2019年07月21日

『一般計画要領書』 潜水艦の部追加 (続)


本家サイトの今週の更新として、先週に引き続き 『史料展示室』 の 『一般計画要領書』 コーナーにて潜水艦の部で残っておりました 「伊151」 「伊152」 「伊153」 「伊153、154、155、158」 「伊156、163」 「伊161」 「伊165」 の7ファイルを追加公開 しました。


cover_I-153-54-55-58_s.JPG  cover_I-156-63_s.JPG


潜水艦の部はあともう少しで完了ですが ・・・・

posted by 桜と錨 at 12:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年07月19日

錨と錨鎖の話し (13・補2)


ついでに、もう一つ現役の時の思い出を。

前述のとおり、錨鎖の色は、最後の1節は全て 赤色、その前の1節は全て 黄色 に塗られていますが、余程のことが無い限り錨泊でここまで出す (使う) ことはまずありません。

私は現役時代に単錨泊でこの赤色と黄色が見えるまで出した経験は2回だけあります。

1回は 「あまつかぜ」 で長期の特別修理に伴う錨及び錨鎖関係の試験の時ですが、もう1回は某艦で台風来襲に備えて避泊をした時です。


台風避泊における荒天錨泊では、常用の計算値である 4D+145m (例えば水深25mの錨地なら10節)に、その時の状況に応じて必要があれば1〜2節程度を多めに使用すれば十分です。 もちろん既にお話しした私の理屈でも。

そしてそれでもダメだ (走錨する) と思える状況ならば、むしろアッサリと避泊を止めて、広い湾内などでゆっくり走っていた方がよほど安全ですし、そうすべきだと思っています。

避泊時は艦橋・CICなどは通常航海直で、機関科は即時待機なのですから、乗員の労力はほとんど変わりませんし、つまらない心配をするよりは余程気が楽です。

しかも、近くに錨泊する商船が走錨して衝突されることもありませんし、こんな時に湾内を走る小型船はありませんので。

実際、避泊をせずに走り回っていたことは3回あります。 いずれも艦長に進言して。 その内の1回は、早めに佐世保を出て雲仙岳を横に見る島原湾 (有明海南部) の中を南北にゆっくり走ることに。 この時、真夜中を過ぎた頃、一瞬ですが風速計の針が一回りして瞬間最大風速60m/秒以上となりました。 記憶にある限り、私の現役中での最高風速です (^_^) 

Shimabarawan_sat_R01_01_m.jpg
( 元画像 : Google Earth より )


護衛艦では、錨鎖は錨1つに対して通常は14節が定数で、バウ・ソーナーを装備するような艦では錨は艦首と左舷に装備されていますが、左舷のものはソーナー・ドームを傷つけるおそれがあるため緊急時など以外では使えません。

最近の護衛艦は風圧面積が大きいこともあり、前錨の錨鎖の定数は就役時からイージス艦では16節、古いDDH等では18節となっています。

そこで、各艦ではこのまず使わない左舷の錨鎖を2〜4節程度外して艦首の錨鎖に繋ぎ、定数14節の艦では16〜18節、定数16節の艦では18〜20節というように長くしている場合が多いのです。 これは運用上のことですから、艦長の権限でできる話しです。

したがって、如何に荒天錨泊とはいえ、通常選定する錨地の水深なら最後の赤色や黄色が見えるまで使うなどというのはちょっと考えられないことなのですが ・・・・


某艦で砲雷長をしていたある時、群訓練で行動中に台風避泊することになりました。 その時の避泊地は、底質はほぼ砂泥、平坦で広いところですので、一般船舶も避泊で沢山利用するところです。

ただ難点は周りに山などが無いため風を遮るものが無く、一帯が吹き曝しになるということですが、外洋に直接面していませんので波やうねりはほとんどありません。

これもあって、荒天錨泊の錨鎖長+2節としました。 天候予察が外れてこれより酷い状況になるなら揚錨、もしその時間がなければ捨錨し、あとは走っていれば良いだけのことですので。

ところがです、夜になって乗艦していた群司令から “砲雷長ちょっと” とお呼びがかかりました。

何事かと思って行ってみると、公室には群司令と横に幕僚が一人。 ここでちょっとイヤな予感が。

群司令は “錨鎖は何節入れたのか” との御下問でしたので、“荒天錨泊の錨鎖長+2節です” と答えました。

すると群司令は “それで足りるのか” とのことですので、“天候予察での最大風速を見込んでも大丈夫です” と答えたところ ・・・・

“風は息をするし、振れ回る。 それに波やうねりでしゃくられるから、錨鎖に断続的で不規則な強い張力がかかる。 それを考えれば不十分だろう” と言い出しました。

内心、“そのようなことは元々の旧海軍による荒天錨泊時の錨鎖長で当然考慮されたものであるし、用心のためこれに+α してあるのに、何を今更” と思いましたが、この群司令、細かい理屈 (それも他人から見ればつまらない) を並べたて、しかも一旦言い出したら引かない性格で有名な人でした。

そして横にいる幕僚は幕僚で、自己の点数稼ぎのためなのか、上司に同僚や他人のことをあれこれ告げ口したり、つまらない入れ知恵をすることで知られた人物。

この二人 (だけ) がこんな時間にこの公室に揃っていることで、“あっ、これは何をどの様に説明してもだめだ” と思ったわけです。

もし反論すると、この群司令なら、そのうち 『錨泊要表』 を持ってきて計算してみろ、挙げ句は、錨泊要表記載の風圧面積の計算は図面と合っているのか、現在の排水量での喫水の差による風圧面積の修正は、この錨地での把駐力などの想定や錨泊要表に使用されている各係数などは正しいのか ・・・・ 等々と言い出すだろうことは明らか。

とてもそんなことに付き合っている暇はありませんので、“分かりました、艦長に相談します” と言って下がりました。

この二人、本当に錨泊というものの実際を全く判っていないんだな〜、と思いながら。

そして艦長のところへ行って “群司令がこう言ってますので、錨鎖を全部出しときます” と言いましたら、艦長は物事を良く分かった人ですので、笑いながら一言 “分かった” と (^_^)

そこで艦内マイクで 「前部員、錨鎖伸ばし方、揚錨機用意」 を令し、雨が降りしきる中、雨合羽 ( “レインコート” ではありません、例のあの厚いゴワゴワしたやつ) を着込んだ掌帆長以下の前部員が前甲板に集合したところで、事情と要領を説明して作業にかからせました。

作業とは言っても、既に夜間でもあり、かつ雨も風も強くなって来ています。 それに単に錨鎖を伸ばせば良いだけでは無く、万一に備えての捨錨準備をしてありますから、錨鎖を伸ばすのに邪魔になるところはこれを外す必要もあります。

そして、錨鎖が当初の伸出方向と出来るだけ真っ直ぐになるように、風による振れ回りを見ながら錨鎖にかかる張力に応じて錨鎖車のブレーキを使って少しずつゆっくりと伸ばし、赤色とその前の黄色の錨鎖の間の接続シャックルがスリップの手前に来たところで停止、スリップをガッチリとかけます。

それが終わって捨錨準備を元の完成状態に戻し、守錨員 (注) を残して解散。

もちろん、事前に補給長に頼んで降りてくる前部員が直ぐに温かい飲み物を飲めるように、そして機関長に頼んで熱いシャワーを浴びれるようにすることは、忘れてはいけません。

で、作業が全て終わったのを見届けてから艦長にそれを届け、そして公室に行って群司令に一言報告、“前錨の錨鎖、全部出しておきました、艦長了解です” (これなら文句はないだろ) と。 その時の群司令と某幕僚の “ええっ!?” という顔は、いつ思い出しても笑いをこらえられません (^_^)


(注) : 荒天避泊時には、守錨員は台風が過ぎ去るまで交代で前甲板の先端付近で錨鎖の張り具合い (錨鎖と海面との角度) を監視し、錨鎖に張りが来た時は時々錨鎖に耳を当てて走錨の振動が無いかを確かめ、それらの状況を適宜艦橋に報告します。 雨の中、風の強い間は飛ばされないように甲板に腹這いになって、夜間は懐中電灯で照らしながら。

もちろん、前述のとおり避泊中は艦橋 ・ CIC などは通常航海直、機関科は機関の即時待機です。 それに台風が最接近する頃は、ほとんどの主要幹部は起きています。


-------------------------------------------------------------
前 : 「 錨と錨鎖の話し (13・補)」

posted by 桜と錨 at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年07月18日

錨と錨鎖の話し (13・補)


折角ですから、現役の時の思い出を。

(12) でもご説明したとおり、私の場合は、最初の抑止では錨を “絶対に” 引っ張らないように注意し、かつ錨鎖が団子にならなようにこれをできるだけ真っ直ぐ伸ばすことに決めておりました。

要するに、錨と錨鎖の重量とそれによる海底との摩擦抵抗を期待するのです。

そのために重要なのが “天候予察” です。 則ち、台風の接近に伴う風向・風力とその変化の見積もり、それによる錨地の周りの状況 (地形) による風向・風速とその変化の見積もり、錨地の潮の干満による海流の強さと方向、これと風向・風速の見積もりとの関係、とくに艦の振れ回りへの影響などなどです。

航海長、船務長、気象長を集めてこれらを綿密に分析し、その結果により投錨時の錨鎖の伸出方向と錨鎖長を決めます。

この 錨鎖の伸出方向と錨鎖長の善し悪しが台風避泊における錨泊で最も大切なこと なのです。


ある時、台風の接近に伴い佐世保の恵比寿湾に避泊した時のことです。

Ebisuwan_sat_R01_01_m.jpg
( 元画像 : Google Earth より)

避泊し終わって暫くしてから、総監部から連絡が入りました。

なぜ私の艦 “だけが” 錨鎖伸出方向が他の艦艇と大きく異なるのか、それで良いのか? とのことです。

私が直接電話に出て上記のことを説明して、これで間違いない、と。

で、結果はどうなったか?

予察どおり夜半にかなり強い風が吹きまして、翌朝台風が過ぎ去った時、それは見事なまでに他の艦艇のほぼ全てが、多かれ少なかれ走錨したり錨位が動いてしまったりしていましたが、私の艦だけはピクリともしていません (^_^)


現役の時、何隻か前甲板指揮官 (=錨作業指揮官) をやりましたが、台風避泊で走錨したり錨位がずれたりしたことは一度もありません。 これには自信を持っています (と言っても船乗りなら本来当たり前のことなんですが)。

-------------------------------------------------------------

前 : 「 錨と錨鎖の話し (13)」

次 : 「 錨と錨鎖の話し (13・補2)」

posted by 桜と錨 at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年07月17日

錨と錨鎖の話し (13)


錨泊法の種類

さて、これまでお話ししてきた錨と錨鎖についてですが、今回はこの錨と錨鎖を使った錨泊法についてです。

錨泊法には次の3種類があります。

  単錨泊
  双錨泊
  二錨泊


単錨泊

単錨泊は文字通り1つの主錨とその錨鎖を使用して錨泊するもので、特に理由がなければ一般的に用いられる方法です。

使用する錨鎖の長さには、前回の (12) のように 通常錨泊法荒天錨泊法 とがあります。

いずれの場合でも、風及び潮流によって艦が振れ回りますので、錨地の周りには十分な余裕が必要となります。

この余裕の目安は、浅所や陸岸などの固定物に対しては危険界 (艦型による吃水で安全を保てる水深の限度目安) から、他の錨泊艦船や浮漂などに対してはその物体から、保有全錨鎖長+自艦の全長以上 とするのが一般的です。

選定する錨地の水深は、一般的にその艦の吃水の1.5倍以上 とし、海底の起伏が大きなところやうねりが入るところでは更に余裕をとる必要があります。

投錨方法としては、前進投錨後進投錨 があり、旧海軍では個艦の場合は主として前者、艦隊などでの編隊入港の場合は主として後者によっていました。

海上自衛隊では 米海軍の影響もあって後者が多くなり、特に最近の護衛艦ではバウ・ソーナーを備える艦が多くなってきたため、基本的に全て後進投錨 です。


ただし、同じ後進投錨といっても旧海軍と海上自衛隊とではやり方が異なっている ことには注意が必要です。

則ち、旧海軍では 6ノット程度の前進の機械のままで進み、予定錨位の約50m手前で機械を停止として 前進の存速のままで予定錨位に進み、その錨位に達した時に投錨 、直ちに後進の機械を使って後進の行き足とします。

これに対して、海上自衛隊では 予定錨位の手前で機械停止、後進半速として微弱な前進の行足でその予定錨位 (第1回錨位) を過ぎた後、後進の行き足がついて再度予定錨位 (第2回錨位) に戻った時に投錨 します。

このため、前回 (12) でお話ししたように、投錨時の艦の行足が異なっています (当然、海自のやり方の方が後進の行き足は強い) ので、旧海軍の教範を踏襲した海自の教範に記載された (何故か平成4年の改正時でも変わっていない) 、最初の抑止を行うのは錨鎖が水深の1〜1.5倍出たところとするのではまだ早すぎ、則ち錨鎖が短すぎて、錨を引っ張って起こしてしまう可能性が高いのです。

Anchor_Kyouhan_H09_01_m.JPG
( 旧海軍の昭和4年の教範より )

Anchor_Kyouhan_H04_01_m.JPG
( 海自の平成4年改正の教範より )


深海投錨

単錨泊の変形で、文字通り水深の深い場所に錨泊するもので、艦の大小や底質などの条件で異なりますが、一般的には 40m程度を限度 としています。

特別な理由があって更に水深の深いところに投錨する場合は 70m程度を限度 とし、これを 大深海投錨 と呼んでいます。

この深海投錨では、錨と錨鎖の重量により走出が止まらなくなる危険がありますので、錨位の水深−25m程度まで巻き出しておき、投錨後着底を確認したら一旦止めて、以降はソロリソロリと少しずつ所定錨鎖まで伸ばします。 もちろん通常の投錨法と異なり、艦の行き足は錨鎖が海底で団子にならない程度に極めて微弱なものとする必要があります。

大深海投錨の場合は、いわゆる投錨を行わず、最後まで揚錨機を使って巻き出します。


双錨泊

双錨泊は、錨地が狭い場合や艦隊などで揃って錨泊する場合で、艦の振れ回りの量を少なくする時に用いられます。

前進投錨 (又は後進投錨) によって主錨の1つを投錨し(第1錨)、錨鎖を延ばしながらそのまま所定の方位に進み、2つ目を投錨した (第2錨) 後、それぞれの錨鎖の長さを調整しつつ双方の錨の中間点で繋止し、錨泊する方法です。

Anchor_double_03_m.jpg
( 後進双錨泊の例 )


なお、旧海軍時代の観艦式などでもこの方法を応用し、更に式典時には振留錨を使用して方位を合わせるか、場合によっては主錨又は副錨を短艇などで搬出して投錨し、錨索を艦尾に繋止して方位を合わせる方法が行われました。

Fleet_Review_M41&S03_01_m.JPG
( 明治41年 (上) 及び昭和3年 (下) の観艦式より )


二錨泊

二錨泊は、荒天 (季節風のような) や河江での場合のように、ほぼ一定の方向から強い外力を受ける時に用いられるもので、2つの主錨とその錨鎖による把駐力に期待する方法です。

この場合、2つの錨の交角は一般的に60度程度 (40〜50度程度が最適)、どんなに広くても120度を超えない (これを超えると二錨泊の意義が無くなる) こととし、錨鎖は両方とも同じ長さ (一般的には7〜9節程度) とします。

ただし、単錨泊と同じように振れ回りますので、これを押さえるために艦尾から中錨を 振留錨 として投入する方法もあります。

Anchor_double_01_m.jpg

この二錨泊の応用として、下図のように風向の変化に応じて片方の錨鎖長を短くする方法もあるにはありますが、荒天下の作業には困難なものがあり、かつ風向の変化がそれ程急激では無いことが前提になります。

Anchor_double_02_m.jpg


しかしながらいずれにしても、台風のように 風向の変化が激しい場合などには二錨泊は不適 です。


その他の特殊な錨の使い方としては、投錨回頭法、各種の 河江錨泊法高速投錨法 などがありますが、旧海軍時代ならともかく、現在の海上自衛隊ではまずその機会もありませんので、説明は省略します。


なお、現在の海上自衛隊では、バウ・ソーナー装備艦が多くなったことや、岸壁が整備されて錨泊の機会が少なくなったことなどがあり、単錨泊以外はほとんど行われません。

私の現役中でも、単錨泊以外の経験は全くありませんから、今の若い艦艇長でこれらの経験がある人はまずいないと思います。

「ゆき」 型や 「あぶくま」 型などでは、やろうと思えば出来るんですが ・・・・

-------------------------------------------------------------

前 : 「 錨と錨鎖の話し (12)」

次 : 「 錨と錨鎖の話し (13・補)」

posted by 桜と錨 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年07月16日

錨と錨鎖の話し (12)


今回は 錨泊理論と錨泊要表 についてです。


単錨泊で使用する錨鎖長については、旧海軍での研究と実験・経験に基づき、一応次のものによることとされてきました。(D:水深(m))

  通常錨泊 :
    3D + 90m

  荒天錨泊 : 風速30m/秒、波高2mまで
    4D + 145m

ただし、旧海軍では波高2mまでではなく、風を艦首から方位30度に受けるまで、とされていました。

現在の海上自衛隊でも基本的にこれを使用しており、候補生学校などではこれの覚え方として 「3で困れば、4でひょい」 と教えられてきたものです。

また、戦後の民間での研究でも、内航船や外航船について基本的にほぼこれで良いこととされてきました。


そしてこれの基となる、錨泊理論、すなわち把駐力、風圧曲線、流圧曲線、懸垂長と懸垂曲線、外力算定、などなどについては旧海軍や海自の運用関係の資料にその理屈と算定式などが纏められています。

これを具体的に各艦の状況、則ち錨の形状や重量、錨鎖の太さや重量、艦の排水量や風圧面積などによって求め、これらを最終的に図にしたのが 『錨泊要表』 と呼ばれるものです。

これらの一式は、各艦の 『運用術要誌』 の中に綴られています。

例えば、錨泊要表の一例をご紹介すれば、次の様なものです。


Byouhaku_chart_01_m.JPG
( 今は無きかつての護衛艦のもの )


では、その錨泊理論に関する各種の研究成果についてはどうなのか、と言いますと、東京商船大学 (現在の東京海洋大学海洋工学部) の鞠谷宏士元教授による 『錨泊に関する二・三の問題』 というものが最も知られており、海自でもこれを纏め直したものが艦艇長講習時の参考資料として印刷・配付されています。

Kikuya_riron_01_s.JPG

この鞠谷氏のもの以外にも、その他いくつかあるにはありますが、この鞠谷氏のもの一つをじっくり読み込んで理解すれば十分と思います。

ただし、艦艇長講習の受講者達が講習期間中や艦長艇に補職されたあと、これをどれほど読んでいるのかは判りませんが (^_^;


しかしながら、ご注意いただきたいのは、この錨泊要表にしても、鞠谷氏などの研究論文にしても、あくまでもそれは 一般的な “理論” に過ぎない、則ち “この前提条件の時ならばこう” というのであって、決してそれぞれの艦船における具体的なその都度その都度の実際の錨泊には必ずしもピタリと適合できるわけではない、ということです。

つまり、錨の状態一つとっても、投錨時に錨が着底した時にキチンと艦の前進又は後進の方向に正しく向き、かつ錨の爪が正しく海底に噛んでいるなどは、過去の実際の収集データからは20%程度に過ぎないことが明らかとなっています。

そして錨が海底に正規どおりに食い込んでいない場合の把駐力については、キチンと示されたものはありません。

しかも、水深の2〜3倍程度錨鎖を出した時に行う最初の抑止で、錨と錨鎖が艦の航進針路に対して正しく真っ直ぐになるなどはまずありません。

なお、海自の教範などでは最初の抑止は錨鎖が水深の1.5〜2倍程度出た時に、とされていますが、これは旧海軍のものを踏襲したものですが、投錨法が旧海軍と異なり、ソーナー・ドームの保護もあって原則として後進投錨ですので、投錨時の後進の速力からして私の経験からはこれでは早すぎます。

したがって、ほとんどの場合、錨泊時の把駐力は水中にある錨と錨鎖の重量とこれによる海底との摩擦抵抗だけなのです。

 Byouhaku_01_m.JPG

下手な艦ではこの最初の抑止の時に錨を引っ張って海底を滑らせてしまうこともありますが (初心者の錨作業指揮官が教範などにより早期に抑止を行った場合に多い)、こうなると、特に底質が砂泥や泥の場合は、錨及び錨鎖と海底の摩擦抵抗は極端に小さくなってしまいます。

要は、投錨時に錨をストンと落とした後は、錨を絶対に引っ張らず、かつ錨鎖は団子にならないように少しずつ海底に並べていけば良いのです。

海上自衛隊でも、案外これを知らず、かつ出来ない錨作業指揮官がいるんですよね (^_^;

-------------------------------------------------------------

前 : 「 錨と錨鎖の話し (11)」

次 : 「 錨と錨鎖の話し (13)」

posted by 桜と錨 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年07月15日

錨と錨鎖の話し (11)


錨・錨鎖の塗色と節数マーク

折角ですので、これまでにお話ししてきた中でまだ出てきていなかったものを続けて。

今回は錨と錨鎖の塗色、そして錨鎖の節数マークについてです。


まず塗色ですが、旧海軍でも現在の海上自衛隊でも、通常、錨、短鎖とその後ろの第1節は外舷色、つまり甲板(内舷)色よりはやや濃い灰色です。

そして第2節以降の錨鎖は全ては黒色ですが、錨鎖庫のスリップに接続されている最後の1節は赤色に、そしてその前の1節は黄色に塗られています。 つまり、これで終わりだよ、と目立つようにです。

ただし、旧海軍では艦によって、あるいは時期によって、第1節も黒色に塗られていた場合もあるようですが、これの詳細は判りません。


次に錨鎖の節数マークですが、

投揚錨時など錨鎖を使う場合には、前甲板で、そして艦橋から、今何節目が出ているかが一目で分かるようにするため、節数マークというのが施されています。

旧海軍では

  第1節目後端(第1節目と第2節目の接続部)両側の端末リンクに、
  第2節目は端末リンクの内側1つ目のコモン・リンク、
  第3節目は2つ目のコモンリンクに ・・・・

というように、それぞれのリンクを白色に塗り、そのスタッドに鋼線を巻き付けます。

そして、各1節の中央 (半節) の1リンクは白色に塗ります。

anchor_02_s.jpg
( 昭和5年の 「金剛」 入渠時の写真より )


現在の海上自衛隊は米海軍式を真似して、もう少し派手になっています (^_^)

  第1節目後端の接続シャックル  : 赤色
  第2節目後端の  同     : 白色
  第3節目後端の  同     : 青色

第4節目以降はこの赤、白、青を順番に繰り返します。

そしてこの接続シャックルの両端はその節数分のリンクを白色に塗り、更にその一番端のリンクのスタッドに鋼線を巻きます。

例えば第4節(第4節と第5節の接続部)では次のようになります。

Anchor_chain_color_02_s.JPG


そして海上自衛隊でも旧海軍と同様に、各1節の中央 (半節) の1リンクは白色に塗ります。

-------------------------------------------------------------

前 : 「 錨と錨鎖の話し (10)」

次 : 「 錨と錨鎖の話し (12)」

posted by 桜と錨 at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年07月14日

『一般計画要領書』 潜水艦の部 追加公開


本家サイトの今週の更新として、『史料展示室』 の 『一般計画要領書』 コーナーにて、潜水艦の部で残っておりましたものの内 「伊12」 「伊16 (改正)」 「 同 (第2回改正)」 「伊26」 「伊52」 「伊54/56/58」 の6ファイル を追加公開 しました。

また 「伊400 (第1回改正)」 のリンクが切れたままになっておりましたので修正しました。



cover_I_012_m.JPG cover_I_054-56-58_m.JPG


潜水艦の部はあとまだ10隻以上残っていますが、手が空きましたら順次作業をしていく予定です。

HN 「閑居不善庵」 氏からディジタル化して当サイトで公開することを前提にいただいておりますので、これは何とか全てをやりたいと思っておりますし、私の責務でもあると考えております。

なお、今回公開しましたものの内、「伊54・56・58」 については、16枚目 (15頁) と19枚目 (18頁) の2枚が欠落しております。

造船工業会で保管していた元々の資料がそうだったのか、複製・配付時に抜けたのかなど、何時、どの段階でこうなったのかは今となっては判りません。 残念ですがご了承ください。

posted by 桜と錨 at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年07月03日

錨と錨鎖の話し (10)


制鎖器と抑鎖銲

(7) のコメント欄にて次のようなお尋ねをいただきました。

制鎖器 (controller) と抑鎖銲 (compressor) の関係がよく分かりません。
抑鎖銲についての説明は見つからず…。

当該コメント欄でも簡単にお答えいたしましたが、軍艦と民間船と大きく異なるところの一つが錨と錨鎖に関連した装置など、特に前甲板の艤装方法です。

例えば民間船などについての一般的な説明図の典型的なものが次のようなものでしょう。

Compressor_04_s.jpg

これと既にご紹介した 「大和」 の前甲板と比較していただければ、その違いがお判りいただけると思います。

この上図で A とされているところが制鎖器ですが、明治末期以降の軍艦の場合はこの制鎖器を装備するものはまずありません。 その代わりが抑鎖銲とスリップなどで、また揚錨機の型式も大きく異なります。

その一方で、民間船では抑鎖銲を装備するものはまずありませんで、またこの制鎖器を “Compressor” としているものもあります。

そこで海軍におけるその制鎖器と抑鎖銲ですが、大正期頃のものでは次のように示されています。

Compresser_02_s.jpg
( 大正11年の海軍用語 「運用の部」 より )

Compresser_01_s_mod.jpg
( 当時の制鎖器と抑鎖銲 )

この抑鎖銲は昭和期に入ると次のような種類が多くなりました。

Compressor_05_s.jpg

現在の自衛艦などでは次のように錨鎖管口直下にハンドルで操作するT型鉄銲と呼ばれるものが一般的です。

Compressor_03_s.jpg

( ただしこの図では 「抑鎖器」 となっていますが、海上自衛隊でその名称を使うことはありません。 単に 「抑鎖銲」 であり 「抑鎖銲ハンドル」 です。)

なお、キャプスタン下側にある錨鎖車には ブレーキ (=制動機) がついており、ブレーキ・ハンドルによりその締め付けの強弱を付けられるようになっています。

いわばこれが Controller (=制鎖器) の役割を果たします。

-------------------------------------------------------------

前 : 「 錨と錨鎖の話し (9・補) 」

次 : 「 錨と錨鎖の話し (11) 」
posted by 桜と錨 at 22:34| Comment(5) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年05月06日

脱帽時の制帽の握り方


去る4日に練習艦隊が遠洋航海出航に備えるために呉から横須賀へ回航となりました。

Eバースでは出港行事が行われ、多数の報道陣や家族、一般市民も訪れたようで、この様子は呉市役所の広報などでも報じられたところです。

候補生学校を卒業した初任三尉の実習幹部達が環太平洋の遠洋航海を経験し、船乗りとしての基礎的な知識・技能を磨くと共に、諸外国を訪れて見聞を広める重要な機会です。

が、それはそれで良いのですが ・・・・

Facebook でもコメントしましたが、岸壁で見送る高級〜中級幹部達の帽振れの動作があまりにもお粗末であり、みっともないのには驚いた次第です。

呉市の広報写真で見る限りでは、まともに基本が出来ているのは数名しか確認できません。

kureshi_PA_photo_R010504_01.jpg
(呉市広報の写真より引用)

https://www.facebook.com/kure.city/photos/a.440791985981554/2339815022745898/?type=3&theater

ほとんどの者がツバの脇を掴んでいます。 これ程までに船乗りとしての基本的な躾け、威容、スマートネスに欠けるものはない、しかもこれを公衆の面前で平然としてやるとは、元船乗りとして恥ずかしくて仕方ありません。


制帽を着用しての状態から脱帽する時には、帽子のツバの真ん中、つまり真正面から親指と人差し指・中指の3本で握ります。 これによって右上腕と帽子が真っ直ぐとなって、形良くなるようにしているのです。

これは帽振れの動作であろうと、屋外から屋内に入る時に脱帽する時でも同じです。

このことは幹部なら候補生時代から躾として、わざわざ意図せずともいつでも自然にこれが出来るように厳しく指導されて来た、基本中の基本の一つのはずですが ・・・・

考えてみてください、写真のほとんどの者のような握り方で脱帽して、もしそのまま不動の姿勢をするとしたらどうなるでしょう?


ご参考までに、私が候補生学校の入校式の時の写真です。 これが正しい制帽の持ち方、握り方です。

Boushi_01_mod_s.jpg

そして、同じく候補生学校卒業式の最後、機動艇に分乗して練習艦隊に向かう初任三尉を表桟橋から見送る海上幕僚長の鮫島海将 (中央) と候補生学校長の石榑海将 (右) のお二人です。 お二人を始め背後の皆もキチンと基本どおり正しく制帽を握っておられます。

Boushi_02_mod_s.jpg


たかが脱帽の仕方のことでは、と言われる人もあるかも知れませんが、こういう事から一つ一つ船乗りとしての躾け、伝統、そして威容とスマートネスが崩れて来るのです。

あるいはこれはその場その場で臨機応変にやっていること、と言われる人もあるかもしれません。 しかしこれはその臨機応変とは言いません。 基本ということが身についていない、と言うことです。

まさに海上自衛隊の現状の一端を表していると言えるでしょう。

そして気が付く人は気が付かれたでしょうが、通常は船体と同じ灰色の側幕で、練習艦や特別な場合には白色のものが使用されるのですが、折角の 「かしま」 のそれは、シワシワ、ヨレヨレに張られたままになっています。 この様な晴れの儀式の場合であるにも関わらず、です。

これなども潮気が抜けていると厳しく躾けられてきたことの一つなのですがねえ ・・・・

posted by 桜と錨 at 00:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年05月05日

「南西諸島所在の旧陸海軍基地」 概観一覧


先ほど 「令和」 最初の本家サイトの更新として、『旧海軍の基地』 コーナーにて 「南西諸島所在の旧陸海軍基地」 概観一覧ページを追加公開しました。

  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/000A_14_Nansei_AB.html

Nansei_AB_List_sat_h31_01_mod.jpg

併せて、沖縄本島の 「沖縄北」 基地のページを作成しました。 ここは本来は旧陸軍の飛行場ですが、当初から陸海軍の共同運用とされており、旧海軍も航空隊司令部レベルの通信施設などを置き、また実際に航空機の運用も行っておりますので、“準” 旧海軍基地としてご紹介することにしました。

  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/A027-Okinawa_North.html

なお、この南西諸島でも 「秘匿基地」 と称するものも含め戦時急造のものが計画され、あるいは工事に入ったものの未完成又は途中放棄のものが多数有りますが、同コーナーのポリシーにより、いつもどおりこれらのものは日米両側の史料で詳細の確認が取れるもの以外は原則として省略しております。

Army_AB_Okinawa_East_1944_01_mod.jpg
( 旧陸軍が途中で建設放棄した 「沖縄東」 飛行場予定地跡 )


これにて一応日本本土全ての地域別の旧陸海軍航空基地一覧を網羅し終えました。 各ページともまだまだ不十分なものですが、今後少しずつ修正していく予定にしております。

それにしてもつくづく不思議に思うのは、こんな一覧さえ未だに十分なものがネットでも出版物でも無いんですよね。


当該コーナーでの次は 「台湾所在の旧陸海軍基地」 のつもりなんですが ・・・・ これが (も) ちょっと難物です。

何しろ旧陸軍はもちろん、旧海軍でもまともなリストさえなく、戦史叢書でさえ記述個所によって整合が取れていない始末です。

一つ一つの確認に大変手間がかかりますので、今のところ何時完成するかは全く目途がたちません m(_ _)m


posted by 桜と錨 at 14:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月28日

沖縄本島の 「小禄」 「佐敷」 航空基地


本家サイトで平成最後となりました今週の更新は、先週に引き続き 『旧海軍の基地』 コーナーにて 「小禄」 及び 「佐敷」 の2つを追加しました。

   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/022A-Koroku.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/A026_Sashiki.html

ただ、後者については旧海軍において戦前から 「佐敷基地」 あるいは 「馬天基地」 と呼ばれてきた水上機基地ですが、本ブログでも連載いたしました日辻常雄氏 (海兵64期) の回想録 『大空への追想』 でも出てきますように、その名は旧海軍部内でもよく知られているにも関わらず、基地の詳細については全く不明なところです。

もしご存じの方がおられましたら、是非ともご教示いただきたいと存じます。

なお、本家サイトの同コーナーでの方針として、いわゆる 「秘匿基地」 と呼ばれる戦時急造の航空基地で、計画のみ、あるいは途中で工事中止となり放棄したり終戦までに完成しなかったものについては、日米の詳細データが揃ってるもの以外は、これまでどおり基本的に含めないことにしております。

例えば、「小禄」 近傍で工事途中に放棄された 「与根」 航空基地予定地などです。

AB_Koroku_photo_1945_02_mod.jpg
( 米軍により小禄基地上空から撮影された与根航空基地予定地跡 (奥) )


これにて南西諸島所在の旧海軍航空基地を全て終りましたので、この後他の地域と同様に南西諸島所在の旧陸海軍航空基地の概観一覧ページを作成したいと思っています。

この旧陸軍の基地の内、「沖縄北」は本来は旧陸軍の基地ですが、旧海軍との共同運用であり、また旧海軍も本基地に航空隊司令部に準ずる通信施設なども置いておりましたので、本基地の詳細については他の旧海軍の航空基地と同様に1ページを作成することで考えていますが ・・・・ ?


posted by 桜と錨 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月26日

4月25日付 『朝雲新聞』


『朝雲新聞』 の 「世界の新兵器」 コーナーで艦船シリーズとして4ヶ月毎に掲載していただいてる私の第9回目で 「平成」 最後の記事となります。

今回はいつもの戦闘艦艇ではなく、現在同型艦4隻が順次建造中の英国海軍の高速艦隊給油艦 「タイド」 級についてです。

#9_h310425_Tide_m.jpg

満載排水量で3万8千トンという大型艦ですが、補給艦ではなく給油艦に特化したところに特徴があるといえます。

しかしながらこの 「タイド」 級、設計自体は英国なんですが、建造は4隻一括で韓国3大造船メーカーの一つである 「大宇造船海洋」 に発注したのです。

韓国で建造された戦闘艦艇については、これまで様々なトラブルの発生が伝わってきておりますが、案の定というか、本級でも1番艦の艤装中に機関関係の不具合が見つかり、これの解決ために1番艦と2番艦の就役が約半年遅れてしまいました。

もちろん原因は、設計自体にあったのか造船所側にあったのか、の詳細は不明ですが (^_^;

現在3番艦までが就役しており、就役後についてはこれまでのところ大きなトラブルの発生は生起していないようです。

上で「英国海軍の」と言いましたが、正確にはご存じのとおり、英国海軍における補助艦艇は全て 「英国海軍艦隊補助部隊」 (RFA、Royal Fleet Auxiliary) という海軍自体とは別の組織に属し、武器等担当の少数の海軍軍人が乗り組む以外は、民間人の手によって運航されています。

このため本級も正規の 「軍艦」 ではありませんので、軍艦旗の 「ホワイト・エンスン」 ではなく、商船用の 「ブルー・エンスン」 の一種を掲揚しています。

RFA_ensign_s.jpg

この RFA は米国の 「軍事海上輸送軍団」 (MSC、Military Sealift Command) に似た組織で、作戦時には配属された艦隊の指揮下に置かれます。 そして、MSC は非武装であるのに対して、RFA は平時から武装しているところに大きな違いがあります。

そして皆さんご存じのとおり、1982年のフォークランド紛争においてアルゼンチンに占領されたフォークランド諸島の奪回のため、英国海軍は大遠征を行って大きな犠牲を払いながらも見事にこれを完遂した訳ですが、この大遠征の作戦を支えたのがこの RFA でした。

何しろ世界に誇る豪華客船であるあの 「クイーン・エリザベス2世」 や 「キャンベラ」 を徴用してまで運用したのですから。

posted by 桜と錨 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月21日

南西諸島所在の旧海軍航空基地


遅くなりましたが、先ほど本家サイトの今週の更新として、『旧海軍の基地』 コーナーにて、「種子島」 「古仁屋」 「石垣 (第一、第二)」 「宮古」 の5基地を追加公開し、既に公開している 「喜界島」 及び 「南大東」 の内容を更新しました。


因みに、↓ は宮古島の旧海軍の 「宮古」、旧陸軍の 「宮古中」 と 「宮古西」 の3つが写っている珍しいものです。

AB_Miyako_photo_1945_03_mod.jpg
( 手前から平良市街、「宮古」、「宮古中」、そして奥右端に 「宮古西」 )

これのほぼ反対側からの写真は旧陸軍の基地の時にご紹介する予定にしています。


これにて、南西諸島所在の旧海軍基地の残りは、あと沖縄本島の 「小禄」 と 「佐敷」 の2つです。

この2つが終わりましたら、南西諸島所在の旧陸海軍航空基地一覧を作成したいと考えております。

posted by 桜と錨 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月17日

独り言


久々に独り言を呟いてみる (^_^)

日本海軍は93式魚雷の他に駆逐艦用の短射程高速魚雷を作ろうとしていた

う〜ん、それを 「ニコニコ」 とか言うところで聞いたからというなら、そこで聞けば済むことじゃないのかなあ 〜

おそらく 試製 F のことかと。


(16日 追記) : ちょっと笑い話のような回答があったようですので

旧海軍での酸素魚雷の開発においては試製A〜Gが計画されました。

試製Aが九〇式を酸素化した巡洋艦用を狙って開発され、これが後に九三式魚雷一型となって実現、駆逐艦用としてこれの射程を犠牲にして高速化を狙ったのが試製Cですが、試製Aで手こずっている間に先に試製Fが進んだので、主機関の試作までで開発中止。

この試製Fがタービンエンジンを使用して雷速55〜60ノットを狙った、まさに “駆逐艦用の短射程高速魚雷” で、試作実験で所望の高速を得るところまで行ったのですが、開戦の結果として引き続いての実用化への開発は中止されました。


質問の話は別の話が又聞きの又聞きで内容が実際のものからだいぶズレてしまったものなのではないかと推察

キチント調べずにネット情報を自己流に解釈するとこうなるんでしょうねえ (^_^)

まあ、聞きたい人が自由に書き込み、言いたい人が自由にレスできるのが、当該某巨大掲示板の良いところでもありますので、これはこれで良いのでしょうね。


posted by 桜と錨 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月14日

『朝鮮半島の旧陸海軍航空基地』 一覧ページ更新


今週の本家サイトの更新は、『旧海軍の基地』 コーナーで既に公開しております 『朝鮮半島の旧陸海軍航空基地』 一覧ページに、旧陸軍の 「海雲台」 「密陽」 「泗川」 「晋州」 及び 「木浦」 の5基地を追加しました。


Army_AB_Kaiundai_map_1945_01_s.jpg
( 1945年版の米軍地図より海雲台航空基地 )

とは言っても、それなりのデータが揃っているのは戦後に 「釜山国際空港」 となった 「海雲台」 のみで、他の4基地については残された旧陸軍の史料はほとんどありません。 特に 「密陽」 及び 「晋州」 の2つについてはその所在場所さえ判りません。

しかしながら当面はこれ以上のデータは出てこないと思われますので、これにて朝鮮半島の一覧ページは一区切りといたしたいと思います。

もしこれらの基地についてご存じの方がおられましたら、是非ともご教示下さい。

posted by 桜と錨 at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月07日

制服を着た能吏が現場に出ると (補足)


旧海軍及び海自の船乗りのことにはあまり詳しく無い方もおられると思いますので、先の件について少し補足を。

旧海軍時代から、船乗りの躾けとして厳しく言われてきたことの一つに艦の 威容の保持 というものがあります。

これも個艦でのことも大変多岐にわたりますが、当然部隊、則ち艦隊や戦隊などでのことも含まれます。

個艦での事についてはそれこそ極めて多岐にわたりますが、その内のいくつかは出版物などでも語られておりますし、また本ブログでかつて連載した 『艦船乗員の伝統精神』 の中でも出てきますので参考にしてください。


また海自関係の方々であれば、護衛艦隊の 『艦艇勤務基本しつけ集』 『術科しつけ集』、あるいは海上幕僚監部が出した 『シーマンシップのかん養』 などはご存じかと思います。 ( これらの中で旧海軍から伝わるものが十分に網羅されている訳ではありませんが )


そして部隊でのことになりますとこの 「威容の保持」 のためには特に 斉一 ということが求められます。

これは、一つの港や作業地などに停泊中は、その威容の保持について 旗艦又は最先任艦に合わせる ことになりますし、航海中も同じです。

例えば、艦旗掲揚・降下はもちろん、停泊燈の点灯・消灯、武器やハッチなどの覆の掛け外し、などなどです。

つまり何かを行う場合には、全体が一斉に行い、全体が同じ見かけになっていることが求められる のです。

したがって、港内で桟橋に横付けしている場合や前後浮漂繋留している場合には、それぞれ全艦が同じ向きになるようにすることは言わずもがななことです。

ですから、この呉での様なことなどは “余程の理由が無い限り” あり得ないことになります。

0005067_mod.JPG

では、この時にその様な “余程の理由” と事情があったのでしょうか?

この状況を見る限りでは、その様なことはまず無かったし、その様なことをさせる事情も無かったと言えるでしょう。

海自の定係港では、そこを母港とする艦艇以外が入港する時には、その艦艇に優先的に桟橋を割り当てるのが “常識” となっています。

ですから、もしこの例の 「こんごう」 「むらさめ」 (おそらく 「むささめ」 は 「こんごう」 のために) のように左舷横付けが必要である場合には、当然のこととして桟橋の南側 (右側) が割り当てられますし、もし桟橋に直づけが必要ならば、既にいる艦艇は係留替えして (場合によっては沖で錨泊して) 当該場所を空けるようにします。

他艦も巻き込む手間暇になりますが、それが “伝統” であり “威容の保持” なのです。

ところがこの例のような指揮官所掌事項でこの様なことをすると、それがなし崩しなり、それを発端に艦船乗員の末端に到るまでの全ての “躾け” が崩れて行くことになります ( いえ、実際に既にかなりのことが崩れてきてしまっているのですが )。

艦艇乗員からすれば “何だそんなのでいいのか” “一体どこが斉一 ・ 威容の保持だ” となる訳です。

したがって、各級指揮官自らが “襟を正して” 行くことが重要 なのです。


ここでご来訪の皆さんにお尋ねします。

港に停泊する場合は直ぐに出港できるように 「出船」 とすることが常識であり、またその様に躾けられてきました。

ところが、ここ呉のE及びF桟橋、そして佐世保の立神岸壁などでは従来から 「入り船」 としてきております。

この理由が何故かお判りでしょうか?


posted by 桜と錨 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年04月06日

制服を着た能吏が現場に出ると


本家サイトの方でいつもお世話になっている HN 「脇」 さんからご紹介をいただきました。

0005067_mod.JPG

いや〜、これは酷いですね。 平気でこんな事をやる指揮官達がいるのかと思うと、海上自衛隊も情けない組織になったものと嘆かわしい限りです。

“伝統の継承” ? 海自がモットーとして掲げるこれはあれですかねえ、今では 「伝統の継承が “できたらいいねえ”」 という意味なんでしょうね。

旧海軍の時から船乗りの躾として、天幕の紐一本でさえ厳しく指導され、“スマートネス” “威容” を保つためには手間暇を厭わない、とされてきたものは一体何だったのかと。

やはり内局の役人に一佐以上の補職・昇任の人事を握られ、彼等の覚えめでたさが重要と考える “制服を着た能吏達” と、それを見て育つ若い有能な者達が現場に出てくると組織もこうなるという見本ですね。

先の候補生学校の卒業式最後を飾るべき出港においても、あのお粗末さ、みっともなさ。

何というか、海上自衛隊はもう船乗りの世界では無くなってしまいましたね。

posted by 桜と錨 at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年03月24日

パガン航空基地


先週の本家サイトの更新はちょっと欲張って 『旧海軍の基地』 コーナーでマーシャル諸島所在の海軍航空基地の残り全てを一応網羅いたしましたので、今週はマリアナ諸島の 「パガン基地」 1つの追加です (^_^;


AB_Pagan_photo_1943_01_m_mod.jpg
( 1943年の米潜水艦による偵察写真より )

パガンてどこにあるの? パガンな〜い。

というダジャレが出てきそうなくらい、同コーナーのリストではこのパガンの上にあるテニアンやトラックに比べると遙かにマイナーですが、逆にこういう基地のご紹介も珍しくてよいかと。

とは言っても、この基地、元々が戦前に不時着陸兼中継基地用として建設され、また大戦中もその様に運用されたこともあり、詳細はよく判りません。 このため、ちょっと図・写真などは少ないものとなりました。


なお併せて、本家サイトの掲示板で HN 「かず」 さんからお尋ねのあった串良基地について、折角の機会ですので地図及び写真について追加更新しました。

AB_Kushira_map_1945_01_m_mod.jpg

AB_Kushira_photo_1945_01_m_mod.jpg

posted by 桜と錨 at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年03月18日

マーシャル諸島所在の旧海軍航空基地


今週の本家サイトの更新用ページをちょっと欲張って作っていたのですが、持病のギックリ腰のためもあってなかなか思うように進まず、日付が変わってこの時間になってしまいました (^_^;

本家サイトの 『旧海軍の基地』 コーナーで 「ウオッゼ」 と 「ヤルート」 ページを作成し公開しましたので、今週の更新は、折角ですのでこれを機会に残りのマーシャル諸島所在の旧海軍の航空基地を追加することにしました。

「ミレ」 「メジュロ」 「マロエラップ」 「ロンゴラップ」 とケゼリン環礁の 「ケゼリン」 「エビジエ」 「ルオット(ロイ)」 の7基地です。

Marshall_sat_h31_01_mod.jpg


これにてマーシャル諸島は一応全て網羅しました。

ただし、「メジュロ」 と 「ロンゴラップ」 は現在のところ日本側及び米側の史料ともに航空基地データが全く見当たりませんので取り敢えずの “暫定版” です。

その他の基地についてもまだまだ荒削りですので、今後時間を見ては修正していく予定にしています。

なお、併せて既に公開している 「エニウェタック」 について修正を加えております。

これらの航空基地について、特に 「メジュロ」 と 「ロンゴラップ」 について、情報をお持ちの方がおられましたら、是非ともご教示いただけるようお願いいたします m(_ _)m


それにしても不思議なのは、ケゼリン環礁の 「エビジエ」 と 「ルオット」 は戦前に開設されたのですが、何故か旧海軍の航空基地リストにありません。

また、昭和12年及び14年に行われた内南洋の航空基地適地調査でも調査そのものは行われたはずなんですが、この2つの基地についてはその調査結果では採り上げられなかったんです。

う〜ん。

posted by 桜と錨 at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年03月10日

ヤルート航空基地


本家サイトの今週の更新として、前回 『旧海軍の基地』 コーナーに 「ウオッゼ航空基地」 を追加公開しましたので、折角の機会ですから、同コーナーのリストで一つ上にあり、かつ地理的にも近い 「ヤルート航空基地」 を追加公開しました。

AB_Jaluit_photo_1943_02_m_mod.JPG

  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/071A_Jaluit.html

ここはヤルート環礁の中のイミエジ島にあった大艇及び水偵用の水上基地で、正式名称は 「ヤルート」 なんですが、ヤルート環礁、ヤルート島との混同を避けるためもあって、海軍部内の文書でも所在地名を採って 通称 「イミエジ」 としているものも多いです。

そして南方諸島の他の島々の基地と同じく、米軍の直接侵攻を受けなかったところは、制空権を奪われ、補給を絶たれた結果、終戦までの状況は似たり寄ったりとなったところの一つです。

posted by 桜と錨 at 13:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと