなかでは二度目の斉射として描かれているのは、実は三度目か四度目の斉射なのですか。

当該シーンは、( 「三笠」 の) 試射の初弾なのかそれ以降なのか、あるいはその後の主砲を含む本射なのか、その次の装填シーンが何発目のものであるのか、などを意識して区別した編集にしておりません。 その理由は上記のとおりです。


「てーっ!」 で五門同時に発砲しているように見えます。 ですが当時は各門が別個に 「てーっ!」 とやっているはずです。 すると互いに数秒ないしコンマ数秒のずれがあると思います。

先にご紹介した本家サイトの 「三笠戦策」 の記事を良くお読みいただければ、誰が発砲を管制し、各砲がどのように発砲するのかをご理解いただけると存じます。


甲板でストップウォッチを見て 「だーんちゃく!」 と叫んでいます。 あれはどの門の発砲をゼロ時点として弾着の予想タイミングを計ったのですか。

砲台長の発砲号令が基準です。 各砲はこの号令により、ほぼ同時からそれよりは1〜2秒程度遅い範囲までの間で、各砲ごと照準が良い時に発砲しますので、秒時計による予定弾着時から、その範囲で各弾が弾着することになります。


散布界の理解はこれでよろしいでしょうか。
http://majo44.sakura.ne.jp/obs/02.html
ただドラマではこんな楕円ではなくもっと横一列に近い緩いカーブ上に水柱があがっていますが。

楕円の円周上に並ぶわけではないことは、各砲の弾道の “誤差” というものをお考えになればお判りになると思います。 多数砲 (6門以上) を以てする斉射弾の弾着範囲を包括的に示すとすれば、あるいは楕円状になる場合もあるかもしれませんが、実際の斉射弾の弾着パターンはその斉射ごと極めて複雑、不規則に変わるものです。

逆に少数砲の場合、3門なら三角形に、4門なら四角形にしかなり得ないわけで ・・・・

したがって、散布界というのは艦砲射撃においては面積ではなく、縦 (距離) 方向の “長さ” とそれに対する横方向の “幅” の2つで表します。

もちろんこの内重要なのは縦方向で、単に 「散布界」 と言った場合には、この縦方向の範囲 (長さ) を意味します。

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前 : 「日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続)」

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2014年11月08日

日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続)


HN 「KK」 さんより、先の「日本海海戦における 「三笠」 の試射について」に関連し続いて沢山のご質問をいただきましたが、とてもコメント欄にて回答出来る量と内容ではありませんので、取り纏めた上で改めて記事にさせていただくことにし、取り敢えず既にコメント欄にてお答えしていた内容をこちらで記事にし直します。


(試射の) 最初の発砲 (4発同時に撃っているように見えます) ですべて6400に揃えて発砲したのは

4門の射手がそれぞれで照準し発射しますので、距離の調定が同じでも照準のズレによって弾着点は異なってきます。 そして同じ射手でもその時その時の状況により微妙に照準がずれます。

もちろん弾着点がずれる原因は他にも沢山ありますが、この要因が一番大きくなります。

この射手による照準のズレを出来るだけ小さくなるようにしたのが海戦前の鎮海湾における猛訓練の成果の一つなのです。

これによって、基準砲(最も技量の高い射手を配置する砲、「三笠」では通常右舷の3番6インチ副砲及び左舷の4番砲です。)を中心とする狭い範囲に4弾を弾着させ、正確な射距離 (正しくは 「適正照尺」 と言います) を “迅速に” 把握することが可能になったのです。

なお、史実では午後2時10分に距離6400mで試射開始、同11分に距離6200mとなった時点で主砲及び右舷全6インチ砲の射撃を開始したとされています。 この間何斉射の試射を行ったのかは記録上不明でが、時間的には常識的に2〜3斉射と判断されます。


ドラマでは最初の斉射は側砲のみで行われました。 主砲が吠えるのは二斉射目からです。 最初に主砲を撃たなかったのはなぜですか。

当時の主砲は動力の問題で動揺や目標の動きに応じて照準を連続追尾させるよう砲及び砲塔をこまめに動かすことは不可能でした。

したがってある程度の見越位置で砲を停めておき、動揺や運動によってその停止位置での照準がピッタリとなった瞬間に撃つのです。

このため、日本海海戦時の主砲の発射速度は平均で十数分に1発となっています。 これでは迅速な試射には使えません。


あるマニアの方のブログで、「主砲がよく見ると左右の門の角度が違う。 距離設定が左右で異なるのだ。 NHKきちんと考証していて感心」 と綴っていました。 これは正確でしょうか。

左右砲で射距離に差を持たせて射撃したためではありません。 当時の主砲は同一砲塔2門の斉射は実施しておりません (実用にならない) ので、左右砲を交互に撃つ 「交互打方」 ですのでこうなります。

ご紹介した本家サイトの記事の第06項に詳しくご説明しておりますので、ご参照ください。

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前 : 「日本海海戦における 「三笠」 の試射について」

次 : 「日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続2)」
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2014年11月06日

日本海海戦における 「三笠」 の試射について


日本海海戦の砲戦開始冒頭における 「三笠」 の試射について、メールにて次のご質問をいただきました。

内容は質問者さんだけではなく、ご来訪の皆さんにもご参考になると思いますので、こちらに纏めて回答することにします。

日本海海戦のときの、三笠による試し撃ち方についてご教示いただけないでしょうか。

NHKの『坂の上の雲』最終回を観ていて、まず三笠の側砲(と呼ぶのですか?)から「試し撃ち方、6400!」と撃ちだします。

ヘリコプターによる空撮風のカットがあって、それを見ると、側砲が4つないし5つ同時に発砲してみえます。

旗艦スワロフの向こう側に水柱が並んで上がるということは、各砲そろって6400として撃ちだしていると考えられます。

素人考えなのですが、側砲がそれぞれ6400、6300、6200という風に違う射程距離で撃ちだしていればそのどれかひとつはスワロフに当たって、そうなればスワロフと三笠の正確な距離がそれでわかったはずです。

しかしながらドラマを見ると6400では遠すぎるとわかって6200に修正して、二発目を撃ちだし、今度は命中!となっています。

なぜ最初の砲撃で6400、6300、6200と各砲違う距離設定で撃たなかったのかわかりません。


ご説明に入る前に、まずは本家サイトの記事をじっくりとお読みいただければと思います。

即ち、「砲術の話題あれこれ」 中の 「第2話 日露戦争期の日本海軍の砲術」 、特にその第13項及び第14項です。


これをご理解いただいた上で、では、実際はどうだったのかということと、NHKのドラマとしては、ということの2つをお話しします。


1.実際について

日本海海戦時の 「三笠」 の艦砲射撃については、 「三笠戦策」 中で前任の砲術長である加藤寛治が起案したものを基本としています。

mikasa_sensaku_01.jpg

替わって3月に 「八雲」 から着任した安保C種砲術長は、それから日本海海戦までに自分なりの砲戦策を編み出すことは時間的にも無理であり、取り敢えずは加藤寛治のものに則り鎮海湾での猛訓練に励んだと考えられます。

そして、その訓練の成果に基づき、加藤寛治の 「三笠戦策」 の規定を応用する形で日本海海戦に望みました。

この戦策の中で試射の方法については、副砲の6インチ砲1門による指命発射法を除くと、基本的に2つの方法が規定されています。

即ち、今回のご質問でのご指摘のようにそれぞれの砲に射距離に差を付けて行う方法と、射距離を同一にして行う方法です。

戦策では前者を 「6尹前部砲台の一舷砲4門を以て行う混射法」、後者を 「6尹砲台全部若しくは6尹前部砲台の一舷砲を以て行う発射法」 と言います。

そして前者は

“ 砲戦の初期に当たり弾着観測容易なるも、最遠距離にして測距儀の指示甚だ信頼すべからざる場合 ”

後者は

“ 混射法に依り略ぼ射程を発見したる後更に正確に射距離を修正せんとする時、若しくは艦隊戦闘の如き場合に於いて弾着観測容易ならざる時 ”

に用るものとされています。

これは加藤寛治が砲術長当時の測距儀の測距精度、そして主砲や副砲の照準発射の技量によりこれが最善と考えられたからです。 (この精度や技量については別に 「三笠」 に限ったことではなく、連合艦隊全般にいえることでした。)

では、日本海海戦冒頭で 「三笠」 はどちらの方法を採ったのでしょうか?

これは後者です。 「三笠戦闘詳報」 の中で

“ 射距離6千4百に至り嚮導艦 「スワロフ 」型に向け右舷6尹前砲台の一斉試射を行い”

と記されていることからも明らかです。

では何故最初に混射法を用いず、始めから斉射による方法を行ったのでしょうか?

これは鎮海湾における猛訓練の成果、当日の気象海象の状況、そして戦術様相・戦術状況を総合的に判断した結果によるものと考えられます。

特に鎮海湾における内筒砲射撃により、各砲射手の照準発射法の技量が格段に向上し、3〜4門で相当良好な散布界が得られると判断されたことが大きいでしょう。

即ち、当時の射撃は主砲以下全ての砲種で各砲毎の砲側照準・発射ですので、例え200m毎の距離差をつけての試射を行っても、200m間隔で弾着するわけではなく、各砲毎相当な誤差がありました。 特に各射手の技量によってその弾着は大きく左右されたわけです。

これが日本海海戦までに距離6千m付近でも弾着精度が向上し、このため試射の始めから斉射による狭い散布界によって正確な射距離を把握することが可能となったわけです。

( ただし、NHKのドラマ上ではシーンの長さの関係から、試射の2斉射で目標を夾叉したように編集されていますが、実際は試射の何斉射目かは記録にありませんので正確なことは不明です。)


2.NHKのドラマについて

第13話における艦砲射撃の場面は私のアドバイスにより作られたものです。 もちろん、史実どおりに映像化してもらうのが最も良いのでしょうが、それではドラマにはなりません。

例えば、試射において戦策どおりの号令詞などを忠実にセリフにしたところで、瞬間的に流れる当該場面でこれを一般視聴者の方々がその意味するところを瞬時に理解することはまず無理というものでしょう。

また、試射の号令の前後の関係員の動作や指示・命令・復唱・報告などの流れを全て順序立てて表現することも当該シーンの長さから不可能ですし、ドラマの中のものとしてあまり意味はありません。

したがって、“砲戦の冒頭に試射を行い、それがどのようなものであったのか” を簡潔明瞭に表現するものとして、あのようにしております。

とはいっても、当時の艦砲射撃の基本的なところは押さえてありますので、あのシーンとしては判りやすくかつ十分なものであると考えています。 (もちろん、ロケセットの各種装備品などによる制約は別にして、です。)

そして、これまでの日本海海戦についての映画などで、この試射を表現したものはありませんでしたので、初めてのことであると自負しております。

演出の加藤監督はもちろん、美術さんやVFXさんを始めスタッフの皆さんにより、大変印象的な映像にしていただけたことを感謝している次第です。

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(11月8日追記) : HN 「KK」 さんより、本項に関連し続いて沢山のご質問をいただきましたが、とてもコメント欄にて回答出来る量と内容ではありませんので、取り纏めた上で改めて記事にさせていただくことにし、取り敢えず既にコメント欄でお答えしていたものを次の別記事としました。

「日本海海戦における 「三笠」 の試射について (続)」 :

posted by 桜と錨 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年10月14日

本家サイトご来訪40万名達成!

お陰様をもちまして、この度本家サイトはめでたくご来訪40万名の大台を達成することができました。 「超」 が付くマイナーな内容のサイトではありますが、多くの方々にご覧いただけておりますこと感謝いたします。

そこで、先程その感謝記念企画の第1弾をUPしました。

私のサイトらしく、『艦艇用装甲板実射耐弾試験写真集』 で、『懐かしの艦影』 コーナーの 『番外編』 にて公開いたしました。


これは1898年に米国カーネギー製鋼社が作成したもので、いわば同社製品の米国内及び諸外国向け販促パンフレットです。

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各種装甲板の試験写真とその解説及びデータが掲載されており、加えて、カーネギー社の工場紹介写真も含まれています。

とはいっても、如何に販促用とはいっても当時これだけの内容のものが公開されるのは珍しいことで、ここに収録されている写真のいくつかは有名なブラッセー海軍年鑑などでも記事と共に掲載されました。

そして現在においても、この種のものが公刊物として採り上げられることはあまりありませんので、当時の装甲板と砲弾の関係を示す大変貴重な史料と言えるでしょう。 ここに私のサイトにおいて本史料を公開する価値があるものと考えます。

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( 同公開写真集より )

本史料は、元々は斉藤實海軍大将が手に入れたものですが、後に海軍大学校の蔵書として保管されていたものです。

今回は同コーナーの他の写真集と異なり、写真頁と解説・データ頁に別れておりますので、全てを1つのPDF形式としました。

本来の保存用PDF版は200MB以上ありますので、サイズを落とした約12MBの縮小版としましたが、それでも300%程度までの拡大表示でも十分ご覧いただけるものと思います。

当時の艦艇における装甲板と砲弾との関係を示す格好の史料としてお楽しみいただければ幸いです。

なお、感謝記念企画はこの他にも準備中ですので、コンテンツが出来上がりましたら、また別途公開する予定です。
posted by 桜と錨 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年09月09日

『銃砲史研究』 第379号

「日本銃砲史学会」 の会誌 『銃砲史研究』 第379号に私の記事を掲載していただきました。

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題して

『 艦砲射撃の命中率に関する黛論文について (後) 』

前号の第378号では、黛氏の論文 『 日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷 』 の前編及び後編が再録され、そしてその前半についての私の解題が掲載されました。

同号では既にご紹介しましたように丁字戦法に関する論文も掲載していただきましたので、流石に一つの号に後半の分までは私も時間が取れませんでしたし、これも含めますと私一人の記事が多すぎることになりますので、解題の後半は今回ということになったものです。

旧海軍の砲術について、特に太平洋戦争期のことについては 『海軍砲術史』 (同編纂会編、非売品) を始め、今までの出版物などではほとんど語られることの無かった内容になっていると思います。

同会誌の黛氏の論文、あるいは氏の著作 『海軍砲戦史談』や『艦砲射撃の歴史』 をご覧いただきながらお読みいただけると良いのですが、それらをお持ちでなくとも、この解題だけでも十分お判りいただけるかと。

もしこの方面に興味のある方がおられましたら、是非ご一読をお願いいたします。

なお、会誌を希望される方がおられましたら、入手方法などについては 「日本銃砲史学会」 のサイトにてお尋ね下さい。

「日本銃砲史学会」 公式サイト :

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関連前記事

「 『銃砲史研究』 第378号」 :

「 『銃砲史研究』 第377号」 :

「敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

posted by 桜と錨 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年05月31日

「丸」 7月号


潮書房の月刊誌 「丸」 の7月号が発売になりました。

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今月号は戦艦 「伊勢」 型の特集ですが、私も一つ書かせていただきました。 編集部さんからいただいたタイトルは 『 「伊勢」 型の長槍 “36&14センチGun” 』

「伊勢」 型に装備された主砲の 「四十五口径四一式三十六糎砲」 と副砲の 「五十口径三年式十四糎砲」 についてです。

36糎砲については昨年8月号の 「扶桑」 でも少し触れましたが、今回のはある意味更にその続きとも言えます。 また14糎砲は初めてのものです。

私は原稿のご依頼をいただいた時には、内容は在り来たりのものではなく私なりの独自のものとし、併せて機会をいただいた編集部さんへのお礼も兼ねて、可能な限り本邦初となる内容やデータ、図表などを加えることにしています。

今回も両砲の詳細要目や弾道図、一式徹甲弾の各型、十四センチ砲被帽通常弾など色々なものをご紹介しています。

ここにご来訪の皆さんには、是非手にとってご一読いただければ幸いです。

posted by 桜と錨 at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年04月13日

『射撃指揮装置発達史』 公開

本家サイトの今週の更新として、先週に引き続いて射撃指揮装置関連で、『砲術講堂』 コーナーに旧海軍の 『射撃指揮装置発達史』 を公開しました。


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旧海軍の史料に出てくるものの中から纏めましたが、旧海軍における射撃指揮装置の開発・装備の流れを体系的に纏めたものとしては初めてのものと思います。

本項の内容は元々が旧海軍の部内用のものです。 したがって、例えば方位盤などは兵器採用された 「方位盤照準装置」 という制式名称ではなく、部内一般での呼称である 「方位盤射撃装置」、あるいは単に 「方位盤」 としています。

これは 「方位盤射撃装置」 と 「照準装置」 とは別のものとして取り扱われていた事によるもので、発展経緯からも、そして本来の実態としてもこちらの方が適切な言い方であると言えるからです。

なお、本家サイトの射撃指揮装置関連では、次は構造概要に進むつもりにしています。


posted by 桜と錨 at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年04月06日

射撃指揮装置とは

先日会合で一杯やっている時に、とある方から 「旧海軍の射撃指揮装置の中身が解らないんですよね〜、桜と錨さん教えてくださいな」 とのリクエストがありました。

そこでまず、本家サイトの今週の更新として、『砲術講堂』 の 『艦砲概説』 で1つ残っておりました 『射撃指揮装置』 の項の公開です。


これの追加が遅くなりましたのは、射撃指揮装置についてこれをどのようにご説明すればよいのか迷っていたからです。

それは 「射撃指揮装置」 と一言で言っても、その発達の経緯に起因して非常に複雑なものがありますので、簡単に 「これだ」 と言い表すことが出来ないからです。

取り敢えず今回、この 『艦砲概説』 で極々平易にお話しし、次いで具体的なことに入っていこうと思っています。

旧海軍における射撃指揮装置の考え方は、既に 『旧海軍の砲術』 の 『射撃指揮装置』 中で、『射撃指揮装置概説』 としてお話ししておりますので、そちらをご参照ください。


射撃指揮装置関連は、次回に旧海軍における発達経緯についてお話しするつもりにしており、準備出来次第公開したいと思います。

また米海軍の考え方や戦後のものについては別途項目を設ける予定です。 3Tシステムなどについては、もう相当突っ込んだことをお話ししても差し支えないでしょうから (^_^)

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posted by 桜と錨 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年02月23日

丁字戦法についての拙稿

本家サイトの今週の更新として、『砲術講堂』 コーナー中の 『砲術の話題あれこれ』 にその第3話を追加公開しました。


この第3話は、日本銃砲史学会の会報誌 『銃砲史研究』 第378号に掲載された 『日本海軍における丁字戦法に関する一考察』 と題する拙稿をディジタル化したもので、旧海軍の戦術の発展、日本海海戦における丁字戦法の実現、そして日露戦争後の状況について纏めたものです。

IJN_Teijisenpou_p1_s.jpg

丁字戦法については今日に至るまで様々な議論がなされてきたところであり、私達船乗りからすると、これまでは海自のOBであり防衛研究所図書館の調査員である北澤法隆氏のものが最も当を得たものでしたが、今回の拙稿は更にそれを一歩進め得たものと考えております。

特に日本海海戦における部分は、既に本ブログにて何回かに分けてお話ししておりますので、ご来訪の皆さんにはよくご理解いただいていると思いますが、「相対運動」 というもので解析して説明したものが活字となったのは今まで無かったものと自負しております。

公開にあたり日本銃砲史学会には事前に了承を得ておりますが、ただ同会報誌のものは印刷の関係で画像があまり鮮明ではありませんので、ディジタル化にあたり元の原稿で使用したものに入れ替えております。

また、同会報誌は印刷に制約があり画像は全てグレーになっておりますので、一部カラーを使用したものは既に本ブログでご紹介したものをご参照下さい。 今回公開のものもこのカラーが入ったオリジナルのものに入れ替えてもよかったのですが ・・・・ (^_^;

この古くて新しい話題についてお楽しみいただければ幸いです。

posted by 桜と錨 at 12:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年02月12日

続4 ・ 敵前大回頭と丁字戦法


丁字戦法と相対運動

相対運動からする敵前大回頭の分析は先のとおりです。 そして、この敵前大回頭を 「三笠」 単艦のみならず、第一戦隊としての分析については、既にご紹介した下図のとおり (ただし戦艦4隻のみ作図) です。

Mikasa_turn_C_s.jpg

この図の意味するところをもう一度纏めますと、次のとおりです。

1.敵前大回頭中は 「三笠」 のみならず後続する各艦も、露艦隊側から一方的に撃たれるという危険性は全くなかった。

2.敵前大回頭は、敵の意表を突く位置とタイミングで行われ、回頭終了後に主砲及び副砲の最大有効射程に第一戦隊各艦揃ってほぼピタリと位置した。

3.同時に回頭終了後の戦隊としての対勢は、見事なまでに丁字戦法を実現している。

ここまでは前回までにお話ししたところですが、ではこの敵前大回頭を終えて砲戦を開始した以降はどうなのでしょうか?

地理的に作図された航跡である合戦図で、連合艦隊の第一戦隊とロシア第一戦艦戦隊の2時47分までの状況は次の様になっています。

BoSoJ_chart_03_mod2_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より2枚の部分図を合成 )

相対運動というものが判らずにこの図だけを見た人は 「ダラダラした並航戦」 であったと評することになります。 これが今日まで続く丁字戦法の実現論争に繋がっているのです。

しかしながら、これを海上におけるそれぞれの艦上から相手の艦がどの様に動いて見えるかを論じなければその実相は解りませんし、意味がありません。

司令長官であろうと艦長、砲術長であろうと、そして各砲それぞれの射手であろうと、全てはそれらの艦上にいるからです。


上の合戦図に基づき、「三笠」 の2時10分の砲戦開始から2時47分までについて、「スワロフ」 から 「三笠」 を見た相対運動は次の様になります。

teiji_01_mod2_s.jpg

「三笠」 以外の第一戦隊各艦も作図しますと図がゴチャゴチャしますので 「三笠」 のみとしており、他の艦の動きについては回頭時の相対運動図から判断して下さい。

この図で、薄赤線、薄緑線及び薄青線で示すところはそれぞれ 「フワロフ」 が右へ変針したために、相対的に 「スワロフ」 から 「三笠」 を見る方位が後ろにずれる (これを 「方位が後落する (落ちる)」 と言います) 様子を示しています。

しかしながら、「スワロフ」 の変針に応じて変針した 「三笠」 は、双方が新しい針路に定針すると、それぞれ実線で示す様にその優速をもって 「スワロフ」 の頭を押さえよう、押さえようと動いていることが解ります。

即ち、「スワロフ」 が大角度の変針ではなく、小角度の小刻みな変針を繰り返したことも幸いして、常に左前方の位置を確保しつつ、優速をもって最大射程距離以内で丁字対勢を維持しています。

つまり敵前大回頭によって丁字対勢を実現した後も、常にこれを継続しているということです。 これを 「丁字戦法」 の実現と言わずになんと言うのでしょうか?

これは2時44分までの状況ですが、この後の変針以降は艦隊旗艦 「スワロフ」 と戦隊旗艦 「オスラビア」 の2隻が撃滅されて戦列を離れ、実質的な艦隊決戦は決着がついておりますので、丁字戦法の話しとしては省略いたします。

要するに、ここまでの日本海海戦第一会戦の緒戦において、相対運動をもって考えるならば、第一戦隊は見事なまでに丁字戦法を実現して露艦隊を撃破していることが明らかです。

お読みいただいた方々にもこれで十分に納得いただけるものと思います。


ところで、この 「丁字戦法」 というものをよく理解されていない方々の中には、いまだに 「T」 (ティー) の字にならなければ丁字戦法ではないとか、その反対に 「T」 (ティー) の字にならなくても良いことを前提とするなら 「丁字戦法」 という名称そのものがおかしい、とまで言い出す人が現れる始末です。

つきましては、次回この丁字戦法について、詳しくお話しすることにしたいと思います。

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次記事

「丁字戦法についての拙稿」 :

前記事

「続3 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続々 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

「敵前大回頭と丁字戦法」 :

posted by 桜と錨 at 17:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年02月07日

続3 ・ 敵前大回頭と丁字戦法

敵前大回頭と相対運動 (後)

さて、前回 「相対運動」 というものの概念について説明したところですが、今回はこの相対運動からする敵前大回頭はどのようになるのか、についてお話しします。

下図は既にご紹介しましたように、日本海海戦第一会戦の合戦図の一部です。 赤丸で示したところが敵前大回頭、いわゆる東郷ターンの部分です。

BoSoJ_chart_01a_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より部分 )

そして下図はこれも既にご紹介済みの更にその部分のみのものです。

BoSoJ_chart_02_mod_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より部分 )

灰色、薄水色、薄緑色の線はそれぞれ14時5分の「三笠」回頭開始時、8分の「三笠」回頭終了後の定針時、そして10分の 「三笠 」砲戦開始時の 「三笠」 と 「スワロフ」 の位置関係を示したものです。

さて、これを相対運動に直すと、それぞれの艦から互いに相手がどの様に見えていたのでしょうか?

前回ご紹介した 「運動盤」 を用いて、地理的に作図された合戦図を相対運動に作図し直すと次の様になります。

まず 「三笠」 から見る 「スワロフ」 の動きです。 

togo_turn_01_s.jpg

図の中心は 「三笠」 であり、その 「三笠」 そのものの実際の針路 (動き) がどうであろうと図の上方向が常に 「三笠」 の艦首方位です。

当然ながら 「三笠」 自身が左回頭しますので、「三笠」 艦上からはその艦首尾線に対して、「スワロフ」 は左前方から艦首を回って右正横やや後ろまで大きく動いて “見える” ことになります。

このため各砲の射手は 「スワロフ」 を正確に照準することが出来ません。

また砲術長や砲台長は射撃のための 「スワロフ」 の未来位置を計算することがでず、このためこれを射手に伝えて照準器に正しい見越を設定することができません。

即ち、「三笠」 は回頭を終えて定針するまでは 「スワロフ」 に対して命中させるための正確な射撃が出来ないことがお解りいただけるでしょう。

では 「スワロフ」 から 「三笠」 はどの様に “見えた” のでしょうか? 同じく相対運動に作図し直したものが次の図です。

togo_turn_02_s.jpg

回頭する 「三笠」 から見るほどではありませんが、方位、そして特に距離が大きく変化していることがお解りいただけるでしょう。

艦砲射撃というものは、目標と射撃艦が “互いに” 定針定速 (等速直進) していることが前提であり、そうで無い場合は “相対運動上の未来位置” を求めることができませんので、正確な射撃をすることは出来ません。

つまり、日本海海戦劈頭に 「スワロフ」 が射撃を開始したのは、 「三笠」 が東郷ターンを終えて新針路に定針した直後の14時08分であると言うのは、極めて合理的な理由の故であるということになります。

そして露艦隊側が正確な見越計算をできるようになったのは 「三笠」 側と同じ14時10分以降であることもお解りいただけるでしょう。

実際のところ 「三笠戦闘詳報」 では、「三笠」 が回頭終期になって方位・距離変化が少なくなった14時07分に 「オスラビア」 が最初に射撃を開始しておりますが全く有効な射撃ができていません。 「三笠」 が露艦隊側から最初の命中弾を蒙ったのは、「三笠」 が試射を終えて本射に移行した14時11分より更に遅い、12分のこととされています。

したがって、敵前大回頭というものは、いままで巷で広く言われてきた 「東郷提督は一方的に露艦隊から砲撃を受けるという危険を冒して大冒険をした」 というようなことは、全く当を得ていないと断定できます。


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2014年02月01日

続々 ・ 敵前大回頭と丁字戦法

敵前大回頭と相対運動 (前)

先の 「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 において、相対運動作図というものをご紹介し、これによる敵前大回頭の分析結果を説明しました。

ただ、当該記事の元々が日本銃砲史学会の会報誌 『銃砲史研究 第377号』 での黛治夫氏の記事再録に当たっての私の解題でしたので、十分な説明ができませんでした。

そこで、今回の同誌第378号において 『日本海軍の丁字戦法に関する一考察』 として一稿を掲載していただき、その中でこの相対運動についてももう少し分かりやすく解説してみました。

当該記事に基づき、こちらでも改めて説明してみたいと思います。

先にも書きましたが、「相対運動」 というのは地上に暮らしている一般の人々にとってはなかなか分かり難い概念であると思います。

例えば、都心などで列車に乗っている時、隣の線路を併走する列車との僅かな速度差によって、自分の列車がバックしているかのような錯覚を感じることがあるかと思います。 それも相対運動の結果なのです。

また、北海道などで見通しの良い開けたところで、遠くから相手の車がずっと見えているにもかかわらず、交差点での出会い頭の衝突事故がしばしば発生していることがニュースでも報じられます。 実はこれはこの相対運動の実際を理解していないための “錯覚” によるものなのです。

ただ、普通に生活している限りでは、道路や建物などの地理的に固定された地形地物を見ながらですので、なかなかこの相対運動というものを “感覚” として理解することが少ないといえます。

ところが、洋上では海原以外に見えるのは相手の船だけです。 このため、船対船の関係は常に 「相対運動」 で見ることになります。

簡単な例でご説明します。

今、下図のようにA船とB船が行き逢い、そのまま直進したために X点で衝突してしまったとします。

relative_01_s.jpg

この場合、地上であったならば、A船とB船の動きはこの図のように見えたはずです。

ところが、他に何も地形地物のない洋上において両船が衝突するまでの間、A船からB船、あるいはB船からA船はどの様に見えていたのでしょうか?

上の図を、もう少し細かくして一定間隔での両船の関係を表しますと、下図の左の様になります。 そしてこの図を、A船の船上から見た状況に書き直すと下図の右の様になります。

relative_02_s.jpg   relative_03a_s.jpg

そうです。 船乗りが最も嫌がる 「方位変わらず、距離が近づく」 という状況です。 これは衝突する危険が切迫しているということを示しているからです。

しかも、B船はA船に向首して近づいてくるわけでは無いことに注意してください。 このように横向きの対勢のまま距離だけがどんどん近くなってきます。

これが相対運動というものです。

私も何度も経験がありますが、夜間航海中に艦橋の艦長椅子で暫しの居眠りをしているとき、すぐ外にいる右見張からの 「右〇〇度の赤燈、方位変わらず、距離近づく」 という報告を聞くと、ドキッとして目が覚めます。 衝突の危険があり、そしてこちらに避航の義務があるからです。


この衝突の例の様な場合は簡単ですが、そうでない場合には 「相対運動作図」 あるいは 「相対運動解法」 というものによって相手の船の動きを測る必要が出てきます。

この相対運動作図というのは、今日では 「運動盤」 という紙に印刷されたものによって、三角定規とデバイダー、場合によってはコンパスを使えば簡単にできます。

運動盤用紙は米海軍及び海上自衛隊で最も一般的なものは下図の様なものです。

MarBoard_01_s.jpg

( でもこれ日本製は高いんですよ。 30〜40年前で1枚50円と言っていました。 ですから若手幹部の頃は、書いては消し、書いては消してボロボロになるまで再利用しました (^_^; )

先の衝突の例をこの運動盤で作図すると次の様になります。

MarBoard_02_s.jpg

B船の現在位置から両船の運動の合成ベクトル(薄青線)と並行に引いた薄赤線が 「相対運動線」 になります。 即ちA船からはこの線上をB船が近づいてくるように “見える” わけです。 しかも横を向いたままで。

この相対運動の解析は、戦後になってレーダーが一般船舶にも普及するにつれて良く知られる様になりました。

と言いますのも、レーダーのPPI (Plan Position Indicator) という表示方法は、下写真のとおり、常にその中心が自分の位置 (正確にはレーダーアンテナの位置) であり、表示される地形も他船舶も全てこの中心に対する相対運動として表示されるからです。

RDR_PPI_disp_01_s.jpg

( 因みに、もしこのレーダー画面に映っている場所 (海面) がどこかお解りの方がおられましたらお知らせ下さい。 正解の方には何かプレゼントを考えます (^_^) )

最近ではレーダー信号をディジタル化して自動的にこの相対運動解析を行い、操船者に警報を出す 「衝突予防機能」 付のものが増えてきましたね。
(続く)

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(2月4日追記):

先のレーダー画像は豊後水道水ノ子島の北北東約5浬の地点におけるもので、赤丸が佐田岬、緑丸が水ノ子島です


RDR_PPI_disp_01a_s.jpg

Bungosuido_chart_No210_01_s.jpg

これをご覧いただいてもお判りの様に、沿岸海域の航行でレーダーを利用するにはこれ単独ではダメで、常に海図と付き合わせてこそ初めて役に立つものと言うことができます。

なお、水ノ子島灯台は一般には映画 「喜びも悲しみも幾年月」 のロケ地としても知られていますが、船乗りにとっては豊後水道を行き来するための重要な目印となっています。

また、四国側伊予半島先端の佐田岬と九州側佐賀関半島の間を 「速水瀬戸」 (はやすいのせと) と言い、東の友ケ島水道、北西の関門海峡と並び瀬戸内海に出入りするための海上交通の要衝となっています。


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関連前記事

「敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :

「 『銃砲史研究』 第378号」 :

「 『銃砲史研究』 第377号」 :

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2014年01月26日

「水上射撃の射法」 完結

先程本家サイトの今週の更新をしまして、先週に引き続いて 「射法の理論」 中の 「水上射撃の射法」 の残りを公開しました。


この方面に関心のある方々には 「転舵修正」 や 「飛行機観測を利用する場合の距離修正」 などは興味をもっていただけるのではと思っています。

hikouki_07_01_s.jpg

これにて水上射撃における射法の解説を一応全て終わりました。 本当は各理論の発展経緯や理論式、根拠データなどもっと色々ありますが、あまり詳細すぎても取っ付きにくいでしょうし、一般の方々にはこのレベルでも十分なものと思います。 今回のはいわば “初級編” です。

もちろん将来的には本来の詳細な理論についてご紹介したいとは思います。 きちんと残しておかないとそのうち忘れ去られて、旧海軍の砲術の真実について誰も判らないことになってしまいますので。

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2014年01月23日

『銃砲史研究』 第378号

「日本銃砲史学会」 の会誌 『銃砲史研究』 に前号第377号に続いて今回の第378号に私の記事を2つ掲載していただきました。

FHAJ_No378_cover_s.jpg

1つ目が、

『 日本海軍の丁字戦法に関する一考察 』

です。 前号で黛治夫氏の論文の解題を書かせていただきましたが、その中で相対運動による敵前大回頭の解析をご紹介しました。 しかしながら元々が解題であったことから丁字戦法そのものについては詳しく述べることが出来ませんでした。

そこで、今回はその丁字戦法に関連して、日本海軍の創設期からの戦術の発達、丁字戦法の誕生と日本海海戦、そしてその後の丁字戦法について纏めたものです。

この丁字戦法についての論文は、これまでは防衛研究所図書館の調査員をされている北澤法隆氏のものが最も纏まったものあり、かつ最も当を得たものであったと言えますが、今回の私のものは更にそれを掘り下げ得たと自負しております。 特に相対運動による解析はいままで無かったものかと。

2つ目が、前号に続き日本銃砲史学会創立50周年としてかつての黛氏の論文を再録するにあたりその解題を書かせていただいたものです。

今回再録されたの黛氏の論文は次の2つです。

『 日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷 (前) 』

『 日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷 (後) 』

私の解題はその前編についてで、

『 艦砲射撃の命中率に関する黛論文について (前) 』

後編の分までは流石に私も時間が取れませんでしたし、これも含めますと本号中で私一人の記事が多すぎることになりますので、後編の解題は次号回しということに (^_^;

もし興味のある方がおられましたら、会誌の入手方法などについては 「日本銃砲史学会」 のサイトにてお尋ね下さい。

「日本銃砲史学会」 公式サイト :

なお、丁字戦法についての私の記事の中で、皆さんにも関心をもってもらえると思います敵前大回頭後の砲戦開始以降について、本ブログでもこのあと少し纏めましてから別記事としてお話ししたいと思います。

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関連前記事

「 『銃砲史研究』 第377号」 :

「敵前大回頭と丁字戦法」 :

「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」 :


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2014年01月19日

本家サイトの今週の更新

先程本家サイトの更新をしましたが、今週は久々にサイト本来のメインテーマである旧海軍の砲術についてのコンテンツ追加です。

『砲術講堂』 コーナー中の 『旧海軍の砲術』 で、『射法理論』 に水上射撃における 「全量射法」 と 「自変距射法」 の2つを解説しました。 とは言っても後者はたった数行で終わりなんですが (^_^;


全量射法という仰々しい名称ではありますが、早い話しが、近代射法が誕生するまでの射撃指揮官が弾道計算以外を全て頭の中でやる方法で一斉打方をやったならばこうなる、と思っていただければよろしいでしょう。

zenryo_02_01a.jpg

なお旧海軍の水上射撃についての射法理論の解説は、残りの項目を纏めてあと1回で全て終わる予定にしています。

posted by 桜と錨 at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2013年12月31日

「三笠」 の47粍保式軽速射砲 (続)

先の記事で明治38年2月14日に江田内で撮影された 「三笠」 の写真について、ブログ 「軍艦三笠 考証の記録」 の管理人であるHN 「八坂」 氏の発見についてご紹介したところです。


そしてこの47ミリ軽砲について、第三軍に貸し出していた2門については海軍に返却されて呉海軍工廠における2月10日までの 「三笠」 の修理において再搭載されていたことを根拠を示して申し上げました。

しかしながら、八坂氏の当該記事において、最近になって次の様な追記がされました。


引用ここから ↓
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2013年12月27日追記 :
今回取り上げた 『大和ミュージアム・資料データベース 【資料番号】 PG049770 』 の写真について、「写真解析の結果として左舷側の軽速射砲は取り外し中だと主張している人物がいる」 ということをある方からうかがいました。

結論から言いますと、その人物の主張は間違いだと思います。

大和ミュージアムの資料室で閲覧できる画像からは、「桜と錨」 様がブログで掲載してくださった画像よりも詳しい情報はほとんど得られません。 左舷の軽速射砲があると思われる位置の周辺にある影はぼんやりしたもので、人の姿かどうかさえ判別することはできません。 複写サービスで入手した写真 (最大のサイズのもの) を精細にスキャンして拡大してみても結果は同じでした。

その人物がでたらめを言っているのでなければ、証拠だてて具体的な解説をするはずですから、それを期待したいと思います。
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引用ここまで ↑

八坂氏の意見に全くの同感・同意です。 あまりにも唐突すぎて、例え大和ミュージアム所蔵の原画プリントをもってしても、当該写真でそのように見ることは、どのような手段・方法に依ろうとも不可能です。

mikasa_M380214_01_s.jpg

そしてそのようなことは、次のことによってもあり得ないと言えます。

1.2月14日の状況

当日は、有栖川宮来訪行事、兵学校全生徒の見学に加え、乗員は半舷上陸により兵学校の見学をしております。 したがって、「三笠」 としてはとてもではありませんが後部艦橋両舷の47ミリ軽砲の撤去作業を行うような状況にはありません。

それに、後部艦橋は連合艦隊司令部が日常的に使用していますので、仮に司令部要員が写っていたとしても何ら不思議ではありません。

もし本当に撤去が必要となる事情があるならば初めからここへ移設しなければよいことですし、また移設後の撤去作業そのものは佐世保回航以降で全く構わないことです。 この江田内でわざわざ急いで実施する必要は何もありません。

しかも、もし仮に同砲砲身を格納するにしても、運搬架台を艦橋ウィング上で使用することはあり得ませんし、格納に際して47ミリ軽砲の砲身を収納袋なるものに入れるようなこともありません。

mikasa_M380214_ss_mod.jpg

そして 120kg もあるような砲身を手摺に立てかけるようなこともあり得ないことで、少しでも船のことを知っている者なら常識の話しです。

ましてや砲の肩当てが砲鞍部についたままではこれが妨げとなって砲身は抜けませんし、駐退機と一体になっている山内式の砲鞍なら砲身のみを外す (抜く) 理由もありません。 外すなら保式退却砲架でも山内砲架でも砲鞍部と一体です。

(1月4日追記) : 某巨大掲示板で、本項での本人が47ミリ軽砲の公式図面を持っていないのに平面図では人が悪い、とのご意見がありましたので、保式退却砲架 (上) と山内砲架 (下) のものの側面図をご紹介します。

47mmL_side_02_s.jpg

47mmL_side_01_s.jpg

2.移設の状況など

ファイティング・トップ廃止に関連して47ミリ重砲の移設に伴い、「三笠」 艦長の上申により47ミリ軽砲は元の場所からこの前後艦橋それぞれの両脇に移設されました。 また、同時に12ポンド (3インチ) 砲以下の露天砲については、これも上申により砲の楯をわざわざ撤去しました。

これによっても、呉工廠での移設工事完了直後の2月14日に後部47ミリ軽砲2門を撤去しなければならないような理由も必要も全くありません。

艦橋ウィングの強度の問題ということも言われていますが、その様なことは移設に当たり工廠において十分検討された上でのことですので、それもあり得ません。

しかも、もし撤去するならば、少なくとも連合艦隊司令長官の正式な指示又は認可が必要ですが、そのような記録は全くありません。

3.射撃の実施

少なくとも記録に残る限りでは、4月10日に連合艦隊の命令による艦砲射撃訓練において、47ミリ重砲8門及び軽砲4門の計12門も規定に基づく各門10発の発射を行っています。

Mikasa_WD_M380410_02_s.jpg
( 「三笠戦時日誌」 4月10日の当該頁より )

つまり、後部47ミリ軽砲2門も正規通りに装備されていたということです。

もちろん、格納されていた同砲2門をこの時だけ持ち出してきて撃った、などということはあり得ません。 常日頃訓練をしていないのに射撃ができるわけがないからです。 その理由はこの後の鎮海湾における猛烈な訓練を見れば明らかかと。

4.合戦準備

合戦準備において47ミリ軽砲は格納したという意見もあるようですが、そのようなこともあり得ません。 合戦準備においては全ての戦闘用意を調え、そして戦闘に当たっては艦長はその全能発揮を図ることが責務であり、これには装備された全ての砲が該当するからです。

そして、三笠戦時日誌にある艦長訓示の内容を追っていただければ、同砲の格納に関することなど一言も出てこないことがおわかりいただけるでしょう。

5.日本海海戦における実績

日本海海戦において当該砲が1発も発射していないことを、同砲が定位置に装備されていなかったという根拠にしているむきもありますが、全く理由になりません。

砲戦の状況から、47ミリ軽砲の弾道性能と有効射程 (一般的に初速穿入力の50%程度の射距離) を考えるならば、撃っていなくて当たり前だからです。

47mmL_RT_01_s.jpg

6.汎用砲としての使用

47ミリ重砲、軽砲及び12ポンド (3インチ) 砲は、汎用砲として陸戦隊用及び短艇用として使用されます。

特に2〜5月の鎮海湾においては、ちょくちょく陸戦隊上陸操練及び短艇軍装の訓練を行っており、その都度47ミリ重砲及び軽砲が使用されたものと考えられます。 これらについては汎用砲として通常の運用であり、したがって必要の都度艦上砲架からの取り外し、復旧が行われます。

Fuji_marine_drill_01_s.jpg
( 「富士」 艦上での陸戦隊操練風景 )

しかしながら、2月14日前後においては47ミリ軽砲を外す必要のある訓練は無く、それどころか翌15日の江田島出港後には戦闘操練を行っておりますので、全砲完備していなければなりません。

また、5月27日鎮海湾出撃の際に、艦載水雷艇及び小蒸汽を 「台中丸」 に預けておりますが、この時には連絡・交通用としての使用のままであり、短艇軍装をしておりません。 したがって、47ミリ軽砲も全て固有砲架に完備の状態であったといえます。


これを要するに今に残る史料に基づけば、2月14日に後部艦橋両脇の47ミリ軽砲2門を撤去したなどは全く根拠のないことであり、また5月27日の日本海海戦においても常備状態であったと結論できます。

撤去・格納を主張される方には、不明瞭な写真をもって “そのように見える” と言うだけでなく、是非ともキチンとした根拠・証拠を明らかにしていただきたいもので、私も楽しみに待つことにします。

もし仮にそれが事実であるなら、それこそ今まで全く知られていなかった新発見になりますので。

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( 1月18日追記 ) :

暫く様子をみることにしていましたが ・・・・ 結局いまだに何一つ根拠・証拠を明らかにしないどころか、その様に写っているという写真そのものさえ示されないままのようですね。

「自分の持っている写真ではそのように写っている」 「自分の解析技量は確か」

という主張をただただ繰り返すだけで、それ以外は一切無し、とのこと。

これではそのように写っているという事実について誰も確認することも検証することもできませんので、その主張をご自身以外の何人たりとも納得させることは不可能なことでしょう。 しかも数々の史料の記述を無視してでは。

1.何故、解像度が高いという 「大和ミュージアム」 から入手したその写真を、同館の承諾を得て公開しないのでしょうか? 正当な学術的使用目的なら問題なく許可は得られるはずです。


2.何故、その写真に主張するようなことが写っているという、今まで他に誰もしたことのない初めてのことについて、第三者の追認をとらないのでしょうか? 当の 「大和ミュージアム」 に依頼して、専門家による解析と検証を得ることなどもできるはずです。


この簡単なたった2つのことをするだけでも、独自の手法による解析結果とする主張を万人が納得しえる形で証明することが可能です。

何故それをしないのでしょう? それとも何か都合の悪い事情でもあるのでしょうか?

今のままでは、 「自分にはその様に見える」 という、良く言ったとしても “単なる思いつき” を一方的に言い張っているだけに過ぎないとしか映りません。

そして、日本海海戦時に47ミリ軽速射砲が装備されていなかったという主張についても、当の 「三笠」 の戦闘詳報の記述を無視して、その根拠がいまだ単に 「それが写っている写真がない」 と言うのみでは ・・・・

もし仮にどの様な素晴らしい新発見であったとしても、このような方法で終始する限りは、それは決して歴史的事実の “考証” にならないことは皆さんご承知のとおりです。

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2013年12月26日

46センチ3連装砲塔について

次の様なご質問をメールにていただきましたが、ご来訪の皆さんにも興味がある方がおられると思いますので、ご本人の了解を得てこちらで。

質問 : 旧海軍の戦艦大和の主砲について、艦長から発射禁止令が出ていた、という事実はあるでしょうか。

事情 : インターネット上の YOU TUBE にて、以下引用の書き込みを見つけました。

(以下引用)
大和の主砲がまともに撃てるようになったのは、何と沖縄自殺攻撃の直前だった。 主砲は故障が多く、また当時の原始的なレーダーの真空管が主砲発射時の爆風と振動で破裂する恐れがあったため、艦長命令で使用禁止だった。 この事実は、二人の旧大和クルーから、私が直接インタビューで伺った。 (略)
(引用此処まで)

戦闘詳報を参照したところサマール沖にて104発の消費が記録されており、戦艦大和の主砲が実際に発射されたことは確認できたのですが、主砲が故障がちであったという話は既刊の書物にもある様なので、レイテで力尽きることを覚悟し損壊承知で発射した可能性もあろうかと考えると、素人の私には、この話の真偽が判りません。

真面目な皆様の集まりに与太話を持ち込む結果となれば恐縮ですが、「二人の旧大和クルーから、私が直接インタビューで伺った」 とあり、嘘だとすれば先人の名誉を貶めるような行為と思います。「自殺攻撃」 なる発言とあわせ、見逃すわけにはいかない様に感じます。

逆に、本当だとすれば、今まで一般には広くは知られていなかった話ではなかろうか、とも思うのです。

要は故障が多発したということと、発砲の衝撃の影響が大きかったという2点ですが ・・・・ 結論から先に申し上げれば、それらを理由に射撃を禁止したなどは私は聞いたことがありませんし、常識的に考えてもあり得ないことと言えるでしょう。

その判断理由は次のとおりです。

1.故障の多発

故障がちであったという件は、どの様な個所がどの様に故障して、どの様に問題だったのでしょうか? 機器の故障というものは初期故障・不具合も含めて多かれ少なかれ発生しておかしくありませんし、ましてや46糎3連装砲塔ともなれば、細かなことまで含めて多種多彩のことがあったであろうことは想像に難くありません。

しかしながら、主砲が使用できないような重大なことについて、しかもそれが艦の運用・戦闘に影響するようなことが、かなりの頻度で発生していたとは聞いたことがありません。

したがって詳細を示すことなしに、単に 「故障が多かった」 というだけでは46センチ主砲に問題があったことには繋がりません。

2.発砲の衝撃

46センチ砲の発砲の衝撃については事前に計算されていることであり、これを踏まえて設計がなされたことは当然です。 もちろんその設計どおりに行かず、場所によっては振動が予想より大きかったことは考えられますが、「大和」「武蔵」の公試の記録にも記載はありませんし、就役後にその振動によって何か重大な影響が出るようであれば、記録され報告されて、対策が採られているはずです。

これに対して、電探に限らず、国産の真空管の性能が不良であったことは逆によく知られていることであり、これを理由として主砲を撃たないようにするなどはあり得ないことです。 それに21、22、31の3種の電探を装備しているのに、です。

3.発砲禁止命令?

「発砲禁止」 などという言い方、あるいは措置は旧海軍にはありません。 発砲はダメだけど動かすのは良いということでしょうか? 全く無意味なことですね。 またもしこれら2つの理由をもって主砲の射撃を禁止するであるならば、単に艦長だけの判断で処置できることではありません。 正規に上級司令部、軍令部、艦本に報告又は上申がなされ、その指示を得なければなりません。 そのような事実があるのでしょうか?

4.乗員の証言

二人の元乗組員の証言があるとのことですが、階級、特技、配置、乗艦日などはどうなんでしょう? またその聞き取りはいつなされたものでしょう? 仮にその二人の証言があったことが事実だとしても、嘘の証言をしたとは思いませんが、しかしながら当人達の聞き違いや思い違いなどは当然考えられることですので、他のキチンとした証拠の裏付けが無い限り、これだけをもってそうだったと判断できるものではありません。

5.射撃の実績

就役前の公試はもちろん、就役後の訓練での実弾射撃、特にレイテ沖海戦前のリンガ泊地などでの訓練でも不具合・不都合の記録・報告などはありませんし、ましてやレイテ沖海戦では水上・対空射撃を何の不具合・問題もなく行っております。

例えばこれを直接目にしていた宇垣纏の 「戦藻録」 でも、46センチ砲が故障多発や発砲の衝撃で使い物にならない、などとは一言もありませんし、砲術学校が纏めたレイテ沖海戦の戦訓史料でも一言もありません。

leyte_gunnery_surf_cover_s.jpg   leyte_gunnery_AA_cover_s.jpg

したがって、天一号作戦直前になってやっと使い物になった、などと言うことは考えられません。


私は YOU TUBE にあるという当該記事を見たことはありませんが (というより YOU TUBE そのものをほとんど見ませんので)、これを要するに、他に確たる史料などの根拠が出てこない限り、元乗組員の証言というのも含めてこれだけでは事実としての根拠には全くなり得ないと言えますし、逆に史実はそうでなかったことを示していると言えるでしょう。

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2013年10月27日

『公算学、誤差学参考書』

本家サイトの今週の更新として、昭和5年に海軍砲術学校が高等科学生用として作成した 『公算学、誤差学参考書』 を公開しました。

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本史料に纏められた公算学・誤差学は、一般的に「公算射法」 と称せられる (旧海軍自身はそのように言ったことはありませんが) 諸外国海軍に例を見ない、旧海軍の独創的な砲術の基礎をなす理論です。

本家サイトの 『旧海軍の砲術』 コーナーにて順次お話ししている 『射法理論』 のページを読んでいただく時の参考となるものと考え今回公開します。

なお、今回公開するものは昭和5年の増補改訂版ですが、その初版は昭和2年に当時砲術学校教官だった猪口敏平海軍大尉が纏めたものです。

猪口敏平氏といえば、今では 「武蔵」 がレイテ沖海戦においてシブヤン海で沈んだ時の艦長として有名ですが、旧海軍における砲術の大家であり、鉄砲屋の重鎮として知られた人です。

したがってネット上、例えばウィキペディアなどでは “砲術理論の権威” とされていますが、これでは誤りです。

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2013年10月17日

続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法

先の相対運動作図を再掲します。

Mikasa_turn_C_s.jpg

それでは、この相対運動から東郷ターンの実相を分析・評価するならば、どういうことが言えるのでしょうか?


1.回頭開始のタイミング

映画やドラマなどでよく出て来るシーンで印象付けられるような、回頭開始のタイミングは 「三笠」 と 「スワロフ」 との距離が8千メートルになったからではありません。

回頭が終わった時に丁字戦法の対勢となり、かつ命中率が期待できる砲の最大有効射程6千メートルとなる位置に持ち込むための回頭開始点が、あのタイミングだったのです。

しかも、反航態勢から敵の意表を突いて、あれよあれよという間に、極めて迅速に実施してしまいました。

しかしながら、この運動は今日海上自衛隊の操艦訓練・競技として実施している 「反転入列運動」 と言われるものに極めてよく似た高い操艦技量が要求されます。

今日の様にレーダーなどが使えるわけでも、また予め運動要領を作図したものを手にした若手幹部の補佐があるわけでもない状況において、東郷提督は自分の頭の中で判断し、実にドンピシャリの位置とタイミングでこれを行ったわけです。 私達船乗りからすると、見事としか言いようがありません。


2.被攻撃の危険性

これはもう先の相対運動図を見ていただければ一目瞭然でしょう。 回頭開始時の14時5分から1分間隔で → ・・・・ の順に示したものが、“「スワロフ」 から見た” 「三笠」 以下第一戦隊の戦艦4隻の動きです。

どこに単縦陣での回頭による “動かざる定点” があり、どこに “射撃訓練より容易い” 状況があるのでしょうか。

陸上砲台からの射撃ならともかく、「スワロフ」 自身も動いていることを忘れてはいけません。 そして、その 「スワロフ」 の動きに拘わらず、表示の中心 (座標原点) は常に 「スワロフ」 であることに注意してください。

艦砲射撃の基本中の基本は、「正確な距離」、「正確な見越し」、そして 「正確な照準」 です。

「スワロフ」 から 「三笠」 以下の各艦の動きを見れば、その回頭によって距離は急速に縮まり (変化し)、曲線運動により射撃のための未来位置の計出は不可能であり、かつ照準線に対する方位変化が激しいために正確な照準は困難です。

つまり、この東郷ターンの最中、急速に回頭する 「三笠」 以下の第一戦隊はもちろんのこと、反対にそれを見るバルチック艦隊側からしてもこの3要件の全てが満たされないのであって、したがって第一戦隊側だけではなく、バルチック艦隊の双方ともに有効な射撃の実施は不可能なのです。

したがって、敵前回頭による被攻撃の危険性は全くなかったと結論できます。


3.丁字戦法

上記の被攻撃の危険性と併せて論じられるのが、丁字戦法実現の有無についてです。

これについても、先の相対運動図をご覧いただけば、一目瞭然のことでしょう。

「三笠」 が回頭を終えて新針路に定針して以後、第一戦隊は ……→ で示す方向に単縦陣で進みます。 しかしながら、「スワロフ」 自身も図の上の方向 (実針路ではなく、相対作図のために常に艦首方向が上) に進んでいますので、相対運動の結果として「スワロフ」 からは第一戦隊は単縦陣のまま各艦が ----→ の方向へ横滑りで近づいて来るように “見える” のです。

つまり、第一戦隊は敵前大回頭によって 「スワロフ」 の左斜め前方の位置を占め、そしてその優速をもって 「スワロフ」 の頭を押さえる如く運動していることがお判りいただけるでしょう。

これを丁字戦法の実現と言わずして何と言うのでしょう?

これを要するに、敵前大回頭によって、迅速に有効砲戦距離まで距離を縮め、かつ丁字戦法を見事なまでに実現 しているのです。

この事実が、日本海海戦における連合艦隊の勝因の大きな一つの要因となったことは申し上げるまでもありません。

これを証明するのに、船乗りにとっては当たり前のことである “相対運動による作図” を用いて説明したものは、何故か不思議なことに私の知る限りでは今まで見たことがありません。 今回の会報誌 「銃砲史研究」 での私の記事、及びその補足たるこのブログ記事が初めてのことではないかと思われます。

この証明によって、日本海海戦において 「丁字戦法は実現せず、ダラダラとした並行戦であった」 とか、ましてや 「敵前大回頭は危険な賭けであった」 などと言う人が今後二度と出て来ないように願うところです。
(この項終わり)

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posted by 桜と錨 at 19:44| Comment(12) | TrackBack(0) | 砲術の話し

敵前大回頭と丁字戦法

先にご紹介しました 「日本銃砲史学会」 の会報誌 『銃砲史研究』 第377号の私の記事ですが、基本は黛氏の昭和44年の記事の再掲載に当たっての解題です。


この黛氏の記事で取り上げられている日本海海戦劈頭における東郷ターンについては、論ずべき点は2つです。 すなわち、一方的な被攻撃の危険性と、もう一つが “何故あのタイミングで” なのかです。

この両者については、今日的には黛氏の記事においても必ずしも十分とは言い難いところがあります。 ただしこれは、黛氏としても執筆当時の様々な制約・限界によって如何ともしがたいところであって、氏の知識・研究不足の故ではないことは申し上げるまでもありません。そのことは会報誌で述べたとおりです。

黛氏は氏の首尾一貫した主張として、日本海海戦劈頭の敵前大回頭、いわゆる東郷ターンについて、当該回頭中は連合艦隊側が射撃不可能であることはもちろん、バルチック艦隊側も有効な射撃は実施できないことを解いておられます。

ただ、被攻撃の危険性はその可能性がないということが、最近では一般の方々にも広く理解され始めているところですが、更なる理論的な具体的説明と、そしてもう一つの問題である “何故あのタイミングなのか” ということがキチンと書かれたものは、残念ながら黛氏の著作も含めて今日までありませんでした。

そこでこれらについて、もう少し判りやすくということと、併せて今日としてはどの様な説明が可能であるのか、ということが今回の私の記事で意図したところでもあります。

しかしながら、記事そのものは 「解題」 であるため、詳しく十分な説明は出来ませんでしたし、また命題である東郷ターン前後のことで、それ以降の経過と分析についても省略せざるを得ませんでした。

これについては、本格的に説明しようとするとかなりな紙幅になりますので、今後改めて纏めたものを書いて見たいと考えています。

で、取り敢えずは当該誌の私の記事の補足を少々。


東郷ターン実施時の状況及び経過について皆さんがよくご存じのものは、この第一会戦の航跡図でしょう。

BoSoJ_chart_01a_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より部分 )

これは公刊戦史にもあるもので、日露戦後に日本海軍によって日露双方の航跡を再構成 (リコンストラクション、通称 「リコン」 ) してプロットしたものです。

現在に至るまで多くの研究者、物書きさんなどによってその根拠とされ、これに基づいて様々なことが書かれてきました。

確かにこれだけによる限りでは、船に乗ったことのない人達には、東郷ターンによって反航対勢から同航対勢に変換し、後はダラダラとした並行戦となった、と見えるでしょう。  したがって丁字戦法も実現しなかった、と結論付けることに繋がります。

ところが、よく考えてみて下さい。 これは “地理的” に画かれたものです。 つまり、日露両艦隊がどのように動いたのかを、動かない地表を基準として座標上に後から書いたもの、ということです。 もちろん、これはこれで日本海海戦の全体像を概観する上で重要なものです。

では、当時、日露両艦隊の艦上にいた人々は、このような動きを互いに認識しながら戦っていたのでしょうか?

実は違います。 考えても見て下さい、広い洋上では街中を車で走るように(地理的に固定された)地形地物を背景にしながら船が航行するわけではありません。

対馬海峡と言えども、海戦時に見えるのは相互に動き回る相手の艦艇でしかなく、地理的にどこをどの様に動いているかは見えない (関係がない) のです。 したがって、互いに相手がどのように動いて“見える”か、なのです。

これが “相対運動” という考え方であり、物の見え方なのであって、船乗りにとっては日常的な常識のものです。

先程の航跡図のうち、赤丸で示した部分の東郷ターン前後のみを拡大したものが次の図です。 これも公刊戦史などで示されているものです。

BoSoJ_chart_02_mod_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より部分 )

そして、図上のグレー、薄いブルー及び薄い緑色で結んだ線は、それぞれ14時5分の 「三笠」 回頭開始時、同8分 「三笠」 が新しい針路に定針しロシア側が発砲を開始した時、そして同10分 「三笠」 の副砲による試射開始時における、「三笠」 と 「スワロフ」 の位置関係を示したものです。

この地理的に描かれた図の動きが、「スワロフ」 の艦上から “どのように見えていたのか” を、分単位にして作図し直すと次のようになります。  左下は日本側をもう少し大きく拡大したものです。

Mikasa_turn_C_s.jpg

( 図を簡潔にするために第一戦隊は戦艦4隻のみを示し、その後ろに続く 「春日」 と 「日進」 については省略しています。)

これが 「スワロフ」 を座標の基準とする “相対運動” です。

「運動盤」での作図ですから、海自の現役やOBの人達などが見れば、一目でお判りいただけるものでしょう。

これはつまり、「スワロフ」 艦上にいる人達、即ちロジェストウィンスキー提督や、艦長、砲術長、そして何よりも砲の照準を司る射手は、その時その時の 「スワロフ」 の実際の針路や速力がどうであっても、自艦の艦首尾線を基準として相手の艦がどの方向でどのように動いて “見えるか” ということなのです。

このことを抜きにしては、砲戦の実相は語れないと言っても過言ではありません。
(この項続く)

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