蛇頭山を一通り回ったところで、これから馬公市内に向けて走り、途中でめぼしいものを見ることにします。
最初が 「膨湖旅客中心」、即ち膨湖島のビジターセンター(Penghu Visitor Center)です。
![houko_14_28_s.jpg](http://navgunschl.sakura.ne.jp/sblo_files/navgunschl/image/houko_14_28_s.jpg)
( 右側の建物がビジターセンター )
日本を発つ前の情報では、ここで膨湖島の日本語パンフレットを貰えると聞いていました。 まあ、あるにはあったんですが、観光案内の解説はともかくとして、地図がごく簡単なもの。 結局中国語のものが一番役に立ちました。 それに中国語は判らなくとも書いてある漢字で何となく理解できます。
ビジターセンターは思った以上に立派な建物で、中もそれなりに工夫された展示がなされていますが、内容的にはまだこれからかと。
次に、このビジターセンターのすぐ近くに 「膨湖生活博物館」 へ。 ここはビジターセンター以上に立派な建物ですが、残念ながら今年一杯は改修とのことで閉館中でした。 玄関から中が見えるのですが、まだ何も手が着いていないようで、廃墟オフィスのよう。 台湾メンバー曰く、こう言うのを “モスキートー・ミュージアム (蚊の博物館)” と言うのだそうで、言い得て妙。
この付近には馬公市庁舎などの公共施設が沢山あります。 このあたり一帯は大規模な埋め立てにより平坦な広大な土地が出来上がっており、馬公市はこれからの市の中心をこちらに移し、元の市街地区は観光用に整備するつもりのようです。
ただ、幾つかのホテル等の新築も見られますが、広い一帯に大きな公共施設の建物ばかりが目立ち、市の構想が実現するのはまだまだ先のようです。
自然環境の厳しい膨湖島にあって、漁業と僅かな農業以外に見るべき産業がないため、この豊かな自然と古い文化を売り物に “観光” に力を入れて行きたいようです。 しかし、夏季を中心に観光客も徐々に増えてきているようではありますが、そう期待通りに行くかどうか・・・・?
旧市街に戻って 「膨湖開拓館」 へ。 ここは日本統治時代の昭和10年に立てられた旧馬公市長舎で、戦後も長い間膨湖県知事公舎として使われてたものです。
老朽化により一旦使われなくなったものの、1999年に日本建築を採り入れた元の建物をそのまま改修し、膨湖島の開拓史に関する資料を集めたところとしてオープンしました。
時間的な問題で中に入るかどうか迷ったものの、丁度 「44〜45年膨湖島空襲展」 をやっているというので、入ってみることに。 ( 入館料は普段のままの30元(90円) )
特別展そのものは、額に入れた写真が20枚ほど廊下に並んでいるだけでしたが、館内は離島の展示館にしては元の建物の状態を綺麗に保存し、また資料ライブラリーも、複製が多いものの結構集められていました。
ところが、某N氏がそのライブラリーの中から旧海軍のアルバムの複製を見つけたことから、それからが大変。
皆が集まってワイワイやっているところへ館長や館員のおばさんも混ざってきて、戦前戦中の馬公や膨湖諸島がどうだったのこうだったのと中国語での解説が始まりました。 ( 先の「松島殉難記念碑」の話しもこの時に。) 入館料30元は大変に価値あるものとなりました。
日没が迫ってきましたので、急いで廃屋地区へ。 ところがそこへは開拓館から裏側(北側)の道を通ってしまいましたので、途中で台湾軍基地に行き当たって行き止まり。 Uターンし、改めてグルリと表側(南側)へ周って 「順承門」 のところから廃屋地区へ。
「順承門」 は、清国時代に建てられた 「媽宮城」 (「馬公」と呼ばれるようになる元 ) にあった6つの門の内の一つで、元々は 「小西門」 と呼ばれていました。
( 観光パンフレットなどでは6つの内現存する唯一のものと記されているものもありますが、もう一つ、上記で私達が行き止まってしまった現在の台湾軍基地のゲートとなっているものが 「大西門」 です。 もっとも昔のままではなく、一部改修された姿となってしまっていますが。)
![houko_14_38_s.jpg](http://navgunschl.sakura.ne.jp/sblo_files/navgunschl/image/houko_14_38_s.jpg)
(「順承門」 に登ると対岸の海軍基地にはこんなものも見えました。
話しに聞くとこれは未だに“現役”とか。 本当でしょうかねぇ? )
この順承門から 「金亀頭集落」 へはそのまま続いています。 この集落は今では全くの廃屋地区となっており、膨湖県ではここを風景保存地区に指定して、観光用に整備していく計画です。
![houko_14_36_s.jpg](http://navgunschl.sakura.ne.jp/sblo_files/navgunschl/image/houko_14_36_s.jpg)
( 奥むこうは基地内の軍の建物 )
そして、この先(西側)には 「金亀頭砲台跡」 があり、衛星写真などを見る限りでは現在でもかなりのものが残されているようなのですが・・・・残念ながらこの地区は未だに台湾軍の基地が置かれていまして、中に入ることができません。
![houko_junshogate_sat_s.jpg](http://navgunschl.sakura.ne.jp/sblo_files/navgunschl/image/houko_junshogate_sat_s.jpg)
( 左の雲の下が砲台跡、その南側は既に台湾軍基地として
整備されてしまっています。 元画像 : google earthより )
![houko_junshogate_map_s.jpg](http://navgunschl.sakura.ne.jp/sblo_files/navgunschl/image/houko_junshogate_map_s.jpg)
( 元画像:1945年版の米軍地図より )
と、ここで日没。 一旦ホテルへ戻り、夕食のために19時に再集合することで、それまで自由行動に。
私は旧市街の古い街並みを少しでも見られればと思って散策に出掛けましたが、「四目井」 に辿りついたところで暗くなり、ここで断念。
それにしてもこの「四目井」 ? な場所にありますねぇ。 まあ生活井戸だったので、民家の建ち並ぶ真ん中にあるといえばそうかと。
![houko_14_40_s.jpg](http://navgunschl.sakura.ne.jp/sblo_files/navgunschl/image/houko_14_40_s.jpg)
( 右のおね〜さんの話しは、また別の機会があれば )
![houko_14_39_s.jpg](http://navgunschl.sakura.ne.jp/sblo_files/navgunschl/image/houko_14_39_s.jpg)
( 夕暮れ時に参拝する信仰深い住民 )
ホテルに戻って夕食のために皆と合流したものの、台湾に来て以来今日の昼までに皆食べ過ぎ。 何か軽くということになり街の中をウロウロしました。
しかしながら、これはこれでなかなかこれはと思うお店が見つからず、結局ホテルの近くのチェーン店らしき牛肉麺の食堂へ。
私は普通の牛肉麺を注文しましたが、これまであちこちで食べてきたものと比べると味はしかたがないのでしょう、取り敢えず何か食べたということで。
で、ここの牛肉麺の写真は取り忘れてしまい、前菜の茹でピーナッツと煮卵のみ (^_^;
21時前にホテルへ戻ってブレーク、明日に備えることに。
![houko_14_37_s.jpg](http://navgunschl.sakura.ne.jp/sblo_files/navgunschl/image/houko_14_37_s.jpg)
( ホテルへ帰る途中の旧市街の古い路地風景 )
いや〜、本命の馬公要港部跡訪問と艦艇見学を含めて、今日も実に充実した一日でした。 そして膨湖島での滞在は、まだ明日の昼過ぎまで残っています。 楽しみ、楽しみ。