2009年03月17日

第2回訪台記 何故今台湾へ?

 今回の台湾訪問の最大の目的は、何と言っても膨湖島馬公での台湾海軍の艦艇公開でした。

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(元画像 : google map から)

 台湾海軍は毎年この時期に練習艦隊が台湾を一周して各地に寄港します。 そしてこの寄港時には国民に対するPRやリクルートを兼ねて艦艇公開などのイベントが実施されます。

 前回、昨年2月に私が始めて訪台したのも基隆でのこの艦艇公開を期待したからで、この時は仏製準「ラファイエット」級である「康定」級の艦上・艦橋写真撮り放題という幸運がありました。

 ただし事前に案内されるスケジュールが結構頻繁に変更されますので、一緒に旅行するメンバーの都合の良い日に併せるためには、ギリギリまで訪台の計画が立てられないのが難点です。

 今年も寄港予定などがかなり途中で変わりまして、たまたま訪台メンバーが揃う期間に膨湖島馬公での艦艇公開となりましたので、皆で “よし行くか!” となったわけです。

 そしてその後更に、艦艇公開は馬公の一般港ではなくて、測天島地区にある海軍基地内で行われるとの情報が舞い込んできました。

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(元画像 : google earth から)

 ご存じのとおり、馬公の測天島地区にある台湾海軍の基地は明治34年から太平洋戦争終了まで旧海軍の馬公要港部が置かれていたところです。

(馬公要港部はその後、警備府、方面部隊と名前は変わりましたが、本稿では「馬公要港部」で統一します。)

 ここに入れるチャンスが出てきたことで、メンバーの期待は一挙に高まりました。

 膨湖島は最近段々と日本でも観光地として知られるようになり、訪れる人も徐々に増えてきているようですが、それでも台湾を訪れてここまで足を延ばす人はまだまだです。

 しかも都合の良いことに膨湖島の観光シーズンは4月からで、現在はシーズンオフ。 このため航空運賃やホテル代はパックで格安に確保できることも判ってきました。

 私としてはこの機会に行かなければもう一生その時はないかもしれない、との思いで参加を決定しました。

 しかし、軍事基地に関しては非常に閉鎖的な台湾です。 どこまで見ることができるのか? この点は行ってみるまで判らないという不安がありましたが、逆に言うと色々なハプニングも期待出来るわけです。

 出発の日が近づくにつれて、徐々に興奮してきました。
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2009年03月18日

第2回訪台記 第1日目(3月12日)

 さて、まるで小学校の遠足の時のように期待に胸を膨らませての旅の始まりです。

 成田空港で今回同行のメンバーと合流して、格安の中華航空の午後の便で台北の桃園空港へ。 ハデな塗装のA−300でした。

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 機内食はポークかチキンかの二者択一で後者を選択。 飲み物は当然ながらでビールにしましたが、台湾ビールではなくて日本ビールだったのが残念。

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 チキンは照り焼きの細切れでしたが、少々味が濃過ぎ。 またオードブルにはドレッシングが無かったので、これは逆に味がなさ過ぎでした。 まあ、エコノミーの格安航空券で美味い食事まで期待する方が無理かとも。

 飛行高度は1万2千mで、何しろ和歌山付近までの西航中は向のジェット気流が180ノット近い猛烈なもの。 南に針路を換えると徐々に弱くなりましたが、このためか予定より約30分遅れて桃園空港に到着しました。

 現地は薄曇り。 夕方ですが気温は17〜18度Cくらい。 朝我が家を出てくる時は、近くの畑には大きな霜柱が一面出来ていましたから、15度くらいの温度差。 半袖で十分です。

 入国審査、荷物受取、税関はスムースに通過しましたので、早速両替へ。 ところがカウンターのお姉さんが中からこれで良いかと500元札の束を示します。 どうやら1000元札が無くなってきた様子。

 次のリムジン・バス便まであまり時間が無くて急いでいましたので、仕方なくOKと首を縦に振ると、500元札ばかりが何十枚も積み重なって、それこそ ドバッ という感じで出てきました。

 これには一瞬面食らいましたが、どうせ小さな支払いばかりで、別に大きな買い物をするわけではありませんから、まあいいかと妙に納得。

 この札束を鷲掴みにして、スーツケースを引っ張りながらバス停へ走ります。

 空港から台北市内へはリムジンバスですが、途中の道も空いており、市内まで約40km、1時間かからずにホテル着。

 前回も思ったのですが、台湾のリムジンバスは乗り心地はともかくとして、座席は日本のより遙かに幅広でゆったりとできています。 この点はとてもいいですねぇ。 しかも安い。 桃園空港→台北市内で135元(約400円) ただし運転は日本より荒いですが。

 ホテルは、忠孝復興交差点、太平洋SOGOからすぐ近くにある「僑合大飯店」(Deja Vu Hotel)です。

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 ここは、場所的にMRT忠孝復興駅に近く非常に便利なところであり、料金も安く、かつ日本の旅行会社サイトなどではまず案内がない穴場的存在です。

 同行者とも皆一人づつダブルベットの広い部屋でしたが、私の部屋は何故か浴室との間がガラス張り(^_^;  別にラブホテルでもないので、台湾の人はこんな作りが好きなんでしょうか。

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 取り敢えず荷物を部屋に置いて、ロビーで台湾側の仲間達と待ち合わせ。

 台湾側メンバーと日本側とは、艦船スケールモデルを通じて昨年の初の訪台以降大変親密な交流が始まり、相互に訪問を繰り返す間柄となっています。

 そして日本側の訪台時には彼らが全日朝から晩までフルサポートをしてくれ、このためいつも大変有意義な旅が実現しています。 ありがたく、嬉しいことです。

 その台湾側メンバーの提案で、夕食は初日から台北に来たら一度は行くべき小籠包の超有名店、SOGO地下の「県泰豊」(Din Tai Fong)へ。

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 ここは料理の味は勿論言うまでもなく極上ですが、加えてウェイトレスのお嬢さん達が全員超可愛い美人揃いで、しかも決してイヤな顔一つせず常に笑顔を絶やさない、極めて接客態度が良好なので、私も大変気に入っています。

 レストランは味に加えて、気持ちよく食事できることが大切だと思っていますので、その点ここは十二分に◎。 ただ最大の難点は、余りにも有名なためいつも超満員で、入口で少々待たされることです。

 約2時間、日本側5名と台湾側5名、よく飲んで、たらふく食べて、ワイワイ喋って、楽しい満足な一時でした。

 初日はこれで終了して22時前頃にホテルに戻り、明日からに備えることにしました。 しかし中には更に深夜営業の本屋さんと模型店へと出掛けたメンバーも。 このスタミナには負けますね。
posted by 桜と錨 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2回訪台記(完)

2009年03月19日

第2回訪台記 2日目(3月13日)

 ふと目覚めると7時半 (現地時刻、日本との時差−1時間)

 昨夜寝る前に7時に目覚ましをセットした・・・・はずでしたが、どうやら時刻だけ設定してONにしかなったようです。

 慌てて起きてシャワーに。 私は旅行中は温泉場などの場合を除き、ホテルでは大体朝にシャワーを浴びます。

 ところが、浴室兼トイレに入ってみて ??? バスタオルはあるがタオルがない! どこかの戸棚にでもあるのかと思って部屋中探してみますがやはりない!

 メイドさんが忘れていったのでしょうが、私も最初に部屋に入った時にバスタオルが掛かっていたのを見ていましたので、うっかりチェックはしていませんでした。 こんなことは海外旅行も含めて始めての経験です。

 昨晩の内に気が付いたならフロントかルームサービスに電話して持ってきて貰うところですが、朝になって裸になってからで・・・・まあ、バスタオルが2つあるからいいか。

 シャワーを浴びて身支度をしてから、朝食券を持って地下1階の食堂へ。

 バイキング方式で、おかずの種類は余り多くはないものの、味はまあまあ。 朝から飛ばし過ぎないように、量は控えめに。

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 ご飯、パンもありますが、やはり台湾に来たのでまずこれらのおかずとお粥で。 この朝食にお粥というのはなかなか良いのですが、味が全くなし。 日本人的にはせめてお塩を置いておいてくれたらと思うのですが。

 9時にパッキングした荷物を持って下に降りてチェックアウト。 日本側と台湾側が揃ったところで、荷物はホテルのフロントに預けて、各自の目的に沿って自由行動に。

 2日目は、午後4時半にホテルに再集合することで、それまで市内でそれぞれ時間を使い、夕方の便で膨湖島馬公へ飛ぶ予定になっています。

 同行のメンバーは既に何度も台北を訪れていますし、元来が普通の観光よりは “鉄もの” に興味のある人達ばかりですので、皆それぞれの目的場所へ。

 私は台湾メンバーに案内して貰って、先ず昨年オープンしたばかりの 「長栄海事博物館」 (Evergreen Maritime Museum) を見学することに。

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( 同館ガイドブックの表紙 )

 この 「長栄海事博物館」 は、皆さんよくご存じの有名な中正記念堂や国家音楽庁などがある中正公園の横、東門の隣りにあります。

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( 元画像 : google map より )

 台北市内どこに行くにも徒歩でなければ、移動するにはMRTと呼ばれる電車かバス、あるいはタクシーになります。

 タクシーも日本に比べると遙かに安いのですが、それでもMRTやバスに比べると高いですし、まずいくらかかるかよく判りません。

 また、バスは路線やバス停などが慣れないと判りにくく、また車内は中国語のアナウンスだけで電光表示などはありませんので、ちょっとしたコツが必要になります。

 それに比べてMRTは、目的地が駅近くであるならば簡単でとても便利です。

 駅名表示は漢字と英語の発音表記があり、車内の電光表示もありますから、日本人ならすぐ判ります。 しかも運賃は大変安く、市内ならどこでも大体20元 (約60円) か25元 (約75円) で行けます。

 早速、忠孝復興駅からMRTを乗り継いで (と言っても3駅と2駅)、中正記念堂駅で下車。
(続く)

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2009年03月20日

第2回訪台記 2日目(3月13日) ・ 続

 「長栄海事博物館」 の建物は元々は国民党の党本部だったところですが、陳水扁政権に総統選挙で敗れて以降段々お金が無くなってきた国民党から2年前に長栄が買い取ったものです。

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 「長栄」 というのは英語で言えば 「Evergreen」 のことで、私達日本人にはこちらの方が馴染みがありますね。

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 長栄はこのビルの1〜5階を海事博物館にして昨年から一般公開をしています。 開館当初は当然ながら参観者が少なかったそうですが、今回訪れた時には丁度小学校の校外学習だったようで、沢山の子供達が先生に引率されて見学していました。

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 今回は同行したHN「おじさん」や台湾メンバーの “顔” で、館長に挨拶した後 「撮影許可」 の腕章を貰って館内を好きなだけ撮影できることに。 嬉しいですねぇ。

 見学は5階から順に下に降りてくるようになっていますが、各階ごと次のテーマで纏められており、大変にバラエティーに富んだ内容になっています。

 5階 : 『船の歴史』
   古代、西洋帆船、蒸気船、中国・台湾の船の各コーナー
 4階 : 『近代の艦船』
   オーシャンライナー、商船、軍艦の各コーナー
 3階 : 『海洋絵画』と『海洋と台湾』
   特に後者は台湾と海洋の関わりや、台湾独特の船々について工夫を凝らして紹介
   しています。
 2階 : 『航海と冒険』
   造船、港湾、商船の艦橋・機関・各種の設備・機器、そして操船シミュレーターなど
   見て触って楽しめるようになっています。
 1階 : ロビー&売店

 これらテーマに沿って、模型や絵画、ディスプレイ・セットなどが豊富に展示されており、グループ総裁の張氏が長年にわたりコレクションしてきたものと言われています。

 しかしながら、個々のものをよく見ると、当面は集められるだけ手当たり次第に集めたように思われ、特に模型や絵画はまさに玉石混交、まだまだこれからという感じがしないでもありません。

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 が、現在の状態だけでも日本の「船の科学館」よりは遙かに充実しており、私達船好きの者からすると羨ましい限りです。

 船の模型の中には、日本で最近大型スケールモデルの販売で有名になった 「ウィング・クラブ」 (Wing Club) の「大和」や「高雄」なども展示されていました。

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 しかし残念ながら、一緒に展示されている他のものと比べると、何れも出来はイマイチの感は否めませんねぇ。 まあ、元々がウィング・クラブの艦船モデルを博物館収蔵仕様と考えることに無理があるのかもしれませんが。

 なお、この長栄海事博物館で撮影した艦船モデルなどについては、何れHPの方で纏めてご覧いただけるようにしたいと思います。

 また、絵画だけは本来が撮影不可なものですので流石に遠慮しましたが、展示絵画の中に 「富士山前出港的日本艦隊」 と題する、富士山をバックにした駿河湾における明治期の連合艦隊を画いたものがありました。

 本物は旧海軍によって大正天皇の成人祝いとして皇室に献上されたようですが、その元のデッサン画に後で彩色したもので、それでも大変素晴らしいものです。 羨ましいですねぇ。
(続く)

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2009年03月21日

第2回訪台記 2日目(3月13日) ・ 続2

 「長栄海事博物館」 ではたいへんゆっくりと鑑賞し、写真を撮りながら回りましたので、1階のロビーに降りてきた時には既に12時を過ぎていました。

 2時間以上見学したわけですが、船好きの人なら一度は訪れる価値は十分にあるものと思います。 もし皆さんも訪台の折りに時間がありましたら是非どうぞ。

 昼食の前に、折角ここまで来ましたので 「中正記念堂」 を見ることに。

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 「中正公園」 の中をゆっくり歩きますが、ともかく広い。 そして建物などはデカイ!

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 晴れて良い天気で、木陰はまあ涼しいものの、陽の当たるところは “暑い” 24〜25度はあったのではと思います。 半袖でも汗がでます。

 喉も渇いて来ましたので何か飲み物を、と 「国家音楽庁」 の脇にあるモスバーガーの店に寄りましたが、丁度昼時でもありましたので大変に混んでいました。

 で、近くの自動販売機に。 20元を入れて 「ポカリ」 を選択。 が、取り出し口に出てきたポカリ缶を取ろうとすると “熱っ!” ??? ボタンの表示をよく見ると、日に焼けて判りにくいものの何とホット!

 何気なくボタンを押してしまったとはいえ、この炎天下に熱い熱いホット・ポカリ。 皆で大笑いしました。 この熱い台湾の広い公園の自動販売機にホットなど置くか〜、ふつ〜??? でも、ホット・ポカリ、日本にはありませんよねぇ。 始めて見ました。

 中正記念堂。 皆さんよくご存じのとおり、正面から89段 (蒋介石の享年に合わせてある) の階段を登ると、ホール奥に蒋介石の大きな座像があります。 そして両脇には微動だにしない執銃の衛兵が一人ずつ。

 一応記念写真を。

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 エレベーターで1階に下りると文物展示館になっています。 当然ながら蒋介石、蒋介石、蒋介石・・・・ よく見て歩くと色々と興味深いものもありますが、今回の訪台はここが目的ではありませんのでそこそこに。

 でも一枚パチリ。 こういう物を作って飾るのも彼ららしいですね。

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 しかしこの中正記念堂。 2年前に当時の陳水扁政権が蒋介石の民衆弾圧政策の責任を問い、「中正記念堂」 を 「台湾民主記念館」 と改名の上、1階の展示も蒋介石以外のものに総入れ替えすることとしましたが、これも翌年政権が交代するとたった1年でまた元のとおりに。

 政権が変わると国の歴史も換えてしまおうとするのは、大陸や半島の “十八番” ですが、明日は我が身か? 日本も民主党が政権を取ったらどうなることか。 それこそ自虐史観の強化でしょうかねぇ。

 それはさておき、お腹が空いてきましたので、台湾メンバー推薦の「牛肉麺」のお店へ。

 残念ながら場所や店名は覚えていませんが、確かMRT西門駅近くの、余り綺麗ではない通りの、余り綺麗とは言い難い構えのお店ではなかったかと。

 が、“ここが台北一の牛肉麺のお店” と彼らが太鼓判を押すとおり、大変に美味しかったです。 特に私の食べた紅燉というピリ辛のもの (辛くない方は清燉) が良いそうです。

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 場所と店名を聞いておいて、次は清燉も食べよう!
(続く)
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2009年03月22日

第2回訪台記 2日目(3月13日) ・ 続3

 さて昼食の後はどうするか? 案内してくれている台湾メンバーからは近場の温泉へ行こうと提案がありました。 片道約1時間で景色が良いからとのこと。

 しかし、それではもう向こうであまり時間が採れません。 どうせ温泉へ行くならならゆっくりノンビリしたいですから。

 そこで、同行のHN「おじさん」の希望で、前回の訪台時にも行った台北市内の模型屋さん巡りをすることに。

 先ずは食事場所からも近い、西門駅近くの2店。 最初の店は台北の “おたくビル” として知られる有名な 「萬年百貨」 の中。 ここは人も多いし店の中の通路が非常に狭いので見て回るだけ。 次はそこから歩いてすぐの所にある個人営業のお店。 こちらは台湾メンバーもご推薦のところ。

 次いで、ちょっと離れた台北北部の士林の方のお店。 こちらは台湾メンバー一押しのところ。 品揃えはなかなかです。 特にエッチングは凄い。

 スケール・モデルも安くて面白いものも色々あるのですが、買って帰るには嵩張りますので、今回も私はエッチングを中心に物色することに。

 エッチングはとにかく安い! 物によって異なりますが、大体が日本での1/2〜1/3位です。 別に帰国後にすぐ作るという訳ではありませんが、“隠れモデラー” の私としては、これは買っておかない手はありません。 第一、全く荷物になりませんから。

 ということで、汎用のものを中心に10種類ほど購入!

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 ここで時間が無くなってしまいましたので、急いでホテルへ。 16時半ジャストに到着しました。

 フロントに預けてあった荷物を引き取り、メンバーが揃うのを待ってタクシーに分乗して松山空港へ。 いよいよ今回の旅の目玉、膨湖島へ向かいます。

 台北からの出発地、松山空港は市内北部にあり、中心部から近くて非常に便利です。 ここは日本統治時代に作られ、戦時中は旧陸海軍も主として空輸経由地として使っていました。

 戦後は台湾の国際空港として使われていましたが、現在の桃園空港が出来てそこに国際線が移されてからは、国内便のみとなっています。

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( 元画像 : google mapより )

 ただし今も軍民共用空港の軍事施設ですので、飛行場の写真撮影は禁止です。

 立栄航空のカウンターでチェックイン。 幸いにと言うか残念ながらと言うか、何故か今回は膨湖島への行きも帰りも便数の多いプロペラ機(DHC−8)の方ではなくて、便数の少ないMD−90に当たりました。

 ここでハプニング。 パスポートを出そうとして肩に担いでいたカメラ・バッグを降ろすつもりが、30cm位の高さから落としてしまいました。

 ガチャン!という金属音。 ??? バッグにはクッションが入っているはずなのに・・・・ 慌てて開けてみると特に異常なし。

 が、レンズ・カバーを外してみると、あれぇぇぇ〜、フィルターが粉々に! ガ〜ン!!

 レンズに傷は? モーターは? 一瞬真っ青になりましたが、ともかく馬公に着いてからゆっくり確認することに。

(馬公のホテルで調べたところ。 幸いにしてフィルターのみで、それ以外は全てOK レンズにも目で見た限りでは傷は無い様でした。 先ずは一安心。)

 そして昼間は晴れて暑かった天気も、ここに来て雨風模様に。 皆の意見が一致して “これはきっと今回参加できなかった某M氏の呪い” と言うことになりました。

 訪台中に他のメンバーにも多かれ少なかれこの呪いがあったようで・・・・(^_^;

 チェックイン後大した時間もなく、1755h搭乗開始、1815h予定どおり馬公へ向けて出発しました。 この辺は、台湾の国内線は大変便利です。

 金曜日の夕方ですので、週末で帰る島民なのか、段ボールなどの荷物を沢山持った人が多く、ほぼ満席状態。 私達のような一見して観光らしいのはほとんど見受けられませんでした。

 途中は風と雨にも関わらず安定した飛行で、しかも飛行時間は約40分、飛び上がったと思ったらもう降下を始めるような感覚です。 離島とはいえ、馬公は思った以上に近いことを実感しました。

 強い風の中、非常に上手い操縦で極めてスムースに馬公空港にランディング。 うん、このパイロットは腕がいい!

 現在の馬公空港は、馬公市街から車で10分ほど離れた膨湖島の中央部にあり、ご多分に漏れず軍民共用です。

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( 元画像 : google earthより )

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( 元画像 : google earthより )

 しかし、民間用ターミナル内は非常に綺麗で、待合いロビーは広々としていますし、カウンター・フロアーも離島らしい飾り付けがなされています。

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 荷物を受け取って、既に待っていてくれたホテル出迎えのマイクロバスで馬公市内のホテルに向かいます。
(続く)

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2009年03月23日

第2回訪台記 2日目(3月13日) ・ 続4

 本日と明日2泊のホテルは、馬公市街の第2漁港に最近出来た「菊島之星」という全体が客船の形をした大きなレストラン兼土産物の建物からすぐ近く、「華馨大飯店」(Hawa Shin Palace Hotel)です。

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( 元画像 : google earthより )

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( 翌14日朝の撮影 )

 チェックインして一旦各自の部屋に荷物を置いてからロビーに集合することに。 そう新しいホテルではありませんし規模も小さく、日本の地方都市のビジネスホテルの方がマシというところ。

 部屋も一応ダブルベットですが、昨日の僑合大飯店に比べると狭い、何もない、シャワーブースだけでバスタブもない・・・・タオルはちゃんとありましたが (^_^;

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 まあ往復の航空券とホテル二泊がセットの格安パックなので、これはこれで十分ではありますが。

 でも色々聞くと、馬公市街のホテルは最近出来たところは別にして大体どこでも皆似たり寄ったりだとか。

 20時にロビーに集合して、空港に迎えに来てくれた運転手さんお薦めの近くの海鮮料理店へ。

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( 翌14日朝の撮影 )

 この海鮮料理も今回の旅のお目当ての一つです。 新鮮な魚介類を食べなければ、何しにわざわざ膨湖島までいったのか (^_^) 

 皆さんご存じのとおり、台湾の海鮮料理店では大体どこでも店先のケースや水槽に展示されている魚介類から好きなものを選び、そしてその調理方法を決める必要があります。 ここでもそれは同じ。

 今回の日本側メンバーは皆中国語はほとんどダメですので、全ては台湾側メンバーにお任せして、テーブルに着いて先ずはビールを飲みながら料理が出てくるのを待ちます。

 で、出来上がったものが順番に運ばれてきますと・・・・お刺身に始まって次々と、出てくるは、出てくるは。 しかもどれに箸をつけても大変にグー。 掛け値無しに、本当に美味しかったですねぇ。

 その中の主なものをご紹介します。

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 そして、これですよ、これ! 台湾側メンバーは前回の訪台時で私が蟹・海老・貝の類が大好きなのを覚えていてくれて、今回も忘れずに注文してくれました。

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 いや〜、大満足、大満腹。 これらを食べるだけでも膨湖島へ来た価値はあります。 しかも8人で散々食べて飲んで、安い! この安さにまた驚きです。

 お店の外に出ると雨は段々本降りになってきています。 目の前が「菊島之星」なんですが、今回はパス。 夜の街並みも散歩をせずにホテルへ帰ります。

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(「菊島之星」正面入口 )

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( ホテルへ帰る途中の通りの様子 )

 しかし、もう22時ですが、通りは観光客などは全く歩いていないにも関わらず土産物屋さんはズラリと店を開けています。 これで商売になるのでしょうか。 もっとも、4月からが膨湖島の観光シーズンですから、もうすぐです。

 ここ馬公市街は、全く離島という感じがしません。 昔の市街の古い建物などが並ぶ地区を除くと、単にどこかの港湾都市のような、あるいは日本の熱海のような、そんな雰囲気です。

 ホテルの目の前にセブンイレブンがありますので、ここで飲物などを買って部屋へ。

 部屋のテレビを点けると「JTE」という日本番組ばかり流すチャンネルがありました。 字幕が中国語で、音声は日本語のまま。 これは助かりました。

 しかし、窓から見る外は、雨も降っていますし、風も段々出てきたようです。 明日が今回の旅のメインなんですが、天候がちょっと心配です。
posted by 桜と錨 at 20:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 第2回訪台記(完)

2009年03月24日

第2回訪台記 3日目(3月14日)

 朝7時に目覚ましで起床。 さていよいよ今日がこの旅のメインなのですが・・・・

 窓の外をみると、昨夜の雨は幸いにして止んでいるようですが、雲が厚く覆ってドンヨリとしています。 そしてなによりも風がものすごく、木立が大きく揺れています。

 まあ、雨でないだけましか。

 で身支度をして朝食を、と思ったのですが、このホテルの「朝食付」というのは、食券を持って近くのマックまで食べに行くというもの。

 何もこんな離島まで来て朝マックかい、とも思いますが、ともかくそれも試しと思って出掛けることに。

 外にでると、風が強い、そして寒い! 長袖シャツとジャンバーでも寒いくらい。

 マックは歩いて7〜8分のところにありましたが、別にどうと言うことはありません。 朝メニューの5種のハンバーガーから一つと飲物を選ぶだけ。 普通のハンバーガー(らしきもの)とホット・コーヒーにしましたが、味気なし。

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 これならわざわざ朝から出掛けて来なくとも、ホテル前のコンビニで何か買った方が余程ましですね。

 食べ終わってから、ついでに港まで出てみます。 馬公の海軍基地は馬公港を挟んで市街の反対の南側にあります。

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( 本記事の最初にUPのもの 元画像 : google earthより )

 しかし、基地そのものが南を向いて作られていますので、市街からはほとんど判りません。 旧海軍は上手く作ったものです。

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( 画像修正無しです。 如何にドンヨリしているか。)

 岸壁沿いに歩いて、「菊島之星」のところまで。 そこからホテルに戻ります。

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( 今回は遂に中を見に行く機会がありませんでした。)

 9時にロビーに集合。 台湾側が借りてきてくれた8人乗りのレンタカーに乗っていざ出発!

 約10分で到着。 ゲートでは台湾人はID、外国人はパスポートのチェックですんなりと入れてくれ、公開艦艇が繋留されている岸壁前の広場に設置された臨時駐車場までところどころに立っている警戒兵が誘導します。

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( ゲート前で交通整理の警備兵が如何にも寒そ〜です。)

 残念ながら、誘導された公開艦艇の岸壁は、ゲートから一番手前の最も新しいところです。

 現在の衛星写真と、1945年の米軍製の地図とを比べていただければお判りのように、この岸壁地区は戦後に台湾海軍が大規模に埋め立てたところです。

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( 元画像 : google earthより )

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( 元画像 : 1945年版の米軍地図より )

 私が本当に見たい旧海軍の測天島地区は更にその奥。 しかし、起伏や建物などが途中にありますので見えません。

 せめて旧ドライドック跡までは何とか見たかったのですが・・・・

 とは言ってもそれは所詮無い物ねだり。 ともかく車から降りて岸壁に出たところから全員で写真を撮りまくり始めます。

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( 艦番号1208 「承徳」)

 で、本日公開される練習艦隊の「康定」級(仏製準「ラファイエット」級)の6番艦「承徳」が繋留されている横の岸壁には哨戒艇やミサイル艇がズラリ。 これを私達がそのまま見逃すはずはありません。

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 岸壁から「承徳」を撮っているフリをしながら、ソロリソロリとそちらの方へ、しかも上手いことに皆が適宜バラバラになりながら。

 ・・・と突然、岸壁警戒に当たっている水兵さんの一人が私のところに飛んできて何やら警告する様子。

 てっきりそちらの岸壁へ行ってはダメ、とか、あっちの艦艇は撮ってはダメ、とか言っているものと思ったのですが・・・・どうやら風が強烈なので岸壁のフチに近づいたら危ない、とのことらしい。

 “OK、OK” と首を縦に振って少し内側にずれたら、スンナリ元の位置へ戻っていきました。

 な〜んだ、それだけのことだったのか、ビックリした。

 で、それを良いことに、またソロリソロリと哨戒艇などの方へ近づきます。 そして勿論写真は撮りまくり。

 結局100m以上行ったでしょうか。 流石にそこまで行くと、ミサイル艇の舷門当直員が出てきて、「こっちの岸壁は公開になっていないので来てはダメ」 と言いに来ました。 

 まあ、この辺が潮時と、皆でゾロソロと元の岸壁へ戻り、「承徳」の舷梯を上がります。
(続く)
posted by 桜と錨 at 19:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 第2回訪台記(完)

2009年03月25日

第2回訪台記 3日目(3月14日)・続

 それにしても見学者は少ないです。 少ない、というよりほとんどいないと言った方が当たっているかも。

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 勿論そんなことはお構いなし、否、その方が私達には好都合とばかりに「承徳」のへり甲板に上がって、写真を撮りまくります。

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 が、たまたま艦上から先のミサイル艇などを狙っていたら、格納庫入り口付近にいた副長らしき士官が寄ってきて、「艦上はいくらとっても良いが、軍港内が判るような写真はダメ」 とのこと。

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( 因みにこの士官、「Are you an excutive officer of this ship ?」 と聞いても全く通じませんでした (^_^; )

  「艦上は良い」 と言うお墨付きですから、それならそれで “堂々と” “遠慮無く” 撮りまくらない手はありません。 目に付くもの目に付くもの、あらゆるものをパチリ、パチリ。 艦側にしてみれば 「何でこんなものまで?」 と思うようなものまでパチリ、パチリ。

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 へり格納庫の中から右舷の艦内通路を通って艦橋へ、艦橋から左舷の通路を通って格納庫に戻るのが見学通路です。

 見学者の前後所々に案内兼警戒員が付くのですが、何せ狭い通路を右に曲がったり左に曲がったり、登ったり降りたり。

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 しかも途中のありとあらゆる場所で皆それぞれが勝手に写真を撮るので、当然列はバラバラに。 このため私の周りには他の見学者も乗員も、誰もいない場合が出来てきます。 それでも構わず (というよりお陰で気兼ねなく) パチリ、パチリ。

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 「康定」級は前回2月の初訪台の時に基隆でも艦内見学していますが、それでもまだ飽きずに撮りまくります。 何か目新しい発見はないものかと。

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 今回の艦上で珍しかったものは、格納庫の中に展示してあった台湾海軍の艦艇のフルハル模型です。 主な艦種のものは全てありました。

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 実物の水線下というのは見る機会がありませんので、あまり細かい作り込みはしていないラフな模型とは言いながら、これらは一応台湾海軍の公式のものということで、水線下の形状などもほぼ信頼して良いものと思います。

 始めて知ったのは、この「康定」級のバウ・ソーナーの形状です。 原型であるフランスの「ラファイエット」級には対潜装備はないとされていますので、これは台湾海軍オリジナルのはず。 これは珍しいかも。

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(続く)

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2009年03月26日

第2回訪台記 3日目(3月14日)・続2

 散々写真を撮りまくってから「承徳」を降りて、次の公開艦の方へ皆で向かおうとしました。 米海軍の 「O・H・ペリー」(FFG-7) 級をライセンス生産した「成功」級の8番艦「田単」(艦番号1110)です。

 この「成功」級も昨年2月に基隆で見学しているのですが、それはそこ、別の艦ですので私達一行が見ないわけがありません。

 と、「承徳」から急いで士官が一人降りてきまして、私達の引率に付きました。 「こっちだ!」 と。

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( 右がその士官 バックがこれから向かう次の公開艦「田単」)

 どうやら私達一行は間違いなく台湾海軍側から “おかしな連中” と目を付けられたようです。

 「日本人のオタクがわざわざこんな馬公まで来るのか? しかもよりによってこんな天候の日に。 何をしでかすか判らんぞ!」 とでも。

 そう、そうなんです、そのとおりです。 来ちゃったんですよ (^_^;

 で、舷梯を上がろうとしたら舷門から 「ちょっと待て!」 とのこと。 そして急いで乗員が呼び集められたようです。 もしかしたら「承徳」から連絡があったのか・・・・

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 「よし!」 との合図がありましたので舷梯を上がると、私達一行の前後にピッタリと案内の水兵さんが付き、「離れずに付いて行け!」 と。 はい、はい。

 そして、艦上を周り始め、まず前甲板に出たのですが・・・・どうやらこの頃、あまりの風の強さに危険防止のため上甲板の公開は一時中止になったようです。 私達にはこの後艦橋は見せてくれるとのこと。

 本当に風が強く、一時中止はまんざら嘘ではなさそう。

( 実際、カメラを構えるのも満足にできず、ファイダー内がグラグラ。 今日ほど手振れ防止機能付きのレンズを買っておいて良かったと思わぬ日はありませんでした。 それでも体ごと揺られるので、狙ったところがファインダーの中心に収まってくれません。)

 しかし、甲板上の見学無し、でメゲルような私達ではありません。 案内の水兵さんを捉まえて、こんな写真まで撮らせろと要求。

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 艦橋に上がれば上がったで、「お〜、こんなもの見っけ!」 と 「長官専用」 とラベルの貼られた双眼鏡をパチリ。 (「田単」はこの時馬公の146艦隊の旗艦だったようです。)

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 「そうか、台湾海軍の将官の椅子は金色のカバーなのか」 でパチリ。 案内の水兵さん達も本当にあきれ顔。

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( 後ろに写っている下士官が大笑いしているのが判るでしょうか? )

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( 艦橋中央の操艦コンソール 右奥が将官用カバーのかかった椅子 )

 そうこうしている内に、本当に見学者は私達一行だけになってしまいましたので、岸壁に降りることに。

 岸壁前の小さな建物が案内所兼リクルートセンターになっていました。 入口脇に張り出された看板がこれ。

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 「146艦隊」「陸戦隊」「通信隊」などの志願案内は判るのですが・・・・「海鋒大隊」? ご想像が付くと思いますが、これは離島の監視所・警備所の要員です。

 こういう僻地勤務 (大体近くに村落もまともに無いようなところばかり) などに希望者がいるのかと思いますが、未だに兵役義務がある台湾のこと、近くの島嶼出身者で、かつ普段はノンビリと勤務したいと思う若者がいても不思議ではないかと。

 ここまでで3時間以上、既に13時近くに。

 そろそろ引き揚げようとしましたら、丁度市内で演技が終わったらしい練習艦隊のドリル隊が帰ってきました。 女性の候補生達も混ざっていましたが、寒そ〜。

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 この岸壁でもドリル演技が15時から行われるとのことでしたが、今日は果たしてどれだけの市民が集まるのでしょうか。

 本当に私達以外の見学者は少なかったです。 土曜日の朝だから? 風が強く、寒い天候のせい? それとも関心がない? う〜ん、何故なんでしょう。 私達からすれば “もったいない”

 レンタカーを止めてある臨時駐車場に戻り乗ろうとしたところで、近くで待機中の消防車、これもパチリ。

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 どうやらドライバーは座席で居眠りをしているようです。 と、うん! 誰ですか、消防車の後ろから上に登ってまで写真を撮ろうとする人は! 油断も隙もない某Y氏でした。

 車に乗ってゲートを出ますが、来た時にゲート外側すぐ横に日本製の錨が飾ってあるのが見えましたので、ゲートを出たところで脇に車を止めて皆下車。

 周りには大勢警備兵がいますので、一応断ってから皆で写真を。

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 大正13年の神戸製鋼所製のストック付きコモン・アンカーです。 多分、旧海軍時代にブイの固定用にでも使用されていたのでしょう。 でも何故日本製のものをこんなところに? 単に海軍のシンボル「錨」だからなのかなと。

 しかしこれだけで終わってしまう私達ではありません。 車が来ないタイミングを確認してから道路の真ん中に出て、ゲートをパチリ。 基地の外からならいいだろう、と。

 このメインゲート。 旧海軍時代の馬公要港部の東通用口と同じ場所なのですが、もちろんゲートや付近の建物は全て戦後の台湾海軍のものです。

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 ここでも警備兵一同 “こいつら何なの?” という呆れたような顔をしていました。

 基地と艦艇の見学を終わったところで、一応今回の旅のメインは達成しました。 撮った写真は優に400枚を超えています。 うん、まずは十分十分。
(続く)

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2009年03月27日

第2回訪台記 3日目(3月14日)・続3

 この後は折角膨湖島に来ましたので、周辺のめぼしいところを回ります。 もちろん普通の観光とはちょっと違う形で。

 で、まず最初はグルッと南に回った、海軍基地の向こう側にある半島の先の 「蛇頭山」 へ。

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( 元画像 : google earthより )

 ここに向かう途中に旧馬公空港があります。 元々旧海軍の 「猪母水航空基地」 だったところです。 現在は飛行場としては全く使われていませんが、未だに軍の管理下にあるようです。 入れるのかどうかも判りませんでしたので、残念ながら今回は素通り。 もしもう一度膨湖島に行く機会があったら是非とも調べてみたいところの一つです。

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( 元画像 : google earthより )

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( 元画像 : google earthより )

 また、ここには 「猪母水餌砲」(“餌砲”とは偽砲台のこと) というのもあるように観光パンフレットには載っているのですが・・・・帰国してからグーグル・アースで探してみたら、確かにあるようです。 う〜ん、ここも見てみたい。

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( 元画像 : google earthより )

 お昼も過ぎましたので、途中の幹線道路沿いにある井按という小さな漁村の 「漁村小桟」 という食堂兼お弁当屋さんに寄りました。

 まあ辺鄙なところにある小さなお店ですので、あまり期待はしなかったのですが、これが意外や意外(失礼)実に美味しかったです。

 私が頼んだのは 「花枝排飯」 と 「猪肉カイ麺」(カイの字は「火」偏に旧字の「会」と書きます)です。 えっ、2つも食べたのかって? そうなんです。

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 特に前者は、イカのすり身を揚げたものがご飯の上に載ったものなんですが、何故か目玉焼きもついていてチョット見 “お子様ランチ” 風とはいえ、これがなかなかでした。

 この食堂の隣には小さな(といっても台湾の基準ですが)廟がありましたので、料理が出来るまでの間にちょっと見学。 色鮮やかで、なかなか綺麗に手入れがされており、廟の中からは香の匂いも漂ってきましたが、境内にはだ〜れもいません。

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 膨湖島内にはあちこちに同じ様な大小の廟があり、車の中からでも結構見かけます。 このためなのか、ここの様な大きさぐらいでは観光パンフレットの地図には載っていません。

 これらの廟は、よその人間には関係のない、本当に純粋な村民の信仰の対象として守られ、維持されているんでしょうね。

 蛇頭山への途中の道筋には、観光パンフレットに出てくるような柱状節理の崖なども見られますが、私達の目的からはパス。 車の中からのみ。 ともかく時間が足りないのです。

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 蛇頭山地区 ( 山というより英語表記 「Shetou Hill」 のとおりの “丘” なんですが ) は、綺麗に整備された公園になっています。 天気がよくて風が無ければ、ピクニックには最高でしょうが・・・・

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 なぜここに来たかというと、ここに旧海軍の軍艦「松島」の遭難者慰霊碑があるからなんです。

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(「軍艦松島殉職将兵慰霊碑」 と読めます。)

 現在あるものは、元々のものの最上部の碑とその下の石段1段のみで、その下と周囲は最近になって作り直されたものです。 外周は船の形を模しています。

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 ご存じのとおり、「松島」は明治41年に遠洋練習航海の帰途、ここ馬公に寄港しましたが、その時に火薬庫の爆発により轟沈、艦長八代大佐外、乗組の少尉候補生を含む222名(慰霊碑横の由来記には225名となっています)が殉職したとされています。

 本来の殉難記念碑は、明治44年に馬公市の現在の第2漁港付近に32糎加砲を模したものを飾った立派なものが作られ、一帯が「松島公園」となっていました。

 が、その後殉職者を荼毘に付した場所に何も無いことに気付いた旧海軍が、昭和11年になってその場所を調査の上、改めてそこに現在ここにある慰霊碑を建てたとされています。

( この後に寄った「膨湖島開拓館」の職員に聞いたところ、馬公市内の殉難記念碑は戦後も暫くはそのままになっていたそうですが、その後壊されてしまい、またその一帯も市街地として整理拡張されたことから、元あった正確な場所は今となっては判らないとのこと。 飾られていた32糎加砲を模したものは多分港内に捨てられたのではと言うのですが・・・・ )

 現在の慰霊碑は残念ながら作り替えられておりますので、現在の位置が元のその場所なのかどうかは判りません。 それにしても、この様な碑を修復し、かつ綺麗に管理してくれている台湾に対して、日本人として感謝の念を禁じ得ません。 本当に有り難いことです。

 この慰霊碑から湾の向こう側に海軍基地がよく見えるのですが・・・・何しろ丘の上の吹き曝し、向かいの猛烈な風を受けますし、飛沫のためなのか霞んで見えます。 残念、天気さえ良ければ。

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 この地区には他にも仏海軍将兵慰霊碑などがあり、また岬の方へ歩けば古いものから比較的新しいものまで、監視哨やトーチカなどの色々な遺物が点在しています。

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 そして岬の先端地域には1622年にオランダが建築した膨湖諸島最初の西洋式要塞があったとされているのですが・・・・これは歩いてみた限りではその跡は判りませんでした。

 もっとも、その2年後の24年にオランダがここを撤去し、台南に要塞を作るために一切の資材を移送したとされ、その後もこの場所は明朝などにより何度も改築されています。 しかも、戦後も機銃座などの陣地が構築されていますので、簡単に歩いただけでは判らないのも無理はないかと。

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 時間があってゆっくり散策するならば、この一帯でも私達にとってはまだまだ多くの興味深いものが見つけられそうです。
(続く)

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2009年03月29日

第2回訪台記 3日目(3月14日)・続4

 蛇頭山を一通り回ったところで、これから馬公市内に向けて走り、途中でめぼしいものを見ることにします。

 最初が 「膨湖旅客中心」、即ち膨湖島のビジターセンター(Penghu Visitor Center)です。

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( 右側の建物がビジターセンター )

 日本を発つ前の情報では、ここで膨湖島の日本語パンフレットを貰えると聞いていました。 まあ、あるにはあったんですが、観光案内の解説はともかくとして、地図がごく簡単なもの。 結局中国語のものが一番役に立ちました。 それに中国語は判らなくとも書いてある漢字で何となく理解できます。

 ビジターセンターは思った以上に立派な建物で、中もそれなりに工夫された展示がなされていますが、内容的にはまだこれからかと。

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 次に、このビジターセンターのすぐ近くに 「膨湖生活博物館」 へ。 ここはビジターセンター以上に立派な建物ですが、残念ながら今年一杯は改修とのことで閉館中でした。 玄関から中が見えるのですが、まだ何も手が着いていないようで、廃墟オフィスのよう。 台湾メンバー曰く、こう言うのを “モスキートー・ミュージアム (蚊の博物館)” と言うのだそうで、言い得て妙。

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 この付近には馬公市庁舎などの公共施設が沢山あります。 このあたり一帯は大規模な埋め立てにより平坦な広大な土地が出来上がっており、馬公市はこれからの市の中心をこちらに移し、元の市街地区は観光用に整備するつもりのようです。 

 ただ、幾つかのホテル等の新築も見られますが、広い一帯に大きな公共施設の建物ばかりが目立ち、市の構想が実現するのはまだまだ先のようです。

 自然環境の厳しい膨湖島にあって、漁業と僅かな農業以外に見るべき産業がないため、この豊かな自然と古い文化を売り物に “観光” に力を入れて行きたいようです。 しかし、夏季を中心に観光客も徐々に増えてきているようではありますが、そう期待通りに行くかどうか・・・・?

 旧市街に戻って 「膨湖開拓館」 へ。 ここは日本統治時代の昭和10年に立てられた旧馬公市長舎で、戦後も長い間膨湖県知事公舎として使われてたものです。

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 老朽化により一旦使われなくなったものの、1999年に日本建築を採り入れた元の建物をそのまま改修し、膨湖島の開拓史に関する資料を集めたところとしてオープンしました。

 時間的な問題で中に入るかどうか迷ったものの、丁度 「44〜45年膨湖島空襲展」 をやっているというので、入ってみることに。 ( 入館料は普段のままの30元(90円) )

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 特別展そのものは、額に入れた写真が20枚ほど廊下に並んでいるだけでしたが、館内は離島の展示館にしては元の建物の状態を綺麗に保存し、また資料ライブラリーも、複製が多いものの結構集められていました。

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 ところが、某N氏がそのライブラリーの中から旧海軍のアルバムの複製を見つけたことから、それからが大変。

 皆が集まってワイワイやっているところへ館長や館員のおばさんも混ざってきて、戦前戦中の馬公や膨湖諸島がどうだったのこうだったのと中国語での解説が始まりました。 ( 先の「松島殉難記念碑」の話しもこの時に。) 入館料30元は大変に価値あるものとなりました。

 日没が迫ってきましたので、急いで廃屋地区へ。 ところがそこへは開拓館から裏側(北側)の道を通ってしまいましたので、途中で台湾軍基地に行き当たって行き止まり。 Uターンし、改めてグルリと表側(南側)へ周って 「順承門」 のところから廃屋地区へ。

 「順承門」 は、清国時代に建てられた 「媽宮城」 (「馬公」と呼ばれるようになる元 ) にあった6つの門の内の一つで、元々は 「小西門」 と呼ばれていました。

( 観光パンフレットなどでは6つの内現存する唯一のものと記されているものもありますが、もう一つ、上記で私達が行き止まってしまった現在の台湾軍基地のゲートとなっているものが 「大西門」 です。 もっとも昔のままではなく、一部改修された姿となってしまっていますが。)

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(「順承門」 に登ると対岸の海軍基地にはこんなものも見えました。
話しに聞くとこれは未だに“現役”とか。 本当でしょうかねぇ? )

 この順承門から 「金亀頭集落」 へはそのまま続いています。 この集落は今では全くの廃屋地区となっており、膨湖県ではここを風景保存地区に指定して、観光用に整備していく計画です。

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( 奥むこうは基地内の軍の建物 )

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 そして、この先(西側)には 「金亀頭砲台跡」 があり、衛星写真などを見る限りでは現在でもかなりのものが残されているようなのですが・・・・残念ながらこの地区は未だに台湾軍の基地が置かれていまして、中に入ることができません。

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( 左の雲の下が砲台跡、その南側は既に台湾軍基地として
整備されてしまっています。 元画像 : google earthより )

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( 元画像:1945年版の米軍地図より )

 と、ここで日没。 一旦ホテルへ戻り、夕食のために19時に再集合することで、それまで自由行動に。

 私は旧市街の古い街並みを少しでも見られればと思って散策に出掛けましたが、「四目井」 に辿りついたところで暗くなり、ここで断念。

 それにしてもこの「四目井」 ? な場所にありますねぇ。 まあ生活井戸だったので、民家の建ち並ぶ真ん中にあるといえばそうかと。

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( 右のおね〜さんの話しは、また別の機会があれば )

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( 夕暮れ時に参拝する信仰深い住民 )

 ホテルに戻って夕食のために皆と合流したものの、台湾に来て以来今日の昼までに皆食べ過ぎ。 何か軽くということになり街の中をウロウロしました。

 しかしながら、これはこれでなかなかこれはと思うお店が見つからず、結局ホテルの近くのチェーン店らしき牛肉麺の食堂へ。

 私は普通の牛肉麺を注文しましたが、これまであちこちで食べてきたものと比べると味はしかたがないのでしょう、取り敢えず何か食べたということで。

 で、ここの牛肉麺の写真は取り忘れてしまい、前菜の茹でピーナッツと煮卵のみ (^_^;

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 21時前にホテルへ戻ってブレーク、明日に備えることに。

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( ホテルへ帰る途中の旧市街の古い路地風景 )

 いや〜、本命の馬公要港部跡訪問と艦艇見学を含めて、今日も実に充実した一日でした。 そして膨湖島での滞在は、まだ明日の昼過ぎまで残っています。 楽しみ、楽しみ。
posted by 桜と錨 at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2回訪台記(完)

2009年03月31日

第2回訪台記 4日目(3月15日)

 朝6時に起床。 外を見るとまだ多少風があるものの、カラリと晴れています。 うん、よしよし。

 今日は午後の便で台北に戻りますが、それまでの時間を使って昨日と同じレンタカーで膨湖島から白沙 〜 西嶼方面へドライブの予定です。

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( 元画像 : google map より )

 朝食はまた大して美味しくもないハンバーガーを食べにわざわざマックまで出掛けるのも馬鹿馬鹿しいので、昨夜コンビニと果物屋さんで買ってきたもので軽く済ませ、ゆっくりシャワーや身支度、それと荷物のパッキングをすることにしました。

 8時にロビーに集合してチェックアウト。 フロントに荷物を預けて、いざ出発!

 先ずは白沙島と西嶼島を結ぶ 「跨海大橋」 へ。 道は空いており約30分程で到着。 ここでは白沙側と西嶼側のそれぞれの入口(袂)の所で車を止めて写真を撮ります。

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( 元画像 : google earth より )

 ここは、1971年に作られた旧大橋の損傷などの理由により、1999年にその横に新たに作り直したものです。

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 しかし、シーズンオフだからなのか、日曜日の朝だからなのか、全く人がいないどころか橋を通る車もたま〜にです。

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( 白沙側入口 )

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( 西嶼側入口 道路真ん中に出ても全く問題なし )

 しかも、付近にあるお店なども全く開いておらず、白沙側にあると聞いていたサボテンアイスが美味しいというところも看板のみ。

 まあサボテンアイスは、帰りに時間があればの近くにあるはずのガジュマルの大樹を見るために再度ここに寄るつもりですので、その時にお店が開いていればと言うことで、ともかく写真撮影に専念。

 橋そのものも勿論ですが、周囲の景色が大変綺麗なところでもありますので、膨湖島の観光名所ともなっています。

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 その一方では、台湾にとっての防衛上の拠点でもありますので、白沙側入口すぐ脇には現役の監視所が。

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 また、西嶼側には古いものから比較的新しいものまで、沢山の軍事施設が残されています。

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 この ↓ 監視所はつい最近まで使われていたようで、中を覗くと色々なものが散乱したままになっています。

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 そして、色々面白いものを発見してしまい、一同狂喜乱舞して写真を撮りまくったのですが・・・・ その詳しい話しはまた別の機会に。

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 続いて次は、今回の旅で是非見てみたいものの一つであった 「西嶼西台」 へ。 西台とは西砲台の意味です。

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( 元画像 : google earth より )

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( 元画像 : google earth より )

 駐車場に車を置いて、入口脇の料金所で入場料30元(90円)を払って中に入りますが、ここでも後から来た女性二人組以外は他の見学者は全くおらず、ほとんど私達の貸し切り状態でした。

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( 砲台入口 )

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( 砲台平面図 上の衛星写真とは上下が逆向きです )


 この砲台は、1883年に李鴻章の命により建築が始まりましたが、翌84年のフランスとの戦争時にはまだ未完成状態で、講和後現在の形に再構築され、完成は1889年とされています。

 流石に有料だけあって観光用に綺麗に整備されておりますが、一部老朽化対策の間に合わない箇所も所々に。

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 ここでも1時間以上、私達一行は嬉々として写真を撮りまくりました。 中には段々と艦艇フリークから廃墟フリークへ変身する人も (^_^;  あっ、別に某 I 氏のことではありませんよ。

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(続く)


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2009年04月02日

第2回訪台記 4日目(3月15日)・続

 続いて更に 「西嶼東台」 へ行く予定ですが、台湾側メンバーから近くの 「西嶼餌砲」 を是非見たいというリクエストがありましたので、急遽先にそこへ行くことに。

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( 元画像 : google earth より )

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( 元画像 : google earth より )

 道路案内に従って走りますが、着いたところは 「何でこんな所に?」 というような、周りにはな〜んにも無い大地の上。

 で、車を降りてその場所に行ってみると、??? 窪地の中にそれはありました。 実に 「何これ?」 という格好をしたコンクリートの物体です。

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( 想像以上に大きなものです 40糎砲塔を模擬? )

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( 大きな窪地の中に隠れています )

 何時誰が作ったのかハッキリしませんが、台湾側メンバー曰く 「戦後でも台湾にはこんな物を作るコンクリート技術は無かった」 とのこと。 すると、旧軍が米艦載機を誤魔化すために造ったのか?

 この偽砲台の周囲にもトーチカ跡らしいものなど様々な構築物があるようですし、近くには台湾軍の基地もあります。

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 案内標識を撮る振りをしながら、望遠ですぐ近くにある台湾軍の基地をパチリ。

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 実は、基地の脇に膨湖諸島最古の有名な灯台があったことに後で気が付きました。 これを見るつもりで行けば、基地が間近に見れたのに・・・・もっともそこで基地施設の写真を撮るなど論外だったでしょうが。

 次は予定どおり 「西嶼東台」 へ。

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( 西嶼西台との位置関係(既出) 元画像 : google earth より )

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( 右側が西嶼東台、左側は台湾軍砲台跡 元画像 : google eaarth より )

 ここはこれから観光用に整備をするところらしく、まだ入口への道なども作っている最中であり、ちゃんとした駐車場もありません。

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 入口は開いたままになっており、勿論無料で入れます。 中はまあまあ綺麗になっておりますが、規模は西砲台よりは遙かに小さいです。

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 で、防壁の外側ちょっと離れたところにこんな物も。 当然、草むらをかき分け、かき分け見に行きます。

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 コンクリートの基礎の上に鉄製の旋回台が載っていますが、しかし旋回台は錆放題で既にボロボロ。 案内標識では 「観測台」 となっていますが、はて何が載っていたのか?

 東砲台の脇には暫く前まで台湾軍が使っていたらしい砲台跡の入口もありますが、こちらは鉄条網があって立入禁止。 こちらも整備して公開するようにするのでしょうか? 帰国してから衛星写真を見ると砲座跡が4〜5基ほど並んでいるようですが・・・・

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 さて、既に12時近くになりましたので引き返すことに。 しかし同じ幹線道路を帰ったのでは芸がありませんので、旧道に回って途中の 「二嵌聚落保存区」 を経由します。  (嵌の字の「甘」は正しくは「土」です)

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 ここも風景保存区に指定され、古い街並みを保存することになっているようです。 残念ながら車から降りずに、ゆっくり走りながら道路沿いに見ただけですが、なかなか綺麗なところで、離島の観光名所の一つとするに十分です。

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 で、最初の「跨海大橋」の白沙側入口に戻り、脇にある漁港に車を止めます。 ガジュマルの大樹 「通梁古榕」 がある 「通梁村保安宮」 はこのすぐ近く。

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( 元画像 : google earth より )

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( 通梁漁港 )

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( 通梁村保安宮 )

 なるほど凄い大樹です。 元は1本の幹からどんどんと別れて根を張り、こんな姿に。 樹齢300年以上とか。

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( ここが最初の幹とされています )

 で、お約束のサボテンアイスです。 目指すお店は開いていなかったものの、このガジュマルの近くに数軒のお店が並んでいます。 どこにしようかと迷ったのですが、商売上手にサボテンの実を試食させてくれるところがありましたので、そこで一つ購入。 30元(90円)でした。

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 う〜ん、皆は美味しいというのですが・・・・私的にはちょっと水っぽ過ぎて、期待したほどではなかったかと。 ( 買ったお店が悪かったのか? ) それよりも実のままの方が甘酸っぱくて美味しく、これを冷蔵庫で冷やして食べた方が、と思うのですが?

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 もう一つ私が期待していたものがこれ、これです。 「焼酒螺」 と言います。

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 小さな巻き貝を茹でたものですが、食べやすい様に一つ一つ殻の尻尾が切ってあります。 漁港の前にある小さなお店で買いましたが、コップ山盛り一杯で50元(150円)です。 手間暇を考えれば安いものです。

 これを摘んで貝の口の方からチュ!とやると中から身が飛び出てきます。 ピリ辛の味付けになっていますのでつまみには最高、思わず 「ビール持って来い!」 と言いたくなるほどなんですが・・・・ 車の中でチュ、チュとやっていると、台湾側も含め全員が 「何を好き好んでそんなものを」 という顔をします (^_^;

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2009年04月04日

第2回訪台記 4日目(3月15日)・続2

 車を飛ばして馬公へ戻り、レンタカーを返し、ホテル隣のお手軽食堂で急いで昼食。

 私は「海陸麺」なるものを注文しましたが、これは魚系の薄味のスープに文字通り魚介類と肉類がタップリ入ったもの。 私的にはちょっと薄味過ぎるので胡椒を少しかけたらこれで実にグッドになりました。 これでたったの60元(180円)

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 どうも台湾では台北などの都市内よりも地方、それも離島・僻地の方が食べ物などは安いようです。 これは台湾側メンバーもそのように言っていました。 日本とはまるで逆で、日本なら馬公のような観光地では馬鹿高い値段設定ですから。 それも大して美味しくもないものでも。

 食べ終わって14時頃にホテルへ戻り、荷物をピックアップしてからすぐにタクシーに分乗して馬公空港へ。

 空港に到着して立栄航空のカウンターでチェックイン、そのままチェック・ゲートを抜けると、土産物を買う時間もなく搭乗開始、そして1500h定刻通りテイクオフしました。

 国際線と異なり、台湾国内線のこの手軽さは良いですね〜。 日本の国内線の大袈裟な要領などとは大違い、まるでアメリカのコミューター並みです。 余計なサービスやプライドばかりにお金を使わずに、こういう手軽さを日本も見習うべきですね。

 帰りも同じMD−90型機ですが、飛び立ったと思ったらもう松山空港着。 40分弱で、スチュワーデスさんも慌てたらしく、飲み物サービスをバタバタと片付けて席に着いていました。

 荷物を受け取り、そのままタクシーに分乗して初日と同じ僑合大飯店へ。

 16時過ぎにチェックインしましたので、最後の夕食会のために19時に三徳大飯店に各自ごと直接集合することとし、それまでの間自由行動でブレークとなりました。

 取り敢えず荷物を置くことにして部屋へ。

 今回は7階701Aという部屋でしたが、手前に8畳ほどのオープン・ドアの部屋がありテーブルと椅子が並びちょっとした打合せ室に、そして中の両側が改めて私の701AとNH「おじさん」の701Bの部屋に分かれている構造。

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( 左手奥が私の部屋 )

 部屋の中はダブルベット一つは同じですが、かなり広い。 調度品も色々。 トイレ・洗面所と浴室はガラス扉で区切られており、これも広いですし、しかもバスはジャグジー付き。

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 オマケにまたまた居室と浴室との間はガラス張り。 台湾の人は好きですねぇ、こう言うのが。

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 荷物を置いてから近くのSOGOへ。 女房殿ご注文の品を確認のためです。 しかしながら、元来が女性ものなどサッパリ判らない上に、売場に日本語どころか片言の英語でさえ満足に通じる店員さんがいなかったので ???

 まあよしとしましょう、私としては努力はしたということで (^_^;

 ホテルへ戻って少し休憩してから三徳大飯店へ向かうため、MRTを台北駅で乗り継ぎ復興西路駅へ。 台湾も2回目になりますとMRTの乗り方などは随分と慣れました。 簡単なものです。 そして便利です。

 三徳大飯店のロビーで皆と合流して2階のレストランへ。 丁度夕食時刻だったので大変に混んでいました。 客は台湾人と日本人が半々ぐらいか。

 もっとも、この三徳大飯店は日本の団体さん御用達みたいなホテルですから、多いのも当たり前かと。

 一つのテーブルを囲みましたので少々窮屈になりましたが、奥さんや小さな子供さんを同伴のために少し遅れた台湾側メンバーを含め、日本側5人、台湾側6人の計11人。

 ここは中華料理の食べ放題だとかで、注文は台湾メンバーにお任せ。 しかしながら約2時間の間にまたしても次から次へと、出てくるは出てくるは。

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( 食べる )                   ( 食べる )

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( 食べる )

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( 食べる )                   ( 食べる )

 一体どれだけ注文したのか、11人でもとても食べきれないくらいの量でした。 それでも最後にセルフのアイスクリームを2回も取りに行った人がいましたが。

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( 食べた! )                  ( 食べた! )

  よく食べ、よく飲み、ワイワイお喋り。 今回の旅最後の夕食も大満足、大満腹です。

 食事の途中で台湾側メンバーから嬉しいプレゼントがありました。 今回参加できなかった常連の2名分を含め、日本側全員に台湾「模型家族」クラブの帽子です。 これはナイスです! いよいよ「模型家族」日本支部の誕生かとの声も。

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 楽しい夕食会のあと、私とHN「おじさん」、某Y氏3人は台湾側メンバーの車でホテルまで送って貰うことにしましたが、某I氏と某N氏は“やっぱり”これから散策・買い物へ。 負けますねぇ、このスタミナには!

 22時過ぎにホテルへ戻りましたが、いよいよ今回の最後の夜です。 荷物を軽く整理し、メモを付けてから就寝。 今日も大変充実した一日でした。
posted by 桜と錨 at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2回訪台記(完)

2009年04月06日

第2回訪台記 5日目(3月16日)

 朝7時に起床。 いよいよ今日は帰国の日ですが、午後の便ですので午前中は台湾メンバーの某M氏のお宅を訪問する予定です。

 窓の外の台北は、晴天の非常によいお天気です。 ゆっくりシャワーを浴びて、身支度をしてから地下の食堂へ。

 2日目の朝食の時とはおかずのメニューが変わっており、今朝の方が私にはグッドですが、やはりお粥にはちょっとお塩が欲しいところ。

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 9時にロビーに集合してチェックアウト。 フロントに荷物を預けますが、それにしても某N氏の荷物は凄い! この4日間の買い物の成果で、大きなトランクはパンパン、布製の大小2つのバックもはち切れんばかりです。

 MRTとバスを乗り継いで行天宮前交差点へ。 某M氏宅はこの近くですが、折角ですから目の前の 「行天宮」 に参拝します。

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( 台湾の人の “足” であるバイクの集団にはいつも驚かされますね )

 月曜日の朝ですが、境内には大変多くの人々が参拝に訪れており、皆熱心にご祈願をしております。 私達の様な観光客風はほとんどいません。 

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 ここ 「行天宮」 は皆さんご存じのとおり、例の三国志に出てくる 「関羽」 を祀ってあるところで、その立ち振る舞いから信用、転じて商売の神様として信仰の対象となっていますが、本来は武勇の神様なんです。

 で、私も。

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 この 「行天宮」 の周囲はいわゆる門前町でして、有名な 「占い横町」 などもあります。 その脇を通って、何故か一昔前の日本のような懐かしさを感じる路地を入ったところに某M氏宅が。

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 某M氏宅のお店も、それこそかつて日本のどこにでもあった 「町の文房具屋さん」 そのものの構えです。 親近感を覚えますね。

 しかしながら、本来はその文房具などの商品見本を飾るべきウィンドウや棚には至るところに某M氏の作品が・・・・

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 彼が店番の時に作るための材料や塗料なども大量にお店の中のあちこちに。 う〜ん、これで商売になるのだろうか、と思いましたが、約2時間の訪問中にも途切れることなくお客さんがあり、結構(失礼)繁盛しているようでした (^_^)

 で、折角ですから訪問の記念を何か、と思ってお店の中を見渡しましたら、ありました、これが。 早速購入。

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 某M氏の作品であるタミヤの1/700「大和」の改造キット「駿河」です。 これもパッケージにして売り出していたんですね。

 タダでいいと言っていたのですが、長い時間お店の邪魔をしたようなものですから、そう言うわけには。 しかしかなり破格の値段にしてくれたような・・・・ よいお土産になりました。

 さんざんお店の中でワイワイやってから、某M氏の案内で近くの 「町のラーメン屋さん」 へ。 いわゆる日本式のラーメン屋さんです。 私は 「海鮮」 を注文。

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 具も豊富ですしボリュームもあって、美味しいのは美味しいのですが、台湾ではどうもこの系統はどれでも日本人にはちょっと薄味過ぎるような気がします。 もっとも個人の味覚の問題もあるでしょうが。

 これにて今回の旅の散策はすべて終了しました。

 バス、MRTと逆のルートでホテルへ戻り荷物をピックアップ。 忠孝復興交差点のバス停からリムジンに乗って桃園空港へ向かいます。 途中の道路混雑も見込んでちょっと早めに出たのですが、極めてスムースに着いてしまいました。

 来る時に “ドサッ” と貰った500元札も結局かなり残ってしまいましたので日本円に両替。 為替レートはかなり良かったです。

 出発までかなりありますので、各自ブラブラして時間を潰します。 両替で残った台湾元で台湾土産の代表の一つ 「唐墨」 でも買おうかと思いましたが、あちこちのお店をウロウロしていて、とある化粧品売場で女房殿御用達のブランドの 「パレット」 を見つけてしまいました。

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 う〜ん、値段は唐墨とほぼ同じですが、これは食べたら一度で無くなってしまうし・・・・ 「パレット」 は何故か日本ではどこのブランドでもほとんど売らないので・・・・ まあいいか。 結局、唐墨は食べられないものに変身してしまいました。

 帰りは同じ中華航空ですが、機種はB−747。 ほぼ満席でしたし、格安のエコノミーだからとはいいながら、座席が30F、前が大スクリーンの壁のところ。 狭くて足が伸ばせないし、スクリーンは目の前上方にあるので見づらい。 約3時間のフライトなので、我慢我慢。

 機内食は行きと同じでポークかチキンかの選択。 前はチキンにしましたので、今度はポークに。 カレー味のポークパスタでした。

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 飲物はワインにしましたが、小瓶をくれるのではなく、フルボトルから小さなプラスチックのコップに注いでくれるだけ。 しかも、食事が終わるまでお代わりは回って来ませんでした。 行きのA−300の時は小瓶だったのを横目で見ていたのに。 ケチ! (^_^;

 かくして、無事成田に到着。 入国審査も、荷物受取も、税関もすんなり行きまして、訪台団解散と相成りました。
posted by 桜と錨 at 12:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 第2回訪台記(完)

2009年04月07日

第2回訪台記 旅を終えて

 実は私には日記をつける習慣がありません。 昔から手帳に簡単な記録を書き入れるだけです。

 したがってこの訪台記は、私にとって実に楽しかった旅を忘れないように、その手帳に基づいて思い出すままに綴ったものです。

 ですから、もし最後までお読みいただいた方がおられるとすると、単なる長々とした駄文に過ぎず、あまり面白くはなかったかも。

 それでもいいんです。 これは私と、同行の日本側メンバーと、そして素敵な台湾の仲間達との記録なんですから。 そして私の “気ままなブログ” ですから。

 今回の旅は、私にとって2回目の台湾。

 今回の当初の目的であった膨湖島の旧海軍馬公要港部跡への訪問も、限られた範囲内とはいいながら一応達成されました。

 そして膨湖島やその周辺もほんの一部ですが回ることができましたし、その最中に色々な探索をして、沢山の写真を撮ることができました。

 写真は、一眼デジカメとお手軽デジカメの2台を使って、5日間で1400枚を越えました。

 当然ながら、5日間のほとんどは一般的な観光旅行とかなり異なったものです。 しかし、実に充実した5日間の旅であったことは間違いありません。

 費用は、膨湖島も含めてシーズンオフだったこともあり、かなり格安で済みました。 サーチャージなどを除く、純粋な航空運賃は成田〜台北往復でたったの1万2千円でしたし、膨湖島は往復の航空運賃とホテル2泊のパックで、これもたったの1万7千円。

 それに食事代にしても、レンタカー代にしても日本に比べると遙かに安いです。

 結局何が余計な出費かというと、サーチャージや掛け捨ての保険、成田往復のバス代などで、これだけで全体の費用の約1/3です。

 今回の旅の総括としては何と言っても、“膨湖島へ是非また行きたい!” の一言に尽きます。 一般的な観光名所ばかりではなくて私達の趣味の世界でも、探すとまだまだふんだんに見所がありそうです。

 もちろん台湾本島でも行きたいところが沢山あります。 (実は日本側メンバー内では、もう次の計画が進行中なのです。)

 そして今回の旅の最中に台湾側メンバーから提案がありました。 “次は金門島へ行こうよ!” う〜ん、これも魅力的ですねぇ。

 どこか “スポンサー” になってくれるマスコミさんはありませんかねぇ? みんなで面白い訪問記を作りますし、写真も沢山撮ってきますから (^_^)

 いや〜、今回もちょっと変わった台湾の旅。 素晴らしい5日間でした。 大満足!

 これも同行の日本側メンバー、そして何よりも台湾側メンバーの極めて手厚い全面サポートのお陰です。 大感謝!

 今回撮った写真の内、馬公での艦艇見学や膨湖島周辺巡りのものは、何れ本家HPの方で纏めてご覧いただけるようにしたいと思います。

 ただし、馬公海軍基地内やその他台湾軍の基地など、ちょっときわどいものは残念ながら自粛させていただくつもりです。

 それは写真没収にもならずに済んだ台湾海軍及び陸軍の皆さんへのご厚意に対して。

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 あっ、これは単なる風景写真です・・・・ のはず (^_^)

(第2回訪台記 完)

posted by 桜と錨 at 00:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 第2回訪台記(完)