2008年12月28日
旧海軍砲熕武器データ
内容は旧海軍史料に基づく詳細なもので、一般公刊物やインターネットでも公開されたことのないものです。
取り敢えず「陸奥」「長門」に搭載された「45口径三年式40糎砲」についてHPに仮UPしておりますが、今後このフォーマットにてその他の各砲熕武器も順次作成していく予定です。
まだ関係のリンクは未設定ですので、次のURLから直接ご覧下さい。
もちろん、この40糎砲を始めとして、各砲熕武器の頁にはその他のデータも適宜追加してくつもりでし、関係する弾薬や信管などの頁とも連携させて行きます。
一般の艦船研究家や愛好家の方々には、ここまでの詳細データは不要かとは思いますが、今に残る旧海軍史料を纏めて砲熕武器の全容を明らかにし、それを後世にキチンと残していくことも必要と考えています。
暫定フォーマットの書式や内容など、ご意見ご所見がございましたら、本家掲示板の方にご遠慮なくお寄せ下さい。
2009年01月05日
三式弾について
この砲弾は、それなりに有名であるにも関わらず、案外その内容が知られていないものの一つではないでしょうか?
しかし、私の手元にあるだけでも、この砲弾については意外に沢山の旧海軍史料が残されています。
一例として、次のようなものなどです。
これらの史料を纏めるだけでも、構造・作動や運用法などかなり詳細なところまで分かります。
もちろんこの三式弾については、何れは本家HPの「旧海軍の砲術」の「砲弾」の項でご紹介していく予定にしています。
ところで。
一般の研究家の中には、艦艇や砲熕武器などについて史料を捜される時に、ともすると技術屋さん達のものばかりに目が行って、その結果、無い無いと言っておられる方が案外多いように思われます。
しかし、艦艇や砲熕武器の専門家ならともかく、一般の方が研究される範囲でしたら、何も難しい技術史料でなくても、このような用兵者のものでも十分なところがほとんどではないでしょうか?
それにそれらのものの実際の使い方なども合わせて知ることができます。 これは重要なことです。
艦艇や武器がどのように使われるのかを抜きにして、カタログ・スペックや外形だけを追いかけても、実に無味乾燥なものにしかならない、と私なら思いますが。
(追) : 本項でご紹介した三式弾(正式名称「三式通常弾」)については、本家HP「海軍砲術学校」の下記URLにてその詳細をご紹介済みですので、是非ご覧下さい。
2009年01月15日
「一式砲弾」?
何でも陸戦隊として南方に派遣される予定の人員に対してこれの講習が行われたとか聞いたが詳細は不明とのこと。
これだけの情報しか提供されていませんが、これから判断する限りにおいては、これは「八糎一式徹甲弾」のことですね。
もちろん「一式徹甲弾」とは言っても、46糎砲などで有名なものとは全く別物で、旧式化した「四十口径十一年式八糎砲」や「四十口径三年式八糎高角砲」などを活用するためのものです。
当然ながらこれらの砲は特設艦船用などの他に、開戦後は南方占領地での防備用として使用されました。
対舟艇や対戦車用としての有効使用が期待されたのでしょうが、それはその時点まで砲が残存できていれば、の話ですね。
なお、この砲弾についても、何れは本家HPで公開を始めました「旧海軍の砲術」の「弾丸」の項で詳細をUPするつもりです。
2009年02月14日
戦艦の主砲による対空射撃について
>敵機を早々に低空側に追い込み(つまり先に降下加速を使わせる)敵機の速度と
>見張り能力を減じさせ(雷装してるので再上昇は至難で下は海面だから)
って、雷撃機で急降下爆撃をさせるつもり?
>http://www.ussiowa.com/Photos/USSIowaInAction08.htm
>対空射撃の妨げどころの話ではなく、対空砲座に人が居たら、普通に死ねます・・・
死んじゃうんだ。 さぞ大勢の人が無駄死にしたんでしょうねぇ。
>日本でもアメリカでも、主砲は高射装置とも繋がりますし、極めて精度の良い方位盤
>射撃装置もあります。
そんなことができたんだ。 で、その高射装置で主砲の射撃計算もできるんですね?
>1945年以降建造された巡洋艦の中には、主砲方位盤に対空方位盤の機能が
>付与された
そんな改造をしたんだ。
で、これ ↓ 1946年時点の戦艦・巡洋艦用のMk8 Rangekeeper ですが、その対空機能が付いた方位盤をどう繋いだらこれで対空射撃ができるんでしょうかねぇ。
そもそも、“やろうと思えば応急的・応用的にできる” ことと、本格的な対空射撃ということさえ区別せずに論ずること、それ自体に無理があるかと。
もちろん「射撃指揮装置」というものが理解できていればという前提での話ですが。
2009年02月20日
艦載の8糎迫撃砲は威嚇用の発音弾を使用?
そもそもはどこかに書いてあったことを引用したのでしょうが、今になってそれを他の人が掘り返しても知らん振りなんで・・・・
「三式八糎迫撃砲」というのは、昭和19年に「内令兵31号」によって制式採用されています。 そして次いで「内令兵54号」で「三式八糎迫撃砲二型」が制式採用されています。
またこの「内令兵54号」で同時にこの砲用の「三式八糎迫撃砲通常弾」「同 焼夷煙弾」「同 照明弾」「同 阻塞弾」「同 阻塞弾改一」及びこれらの砲弾用の「同 二働信管」が制式採用されています。
例えば、二働信管を装着した通常弾は下図のとおりです。
この迫撃砲、海防艦などに装備され対潜用に使用されましたが、短期間で終わっています。
これは、艦載砲の対潜射撃では弾道が平低であり、特に近距離では跳弾となってしまい、有効な射撃ができなかったことから、急遽間に合わせ的に曲射弾道を有する迫撃砲に目が行ったからで、元々がこの砲が本命であったわけではありません。
そしてたった8糎の迫撃砲弾では始めから威力不足であったこともあり、「対潜弾甲」の開発によって従来砲でもある程度の対潜射撃に目途が付いたことにより結局お払い箱になりました。
で、この迫撃砲用の音響弾? 発音弾?
私は全く聞いたことがありませんし、そもそもそんなものを威嚇用としてわざわざ開発する必要性が認められません。 時限信管付きの通常弾をそのまま使用すればよいことですから。
もしあったとすると、是非どんなものか知りたいところです。
それはともかく、「二式迫撃砲」? 何でしょうかこれは。
2009年03月19日
発砲と弾着の衝撃は同じ?
おいおい、何を言い出すかと思ったら、
「ある意味簡単なこと」
「あとは数学の問題」
なので、飛翔中の弾速の低下があるにせよ、砲弾の持つ運動エネルギーが発砲時と弾着時とでほぼ同じだから、発砲と弾着の衝撃は同じになるだって?
したがって、16インチ砲艦艦長は自己の16インチ砲発砲時の衝撃経験から、16インチ砲弾と18インチ砲弾の弾着時の衝撃の違いが “体感” できるだって?
真面目に言ってるのかねぇ、この人は。
もし真面目だとしたら、大砲というものについて多少の知識も無いどころか、全く判らないということをさらけ出しているわけで・・・・
例え専門知識がなくとも、“ちょっと” 想像力を働かせて、少なくとも次のどれか一つでも思いつけば、常識的に判りそうなものですがねぇ。
◎ 砲弾には炸薬は入っていないのでしょうか?
◎ 砲弾弾着時の状況・状態はいつも全て同じでしょうか?
◎ 発砲時に砲弾は瞬間的に初速まで加速されるのでしょうか?
◎ 発射薬の燃焼エネルギーはどの様に消費されるのでしょうか?
◎ 駐退推進装置はどういう作用をするのでしょうか?
ちょっと辛口の論評でした。
2009年04月30日
口径の話し(1) 「糎」と「拇」と「珊」
旧海軍では、砲の口径を示す単位としてセンチメートル (centimetere) を表す漢字に「 糎 」「 拇」「 珊 」の3つを使用していました。 これについて少し。
明治始めの創設期から、旧海軍では艦載砲の呼称には輸入元の元々の名称により、そのままセンチ、インチ (inch)、ポン ド(pound) 及びミリ (millimetere) の4つを制式に使用していました。
そして、当初これらには漢字でそれぞれ「 拇 」「 尹 」「 斤 」及び「 密米 」(又は「密里米」)を当てはめていました。
例えば、四十五口径十二尹安砲、四十五口径毘式十五拇速射砲、四十口径一号十二斤速射砲、四十七密米保式軽速射砲、等々のようにです。
しかしながら砲の種類が増えてくるに従って、キチンと統一した表記とする必要が出てきましたので、明治41年12月に内令兵5号をもって砲熕名称の改正が行われました。
これによって、大・中口径砲はインチで、そして小口径砲はポンドで表記されることになり、併せてそれぞれの漢字は「 吋 」及び「 听 」を使用することとなりました。
例えば、前出の4つはそれぞれ、四十五口径安式十二吋砲、四十五口径毘式六吋砲、四十口径一号三吋砲、保式二听半砲に変わりました。
( 因みに、日本では明治24年の度量衡法公布により 「尺、貫」 が公式に使用されるようになりましたが、ヤード・ポンド法も認める法改正がなされたのが明治42年ですから、旧海軍はその前に艦載砲の呼称改正を行ったことになります。)
次いで、大正6年10月の内令兵16号により 「砲熕呼称付与法」 が改正されたのに伴い、同日付の内令17号をもってそれまでの「 吋 」「 听 」表記による艦載砲の名称も、今度は一斉にセンチ表示だけに統一されることになりました。
この時にセンチの表記には以前の「拇」ではなくて、新しく「 糎 」が使用され、以後終戦までこれが使用されることになりました。
前出の4種の砲は今度はそれぞれ、四十五口径安式三十糎砲、四十五口径毘式十五糎砲、四十口径一号八糎砲、保式短五糎砲、となったわけです。
このため、現在では、まあ明治期だけの艦載砲のことを書く人はほとんどおられないでしょうから、一般的には「 糎 」ということになっています。
ただし、ご存じのとおり旧海軍の読み方は「センチ」ではなくて「サンチ」です。
( 因みに、日本では度量衡がメートル法に正式に切り替わったのが大正10年ですから、旧海軍ではそれよりも4年も早く統一に踏み切ったことになります。)
そして最後に残ったセンチを表す「 珊 」ですが、旧海軍の公式文書の中でも実際に砲の名称としてこの漢字が出てくるものもありますが、艦載砲の制式名称として使われたことはありません。
2009年06月26日
口径の話し(2) 「ポンド」から「インチ」「センチ」「ミリ」へ
しかしながら、旋条(ライフル)砲が普及して砲弾の形状がこれに適した長軸弾となるにつれて、この弾丸重量をもってする方法は実状に合わなくなってきました。
ここに来て従来のポンド表記でその名称を示してきた旋条砲は、口径、即ち旋条の山から山への砲内内径で表すものへと改めるのが一般的となりました。
前回の(1)でお話ししましたように、旧海軍では明治始めの創設期から艦載砲の呼称には輸入元の元々の名称により、そのままセンチ、インチ (inch)、ポン ド(pound) 及びミリ (millimetere) の4つを制式に使用していました。
そして明治41年には名称統一のために、3インチ砲以上の大・中口径砲はインチで表記することとなり、この時にポンド表記であったものは次のように改正されました。
五十口径露式十二听速射砲 → 五十口径露式三吋砲
四十口径安式十二听速射砲 → 四十口径安式三吋砲
四十口径一号式十二听速射砲 → 四十口径一号三吋砲
四十口径四十一年式十二听速射砲 → 四十口径四一式三吋砲
一号式短十二听速射砲 → 一号短三吋砲
ところが何故かこの時、旧海軍は3インチ未満の砲についてはそれまでのミリ表示から、この旧式なポンド表記にしてしまいました。 残念ながらこの改正理由についてはハッキリしません。
この時の小口径砲の名称改正は、次のとおりです。
五十七密米保式速射砲 → 保式六听砲
五十七密米山内速射砲 → 山内六听砲
四十七密米保式重速射砲 → 保式三听砲
四十七密米山内重速射砲 → 山内三听砲
四十七密米露式重速射砲 → 露式三听砲
四十七密米保式軽速射砲 → 保式二听半砲
四十七密米山内軽速射砲 → 山内二听半砲
三十七密米保式速射砲 → 保式一听砲
しかしながら、大正6年になって艦載砲の口径表記が全てインチからセンチに改正されたのに伴い、この小口径砲のポンド表記も、センチ表記に改められることになりました。
この時の小口径砲の名称改正は、次のとおりです。
山内六听砲 → 山内六糎砲
保式六听砲 → 保式六糎砲
一号六听砲 → 一号六糎砲
山内三听砲 → 山内五糎砲
保式三听砲 → 保式五糎砲
露式三听砲 → 露式五糎砲
三听内筒砲 → 五糎内筒砲
山内二听半砲 → 山内短五糎砲
保式二听半砲 → 保式短五糎砲
二听半内筒砲 → 短五糎内筒砲
三听大仰角砲 → 五糎高角砲
二听半大仰角砲 → 短五糎高角砲
ここに来て、旧海軍の砲熕武器の名称からポンド表記のものは全てなくなりました。
因みに、19世紀末から20世紀初めにかけての小口径速射砲の世界的なメーカーであったホッチキス社のカタログによりますと、既に1884年の段階でポンドとミリとが併記されています。 保社における表記は次のとおりです。
1ポンド砲 → 37ミリ砲
2.5ポンド砲 → 47ミリ砲(短)
3ポンド砲 → 47ミリ砲(長)
6ポンド砲 → 57ミリ砲
9ポンド砲 → 65ミリ砲
33ポンド砲 → 10センチ砲
(注):「内筒砲」の「筒」の字は、本来は「月」偏に「唐」と書きますが、一般的なフォントにはありませんのでこの字をもって換えております。
2009年07月23日
速すぎて徹甲弾が壊れる?
と、ある常連の回答者が、
“計算は確認してませんが、速すぎると弾丸が壊れて「貫通」できなくなりますよ。”
?????
ある厚さの装甲板に対して、徹甲弾はある撃速までなら貫通するけど、それ以上に速いと徹甲弾の方が壊れてしまう?
ということは、何ですか、戦艦の主砲は近距離砲戦では役に立たないということですか? 巡洋艦クラスでも懐に飛び込めば大丈夫だということですか?
しかも 「計算は確認してませんが」 って、撃速500m/秒前後のケースの話しで一体何を計算してどんな確認をするつもりなのでしょう?
これが、質問者に対して 「予めネット検索するなり一般刊行物を読むなり十分に調べた後で書き込め!」 という返答が “頻繁” に付くことで有名な QandA サイトなんでよすねぇ (^_^)
2009年07月26日
速すぎて徹甲弾が壊れる?(2)
徹甲弾がある厚さの鋼板 (装甲板) に対して「貫通」するかしないかは、極く簡単には弾速(撃速)と鋼板の厚さの関係として採り上げられます。
( もちろん、撃角などの問題もありますが、取り敢えずそれらは置いておくことにします。)
鋼板を貫通した場合、一般的には徹甲弾は基本的にほぼ元の形状で残ります。
例えば、次のように。 この写真は、ある厚さの鋼板に対してこれを貫通するに要する最小の撃速、即ち 「均衝撃速」 の場合を示す典型的な例です。
(左は表側から見たもの 右は同じものを裏側から見たもの)
また “貫通できなかった” 場合には、徹甲弾は鋼板によって跳ね返される (rebound) か、破砕する (shatter) かのどちらかとなります。
当然ながら前者は撃速がある範囲より遅く、後者は速い場合です。
ところが、通常の徹甲弾は完全な “球形” や “円柱” などではありませんし、構造も材質も “均質” ではありません。 これが問題を複雑にします。
確かに単に撃速を増して運動エネルギーを増加しても貫通できない鋼板の厚さというものが発生してきますし、しかも単純な撃速と鋼板の厚さの関係では無くなるからです。
実際には、撃速1300m/秒以下の場合、次のような現象になるとされています。
( 元画像 : AMC Pamphlet 706-245, 1964 より )
( 因みに、旋条を有する一般的な砲熕武器、つまり旋条砲の場合、初速でさえ900m/秒を超えるものはほとんどありません。)
即ち、徹甲弾が破砕しても鋼板を貫通する場合もあれば、赤枠で示したように鋼板の厚さが薄くても破砕して貫通しない場合も生じてきます。
また、撃速を速くして運動エネルギーを増加させるだけでは貫通できない鋼板の厚さも生じてきます。
もちろんこの図はある特定の徹甲弾と鋼板についての一例を示したもので、それ以外のケースでは当然個々それぞれで異なってくることは言うまでもありませんし、かつこの図でも具体的な数値が示されているわけでもありません。
したがって、この話題の切っ掛けとなった
“ 速すぎると弾丸が壊れて「貫通」できなくなりますよ ”
だけの説明では余りにも単純で、かつ実態を意味しておらず、むしろ旋条砲が用いる徹甲弾に対する一般論的な表現としては “誤り” といえます。
つまり、もし上図の赤枠の部分を言うとするならば、
“ ある特定の撃速範囲においては、それより低い撃速で貫通できた鋼板の厚さを貫通できず、徹甲弾が破砕してしまう場合も生じる可能性がある ”
とするのが適切でしょう。
また、もし単純に弾速による運動エネルギーの増加だけでは貫通できない鋼板の厚さが生じることを言いたいのであれば、それは当初の某巨大サイトでの質問にあったような撃速範囲と鋼板の厚さではないことを明記する必要があるでしょう。
2009年08月03日
着色弾について
「 着色剤入りの砲弾の風帽部には、海面落下時に作動する小型の信管が取り付けられています。 着水時にその信管が風防内に少量収められた炸薬を破裂させることにより、風帽内に袋入りで収められた着色剤を散布します。」
?????
一体どこの国の海軍の話?
日本? なら違いますね。 一式徹甲弾は風帽内に着色剤を封入しましたが、小型信管など付いていません。
そんなものを炸薬と共に風帽に取り付けたとしたら危なくて仕方ない。 それに風帽は着水時に離脱するようになっていますので、そんなものは必要ありません。
そもそも、もし着水時に風帽が外れないようなら、水中弾道を期待する一式弾 (九一式弾) の意味がありませんので (^_^;
付いていたと主張されるなら、一体どんな信管で、どんな風に取り付けられていたんでしょうねぇ。
もしそんなものがあったのなら、その為の小型信管の開発や、それを装着した弾の発射実験などが行われていたはずです。 旧海軍の史料では見たことも聞いたこともありませんが。
実際、呉工廠砲熕実験部部長であった磯恵少将が残された史料でも、一式弾への改良に当たり、風帽に着色剤を詰めたことと、風帽の弾体への取付方法の改善について記述されていますが、着色剤散布のための小型信管取付などについては一言もありません。 当然でしょう。
米国? 日本と同じで、そんなものは付いていません。 私も5インチ砲で着色弾を撃ったことがありますが、付いていませんでしたね。 えっ、大口径砲の話し? では何インチ砲以上なら付いているのと言われるのでしょうか?
英国? ドイツ? ソ連? もしそんなものがあったなら、是非ご教示願いたいところです。
次 : 着色弾について (2)
2009年08月06日
着色弾について(2)
(注) : 旧URLは現在は新サイトへ移転しております。 お知らせいただきましたHN 「たまや」 さんにお礼申し上げます。 (平成25年10月13日追記)
確かに着色弾でその着色剤拡散用に弾頭信管を装着した “一つの例” ではあります。
当該サイトは、第1次大戦関係をネットで追って行くと必ずと言っていいくらい出てくる、ある意味で有名なところです。
しかしながら、当該サイトは砲弾について系統的に網羅されたものではなく、またそれぞれについて解説も付されていません。 したがって詳細は判りません。
その一方で、着色剤拡散用信管を装着したものは当該サイトでもこれ一つであり、かつ他国海軍と同じように信管が付いていない普通のものもUPされています。
そして当該着色弾を見る限り、これは先の記事で書いたような “着水時” の為とは言い難いものがあります。
その理由は、風帽は着水時の衝撃で離脱 (又は飛散) するようになっているのが普通であり、この中に着色剤を封入した場合でも、着水時には水中を着色させることが可能です。 わざわざその為の信管を装着する必要はありません。
いや風帽が強固なものである場合には必要でしょう、ですか? では逆にそもそも何故風帽にそんな強度が必要なのでしょうか? そして、信管と炸薬という “危ない” ものを弾体内ならいざ知らず、風帽などに取り付けること自体が余程の理由が無い限り尋常ではありません。
したがって当該着色弾の弾頭信管は、“着水時” ではなく “弾着時” に着色剤を拡散させるためのものと判断されます。
徹甲弾又は半徹甲弾では “遅延信管” を使用するのが普通ですから、“先に” 着発信管により弾着時に目標表面で着色剤を拡散させるため。 そう考えるのが妥当でしょう。
では、このような着色弾が目標に命中した時に、その着色剤拡散による着色煙は見えるのでしょうか? 私には判りません。 そのようなものは見たことが無いので (^_^;
これを要するに、当然ながら、この一例を以て着色弾の作動の “一般論” として説明することは、明らかに無理であることはお判りいただけると思います。
( hito さん、ご紹介ありがとうございました。)
前 : 着色弾について
2009年08月18日
艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について (1)
艦砲射撃、砲術の世界でも同じです。
私達のように船や砲術に携わってきた者は、あまりにもその世界に長くいますと、一々説明するまでもなく当たり前のこと、と思っていることでも、世間一般の人には全く通じないと言うことが色々出てきます。
これからお話しする砲の 「照準」 ということも、どうやらその一つのようです。
つまり、拳銃・小銃に限らず、弓矢でも、石投げでも、あるいは野球においてさえ、物をある一点に当てる (投げる) ためには 「狙い」、すなわち 「照準」 が必要なことは、これはごく一般の人でもよく理解しておられるところでしょう。
では大砲の場合はどうなのか?
どうも艦砲射撃というものを、陸上での野砲などの射撃と混同している人がいるのではないか? と思うことが度々あります。
つまり、陸上戦闘における野戦砲兵や重砲兵などの射撃では、早い話、砲を水準器を使って水平に据え付け、地図上で砲の位置から目標の位置までの方位と距離 (それと高度差) を割り出して射撃計算をし、その結果を砲の旋回、俯仰として設定して、撃つ。
細かなことを除いて、ごく簡単に言ってしまえばそういうことになります。
艦砲射撃もそれと同じ感覚だと思っている人がいるのでは?
ところが、艦砲射撃では、自分の艦も目標 (相手艦) も動いています。 艦の動揺もあれば上下動もありますし、保針上の振れ回りもあります。
これが何を意味するかというと、砲は発砲時に必ず目標 (相手艦) を自分で 「狙う」、つまり 「照準」 している必要があるということです。
“大正期以降 になって” 方位盤を装備するようになってからは (当然のことながら、明治期にはありません )、各砲での砲側照準に代わってそれぞれの方位盤が照準する (=方位盤照準) ようになりましたが、それでもこれは、早い話が各砲側の照準器を方位盤に移したということに過ぎず、砲の射撃に 「照準」 が必要であるということには何ら変わりはありません。
これは大口径砲であろうと中小口径砲であろうと、また、砲塔砲であろうと砲廓砲、露天砲であろうと同じで、その全てで 「照準」 が必須ということです。
すなわち、小銃や拳銃で射撃するのと同じことなのです。
したがって、この 「照準」 ということは、艦砲射撃の基本中の基本であり、照準が正しくなければ当たるも何もありません。
どうもこの当たり前のことが判っておられない方がおられるようです。 いや、現実におられるわけですが (^_^;
2009年08月19日
艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について (2)
本家サイトの方は次の機会にでも追加修正することとして、取りあえず話を続けるために、ここでまず旧海軍史料に基づき用語の定義をしましょう。
「照準線」 : 照準線とは、望遠鏡照準器に在りては鏡軸の通視線、其の他の照準器に在りては照門と照星との通視線を言う。
「目標」 : 目標とは射撃すべき物体を言い、仮標とは直接に目標を照準し能わざる時仮に照準すべき物体を言う。
「照準点」 : 照準点は目標 (仮標) 中照準線を指向すべき点を言う。
「照準」 : 照準とは照準線を目標 (仮標) の照準点に指向するを言う。
したがって、「照準発射」 と言えば、上記の “照準” をして砲を発射することを意味します。
それでは、この 「照準」 は誰が行うのでしょうか?
これは砲側照準においても方位盤照準においても、旋回手の協力動作の下で、射手 (=俯仰手) が行います。 もちろん、旋回手が配置されない (=必要がない) 小口径砲においては射手が一人で実施します。
次に、ではこの照準の 「精度」 はどれくらいが要求されるのでしょうか?
これは使用する砲種と、射撃する距離、目標の大きさを考えていただくと、概略のところはお判りいただけるでしょう。
例えば、初速700mの12インチ (30センチ) 砲で、射距離6千mとします。 この時、目標の乾舷の高さ7m、幅25mの目標 (日露戦争当時の戦艦の船体中央断面よりやや大きい程度) の場合の命中界は63m+25m、即ち88mとなります。
この射距離差88mは、砲の仰角に換算すると約9分、0.15度になります。 即ち、この目標艦の舷側上甲板ラインを照準して発砲する時には、発砲時にその照準が0.075度以上上下の何れかにずれると全く当たらないことを意味します。
また、長さ120mの目標が真横に向いているとするならば、この目標は20ミリイ、即ち約1.2度の幅に見えます。 これも艦の中心を照準しても、発砲時に左右10ミリイ (=0.6度) 以上ずれると当たらないことを意味します。
( 当然ながら、射弾の散布や測距誤差、指揮誤差などの問題が加わって、問題はもっと複雑ですが、ここでは話しを簡単にするために、これらのことは取り敢えず除外します。)
( また、この簡単な例示でも、何故旋回手でなくて俯仰手が射手となるのかがお判りいただけると思います。 そしてもう一つの理由が、照準線に対する目標の相対的な動きは、横方向よりも縦方向の方がダイナミックだからです。)
これはここでのご説明のために例示した、この条件での極めて大雑把な最大許容範囲に過ぎませんが、射手はどんなに大きくともこれ以内の誤差に納めて引金を引かなければならない、というところがお判りいただけると思います。
しかも、これを動揺や相互の艦の運動などにより、照準線に対して目標が上下左右に複雑に振れ回る中で、加えて風が吹く中、波・しぶきをかぶり、砲煙を浴びながら、です。 それも弾の飛び交う砲戦の間ずっ〜と。
( 明治37年12月制定の 『連合艦隊艦砲射撃教範』 より )
その上、砲の旋回、俯仰というのは、水平面に対してそれぞれ水平、垂直に動かす (動かせる) ものではありません。
揺れる艦の甲板面に対して旋回、俯仰するわけですから、正しい 「照準」 を維持するためには、旋回(手)、俯仰(手)の両方によって緻密な連繋操作をしなければなりません。
また、方位盤などまだ無かった時代の (そしてその後の時代でも砲側照準のときの) “照準する” とは、照準器だけを動かせば良いということではなく、“大砲 (砲塔) そのものを操作して” 行うものであることに注意してください。
2009年08月20日
艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について(3)
お話ししてきましたこの艦砲射撃における基本中の基本である 「照準」 というものは、これの 良否 が “ 教育・訓練と経験による熟達であり、 射手個人の才能・技能であり、 精神力の賜 ” でないとすると、一体何なんでしょう?
したがって、「天気晴朗なれども波高し」 の日本海海戦における艦砲射撃の基本が何にあったかはお判りいただけると思います。
・・・・ところが
艦砲の命中率とは、砲手が訓練をたくさんして、目を澄まして、心を沈着にし、狙いをつけても向上するものではない。 つまり、小銃の射撃訓練のようなことをして、練度をあげても弾はよく当たらない。 |
艦砲で敵艦に狙いをつけるというのは、旋回手(Trainer)と俯仰手(Layman)の機械操作でしかなく、いずれもポイントを目盛りのどこにあてるかだけが課題である。 |
近代砲術の世界では大中口径砲手の腕や目や神経は、命中率と関係がない。 いくら砲手を訓練したところで事故を防ぐことはできるが、命中率をあげることはできない。 6インチ砲や主砲を命中させることができるのは、砲術長、すなわち安保清種なのである。 |
大口径主砲の砲手は、目盛り操作と弾丸装填のみに集中しており、敵艦をみるチャンスはない。 またみえたとしても目標は砲術長が決定するのが原則である。 |
引き金を引く砲手は、単にブザーに合わせるだけだ。 |
安保は部下の砲手を機械の一部として活躍させたことについて、公言することを潔しとしなかった。 |
( 以上全て原文のまま )
などと、呆れるばかりの “嘘っぱち” を堂々と書き連ねた本を出版している人もいるのです。
しかもこのことが、この本における著者の “主張の骨幹” に関わることなのですから、もう全く何をか況や、です。
ましてや、「照準」 と 「目標指示」 との区別 “すら” ついていない、「照準」 と 「照尺距離及び苗頭の調定」 の違い “さえ” 判っていないとは・・・・いやはや、まさに失笑ものと言わざるを得ません。
いや、この本、実はこれは序の口で、全編失笑だらけなんですが (^_^;
2009年08月21日
艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について(4)
まず、日露戦争の最中の明治37年12月20日付けで、連合艦隊は 「連隊法令第86号」 をもって 『連合艦隊艦砲射撃教範』 を制定しました。
この教範は全部で112ヶ条からなるものですが、その内の 「第1章 照準発射」 の37ヶ条、そして 「第2章 内筒砲射撃」 の27ヶ条とで合計64ヶ条、それに他の章にある照準に関する条項を含めると、実に全体の6割がこの射手の 「照準」 に関するものであり、射撃指揮や射法などについては残りの4割に過ぎないのです。
内筒砲射撃についてはここではご説明しませんが、これの最大の目的が射手の照準の訓練にあることは、容易にお判りいただけると思います。
( 注 : 「とう」 の字は例によってパソコンの一般的なフォントにはありませんので、「筒」 で代用しました。)
即ち、如何に 射手の 「照準」 というものが “艦砲射撃の根幹” に関わるものであるか、と言うことです。
私の手元にあるのはキチンとタイプ印刷されたものですが、現在では当初の手書きのものが 「アジア歴史センター」 の次のURLで公開されていますので、まだご覧になっていない方はどうぞ。
そしてもう一つ。
日露戦争中、旧海軍は明治36年に全面改定された 『海軍艦砲操式』 の規定に従ってその装備する砲の操作を教育訓練し、実戦で使用しました。
そして日露戦争が終わった後、日露戦争での教訓などを採り入れた改正として、明治41年の 『海軍艦砲操式草案』 を試行した結果を踏まえ、大正元年に新しい 『海軍艦砲操式』 が制定されました。
その大正元年版の中 “でさえ”、例えば 「四十口径安式十二吋砲(連装)」 についての規定では、次のとおりとされています。
「 (旋)ハ銃把ヲ握リ左右 照準 ヲ行ウ 」
「 (射)ハ銃把ヲ握リ食指ヲ引金ニ鉤シ上下 照準 ヲ行ヒ ・・・・(後略)」
「 (右射) ((左射)) ハ右 (左) 砲ヲ発射シ次ニ (左射) ((右射)) ハ 「左(右)用意」 ト令ス ・・・・(中略)・・・・ (左射) ((右射)) ハ左 (右) 砲ヲ発射ス 」
( 注 : (旋) とは旋回手、(右射) (左射) はそれぞれ右砲射手、左砲射手、(射) は左右両砲の射手を意味する略語です。)
さて、一体どこに “射手の操作は単に機械の目盛に合わせるだけ” “ブザーに合わせて引き金を引くだけ” などとされているのでしょうか?
これは言い方を変えれば、艦砲射撃に日夜心血を注いだ全ての海軍軍人に対して、これほど侮辱し、無礼なことはないと言うことです。
「斉射法」 などと判ったようなことを独りよがりに振り回す以前に、たったこんな “初歩の初歩” さえキチンと調べもせず、また理解もできずに、ウソを書き連ねて他人を批判するだけのような本を出版するなどは、如何にジャーナリストとはいえ、決してやるべきでことではないでしょう。
もちろんこの本、その方面では割と知られていますので、著者と書名は皆さんご存じですよね?
( なお、上記の大正元年版 『海軍艦砲操式』 では、いわゆる 「交互打方」 が砲塔砲における発射法の規定であることにご注目下さい。 これもこのトンデモ本の内容に関係することなのですが、これについてはそのうち項を改めてお話しします。)
2009年08月28日
艦砲射撃の基礎 − 「照準」 と射撃計算
艦載砲が目標を射撃する為に必要なデータを 「射撃諸元」 と言います。 この射撃諸元は 「方向、目標、左右苗頭、上下苗頭、照尺距離、信管秒時、仮標、及び仮標角」 からなります。
( これらの各用語の意味については、本家HPの 『砲術講堂』 内 『射撃関係用語集』 にありますのでご参照下さい。)
この内、通常の水上射撃で必要なデータは「方向、目標、左右苗頭、照尺距離」です。
方位盤など無かった時代、「方向」 と 「目標」 は砲の射手が照準器によって目標の照準点を照準する 「照準線」 (Line of Sight、LOS) によって直接実現されますので、砲そのものに調定 (設定) するデータは 「左右苗頭」 と 「照尺距離」 の2つということになります。
この2つは射撃計算の結果として、砲に与えられるデータです。 ( では、誰がこの計算をするのかという問題は、また後にして別テーマとします。)
( なお、射撃計算の理論と方法については、本家HPの 『砲術講堂』 内の 『射撃理論解説 初級編』 をご覧下さい。)
それでは、この 「左右苗頭」 と 「照尺距離」 は何 (どこ) を基準にして調定するのかといいますと、お判りのとおり “照準線に対して” です。
即ち、「照準線」 に対して、「砲 (筒) 軸線」 (Bore Axis、≒ Line of Fire (LOF) ) を左右、上下にどれだけずらすのか、言い換えればどれだけの角度を持たせるのか、と言うことになります。
( 注 : 「筒」 は例によって替え字です。)
実は、これを実現するのが 「照準器」 なんです。
( 四十口径安式六吋砲に装備された照準器の例 )
( 照準望遠鏡無しの照準器の詳細 四十五口径安式四吋七砲の例
上図の6インチ砲の照準器もほぼ同じ構造 )
砲側照準器は、照尺距離 0 メートルならば、照準線が砲軸線と完全な並行になるように取り付けられています。
そして、照尺距離と左右苗頭の値をこの照準器の目盛に調定すると、照準器が動くことにより照準線 (上の図の場合では照門の位置) が上下、左右にずれて砲軸線と所定の角度を持つようになります。
( 照尺距離の調定の場合の例 )
ところが、“照準をする” とは射手が “砲そのもの” を動かして実施しますから、砲を動かして照準器の照準線を目標の照準点にピタリと合わせると、その結果として逆に砲の砲軸線が所要の方向を向くことになります。
このことはお判りいただけますでしょうか?
したがって、「照準」 ということと、砲に (即ち照準器に) 射撃計算結果である 「照尺距離」 と 「左右苗頭」 を調定すると言うことは、“全く別の行為” であり、かつ照準が正しくなければ、いくら正確な射撃計算をして射撃諸元を砲に調定したところで、弾が当たるわけがありません。
そして何度も繰り返しますが、この 「照準」 とは 「射手」 という “人” が、目で見ながら照準線を目標の照準点に合わせるように、砲そのものを動かすことであって、照尺距離や左右苗頭を照準器に調定するような機械的な目盛操作ではありません。
たったこんな事さえ判っていない、理解できていないのが例の “トンデモ本” を書いた著者ですね。
ですから、
元来、艦砲の狙いとは左右(Bearing)と高低(Elevation)でしかない。そして、これは機械の目盛りで決定される。 |
などという “嘘” が堂々と書ける。
( そもそも 「Bearing」 ってなんですか。 「Train」 ですね。 笑ってしまいます (^_^) )
2009年08月30日
艦砲射撃の基礎 − 「照準」 と射撃計算 (続)
それは一番最初の 「艦砲射撃の基本中の基本」 でお話しした、艦砲射撃というものの本質がどういうものなのか全く判っていないからです。
いったいこの射手による 「照準」 なしにどうやったら射撃そのものができるんでしょう?
これについては “トンデモ本” の中には全く書かれておりません。 それはそうでしょう判らずに好き勝手を書いているんですから。
したがって、この 「照準」 が判らないから、次のようにも書いているんです。
日露戦争のころ、砲術における三種の神器とされたのは、照準望遠鏡、測距儀、トランスミッターの三つで、このうち照準望遠鏡はあまり重要ではない。 (p74) (p77) |
照準望遠鏡 (Telescopic Sight) とは、狙撃手が小銃の上につけるスコープと同様のもので、単眼望遠鏡であるにすぎない。 つまり砲手の目で照準をつける水雷艇対策の12ポンド砲 (ロシアでは75ミリ砲) で有効な武器である。 (p74) (p77) |
あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎてコメントを付ける気にもなりません。 この 「照準」 という問題については既にくどいまでにご説明してきましたので、もう改めて申し上げる必要もないでしょう。
正確な 「照準」 のためには、優れた照準望遠鏡、すなわち優れた照準器が必要なのです。
( 四十口径安式六吋砲用照準望遠鏡付き照準器 )
「照準」 が判らない、だから照準望遠鏡についても判らない。 したがって “単眼望遠鏡であるにすぎない” というこんな文章にならざるを得ないのです。
したがって、この著者には何故 「大和」 「武蔵」 に装備された 「九八式方位盤」 の様な “超高級” な照準装置が出来たのか、などは理解不能でしょう。
そして、更に大きな問題点は、この 「照準」 ということが判らないので、必然的に艦砲射撃全体の記述が勝手な推測・想像による “トンデモ本” になってしまっています。
例えば、「照準」 すら判っていないので、同じく目標をキチンと “測る” という 「測的」 についても全く出てきません。
いや出てこないのは当たり前で、この著者は 「測的」 というものを全く知らない、理解できていないからです。
判らないからこそ、「苗頭」 の所でとんでもない説明をしているわけで (^_^; (この 「苗頭」 については、また後ほど別の項で。)
いったい、「測的」、つまり目標の 「方位の測定」 と測距儀による測距がなくて、どうやって目標の的針的速が得られるのでしょうか? これがなければ正確な射撃計算などは不可能です。
艦艇の速力も遅く、運動見越などがある程度ラフであっても、その誤差が目標の大きさの中に収まってしまうような近距離射撃の場合ならともかく、それ以上の射距離になる場合には、この測的結果に基づいて正確な射撃計算をし、それを各砲に調定する必要が出てきます。
もしその測的とそれに基づく射撃計算が “1ヶ所” でできないとするなら、即ち各砲台毎に実施していたのでは、今日でいう 「斉射」 はできないと言うことになります。
それはそうでしょう。 そうでなければ、後の (=日露戦争以後の) 近代射法上の要求を満たすほどの、一斉射ごとのまともな 「散布界」 など得られるはずはありませんから。
斉射法を実行するに当たって、日露戦争時代の5000メートルから1万2000メートルの砲戦でインプットすべき要素は、敵艦速度・方向、原始位置(距離)、自艦速度・方向に限られる。 (p72) (p75) |
などと判ったようなことを書いていますが、ではその敵艦速度・方向は “何処で” “どうやって” 得られたのでしょうか? 目標 (敵艦) の常続的な方位測定はどうしたのでしょう?
これこそが 「測的」 であって、そのために後になって 「方位測定」 と 「測距」 のデータに基づく的針・的速の解析し、対勢を判断する 「測的盤」 が発明されたのです。
そして更なる精度向上のために、測的盤の改良と共に、長基線の測距儀が作られて測距精度を上げ、方位盤による正確な照準を利用して方位測定精度を上げる方策が採られるなど、徐々に正確な測的が可能になってきたわけです。
この肝心な、そして近代砲術発展上、いずこの海軍でも苦労したこの 「照準」 「測的」 という艦砲射撃においては基礎的な大問題を全く判っておらず、それ故にこの “トンデモ本” の中では “如何にしたら射撃のための正確なデータが得られるか” という肝心要のことは完全無視となっています。
「照準」 さえまともにできない、射撃計算のための正確なデータが得られない ・・・・ で、一体どうやって射撃をするつもりなのか?
そんなことは、斉射だの射法だのという以前の艦砲射撃の根本問題です。
まさか、当時既に自動追尾の射撃用レーダーを備えた射撃指揮装置があったとでもいうのでしょうか?
それとも安保砲術長が自分で自らやっていたなどと言いたいのでしょうか。 あの 「三笠」 の露天艦橋で? (^_^;
これらの問題を抜きにしては、「打ち方」 や 「射法」 などといったものは決して語ることができないのですが、それを 「斉射法」 や 「優れた砲術というソフト技術」 などという訳の判らない言葉を勝手に振り回して “読者を煙に巻いている” のがあの “トンデモ本” です。
この 「測的」 という問題についても、この後順次お話をしていきたいと思っています。
2009年09月02日
艦砲射撃の基礎 − 「苗頭」 について
多くの方はご存じでしょうが、この “トンデモ本” とは 別宮暖朗著 『 「坂の上の雲」 では分からない 日本海海戦 』 (並木書房 2005年) です。
今後は、この書籍のことを単に 『別宮暖朗本』 と称することにします。
そこで、今回は 「苗頭」 についてですが、 『別宮暖朗本』 の “トンデモ文” を引用しながらお話することにします。
( なお、当該本からの引用については、お持ちの方 (間違って買ってしまった方) がおられるかもしれませんので、参照に便利なように頁数を付しておきます。)
砲術将校は、この左右決定または目盛り盤決定のさいの数値を苗頭 (びょうとう) (Deflection) と呼んだ。 (p63) |
「左右決定」 とは “何に対して” の左右なのか示されておらず意味不明なのですが・・・・ それはともかく、わざわざ 「びょうとう」 と振り仮名をふってありますが、誤りです。 「びょうどう」 です。
当初 (江戸時代末期) は旋条 (ライフリング) された艦砲から発射された弾丸が飛行中に横にずれる現象を指した。 (p64) |
苗頭とは “風によって” 飛行中の弾丸が横にずれることを意味したのが語源です。 そしてこれは艦砲での話しではなく、陸上での、しかも滑筒砲 (Smooth Bore Gun) の時代のことです。
( 「筒」 は例によって替え字です。 以下全て同じ。)
旋条による弾の旋転によるこの現象の “結果” は 「定偏」 (Drift) と言います。 こんな言葉さえ知らないのかとガックリくるのですが・・・・
「定偏」 については本家HPの 『砲術講堂』 内の 『射撃理論解説 超入門編』 又は 『同 初級編』 をご参照下さい。
そして、艦砲射撃において 「定偏」 のことを 「苗頭」 といったことはありません。
「苗頭」 とは、照準線に対して採られる砲 (筒) 軸線の修正量のことです。 ですから、「定偏」 の “修正量” のことを 「定偏苗頭」 とも言うことがありますが。
本家HPの 「艦砲射撃用語集」 にキチンと掲示してありますが、もう一度念のために書きますと
旧海軍の定義 :
「 左右苗頭とは射弾を目標に導く為、照準線に対し筒軸線を修正すべき左右方向の角度を言い、水平面上若しくは鏡座面上に投影せるものを千分の一 (1/1000) 単位にて呼称す。 水上射撃にありては単に苗頭と言うを例とす。」
( 注 : “例とす” というのは 「そうしなさい」 という意味の官公庁用語です。)
海上自衛隊の定義 :
「 左右苗頭とは射弾を目標に導くため、照準線に対して筒軸線のとらるべき左右の角度を言い、密位で表す。」
ということで、苗頭は照準線を基準とする左右方向の修正量の “総量” のことです。 したがって、これには定偏、運動見越、風など弾道に関する全ての修正要素が関係してきます。
( 注 : 明治30年代の初め頃、一時的に 「定偏」 に替わり 「固有偏差」 という用語を使ったことがあります。 また 「定偏差」 と言う用語も出てくることがありますが、何れも極く一時的なものでした。)
また、旋条砲は 「Rifled Bore Gun」 といい、「旋条」 を 「rifling」 と言いますが、「旋条」 という用語は 普通名詞 であって、“旋条された” などと動詞で使われることはありません。 「旋条が施された」 又は 「旋条を有する」 です。
帝国海軍であれば、旋条は右回転を与えるようにつけられているから、弾丸飛行中、やや右にずれることになる。だがこれは1000メートル以内の据え切り砲戦で 問題になる にすぎず、語源はすぐ忘れられた。 (p64) |
もう何というか、小学生でも判る “嘘” ですが・・・・ 定偏の原因が旋条による弾の旋転ならば、その値 (量) は飛行秒時、即ち射距離が長くなれば長くなるほど大きくなるのは自明のことです。
したがって、もし 「定偏」 について書くとしても、せいぜい 「1000メートル以内の据え切り砲戦ならば “問題にならない” 」 でしかあり得ません。
2009年09月03日
米重巡 「Des Moines」 級主砲の対空射撃
が、長くなりますので項を改めてこちらで。
米重巡洋艦の8インチ砲で対空射撃をやろうとする場合の最も基本的な問題点は、ご存じのとおり、方位盤では測的・射撃計算はできない、という当たり前のことと、その測的・射撃計算をする従来の Mk 8 Rangekeeper では対空射撃はできないということです。
Mk 8 は元々が完全に平射 (水上射撃、対地射撃) 用に特化して設計されていますから、これを改造して対空射撃のための測的・弾道計算の機能を付加するようなことは不可能です。 ( 何故できないかという機構的な話しは、大変に長くなりますので省かせていただきます。)
そこで、既存の戦艦、巡洋艦では、副砲用の射撃指揮装置である Mk 37 Director と Mk 1A Computer とによる射撃諸元を主砲に送れるように改造し、これで主砲の対空射撃を実施するようにしました。
ところが、Mk 1A Computer は副砲たる5インチ砲の射撃 (弾道) 計算をするように機構が作られていますので、当然大きな計算誤差が生じます。 ( もちろん複数の砲種の弾道計算が出来るようにはなっていません。) したがって、この誤差分は、手動入力による 「補修正」 という形で、急場凌ぎをしました。 まあ、発射速度が遅いのでこれでも良かったのかと。
実際はお判りのように、まともな対空射撃ができるわけはありませんで、日本海軍のやり方とそう優劣があるわけではありません。
そこで、当該新重巡では、1つは、発射速度を大きくした半自動8インチ砲を新たに開発しました。 毎分10発という素晴らしいものです。 ( その替わりに、砲塔重量が非常に重くなり、それに伴って排水量も大幅に増えましたが。)
そしてもう一つは、測的・射撃計算用の Mk 8 Rangekeeper に替わり、Mk 1A Computer を改造してこの8インチ砲の対空射撃の射撃 (弾道) 計算ができるようにしたものを装備しました。
これに加えて、Mk 34 Director を改良して、対空用に照準器を替えたり、信号系統関係を新しいシステムに適合するようにした (これだけだって大変なんです) 新しい Mk 54 Director を搭載ましたが、ご指摘のようにこの方位盤は射撃用レーダーや測距儀などを含めて基本的には従来のMk 34 や Mk 38 と同じ平射用のものそのままです。
もちろん、副次的に、前後に装備されている副砲用の#1、#4の Mk 37 Director をこの8インチ用の Mk 1A Computer に繋いで主砲の射撃管制をすることも可能です。
しかし、この副砲用の方位盤を使う場合には、実際の対空戦闘の際に副砲用が足りなくなりますし (40ミリや3インチ砲用の方位盤を使う方法もありますが、能力的に格段に落ちます)、何より主砲の射撃指揮・管制の実施方法などの問題が出てきます。
そして更には、Mk 1A Computer は両用 (対空兼対水上) の測的・射撃盤ではありますが、実際には対空主、対水上・対地従、というより後者はオマケのようなものですから、今度は逆に8インチ砲で本来の水上射撃や対地射撃を行うには能力不足です。 当然、重巡洋艦の主砲がこれらにまともに使えないのでは何のためか、となります。
( 対空射撃を主とする Mk 1A で何故完全な水上射撃が出来ないのか、という理論的、機構的なご説明も長くなりますので省きます。)
ということで、折角の高性能8インチ砲をどの様に使おうとも、結局は中途半端なものになってしまった、と言うのが結論です。
言い替えれば、戦艦や巡洋艦の主砲で “本格的な” 対空射撃をやろうとするなら、少なくとも、対空射撃と対水上・対地射撃の両方が完全に出来る、全く新しい方位盤と測的・射撃盤が必要になります。
これを要するに、従来型の巡洋艦であれ、新しい 「Des Moines」 級であれ、“主砲方位盤に対空方位盤の機能が付与” されたわけではありません し、その 「Des Moines」 級にしても、結果的にその 主砲による対空射撃の機能・能力は “応急的” なもの に過ぎず、とても本格的なものとは言えない、ということです。
したがって、私が指摘したコメントを某サイトで書かれた方は、ご自分からお名前を出されているとおり、この方面でも知られた物書きさん、悪い言い方をすれば現にこれで飯を食っておられる方ですから、あのようなコメントに対して、ここの “気ままな” ブログでは最初にお断りしたように “茶化して” 書かせていただいた次第です。 (もう一人のコメントの方は、もう何と言いますか・・・・)
Mk 8 Rangekeeper や Mk 1A Computer の機能などの詳細については、また何れご紹介する機会もあろうと思います。