2018年11月16日

旧海軍艦砲の通常弾の炸薬


こういうデータはネットでもなかなか無いものなんですね (^_^)

本家サイトの次のリストにある艦砲の 通常弾 の炸薬は、明治期から続く6、5、及び短5センチ砲を除き、全て 下瀬火薬 です。


なお、6、5、及び短5センチ砲は 黒色火薬 です。

posted by 桜と錨 at 21:29| Comment(3) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年10月07日

『砲術家としての加藤友三郎 ・ 続』


昨日は心配された台風25号も大分北に逸れましたので、風が少々強かったものの雨は全く降りませんでした。

これにより、6月に予定していた『加藤友三郎元帥研究会』での上記タイトルの講話はご承知の豪雨のために延び延びとなっておりましたが、今回幸いにしてやっと実施することができました。

tomosaburou_gunnery_No2_top_s.JPG

台風の影響を見定められたのか、参加者は当初予定より多少少なかったものの、それでも30名を超える方々に来場いただきました。

逆に、こういう日に興味を持ってわざわざ聴講に来ていただける方々の方が、話す側としては話し甲斐があるというものです (^_^)

そして直前になって業務のためにキャンセルされた呉市長も、この台風のために予定が中止となり、思いもかけず聴講いただけました。 前回に続いて私の話を両方ともお聞きいただけたことになります。 ありがたいことです。

前回は、持ち時間の都合で友三郎が明治13年に海軍兵学校を卒業してから明治24年に造兵監督官となり英国出張を命ぜられたところまででしたので、今回はその続きで英国における 「吉野」 の監督官業務と初代砲術長としての就役から日清戦争における黄海海戦での活躍までです。

主たる項目としては、

  1.造船監督官として英国出張の業務の詳細
  2.「吉野」 の艤装から就役、日本回航
  3.邦着から日清戦争開戦まで
  4.豊島沖海戦と黄海海戦
  5.その後の友三郎

なのですが、当初の6月が延びましたので、この期間を利用して何度か見直しを行いまして、これに

  1.黒色火薬と無煙火薬
  2.速射砲の誕生と発展

の概要を追加しました。

といいますのも、砲術、艦砲射撃というのは一般の方々には大変判りにくい話しでし、ましてや明治中期のことですので、当時の状況についてこれらを簡単かつ判りやすくしようと思ったからです。

ところが、修正を始めますとあれやこれやと出てきまして、しかもパワーポイントに纏めるのに思わぬ手間暇もかかりまして、結局何とかそれらしくするのに前日までかかってしまいました。

お陰で全体を通して見直す余裕が十分にありませんで、かえって中途半端になってしまったような ・・・・ (^_^;

それでもこれまでの出版物などでは出てこなかったお話しも沢山盛り込みましたので、明治初期 〜 中期の砲術の状況はご理解いただけたのではないかと思っております。

そしてこういう話しを初めてお聞きいただいた方々には “トリビア” 的な話題にもなるのではと。

例えば、戦後ものされた友三郎の伝記の一つとして知られている豊田穣氏著 『蒼氓の海』 に出てくる黄海海戦での砲戦の描写はちょっと違いますよ、とか (^_^;


今回及び前回の講話内容及びそれの元である私の2つの論文などをどのように希望される方々に配付あるいは公開していくかは、今後本会会長である大之木氏などとも相談しながら決めていきたいと思っています。


そして加藤友三郎についての私の次の研究テーマは

tomosaburou_gunnery_No2_last_s.JPG

を予定しておりますが、これはいつになるのか ・・・・ ?

ご存じのとおり、加藤友三郎については後半の軍政家・政治家としての面は学者や研究家の方々にもよく研究され、また発表されてきているところですが、前半の軍人・砲術家としての面はまだまだというよりほとんど研究されていないというのが現状です。

したがって、日清戦争まで、及び日露戦争期については私としてもやり甲斐のあるところと考えております。


最後になりますが、再度の研究発表の機会を作っていただきました 「加藤友三郎元帥研究会」 会長の大之木氏、そして会場の準備などにご尽力いただきました事務局の皆様に、この場ではありますが改めてお礼申し上げます。

posted by 桜と錨 at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年09月23日

「六十口径十五糎五砲」 の詳細データ


旧海軍の砲身型についての記事で出ました 「六十口径十五糎五砲」 について、本家サイトの今週の更新として、『砲術講堂』 コーナーの 『旧海軍の砲術』 で 『砲熕武器要目諸元』 中に当該砲とその弾火薬の詳細データを追加公開しました。

「砲熕武器要目諸元 大正中期 〜 昭和期」 :

「六十口径十五糎五砲」 :


Traj_15cm5_60cal_com_type0_s.JPG

60cal_15cm5_ammo_01_s.JPG

この砲の三連装砲塔は当初の軽巡 「最上」 型の主砲用に開発されたもので、20糎連装砲塔搭載の重巡へ改装時に撤去され、「大和」 型の副砲及び陸上砲として転用されたことはご存じのおとりですが、砲身型としては 「T型」 の1種類のみが製造されました。

まあここまでの詳細なデータを必要とされる方はあまりおられないとは思いますが、こういうものも記録として残しておくことも私のサイトの目的の一つと考えております。

まだページを作っていない他の砲についてのデータもあるのですが、なかなか時間が取れませんので ・・・・ (^_^;

posted by 桜と錨 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年09月18日

旧海軍の砲の砲身型について


旧海軍では、砲の呼称については大正2年になって内令兵第11号 『砲熕名称付与法』 により初めて統一されたものが規定されました。

そしてこれは大正6年に内令兵第16号 『砲名称付与法』 として多少の変更がなされましたが、大正15年に一旦廃止され、同年に官房機密をもって 『兵器名称付与標準』 として砲のみならず兵器全般の名称付与法の統一が図られました。

しかしながら、この付与標準では細かなところまでは規定されていないため、これのみでは不完全・不十分であることから、昭和14年になって内令兵52号 『砲の名称』 によってその名称付与法の細部が追加規定されたのです。

この内令兵によって砲の名称は 「一般呼称」 を基本とし、必要に応じてこれに更に 「補助又は区別語」 を付加することとされました。

例えば 「四十五口径四一式三十六糎砲」 というのが一般呼称で、口径長、尾栓式、口径の順で表します。

そしてこの一般呼称に、嚢砲・莢砲の別、構造、製造方法、内筒換装を区別表示する必要がある場合に、それぞれ必要な補助又は区別語を付加することになります。

例えば次のようにです。

IJN_Gun_Naming_S14_01_s.JPG

この砲身型は砲身の製造を発注する場合とか、発射成績を記録するような場合に、その砲の砲身を明らかにする必要が出てきます。

これは砲身型についてですが、その他に単装・連装などの区分によるものや、砲架の種類によるものなどの明示方法が細かく規定されています。

そしてこれらは各艦に備え付ける 「兵器簿」 には、「兵器」 の欄に一般呼称を、そして 「砲身及び砲架」 の欄に一般呼称と補助又は区別語によるものを記載することになっています。

ただし、この 「補助及び区別語」 というのはあくまでも砲身型などを明示をする “必要がある場合” のものということで、単に砲の名称と言えば一般呼称が正式なものとなります。

したがって、ネットの某所で出た

日本海軍の艦載砲は末尾にローマ数字で〜型とつけますが (後略)

というのは砲身型のことであって、砲の名称たる一般呼称のことではありません。

ですから、これは素直に

六十口径十五糎五砲の砲身型にはどのようなものがありますか?

というようにしたならばスッキリして、回答する側にもスンナリ理解できたでしょうね。


ちなみに、この六十口径十五糎五砲の砲身型は hush 氏の回答にもあったとおり 「T型」 一つのみですが (^_^)


なお付け加えるならば、この砲身型は砲弾の種類や使用する発射薬が変わって弾室・薬室の形状などが改良された場合や、砲身の製造方法の改善がなされたりして新しい砲身が製造された場合に新たな砲身型が付与されます。

つまり砲身型によって筒内弾道は多少 (射表に基づく修正程度) は異なってくる場合がありますが、砲としての基本的な性能は変わりません。

したがって、搭載艦が異なるからといって、何か特別の理由がない限り、それだけではそれに伴って “必然的に” 砲身型が変わるというものではないということです。

また、砲は砲身の命数が尽きると新しいものと交換されますが、その時に改良・改善がなされた新しい砲身型のものになる場合もありますし、在庫の予備砲身があればそれが使われることもあります。

ですから、連装砲塔で左右砲の砲身型が異なることも場合によっては当然出てくることになります。

これを要するに、砲身型というのは “砲種” と言う意味とは異なるということに注意が必要です。

posted by 桜と錨 at 18:36| Comment(3) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年09月05日

米海軍の射撃用レーダー Mk-13


大戦後半に米海軍の戦艦や巡洋艦の主砲用射撃指揮装置の一部として装備された水上射撃用レーダーである MK-13 ですが、実はいまだにその詳細は一般には公開されていないものの一つです。

米海軍の正式なマニュアルとしては 「OP-1297 Radar Equipment Mk13 Mod0」 などがあることは知られていますが、これらは今のところ入手できません。

このため、現在のところネットの某所で HN 「hush」 氏が紹介された 「NAVPERS-10798 Naval Ordnance and Gunnery Vol.2 Fire Control」 を始め、その他の米海軍マニュアルに書かれている概要などを付き合わせて行くしかありません。

もっともそれでも性能要目などについてはかなりのところまでが判ってはいるのですが ・・・・

そこで、極めて博識なことで知られる hush 氏でも流石にここまで専門的になるとご存じではなかった (多分) ことを少し補足を。


実は hush 氏が紹介された有名な Gene Slover 氏のサイトは、ご存じの方も多いと思いますが残念ながらUPされている米海軍のマニュアル類は画像なども含めてあまり綺麗ではないのが残念なところです。

当該ページにある Mk-13 の画像と同じものを私の手元の資料からご紹介すると次のものです。

NAVPERS-10798_Fig-20C1_m.JPG
( 当該マニュアルの原本より )

また当該マニュアル第20章の G. Main-Battery System にある Mk-13 のアンテナ前面の図は次のようになっています。

NAVPERS-10798_Fig-20G1_m.JPG
( 同 上 )

このG項をお読みいただくとお判りいただけると思いますが、Mk-13 のアンテナは1秒間に5回の周期で左右に5.75度 (100ミル) 計11.5度 (200ミル) の首振り運動 (と言うより実際には振動に近いですが) をしますが、上下の運動はありません。

NAVPERS-10798_Fig-20G6_m.JPG
( 同 上 )

したがって、アンテナそのものはその左右・上下の運動による弧や楕円を描く訳ではありませんし、アンテナ・カバー前面部がその運動のためのガイドになっている訳でもありません。

このアンテナ・カバーは単にアンテナのメカニカル機構保護のための雨風除けであり、風の抵抗を小さくするためにあの形になっているのです。

そして、カバー前面部は開閉出来るようになっていますが、これはアンテナ機構部のメインテナンスのためであり、通常の運用においてこれを開閉することはありません。

では、hash 氏のご紹介にある先のA項 Fig-20C1 にあるアンテナ架台に付いている 「Antenna Elevation Receiver-Regulator」 と言うのは何をするものなのでしょうか?

Mk13_antenna_01_m.JPG
( 別の未公開米海軍マニュアルより )


そうです、船体のバランスや動揺による傾きに対してアンテナの向き (=レーダー・ビームの方向) が照準線方向 (=方位盤の向き) において常に水平に保たれるように、垂直安定ジャイロ (Stable Vertical) の信号によってアンテナ機構そのものを上下に動かすためです。

また必要に応じて方位盤の測距儀 (これも垂直安定ジャイロによって安定が保たれています) を測距目標に合わせた時の俯仰角度に追従するようにすることもでき、これらは方位盤内にあるスイッチの切換で選択可能となっているのです。

posted by 桜と錨 at 21:20| Comment(6) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年09月03日

九四式高射装置

ネット上の某所で次の様な質問が出ていました。

九四式高射装置では対艦戦闘の際もこの高射装置を使っていたのでしょうか?

これを裏返すと、高射装置で水上射撃はできないのでは? という意味が込められているものと考えられますが、逆になぜそのように思われるんでしょうかねえ (^_^;

Type94_HA_FCS_mech_01_m.JPG

posted by 桜と錨 at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年08月26日

「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (3)


最後は疑問と言うより私の見解です。

前2回で「大和」型主砲塔のバーベットと円形支基についてお話ししたところです。 そして 「大和」 でも 「武蔵」 でも、それぞれの潜水調査によって主砲のバーベットとその内側にある円形支基が綺麗に残っていることが判明しています。

さてこれはどういうことを意味しているのでしょうか?


そうです、まさに砲塔内側からの衝撃は無かった、即ち徹甲弾や装薬の爆発 (完爆、完全爆発) は無かったことを示しています。

そもそも、装甲というのは外からの衝撃に対して堪えられるような構造で取り付けられており、基本的に内側からの衝撃に堪えることを念頭において作られていないからです。


そして連載冒頭に示した 「大和」 型主砲塔の構造図をもう一度ご覧下さい。

46cm_Trt_Draw_01_mod.jpg

これでお判りのように、赤線で示した砲室から下部給弾室旋動部までの砲塔旋回部の全重量は円形支基のローラーパスにかかっています。 つまり、砲塔旋回部は上からここに乗っているだけなのです。

したがって、戦闘被害によって浮力を失ない船体が傾いた時、横倒し近くになった時には砲室及び旋回盤の重量によってこの部分から外れ、また一挙に転覆して逆さまになると、旋回部全体がスッポリとぬけてしまいます。

( 船体の浮力が失われた時には船体は横転又は転覆しますが、これについてはご説明の必要はないものと思います。)

例えば 「武蔵」 の場合は沈没前に暫く横倒し近くになっており、この時に砲室及び旋回盤が抜け落ちたことは生存者の証言及び記録などから明らかです。

当然ながら、砲室と旋回盤がその重量によって外れる時には、その下にある給弾室などの連結部や揚弾・揚薬機、電纜などを引きちぎることになります。

そして次に、沈没し転覆した時に残りの上部給弾室以下が抜け落ちることになります。


まさに 「大和」 でも 「武蔵」 でも、残された砲塔旋回部の各部とバーベット及び円形支基の映像はこのことを証明しています。

もし砲塔旋回部が抜けていない状態で徹甲弾や隣接する火薬庫の装薬が完爆するようなら、このような状態では決して残りません。


したがって、一部ではこの給弾室や給薬室の残骸が砲弾薬の爆発による姿だとしているものがありますが、これは誤りです。

両艦の潜水調査の映像を見ても、バーベットと円形支基が綺麗に残っていることに加え、砲塔旋回部の各部の残骸には爆発痕は全く見当たりませんし、誘爆を起こしたとする火災の跡なども全く見られません。

あの姿のどこをとったら爆発したと見えるのでしょう?


もちろん、もし徹甲弾が炸裂したのであれば、とてもこの程度のことでは済むものではありません。 それこそ艦が粉々になって爆沈してしまいます。

それに砲弾の炸裂の原因として、横倒しになった時の衝撃によるだの、火災による引火だのと言われていますが、とんでもありません。

そもそも徹甲弾がその程度で炸裂するようなものであるならば、船乗りは危なくてとても使い物になりません。

ゆっくり横倒しになるよりも、荒天時の動揺による衝撃のものの方が遙かに激しいものです。

一体全体、古今東西の海軍においてこの程度のことで主砲弾が炸裂したなどという事例がいくつあるというのでしょうか?

また、主砲の装薬の爆発 (完爆、完全爆発) もあり得ません。 「大和」 と 「武蔵」 の沈没時の状況及び生存者の証言からは、沈没前に主砲火薬庫の爆発があったとはされていません。

( 「大和」 では沈没直前に副砲火薬庫 (及びその周囲の高角砲や機銃弾火薬庫) で火災の引火による爆発があったとされ、その映像は米軍機からも撮影されてるところです。)

とすると、仮に水中で主砲の装薬が何らかの爆発があったとしても、それは不完爆 (不完全爆発) でしかありません。

水中で火薬庫内に海水も入らず装薬が完爆したとすると大変な衝撃波となり、海面に浮いている生存者達は無事では済まされません。

実際 「大和」 でも 「武蔵」 でも沈没後は水中で爆発は小さなものがあったことが知られているだけです。


では何故 「大和」 も 「武蔵」 も主砲塔付近で、船体が折れているのか? それも前部のみでなく後部も。

実はここに旧海軍技術 (造船) 士官達が誰も語ろうとしなかった 「大和」 型設計上の最大の問題点があるのです。

( 松本喜太郎氏は薄々気がついていたようなフシもありますが ・・・・ )

これについては項を改めてお話しすることにします。

(この項終わり)

-------------------------------------------------------------

前 : 「 「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (2) 」

posted by 桜と錨 at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年08月22日

「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (2)


さて問題のバーベットです。

このバーベットは自身の主砲砲弾の直撃に堪えられるだけの厚さとするのが一般的ですが、戦艦などの場合はこの厚さで全周の装甲を作りますと大変な重量となりますので、主として左右正横方向からの正撃を主眼とし、艦首尾方向についてはその斜撃に堪えられる程度に設計して重量軽減を図ります。 これは 「大和」 型でも例外ではありません。

この 「大和」 型の主砲塔バーベットの装甲厚については前出の三菱長崎の 『戦艦武蔵建造記録』 では次のとおりとされています。

Yamato_Barbette_11_mod1_s.jpg

ここでは 「図1 防御要領図」 については省略しますが、当該書ではその図の出典が記されていないものの、同書次ページにある 「図2 中央切断構造図」 と同じく、元は松本喜太郎著 『戦艦大和 =その生涯の技術報告=』 からのものです。

では更にその松本氏の著書にある図の出所は? となると何も記されておりませんので判りません。 松本氏の手元に残っていた旧海軍作成の史料なのか、あるいは終戦直後の米海軍対日技術調査団の問いに応じて再作成 (何かに基づき) したものなのか?

したがって、このバーベットの装甲厚についても確たる旧海軍史料そのものであると明確に判断できるものはいまだに世に出てきていないのが実状で、戦後になってものされたものによって “そうだった” と一般に言われているに過ぎないのです。


で、そのバーベットの構造ですが、まさかこれがこの装甲厚のままの1つの円筒で出来ていると思われる方はおなれないと思います。

最大厚560ミリで、直径が14.72〜.74mもあるようなものを1つの円筒で作れるような製鋼技術も能力もあるわけがありません。 したがって、何枚かの装甲板を繋ぎ合わせて1つの円筒形を構成しているのです。

『戦艦武蔵建造記録』 では次のとおりとされています。

Yamato_Barbette_11_mod2_s.jpg

そしてその構造は次のようになっていたとされています。

Yamato_Barbette_02_mod_s2.jpg

Yamato_Barbette_02_mod_s1.jpg

この図の出所は三菱長崎における 「武蔵」 建造時のもので、昭和15年11月の打合せ記録として 「バーベット・アーマー外周計測記録」 とされているものですから、ここにある数値は間違いのないところと考えられます。

ただ残念なことは、各装甲板の厚さが載っていないことです。 したがって上記で示された厚さである前後左右以外のところの装甲版の厚さはどの様になっていたのかは不明です。

そして各装甲板は基本的にダブテイル方式、一部キー方式で繋ぎ合わされたとされていますが、その正確な形状、寸法などは記載されていません。

Yamato_Barbette_12_s.jpg
( 『戦艦武蔵建造記録』 より両方式の一般説明図 )

また、このバーベットの各装甲板の底部の形状は次のようになっており、中甲板の装甲板にアーマー・ボルトで留められています。

Yamato_Barbette_03_02_s.jpg
(『戦艦武蔵建造記録』 より )


さて、ここからが肝心なところですが、この装甲板をバーベットに組み立てるときには、当然上記のようにそれぞれの個所で厚さが異なりますから、内側又は外周のどちらかは真円 (正円) にはなりません。

では 「大和」 ではどちら側が真円なのでしょうか?

実はこの 「大和」 主砲塔のバーベットでは “外周が真円” になるようにしたのです。 このことは当該『建造記録』で次のように書かれています。

Yamato_Barbette_13_mod_s.jpg
(『戦艦武蔵建造記録』 より )

この外周が各装甲板が面一の円形となっていることは、その装甲板の接合部外側に “バット・ストラップ” と呼ばれる次のような厚さ40ミリの補強材が立込鋲と言われるもの取り付けられていることでも明らかです。

Yamato_Barbette_03_01_s.jpg
( 『戦艦武蔵建造記録』 より )

これは 「大和」 や 「武蔵」 の残された写真でも確認できるところです。

Yamato_Barbette_10_mod_s.jpg
( 「大和」 艤装中の有名な写真より3番主砲塔の当該部分 )

このバーベットは、残された史料を見る限りでは、次のように 「陸奥」 型までは内側が真円でした。 これはバーベットの内側に真円の円形支基が入ることを考えれば自然なことです。

Yamato_Barbette_08_s.jpg
( 「陸奥」 一般艤装図より )


では何故 「大和」 型主砲塔のバーベットは外側を真円にしたのか? その理由は判りません。


とすると、これだけの厚さと大きさの装甲板の製造において、平板を円弧状に曲げることは可能でしょうが、両端で厚さの異なるテーパーのかかった装甲板を正しく曲げることは極めて困難なことです。

したがって、各装甲板の1枚1枚は同一の厚さのものであったと考えるのが常識であり、これを外周を真円に繋ぎ合わせると内側は滑らかな曲線を描く楕円形ではなく、装甲板の繋ぎ目には厚さの違いによる段差ができることになります。

しかもこの内側には補強用の背板が3インチのアーマー・ボルトで取り付けたとされていますので、この接合部の段差のところはどのようにしたのでしょうか?

そして、最初の回でお話ししたように、このバーベットと円形支基とは構造的な繋がりはありませんので、この背板の厚さ・形状などはどの様なものだったのでしょうか?

この部分については説明された資料は全く何もありません。 また次の有名な 「大和」 艤装中の写真が残されていますが、残念ながらこれを高解像度で拡大して見ても良く判りません。

Yamato_Barbette_09_s.jpg


そして、「大和」 及び 「武蔵」 のそれぞれの潜水調査でもこの部分の映像がありますが、このことが判るものは知られている限りでは全く撮影されたものがありません。

さて、この 「大和」 主砲塔のバーベットの内側はどのようになっていたのでしょうか?

(続く)
-------------------------------------------------------------

前 : 「 「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (1) 」

posted by 桜と錨 at 14:44| Comment(6) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年08月19日

「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (1)


本家サイトの掲示板にて、「大和」 型主砲の装甲に関する話題が2つ出ました。

そこでこれらに関連して、日頃私が疑問に思い、そして 「大和」 及び 「武蔵」 の潜水調査を含めていまだに解明されていないことを書いてみたいと思います。


まずはご来訪の皆さん方との頭合わせとして、その主砲塔の構造から。

「大和」 型主砲塔の一般的構造は、次の図がよく知られているところです。

46cm_Trt_Draw_01_mod.jpg
( HP 「海軍砲術学校」 所蔵の複製より )

ご存じのとおり、これは昭和18年に横須賀海軍砲術学校が作成した 『兵器学教科書付図 (九四式四十糎砲塔)』 の第1図として出てくるものです。

赤線で示したところが砲塔の旋回部で、砲室、旋回盤、上部・下部給弾室、及び上部・下部給薬室の旋動部で構成されます。 (ただし教科書付図は説明用に簡略化、あるいはデフォルメされているところがありますので、赤線もラフなものです。)

そこで、この旋回部の重量を支え、かつこれを旋回させるためのローラーパスが装着されている円形支基と、砲室下の旋回盤以下を防護するための装甲であるバーベット (厚鋼板) との関係について、同図の部分拡大で示します。

Yamato_Barbette_06_mod.jpg
( 同 上 )

バーベットを赤色、円形支基を青色、そして砲塔旋回部を緑色で示しましたが、これでお判りのように円形支基はバーベットの一部ではなく、また付属物でもなく、両者には構造的な繋がりはない全くの別物です。

この円形支基の正確な構造は、三菱長崎の 『戦艦武蔵建造記録』 では下図のようになっており、中心を50ミリ厚のHT鋼で2千トンもの重量を支えています。

Yamato_Barbette_01_s.jpg
( 『戦艦武蔵建造記録』 より )

もちろんこの円形支基の形状は、その上部のローラーパス上を砲塔が旋回しますので “真円” の円筒であることは申し上げるまでもありません。

そしてこの円形支基の内側には砲塔を旋回させるための砲塔側の旋回歯輪と噛み合う旋回歯轍が装着されています。


因みに、呉の 「大和ミュージアム」 で何回かに分けて 「大和」 の潜水調査結果の企画展が行われていますが、その中でこの円形支筒とその旋回歯轍の部分を写した写真を 「バーベット」 と解説しており、また旋回歯轍をふりがな付で 「施条 (しじょう)」 と呼んでおりました。

Yamato_Barbette_11_mod.jpg
(同館公式パンフレットより)

このことについては以前このブログで記事にしたところです。

     http://navgunschl.sblo.jp/article/180281833.html
     http://navgunschl.sblo.jp/article/180302027.html

一般の方々にはあらぬ誤解を生じさせるもとになりますので、艦船やその装備とは無関係の内容を扱う公共施設などならともかく、少なくとも 「大和ミュージアム」 として 「大和」 の砲塔のことを解説するのですから、これではまずいのではと思いますねえ。

(続く)
-------------------------------------------------------------

次 : 「 「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (2) 」

posted by 桜と錨 at 13:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年08月09日

月刊誌 「丸」 9月号別冊


「丸」 の最新号は9月号の別冊で 『日本の空母 大事典』 です。

Maru_h3009a_cover_s.jpg

私も記事を一つ書かせて貰いました。 題して、

  『 搭載ウェポンのすべて 』

「鳳翔」 に始まる日本の空母に搭載された砲熕兵装を中心として、これに関連する射撃指揮装置や電探 (レーダー) についてもその概要をごく簡単にご紹介しました。

ただ割り当ての紙幅が6頁でしたので、やはり当初の原稿よりはかなり縮小せざるを得ませんでした。 特に各砲熕武器については全てについてその外観図及び代表的な弾種での弾道図、そして主要性能要目表を用意しましたが、ごく一部のもの以外は省略です

例えば弾道図は、旧海軍史料によるものと戦後に米海軍が旧海軍史料に基づいてトレースし直したものの両方を用意しました。

Type98_10cm_HA_comm_01_s.JPG
( 旧海軍資料による例 )

25mm_MG_traj_01_s.JPG
( 戦後米海軍がトレースし直したものの例 )


空母の特集ですから、まあ私の記事のこれがメインにはなりませんので、致し方ないかと (^_^;

ただ、対空火器の最後で述べた射程の話しにはこれを入れた方が判りやすかったと思います。

AA_Weps_Effect_Range_01.JPG

↓ ↓ ↓

AA_Weps_Effect_Range_02.JPG

これをご覧いただけば、欧米の40ミリ機銃などのような25ミリ機銃と127ミリ高角砲の間を埋めるものが日本海軍にはなかったことが良く分かります。 つまり、攻撃態勢に入った雷爆撃機に対して一番美味しいところが抜けていたと。


その他に省略したものの一つに、大戦末期に装備された12糎噴進砲の28連装と同30連装の性能要目表があります。 これについては珍しいかと思いますので、原稿案には入れてあったものをご紹介します。 また後者の30連装が 「海鷹」 に装備されたというのは初めてではないかと。

12cm_rocket_launcher_table_s.JPG

なお、この噴進砲のうち28連装の発射機構について、世間の一部では2弾ずつ14斉射したとされるものがありますが、これは誤りで、記事のとおり手動操作での切り替えによって14発ずつ2回発射するようになっています。 これも細かいことですが、初めて出てくることでしょう。

posted by 桜と錨 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年07月22日

艦砲における照準発射法


暑いですね〜

本家サイトの今週の更新として、ここでの先の記事 『艦砲射撃の基礎中の基本 − 「照準」 について』 に関連して、『旧海軍の砲術』 コーナーに 『照準発射法概説』 を追加しました。

『旧海軍の砲術』目次 :
   http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/ijn_frame.html
『照準発射法概説』 :
   http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/shoujun/gaisetsu/shoujun_gaisetsu.html

この照準発射法というのは、やはり艦の上で実際に触って、やってみないとなかなか文章だけでは一般の方々にはピンとこないところの一つであろうかと思いますが ・・・・

今回はその照準発射法についての概説で、それがどの様なものであるかを簡単に説明するとともに、旧海軍における関係データもご紹介しました。

おそらく 「砲口秒時」 や射手が発射の決意をしてから実際に引金を引くまでの秒時などの実験データは初出のものであろうかと思います。


旧海軍における照準発射法の具体的な詳細については、後日項を改めて解説することにしています。

旧海軍ではこの照準発射について、射弾精度の向上と散布界の縮小、そして発射速度の維持のために “こんな事にまで気を遣っていたんだ” という、よく言えば日本人の気質らしい大変にきめ細かい事項を含むものです。

ただしその反面で、やはり欧米に比べると技術力、中でも動力や自動制御と言った基礎的なところが劣っていた故に仕方なく、ということが多分に含まれることもまた事実です。

posted by 桜と錨 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年07月20日

艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について (補)


先日この記事の (2) について次のようなお尋ねをいただいたところです。

十字の照準線が海面に対して傾いていますが、このナナメの照準線は海面に対して水平になるように補正されるのでしょうか?

望遠鏡が斜めになっていても補正する必要は無いと云う事でしょうか?

ponter_sight_01_s.jpg

艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について(1) :
     http://navgunschl.sblo.jp/article/31394377.html
艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について(2) :
     http://navgunschl.sblo.jp/article/31444732.html
艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について(3) :
     http://navgunschl.sblo.jp/article/31463342.html
艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について(4) :
     http://navgunschl.sblo.jp/article/31479877.html

回答は既に当該頁に付けておりますが ・・・・ ひょっとしてもしかしたら他にも同じような疑問を持っておられる方がおられるのではないか、とハタッと思いましたので、少し補足説明をしたいと思います。


既に (1) 〜 (4) でも、そして本家サイトの他の項のところでも書いておりますが、再度申し上げますと、

砲台も方位盤も艦の甲板面を基準にして据え付けられております。

そして、大重量物である砲台はともかく、大戦期までは有人の方位盤でも方位盤そのものが動揺修正装置の上に乗っているものはありませんでした。

これが開発されたのは大戦後になってからで、例えば海自の射撃指揮装置1型や米海軍のGFCS Mk68などです。 ただしその後はすぐに無人方位盤の時代となっていますが。

したがって、方位盤射撃にしても砲側射撃にしても、射撃のための照準はこの揺れる甲板面を基準にして行われることになります。

とすると、正確な射撃計算をするためにはどこかで照準又は測的のデータに動揺修正を加えて水平面基準に変換し、そしてそこでの計算結果を再度甲板面に換算し直して砲に送る必要があります。

この動揺データの計測は、これを人的に行うか又はジャイロを利用するかのどちらかとことになります。

ここまではご理解いただけていると思います。


さて、問題はここからです。

砲台 (小口径の単装砲などを除く) でも方位盤 (小型の簡易型を除く) でも、照準は上下を担当する射手 (俯仰手) と左右を担当する旋回手の二人によって行われます。

なぜ俯仰は射手が担当するかは既にほかのところでも説明してあるとおり、通常は照準線の縦の動きの方が横の動きよりはるかに大きく、かつ射撃上も左右よりは俯仰の方が高い照準精度を求められるからです。

そして水上目標を照準する場合には目標は水の上に浮いていますので、この (照準線に対する) 縦動揺は、射手による俯仰の照準操作の中に自動的にこの動揺データが含まれることになりますから、これを人的に計出する別個の縦動揺手は設けなくても構いません。

もしあれば射手の照準操作は楽にはなりますが、しかし旧海軍では射弾精度のために射手が上下動の上限と下限のタイミングを見計らって引金を引くことがやかましく言われましたので、照準器の視野を安定させてしまうとそれが判り難くなります。


もう一つが横動揺ですが、これは射手と旋回手による照準操作のデータには含まれませんので、別個の横動揺手が必要になります。

そこでお尋ねいただいた件ですが、もし射手や旋回手の照準望遠鏡にこの横動揺手による動揺データが入力され、その視野が水平を保つようにしたとしたらどうなるでしょう?

確かに一見すると安定して照準しやすくなるように思われるかもしれません。 そして射撃指揮官にとってはこれの方が射撃指揮や弾着観測のために見やすくなることは確かです。

ところが、射手や旋回手の照準操作そのものは甲板面を基準 (=動揺によって揺れ動く) として傾いている方位盤を動かすものです。

つまり先の図を水平面が水平になるように直すと、方位盤は動揺によって傾いていますので、射手や旋回手の操作は下図の赤線の方向に方位盤を動かすことになります。

ponter_sight_01_s_mod.JPG

したがって、照準器の視野のみを横動揺に対して水平安定させると、射手や旋回手の照準操作はその視野の垂直、水平方向とは異なる動きになってしまい、射手や旋回手は見ている視野と自己の操作による動きとで感覚的に差を生じる不具合となります。

ではそれなら、ついでに方位盤の俯仰と旋回の機構にもこの横動揺を組み込んだらという意見もあるかもしれませんが、そのためには方位盤が複雑なものとなることは明らかです。

このことから、照準望遠鏡の視野は横動揺に対して安定させずに、方位盤の動きそのものとなっているのです。

以上のことは砲側の照準器についても同じことですので省略します。

そして、対空目標の場合は空を飛ぶ航空機の動きそのものは当然動揺とは無関係ですから、射手や旋回手の照準データには目標の動きと動揺とが一緒になっていますので、横動揺手の他に縦動揺手によって照準線に対する垂直方向の動揺データの計測が必要になるわけです。


以上ですが、後ほどこの項の (1) 〜 (4) と本頁を纏め直して、本家サイトの 『砲術の話題あれこれ』 に加えたいと思っています。

また、旧海軍における照準発射法の概説について新たなコンテンツを作り 『旧海軍の砲術』 コーナーに追加するように準備しています。


この旧海軍の照準発射法、まあ日本人気質らしく大変に細かいことをやっていると言えばそうなのですが、逆に動力や自動制御の技術が劣っていたためにやむを得ず、というところがあることもまた確かです。

posted by 桜と錨 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年05月20日

艦砲操式沿革と改訂経緯


本家サイトの今週の更新として 『旧海軍の砲術』 コーナーで 『艦砲操式沿革と改訂経緯』 のページを公開しました。

  http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/ijn_frame.html
  http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/soushiki/soushiki_enkaku.html

本家サイトで旧海軍の砲戦術史の連載を始めまして、先日その第1部たる明治40年代の砲戦術の解説まで終わり、続いて大正初期のことに入る準備をしております。

この砲戦術に関連して、やはりこの 「艦砲操式」 についてご理解いただいておく必要があると考えた次第です。

「艦砲操式」 と言いますのは、単に 砲熕武器の操作法だけではなく、砲台員がチームとして射撃指揮官の指揮に従ってその 砲台において “どの様に射撃を行うのか” ということも含めたもので、艦砲射撃、そして砲術の基礎をなす重要な部分の一つです。

Kanpousoushiki_M36_cover_s.JPG
( 明治36年改訂版の艦砲操式の表紙 )

そしてその反面で、砲熕武器という本来爆発物を取り扱う大変な危険を伴うものですので、この 「艦砲操式」 の変遷というのはある意味で 砲熕武器の損傷や人員死傷の事故による教訓とその改善の積み重ねの歴史 でもあります。

旧海軍が砲術を発展させていく中で、こういう大変な苦心・苦労を積み重ねてきたということをご理解いただければと思います。

全て旧海軍自身の手になる各種史料に基づいておりますが、当該ページの様な内容を纏めたものは初めてのものであろうかと自負しております。

posted by 桜と錨 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年05月13日

十四糎砲の被帽通常弾


先週、本家サイトの掲示板の方で 「五十口径三年式十四糎砲」 の 「被帽通常弾」 についてのお尋ねがありましたので回答を付けたところです。

質問された方からのお返事はありませんのでご理解されたのかどうかは判りませんが、折角の機会ですから、本家サイトの今週の更新として 『旧海軍の砲術』 コーナーにて同砲及装薬等、そして同砲用の 「被帽通常弾」 のデータを追加公開いたしました。

http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/gun/gun_data/gun_data_main1.html
http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/ammo/proj/proj_data_main1.html
http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/ammo/powder/powder_data_main1.html

14cm_50cal_Type3year_draw_mod.JPG

14cm_capped_common_mod.jpg

14cm_50cal_powder_mod.jpg

余程の方でないとここまでの詳細データは必要とされないでしょうが、私のサイトならではということで、こういうものもキチンと残しておかなければと思っております。

それにざっと眺めていただくと、色々と興味深い点にもお気付きになることもあって面白いのではと。

posted by 桜と錨 at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年04月15日

明治40年代の砲戦術 完了!


本家サイトの今週の更新として、先週に引き続き 『桜と錨の海軍砲術史』 コーナーで明治40年代の砲戦術に残りの項目を追加し、これにて同年代の話しを完了しました。


ただしいくつかの項目、特に 「射法」 と 「戦術」 については大正中期の砲戦術まで進んだところで全体の内容を見直す予定にしています。

前者については近代射法が芽生えたばかりであり、大正8年の 『艦砲射撃教範』 の全面改定まではそれこそ日々進歩して変わりつつあり、また後者については秋山真之の 『海軍基本戦術』 『海軍応用戦術』 及び 『海軍戦務』 の3部作の影響が大きく、そこから離れられなかった面があります。

( 真之の3部作については既に原本全文を本家サイトの 『史料展示室』 にて公開しておりますので、まだの方は是非ご参照下さい。)

当時としては、砲戦術の重要な要素である個艦及び艦隊の戦術については、基本的に真之の 『海軍基本戦術 第二編』 がほぼそのまま活きていたと言えます。

Akiyama_Tac1-2_cover_s.jpg   Akiyama_Tac1-2_cover_type_s.jpg
( 左 : 原本、右 : 活字起こし版の表紙 )

したがって明治40年代という期間を区切って述べることが大変に難しいものがあるためです。


なお、準備ができ次第、次の大正初期の砲戦術の項目に入りたいと思います。 お楽しみに。

posted by 桜と錨 at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年04月08日

明治40年代の砲火指揮法


本家サイトの今週の更新として、先ほど先週に引き続き 『桜と錨の海軍砲戦術史』 中の 『明治40年年代』 のコーナーで 『軍艦の速力』 と 『砲火指揮法』 の2つの項を追加公開しました。


特に後者の 『砲火指揮法』 は元海軍関係者が戦後ものしたものや一般の刊行物ではまず無かったものではないでしょうか?

また 『戦艦及一等巡洋艦砲火指揮通信装置制式』 については明治45年の内令兵第2号で制定されたものは知られていますが、その元となった海軍砲術学校が起案した草案は初出のものと思います。

gunnery_comm_equip_rules_pre_p1_s.jpg


この 『桜と錨の海軍砲術史』 は旧海軍の砲術家たる用兵者達がどのように考えていたのかをご紹介するものですが、これがあって初めて旧海軍史の全容が充たされるものと考えております。

まだ始まったばかりですが、引き続きお楽しみいただければと思います。


posted by 桜と錨 at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年04月01日

明治40年代の軍艦の防御


本家サイトの今週の更新として、『桜と錨の海軍砲戦術史』 に明治40年代の続きとして 『軍艦の防御』 の項を追加公開しました。


用兵者側からする軍艦の構造についての見解は技術者のものとはまた別な面白さがあると思います。

併せて、ページのレイアウトなどを少し修正するとともに、ご参考としていくつかのページに艦型図を追加しました。

これは単に解説文や表だけはなかなかご理解いただけないところもあると思いますので、イメージ的に掴んでいただくためです。 元にしましたのは有名な 『ブラッセイ海軍年鑑』 の当時の版です。

この当時から 『ジェーン海軍年鑑』 とこの 『ブラッセイ海軍年鑑』 の2つが広く知られておりましたが、前者はその立ち上がりがウォーゲームのデータ・ブックであったこともあり、旧海軍ではいわゆる “軍艦識別帖” 的に扱われることが多かったのに対して、ブラッセイは最新の技術的な内容が豊富であり、かつそれに関連した図表なども多く、海外の専門知識を吸収するために良く読まれていました。

例えば、昭和19年に福井静夫氏が書いた呉海軍工廠の初級技術士官教育用テキスト 『軍艦の発達』 でも、このブラッセイの艦型図をほぼそのまま書き写したものが数多く含まれており、旧海軍の技術サイドでも有益な出版物とされていたことが解ります。

fukui_01_s.jpg

posted by 桜と錨 at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年03月25日

明治40年代の軍艦砲装論


本家サイトの今週の更新として、『桜と錨の海軍砲戦術史』 に明治40年代のお話しの続きとして 『軍艦の砲装』 の項を追加公開しました。


Italy_V_Emanuel_01_s.JPG

内容的にはまだまだ纏めきれないところがありまして、今後機会を見て手直ししていくつもりにしておりますので、取り敢えずのものとお考え下さい。

とは言っても、度々申し上げておりますとおり、元技術士官達などがものしてきたものとは視点が異なり現場で直接関わってきた用兵者達のものであるだけに、これまで伝えられてきた話しとは異なったものがあることはお判りいただけるのではないかと思います。

posted by 桜と錨 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年03月18日

「砲術家としての加藤友三郎」

本日は 「加藤友三郎元帥研究会」 の第4回呉セミナーにおいて、上記のタイトルで若き日の友三郎と砲術について発表してきました。

tomosaburou_kure_No4_ppt_top_s.JPG

私はどうも高い壇上の演台から大勢の参加者の方々を前にして格式高いお話しをするようなことは苦手ですので、同会の大之木会長にお願いして、会場は教室で和気あいあいとなるような、そんな雰囲気にしていただきました。

しかしながら、思いもかけず新原市長などもお見えになり、来賓の方々は最前列にお並びになられましたので、ちょっと緊張してしまいましたが (^_^;


砲術家としての加藤友三郎の経歴は、明治13年に海軍兵学校を卒業してから 「吉野」 砲術長として日清戦争で活躍し、明治27年に海軍省軍務局に補職替えとなるまでがメインです。

が、何しろ砲術の話しであり、かつ明治初期 〜 中期の旧海軍のことですので、出来るだけ平易な内容とした関係で、持ち時間の都合上本日の話しは英国で建造中の 「吉野」 の造兵監督官となるところまでとさせていただきました。

残りの肝心な 「吉野」 の話しはまた次に機会がありました時にということに。

それでも参加の皆さん方には熱心にお聞きいただき、当時の旧海軍の砲術の実態と、それによる “鉄砲屋” としての加藤友三郎がどのような経験を積んだのかについての概要を、多少はご理解いただけたのではないかと思っております。

( 私の話し方が下手なのはご容赦いただくとして (^_^; )


貴重な発表の機会を与えていただきました大之木会長と、会場設営などの裏方に回っていただきました事務局の皆さんには厚くお礼申し上げます。

また是非本日の続きの機会を (^_^)

posted by 桜と錨 at 22:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年03月12日

日本銃砲史学会の例会


週末は 「日本銃砲史学会」 からお誘いをいただきましたので3月例会での発表のために上京してきました。

waseda_zaihen_h300310_01.JPG
( 定例の例会会場の早稲田大学材料技術研究所、通称 「材研」 )

この学会はその名の通り、主として江戸期〜明治期の陸上での銃砲についての専門の方々が集まって研究活動をしているところです。

公式ホームページ : http://www.fhaj.jp/

従いまして海のことについてのことはあまり無いのですが、それでもかつて海軍の砲術界の重鎮であられた故黛治夫氏の論文などが会誌に掲載されたこともあります。

私とこの学会とは、4年前にこの黛氏の論文が学会創設50周年に当たり会誌に再掲載されることになり、私がその解題を書かせていただき、これに関連して日本海海戦劈頭での敵前大回頭と丁字戦法についての一文を載せていただいたことがご縁でした。

juuhoushi_No377_cover_s.JPG


また、併せてこの丁字戦法の実相についてお話しさせていただいたところです。

teiji_kouwa_h260308_01.JPG

今回は旧海軍における対空用の射撃指揮装置についてのリクエストがありましたので、上京して久々にお話させていただいた次第です。

とは言いましても、この射撃指揮装置の本当のミソのところは初めての方々にはちょっと難しい内容になりますので、今回はその最初の概要と簡単な米海軍との比較のことに絞らせていただきました。

IJN_AA_FCS_kouwa_h300310_01.JPG

しかしながら参加された皆さん方には興味を持っていただけたようで、大変熱心にお聞きいただき、かつ時間をオーバーしての質疑応答となりまして、例会後の懇親会でも引き続いて皆さんとワイワイとなり、大変嬉しいことでした。

今回の機会をいただきました、事務局のメンバーの方々には改めてお礼申し上げる次第です。

posted by 桜と錨 at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し