2017年03月06日

艦載砲と度量衡 (中)


さて艦載砲に戻ります。

度量衡ばかりでなく、制度というものが後追いになることは世の常です。 これは艦載砲の世界でも例外ではなく、「メートル法条約」 が出来た時には既に滑筒砲から旋条砲へと進んでしまっておりました。

したがって旋条砲の口径も先にお話ししたように砲弾重量のポンド表記や砲身重量のトン表記が使われていました。

しかしながら、「メートル法」 使用となったからと言って、そう簡単に規格を変える訳にはいかないことはご理解いただけるでしょう。

当時は砲と弾薬がセットになって購入されるのが普通です。 状況によってはこれに予備品や弾薬の追加が行われました。

そうなると、多くの国で使用されている砲の場合には、度量衡がメートル法に換わったからと言って、それに応じて新たに設計からの全てをやり直すなどのことはできません。

例えば、有名なホッチキス社の3ポンドや6ポンドの速射砲の口径はメートル法換算で47ミリと57ミリですが、既に世界各国で広く使われており、今更砲の規格を変更したり新たに口径50ミリや60ミリを砲を設計することは生産及び流通上からしても困難なことです。

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( ホッチキス社製の3ポンド速射砲 )

したがって砲や弾薬そのものはそのままにして、同社のパンフレットでは1885年まではこのポンド表記だったのものを、1887年版では手っ取り早く、3ポンド砲は47ミリ砲、6ポンド砲は57ミリ砲と両方並記することになりました。

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( 1887年版の保社版フレットから )

同様にして、英国以外の欧州各国ではメートル法で表記にする場合は中途半端な数字の艦載砲がこの後も残ることになったのです。


では旧海軍の場合はどうだったのでしょう。


明治維新によって新たに海軍が創設された時、その艦艇は元幕府や各藩が各国から購入したものばかりで、搭載する砲も実に種々雑多なものでした。

明治3年に 「兵制之儀」 が定められて海軍はイギリス式とすることとなりましたが、かと言って当時は国内で砲を製造する能力はありませんので、当分の間外国製を導入するしか方法がありません。

そこで艦載砲の統一の必要性から優秀なクルップ砲を多く採用しましたが、このクルップは比較的早期にメートル法へ移行しておりましたので、必然的にこれに従ったものが多くなりました。

日清戦争前に清国海軍に対抗するために建造した三景艦も、その主砲にフランス・カネー社の32センチ砲を採用しましたが、これもメートル法で設計されたものでした。

そして副砲には優秀な速射砲が求められたことから、英国アームストロング社のものが選択されましたが、これは本来の口径4.7インチ (119.38ミリ) ではなく当時英国に派遣されていた山内万寿治によってメートル法による口径120.00ミリの特注品となっています。

しかしながら、その後は戦艦などは建造技術が優秀な英国への発注が多くなり、このため艦載砲も同一である方が有利であると考えられてアームストロング社、次いでビッカース社のものが採用され、そしてこれらの技術導入による国産化においても必然的にヤード・ポンド法によるものとなりました。

これによって明治35年には海軍省達第13号によって旧海軍で用いられる度量衡法の内、艦船・機関・兵器及び艤装に関するものは英国式によることと定められたのです。


ところが、その後 「海軍度量衡調査会」 を設けて世界の趨勢やそれぞれの度量衡法の利点欠点などを再度調べ直し、その結果を踏まえて大正2年には海軍省達101号をもって兵器に関する使用単位はフランス度量衡法を用いることに変更されました。

そして更に大正4年の海軍省達第99号ででは、大正6年度以降新製する兵器は全てこのフランス度量衡法により製造することとされました。

これにより世界に先駆けて採用することとされ、また初の全国産大口径砲となる 「陸奥」 「長門」 の16インチ砲も、全てメートル法により設計・製造されて実口径410.00ミリの 「四十五口径三年式四十一糎砲」 として大正6年7月17日に内令兵第10号をもって兵器採用されたのです。

また併せて大正6年10月5日には内令兵第17号をもって砲術長主管兵器の名称改正が行われ、全て従来の 「吋」 呼称から 「糎」 呼称に変更されました。

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( 左クリックで拡大表示 )

もちろんこれは単なる呼称の話しですから最も切りの良い数値で近似されたもので、実口径が変わったわけではありません。

したがって実口径が必要な時には性能要目表などを見ることになりますが、造兵者あるいは砲術専門でもない限り、通常はこれで全く問題もなかったわけです。


う〜ん、はやり2回では終わりませんでした (^_^;

(この項続く)

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「艦載砲と度量衡 (前)」 :

「艦載砲と度量衡 (後)」 :

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2017年03月04日

艦載砲と度量衡 (前)


これも以前某所などで出た話題ですが、何故155ミリとか150ミリといった口径の砲が出来たのかということでした。

結局のところ、残念ながらどこも最後まで度量衡とそれに伴う設計や製造機器などのことは出ずに終わってしまったようです。

そこで艦載砲の口径について、かつての砲弾の重量に基づくポンド表記からインチやミリメートル表記への変遷について少し振り返ってみたいと思います。


ご存じの通り、初期の艦載砲においては砲身は青銅製又は鋳造の前装滑筒砲であり、砲弾は球形実弾でした。

したがって、砲の大きさは砲弾の重量 (例えば40ポンド砲)、あるいは砲身そのものの重量 (例えば80トン砲) によって表されてきました。

砲の筒内も、そして砲弾も、それ程精密に作られていた訳ではなく、個々ものによってそれなりの誤差があり、また射耗あるいは錆によっても変わって来ました。

ですから、その都度各砲のその時の実際の筒径に合うサイズの砲弾を選んで各砲側などに準備していました。 その程度のことで良かったわけです。

実際の射撃では、砲弾の前後に詰物を入れ、発射ガスが砲弾と筒内との隙間から逃げないようにすると共に、動揺などにより砲弾が転げ出ないようにしていました。

しかし、射程を伸ばすために砲弾は次第に長軸弾となり、そしてその安定飛翔のために筒内には施条が施されるようになってきました。 また、装薬 (発射薬) の発展もあって、砲身も次第に積層砲、そして鋼線砲へと進歩してきます。

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艦載砲のこの辺の変遷については本家サイトの次の記事にありますので参照してください。

この艦載砲の発展に伴い砲及び砲弾の製造・加工は次第に精密なものが要求されるようになり、そのために工作機械や治具・工具も精密・正確なものが必要となってきました。

ここに来て、それら全ての規格を揃えるために各国で度量衡の制定とそれに従った工業体制が生まれてくるわけです。

もちろんこれは艦載砲に限ったことではなく、産業革命による工業生産全般について言えることです。

元々欧州大陸各国では 「ドイム」 (duim、兌母) という尺度を使っていましたが、これは各地域・国によって同じ1ドイムでも多少異なったものでした。

このため1799年になって共通の尺度 「エル」 (ell、會爾) が定められました。 これは産業革命による欧州域内における工業製品流通上の必要性から来ていることは論を待ちません。

そして1875年 (明治8年) になってパリで開催された国際度量衡総会で採択された 「メートル法条約」 へと繋がるわけです。

これは欧州大陸諸国で採用されましたが、一人英国のみは従来からのインチ・ポンド法にこだわり続けました。

10進法に比べると、人間の感覚からすれば12進法というのは極めて効率が悪いように思いますが、これは大国の威信と長年の慣れからくるものなのでしょう。


我が国においては明治18年 (1885) にメートル法条約に加盟し翌19年に公布していますが、明治24年になって定められた 「度量衡法」 (明治24年3月244日法律第3号) は従来からの尺貫法を基本としつつメートル法も許容し、かつメートル法の原器よりの換算を使用するという極めて変則的なものでした。

そして更に明治42年に 「改正度量衡法」 (明治42年3月8日法律第4号) となってヤード・ポンド法も許容して3者併用とすることになり、混乱に拍車をかけたわけです。

そこで大正10年になってこの度量衡法が改正され (「度量衡法中改正法律」 大正10年4月11日法律第71号) やっとメートル法に統一されることになります。

とは言え、このメートル法への統一も数々の反対にあって長い間なかなか定着しませんでした。 しかしながら太平洋戦争終結後の米英の占領下にあってもヤード・ポンド法に戻ったわけではなく、結局昭和26年の 「計量法」(昭和26年6月7日法律第207号) となってメートル法で決着がつけられたと言えるでしょう。

(この項続く)

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「艦載砲と度量衡 (中)」 :

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2017年02月26日

「世界の艦船」 4月号 (通刊第856号)


『世界の艦船』 最新号の4月号がそろそろ書店の店頭に並ぶ頃です。

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4月号の特集は 「第2次大戦の列国戦艦」 で、私も本文記事で次の2本を担当させていただきました。

  「 第2次大戦時の水上砲戦技術 」
  「 レーダー射撃 VS 光学射撃 」

両方とももう少しマニアックにとも思いましたが、艦砲射撃だけに興味があるわけではない一般読者の方々もおられるでしょうし、この方面の初心者の方々もおられるでしょうから、まずはこのレベルの基礎知識を持っていただければというものにしました。

特に米海軍の射撃指揮装置や射撃用レーダーについてはもっと詳細にと考えましたが、紙幅の都合もあり、これはまた次の機会にでも(^_^;

それでももちろんいつも通り今まで出版物などでは書かれたことのない内容を盛り込んでおります。

特にレーダー射撃や旧海軍の公算射撃に基づく高命中率などはまだまだ誤解があるようですが、これまで色々書いてきた成果もあってかなり認識が直ってきていると自負しており、今回の2本の記事はその総まとめ的なものであると思っております。

書店で見かけられた時には、是非手にとってご覧下さい。
posted by 桜と錨 at 22:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2016年12月27日

発射弾数の記録


某所でこういう事が話題になっていました。

 実戦で発射弾数を記録するものでしょうか?

平時であろうと戦時であろうと各砲ごとその時に発射した弾数、弾種、装薬 (発射薬) 種は必ず記録します。

その理由は大きく3つあります。

1.砲身命数 (砲齢) の計算のため

特に大口径になればなるほど命数は小さいため、この計算は重要です。

2.故障や事故が生起した時の原因究明ためのデータの一つとして

例え小さな故障であろうとも、これによって人身事故や砲の毀損に繋がり兼ねませんので、その分析には発射の記録も重要なデータになります。

そしてこれらが正確に記録されているからこそ、これが砲の改良や操法 (操作法) の改善などに繋がっているのです。

3.射撃における指定された発射の確認のため

平時の訓練であろうと戦時における実際の砲戦であろうと、指定されたこれらの確認は、有効な射撃を実施するためには重要なことです。


特に1.及び2.については各砲1門ごとにその砲の経歴や構成などを記した 「海軍砲砲歴」 という帳簿が備えられており、その都度各種の記録が書き加えられてその砲の現状が更新されます。

そしてその中でも発射弾数は最も重要な記録であり、だからこそその記注についての注意までが艦政本部から出されているのです。

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この発砲の記録は明治時代から行われており、ですから例えば日露戦争時に多発した筒発についても、各艦の戦闘詳報などにおいてどの砲が何時、何発目にどのような状況で撃ったときに生起したか、などが明らかにされているわけです。

“後々の戦闘への参考資料にでもした” などと言うようなそんな軽い話しのものではないことはお判りいただけるかと。

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2016年08月28日

「四十径安式十五拇砲」 について (後)


さてそこで、江田島に展示されている2基について少し考察してみましょう。

尾栓部上側に安社の刻印がなされていることから、元はこの砲そのものも安社製のものであったことは確かでしょう。

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そして確かに尾栓の形状も安式であることが確認できます。

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ただし、砲身そのものは2基とも次により二号砲であることは明らかです。

1.砲身の形状
2.尾栓部後面の3層構造
3.尾栓環下の駐退機取り付け部の位置

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尾栓部上側の安社の刻印と合わせて楕円形の刻印がありますが、これを詳細に見ればおそらく英国製か呉で製造された砲身かが判るのではないかと思います。

これについては次ぎに訪問する機会があれば詳しく調べてみたいと思います。


そして、照準器はこの砲の採用当時の照準桿形式のものではなく、後で旧海軍によって改造された照準望遠鏡付きのものであることが判ります。

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その他色々とオリジナルのものからの変更があると考えられますが、多くの部品が失われてしまっていることもあり、詳細については今のところ不明です。


なお、本砲の詳細な要目については、本家サイトの次の頁で解説しておりますのでご参照下さい。



それにしても、

 特徴は、砲弾を砲身の後方から装てんする 「後装式」 を採用したことで、「前装式」 が主流であった 当時の 砲に比べて、装てん時間は約1/10に短縮された。

って、一体何時の時代のことを言っているのかと (^_^;

旧海軍でさえ、前装砲が中心であったのは明治初期の創設期の話しであり、明治10年代に入ると既に克 (クルップ) 式を始めとする後装砲が主体となります。

更には20年代には機砲や47粍速射砲、そして三景艦以降は12糎以上の中口径砲でも速射砲となっているのに、です。


以上のことから、砲術科や研究部、参考館などを抱える第1術科学校の掲示物の内容として、これではちょっと恥ずかしいかと。 少なくとも掲示板の前半部分は、タイトルも含め早急に改める必要があるでしょう。

(本項終わり)

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「四十径安式十五拇砲」 について (前) :

posted by 桜と錨 at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

「四十径安式十五拇砲」 について (前)


2年ほど前に江田島の海上自衛隊第1術科学校に当該砲が2基移設されまして、現在教育参考館脇と陸奥砲塔脇に展示されていることは、先の記事でご紹介したとおりです。

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ただ、同砲の横に置かれている案内板の説明は、後半の由来についてはさておくとして、前半の当該砲の説明文がかなり間違っております。

案内板の説明文前半 :


安式四十口径六吋砲

 「安式四十口径六吋砲」 は、日露戦争 (明治37年〜38年) に備えて、日本海軍が英国アームストロング社 (安社) から艦載砲として輸入した砲で、当初は戦艦 「三笠」 を始めとして数多くの戦艦・巡洋艦の副砲として搭載され、明治41年以降は日本製鋼所室蘭工場で国産化された。 (制式名 : 四一式四十口径十五糎砲)
 特徴は、砲弾を砲身の後方から装てんする 「後装式」 を採用したことで、「前装式」 が主流であった当時の砲に比べて、装てん時間は約1/10に短縮された。


そもそも旧海軍には 「安式四十口径六吋砲」 や 「四一式四十口径十五糎砲」 という名称そのものがありません (^_^;

そこで、良い機会ですので、この砲について少しご説明したいと思います。


本砲を最初に搭載したのは、明治22度計画の巡洋艦 「秋津洲」 で、当初は 「安式四十口径十五拇砲」 又は単に 「安式十五拇砲」 と言いました。

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その後旧海軍における砲熕の呼称法を統一する必要から、本砲は制式に 「四十口径安式十五拇速射砲」 と呼ばれるようになりました。

もっとも、「秋津洲」 は途中で設計変更が行われたため就役が遅れて明治27年となり、24年度計画により英国で建造した同砲搭載の巡洋艦 「吉野」 の竣工の明治26年より後になってしまいました。

以後、同砲は多くの戦艦の副砲、並びに 巡洋艦の主砲又は副砲 として搭載されることになります。

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( 装甲巡洋艦 「常盤」 の安式十五拇砲 )

ただし、戦艦の副砲の多くは砲廓砲 (当時は 「中甲板砲」 と呼びました) で、江田島に展示されているような露天甲板砲とは砲盾や砲架が異なりますので注意が必要です。

また明治19年に竣工した巡洋艦 「浪速」 型も、日清戦争での戦訓により明治33年には主砲を当初の35口径克 (クルップ) 式26糎砲から本砲に換装しています。

つまり “日露戦争に備えて輸入した” わけではありません。 日清戦争前から既に海軍力増強の一つとして採用され導入が始まっているのです。


そして当該説明文の起案者が最も勘違いしているのは、 「四一式」 という名称についてです。

ご存じの方も多いと思いますが、旧海軍における砲熕の名称付与法で言う 「××式」 というのは尾栓の形式のことで、砲身そのもののことではありません。

つまり 「四一式」 というのは、有坂造兵中監が考案して明治41年に兵器採用になった尾栓形式のもののことを言います。 したがって、「四十口径四一式六吋砲」 は砲身や砲架、砲盾は安式と同じですが、尾栓が異なる別の砲のことです。

しかも尾栓の形式名称としてではなく、この形式の尾栓を装備する 「四一式」 という制式な砲熕名称が定められたのは明治43年のことです。

安式四十口径十五拇砲、つまり安社式の尾栓を有する40口径15糎砲は、前述の通り明治22年度計画艦から採用が始まり、そして明治30年には40口径安式12糎砲に続いて、「仮呉兵器製造所」 から名称変更となった 「呉造兵廠」 (後の 「呉海軍工廠造兵部」) において国産化が始まっております。 明治41年の四一式からではありません。

もちろん当初は砲身素材などは英国からの輸入ですが、日露戦争までに既に最初の層成砲たる一号砲から、鋼線砲である二号及び三号砲までを製造しています。


これらの砲は、明治41年に 『砲熕ニ関スル名称中改正ノ件』 (内令兵5号) によって 「四十口径安式一号 (二号、三号) 六吋砲」 となります。

そして更に大正6年には 『砲術長主管兵器中名称改正の件』 (内令兵17号) によって 「四十口径安式十五糎砲」 に変更され、この名称が太平洋戦争終戦まで使われます。 この時には一号〜三号の名称区別はありません。

したがって、江田島の案内板のタイトルは、この砲の採用時の制式名称とするなら 「四十口径安式十五拇速射砲」 であり、太平洋戦争時を採るならば 「四十口径安式十五糎砲」 とするべきでしょう。

「六吋砲」 という呼び方は途中の9年間のみであり、そもそも旧海軍の砲熕呼称付与法からして 「安式四十口径六吋砲」 という呼び方はなく、誤りです。

(続く)

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「四十径安式十五拇砲」 について (後) :

posted by 桜と錨 at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2016年06月19日

砲身長と砲弾威力


本家サイトの掲示板にてHN 「キャプ専クック」 さんから次のようなお尋ねをいただきました。

同じ16吋砲でも45口径や50口径があり、この場合は50口径の砲が砲弾の威力が増すということは知っていますが、それは同じ砲弾や炸薬を使ってのことでしょうか。それとも50口径の砲弾は炸薬をより強力に出来るとかの違いがあるのですか。


以前に黒色火薬と無煙火薬について 『砲術の話題あれこれ 第7話』 として説明しました。

要するに黒色火薬対する無煙火薬の利点は、砲煙の過多はもちろんですが、発射薬(装薬)として “燃焼時間を制御可能” ということに尽きると言っても過言ではないでしょう。

近代火砲の発展はまさにこの無煙火薬の発明によるところ大です。 つまり黒色火薬に比べて発射薬を徐々に燃やすができるため、砲弾が筒内をかなり進んだところに最大筒圧点を設定でき、かつその最大筒圧を下げることができますので、その結果として砲身も細身の長いものとすることが可能となりました。

この火砲の発展については同じく 『砲術の話題 第1話 01』 でお話ししてあるとおりです。


この筒圧曲線と砲身強度との関係について、ごく一般的なものとして表すと下図のようになります。

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(クリックすると大きなサイズで表示します)


そこでお尋ねいただいた砲身長の長短による砲弾の砲口威力の問題ですが、一般論としては同一の装薬と砲弾を使用した場合、長砲身の方が弾底に燃焼ガスの圧力を受ける時間が長くなりますので、砲口初速が早くなることになります。

これはつまり砲口威力が大きくなり、かつ射程も長くなると言うことです。 また、砲口初速を同じ程度にするならば、より重い砲弾とすることができるということになります。

では実際のケースではどうしているのでしょうか?

例えば、米海軍の16インチ砲では 「アイオワ」 型に搭載した50口径砲は下図のようにそれまでの45口径砲用の装薬及び弾丸と併せ、これに前述の長砲身の利点を生かした装薬と重量弾も使用しています。

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(クリックで大きなサイズで表示します)

もちろん45口径砲用の同一の装薬と弾丸を使用した場合には、当然ながら砲口初速も最大射程も大きくなっています。

ただしこの砲の場合は、45口径砲用のものを使うことを前提に設計されているからであって、ある意味特殊な例と言えるでしょう。

即ち、通常は新砲を設計・開発するときにはその砲身長に併せた筒圧曲線の装薬や砲弾も新たに造るのが一般的です。 でないと折角の砲身長を長くしたメリットが十分に活かせません。

旧海軍での例で言えば、重巡用に開発された50口径20糎 (20.0センチ、通称 「一号砲」) を改良した二号砲 (8インチ砲) の場合、当然ながら従来の45口径安式/毘式20糎砲 (8インチ砲) 用の装薬及び弾丸を使用することは前提とはしていません。 全て二号砲用に新たに開発したものです。

「艦砲・弾火薬組合せ一覧」 :

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2016年06月05日

加減乗除などの計算メカ


本家サイトの 『砲術講堂』 コーナー中で 『射撃指揮装置機構概要』 の解説を進めており、現在射撃盤のところまで行っております。


ここで出てくる各種のメカニズムはそのほとんどが加減乗除や微分積分といった基本的な計算のものの組合せやその応用です。

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(加減計算機構の一例)

そこでやはりこれらについても説明があった方が判りやすいと思いますので、それらの説明を追加し、各頁の当該用語をクリックすると別ウィンドウで表示するようにリンクを張りました。

市販の機構学などの出版物にもありますが、やはり私のサイトらしく旧海軍の各種史料から纏めております。 このため図などは原本が手書きでありかつ印刷があまり良くありませんのでちょっと見難いところがありますが、これはこれで価値のあるものと思っております。

現在のようなディジタル・コンピューターなどなかった当時、こんな方法でやっていたのかとお楽しみいただければと思います。

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2016年05月22日

今週の本家サイトの更新


先週に引き続き先週に引き続き 『射撃指揮装置機構概要』 コーナーを更新し 『各種変化率計出機構』 の頁を追加 しました。


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変距率などをどのような機構でアナログ計算していたのかの解説ですが、もしメカ関係をあまり得意とされなければ、ざっと流し読みされて “ふ〜ん、こんなふうだったのか” をご理解いただければ十分でしょう。

posted by 桜と錨 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2016年05月15日

本家サイトの久々更新


やっと少し時間がとれるようになりましたので、本家サイトは久々の更新です。

1月で止まっておりました 『旧海軍の砲術』 コーナーの 『射撃指揮装置機構概要』 に新しいコンテンツを追加しました。

今回は測的方式のことと、射撃盤のメカニズムについての第1回目です。


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当時の射撃指揮装置がどの様な理論と方法で計算を行っていたのかを具体例を挙げながらの説明ですので、ちょっとマニアックな内容ですが、こんなことは一般の出版物やネットにはありませんので旧海軍の砲術に関してキチンと残していきたいと思っています。

メカが苦手な方々も、“ふ〜ん、こんなことになっていたんだ” 程度の読み流しで結構ですので、是非一度ご覧下さい。

でも私などからすると、こういう事を知らないままでは、本来なら太平洋戦争における日米両海軍の射撃指揮装置の優劣がどうのこうのなどは語れないと思うのですが ・・・・

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2016年02月28日

地球自転の影響


久々の本家サイトの更新です、というより実は本年初なんですが (^_^;

『砲術の話題あれこれ』 にその第7話として 『地球自転の影響について』 を新設し、取り敢えず海上自衛隊においてこの問題をどの様に説明しているかを公開しました。 この後、続けて旧海軍及び米海軍での説明を追加していく予定です。


ネット環境など身の回りの再構築でバタバタする直前にメールにてご質問いただいたものですが、とても十分なお答えを纏める余裕はありませんでしたので、その時には簡単なお返事をしただけでしたので、この度ちょっと本格的に纏めてみました。

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本来ですと 『射撃理論概説 上級編』 でお話しする内容になりますが、当該項目はまだ未開説ですので、取り敢えずこのコーナーで。

この地球自転の影響については、小中口径砲ならまだしもですが、大口径砲となると水上射撃では無視できない問題となります。

しかしながらこれについてはこれまで書籍でもネットでも十分に説明されてきませんでした。 非常にマイナーなテーマではありますが、やはり私のサイトとして採り上げる価値があるものと思っています。

艦砲射撃では “あ〜、そこまで考慮する必要があるんだ” “そんなことまできちんとやっていたんだ” と理解していただけたら幸いです。

posted by 桜と錨 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年12月27日

本家サイトの今週の更新


先ほど本家サイトの更新をしまして、先週公開を始めた 『射撃指揮装置機構概説』 の項にコンテンツの追加で、方位盤の頁をUPしました。

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しかしながらいざ具体的な話に入ってみると、旧海軍の射撃指揮装置の全体がどのような形のものなのか、写真や図などからすんなりイメージできないと、少々難しいかもしれません。

それに、やはり加減乗除の四則演算や簡単な関数などをメカとしてどのように実現するのかの機構学的な基礎のところも必要なのかと。

あるいは、この射撃指揮装置の機構的なことは米海軍のものと比較しながらですと、これはこれでそれぞれの海軍が同じ目的のためにどの様な解決をしているのかも面白いのですが ・・・・

う〜ん、この後どのように展開していきましょうか ・・・・ ちょっと悩むところです (^_^;

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2015年12月20日

旧海軍の射撃指揮装置のこと


本家サイトの更新は1ヶ月半以上間が開いてしまいましたが、久々に新規のコンテンツを追加ました。

これから少しずつ専門的なものと思いまして、まず旧海軍の射撃指揮装置の中身についてお話しをしていこうと考えております。

「射撃指揮装置機構概説」 :

その第1回目は旧海軍の射撃指揮装置が機構的・構造的な面からどのような型式(タイプ)に分類されていたのかについてです。

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もちろんこれは現在の射撃指揮装置の技術的な面からするものではなく、当時 (太平洋戦争後期) の旧海軍がどの様に考えていたかということです。

この型式分類から実際に実用化された旧海軍の射撃指揮装置を見る時、あ〜そうなのか、と思われることがあるのではないかと思います。

続いてこの型式分類に基づき、それぞれの機構がどの様になっていたのか、どの様な方法で目標の測的や射撃計算がなされていたのか、などの具体的なことに入っていく予定です。

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2015年10月22日

『世界の艦船』 12月号


まもなく 『世界の艦船』 12月号が発売となります。

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今日、打ち合わせて海人社さんにお邪魔した際、印刷所から出来上がって届いたばかりでしたので、その初物を一冊いただいてきました (^_^)

特集は 『ビッグ7 条約時代最強の日米英7大戦艦』 で、私も 『徹底比較! 「ビッグ7」 のメカニズム』 中の一つ 「B 兵装」 の項を受け持たせていたところです。

兵装とはいっても、水雷兵装などは紙幅の都合で省略し、戦艦としてのメインである砲熕兵装に絞っています。 また、弾火薬などについてもほとんど省かざるをえませんでした。

それに弾火薬庫やそれ関連などや、艦全体における砲熕兵装の位置付けなどについても、他の方の記事を参照していただくことにしております。

とはいっても、砲熕兵装だけでも主砲及び砲塔、副砲、対空砲装、そして射撃指揮装置など大変幅広い内容になりますので、あれもこれもと詰め込んだ盛りだくさんのものとなっております。

このため全体としてちょっと取り留めもない記事になってしまいましたが、それでも従来のような技術屋さんの眼ではなく、用兵者たる鉄砲屋の眼による今までに無かったものであると自負しております。

書店に並びましたら、是非手にとってご覧いただければ幸いです。

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2015年10月02日

『丸』 11月号


既に書店に並んでいると思いますが、月刊誌 「丸」 の11月号の特集は 「レイテ沖海戦」 です。

Maru_h2711_cover_s.jpg

私も一つ、次の記事を受け持たせていただきました。

「サマール沖海戦の栗田艦隊砲戦実力」

従来からこのサマール沖海戦での栗田艦隊の射撃結果については、戦史・戦記でもあまり芳しい評価を得ておりません。

確かに、スコールや巧みな煙幕展張の中を必死に逃げまどう米護衛空母群に対するものであったこともあり、一見その様に感じられるでしょう。

しかし本当にそうなんでしょうか?

実は、この時の栗田艦隊の射撃術力としては、平時の射撃訓練ではなく戦時における実戦であることを考えると、決して悪いものでは無かったのです。

では何故あれだけの戦果で終わってしまったのか、それは栗田艦隊の戦闘指揮の拙さに帰結するのです。

・・・・ ということを書いてみました。 射撃データの分析からという、従来に無かった切り口と思います。


なお、今回の特集の中で次のものが掲載されています。

「 『栗田艦隊反転のナゾ』 に迫る」

桐原敏平氏の記事ですが、栗田健男論としてなかなか鋭い視点の良い内容と思います (^_^)


書店に寄られた時には是非手にとってみて下さい。

posted by 桜と錨 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年08月11日

「ビスマルク」 の対空射撃 −2


バタバタしている内にあれこれ宿題も溜まっています。 私のブログらしく気ままに少しずつ (^_^;

さて、某掲示板で出ていました 「ビスマルク」 の対空射撃についての質問の件です。


この質問に対する回答としては、まずハードウェア面から一つ一つ潰していく必要があるでしょう。

その最初が、質問内容に謳われている “時限信管が対応できなかった” という文言です。

これについては、ご来訪いただいている皆さんなら特に説明は要しないものと思います。

即ち、時限信管は発射された後に調定された信管分画 (信管秒時) で作動するものですから、この信管の作動そのものは目標の速力、というより変距率とは全く無関係です。 したがって、これが原因であることはあり得ません。

当該掲示板における回答としては、まず真っ先にこのことを明確にする必要があったでしょう。

ご参考までに、大戦時におけるドイツの88mm及び105mm高角砲用の代表的な時限信管の一つである 「Zt. Z. S/30」 の構造イラストをご紹介します。

German_MTF_Zt-Z-S30_s.jpg


(この項続く)

posted by 桜と錨 at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年07月21日

「苗頭」 の単位


本家サイトの掲示板にて、旧海軍の砲術で使用する苗頭の単位である 「千分の一単位」 と 「密位 (ミリイ)」 が話題になりました。

元々の投稿者の方がこの後者の 「ミリイ」 と 「ミリラジアン」 とを勘違いされていたことはともかくとして ・・・・

本家サイトの 『艦砲射撃用語集』 中の 『6.単位』 のページで説明しておりますように、旧海軍では昭和12年の 『艦砲射撃教範』 改訂時に、苗頭の単位として従来使っていた 「千分の一単位」 から 「密位 (ミリイ)」 を使用することに変えました。


それでは、旧海軍においてこの両者の違いをどのように取り扱っていたのか、ということですが、これについてご参考までに海軍砲術学校の教科書にあるものをご紹介します。

密位-1_mod_s.jpg
密位-2_mod_s2.jpg

すなわち、厳密に言えば両者は異なるものですが、現実の射撃においては同等なものとして取り扱って差し支えない、と教えていました。

実際のところ、頭の中で考えるのには 「ミリイ」 よりは 「千分の一単位」 の方が直感的でイメージしやすく、また射撃号令としての苗頭は例えば 「右へ20」 などと言うように単位がついておりませんので、現場においては何ら問題を生じることはなかったのです。

posted by 桜と錨 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年07月17日

「ビスマルク」 の対空射撃


ちょっと前に某巨大掲示板にて次の様な質問が出ていました。

第二次大戦時の戦艦ビスマルクの高射砲について

雷撃機ソードフィッシュを迎撃しようとしてもあまりにもソードフィッシュが遅すぎて時限信管が対応できなかった

とのことですが、では当時のドイツ軍の高射砲が対応可能な最低速度は時速何キロになるのでしょうか?


“この件は海外の議論ボードで様々な意見が出ている” 云々、のレスが付いておりましたが、結局キチンとした答えは出ていないようです。

さて、ご来訪の皆さんならこの質問にどのようにお答えになるでしょうか?

posted by 桜と錨 at 14:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年05月17日

本家サイトの修正


今週は本家サイトの新たなコンテンツの追加はありませんが、既存の 「射撃理論」 の 「超入門編」 及び 「初級編」 の手直しをいたしました。 主な修正点は次の3つです。

1.ブラウザーの互換性の問題
2.フレーム形式の取りやめ
3.一部図表サイズの大型化

同様の問題は、あと大きなところではまだ 「射法」 の項が残っておりますが ・・・・ う〜ん、面倒ですね (^_^;

posted by 桜と錨 at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2015年05月12日

47ミリ重速射砲 (追)


先の 「47ミリ重速射砲 (続2)」 の記事で、HN 「八坂八郎」 氏のブログで紹介された同砲の写真について、

> 尾栓部右側にあるはずの閉鎖機ボックス (機筐) と、これと駐退装置を繋ぐ連接桿がはっきりしない、というか見当たりません。

> これらの部分が整備などの理由で外されているのか ・・・・
> ちょっと不思議な写真です。

と申し上げたところです。

4353f5fc_mod.jpg
( 八坂氏のブログで紹介された当該写真より (注)

「47ミリ重速射砲 (続2)」 :


で、その後色々な調べものをしている時に、『海軍操砲程式』 の当該砲の操法で戦闘配置に就く場合の措置の中で次の様に書かれていることに気付きました。

yamanouchi_47mm_manual_01.jpg
(明治30年版の例)

尾栓を開くに当り間々其の位置を保たざる装置あり。 斯くの如き砲に在ては(二)は回螺挺を以て閉鎖器留螺旋を凡そ5回程螺出す可し。 然れども 自動器機を取外したるときは 閉鎖器留螺旋は堅く螺入すべきものとす。

この規定を見ると、当該ボックスはそれなりの頻度で取り外すことがあったと考えられます。

これは日常行われる砲のメインテナンスや閉鎖発條などのバネ類の保護に伴うことのためです。

そしてこのボックスが取り外されていても、例えば緊急時の場合などにおいては、写真のように転把 (尾栓開閉レバー) を取り付けていれば、従来の保式砲と同様にして射撃は可能です。

また、空砲を発射する場合、即ち礼砲としての使用や実弾発射を伴わない演習での射撃実施の合図としての使用など、においては元々この自動開閉機構は機能しませんので、取り外していても問題はありません。

したがって山内式の47ミリ速射砲において、八坂氏紹介のようにこのボックスが取り外された写真があったとしても、不思議ではないということになります。

これで疑問が一つ解決しました (^_^)

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(注):ブログ 『軍艦三笠 考証の記録』 よりの写真の転載・引用は、管理人のHN 「八坂八郎」 氏より許可をいただいております。
posted by 桜と錨 at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し