2016年09月02日

将旗と長旗


ご存じのとおり、旧海軍や海上自衛隊に限らず、古今東西の海軍にはその指揮官旗として将旗・代将旗と長旗が定められています。

将旗は指揮官配置にある将官、代将旗は将官配置にある大佐がその旗艦あるいは陸上司令部などに掲げ、そして長旗は海軍将校が指揮する (=艦船の長である) 艦船に掲げられます。

旧海軍の場合、これらの旗は次の様式のものでした。

IJN_CMD_Flags_01.jpg


ではここで皆さんにお尋ねします。

艦長が少将であるというのは戦時の途中進級でも無い限り大変に珍しいケースではありますが、人事規則による補職上あり得ないことではありません。

実際に旧海軍では、太平洋戦争中に 「武蔵」 の艦長であった猪口敏平大佐が途中で少将に進級し、シブヤン海の戦闘において 「武蔵」 と運命を共にした例があります。

では猪口艦長が少将に進級した時、「武蔵」 には長旗に代わり少将旗が新たに掲げられたのか、あるいはそのまま長旗だったのかどちらでしょう? あるいは代将旗などの他の旗だったのでしょうか?

posted by 桜と錨 at 17:15| Comment(6) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年08月29日

朝雲新聞


一般の方々にはあまり馴染みが無いかもしれませんが、防衛省・自衛隊部内やミリタリー関係に興味のある人には有名な、陸海空3自衛隊や国内外の軍事関係ニュースを中心に特化した朝雲新聞社発行の 「朝雲新聞」 というのがあります。

この新聞に毎月1回掲載されております 「世界の新兵器」 コーナーで、これまで海上兵器の担当であった小滝國雄氏がご都合により交代されることになりましたので、私が換わって担当させていただくことになってしまいました (^_^;

8月25日付の紙面でその第1回目が掲載されましたが、何しろ初めてですので手堅くという意味もあって、現在艤装が進められております掃海艦 「あわじ」 のことを切っ掛けとして、FRP製の掃海艇のお話しからです。

asagumo_h280825_s.jpg

( 文字が小さくて内容は読めないかもしれませんが ・・・・ 自衛隊及びミリタリー関係に興味のある方は是非定期購読を、っと宣伝してみる (^_^; )

陸海空と誘導武器の担当者が持ち回りですので4ヶ月に1回となりますが、海担当の私としては、技術者ではなく用兵者としての視点から、平易で判りやすい内容で、読者の方々に興味を持っていただけるようなテーマを選んでいきたいと思います。

posted by 桜と錨 at 14:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年08月19日

合戦準備における木甲板の砂撒き


少し前に某巨大掲示板で話題になっておりました艦艇において合戦準備の際に木甲板に砂を撒くといことについてです。

当該掲示板では HN「hush」 さんがいつも通りの豊富な知識を活かして頑張っておられましたが、こちらで少々補足を。


帆船時代を含めて、艦艇では合戦準備の一貫としてまず木甲板を水で流します。

帆船時代は水兵達は裸足の者が多かったため(多少なりとも) 足裏を傷つけないようにするためと、火災予防のためです。 (そして日本海海戦時には甲板上に搭載した石炭を艦内格納又は海中投棄した後の清掃を兼ねていました。)

そして更に重要なことは、砲弾が木甲板に当たった場合、これにより飛散した木片による負傷を少しでも少なくするためです。 乾燥してささくれだった木片が人体に食い込んだ時には、ペニシリンが無かった当時としては時として致命的で、基本的には手足を切断することになりますが、多くの場合失血や感染症で命を失いました。

この水洗いの後に、木甲板に湿った砂を撒きます。 これは良く言われるように滑り止めのためであり、また流れ出た血の広がりを抑えるためでもあります。

ただしこれは人員のためであって、大砲の滑り止めなどにはなりません。


何時撒くのか。

基本的には合戦準備の一貫としての作業ですが、帆船時代を始め船の速力が遅い時代は敵艦が見えてからでも十分に間に合います。

しかし甲鉄艦の時代になって速力が早くなっるに連れて合戦準備は会敵前の比較的早い段階に終えるようになると、これでは戦闘時に木甲板と砂が乾いてしまい、目的の効果が無くなりますので、合戦準備後会敵までの適当な時期を見計らって実施することになります。


どの範囲に撒くのか。

目的が人員のためですので、原則として人が戦闘配置として就いている場所、つまり露天舷側砲などであり、そして人が頻繁に通る場所、つまり運弾通路となるところなどです。

したがって、帆船時代などでは木甲板全体にわたる広範囲なものとなりますが、甲鉄艦となった以降はその必要とされる範囲は次第に限定されたものとなります。

(もちろん、木造船時代と甲鉄艦時代とでは木甲板の意味合いが異なることは申し上げるまでもありません。)


誰が撒くのか。

帆船時代のように広範囲に撒く場合にはそれこそ総員作業になり、副長などの指示により一斉に行うことになります。

しかしながら甲鉄艦時代となると、戦闘時に木甲板の露天甲板に出る必要のある人員は次第に限定されてきます。

したがって、作業は砲員及び運弾員に指定された兵員がその中心となり、次第に総員作業から砲術科の通常の合戦準備作業の中の一つになってきます。

これは砲側に諸工具・用具などを準備したり、撃ち殻薬莢の跳躍防止用のマットを敷いたりするのと同じです。

このため、木甲板の水洗いや砂撒きなどはわざわざ艦の戦闘詳報などで採り上げて記載するまでもなく単に 「合戦準備」 の中に含まれることになりますし、更にはまた昭和期には艦としての合戦準備事項の一つとして規定することも無くなって来ました。


ですから、hush さんの言われるように日露戦争期でさえ戦闘詳報などに当該事項の記載が見られないというのは自然なことなのです。

しかしながら、本ブログで連載しました 『日露海戦懐旧談』 の中でも出てきますように、これが淡々と実施されていたことは明らかです。

ただし、日本海海戦などにおいても、これがどの程度の効果があったのかについては不明で、各艦の戦闘詳報や戦訓などにおいて記されているとおり、既に個艦における防禦措置としての重きはこれには無かったことは確かです。


いつ頃まで行われていたか。

上述のとおり、木甲板そのものが少なくなり、かつ露天甲板に配置される人員が少なくなったことと、運弾員など甲板上を動き回る兵員は戦闘時には底がゴムの布製ズック又は厚手の地下足袋を多く着用したことから、木甲板の砂撒きは昭和期までには必要な個所を必要に応じて各艦、各部署ごとに実施するようになったと考えられます。 もちろん太平洋戦争期でもある程度は行われていたであろうことは想像に難くありません。

また砂巻きは鉄甲板では意味がありませんし、リノリューム甲板では材質表面を痛めることにもなります。

そして鉄甲板のところは、砲座なども含めて必要な個所には波形の滑り止めがついたものを使用したことはご存じの通りです。


現在では掃海艇などを除けば鉄甲板以外の艦艇はまずありませんが、戦闘時に限らず普段でも濡れた鉄甲板は滑りやすいため、某巨大掲示板でも紹介があったように、海自では通路 (歩行帯) 指定個所に砂を撒いてその上から塗料で塗り固めて滑り止めとしています。

もちろん米海軍などではそんなけちくさいことはせずに滑り止めの塗料を分厚く塗っていますが (^_^;


では最後にご来訪の皆さんに質問です。

木甲板に撒く砂は、この合戦準備作業として使用するために艦にわざわざ搭載しているものなのでしょうか?

(8月21日追記):

実はこの砂は合戦準備作業用のためだけではなく、平時から木甲板の保存・手入れ用に艦に常備しているものなんです。

木甲板を常に正常で綺麗な状態に保つためには大変に手間暇がかかります。

Shiphandring_Text_cover_04_s.jpg

毎朝の水洗いのみではなく、必要に応じて掃き掃除をしてゴミなどのないようにすることはもちろんですが、雨や海水を被った後はこれを拭って常に乾燥した状態を保たなければなりません。

そして艦の振動や気候の変化により木板と木板の間に隙間が出来たり、詰め物が欠損したような場合には、見つけ次第中に水が染み込まないように補修をする必要があります。

また、もし油性のものを溢してしまった時には、石灰などを使ってシミにならないようにしなければなりません。

しかしながらここまでやっても、それでも経年変化とともに木甲板の表面は水垢などによって変色し薄汚れてきます。

そのため、定期的に木甲板の表面を綺麗にする必要が出てきます。 これは檜の浴槽などをお考えいただければお判りいただけると思います。

つまり、サンドペーパーや鉋を使う代わりに、この砂で磨くわけです。 もちろんこれを頻繁にやりますと木甲板はすぐに磨り減ってしまいますので、これを行う時期を見極める必要があります。

戦艦などにおいては、こうして木甲板を常に綺麗な状態を保つために大変な手間暇をかけて、その威容を保持していたのです。


posted by 桜と錨 at 22:15| Comment(12) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年08月16日

邦訳版 ジェリコー著 『グランド・フリート』 完成!


ブログ 『軍艦三笠 考証の記録』 を主催されるHN 「八坂 八郎」 氏が私家版として邦訳出版されているジェリコーの 『グランド・フリート』については、既に第1巻と第2巻をご紹介してきたところです。


この度、残りの全てを第3巻として出され、これにて同書の邦訳が完成しました。

GF_JP_all_s.jpg

今回の第3回は、分量的には前2冊を合わせたくらいの厚さがあります。

そしてこれまでと同じくビニール・カバーのついた大変に綺麗な装丁で、また付図が大きなA3サイズで別になっているのも嬉しいところです。

もちろん本文の訳も例によって丁寧で、かつ判りやすい日本語になっていることは申し上げるまでもありません。

やはりこういった有名な古典が日本語で読めるというのは嬉しいことですね。

この方面に興味のある方は、入手方法など、氏のサイトから直接コンタクトをとってみて下さい。 (プロフィール欄からメッセージが送れます。)


posted by 桜と錨 at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年07月17日

『一般計画要領書』 への追加公開


本家サイトの今週の更新として、しばらく間が開いてしまいました 『史料展示室』 コーナーの造工史料 『一般計画要領書 潜水艦の部』 へファイルを追加しました。


今回は、先日本家サイトの掲示板でも話題になりました 「伊6潜」、水中高速タイプ (潜高型) の 「伊201型」、そして実用性の高さが評価された 「呂35潜型」 の3つです。

I-006_mod_001_s.jpg  I-201_mod_001.jpg

Ro-035_mod_001.jpg

潜水艦の部は、当該頁のリストにありますようにまだまだ多くのものが残っておりますが、今後とも少しずつ追加していく予定です。


この造工史料は親しくお付き合いさせていただいておりますHN 「閑居不善庵」 氏のご厚意により複製をいただいて順次ディジタル化したものすが、この様な貴重なものを私のサイトで公開できることは大変に嬉しく光栄なことです。

しかしそれにしても、この史料はいまだにどこからも纏まった形で出てこないのはどうしたことなのでしょうか?

本来ならば私のところの様な個人サイトではなく、キチンとした組織・機関のサイト、あるいは出版物として公開されておかしくないものと思いますが ・・・・ ?

posted by 桜と錨 at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年07月16日

『世界の艦船』 8月号増刊


間もなく 『世界の艦船』 8月号増刊 (通刊843号) として 『傑作軍艦アーカイブ A 米空母 「レキシントン」 型』 が発売となります。

SoW_No843_cover_s.jpg

この中で私も 「メカニズム A 兵装」 の項を担当させていただきました。

ただ、割当の紙幅からは 「レキシントン」 と 「サラトガ」 2隻の兵装の変遷を追うのがやっとですので、残念ながらその個々の兵器の詳細まではほとんど行き着きませんでした。

それでも各種データなど今まで無かった内容についてかなり盛り込めたと自負しております。

増刊号全体の構成も大変バラエティに富んだものとなっております。 書店の店頭で見かけられましたら是非手にとってご覧ください。


う〜ん、それにしても表紙の写真は、「サラトガ」 が後進しながらF4B戦闘機が逆向きに艦尾方向へ発艦しつつある珍しいもので、この辺は編集部さんの遊び心ですね (^_^)

posted by 桜と錨 at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年07月03日

『海軍須知』 コーナー開設


本家サイトの更新として、旧海軍についての基礎的・基本的な事項を解説する 『海軍須知』 コーナーを設けました。


当面は本ブログで過去に採り上げたもので、世間に誤って流布されていることや誤解されていることなどを中心にして、これらを纏め直して掲載していく予定です。

第1回目は 「戦闘旗」 と 「海軍における挙手の敬礼」 の2つです。

battle_flag_2_s.jpg  salute_01_s.jpg

前者は平成20年に同じ軍艦旗でも艦旗と混同していることについて、後者は平成22年 “海軍式敬礼” なるおかしなものの誤りについて、それぞれ本ブログで記事にしたものです。

ブログですと古いものは流れていってしまいますので、今回本家サイトで改めて記事にし直しました。

お陰様までこれらについてはブログ掲載以来、現在ではネット上でもウィキなどを始めとしてかなり直ってきておりますので、私としては嬉しい限りです。

posted by 桜と錨 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年06月01日

船底に穴はいくつ ?


普段海上からは見えない艦艇の喫水線以下ですが、この船底に一体いくつの穴が開いているかご存じでしょうか?

Asakaze_JO_trng_rep_01a_s.jpg

また、艦艇には重油や真水などのタンクが船底部に配置されていますが、どのようなタンクがいくつ、どの様に置かれているのかご存じでしょうか?

Asakaze_JO_trng_rep_01b_s.jpg

これらは一般の方々にとってはある意味 “トレビア” の類の話しですが、逆に艦船に興味がある方々にとっては出版物でもネット上でも案外これらについて詳細に説明したものが少ないのもまた事実です。

そこでちょっと古いですが、ご参考までに現代の護衛艦における一例として、私が三菱長崎で 「あさかぜ」 の艤装中に作成したものをご紹介します。

Asakaze_JO_trng_rep_01_s.jpg
(クリックするとPDF版を表示します)

米国留学から帰国した後、「あさかぜ」 初代ミサイル士予定の艤装員として約10ヶ月間勤務しましたが、就役前に最後のドック入りをした時に、何を思ったか艤装員長 (初代艦長予定) から初級幹部に対して課題が出されました。

次の3つについて実地に調べて書面で報告せよ、と言うものです。

   船底諸弁など開口部について
   汚物処理タンクについて
   諸タンクの配置、容量、用途について

もちろん機関科の図書などを写すのではなく、各自でドックの底に潜り込んだり艦内をくまなく回って調べろと言うものです。

こういうことは私は得意ですので、実はあっと言う間に作り上げてしまったのですが、それはそこ、あまり早く提出してはズルをしたと思われるのもイヤですから、2週間ほどしてから (^_^;


この 「あさかぜ」 も既に退役していますし、「たちかぜ」 型3隻も全艦除籍されて久しくなりました。 今となっては懐かしい思い出の一つですね。

posted by 桜と錨 at 16:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年05月29日

旧海軍の従軍記章と記念章


本家サイトの 『談話室』 にて 「大正三年乃至大正九年戦役従軍記章」 と 「支那事変従軍記章」 の授与範囲についてお尋ねがありましたので、本家サイトの今週の更新として 『海軍法規類集』 コーナーで旧海軍の各種の従軍記章及び記念章記章に関する規定を追加公開しました。

T03-09_medal.jpg
( 大正三年乃至九年戦役従軍記章図式 )

china_incident_medal.jpg
( 支那事変従軍記章図式 )

また、『水雷講堂』 コーナー中の旧海軍の魚雷及び同発射機一覧の頁を更新しました。

旧海軍の魚雷はともかく、その発射機については太平洋戦争期以外のものはほとんど知られておりませんので、取り敢えず水上発射管について旧海軍の公式史料から纏めてみました。 まだ抜けがあるかもしれません。

なお、これら各種の魚雷及び発射機の詳細については今後機会をみて順次公開していくつもりにしております。

posted by 桜と錨 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年05月24日

錨と錨鎖の話し (9・補)


捨錨準備の補足

HN 「きのけんさん」 から前回の捨錨の話しに関連して次のような補足質問をいただきました。

駆逐艦の錨を引き上げられるワイヤの直径となるとどのくらいになるのでしょうか。
また、図にあるワイヤと丸材との締結部は捨錨時に順次勝手に切断されていくよう、ワイヤよりも強度の弱いシュロ縄などで締結されているのでしょうか。


事前に捨錨準備を行う余裕がある場合には、すでに荒天錨泊として十分な長さの錨鎖 (一般的には 4x水深(m)+145m) を出しておりますので、収錨時にこの鋼索に直接錨の重量がかかるようなことはありません。

したがって、鋼索にはこの錨鎖を引き揚げるのに必要な強度が求められます。 旧海軍においては通常は錨鎖2節 (50m) 程度に耐えられるものとされています。

これは錨鎖の1節の重量と鋼索の強度から簡単に計算することが可能ですが、一般的には更に簡単にして、軽巡程度以下の艦艇においては錨鎖の径に応じて次表のものを用いることとしていました。

shabyou_03.jpg

特型駆逐艦等でも錨鎖径は40ミリ程ですので、24ミリ以上の鋼索を使用することになります。


鋼索を綰ねて外舷側に用意した円材に順次 「雑索」 と呼ばれる麻索の細索で固縛していきますが、この結び方は 「曳索結び」 と呼ばれるものです。 ただし、商船などで用いられるものとは少し異なり、「ふた結び」 と 「ねじ結び」 とを組み合わせた特種なものです。

shabyou_04.jpg
(ちょっと綺麗な図がありませんので (^_^; )

shabyou_05.jpg    shabyou_06.jpg
( ふた結び )      ( ねじ結び )

shabyou_07.jpg
( 一般的な曳索結び )

捨錨時には前甲板指揮官の 「スリップやれ」 の号令によりスリップを切る (ハンマーで掛け金を外す) のと同時に最初の2〜3ヶ所をナイフで切り、あとは鋼索の走出状況を見ながら、次々と切っていきます。

もちろん、鋼索の張力がかかった時は自然に切れますが、この場合円材などを壊すおそれも出てきます。

この固縛索を切るのも危険な作業になりますので、熟練の運用員や砲術科員(通常は前甲板の作業員)が当たりますが、スリップ操作とともにいつも緊張する瞬間です。

なお、上記の鋼索を使用しますので、示錨浮標索もこれを引き揚げるためにそれなりのものが必要になることは申し上げるまでもありません。

-------------------------------------------------------------

前 : 「錨と錨鎖の話し (9)」

posted by 桜と錨 at 14:22| Comment(1) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年05月22日

錨と錨鎖の話し (9)


捨錨 ・ 収錨 ・ 探錨

以前 『錨と錨鎖の話し』 として連載し8回で止まってしまっていますが、HN 「きのけんさん」 から捨錨に関連して次のようなご質問いただきましたので、前回の続きではなく単発頁として追加いたします。

捨錨時には錨にブイを付けて目印にする、とありますが、ブイを目印に位置は確定できるとして、回収時の揚錨はどのような手順で行うのでしょうか。
錨とブイをつないでいるラインはそれによって錨を引き上げられるほど頑強なものとは思えません…。


ご存じのように 「捨錨」 と言いますのは、荒天錨泊中などにおいて緊急で出港する時に錨を揚収する暇が無い場合に錨鎖を切ってそのまま錨と錨鎖を海底に残したままとすることです。 もちろん後でこれを収容しますが、これを「収錨」と言います。

捨錨する必要が出てくることを予期されるような場合には、錨泊した後で 「捨錨準備」 という作業を行います。 その準備が完成した形が次の図のようになります。

shabyou_01.jpg

つまり、錨鎖を一節ずつ繋いでいるケンターシャックルを錨鎖を固定しているスリップの直ぐ後ろ側になるようにし (捨錨準備に関係なく、錨泊時は “船乗りの躾け” として常にそうしています)、外舷に錨鎖を引き揚げるのに十分な強度の鋼索 (ワイヤー) を図のように準備してその一端を錨孔の外側から回してここに仮止めしておきます。 そして鋼索の他端に示錨浮標と浮標索を結んでおきます。

実際の捨錨時には、ケンターシャックルを外して切り離した錨鎖の後端に鋼索を取り付けてから、スリップを外して錨鎖を投入し、順次鋼索を伸ばしていきます。 そして適宜の時期に浮標と浮標索を投げ入れます。

したがって、収錨時にはまず示錨浮標を人力で引き揚げてその浮標索を揚錨機に巻き、あとは浮標索、鋼索、錨鎖の順で機力で巻き上げて行きます。


では、緊急時にこの捨錨準備をしていなかった場合や、何かの理由によって錨鎖が途中で切れてしまった場合はどうするのでしょうか?

この場合は色々なやり方がありますが、下図のように自艦の小錨を使って錨又は錨鎖を引っかける方法や、あるいは短艇などを使って錨の爪に索を引っかける方法などはその例です。 これらを 「探錨」 と言います。

shabyou_02a.jpg  shabyou_02b.jpg

小錨の場合はそのまま引き揚げますが、短艇を使用する場合は、錨が引っかかったらこの索のどちらか一端に順次太い索を繋いで繰り出し、錨を引き揚げるのに十分な強度の麻索又は鋼索となったところで、自艦で錨を引き揚げます。

収錨や探錨は天候や海面状況が良くなったらゆっくりやればよいのですが、捨錨は昼夜を問わず荒天の中での緊急作業になりますので非常な危険を伴い、下手をすると甲板員の足の1本や2本は失うことになりかねません。

-------------------------------------------------------------

前 : 「錨と錨鎖の話し (8)」

次 :「 錨と錨鎖の話し (9・補)」

posted by 桜と錨 at 18:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年04月26日

『世界の艦船』 6月号


まもなく書店の店頭に並ぶと思います、『世界の艦船』 6月号です。

SoW_No838_cover_s.jpg

今月号の特集は 「現代の艦隊防空」 なんですが、1916年5月31日から6月1日にかけて行われた 「ジュットランド海戦」 から丁度100周年を迎えますので、私はこちらの方の記事を担当させていただきました。

『ジュットランド海戦から100年! その意義を検証する』

古今東西の海戦史でもっとも有名なものの一つで、当時から様々な論文や著作物などで採り上げられて来ており、代表的なものだけでも200はくだらないと思います。

それだけに膨大な内容を含みますのでとても月刊誌の一記事に収まるようなことではありませんので、現代の若い方々への “ほんのさわり” ということとなりました (^_^;

いろいろな意味で非常に面白い海戦ですので、本記事をご参考にしていただき、詳細については是非この機会に一度専門文献に当たたられることをお薦めする次第です。


なお本来の特集記事ですが、こちらもテーマとしては大変に広汎なものがありますのでそれぞれ概論とならざるを得ないものですが、それでもちょっと各ハードウェアについての内容が物足りないように思えるのは私だけでしょうか ・・・・ ?

posted by 桜と錨 at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年03月20日

本家サイトの 『史料庫』 コーナー開設


本家サイト立ち上げ以来未開説のままとなっておりました 『史料庫』 コーナーですが、今週の更新として、取り敢えずの叩き台の頁を作成し公開しました。


site_top_menu_01_s.JPG

当該コーナーはこれまで私が研究用として収集してきた旧海軍の史料を中心に、併せて関係する海上自衛隊及び米軍の資料なども含めて、項目毎にリスト・アップしていくものです。

もちろん私の保有しております史料・資料は今では膨大な数になり、かつまだまだ収集・整理中ですので、とてもその全てを網羅することは不可能です。

したがって、手始めに既に本家サイトや当ブログでその名前などが出てきたもの、あるいは 『史料展示室』 コーナーで全文を公開しているものを中心に順次リストに追加して行く予定です。

防衛研究所図書室などにも収蔵されていないものも多数ありますので、皆さんの研究などにおいて、“こういう史料も残されているのか” “そういう資料も作成されていたのか” という参考にしていただければと思います。
posted by 桜と錨 at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年03月07日

特別展示 秋山真之書簡


松山の 「坂の上の雲ミュージアム」 にて、明日 (3月8日) から6月26日までの予定で特別展示 『海軍少将時代の秋山真之書簡』 が開催されます。

Poster_SakaM_Akiyama_Ltr_01.jpg
(特別展示パンフレット 画像クリックで元のPDF版を表示します)

タイトルにもありますとおり、海軍少将時代の秋山真之の書簡4通を中心としたもので、この4通については今回初公開となります。

詳細については同館の公式サイトをご覧下さい。

     http://www.sakanouenokumomuseum.jp/
     http://www.sakanouenokumomuseum.jp/guide/oshirase/?id=577

今回の企画は、同館の徳永さんという学芸員の方を中心に、地道な史料収集と調査研究を重ねられた成果です。

ご存じのとおり、秋山真之については日露戦争期までのことについては非常に有名ですが、逆に晩年については49歳の若さで早世したこともあり、あまりと言うより一般にはほとんど知られておりませんので、その点からも今回の展示は貴重なものと言えます。

私も少しばかりですが書簡の内容の考証についてお手伝いをさせていただきました。

季節的にも良い時期ですので、松山を訪れる機会のある方は、是非ミュージアムにも足を運んでいただき、今回の特別展示をご覧下さい。

(特別展示のパンフレットの引用については同館の許可を得ております。)
posted by 桜と錨 at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2015年12月12日

『丸』 1月号別冊


まもなく書店に並ぶと思いますが、月刊誌 『丸』 1月号の別冊として 『 「武蔵」 と世界の戦艦』 が出ます。

Maru_h2801A_cover_s.jpg

今年はポール・アレン氏の手によって発見されたシブヤン海に眠る 「武蔵」 の映像が話題となったところですが、この 「武蔵」 の話題を軸に、同時代である第2次大戦時の世界各国の戦艦をビジュアルに纏めたものです。

全体の約1/3を占める写真ページに加えて、本文記事として各国の就役及び未成戦艦のプロフィールが紹介されていますが、私もその前提たる 「戦艦とはなにか」 について書かせていただきました。

これについては従来からも故福井静夫氏を始めとして多くの研究家の方々がものされていますが、どうもこれらは “造船屋” さんなどからする技術的視点のものが主であったと言えます。

そこで今回は “現代の鉄砲屋” の一人として、いわゆる “用兵者” 側の視点からのものにしてみました。 したがって、これまでのものとはちょっと趣きの異なるところがあるかと。

もちろんこれはどちらが正しいとか、どちらが良いとかではなく、戦艦というものを考えるときには一方からだけの意見ではなく、いろいろな視点・観点から見る必要があるということです。

書店で目にされた時には是非手にとってみて下さい。

posted by 桜と錨 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2015年12月02日

邦訳版 ジェリコー著 『グランド・フリート』 (続)


ブログ 『軍艦三笠 考証の記録』 を主催されるHN 「八坂 八郎」 氏がその研究の一環として著名な古典を私家版として邦訳出版されていることは度々ご紹介してきました。

前回はジェリコーの 『グランド・フリート』 の第1〜4章をご紹介したところです。


この度その続きの第5〜7章が完成し、1冊送っていただきました。

前回と同じビニール・カバーのついた大変に綺麗な装丁で、また付図が大きなA3サイズで別になっているのも嬉しいところです。

yasaka_grand_5-7_cover_s.jpg

もちろん本文の訳は例によって丁寧で、かつ判りやすい日本語になっていることは申し上げるまでもありません。


そして今回は、Morgan Robertson の短編小説 『The Brain of the Battle-ship』 の邦訳版 『軍艦の頭脳』 もいただきました。 こちらも面白いです。

yasaka_brain_cover_s.jpg

入手方法など興味のある方は、是非氏のサイトから直接コンタクトをとってみて下さい。 (プロフィール欄からメッセージが送れます。)


posted by 桜と錨 at 13:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2015年10月25日

「大湊航空基地」 など


相変わらずばたばたしておりまして、本家サイトの更新もちょっとだけです。

先々週に引き続き 『旧海軍の基地』 コーナーに以前作りかけておりましたものを手直しして 「大湊航空基地」 「根室航空基地」 及び 「神町航空基地」 の3つを追加公開いたしました。

「大湊航空基地」 :
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/002A-Ominato.html
「根室航空基地」 :
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/029A-Nemuro.html
「神町航空基地」 :
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/A014-Jinmachi.html

これら3つのうち、大湊と神町は現在では海自大湊航空基地及び山形空港となっていることはご存じのとおりです。

Nav_AirBase_01.jpg
( 平成8年版の航空路図誌から )

根室につきましては、終戦後に滑走路は使用不能な状態にされたものの、その滑走路跡や掩体壕などは現在でもそのまま放置状態にあるようです。

Nemuro_map_1954_s.jpg
( 昭和29年の米軍地図より )

posted by 桜と錨 at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2015年10月11日

本家サイトの久々の更新


1ヶ月ぶりに本家サイトのコンテンツを触ってみました。 といっても十分な時間がとれませんので ・・・・ チョットだけです (^_^;

「旧海軍の基地」 コーナーで、既存の各頁の表示方法が少しずつ違うところがありましたので、これを統一すべく少し手直ししました。 

併せて、以前にラフなものを作っておいた 「美幌 (第一、第二、第三) 航空基地」 と 「標津 (第一、第二) 航空基地」 を改めてコンテンツに仕上げて公開しました。

美幌 (第一、第二、第三) 航空基地 :
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/028A-Bihoro.html
標津 (第一、第二) 航空基地 :
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/A013-Shibetsu.html

Shibetsu1_chart_1989_s.jpg
(旧中標津空港となっていた第一標津航空基地)

Shibetsu1_chart_1996_s.jpg
(同地に新たに造られた現在の中標津空港)

他の基地についても一応の史料は既に集めてあるのですが、コンテンツに纏める時間が ・・・・

posted by 桜と錨 at 19:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2015年09月13日

『帝国海軍 艦隊戦時編制表』 公開完了!


本家サイトの今週の更新として、『帝国海軍艦隊 戦時編制表』 で最後に残っておりました昭和20年6月1日現在の表を追加し、これにて同編成表の全ての公開を完了いたしました。

senjihensei_cover_s.jpg

なお、本家サイトの掲示板にてHN 「戸田S.源五郎」 氏よりご指摘いただきました既存の昭和16年10月1日現在のものは、同掲示板での回答のとおり確認の結果同10月15日現在のものであるとするのが最も適当と判断されますので、当該表を同日付に変更いたしました。 同表については引き続き調査を継続いたします。


posted by 桜と錨 at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2015年09月11日

邦訳版 ジェリコー著 『グランド・フリート』


本ブログでも度々ご紹介しているサイト 『軍艦三笠 考証の記録』 の管理人であるHN 「八坂 八郎」 氏の最新私家本です。

八坂氏は 「三笠」 の考証に併せ、当時の海軍や軍艦についても手広く熱心に調査研究を続けられているところです。

今回はここにご来訪いただける方々には既知のものでしょう、英海軍大艦隊 (Gland Fleet) の司令長官であったジェリコー海軍大将の著 『Gland Fleet 1914-16 : Its Creation, Development and Work』 の邦訳版でが、流石に原著が大作ですのでまずはその第1章〜第4章まで。

  Grand_fleet_yasaka_cover_s.jpg  Grand_Fleet__yasakafront_s.jpg

いつもどおり丁寧な訳出で、大変に読みやすいものとなっております。 そして新書版サイズですのでハンディですし、なりよりもビニール・カバーが付いているのが嬉しいところ。

今回は原著を基に大正9年に水交社が出した 『英国大艦隊』 を底本として訳出されています。 したがいまして、専門用語などは基本的に水交社版を踏襲しており、このため今日とは多少異なるところがありますが、これは当時の旧海軍でも同じ訳語を正式に使っておりますので問題ないでしょう。

水交社版は既に 「近代ディジタルライブラリー」 の次のURLにて公開されていますが、読みやすさは格段に今回のこちらでしょう(^_^)


また、原著もインターネットのいくつかのところで公開されていますので、両者を対比しながら読まれるのも面白いと思います。

ただ今回の八坂氏の訳本では、内表紙前の写真が1912年2月に英国で出版された当時に掲載されていた 「アイアン・デューク」 艦上の乗員との記念写真となっています。

一方で、同年3月に米国で出版されたものはジェリコーのポートレイト写真となっており、今ではこちらの方が一般的かもしれません。

grandfleet_jellico_port_01_s.jpg

まあこの辺は八坂氏の “こだわり” であり、また逆に珍しい写真でもあるでしょう。

本書の八坂氏のサイトでの紹介頁は次のところです。


なお入手方法など興味のある方は、氏のサイトから直接コンタクトをとってみて下さい。 (プロフィール欄からメッセージが送れます。)


posted by 桜と錨 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと