2016年10月16日

秋祭り


今週末は地元の神社の秋季大祭です。

私は人混みが苦手ですので、昼間よりは人が少ないだろうと昨日は家内と一緒に夜祭りに。

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ところが田舎の小さな境内ですが、屋台が並んでいるせいか小学生〜高校生くらいの若い人で溢れていました。 この辺にこんなに若い人がいたんだと改めてビックリ。

でも、私の若い頃も屋台をあれこれ回るのが楽しみで、お祭りが近づくとワクワクしていたのを思い出します。

今日は午前中にそれぞれの町内をヤブと太鼓が回ります。 子供会の子供達も同じ法被を着て一緒です。

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こういう伝統・風習がきちんと子供達に伝えられていくのは嬉しいことです。

やはり日本ですね 〜

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2016年10月08日

コーヒー・ブレイク


世の中三連休ですが、別にどこかに出かける予定があるわけではなく、その一方で原稿は全く進まず ・・・・ で、何はともあれコーヒー・ブレイク。

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ここは先日見つけたところですが、確かにコーヒーは美味しいです。 今日のコーヒーはコロンビア。

あっパフェは、まあついでに、です。 季節ものですから (^_^;

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2016年10月03日

海上警備隊と旧海軍軍人


ネット某所で昭和25年に創設された警察予備隊への旧陸軍軍人の採用状況について話題になっておりました。

では昭和27年に創設された海上警備隊の場合についてはどうだったのか、と思われる方もおられると思いますので少々。


警察予備隊では昭和25年の創設時にはまだ戦後の公職追放もあって旧陸軍軍人は採用されませんでした。

しかしながら、当然のこととして軍事組織とはどういうものかさえ満足に理解していない一般の人々を集めてもまともに機能するわけがありません。

そこで26年には取り敢えず陸士58期 (終戦直前に少尉に任官) を採用したものの結局上手く行かず、知識及び経験のある佐尉官の旧軍人を採用せずにはおられませんでした。

これに対して昭和27年4月に創設された海上警備隊 (僅か4ヶ月後には 「警備隊」 となる) は、この警察予備隊での反省と海軍という特殊性もあり、また旧海軍軍人の採用もかなりの程度が可能な情勢となったことから、当初から旧海軍軍人が含まれました。

とは言っても、組織そのものが海上保安庁の一部局だったこともあり、保安庁からの転換者が主流を占めたのは当然のことです。

そして旧海軍軍人の採用に当たって、特に幹部については定員枠による採用数の関係や戦後既に7年も経っていたことなどから、それほどスンナリ行ったわけではありません。

それに旧海軍での知識・経験は有っても米海軍方式の採用により全く一からの出直しであったため、これに馴染めず拒否反応を示す者もかなりあったと聞いています。


そこでこれらの全体像ですが、

海上警備隊創設時の状況や経緯、そしてこれに先立つ 「Y委員会」 のことになどついては、一般の方々が入手できるものとして 「 (財) 水交会」 から出ている鈴木総兵衛著 『聞書・海上自衛隊史話』 があります。

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当該書はかつて水交会会報誌 『水交』 に連載されたものを改めて1冊に纏め直して出版したもので、このテーマについてその概要と流れを掴むには最適のもの、というより現在までのところこれしかないと言っても過言ではないでしょう。

なにしろ、後になって出された学者や研究者などがものしたものと異なり、当時の中枢にいた当事者が書いたものですから。

しかしながらデータなどの具体的な面ではやや足りないところもあり、かつ公的な裏付けも必要になりますので、やはり当該書だけでは不完全と言えます。

この足りない部分については、昭和57年に海上自衛隊が 『海上自衛隊二十五年史』 を 「本編」 及び 「資料編」 の2分冊で公刊しており、海上警備隊創設時の人事的なことも一応網羅されています。

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ただし、残念ながらこの年史は 「部内限り」 に指定されていたため、一般向けには公開されていませんので、まず目にされたことはないと思います。

( 国立国会図書館には平成15年の 「50年史」 は収蔵されてますが、この 「25年史」 はありません。 ただ、最近では時々古書店に出回っているようですが ・・・・ )


これらを要約すると、海上警備隊への旧海軍軍人の採用状況は、国内情勢、そして組織そのものが保安庁出身者に牛耳られていたことなど考慮すると “まあ上手くやった” のかなと評価されます。

そして何よりも、まず教官要員を最優先したことと、一から米海軍方式に従ったことがその後に繋がっていると言えます。


で、これで終わりなんですが、やはり具体的な数字などを挙げて説明しないと手抜きかな ・・・・ (^_^;

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2016年10月02日

昨日は渋谷


日付が変わってしまい、もう一昨日のことになってしまいました。

5ヶ月 (?) ぶりに渋谷へ出ましたが、代々木公園の国立競技場と野外ステージ間の通りで北海道フェアをやっていました。

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通りの両側と野外ステージ前広場に多数の出店・屋台が並び、通りの中央はテーブルと椅子がズラリと揃えられて巨大なフードコートと化していました。

金曜日の昼でしたが大勢のグループや家族連れの来場者があり、それぞれ思い思いの食べ物買ってきてはテーブル席に集まって、ワイワイガヤガヤ。 もちろんお肉や焼き牡蠣などで一杯やるグループも。

う〜ん、今日の打合せはここでやってもよいのではと思ったり (^_^;

フェアは100mくらいで、その向う側は普段の通りの姿。 何となく木々の葉の色も秋が近づいた雰囲気になってきています。

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で、13時半から始まった打合せですが、途中で2回のトイレ休憩があっただけ。 フッと気が付けば21時を回っていましたので、取り敢えず今回はここまでとました。

まだ具体的な内容はどうなるか判らない企画ではありますが、私と同様な部外からの参加者の皆さんもそれぞれ好きなテーマだけに中身の大変濃い討議となりました。 さて今後どの様に形作られて行くのか、これからが楽しみです。

結局宿に入ったのは22時頃。 ともかく何か食べに (と言うより一杯やりに) 出ることに。

しかしながら、花金ということもあってかこの時間でも渋谷の街はどこも若い人達が溢れており、お店も一杯のところばかりです。

折角の機会に新規開拓もままならず、仕方なくここならと思って以前一度お邪魔したことのある沖縄料理のお店へ。

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が、なんと外人さん数名も含めてここもほぼ一杯。 でも一人ですので何とかカウンター席に座れました。

もちろんここに来ればこれです。 まずは泡盛の水割り。

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本当は40度の瑞泉のロックでチビチビやりたかったのですが、最近めっきり弱くなりましたので我慢して27度の久米仙の水割りで (^_^;

注文した肴は沖縄では有名なものばかり。

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最後の写真のものはご存じですか? 豚のしっぽをトロトロになるまで煮込んだものです。 なかなかの珍味。

う〜ん、ちょっとカロリー高過ぎの夕食かな (^_^)


で、今朝はゆっくり起きて、昼頃代官山でのディアゴさんのジャズ・イベントに顔を出したいと思っていたのですが ・・・・ 急用ができまして帰宅することに。 これはちょっと残念。

そこで、朝食と昼食を兼ねてこれを。 駅弁屋さんで見つけたご飯の無いおかずだけのセットもの。 まさに車中でのビールのおつまみにピッタリです。

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安い割にはボリュームもあり、なかなか美味しかったです。

えっ、お土産は、ですか? もちろんそこは忘れません。 これが無いと家に入れてもらえませんので (^_^;

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2016年09月22日

お彼岸


今日はお彼岸の中日。 生憎の天気でしたが、日頃の不精をお詫びかたがた家内とお墓参りに行ってきました。

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秋分の日の祭日ですので、小雨の中を結構墓参に来られている家族の方々が多かったです。


で、帰りはお約束の休憩 (^_^) 新規開拓ということで、ポツンとある小さなカフェにお邪魔してみました。

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専門店を謳うだけはあって、コーヒーはなかなか美味しかったです。 時々は寄ってもいいかも。

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2016年09月17日

家内の陶芸教室


家内が月2回週末に陶芸教室に通っています。

もっとも陶芸教室とはいっても、先生の指導により定番の茶碗類から始まる一般的なところではなく、毎回自分の好きなものを作り、あとは先生が (何とか使い物になるように) 手を入れて焼くところまでやってくれる、結構気ままでアバウトな教室のようです。

まあ私の父の例からしても、本格的な陶芸教室に通うと本人は “どうだ良い出来だろう” とは言うものの、家族にとっては迷惑なだけの茶碗やお皿などが家中に溢れることになりますので、これはこれで家内も気楽で良いようです。

で、先日娘達が遊びに来た時に次女が面白そうだと一緒に行って、自分も作ってみたものがやっと焼き上がりましたので家内が持って帰ってきました。

私への遅ればせながらの誕生日プレゼントだったのだとか。

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??? ハリネズミの置物? ハリセンボン?

始めは箸置きのつもりだったそうですが、これでは ・・・・ (^_^;

次女よ、ユニークなものをありがとう。 早速私の仕事部屋に飾ることにしました。


今回は家内の作品も色々と出来上がって持って帰ってきました。

その一つがこれ。 私が注文した蚊取り線香立てです。 でもこんな形で良いのかなぁ?

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まあ、こんなのをあれこれ作っていれば、それはそれで楽しいかも (^_^)

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2016年09月12日

「武蔵」 生存者は隔離された? (続2)


それではコレヒドールに収容された後の 「武蔵」 生存者の状況ですが、はっきり申し上げて纏まった史料はありません。

戦後に第2復員局残務処理部が将来の戦史編纂に備えて纏めたもの (以下 「二復資料」 という) の中に断片的に出てくる他は、ほとんどこれと言ったものがありません。

また吉村昭氏が小説 『戦艦武蔵』 を書くに当たって 『軍艦武蔵戦没者慰霊祭記念誌』 を始めとする元乗員達の手になる資料を参考にしたとされていますが、同小説の最後で描かれている生存者達のその後は、二復資料と合わないところがあります。

これらを前提に纏めると次のようになります。


「武蔵」 乗員の実際の生存者数 (便乗者等を除く) は前回お話ししたように確定されたものはありませんが、“少なくともコレヒドールに収容された段階では” 准士官以上73名 下士官兵・傭人1303名 計1376名であったことは、これが戦闘詳報の根拠になっていることからも間違いのないところでしょう。

沈没艦船の乗員の身分は次の正式な配置が決まるまでの間は補充部付となりますので、「武蔵」 乗員もこの時点でマニラの第5海軍補充部付となったと思われます。

そして10月26日に到着したこの 「武蔵」 の約1400名はコレヒドールのどこに収容されたのかは全く不明です。

参考までに20年1月末の段階での同島の防衛図、及び米軍が撮影した戦前の写真をご紹介すると次のとおりです。

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( 元画像 : 二復資料より )

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( 元画像 : 1943年の米軍資料より )


さて、二復資料によると 「武蔵」 生存者がコレヒドールに到着する直前の10月18日現在の同島の海軍兵力は、第331設営隊の他第12、25及び31魚雷艇隊の計1137名であったとされています。

これに19年10月18日以降、第328、第333設営隊の676名の他、「鬼怒」 など海没艦船4隻の乗員を合わせて802名が加わり、コレヒドールの海軍兵力は計1939名とされておりますが、これには 「武蔵」 の乗員は含まれておりません。

そして20年1月末までにコレヒドールには更に震洋隊6隊を始め、防空隊や第103工作部30名などが次々と増加され、計約4500名になったとされています。


その一方で、コレヒドールに収容された 「武蔵」 の1376名の内、約1ヶ月後の11月23日に副長以下の主立った者420名が客船 「さんとす丸」 で、続いて12月6日に第2陣200名が空母 「隼鷹」 で内地送還となり、これによって残留者は756名 (それぞれの内地送還者の正確な人数は不明ですので概数) となります。

これら756名については、二復資料などによるとその後の配属先が判っているのは次のとおりです。

  マニラ防衛部隊 : 161名
  クラーク防衛部隊 : 316名
  エルフレール島守備隊 : 35名
  レイテ : 2名 (配属部隊不明)

したがって残りの242名が配属先不明と言うことになります。


二復資料によると19年12月20日に31特根隷下にマニラ湾口防衛部隊 (指揮官:31特根首席参謀) が編成され、コレヒドールの他、次の島及び地区に配置されています。

  カバリオ : 約400名
  カラバオ : 373名
  エルフレール : 35名
  マリベレス : 160名

しかしながらこれらの兵力の構成及び派出元についてはエルフレール以外は明らかではありません。

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( マニラ湾口防衛部隊配備位置関係 元画像 : 1954年の米軍地図より )

以上のことを総合すると、残りの242名については、吉村氏の 『戦艦武蔵』 での記述内容なども考慮すると、時期的には不明なものの、コレヒドールの他、カバリオ島、カラバオ島などにおける海岸砲台及び対空砲台の要員として相当数が組み込まれたとものと推定されます。


結局のところ、このマニラ湾口防衛部隊への配属を始めとして、「武蔵」 残留者756名は第5海軍補充部付のままで各部に割り当てられたと考えられますが、補充部における管理業務的なことは全て各沈没艦船ごとに行われていましたので、きちんとした記録などは残っておらず、今となっては具体的にどこにどの様に配置されたのかなど正確なことは不明です。


なおクラークフィールドに配属された316名は第315設営隊に配属されて飛行場建設に従事したとしているものがありますが、時期的に見て既にその時期ではなく、防衛部隊の中に割り当てられて防御陣地構築などに当たり、そして引き続きその後の防衛戦に従事したものと考えられます。

またエルフレール島守備隊は 「武蔵」 乗員35名だけで構成されていたとされ、昭和20年3月25日に総員玉砕 (自爆したとも言われている) していますが、それ以外の状況は全く不明です。

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前 : 「武蔵」 生存者は隔離された? (続)

次 : 「武蔵」 生存者は隔離された? (続2・補)

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2016年08月31日

NHKドラマ 「戦艦武蔵」 ・ 続報2


今週土曜日 (9月3日) の午後9時からNHK総合テレビでスペシャルドラマ 「戦艦武蔵」 が放映されます。


これは8月6日にBSスペシャルで放映されたものですが、時間が73分と少し短いものに再編集されています。

BSを見逃された方は是非こちらでどうぞ。 なかなか面白い人間ドラマになっていると思います。

でも、あれっ? 予告動画の途中にどこかで見たことのある人の後ろ姿が (^_^;

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2016年08月27日

臨時クラス会


昨日は同期のM君が広島出張に合わせてわざわざ呉まで出てきてくれましたので、先日の定例クラス会に続いて臨時のクラス会でした。

今回は主賓を併せて6名でしたので、呉駅ビルにある 「徳兵衛」 さんで。

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ここは広島では有名なお好み焼きの 「徳川」 さんの系列店の一つですが、駅ビルの中にあることもあって小グループの宴会には便利なところです。

飲み放題付きの制限時間の2時間を大幅にオーバーして、昔話とクラス・メンバーの現況の話しで大いに盛り上がりました。 周りのグループの方々、うるさくてごめんなさい (^_^;

そして呉のクラス会の良いところは、ハシゴをせずに一次会でサッと引き揚げること。 これが集まり易く、長続きするコツでもあるようです。 今回も幹事を務めてくれたK君、ありがとうございました。

で、もちろん我が家へのお土産はお好み焼き。 この 「徳兵衛」 さんのは広島風お好み焼きとしては割とオーソドックスなものかと。

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2016年08月24日

今日は江田島


親しくお付き合いいただいている通称 「軍医長」 氏が、関西での会議のついでに遠路わざわざ呉までお見えになりました。

昨日は夕方、広島の新幹線駅からご友人の車で呉に来られましたので、取り敢えずは 「大和ミュージアム」 だけをご覧いただき、その後は呉名物の屋台村へ突入 (^_^)

で、今日は氏のご希望により江田島をご案内することに。

車で音戸と早瀬の大橋を通る陸周りでしたので、まずはこれも定番、艦隊桟橋を。

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先日在泊していた 「いせ」 の姿がありませんでしたが、隣の造船所へ修理に入っていました (^_^;

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今回珍しかったのは訓練支援艦の 「くろべ」 と 「てんりゅう」 が並んでいたこと。 この2隻が同時に停泊しているのはあまり見たことがありません。

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「てんりゅう」 の格納庫に標的機の 「ファイアー・ビー」 が見えましたので、当直士官にお願いして後甲板に揚げてもらって見学を。 一般の方はあまりこういうものは間近に見る機会はありませんので、軍医長氏には喜んで貰えました。

後は陸路を2台の車で走って海上自衛隊の第1術科学校へ。

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ここの通常の一般見学は、定時に集まった人達を纏めて指定された案内者が連れて校内の規定の見学コースを回りますが、これとは別に 「OB案内」 というシステムもありまして、OBが腕章をつけて自分の友人・知人を案内することができます。

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ただ、そのままでは一般見学と同じコースしか回れませんので、プラスα も見られるように広報係の了解を得ました。

・・・・ で、まずは一般見学と同じ場所を見て回り、その後に陸奥砲台へ。

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先日海上から陸奥砲台を見た時の記事でご紹介しました 「40口径15糎砲」 です。

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同じものが参考館脇にもう1基置かれていますが、これらはサイパン島に陸上転用され戦後も放置されていたものを、2年前に江田島に移したものだそうです。

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( 残念ながら2基ともかなりの部品などが失われています )

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( 案内板 )

(注) : 後半の由来はともかくとして、残念ながら前半の本砲の説明はかなり間違っています。 そもそも旧海軍には 「安式四十口径六吋砲」 という名称はありません (^_^;

(8月28日追記) : 当該砲について少し纏めてみました。


そして プラスα+α で、こんなものもご案内。

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( 50口径3インチSF単装砲 )

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( 50口径3インチRF連装砲 )

これら以外の更なる +α の個所は ・・・・ ナイショです (^_^;

軍医長氏は夕方の新幹線でお戻りになられるとのことで、ご友人の車を切串のフェリー乗り場までご案内して、ここでお別れしました。

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帰りは元来た道と同じではつまりませんので、秋月側の細い脇道を通って。

途中、船舶解体業を専門とする有名な 「古澤鋼材」 の前を通りましたら、退役した潜水艦を解体中でしたので停車してパチリ。

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事前に知っていたら軍医長氏にもご覧いただいたのに ・・・・

そして 「エアクッション艇整備場」 の脇も通りましたが、残念ながら外に出ているLCACはありませんでした。

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いや〜、それにしても今日も実に暑い日でした。
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2016年08月22日

久々に海の上へ


お盆休みで娘達や孫娘がやって来る前日でしたので、バタバタしていて少々古い話になってしまいますが、現役を離れて以来10年ぶりに海の上に出ました。

とは言ってももちろん外洋ではなく、取材のお手伝いで波静かな広島湾 (広義の) の中をぐるっと回ってきただけですが (^_^;

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( 元画像 : Google Map より )

小さなレジャーボートを借りまして、私も含めて総勢8名でのクルージングです。

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操縦は小型船舶の免許を持っているスタッフさんですが、広島湾は初めてとのことで、私が水先案内役を (^_^)

マリーナを出てすぐに 「音戸の瀬戸」 を通り、呉港内へ。

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( 手前が古い第1音戸大橋、奥が最近出来た第2音戸大橋 )

まずは錨泊していた 「おおすみ」 の 周りをぐるっと一周します。

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そして潜水艦桟橋と艦隊桟橋へ。 小さな船ですので、ググッと奥まで突っ込んで思いっきり停泊艦艇に近づきます (^_^;

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今は無き 「大和」 の建造ドックも。

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次いで江田内に向かいます。 元船乗りにとっては懐かしい 「屋形石灯台」

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江田内への出入り口 「津久茂の瀬戸」

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海自第1術科学校 (旧海軍兵学校) の表桟橋。 42年前に3等海尉に任官してここから巣立ちました。

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海側から見た陸奥砲台。 その脇に40口径15センチ単装砲が最近になって新たに置かれていますね。

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そして江田内側から望んだ古鷹山。 全てが懐かしい思い出です。

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江田内を出た後は、本日のメインの一つ、かつての旧海軍の 「柱島泊地」 へ向かいます。

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( 柱島泊地全体図 元画像 : Google Map より )

当日は海上に薄いモヤがかかっていまして、ようやくはっきり見えてきました。 この島の向こう側 (西側) が柱島泊地です。

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その泊地側から見た柱島。 こちら側には人家も含めいまだに全くと言ってよいほど何もありません。

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柱島横から泊地の南方向を望んだところ。 遠景が屋代島で、左手奥が 「陸奥」 引き揚げ時の拠点となった伊保田 (当時を記念した 「陸奥記念館」 があります) になります。

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ここまでで出発してから約4時間。 柱島の東側にある柱島港で小休止することにしました。

柱島は西側には何もありませんが、この東側には昔から小さな町 (集落) があります。 そして今では漁港や定期船の発着場を兼ねた立派な港が整備されています。

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港近くには、岩国市役所の支所や郵便局、そして釣り客用の旅館などもありますが、暑かったこともあってか通りには全く人影がありませんでした。

で、折角ですからクーラーの効いた柱島郵便局に入って、局員さん以外お客さんは誰もいないのをよいことにしばし涼を。 郵便局をこういうことで利用したのは生まれて初めてです (^_^)

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う〜ん、それにしても余程のことが無い限りこの島を再び訪れることはもうないでしょうねえ。

小休止の後は倉橋島の南側を回って元のマリーナへ。 倉橋島南東端の旧海軍の射場があった亀ヶ首です。

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いや〜、それにしてもこの日も強烈な暑さでした。
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2016年08月18日

孫娘帰る


昨日は孫娘との最後の日になりましたのでドライブへ。

孫娘は海自艦艇を間近に見るのは初めてで、物珍しそうにしていました。

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そしてちょっと走ったところにある小さな浜で水遊び。 丁度他には誰もおりませんでしたし、水も綺麗で、ちょっとしたプライベート・ビーチ気分を楽しみました。

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その浜で拾った孫娘の収穫物。 家に帰ってからこれで飾りを作るのだそうです。

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・・・・ で、今日の朝帰って行きましたが ・・・・ 賑やかだった我が家も何だか妙にシーンとしています。

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2016年08月13日

孫娘と花火


今日は夕食後に孫娘と一緒に庭で花火。

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やはり子供、花火は大好きで大はしゃぎでしたが ・・・・

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その内、娘達の方が一生懸命になりまして、沢山用意していた花火もあっという間になくなってしまいました (^_^;

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2016年08月12日

庭でBBQ


今週はお盆休みで娘達や孫娘などが集まりまして、久しぶりに賑やかな我が家になっております。

で、今日は夕方から庭でBBQです。 ウッドデッキにタープを張ったり、テーブルやチェアなど昔のキャンプ用品をいろいろ引っ張り出してきて設営。

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後はコンロの火が点いたら自分の好きなものを並べて、ダラダラと食べては飲み、飲んでは食べの繰り返し (^_^;

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家族が集まってのワイワイ、ガヤガヤで楽しい一時でした。

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2016年08月07日

友と呉散歩


今日は現役の頃からの長いお付き合いのあるHN 「Tackow」 さんが遠くから出て来られましたので、呉のめぼしいところ (もちろん私達にとって) をご案内方々一緒に散歩を。

まずは 「大和ミュージアム」 前で待ち合わせてから、館内をざっとご案内。 一般展示と企画展を見てから4階の図書室へ。

それにしても、夏休み期間の休日ということもあって、大勢の入館者で混雑していました。 「大和ミュージアム」 の集客力は相変わらず凄いですね。

その一方で、普段通り4階まで上がる人はまずいませんでした。 僅かに広い催し物スペースで書道展をやっており、そこにパラパラといるだけ (^_^;

一応正式な名称は 『呉海事歴史科学館』 なんですから、もっとここの活用が図られても良いのではと思いますが、学芸課は純粋な市直轄の一組織だからなのか、この方面の体制はまだまだかと。

やはり一番問題なのは収蔵資料の使い勝手でしょう。

「Tackow」 さんには端末の検索システムを使ってデータベース化された内容を簡単にご説明して、ついでに資料管理の現状などのお話しを。


図書室は明日一人でゆっくり時間をかけて色々と調べ物をされると言うことでしたので、早々に引き揚げて 「大和ミュージアム」 の隣にあるレストランへ。

まあ市内の別のところでも良かったのですが、今日もとんでもない暑さでしたので ・・・・ でも、お店には申し訳ないですが、ここの海軍カレーと称するもの、海自の船のカレーを食べてきた者としては残念ながらちょっとイマイチかと。 まあ 「Tackow」 さんには話しのネタの一つにということで (^_^;


続いて総監部へ。 最近は時勢柄海自でもどこも出入りがうるさくなってきていますが、逆にそれだけに一般の方々が誰もいない構内は珍しいかと。

そして艦隊桟橋へ。 今日は潜水艦も水上艦艇も多数在泊しておりました。

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で、日曜日ですので一般公開のツアーも行われていましたがこれには参加せず、二人で桟橋まで行ってブラブラ散歩。

「いせ」 がおりましたので、当直士官に頼んで簡単な艦上見学をとも思いましたが、何しろ暑いことと、あまり現役の人達にOBが迷惑をかけてもと遠慮することに。

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でもまあ、海自もこんな馬鹿でかい船が桟橋に係留される時代になってきたとしみじみ。

この後は 「鉄クジラ館」 まで戻りましたが、私も他の野暮用の予定がありましたので、今日はここでお別れして一人でノンビリ見学していただくことに。

それにしても暑い日でした 〜

posted by 桜と錨 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年08月06日

OB会が無い海上自衛隊


昨日は呉でクラス会があり、その席でも話題になったのですが ・・・・

海上自衛隊にはそのOB有志によるOB会はありません。 正確に言うと、以前一時期あったのですが、“消滅” してしまいました。

ご来訪の中には “えっ、「水交会」 というのがOB会じゃないの ?” と思われる方もおられるかもしれませんが、『公益財団法人 水交会』 (以下単に 「水交会」 と記します) はその定款にも明記されているとおり、海自OB会とは全くの別物で、単にその活動の主旨に賛同する有志が任意の自由意思で参加している団体です。

「公益財団法人 水交会」 公式HP :

考えてみて下さい。 それなりの企業や組織・機関などには退職したOB有志による何某かのOB会がほとんどの場合あるはずです。

しかしながら、約4万5千名を擁する海上自衛隊にはそのOB会はありません。 何故なんでしょう?

実はその 「水交会」 と深い関係があるのです。


海上自衛隊には (これも何故か) その創設期から長い間OB会がありませんでした。 そこで私がまだ現役の若い頃 (正確な年月は失念) 有志によるOB会が立ち上げられました。 その名称もズバリ 「海上桜美会」。

正会員は海自退職者、準会員が現役、そして賛助会員が遺族の、それぞれ任意の賛同者で構成されていたと思います。

そしてOB会の設立準備時から、私達現役の多くも入会費と年会費を払って会員になりました。 それなりの会員数を誇っており、各支部の体制も充実していたと記憶しています。

その様な中、設立から暫くして 「水交会」 から海自OB会に対して支援要請が入ったのです。

ご存じの方もおられると思いますが、終戦により海軍が消滅し、海軍士官や相当官の有志による 「水交社」 や下士官兵有志による 「海交社」 も解散してしまいました。

そして昭和27年になってそれら旧海軍関係者の有志が中心となった私的団体 「水交会」 が設立され、後に現在の財団の形となりました。

この戦後の 「水交会」 は、当初から 旧海軍関係者だけではなく、一般の有志も希望すれば会員となることが出来た のです。

しかし当然のことながら、その中心であった旧海軍関係者の高齢化と共に年々会員数も減少し (当然会費収入も)、いわゆる “ジリ貧” 状態になった訳です。 そこで目を付けたのが海自OB会です。

当時の水交会会員の中には “旧海軍と海上自衛隊とは違うので” という意見も多かったと聞き及んでいますが、結局は背に腹は替えられず、海自OB会に正式な支援の要請がなされました。

ここで素直に考えれば、海自OB会は海自OB会として存続させつつ、水交会に対して何らかの支援や協力を行う方法もあったはずです。

当然私達はそのように考えていましたし、主旨も目的も全く別物の組織が一つになるのはおかしいと。

ところが、平成13年4月になって両会役員間の取決めにより半ば一方的かつ強引に合同してしまいました。 “発展的解消” と言えば聞こえがいいかもしれませんが、要するにこの合同をもって海自OB会は “消滅” してしまったのです。

(会費収入等の資産も全て移してしまいましたので、消滅せざるを得ませんでした。)

しかしながら、「水交会」 と海自OB会という、本来の性格も主旨も全く異なるものを一つにすること自体に無理があるのは自明の理です。

「水交会」 は海自OB会ではありませんし、あり得ません。 その代替にもなりませんし、なり得ないのです。

したがって、海自退職後に水交会会員になるのはそれほど多くはないと聞いていますし、事実、昨日のクラス会でも参加9名中会員は僅か1名。 その1名も 「コントラクトブリッジ同好会」 の世話役をするために引き入れられたのだとか。

もちろん、何も私は現在の「水交会」そのものが海自OB会でないからダメだと言っているのではありません。 「水交会」 の目的・主旨と活動内容から、それはそれで良いことであり、声援を送ることは惜しみません。 しかし、それとOB会のこととは別の話です。

だからこそ今後海自OB会はどうするつもりなのか、と言いたいのです。

現役中に金ベタを肩に着けて風を切っていたOB達、特に 「水交会」 の役員に名を連ねていた (いる) 人達には。

海自OBにとっては、まずOB会があって、その次に 「水交会」 をどうするか、ではないでしょうか?

( もちろん例え聞いたとしても返ってくるであろう答えは予想がつきます。 “いやなら 「水交会」 に入らなければいいだけ” と )

実際のところ、私と同じ意見のOBも多いと聞いています。 現に佐世保のように 「水交会佐世保支部」 と並んで 「海上自衛隊佐世保OB会」 が組織されているところもあります。

「海上自衛隊佐世保OB会」 公式HP :

これが本来あるべき姿であり、佐世保在住でない私からすれば羨ましい限りです。

そして、もし海自OB会が改めて組織されるなら、私もすぐにでも入会したいと思っています。 それはOBの一人としての務めでもあると考えるからです。

posted by 桜と錨 at 19:11| Comment(6) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年08月04日

雑感 : 内閣改造と自民都連


都知事選が終わったタイミングを見据えてなのか、幹事長の谷垣氏の件があったからなのかは判りませんが、内閣の改造が行われました。

他の面々はともかく、私として納得いかないのは二人。 稲田朋美氏の防衛大臣と石原伸晃氏の経済再生相です。

前者はこんな重大な時期に何故全く防衛・安保の経験のない議員に交代なのか、全く解せません。 まさにそれを見据えたかのような北朝鮮の弾道弾発射事件です。

後者は、都知事選で全くの小物に過ぎないことを曝露した上に、自民に恥をかかせました。 この程度の人物だったのかとガックリ。 親の七光りなのか判りませんが、留任など論外、ただの平議員で十分なはず。

そして言わせて貰えば、今回の都知事選では安倍晋三総理は大失態を犯してしまいました。

安倍氏は総理である前に自民党総裁です。 その総裁たる人が何故自民都連のこのような愚策ともつかない暴挙を見逃したのか。

最後の最後になって少しは気が付いたのか、増田候補の応援演説に出ることは止めたようですが、ことここに至っては時既に遅しです。

今回の自民都連の言動によって、小池氏の都知事としての今後の腕前によっては、次の都議選で自民は壊滅に近い状態にまで落ち込む可能性も出てきました。 自民都連議員とはこの程度だったのかと。

そして石原伸晃氏以下の都連の言動はマスコミによって全国津々浦々にまで知れ渡った結果、今後の衆議院及び参議院の議員選挙にも悪影響が出ることは必然です。

せっかく自民による安定政権をと思っていたところなのですが ・・・・ これからまた自民の衰退の始まりとならないことを祈るばかりです。

posted by 桜と錨 at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年07月31日

本家サイトの更新

先程本家サイトを更新しまして、今週は引き続き 『一般計画要領書 潜水艦の部』 への追加で、「伊5潜」 「伊7・8潜」 「伊9潜潜」 及び 「伊11潜」 の4ファイルです。

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I-009-mod_s.jpg  I-011_s.jpg


この潜水艦の部はまだまだ残っていますが、成形とゴミ取りで手間暇がかかりますので、この後どう続けていくか ・・・・(^_^;
posted by 桜と錨 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年07月26日

NHKドラマ 「戦艦武蔵」・続報


本日NHKさんから番組宣伝用のはがきが届きました。

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放送まであと10日あまり。 私の担当の軍事考証関係をチェックするために編集途中のものを既に3回見せていただきましたが、全体的にどんどん良くなってきております。 放送までには更に細かいところに手が入るものと思います。

8月6日 (土) のBSプレミアムが89分もの、そして9月3日 (土) の総合テレビが73分ものになります。 前者でも元々の台本よりはかなり短いものになっておりますので、総合テレビよりはこちらの方をご覧いただく方がストーリーがよくお判りいただけるでしょう。

このドラマは 「武蔵」 をテーマにしたフィクションではありますが、ストーリーとしては全くありえないような話しではなく、ある意味その乗員達にまつわる典型的なものの一つを表現したものと言えます。

監督の岡崎栄氏が長年にわたって暖めてきたものを、今回のドラマ制作に当たり少し形を変えた台本にしたと聞いております。

純粋な人間ドラマとして大変におもしろいものになっており、しかも昨年シブヤン海に沈む 「武蔵」 が発見されましたので、タイミングとしてもピッタリでしょう。 是非とも多くの方々にお楽しみいただけたらと思います。

制作に当たって私も少しばかりお手伝いをさせていただきましたが、プロデューサーの城谷厚司氏のご厚意により、番宣はがき表のスタッフ一覧に名前を入れて下さいました。 これは嬉しいですね。

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posted by 桜と錨 at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年07月25日

ポケモン発見!?


近くの公民館まで所用で出かけましたら、ご近所さんの玄関先の塀の上にこんなものが。

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まるで今流行のゲームのキャラクターですね。

なんとなくダイオウグソクムシに似ているような ・・・・ ?

posted by 桜と錨 at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに