2016年05月15日

本家サイトの久々更新


やっと少し時間がとれるようになりましたので、本家サイトは久々の更新です。

1月で止まっておりました 『旧海軍の砲術』 コーナーの 『射撃指揮装置機構概要』 に新しいコンテンツを追加しました。

今回は測的方式のことと、射撃盤のメカニズムについての第1回目です。


rk_draw_08_s.jpg

当時の射撃指揮装置がどの様な理論と方法で計算を行っていたのかを具体例を挙げながらの説明ですので、ちょっとマニアックな内容ですが、こんなことは一般の出版物やネットにはありませんので旧海軍の砲術に関してキチンと残していきたいと思っています。

メカが苦手な方々も、“ふ〜ん、こんなことになっていたんだ” 程度の読み流しで結構ですので、是非一度ご覧下さい。

でも私などからすると、こういう事を知らないままでは、本来なら太平洋戦争における日米両海軍の射撃指揮装置の優劣がどうのこうのなどは語れないと思うのですが ・・・・

posted by 桜と錨 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2016年02月28日

地球自転の影響


久々の本家サイトの更新です、というより実は本年初なんですが (^_^;

『砲術の話題あれこれ』 にその第7話として 『地球自転の影響について』 を新設し、取り敢えず海上自衛隊においてこの問題をどの様に説明しているかを公開しました。 この後、続けて旧海軍及び米海軍での説明を追加していく予定です。


ネット環境など身の回りの再構築でバタバタする直前にメールにてご質問いただいたものですが、とても十分なお答えを纏める余裕はありませんでしたので、その時には簡単なお返事をしただけでしたので、この度ちょっと本格的に纏めてみました。

jiten_kaiji_01.jpg

本来ですと 『射撃理論概説 上級編』 でお話しする内容になりますが、当該項目はまだ未開説ですので、取り敢えずこのコーナーで。

この地球自転の影響については、小中口径砲ならまだしもですが、大口径砲となると水上射撃では無視できない問題となります。

しかしながらこれについてはこれまで書籍でもネットでも十分に説明されてきませんでした。 非常にマイナーなテーマではありますが、やはり私のサイトとして採り上げる価値があるものと思っています。

艦砲射撃では “あ〜、そこまで考慮する必要があるんだ” “そんなことまできちんとやっていたんだ” と理解していただけたら幸いです。

posted by 桜と錨 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年12月27日

本家サイトの今週の更新


先ほど本家サイトの更新をしまして、先週公開を始めた 『射撃指揮装置機構概説』 の項にコンテンツの追加で、方位盤の頁をUPしました。

fcs_mech_draw_01_s.jpg

しかしながらいざ具体的な話に入ってみると、旧海軍の射撃指揮装置の全体がどのような形のものなのか、写真や図などからすんなりイメージできないと、少々難しいかもしれません。

それに、やはり加減乗除の四則演算や簡単な関数などをメカとしてどのように実現するのかの機構学的な基礎のところも必要なのかと。

あるいは、この射撃指揮装置の機構的なことは米海軍のものと比較しながらですと、これはこれでそれぞれの海軍が同じ目的のためにどの様な解決をしているのかも面白いのですが ・・・・

う〜ん、この後どのように展開していきましょうか ・・・・ ちょっと悩むところです (^_^;

posted by 桜と錨 at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年12月20日

旧海軍の射撃指揮装置のこと


本家サイトの更新は1ヶ月半以上間が開いてしまいましたが、久々に新規のコンテンツを追加ました。

これから少しずつ専門的なものと思いまして、まず旧海軍の射撃指揮装置の中身についてお話しをしていこうと考えております。

「射撃指揮装置機構概説」 :

その第1回目は旧海軍の射撃指揮装置が機構的・構造的な面からどのような型式(タイプ)に分類されていたのかについてです。

fcs_mech_type-01_s.jpg

もちろんこれは現在の射撃指揮装置の技術的な面からするものではなく、当時 (太平洋戦争後期) の旧海軍がどの様に考えていたかということです。

この型式分類から実際に実用化された旧海軍の射撃指揮装置を見る時、あ〜そうなのか、と思われることがあるのではないかと思います。

続いてこの型式分類に基づき、それぞれの機構がどの様になっていたのか、どの様な方法で目標の測的や射撃計算がなされていたのか、などの具体的なことに入っていく予定です。

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2015年10月22日

『世界の艦船』 12月号


まもなく 『世界の艦船』 12月号が発売となります。

SoW_No826_cover_s.jpg

今日、打ち合わせて海人社さんにお邪魔した際、印刷所から出来上がって届いたばかりでしたので、その初物を一冊いただいてきました (^_^)

特集は 『ビッグ7 条約時代最強の日米英7大戦艦』 で、私も 『徹底比較! 「ビッグ7」 のメカニズム』 中の一つ 「B 兵装」 の項を受け持たせていたところです。

兵装とはいっても、水雷兵装などは紙幅の都合で省略し、戦艦としてのメインである砲熕兵装に絞っています。 また、弾火薬などについてもほとんど省かざるをえませんでした。

それに弾火薬庫やそれ関連などや、艦全体における砲熕兵装の位置付けなどについても、他の方の記事を参照していただくことにしております。

とはいっても、砲熕兵装だけでも主砲及び砲塔、副砲、対空砲装、そして射撃指揮装置など大変幅広い内容になりますので、あれもこれもと詰め込んだ盛りだくさんのものとなっております。

このため全体としてちょっと取り留めもない記事になってしまいましたが、それでも従来のような技術屋さんの眼ではなく、用兵者たる鉄砲屋の眼による今までに無かったものであると自負しております。

書店に並びましたら、是非手にとってご覧いただければ幸いです。

posted by 桜と錨 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年10月02日

『丸』 11月号


既に書店に並んでいると思いますが、月刊誌 「丸」 の11月号の特集は 「レイテ沖海戦」 です。

Maru_h2711_cover_s.jpg

私も一つ、次の記事を受け持たせていただきました。

「サマール沖海戦の栗田艦隊砲戦実力」

従来からこのサマール沖海戦での栗田艦隊の射撃結果については、戦史・戦記でもあまり芳しい評価を得ておりません。

確かに、スコールや巧みな煙幕展張の中を必死に逃げまどう米護衛空母群に対するものであったこともあり、一見その様に感じられるでしょう。

しかし本当にそうなんでしょうか?

実は、この時の栗田艦隊の射撃術力としては、平時の射撃訓練ではなく戦時における実戦であることを考えると、決して悪いものでは無かったのです。

では何故あれだけの戦果で終わってしまったのか、それは栗田艦隊の戦闘指揮の拙さに帰結するのです。

・・・・ ということを書いてみました。 射撃データの分析からという、従来に無かった切り口と思います。


なお、今回の特集の中で次のものが掲載されています。

「 『栗田艦隊反転のナゾ』 に迫る」

桐原敏平氏の記事ですが、栗田健男論としてなかなか鋭い視点の良い内容と思います (^_^)


書店に寄られた時には是非手にとってみて下さい。

posted by 桜と錨 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年08月11日

「ビスマルク」 の対空射撃 −2


バタバタしている内にあれこれ宿題も溜まっています。 私のブログらしく気ままに少しずつ (^_^;

さて、某掲示板で出ていました 「ビスマルク」 の対空射撃についての質問の件です。


この質問に対する回答としては、まずハードウェア面から一つ一つ潰していく必要があるでしょう。

その最初が、質問内容に謳われている “時限信管が対応できなかった” という文言です。

これについては、ご来訪いただいている皆さんなら特に説明は要しないものと思います。

即ち、時限信管は発射された後に調定された信管分画 (信管秒時) で作動するものですから、この信管の作動そのものは目標の速力、というより変距率とは全く無関係です。 したがって、これが原因であることはあり得ません。

当該掲示板における回答としては、まず真っ先にこのことを明確にする必要があったでしょう。

ご参考までに、大戦時におけるドイツの88mm及び105mm高角砲用の代表的な時限信管の一つである 「Zt. Z. S/30」 の構造イラストをご紹介します。

German_MTF_Zt-Z-S30_s.jpg


(この項続く)

posted by 桜と錨 at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年07月21日

「苗頭」 の単位


本家サイトの掲示板にて、旧海軍の砲術で使用する苗頭の単位である 「千分の一単位」 と 「密位 (ミリイ)」 が話題になりました。

元々の投稿者の方がこの後者の 「ミリイ」 と 「ミリラジアン」 とを勘違いされていたことはともかくとして ・・・・

本家サイトの 『艦砲射撃用語集』 中の 『6.単位』 のページで説明しておりますように、旧海軍では昭和12年の 『艦砲射撃教範』 改訂時に、苗頭の単位として従来使っていた 「千分の一単位」 から 「密位 (ミリイ)」 を使用することに変えました。


それでは、旧海軍においてこの両者の違いをどのように取り扱っていたのか、ということですが、これについてご参考までに海軍砲術学校の教科書にあるものをご紹介します。

密位-1_mod_s.jpg
密位-2_mod_s2.jpg

すなわち、厳密に言えば両者は異なるものですが、現実の射撃においては同等なものとして取り扱って差し支えない、と教えていました。

実際のところ、頭の中で考えるのには 「ミリイ」 よりは 「千分の一単位」 の方が直感的でイメージしやすく、また射撃号令としての苗頭は例えば 「右へ20」 などと言うように単位がついておりませんので、現場においては何ら問題を生じることはなかったのです。

posted by 桜と錨 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年07月17日

「ビスマルク」 の対空射撃


ちょっと前に某巨大掲示板にて次の様な質問が出ていました。

第二次大戦時の戦艦ビスマルクの高射砲について

雷撃機ソードフィッシュを迎撃しようとしてもあまりにもソードフィッシュが遅すぎて時限信管が対応できなかった

とのことですが、では当時のドイツ軍の高射砲が対応可能な最低速度は時速何キロになるのでしょうか?


“この件は海外の議論ボードで様々な意見が出ている” 云々、のレスが付いておりましたが、結局キチンとした答えは出ていないようです。

さて、ご来訪の皆さんならこの質問にどのようにお答えになるでしょうか?

posted by 桜と錨 at 14:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年05月17日

本家サイトの修正


今週は本家サイトの新たなコンテンツの追加はありませんが、既存の 「射撃理論」 の 「超入門編」 及び 「初級編」 の手直しをいたしました。 主な修正点は次の3つです。

1.ブラウザーの互換性の問題
2.フレーム形式の取りやめ
3.一部図表サイズの大型化

同様の問題は、あと大きなところではまだ 「射法」 の項が残っておりますが ・・・・ う〜ん、面倒ですね (^_^;

posted by 桜と錨 at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年05月12日

47ミリ重速射砲 (追)


先の 「47ミリ重速射砲 (続2)」 の記事で、HN 「八坂八郎」 氏のブログで紹介された同砲の写真について、

> 尾栓部右側にあるはずの閉鎖機ボックス (機筐) と、これと駐退装置を繋ぐ連接桿がはっきりしない、というか見当たりません。

> これらの部分が整備などの理由で外されているのか ・・・・
> ちょっと不思議な写真です。

と申し上げたところです。

4353f5fc_mod.jpg
( 八坂氏のブログで紹介された当該写真より (注)

「47ミリ重速射砲 (続2)」 :


で、その後色々な調べものをしている時に、『海軍操砲程式』 の当該砲の操法で戦闘配置に就く場合の措置の中で次の様に書かれていることに気付きました。

yamanouchi_47mm_manual_01.jpg
(明治30年版の例)

尾栓を開くに当り間々其の位置を保たざる装置あり。 斯くの如き砲に在ては(二)は回螺挺を以て閉鎖器留螺旋を凡そ5回程螺出す可し。 然れども 自動器機を取外したるときは 閉鎖器留螺旋は堅く螺入すべきものとす。

この規定を見ると、当該ボックスはそれなりの頻度で取り外すことがあったと考えられます。

これは日常行われる砲のメインテナンスや閉鎖発條などのバネ類の保護に伴うことのためです。

そしてこのボックスが取り外されていても、例えば緊急時の場合などにおいては、写真のように転把 (尾栓開閉レバー) を取り付けていれば、従来の保式砲と同様にして射撃は可能です。

また、空砲を発射する場合、即ち礼砲としての使用や実弾発射を伴わない演習での射撃実施の合図としての使用など、においては元々この自動開閉機構は機能しませんので、取り外していても問題はありません。

したがって山内式の47ミリ速射砲において、八坂氏紹介のようにこのボックスが取り外された写真があったとしても、不思議ではないということになります。

これで疑問が一つ解決しました (^_^)

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(注):ブログ 『軍艦三笠 考証の記録』 よりの写真の転載・引用は、管理人のHN 「八坂八郎」 氏より許可をいただいております。
posted by 桜と錨 at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年05月09日

主砲射撃中の 「武蔵」 の写真について


「武蔵」 の初代砲術長であった故永橋為茂氏 (兵49期) のアルバムに、同艦の主砲である46糎砲の射撃中の写真が残されていることが報じられました。


故永橋氏が生前遺族に “「武蔵」 の写真” と語っていたとされることから、まずその 「武蔵」 であることは間違いないものと考えられます。

とすると、これは何時撮られたものなのでしょうか?


1.就役後の状況

「武蔵」 は昭和17年8月5日に就役、翌18年1月18日にトラックへ向け出港するまでの間、残工事を実施しつつ柱島錨地をベースとして就役 (慣熟) 訓練に従事しました。

就役訓練とは、就役直後に初代乗員が各種の基礎的・基本的訓練を行って艦の運用に習熟し、少なくとも最低限の能力が発揮できるようにするためのものです。

柱島から出港して伊予灘などで訓練を行う 「出動訓練」 を計24回行ったことが記録されていますが、どの様な行動・訓練内容であったのかの詳細については不明です。

戦闘訓練などは重要な項目ですので、当然ながらこれらが頻繁に行われたことは推定されますし、また教練射撃も含まれていたのかもしれません。

ただし、トラック進出以降は射撃訓練は行われたかもしれませんが、このような状況を撮影できるような可能性はなかったものと考えられます。


2.訓練射撃

艦艇は就役しますと、『艦砲射撃訓練規則』 に則って訓練射撃を実施します。 これは 「教練射撃」 と 「戦闘射撃」 に区分されます。 (特定の目的をもって行う 「研究射撃」 と言うのもありますが、通常の訓練射撃ではありませんので省略します。)

教練射撃は砲戦関係員の習熟のための比較的基礎的なもの、戦闘射撃はその年度の総仕上げとして実戦に近似した状況下での高度なものです。

通常は教練射撃では減装薬を、戦闘射撃では常装薬を使用します。 砲齢が僅か百数十発の大口径砲にあっては、教練射撃と言えどもそうそう頻繁に実施できるものではありません。

そこで今回の写真を見てみると、明らかに常装薬での発射です。 したがって、これは教練射撃ではありませんし、また就役直後の訓練とすると戦闘射撃でもありません。

また、教練射撃も戦闘射撃も、曳船が曳く水上標的に対して射撃艦も運動しながらのものですから、写真のようなほとんど動いていないような状況はあり得ません。


3.写真の状況

公開されたのは小さな写真ですし、発射の砲煙に照らされて艦体はシルエット状になっておりますので、細部が判らないのが残念ですが ・・・・

a.前檣楼トップの15m測距儀がほぼ射線方向を向いていると思われることから、砲が射撃指揮装置を使用した発砲諸元に追従しているかどうかはともかく、少なくとも射撃指揮装置では目標を照準・測的していると考えられます。

b.海面に航跡がほとんど見えません。 風や海流に対して体勢を保持する、即ち針路を維持できるだけの速力 (微速以下) であると判断されます。

これは、曳航される標的に対しての、航行しながらの教練射撃でも戦闘射撃でもないことを示しています。

c.訓練射撃時に後続艦がこのような位置にいることは通常ありませんので、この 「武蔵」 の射撃を観測するための何か特別な理由があったと考えられます。 即ち、一般的な訓練射撃などではないことを意味しています。

また、建造中の公試の項目として主砲の射撃試験を行っておりますので、就役直後に改めて何かの砲熕試験を行うことも考えられません。

d.非常に穏やかな海面状況で、内海あるいは環礁内と思われますが、昭和18年のトラック進出以降でのこととは状況的に考えられません。

e.発射の衝撃による水面の波紋、そしてはっきり見えませんが1番及び2番主砲塔の砲身が見えないこと、砲煙の状況からとても9門の斉発には見えないこと、などを勘案すると、どうも3番主砲塔のみの発射と考えられます。

f.3番主砲塔の各砲の仰角は20〜25度程度と思われます。


以上のことを総合すると、この写真は 昭和17年7月26日に伊予灘で行われた 第3回公試における 「装備発射」、またはその3日後の29日に行われた第5回公試における 「方位盤発射」 の時のもの とするのが一番自然であると判断されます。

因みに、「装備発射」 というのは、備え付けた砲熕武器がそれぞれ正常に作動して発砲でき、武器やその取り付けた船体などに異常を生じないかを試験するものです。

通常は目標を狙わずに、一定の砲旋回角及び砲仰角に固定してそれぞれ砲台ごと単独に発射するものですが、46糎砲のように射程が長い場合には、砲側照準などを行ってある程度弾着位置の範囲を絞ることも行なわれます。

また 「方位盤発射」 は砲と射撃指揮装置と組み合わせたシステムとしての試験で、この時は徳山沖に設置された標的に対して、射距離3万mを基準として行われています。

46糎砲の射表がありませんので正確な値はでませんが、この射距離3万mでの砲仰角は約23度程度ですので、写真ではほぼ妥当なところと判断されます。

ただし、装備発射と方位盤発射のどちらの時のものかは、残念ながら今回公開された写真からだけではこれ以上の判別は難しいでしょう。


いずれにしましても、初代砲術長であった故永橋氏が、職務上この公試時の記録写真を入手されたとしても不思議なことではないと言えます。

また、新聞記事に出てくる 「ウサギ云々」 はこの砲熕公試でのことですが、当然ながら故永橋氏はこの話しを聞き知っていたはずです。

(5月10日追記) : HN 「黒猫ザザ」 からコメントをいただきまして、再確認した結果により手直しをいたしました。 黒猫ザザさん、ありがとうございます。

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2015年05月04日

装薬について


先日コメント欄にて次の様なご質問をいただきました。

戦艦の主砲の発射薬は同じ容量のものを距離に応じて1〜6個装填する、と思っていましたが、最近、日露戦争頃の三笠や敷島の12インチ主砲には、強薬や弱薬があったと聞きました。
これは、毎回詰める発射薬は1個だけで、射距離に応じて詰め分けていた、と言うことですか?
それとも、複数個装填するけれども、より細かい様々なバリエーションを選び得たのでしょうか?
また、射距離に無関係に毎回発射薬を目一杯詰めるのは弾道の曲率が減って命中率向上に良いこと、ではないのですか?

取り急ぎ同コメント欄で簡単なお答をいたしましたが、ご来訪いただく方々にもご参考になると思いますので、これを機会に旧海軍の装薬について初歩的なところから少しお話しをしたいと思います。


まずは基本事項のお復習いからです。

「装薬」 というのは一般では馴染みのない言葉の一つですが、例えば、「広辞苑」第6版では次の様に説明されています。

銃砲の弾丸を発射するため、銃砲の薬室内に火薬を装填すること。また、その火薬。発射薬。

旧海軍では明治期初期には艦砲用の火薬を爆発薬 (Explosives) と呼び、その用途により装薬 (Propulsives) と炸薬 (Disruptives) に分けています。

装薬 : 銃砲の弾丸を発射し其の目的点に達せしめんとする者
炸薬 : 発射されたる弾丸を破裂せしてめ其の破壊の効力を増大せしめんとする者

そして大正期に入り、旧海軍ではこの艦砲用の火薬を更に次のように細分化して定義しています。

装薬 : 薬室に装填し弾丸の発射に用いるもの
炸薬 : 弾丸内に装填し弾丸目標に衝撃したる後之を爆発せしむるもの
伝火薬 : 装薬の点火を容易ならしむる為装薬に添加し使用するもの
起爆薬 : 火管亦は信管に装填しその爆発に依り他の火薬の爆発を誘起せしむるもの


さて、その 「装薬」 です。

装薬には、弾薬の形式により分離弾薬で使用する 「薬嚢式装薬」 と、固定弾薬及び半固定弾薬で使用する 「薬莢式装薬」 があります。

通常は前者を単に 「装薬」、後者を 「装薬包」 と呼びますが、火薬が詰められた薬嚢一つ一つも 「装薬包」 と言うことがあります。 また、薬嚢式と薬莢式の両者を合わせて一般的に 「装薬」 と言う場合もあります。

なお、弾丸と薬莢式装薬とが一体となった固定弾薬は、これを 「弾薬包」 と呼びます。

更には 「薬嚢式装薬」 のことを単に 「薬嚢」 と言っている場合があります。 正しくは薬嚢は発射薬を詰める “袋” のことですから厳密には区別する必要がありますが、艦砲の弾火薬を語る場合には通常は空の袋だけを云々することはまずありませんので、混同することはないでしょう。

本項では、以後特に断らない限り 「装薬」 「薬嚢」 はこの一般的な意味としてお話しいたします。

( 弾薬の形式については、本家サイトの 『砲術講堂』 コーナーにある 『艦砲概説』 中の 『弾火薬概説』 の頁をご参照下さい。)



施条 (ライフル) が施された旋条砲が普及する前の滑腔砲 (スムース・ボア・ガン)の時代、砲弾には敵艦の舷側を突き破るため炸薬の入っていない円形の実弾と、人員殺傷を目的とした霰弾などいくつかの種類がありました。 そしてこれらはその種類によって砲弾の重量が異なっていました。

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( 滑腔砲時代の各種砲弾例 )

実弾などはその威力を高めるためには出来るだけ弾速が早い方が好ましいわけですし、場合によっては2弾装填なども行われました。

それに対して、霰弾などはそれ程高い弾速は必要ありませんし、逆に高すぎると発射時に壊れてしまうおそれもあります。 これらのため砲弾の種類によって発射する火薬の量を変える必要があったわけです。

しかしながら、戦闘が始まってから艦内奥深くにある火薬庫で火薬の樽から一々袋に詰めるのでは間に合いませんので、それぞれ決められた火薬の量だけ詰めたものをある程度の数量ずつ準備しておくことになります。 これが今日の装薬の分類の始まりです。

これは、滑腔砲から旋条砲へ、そして前装砲から後装砲へ進歩した初期においても、砲弾の種類、即ち用途と重量によって火薬の量を変える方法が続きました。

火薬庫の棚には、各砲種、弾種、用途ごとに数種類ずつの装薬が整然と並べられていたのです。

old_powder_room_draw_01_s.jpg
( 18世紀後半〜19世紀初め頃の火薬庫内配置例。 この例では、遠達量、全量、減量の3タイプの用語で示されています。)

しかしながら、艦砲の進歩に伴って次第に砲戦距離が遠くなってきますと、正確な射撃のためには詳しい 「射表」 が必要になってきますが、これまでのように火薬の量を細かく変えていたのではこの射表の作成が面倒になります。

このため、1つの砲で使用する砲弾の重量はその弾種による違いなく極力同じものとすることが求められるようになった訳です。

その結果、日露戦争期直前までに砲種にかかわらず装薬の種類を次のように整理・統一するようになりました。

強装薬・弱装薬 : 一種の砲に於いて二種の装薬を用いる時其の重の多寡に由て区別された名称にして、即ち其の量の多き者を強装薬と言い、少なき者を弱装薬と言う。 強装薬は主に穿甲弾を発射するに用い、弱装薬は通常榴弾以下の弾丸を発射するに用う。
常装薬 : 装薬を強弱の2種に区別することなき砲に於いて実用に供する装薬を言う
減装薬 : 費用と大砲の摩損を減ぜんが為め演習弾を発射する際に用うる装薬を言う。其の量常装薬の二分の一なるを常とす (特に定められたる例外の砲を除く)。 ただし紐状火薬 (無煙火薬) を用うる砲に在りては砲火薬 (黒色・褐色火薬) を用う。
空放装薬 : 砲種に応じ特に定められたる少量の装薬にして礼砲号砲諸発火演習等に用う。

つまり通常は、主として旧式砲では強弱2種類の装薬を、新しい砲では常装薬1種のみを全ての弾種で使うようになってきました。

これには砲弾の進化もありまして、それまでの様々な弾種を整理し、特に近距離戦用の砲弾は廃止し、残った弾種も極力重量を同じになるようにした結果でもあります。

例えば 「三笠」 などの戦艦に搭載された四十口径安式十二吋砲においても、当初は 「穿甲弾」 には1発につき装薬包4個を 「強装薬」 として、そして 「通常榴弾」 には装薬包3個を 「弱装薬」 としていました。

これが日露戦争期までに徹甲弾系の 「徹甲榴弾」 と榴弾弾系の 「鍛鋼榴弾」 の砲弾重量を同じとし、戦闘時にはどちらも1発につき装薬包4個を 「常装薬」 として使用するようになりました。

これによって十二インチ砲の装薬は、下の図のような戦闘用の 「常装薬包」 と訓練・演習用の 「減装薬包」 との2つになったのです。

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( 左 : 常装薬包  右 : 減装薬包 )

ついで、日露戦争期以降になると、徹甲榴弾 (後の徹甲弾) を標準にして、その常用の装薬を 「常装薬」 とし、これを基準に強装薬、弱装薬、減装薬が定められることとなりました。 例えば次の様にです。


そして昭和期に入ると、装薬の種類は次の様に分類され、再定義されました。

強装薬 : 砲の造修試験等に使用し、薬量は常装の二割増を普通とす
常装薬 : 戦闘の際使用するものにして、造修試験又は年度射撃等にも使用す
弱装薬 : 薬量は常装の四分の三にして造修試験又は年度射撃等に用う
減装薬 : 薬量は常装の約四割にして用途は弱装に同じ
特減装薬 : 薬量は減装より尚少量を使用し、至近距離の戦闘又は実験用に使用す
空放装薬 : 演習信号又は礼砲に用う

そして常装薬以外においてそれとは別の種類の発射薬を使う場合には、その勢力が常装薬用の発射薬と同じになるように換算した薬量としています。

具体的な装薬包数の例は次の通りです。

砲  種常装薬弱装薬減装薬
  四十糎砲
  三十六糎砲
  二十糎砲

なお、昭和期の装薬については、現在のところ40糎砲、36糎砲及び25糎砲用の3つの詳細データを本家サイトの次のページにて公開しておりますので、ご参考にしてください。


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頂きましたご質問の最後にある

毎回発射薬を目一杯詰めるのは弾道の曲率が減って命中率向上に良いことでは

ということですが、

ご存じのように砲身の強度というのは設計上の最大筒圧に安全係数をかけたもの使用します。

滑腔砲の時代には発射薬は黒色火薬でしたので、これは既に別記事にてお話ししましたように、燃焼速度をコントロールできませんでした。

黒色火薬と無煙火薬 (続) :

したがって、砲身は構造上薬室部分の強度が極めて高くなるように作られています。

typical_smooth_bore_gun_draw_01_s.jpg
( 30ポンド・カロネード砲の例 )

これによって、当時の強装薬よりも更に無理をした目一杯の発射薬を使用することも、必要に応じてある程度可能だった訳です。 (もちろんその為の砲身毀損事故は結構発生したわけですが)

旋条砲の時代になってもこの考え方からはなかなか抜けることが出来ず、2弾装填などの無茶もやっています。

barrel_old_gun_double_shell_draw_01_s.jpg
( 初期の施条砲における2弾装填の例 )

ところが、無煙火薬が発明されたことによりこの燃焼速度を精密にコントロールできるようになりました。

これはその最大の特徴である緩燃性を活かして、発射薬を徐々に燃焼させて効率的に砲弾を加速させ、かつ最大筒圧を低く抑えることが可能となったことを意味します。

これによって、砲身が細く長いもとなり、かつ高い初速が得られる近代艦砲へと進歩したのです。

barrel_6in_draw_01_s.jpg
(40口径安式6吋速射砲の砲身構造の例)

したがって、薬室に余裕があると言えば言えますが、砲身強度は低く押さえられておりますので、常装薬が “目一杯” であり、強装薬は前述のように砲身のテストなど特種な場合でしか使われないことになりました。

なお、黒色火薬・褐色火薬から無煙火薬への発射薬の進歩と造砲技術の発展による筒圧曲線の変化については、艦砲射撃の変遷を語る上では重要な事項になりますので、機会があれば別記事にして詳しくお話したいと思います。
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2015年04月26日

四十七粍速射砲の話題


先に当ブログで四十七粍重速射砲及び同軽速射砲について話題にしましたが、ブログという性格上時間が経つと流れてしまいます。

つきましては、本家サイトの今週の更新として、少々纏め直したものを 『砲術の話題あれこれ』 の第6話として掲載いたしました。


06_47mm_draw_04.jpg

それにしても、山内万寿治氏の考案は実に素晴らしいものですね。 これが明治23年のことであったことを考えると尚更と思います。

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2015年04月05日

『猪口敏平著作集』 に追加


本家サイトの今週の更新は、『史料展示室』 コーナーに新たに設けました 『猪口敏平著作集』 に次の2つを追加公開いたしました。

   『測的並に照射に関する講義案』 (海軍砲術学校、昭和10年)
   『砲術教育実施計画』 (海軍砲術学校、作成年不明)

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2つとも手書きのガリ版刷りのため原本の印刷そのものが大変に悪く読み辛いものですが、PDF化に当たりスキャナーでの読み取り後にゴミ取りをしましたので、いずれも判読は十分可能かと思います。

なお公開を予定しております残りの4つは、大物で、かつこれまで以上に非常に専門的な内容のものですので、ちょっと公開方法で悩んでおります。

これら史料をそのまま公開しても、おそらく一般の方々には大変に難解なものでしょうから ・・・・

posted by 桜と錨 at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年03月22日

『猪口敏平著作集』


つい先日、シブヤン海の水深1000mの海底に眠る戦艦 「武蔵」 が戦後70年にして発見され、その映像がネットでも流れました。 まさに眠れる海の墓標と言える姿でしょう。

つきましては、これを機会に本家サイトでも、同艦の艦長であると共に、旧海軍における砲術の第一人者であった猪口敏平氏の業績を顕彰するために、『史料展示室』 コーナーに 『猪口敏平著作集』 を設けました。


まずは一般にもその名が知られている 『弾着観測参考書』 と 『砲術雑話』 の2つを公開し、併せて既に単独で公開していました 『公算学、誤差学参考書』 をここに纏めました。

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( 『弾着観測参考書』 のオリジナルである海軍砲術学校版の表紙 )

“猪口鉄砲” とも称される氏が到達した旧海軍砲術のエッセンスをお楽しみ下さい。

ただし、これらは射撃理論はもちろん、射法や射撃教範などを理解し、かつ艦隊における艦砲射撃を経験した砲術科将校を対象としたものであることにはご留意下さい。

2つともそれくらい奥の深い内容のものであると言うことです。

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2015年01月24日

『世界の艦船』 3月号


『世界の艦船』 3月号 (通刊813号) の特集は 「日米超ド級戦艦比較論」 です。

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その特集記事について次の項目を受け持たせていただきました。

  「日米超ド級戦艦の技術比較 @ 砲 力」

もちろん超ド級戦艦といってもその範囲は広いので、今回は紙幅の関係から太平洋戦争期の日米戦艦を念頭にして、その砲戦力について、純粋に砲熕武器システムと砲術に絞って纏めてみました。

それでも詳しくかつ平易に書くと大変に長くなりますので、「測距と照準」「測的と射撃計算」「砲熕武器」及び「術力」という主要要素について簡単に説明しております。

いわば日米海軍の砲術についての要約中の要約です。

したがって、個々の内容についても入門者の方々にはちょっと判りにくいところがあるかと思いますが、本項での内容をベースにして更に細部に進んでいただければと考えています。

ただし、これでも編集部よりいただいた当初の予定文字数を大幅にオーバーしてしまいまして、そのため考えていた図・写真などの多くを割愛せざるを得なくなってしまいました。

例えば次の様なものです。

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これらについては、いずれ別の機会にその詳細説明と共にご紹介することがあるかと思います。

posted by 桜と錨 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年12月30日

47ミリ重速射砲 (続2)


続いて本題の 「山内式」 です。

既に申し上げましたように、山内万寿治の発明考案は尾栓開閉装置と駐退装置の2つの改善です。

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まずその尾栓開閉装置ですが、次の様になっています。

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尾栓部の右側にボックスを設け、ここに尾栓の自動開閉機構を組み込んだのです。 ボックス内の主要部は連接桿と歯車機構で、連接桿は駐退装置の後端と繋がって固定されています。

発砲の衝撃により砲身が駐退装置内を滑って後退し、次いで複座バネによって前進するときに、この連接桿に付いている歯車機構によって、オリジナルの保式での尾栓開閉レバー (転把) を手前に回した時と同じ作動をします。

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即ち、打金を撃発の位置に後退させ、次いで尾栓を開き、空薬莢を自動排出します。

そして新たな弾薬包を装填し、ボックス上部後端に出ている閉鎖レバーを押すと、バネの力によって尾栓を閉鎖し、次弾の発砲準備が完了します。 以後は、照準及び発砲によりこれを繰り返すことになります。

即ち、砲員は弾薬包を装填し、閉鎖レバーを押すだけで連続発射を継続することが可能となりますので、発射速度が向上し、かつ保式砲のように尾栓開閉レバーを操作する人員がいなくとも、2名 (射手及び装填員) で砲の全ての操作が実施できるようになりました。

( ただし正規の操法の規定では、保式及び山内式とも弾薬員を含めて4名です。)

そして山内砲架は駐退装置の中を砲身が駐退・複座する同心退却砲架ですので、その動きは非常にスムースで、かつ砲鞍部に伝わる衝撃も少なく、これによって射手は発砲しつつ照準を継続することができ、発射速度の向上を活かすことができます。

保式砲の改良とはいいながら、その機能は実に画期的なものであり、英海軍をして感嘆せしめたのも無理のないところと言えます。

アームストロング社の改造実験によりやっとその優秀性に気が付いた我が海軍ですが、山内万寿治のこの発明考案に対して明治25年叙勲並びに賞金700円が下賜されました。

そして更に同砲は天覧に供された上、同年の米国シカゴにおける万国展覧会に出品され、世界にその優秀性を示したのです。


で、元に戻って、改めてHN 「八坂」 氏のブログに掲載された写真 (氏より転載引用の許可をいただいております) を見てみますと ・・・・

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砲架は確かに 「山内砲架」 なのですが、尾栓部右側にあるはずの閉鎖機ボックスと、これと駐退装置を繋ぐ連接桿がはっきりしない、というか見当たりません。

これらの部分が整備などの理由で外されているのか ・・・・ あるいは写真がレタッチされているのか ・・・・ ?

( 写真では尾栓開閉レバーが付いていますが、これは山内式でも最初の1発は手動で尾栓を開閉して装填しなければならないからです。 最初の1発を装填した後このレバーは外し、以後は自動開閉装置の作動により射撃を継続します。)

いずれにしましても、オリジナルの保式砲の砲身は山内砲架には使えませんし、これを改修することもできません。 また山内砲架に使用する47ミリ重砲で山内閉鎖機の付かないものは製造されていないはずですし、その様な砲は意味がありませんから、これも考えられません。

ちょっと不思議な写真です。
(本項終わり)

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47ミリ重速射砲 :

47ミリ重速射砲 (続) :

posted by 桜と錨 at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年12月28日

47ミリ重速射砲 (続)


先にHN 「八坂」 氏のブログ 「軍艦三笠 考証の記録」 で掲載された47ミリ重速射砲の記事に関連して、こちらで当該記事の写真にある 「山内式」 についてお話ししたところです。

47ミリ重速射砲 :

つきましては、やはりオリジナルである 「保式」 に比べて、その改良型である 「山内式」 がいかに優れた考案であるかをご紹介しなければ尻切れトンボになってしまいますので、遅くなりましたが追加記事を。

まずは、オリジナルの 「保式」 がどの様なものであったのか、からです。

保社製のオリジナルのものには、元々の無退却砲架のものと退却砲架とがあります。

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( 保式無退却砲架 )

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( 保式退却砲架 )

そして英アームストロング社がこの砲のライセンスを取ってから同社製の駐退装置を付けたものを製造します。

47mm_draw_03.jpg
( 安社製退却砲架 )

いずれにしても、これらは砲架の違いだけで、47ミリ重速射砲そのものは全く同じです。

その尾栓部の構造は次の様になっており、大変にシンプルなものですが、速射砲として良く考えられた高性能なものでした。

47mm_draw_08.jpg

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この尾栓部の構造は、3ポンド (47ミリ重) 速射砲だけでなく、2.5ポンド (47ミリ軽)、6ポンド (57ミリ) など他の保式速射砲でも基本的に同じものです。

作動は、砲尾部右側にあるレバー (転把) を手前に回すと、まず打金を後退させて撃発可能な状態となり、次いで尾栓が下がり、その位置で保持されます。

この尾栓下降時、発砲後であれば殻抜き機構によって薬室から空薬莢が引き抜かれて排出されます。

そして、新たな弾薬包を装填してレバーを向こう側へ回せば尾栓が閉鎖し、これにより発砲準備が完了します。

後は照準して引金を引けば発砲しますので、以後はこれを繰り返すだけです。 これだけでも、当時としては画期的な速射性を発揮できました。

この砲の作動は無退却砲架と退却砲架とで同じです。 退却砲架は単に発砲の衝撃を吸収するだけで、砲の操作そのものには関係しません。

無退却砲架の場合は砲の砲耳が砲架の砲鞍部に載って支持されており、砲鞍部で発砲の衝撃を直接受け止めることになります。

一方で退却砲架は、保社製でも安社製でも、砲耳が駐退装置に挿入されており、その駐退装置の軸が砲架に繋がっています。 そして発砲により駐退装置の水圧シリンダーが砲耳を支えて発砲の衝撃を吸収し、バネにより砲耳を押して砲を複座させます。

旧海軍には、保社製の無退却及び退却砲架、安社製の退却砲架のいずれもが採用され輸入されたようですが、数量などの詳細は不明です。
(続く)

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47ミリ重速射砲 (続2) :

posted by 桜と錨 at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2014年12月15日

モデルアート 『戦艦総ざらい』


この度モデルアート社さんから 「艦船模型データベース番外編 V」 として 『帝国海軍 戦艦総ざらい』 が刊行されました。

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この番外編シリーズは、既に駆逐艦、空母、重巡及び軽巡の順に4冊が出ておりますが、今回はその戦艦編です。

当該シリーズは、もちろん艦船モデラーさん向けのもので、その製作テクニックやその製作上の参考となるものを中心に纏められているものです。


で、今回の戦艦編では既刊のものとちょっと毛色が変わって、私が艦砲射撃について書かせていただきました。 題して、

『 日本海軍の艦砲射撃について − 射撃手順と射法を中心に 』

折角戦艦のスケール・モデルの製作を楽しまれるのでしたら、その主砲を如何に使うのか、と言ったことを思い浮かべながら作られると、その戦艦についての興味も一段と深まるかと思ってお引き受けしたものです。

そしてこれまでの艦船専門書におけるこの種記事でも書かれて来なかったことも盛り込んで、昭和期の日本戦艦の艦砲射撃についての、包括的なお話しとしております。

とは言っても内容的には盛り沢山で、かつ出来るだけ平易にすることを心掛けましたが、この方面についての入門者の方々がマスターしていただくためには、ちょっとレベルが高いかもしれません。

( 本当は内容的にもう少し紙幅をいただけるとよかったのですが、これは本誌の性格上いたしかたないかと (^_^; )

もちろんこの総ざらい戦艦編は、私の記事だけではなく、艦船に興味のある方々ならモデラーさん以外でも十分楽しめる誌面構成になっておりますので、手に入れられて決して損はないと思います。

既に書店には出回っていること思いますので、是非一度手にとってご覧ください。

posted by 桜と錨 at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し