何しろイ36部隊の艦艇は、こと護衛と対潜に関しては最も老練で兵器も一応揃っていたから、サイゴン司令部が暫くでもイ36の兵力を借りて、自分の哨区の敵潜を掃討したいことは山々であったが、一方船団運航の責任のある高雄のイ36としては、いくら敵潜が集っているからとて、これ以上船団をカムラン湾に止めておいて、大事な護衛艦2隻を掃討作戦の方に使われては船団運航計画が成り立たないとて、多分イ36がサイゴン司令部に申入れたのであろう、遂に船団は12日0800楡林向けカムラン発、「朝顔」と第21号駆潜艇が護衛し、接岸北上を続けた。
私は、これだけサイゴン部隊が掃討に大騒ぎを演じているからには、この付近の海面には敵潜が約2隻はいるだろう。 最小限確実に1隻はいる。 そしてこの1隻は数日来の日本側の掃討でアキアキしているところに、小型ではあるが貨物船2隻という餌が北上するのを感知しているであろう。
そうすれば本日日没後ぐらいに制圧中の哨戒艇をまいて浮上し、船団を追いかけてきて、船団の航路の前方に先き回りして、明日日出前ぐらいに船団を雷撃するであろうと私は予想した。 そして、船団後方こそ今夜の最も大事な正面であるとして、護衛配備を後方2,000メートル「朝顔」、前方2,000メートル駆潜艇とした。
そして私は各直の当直員にこの艦長の予想を話し、「朝顔」後方並びに右外側の視界限度(注:晴天月夜で約1万メートル)付近に対して、特に警戒を厳にするよう指示した。
また、乗員というものは本能的につい前方にばかり注意する傾向があるので、また船団速力が遅い(約6ノット)ので、これと同速として黙って静かに船団に続航していると咄嗟に緊急回頭しようとしても舵効きが悪いから、「朝顔」の速力を8〜9ノットとし、船団後方約2,000メートルを8の字運動をやらせながら続行させた。
正子を過ぎ13日を迎えた。 私は敵潜の浮上速力約20ノットとみ、浮上時刻を昨日の日没後約1時間とみ、「来るならもうソロソロ来なければならんナー」 と思った。
1時を過ぎ、2時を過ぎても敵情なし。 ただ見えるのは仏印海岸の岡々と、その合い間の白くボーッとする海岸線と、これらを左に見て黙々として北上する2番船、その先に小さく1番船、更にその前を行く小さな駆潜艇の黒影だけであって、天気快晴、海上微風、波浪なく、絶好の日和であった。
3時を過ぎ、いまだ敵情なし。 私の予言(?)はついに杞憂に終わるかとも思われたが、0351、艦橋大偉力双眼望遠鏡に就いていた当直見張員の服部正義二曹(舞志水4948)は、「怪しき影、水平線!」 と報告、私はスカサズ艦首を静かに黒影に向け、艦首波を小さくするため速力を6ノットに落とした。
怪しき黒影は船団よりの方位丁度約180度、「朝顔」よりの距離約9,000メートル。 私は振り返って「朝顔」の後方背後の仏印海岸を見た。 少し大型の細長い岡がある、「シメタ!、岡の影には「朝顔」がスッポリ入る」 と思った。
前記の発見者服部兵曹は「朝顔」第一の見張りの名人であって、「服部兵曹が当直に立っと敵が出る」 とまで艦内で噂されていた。
私は服部兵曹のついていた眼鏡について黒影をみた。 それは黒点というよりも水平線の横線が少し膨ら味があるという程度のものであった。 「これが果して大きくなってくるかなー?」 という実感であった。
「総員配置につけるにはまだ早い、距離もある。もう少し保続しよう」 と思っているうちに服部兵曹は「敵潜らしい」と叫んだ。
私はニタリとしてようやく「総員配置に付け」のブザーを鳴らした。 次いで「潜水艦間違いなし」、「高速で船団追及中」、「敵速18ないし20、方位角20度」 と言うふうに服部兵曹の報告は緊張する艦橋の中に鋭く響き渡った。
私もそのころは首から下げた七倍の眼鏡で、この潜水艦の司令塔が最新鋭の米潜であることを確認し、艦首から司令塔付近まで続く白い艦首波の長さによって、服部兵曹と同じく敵速18ないし20ノットと判定した。
居住区で熟睡していた非番直員も、恰も予想していたかのように素早く配置に付き、先任将校は落ち着いて私に「各部配置よし」を届けた。