2017年09月12日

軍艦利根資料館


今日は車でグルッと回って江田島へ。 「能美海上ロッジ」 (老朽化のため閉鎖済み) の脇にある 「軍艦利根資料館」 へ行ってきました。

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ご存じの通り、重巡 「利根」 は昭和20年7月になって空襲を避けるために呉から江田内の湾内、ここのすぐ目の前に避泊しましたが、そのすぐ直後に米軍機の攻撃を受け大破着底しました。

そして昭和40年にこの地に慰霊碑を建立、昭和62年に隣接して現在の資料館が建設されました。

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敷地は地権者の寄付により現在は市の土地となっておりますが、慰霊碑と資料館は保存会が所有しております。

現在資料館の入口は9時〜17時で開けてある時もありますが、閉まっていれば誰でもが隣の 「シーサイド温泉のうみ」 のフロントに預けてある鍵を借り出して入ることができるようになっています。 つまり資料館内は無人ということです。

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とは行っても、市役所のホームページにも掲載されているように、江田島の一つの見所(悪く言えば観光地)であり、しかも参観無料であることもあって年間それなりの方々が全国から訪れていることも事実です。


現在の資料館の実際の管理は元々が 「利根」 とは縁もゆかりも無い方がボランティアとして行ってくれています。 しかしながら、その方も既にご高齢でありかつ地元ではありません。 また保存会とは言っても現在となってはほとんど有名無実に近いかと。

「資料館」の建家と展示物の維持管理、それに慰霊碑のある利根公園も合わせた周囲の清掃や草刈り、などなど結構手間暇を要します。

もちろんこれらを市がやってくれるわけではありません。 全ては管理をしてくれている方を中心とするボランティアです。

これらのことがあって、慰霊碑はともかく、この 「資料館」 の今後の運営が大きな課題になっているところです。

で、今日は管理を任されている方を含めてその問題について少し話し合いの場を持ちました。 私も何かあればアドバイスをと言うことで声がかかりましたので、出かけた次第です。

幸いにして今日の話し合いの中で、江田島と広島市在住の若いお二人から今後運営と維持管理に積極的に関わっていきたいとの申し出がありました。 期待できるかもしれません。


う〜ん、でも管理者の高齢化に伴う後継のことはここだけでは無く全国に多数あり、それぞれに問題を抱えているんですよね。

私からすれば、それこそ こういう事にこそ公益財団法人 「水交会」 が積極的に関わっていくべき事柄では と思います。

会の設立目的の一つに高々 と 「慰霊顕彰」 を掲げ、しかも現在の理事長挨拶の中に

先の戦争での戦没者、海上自衛隊での殉職者の慰霊顕彰のために、靖国神社への月例参拝を実施すると共に、全国11の支部が中心となって海軍墓地や顕彰碑の清掃、各地で行われる慰霊祭等を主催・共催するなどの活動 を行っております。

と謳っているのですから。

靖国神社月例参拝や各地の慰霊祭など、水交会の名前が売れることばかりではなく、この 「軍艦利根資料館」 の維持運営に関するような地道なことも大切であり、それこそ 「水交会」 の本来あるべき活動の姿と思うのですが ・・・・


おまけです。

天候があまり良くありませんが、今朝の雲のかかった古鷹山と海自第1術科学校

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津久茂瀬戸と津久茂山

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2017年09月09日

加藤友三郎元帥研究会セミナー


昨夕は呉のクレイトンベイ・ホテルにて、私も賛同人の一人として加えていただいている 「加藤友三郎元帥研究会」 が主催するセミナーでした。

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今回はその分野でも活躍されている笹幸恵氏による 『遺骨帰還事業の現状と課題』 と題するお話でした。

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ご存じの通り、海外の戦地で亡くなられた日本兵の遺骨収集については、昨年 『戦没者の遺骨収集の推進に関する法律』 が施行され、やっと国家事業として始まりましたが、笹氏のお話はそれまでの民間ボランティアによる活動と法律施行後の現状についてです。

当事者ご本人のお話だけに、有意義で興味深い1時間半でした。

その後の懇親会でも笹氏と同じテーブルで隣どうしの席でしたので、色々お話ができまして大変楽しいひとときが持てました。

そして講演及び懇親会とも、なかなかの盛会であったと思います。

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このセミナー、一見すると “加藤友三郎とは関係ないのでは?” と思われる方もおられるかもしれませんが、昨年から始まったこの研究会、ともかくまずは多くの方々に知っていただくことと、横の繋がりを広げていくことは重要なことの一つでしょう。

今回の笹氏のお話のこともそうですが、この研究会も “人々の自発的な尽力” があって初めて成り立っていくものですから。
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2017年09月01日

8月31日付 『朝雲新聞』


私が昨年から担当させていただいている同紙での 『世界の新兵器』 コーナーの艦艇編の第4回目 です。

『 沿岸域戦闘艦 「インディペンデンス」 級 』

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前回ご紹介した 「フリーダム」 級と並行して現在米海軍が建造を進めている LCS で、現在5隻が就役、残り8隻が建造中または計画中です。

この LCS、構想は面白く、実際の2種のプロトタイプとも大変にユニークですが、新機軸盛り沢山だけに、いわゆる初期故障の問題であれこれ悩まされているようです。

また元々が戦闘艦艇としての汎用性・多様性を諦め、かつ省人化・自動化を強く打ち出しましたので、建造が進むにつれてあれもこれもで建造費はますます高騰してきました。

これに加えて LCS の基本構想からして結局数が揃わないと比較実証もままならないことは明らかですので、まだプロトタイプであるにも関わらず建造隻数と搭載するミッション・パッケージ数が増え、プロジェクト全体の予算も膨大になってきました。

このため米海軍内で元の計画にある次の本格的 LCS に進むよりは在来型に近い DDG や FFG の建造を求める声も強くなってきていますし、また既に全艦予備役にある FFG オリバー・ハザード・ペリー級の再就役の要求もあります。

そしてこの度の度重なる艦船事故はダメージ・コントロール (つまり乗員の数) の見直しにも影響してくるものと思われます。

さて、今後どうなるのか、米海軍艦艇の今後のあり方も含めて興味の尽きないところです。


ところで、同紙面で順調にいけば30DDとなるであろう海自の新護衛艦のイメージ図が掲載されましたが ・・・・ う〜ん。 なんかドイツの Meko 型とフランスの 「ラファイエット」 級を足して2で割ったような、あまり新鮮みのないスタイルで ・・・・

いずれにしても、海自は相変わらず同種艦艇について次第に排水量が増えて行き、ある時バサッと小型化しますが、また次第に大きくなる、これの繰り返しなのかも (^_^;

なお、『朝雲新聞』 といいますのはその筋ではよく知られているものですが、普通の一般紙とは少し性格が異なり、いわゆる “業界紙” ですので、一般の方々が目にされることはなかなか無いかと思いますが、機会がありましたら是非ご一読を。

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2017年08月14日

『世界の艦船』 9月号増刊


「海人社」 さんから見本誌が届きましたので、そろそろ書店に並ぶと思います。 『世界の艦船』 の9月号増刊は 「傑作軍艦アーカイブ C」 の 『米戦艦 「アイオワ」 級』 です。

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この中で私も次の記事を担当させていただきました。

「アイオワ級のメカニズム A 兵装」

本号は1984年に同誌の8月号増刊(通巻340号)『よみがえる戦艦 注目の米アイオワ級4隻を追って』のリニューアル版とも言えるものです。

しかしながら、この84年版では記事ページが少なかったこともあって兵装や機関など同級の性能要目などに関する内容はあまりありませんでした。

今回は船体、兵装、機関の3つの項目として、その詳細が述べられています。 また写真頁もほとんどが新しいものとなっております。 もしできれば84年版も入手されておくと、両方併せて貴重な写真集・資料集となるでしょう。


ただ、私の兵装の項も紙面10頁をいただきましたが、これでも竣工時から太平洋戦争時、戦後の近代化、退役までの全てを完全に網羅することは出来ませんので、太平洋戦争時までの本来の意味の 「戦艦」 としての時代をメインとさせていただきました。

とは言っても、砲熕兵装と射撃指揮装置との関連、いわゆる砲システムとしての機能についてや、CICなどについてはこの種の記事としては珍しいものと思います。

いつもどおり、初出の内容をふんだんに盛り込んでおりますので、読者の方々に興味を持っていただけるのではないかと (^_^)

いつも申し上げているように、艦艇の能力というものは単にカタログ・スペックとしての数値だけでは決して判断できるものではないというところを、この「アイオワ」級の兵装についても少しでもご理解いただければと思っています。


もちろん省略をせざるを得なかった内容も多分にありますので、それらについてはこの後本ブログで少しずつ補足していくつもりにしています。 こちらもお楽しみに。

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2017年08月13日

「起工式」 「命名・進水式」 「竣工式」 (続2)


前回、艦艇籍編入は命名・進水日、海軍工廠以外での建造の場合は竣工・接受日であることを説明しました。

さて、そこで問題となるのが 「同型艦」 ということです。

「〇〇型」 のタイプ・シップたる一番艦というのは、さて次のうちのどれで決まるのでしょうか?

   1.建造計画番号順
   2.艦艇類別等級表の記載順序
   3.艦艇籍編入日の順序
   4.竣工日の順序

一般的には同一年度に複数の同型艦を建造する場合、計画番号順に艦船名が決定され公布されます。 そしてこの順番に艦艇類別等級表に記載されます。

では、当該表の記載順序がそのまま同型艦の一番艦、二番艦ということになるのでしょうか?

ここで注意していただきたいのは、この 「〇〇型」 という類別が公式に規定されたのは 潜水艦が大正11年の 「潜水艦艦型呼称」 において、その他は 大正15年の艦艇類別等級表の全面改訂の時 で、それまでは旧海軍には公式の 「〇〇型」 という呼称は存在しなかったと言うことです。

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そしてこの大正15年の改訂時に、「〇〇型」 というのは基本的に艦艇籍編入日をもってその順序とした のです。 言われてみればごく当たり前のことではあります。


例えばよく言われる “「古鷹型」 か 「加古型」 か” ということです。

大正15年の艦艇類別等級表において 「古鷹」 「加古」 の2隻は 「古鷹型」 とされ、一番艦が 「古鷹」、二番艦が 「加古」 とされております。

つまり、両艦とも民間造船所で建造されましたので艦艇籍編入は竣工日であり、「古鷹」 が大正15年3月31日、「加古」 が同7月20日ですので、これがこの類別等級表上の公式な順序です。

これは 「高雄型」 についても同じです。 「高雄」 は横須賀工廠、「愛宕」 は呉工廠ですので艦艇籍編入は命名・進水日で、「高雄」 が昭和5年5月12日、「愛宕」 は同年6月16日です。 従って同型艦4隻は 「高雄型」 であり、一番艦が 「高雄」、二番艦が 「愛宕」 で全く問題はありません。

世間一般でよく言われる、

愛宕のほうが2ヶ月先に竣工していますので、愛宕クラスとも呼ばれます

というのは、何らの公的意味もなしません。

更には、「妙高型」 でも同じことで、二番艦の 「那智 」 の竣工が 「妙高」 より約8ヶ月早かったことから、確かに海軍部内でも通称 「那智型」 と呼ばれたことがありますが、艦艇籍編入は 「妙高」 が昭和2年4月16日、「那智」 が同年6月15日ですから、公式類別上の 「妙高型」、一番艦 「妙高」 で全く問題ありません。


要するに、竣工日の早い遅いは同型艦としての類別とは直接関係しない ということです。

もちろん同型艦を何型と呼ぼうともそれは自由ですが、それは公式のものとは別の “俗称” でのことですから、“「〇〇型」 あるいは 「××型」 とも呼ばれる” などと同列に論じられるような話では無いことに注意する必要があります。


ただし、これはあくまでも原則の話で、艦艇籍編入日以前に艦艇類別等級への登録がなされること、また大正15年以前の複雑な建造・類別の経緯などから、必ずしも全てが一致しているわけではありません。

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(前) : 「起工式」 「命名・進水式」 「竣工式」 (続)
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2017年08月12日

「起工式」 「命名・進水式」 「竣工式」 (続)


軍艦に限らず、どの様な船であってもその建造に伴う標記の3つの儀式・行事には古今東西それぞれ伝統や慣習があり、いずれも大事なものであることは間違いありません。 旧海軍においても明治初期に英海軍式を参考にし、これに日本独自の方式を加えて発展させました。

特に進水式については、それまでの建造物から実際に 「船」 となって海上に浮かぶということから盛大に行われてきました。

しかしながらこれらはあくまでも 「船」 という物体、言い換えるとハードウェアについてのものであり、「造船」 という世界での話になります。

しかしながら、海軍の艦船となると必然的に海軍という “組織” としてのことが関係してきます。 つまり海軍という国のお役所の一つとしての必須事項です。

これが 「艦船籍」 です。 この 「艦船籍」 に登録されて始めて海軍に所属する艦船 であるということになります。 このうちの軍艦及び水雷艇等が登録されたものが 艦艇籍 です。 これより、当該艦艇のいわゆる “後方” を担当することになる 本籍 と、どの様な階級・技能を持った乗員を何名乗せるかという 定員(表) が決定されます。

では海軍が新規建造又は既存艦艇を購入した場合に、これらはいつこの艦艇籍に入るのでしょうか?

「艦艇籍」 に関連する事項を定めたのが 『新造軍艦水雷艇ノ帝国艦艇籍ニ入ル時期等ノ件』 (官房機密1434号 大正3年10月30日) です。

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http://navgunschl2.sakura.ne.jp/IJN_houki/IJN_houki_main.html
http://navgunschl2.sakura.ne.jp/IJN_houki/PDF/T031130_kansensekihennyu.pdf

これは当初明治36年に 「海総機密158号」 として定められたものを改訂し、かつ水雷艇に関する事項を追加したもので、大正6年に多少の改正を経て太平洋戦争期まで続きました。

要約すると、

 新造計画決定 (=予算成立) 後の工事着手の時期:
   1.艦艇名を決定し艦艇類別等級表中に加える
   2.本籍及び定員を仮定
 命名日(=進水日):
   1.本籍及び定員を確定
   2.帝国海軍艦艇籍に編入
 竣工・授受日:
   1.在役艦又は第一予備艦とする
   2.国内外の造船所で建造する場合及び既成の軍艦等を購入する場合は、
     艦艇籍編入、本籍及び定員の確定。

つまり、艦艇籍に登録され、かつ本籍と定員が確定すると言うことは海軍という “組織” にとっては最も重要なことになります。

したがって、標記の3つの儀式のうちでは 「命名・進水式」 が最も盛大であり、海軍工廠以外の造船所で建造する場合も儀式としてはこれに準ずることになります。

艦艇籍に入ると言うことは、その日より建造計画番号などではなく正式に 「軍艦〇〇」 などとなり、艤装員以外の乗員は 「軍艦〇〇乗組」 となります。

命名・進水式以降艤装工事が進むにつれて定員(表) に基づく乗員が順次発令となりますが、ただしその中には艤装員を兼ねる者もいますが、乗員=艤装員ではない ことには注意が必要です。

そして本籍及び定員(表) が確定することにより、以後当該艦の特務士官以下の補職人事、整備、補給などは全て所管の鎮守府の責務となります。

また世間一般では、例えば同型艦の呼称問題について、本来の二番艦が一番艦より先に竣工したから云々、などということが見られますが、いつ竣工したか、ではなく、いつ艦艇籍に入ったか が問題なのです。

「同型艦」 ということについてはこの後で。

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(前) : 「起工式」 「命名・進水式」 「竣工式」

(次) : 「起工式」 「命名・進水式」 「竣工式」 (続2)

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2017年08月09日

「起工式」 「命名・進水式」 「竣工式」


う〜ん、どうもキチンと理解されている人があまりおられないような ・・・・

艦艇建造における標記の 「起工式」 「命名・進水式」 及び 「竣工式」 の3つの儀式のうち、旧海軍としてどれが一番重要だったのでしょう。 そしてその理由は何でしょう。

ご来訪の皆さんはお判りになりますか?

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(次) : 「起工式」 「命名・進水式」 「竣工式」 (続)

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2017年07月26日

『世界の艦船』 9月号


『世界の艦船』 最新号の9月号 (通巻第865号) がそろそろ書店の店頭に並ぶころです。

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9月号は第1特集が 「クライシス!北朝鮮」、第2特集が 「現代軍艦のダメージ・コントロール」 です。

まあ第1特集の方は私達が書くとちょっと、と言うところも出てきますので、これは物書きさん達にお任せするのが一番でしょう。

で、第2特集で現代の護衛艦におけるダメコンについて書かせていただきました。 編集部さんからいただいた題は、

「 応急部署発令! ある護衛艦の場合 」

ということで、護衛艦、というより海自艦艇では防火及び防水についてどんな訓練をし、また実際に発生した場合にはどの様な対応をするのか、についてです。

ハード・ウェアたる艦艇の構造や装備などについてはともかく、それらを運用する乗員についてはあまり述べられたものがありませんので、これはこれでちょっと珍しいかと。

そしてやはりこういうものは実際に携わったことのある者でなければと思います。 ただやはり4頁という紙幅では詳しくは書けませんのでほんのサワリ程度ではありますが (^_^;

当該拙稿を執筆中に奇しくも米艦 DDG-62 Fitzgerald とコンテナ船 ACX Crystal との衝突事故が発生しました。 衝突の原因や米艦被害の状況などの詳細は今後究明されていくでしょうが、米艦の船体水線下に大きな破口を生じたにもかかわらず乗員の対応よろしく沈没などは免れたことが報じられています。

この例でもダメコンにおいては如何に優れたハードウェアがあろうとも、結局はそれを活かす訓練された乗員がいなければということを如実に表しているでしょう。

拙稿は一般の読者の方々にも興味を持ってお読みいただけるのではないかと思っています。

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2017年07月23日

昭和18年横砲校 『防空兵装略図』


私の本家サイトは大変マイナーなテーマを扱うところですが、お陰様でご来訪が54万名を超えました。

サイトでは特別に記念企画などは考えておりませんでしたが、その代わりと言ってはなんですがサイトの今週の更新も兼ねて 『史料展示室』 にて昭和18年に横砲校戦術科が作成した 『防空兵装略図』 を公開しました。

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    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/tenji_main.html
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/47_Air_Def_Arm_illust_S18.html

重巡、軽巡及び空母の機銃などの増備状況を示したものですが、手書きの大変にラフなもので、かつ質の良くない藁半紙にガリ版刷りの上、経年変化で特に折り目などが変色してしまっており大変見づらいものとなっております。

この機銃などの増備状況については、あ号作戦後に呉、佐世保、舞鶴の各海軍工廠が作成した 『各艦機銃電探哨信儀等現状調査票』 (一般ではこれを故福井静夫氏の著作としていますが、これは誤りです) が有名ですが、こういった技術的視点のものではなく、用兵者側の史料として大変珍しいものと思います。

各艦の調査期日が記されていないなど問題点もありますが、この時点での旧海軍の対空戦についての認識を表すものとしても貴重な史料です。

僅か8頁のものですが、出来るだけゴミ取りをして1つのPDFとしましたので、お楽しみ下さい。

ただし、残念ながら昨今のネット事情、そのままではすぐに一人歩きしてしまいますので、表紙以外の頁には透かしを入れ、また印刷・加工はできない設定としておりますことはご了承ください。

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2017年07月09日

小論 「加藤友三郎と海軍兵学校」


昨年発足した 「加藤友三郎元帥研究会」 に私も賛同人の一人として加えていただいているところです。

そして同会では最近は時局研究会を開いたり、また facebook の他にHPも開設し、少しずつですが動き始めております。

同会HP : https://katotomosaburo.jimdo.com/
同会facebookページ : https://www.facebook.com/tomosaburo.kato/

私も折角ですからこれを機会に青年将校時代の “鉄砲屋” 友三郎について少し纏めてみたいと思っているところです。

この時代の友三郎については、彼の伝記などでもほとんど触れられたことがありませんので、私の旧海軍の砲術研究の中の明治期に関するものを利用して行くことで考えています。

そこでその本題にかかる前には、やはり友三郎の兵学校 (当初は兵学寮) 入校から海軍少尉に任官して兵学校砲術教授心得になるまでを押さえておくことが必要ですので、この度手始めとしてちょっと纏めてみました。 題して、

「(加藤友三郎と海軍 その1) 加藤友三郎と海軍兵学校」

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A4で僅か10ページのものですが、それでも今まで語られたことのない内容も含んでおります。 というより、これまで兵学校時代の友三郎について書かれたことがありませんので。

一応大先輩の平間洋一氏や、加藤健太郎氏、そして会を主催される大之木小兵衛氏にも既に目を通していただきましたが、概ね好意的な評価をいただいております (^_^)

つきましては、いずれはこれも何らかの形で公表したいと思っておりますが、まだ研究会では会誌を出すところまでいっておりませんし、「水交」 や 「東郷」 などと言ったところとは今のところお付き合いがありませんので ・・・・ ちょっと思案中です (^_^;

そして次の本命の 「友三郎と砲術」 はちょっと長くなりそうですので、完成はいつになりますか。

ただ明治初期から日清戦争のころまでの旧海軍の砲術については黛氏の著作や 「海軍砲術史」 (同刊行会編) でもほとんど触れられておりませんので、その意味においては珍しい内容になるかと思っています。

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2017年05月31日

「桜花」 戦時中の米軍情報


所要があって手持ちの米軍資料を探していましたら、ついでに 「桜花」 についてのものがありましたのでご紹介を。

ご存じのとおり、「桜花」 についても戦後に旧海軍の関係者の手になるものや、また米軍による旧陸海軍の調査に基づく資料などにより、現在では様々な事項が知られております。

今回ご紹介しますのは、そういった戦後にその実態が明らかにされたものではなく、沖縄戦において米軍が実機を捕獲し、これを本土に持ち帰って徹底した調査・分析を行い、昭和20年6月にその情報とそれに基づく実戦現場での対処法・戦術の要約を部内に配布したものです。

その中にある写真と図面をいくつか。

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それにしても、こと 「情報」 については (も)、ミッドウェーや山本長官機撃墜などを始めとする暗号解読に限らず、こういった兵器・装備やその戦術・用法についての情報の収集・分析と、その成果の現場における活用についても、日本は足下にも及ばなかったといえるでしょう。

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2017年05月28日

旧海軍の古いアルバムから


本家サイトの今週の更新として、『懐かしの艦影』 中の 『落穂拾い』 コーナーに次の2つのアルバムからのものを追加いたしました。

  『 第三水雷戦隊北海警備記念 』 (大正10年)
  『 「武蔵」 千島方面測量兼警備記念 』 (大正4年)

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どちらのアルバムもあまり艦船関係の写真は収録されておりませんので数枚ずつですが、それぞれのページとしてUPしております。

元々の印刷が大変に粗いものであり、かつ内容的にもマイナーなものですが、それでも貴重なもの、珍しいものが含まれております。 お楽しみいただけたらと思います。

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2017年05月12日

艦本式ボイラの型式と名称


艦船好きの人でもちょっとあまり知られていない話題を。

( と言うより、艦船の外観には興味があるけどエンジンなんて、と言う人が多いのかも (^_^; )

明治期の旧海軍の艦船のエンジンは、艦船自体が英国を主とする外国での建造でしたのでエンジンも外国製のものを使っていました。

しかし艦船も次第に国内建造になり、そして蒸気タービンが主力になってきますと、やはりこれらも国産化へと進みます。

旧海軍で最初の艦船用ボイラは明治36年に宮原二郎機関総監考案になる 「宮原水管式汽罐」 の採用です。

そして次ぎに誕生するのが艦政本部が計画したボイラで、大正3年に内令293号をもって制定された 『海軍艦政本部ノ計画ニ係ル罐ノ呼称』 による 「イ号艦本式罐」 及び 「ロ号艦本式罐」 です。

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このボイラは大変に優秀なものでしたので、基本的には昭和期までこの型式のものが続くことになりますが、少しずつ異なったタイプのものが作られましたので、昭和9年に内令1号をもって 『艦本式罐ノ呼称』 を定めてこれを細分化しました。


しかしながら、昭和期になってくると同じ艦本式でも力量や蒸気圧などにより様々な種類の物が作られるようになりましたので、昭和16年になって名称を統一することになりました。

これが同年の内令1298号をもって定めた 『水管式主罐ノ呼称』 です。


例えば、ネットの某所でも質問のあった 「三号乙三型」 という名称のはこの内令に従ったものです。

ただし、この質問の根拠の出所が例の木俣滋郎氏の記事にあるもので、「大鳳」 のボイラを 「三号乙三型」 としていますがこれは誤りで、正しくは 「三号乙一三十型ロ号罐」 です。

また同じ記事の中で “明治・大正時代は石炭を焚くイ号艦本式で、昭和期に入ると全て重油専焼のロ号艦本式である” としていますが、イ号とロ号の違いは石炭炊きか重油専焼かの違いではありません。 内令のとおりで、これも誤りです。


折角ですからついでに、ボイラと組み合わされるタービンと減速装置の呼称法もご紹介しておきます。


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2017年04月28日

『丸』 6月号


月刊誌 『丸』 6月号の見本誌が届きました。 今月号の特集は 「商船改装空母」 です。

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私もこの中の 「海鷹」 型の項を担当させていただきました。

   「 「あるぜんちな丸」 の 『海鷹』 改装プラン 」

もちろんご存じのとおり 「海鷹」 型とは言っても、姉妹船の 「ぶら志"る丸」 は改装着手前に沈没してしまいましたので、「あるぜんちな丸」 を改装した 「海鷹」 1隻だけなんですが (^_^;

4ページの紙幅をいただきましたので、いつもどおり色々書かせていただきました。 従来言われている機関改装の誤りの件や、航空機の搭載定数、乗員定数など、これまであまり言われてこなかったことを網羅しております。

それにしてもこの 「海鷹」 ですが、正確なデータや記録などが少ないものの一つですね。 船体要目なども造工資料をベースにして、もっとも正しいと考えられる数値にしております。

編集部さんによって立派な紙面にしていただきました。 ありがとうございます。

ただ惜しむらくは ・・・・ 記事に挿入されている大内健二氏の手になるとされる 「あるぜんちな丸」 と 「海鷹」 のイラストに、明らかな誤りが何個所かあることですね。 事前に拝見していれば指摘して直してもらったのに、とこれはちょっと残念 (^_^;

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2017年04月25日

邦訳版 『With TOGO、東郷とともに』 (続)


HN 「八坂 八郎」 氏の手になるセッピングス・ライト著 『With TOGO、東郷とともに』 の邦訳版第2巻が届きました。

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前半の第1巻は既に本ブログでもご紹介したところです。


今回は残りの後半で、第8章から最終の第12章までの邦訳になります。

この後半部分は日露海戦史について日本側でもほとんど知られていない内容ですので、その意味でも貴重ですし、なによりもそれが日本語で読めるのは嬉しいところです。

しかもいつもどおりの丁寧な訳出で、大変に読みやすいものとなっており、そして日本側の史料などにも丹念に当たられて、これによる脚注も充実しているのはいいですね。 また、私家版とはいえ写真の印刷も綺麗です。

第1巻に引き続き、興味のある方は入手方法など氏のサイトから直接コンタクトをとってみて下さい。 (プロフィール欄からメッセージが送れます。)


それにしても八坂氏の仕事は早いですね〜 (^_^)

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2017年04月16日

『世界の艦船』 5月号増刊


早いところはもう書店の店頭に並んでいるかもしれません、『世界の艦船』 の最新号は5月号増刊の 『アメリカ駆逐艦史』 です。

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同名の増刊号はもう20年以上前になります1995年の5月号増刊 (増刊第43集) として出ておりますが、この度写真など内容を大幅に刷新しての出版となります。

この中で、私も 「アメリカ駆逐艦8話」 コーナーで次の4つを担当させていただきました。

     C 「米重雷装駆逐艦の戦術」
     D 「米駆逐艦復原性の問題点」
     F 「米DDナンバーを付けた外国駆逐艦」
     G 「徒花に終わった戦後型米駆逐艦用備砲」


いずれも短編ですので詳しい話しは省略しておりますが、内容的にはこれまであまり書かれたことのないものと思います。

特に最後の備砲については例に挙げた2つを含め、戦後の米海軍の砲熕武器についてもう少しその流れと詳細をお話ししないと、現在に至る状況がお判りいただけないかと思いますが ・・・・ これはまた別の機会に、ということに。

何しろ増刊としての内容が盛り沢山ですので、文字ページが制約されるのは致し方ないことでしょう。

本文記事のメインである 「アメリカ駆逐艦 その歩みと時代背景」 は私の尊敬するエンジニアの一人である多田智彦氏の手になるものですが、限られた紙幅の中で簡潔かつ要領良く纏められているのは流石です。

書店で見かけられた時には是非手にとってご覧ください。 写真ページをパラパラと眺めるだけでも圧巻と思います。

なお、掲載されている各級の写真はほぼ全面的に新しいものになっていますので、この分野に興味をお持ちの方で古い号をお持ちでない方はこちらも入手されることをお薦めいたします。

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2017年03月26日

加藤友三郎研究会セミナー


今日は昨年末に発足した 「加藤友三郎元帥研究会」 の第1回セミナーでした。

講師は自衛艦隊司令官もやられた勝山拓元海将で、演題は 「加藤友三郎 超初級セミナー」 (^_^)

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1時間の講演でしたが、内容はその名のとおり友三郎の経歴を中心としたもので、研究会発起会での加藤健太郎氏の話しを聞かれなかった方々にはピッタリのものと言えるでしょう。

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会場のスペースの関係で約70名の募集に対し、これを少し越える参加者でした。 前回の発起会では海自の現役の人達も大分駆り出されておりましたが、今回は現役はゲストの第1術科学校長のみ (^_^; 

講演の後は、お茶とお菓子での茶話会。 一般からの参加者が多かったこともあってか、顔見知りは数名だけでした。 やはり海自OBや現役主体ではなく、色々な人達に興味を持って貰えるのは良いことと思います。

さて課題はこれからですね。 研究会の活動は呉と東京の2個所を中心に進められるようですが、今後どの様に発展させていくのか楽しみです。

事務局を担当していただいている大之木ダイモの皆さんも、お疲れ様でした。

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2017年03月17日

「九三式魚雷」 について (4・終)


既にお話ししたように、九三式魚雷は燃料の噴射や加熱装置の冷却などに九〇式魚雷までの真水に替えて海水を用いました。

このためその管系統に塩分が付くことはもちろん、加熱装置及び主機のシリンダー内には塩分が析出するので、これらの対策が必要になりました。


この塩分除去のために考えられた方法は次の2つです。

(1) 二塩化亜鉛

燃料室から加熱装置までの管系統では、海水中の塩分はそれほど気にすることはありませんが、問題なのは加熱装置での燃焼以降です。

特にノズル部分に塩分が貯まって詰まることで、これは致命的となります。

そのためまずアルミの粉を吹き付けてみて適当なノズルの形状を探ろうと実験してみましたが、結局これは上手く行きませんでした。

そこで考え出したのが、二塩化亜鉛 (ZnCl2) を少量燃料に加えることにより塩分の析出を減らすことでした。

この二塩化亜鉛を用いる方法は、試製魚雷F (駆逐艦用タービン魚雷) の開発の時に担当の成瀬造兵中佐のアイデアによって解決されたとされています。


(2) 主機のシリンダー

加熱装置で発生した燃焼ガスをこのシリンダー内に吹き込むことにより、その膨張によりピストンを動かしますので、最終的にここに海水の塩分が析出することになります。

これの全てを残ったガスと共に外に排出することは出来ませんので、次第にこの中に貯まってくるわけですが、シリンダ・ヘッドを銅板製にして適切な形状とすることによって、この銅板の変形によってここに析出物を受け入れる余積を作ることで解決しました。

これは試製魚雷庚の段階で解決しております。


なおこれら2つの塩分除去法については、九五式魚雷でも採り入れられています。

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・・・・ 今回はこの塩分除去のお話しをしようと思って始めましたが、それにはまず機関系統のことを、ということで長くなってしまいました。

主機のことに限らず、舵機や操舵関係、爆発尖などなど魚雷のメカのことは沢山話題がありますが、これらは後日また機会があればということに。

う〜ん、こうして書いてくるとメカを中心とした旧海軍の魚雷開発史を纏めてみたくなってきますね。 どこかスポンサーになってくれるところはありませんかねえ ? (^_^)


(この項終わり)

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「九三式魚雷」 について (3) :

posted by 桜と錨 at 14:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2017年03月12日

「九三式魚雷」 について (3)


2.「一液」

さて、関係者の大変な苦労により誕生した九三魚雷ですが、実用化されればされたで色々欲が出てきます。

前回でお気づきの方がおられるかも知れませんが、その一つが 「第一空気」 です。


前述のとおりこれは乾燥空気ですので、その主成分のほとんどは窒素であり、九〇式魚雷時代と同じく魚雷の推進には直接の役には立ちません。

そして純酸素と混ざるものですから、これ空気の質の管理と気室の構造、そして空気圧の適切な保守整備など色々面倒なことが伴います。

そこでこの窒素を他の不活性の液状のものに置き換えて主機を起動できるようになるならば、第一空気そのもの (とそのタンク) が不要となります。

つまり、純酸素だけを使用し、主機の起動の際には窒素に変わるその液体を調和器までの酸素の経路上に置いておいて、酸素通過時に霧吹きの要領でこれに混ぜれば良いのではとのアイデアが出ます。

そこで各種の実験によって四塩化炭素 (CCl4) で可能である結果を得ましたので、第一空気室を無くして、この四塩化炭素の液溜まり設けました。 この四塩化炭素を 「一液」 と呼びます。 発明は横須賀海軍工廠造兵部から呉海軍工廠魚雷実験部に移った川瀬技師とされています。

ただし元々の第一空気は操舵装置の動力源としても使用しておりましたので、今度はそのための空気が必要になり、「操舵空気室」 というボトルが置かれました。 もちろん第一空気のような厳密な質の管理と機構は不要ですので、普通の圧縮空気の扱いで良いわけです。

下の略図がこの 「一液」 方式にしたものです。

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戦後になって一部において、発射直後の航走中に第一空気による航跡が数百メートル発生するため、これを無くすために四塩化炭素を使用したとする向きがありますが、もちろんこれは副次効果であって主目的ではありません。

その一方で、開戦後の戦術状況の変化により用兵者側から射程よりも炸薬量増加の要望が出された結果、これにより炸薬は780kgとなった反面、酸素室の容量が元の980リットルから750リットルとなり射程は49ノットで1万5千メートルとなりました。

これが昭和19年2月13日内令兵第10号により兵器採用された 「九三式魚雷三型」 です。

また同じ酸素魚雷で九三式の小型版と言える潜水艦用の 「九五式魚雷」 でも同様にこの 「第一空気」 を 「一液」 方式に替えたのですが、実用化は九三式よりこちらの方が早く、昭和18年9月1日内令第89号により 「九五式魚雷二型」 として兵器採用されています。


ところが、戦後になってこの 「一液」 である四塩化炭素を、海水使用による酸素の管系統及びエンジン内部に固着する塩分の除去のためであったとする説を唱える人が中にはいます。

確かにこの塩分の問題は、九〇式での真水使用を九三式で海水に替えたために生じたもので、その解決が必要なことではあります。

しかしながら、これは正常に航走を開始した後に生じることですから、一液の目的を考えていただければその塩分除去の役割は無かったことは明らかですし、そもそも四塩化炭素そのものにはその除去作用は有りません。

ではこの塩分除去はどうしたのでしょうか? これについては次にお話しします。

(この項続く)

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「九三式魚雷」 について (2) :

posted by 桜と錨 at 23:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2017年03月11日

「九三式魚雷」 について (2)


1.機関系統の概要 (承前)

(2) 九三式魚雷

九〇式のように圧縮空気を用いる方法では、空気の組成の大部分を占める窒素は魚雷の推進には役に立たずにそのまま排出されるわけですから、この窒素を除いた純酸素を用いることができれば、機関系統全体の効率は格段に向上することになります。 これが酸素魚雷の原理のメインです。

下図が 「九三式魚雷」 の機関系統の略図です。 これも極めてシンプルにしておりますので、先の九〇式と比べてみて下さい。

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九〇式までの圧縮空気を純酸素に置き換えましたので、窒素が無くなっただけ気室の容量を小さくでき、逆に容量が同じなら燃焼持続時間を長くし航続距離を大幅に伸ばすことができます。

しかしながら、純酸素は摩擦や熱で簡単に爆燃してしまうものですから、大変に危険でかつ扱い難いものです。

このため主機の起動時からいきなり100%の濃い酸素を使うわけには行きませんので、どうしても最初だけは空気が必要になります。 それも単なる圧縮空気ではなく水分と油分を取り除いた乾燥空気です。

そして主機を起動してから徐々に濃度の高いものにしなければならず、このため圧縮空気の小さなタンクが設けられています。 ここがこの酸素魚雷の最大のミソになります。

旧海軍では酸素魚雷であることを秘匿するために、この起動用の空気を 「第一空気」 (一空)、純酸素を 「第二空気」 (二空) と呼びました。

そして九〇式では燃料の噴射に真水を用いていましたが、酸素を使うことにより射程距離が長くなるとそれだけ大量の真水 (= 大きなタンク)が必要になりますので、これを海水に置き換え、海水を取り込むポンプを装備することにしました。

最初に起動弁を開いておき次いで発停装置を開くと、まず第一空気 (乾燥空気) が調和器、加熱装置経由で主機に送られてピストンを起動します。

そして第一空気室の圧が第二空気の酸素の圧より低くなると、不還弁によってその分だけ第二空気室から第一空気室に酸素が送られ、次第に濃度の高いものとなります。

また、第一空気の一部は緩衝器に送られて中の水を押し出し、この水が燃料室の燃料を分離器を通して加熱装置に送り出します。

主機が回転を始めると海水ポンプが運転され、海水が緩衝器に送られます。 緩衝器では空気 (次第に酸素) の圧と釣り合うと、最初の真水に続いて海水が燃料室と加熱装置に送られます。

加熱装置には逐次酸素濃度の高い空気と燃料及び水が送り込まれますので、頃合いをみて火管で点火し熱走に移ります。

緩衝器は海水ポンプが十分な圧を作り出すまでの間燃料室と加熱装置に真水を供給することと、海水圧を調和器の圧とつり合うようにバランスをとって脈動を防止し 、余分な海水を海中に排出する役目です。

また燃料室にある分離器は、魚雷がローリングしても最後まで燃料を送り出すためのものです。

そして加熱装置での燃焼後に残るのは、海水の塩分などわずかなもの以外はほとんどが二酸化炭素と水分です。 この二酸化炭素は水に極めてよく溶けますので、第一空気を使用する航走初期を除けば排出ガスとしてほとんど残ることのない、ほぼ無航跡とすることができます。 この点は魚雷として大きな利点になります。 もちろんこれは酸素魚雷とする主目的ではなく、純酸素を使うことによる副次効果ですが。

これらによって、九三式魚雷は520馬力、炸薬量490kg、49ノットで2万メートル (九〇式は炸薬量376kg、46ノットで7千メートル) のものとなりました。 当時の列国海軍の魚雷に比べ格段に優れた性能です。


・・・・ と理屈は簡単なんですが、酸素は油分や摩擦を嫌いますし、気密保持のためのパッキンは使えない、適切に燃焼させないとすぐに爆燃を起こす、などなどその対策に大変なものがあったわけです。

例えば、加熱装置内で燃焼が終わらなければ、加熱室下部や弁が炎で焼かれますので、酸素、燃料、海水それぞれの噴霧器の構造に細心の工夫が必要になります。

ここまでの開発経緯も興味深いものがありますが、詳細はまた別の機会として今回は省略します。


この酸素魚雷の開発は昭和5年に艦政本部から呉海軍工廠に実験通牒が出され、大八木造兵中佐が研究・設計に当たっておりましたが、昭和7年に試製魚雷庚となって試作され、これが九三式魚雷の予備実験になったと言われています。

そしてまず巡洋艦用に九〇式を酸素化したものを本格的に開発することとなりました。 これが試製魚雷Aで、担当は艦政本部の朝熊造兵中佐と楠技手でした。

昭和8年 (皇紀2593年) に発射実験を行って 「仮称九三式魚雷」 となり、昭和10年11月28日内令兵第50号によって 「九三式魚雷一型」 として兵器採用されました。

とは言っても、兵器採用後に各部の色々な手直しや改善を加えて、実際に部隊に配備されたのは 「九三式魚雷一型改二」 です。

(この項続く)

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「九三式魚雷」 について (1) :

「九三式魚雷」 について (3) :

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