これについて、私はそれまでに全く苦々しい思い出を持っていた。
私の親友某少尉は、重要書類を提出しようとして、停泊中艦長室に入った。 折から毛筆で書信を書いていたこの艦の艦長某大佐は、カーテンを払った同少尉にとたんに怒鳴りつけた。
「ソンナものは後だ!」
丁度その日は、艦長がその書類を点検捺印すべき日であったが、「ソンナもの」 と侮られた同少尉は 「一寸の虫にも五分の魂」 特に彼は硬骨漢であった。 以後毎週引続いて彼は艦長に提出しなかった。 約1か月の後艦長ようやく気が付き同少尉に提出せよと命じ、「なぜ君は提出しなかったか」 と問われたので、彼は率直に艦長の怒鳴った言葉をくり返して返答し、とたんに再び同艦長の激怒を新たに食らったのであった。
以後艦長は事々に同少尉を信頼せず、衆人の前で罵倒し続けた。 同少尉は間もなくこの艦より寂しく退艦し防備隊に勤務し、以後潜水艦畑に進み、大戦中潜水艦長として南海に散ったが、当時私はこの親友が海軍を辞めるのでないかと心配し、有為の材を失うことを海軍のために恐れた。
この艦長は 「上に良く下に悪い」 型の人といわれていたが、温厚で全乗員の尊敬を一身に集めていた副長(中佐)に対しても、准士官以上の整列している面前で、同様に罵倒して言った。
「駄目だね!君は。 小学校一年生以下だョ。」
私達はこの暴言にはむしろ情なくなってしまった。 何がこの暴言を許したか、何がこの 「人を人とも思わぬ」 倣慢さを温存させたのであろうか。
今も帝国海軍がもし健在であったならば、このような恥部を露出しないで済んだかも知れない。 長き伝統は恥部を覆い隠して反省の時を与えなかったかも知れない。 しかし「ハンモック・ナンバー(釣床番号)」過重視の害は、ここにその一端を示している。
世に完壁に近いような評価を受けた帝国海軍にも、こんな例が稀にあった。 確かに少数の釣床番号病患者がいたが、自己の栄利のみに没頭する者にとっては、もう一つ上の次元である 「身命を賭す」 いうことは、到底達することができない。
感激性に燃ゆる若き日に、海軍に対する失望の鉄槌を受けて遂に戦死してしまった親友の恨みを思い出し、新しい後継者が再びこのような誤りを繰り返してもらいたくないと切に望むのであるが、カーテンを払い終わった私の友に浴せられた艦長の暴言は、その後数年にして、若くして駆逐艦長となった私に対して、電報取り次ぎの応符に関し、奇しくも強烈な教訓を与える結果となったわけである。
(もうこれ以上先輩の悪口を披露したくない。 説明不足の点はお許しを請う。)