2016年11月27日

入船山ブラブラ散歩


今日は朝から雨が降り続いており、家の中で大人しくしていますが ・・・・

昨日は家内の知人が呉市立美術館の別館で作品の展示をしているとのことで一緒に見に行ってきました。

この界隈は美術館を始め入船山記念館や公園などがあり、またすぐ近くには呉地方総監部 (旧海軍呉鎮守府跡) もあり、一帯は大変綺麗に整備されているのですが、平日はもちろん、休祭日でも特別のことが無い限り人通りも少なく静かなところです。

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あっ、因みにこの写真にある電話ボックス、30年以上前に家内がお見合い用に撮ったものに写っているそのままで、今でも “現役” です (^_^;

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( 何故かいまだにこんな写真も持っています (^_^; )

展示会を見た後は、折角ですからその辺をブラブラ散歩してみることに。

呉市立美術館は地方都市の公共施設にして立派な建物で、出来てからもう30年以上になりますが、私はまだ一度も中に入ったことはありませんで、いつも外から眺めるだけ (^_^;

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美術館の隣にあるのが入船山記念館です。 メインは旧呉鎮守府司令長官公舎ですが、呉海軍工廠にあった時計台など様々なものがここに移設されており、美術館と良い対になっております。

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今回は長官公舎の手前まで行って中には入りませんでしたが、門からの行きも帰りも受付の職員の方々が私達を見つけては中から出てきて親切に色々と説明してくれました (^_^)

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で、近くをぐるっと回ってから美術館の別館の中にあるカフェでお約束の休憩。

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2016年11月20日

庭で焼き芋


先月からこのところバタバタ続きで、少々お疲れモードですが ・・・・

昨晩からず〜っと朝になってもまだ “焼き芋が食べた〜い” と言って騒いでいる人がいます。

はいはい、作れば良いんでしょ。

と言うことで、近くのスーパーへ行って安売りの安納芋とついでにリンゴを買ってきました。

そして庭にBBQコンロを引っ張り出してきて火を熾しまして、お芋は湿らせた新聞紙にくるんだ上で、リンゴはそのままでアルミホイルに包んでこの火の上に載せるだけ。

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火力も次第に高くなり、そのうちいい匂いが漂ってきます。 待つこと約30分。

頃合いを見計らって取り出しますが、焼き芋はふっくらと丁度良い焼け具合。

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焼きリンゴもジューシーです。

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デッキに腰掛けて、コーヒーを飲みながらおやつ代わりに熱々をハフハフと。

庭でちょっと火を熾しただけで、味付けなど特に手間暇かけておりませんが、この単純なままの熱々で十分です。

久々に老夫婦二人でノンビリの昼下がりでした。


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2016年11月05日

久々の帰省 (3)


お土産編ですが、他所へ配る分は定番のお菓子などですので、それらはさておき我が家用のものをご紹介。 折角大分に帰ったのですから、自分へのご褒美です (^_^)


まずは大分ですから何と言っても麦焼酎です。

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( 大分版コップのふちこさんは焼酎には付いてきません (^_^; )

右は大分へ帰った時は必ず買って帰る老松酒造さんの 「麹屋伝兵衛」  焼酎にしてはちと高いですが味は抜群で、私の一押しです。

左はお馴染み三和酒類さんの 「いいちこ」 ですが、今回初めての 「いいちこフラスコボトル」  いつもは 「いいちこスペシャル」 止まりなんですが、今回は家内も一緒の帰省ですので奮発して。

もっともこれらは今では全てネットで買えますが、そこはまあ大分で買って帰るところに意義があると ・・・・ (^_^;


次はどんこ椎茸と並ぶ大分の特産品のかぼすです。 普通のサイズと特大サイズを。

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大分の飲食店では食べ物の添え物としてスダチやゆずなどが出ることはまずありませんで、どこでも全てこれです。

お刺身、焼き魚、干物、お鍋、お肉、サラダ、そして意外なのはピザ、などなど何に搾っても美味しいです。 もちろん焼酎に絞っても、そしてそのままジュースにしても。

私としては、すだちなどよりはこのかぼすが一番だと思います。 香りと共に丁度良い酸味と甘味が合わさった上品な風味になります。


そして最後は、これも隠れた特産品の一つと言えるのではないでしょうか。 大粒でサイズの揃った銀杏です。

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この銀杏は私の好物の一つで、これの炒ったので一杯やれば他のつまみは要らないくらいです。 これだけあれば当分楽しめます。


・・・・ それにしても、こうして並べてみても、まあ何とも他愛のないものばかりですね (^_^;

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2016年11月04日

久々の帰省 (2)


昨日は我が家でインタビュー取材を受けました。 で、日頃ロクに掃除もしないで不精を決め込んでおりますので、大分から戻りましたら家内と二人で大慌ての大掃除を (^_^;

このためちょっと遅くなりましたが帰省のお話しの続きを ・・・・


お墓のことと併せて父方と母方の双方の墓参で終わった1泊2日ですが、やはりそれだけでは折角の帰省の機会が勿体ないので、せめて家内と大分の名物を食べることに。

土曜日は大分には丁度昼時に尽きましたので、まずは昼食を。 お邪魔したのは大分名物 「とり天」 の有名店の一つである 「キッチン丸山」 さん。


「とり天」 の元祖とも言われる有名店で、しかもランチタイムしか営業していないため平日ならかなり混むと聞いていましたが、土曜日ということもあってかすんなり入れました。

二人とも同じものではと、「とり天セット」 と 「若鶏唐揚げセット」 を一つずつ。

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これにそれぞれライスと味噌汁が付きます。

「とり天」 はいわば普通に言う鶏の唐揚げですが、非常に素朴な味で、特にお店特製のソースをつけて食べると大変な美味でした。

「若鶏唐揚げ」 は鶏のブツ切り骨付きの唐揚げですが、1つ1つのサイズが大きいのでかぶりついてムシャムシャ。 これもなかなかの味です。

JR大分駅から繁華街とは別の方向へ少し歩いた住宅地の中にポツンとありますが、これならこれを食べるために出かけてもよいかも。


続いて、夕方ホテルにチェックインした後、暫くして夕食へ。

夕食は何と言っても新鮮なお魚でしょう。 お邪魔したのは繁華街の真ん中に昨年オープンした 「かまえ魚河岸 水元」 さん。

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佐伯の蒲江漁港で魚の卸をしている (株) 水元さんのお店で、その日に揚がった新鮮なものを出しています。 したがってお薦めメニューもその日次第ということに。

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ここも美味しい新鮮なものを提供することで次第に人気が出てきまして、平日なら予約が必要なほどと聞いています。

まずは何と言ってもお刺身の盛り合わせから。

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本来なら有名な関アジ、関サバ、そして城下カレイといきたいところですが、ご存じのとおりこれらは一匹まるまるでの注文になりますので、二人ではとても食べきれません。

残念ながらこれらは断念しましたが、でもこのお刺身の盛り合わせでも十分堪能できます。

続いてうちわ海老の塩焼きを家内が、塩ゆでを私が一つずつ、そして大きな天然車海老の塩焼きです。

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家内は日本酒、私は芋焼酎をグビグビやりながらで、次第にかなり酔ってきまして ・・・・ これも大分特産の銀杏を頼んだところまでは覚えていますが、その後は何を食べたのか ・・・・ (^_^;

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しかし流石は卸の会社がやっているお店だけあって、どれも大変に美味しいものでした。 それに板さんや仲居さん達の対応も気持ちの良いもので、ここはお薦めです。


最後は日曜日の午前中に母方の墓参りを済ませて帰る途中で、別府湾と別府の温泉街を眼下に見下ろすサービスエリアで昼食を。

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ここではこれもこの辺では名物の 「しらす丼」 です。

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本当は生しらすが良いのですが、まあSAでそれを期待するのは無理というものでしょう。 それでも値段からすればなかなか美味しかったです。


・・・・ と言うことで、2個所の墓参りでバタバタしながらも、食べるものは食べました。 後はホルモンが食べられたら言うことは無かったのですが、それはまた次の機会に。

奥様、短時間の帰省でしたが、私の選んだお店の大分名物は満足していただけたでしょうか? (^_^)

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2016年10月31日

久々の帰省


先週金曜日に行われた加藤友三郎元帥研究会発起会の後、二次会のお誘いを後ろ髪を引かれる思いで断念しましたのは、翌土曜日の早朝から大分に出かけるためでした。

と言いますのも、我が家の墓の関係で帰省する必要が出てきたのですが、私と家内のそれぞれの都合が合うこの土日の1泊2日で急遽決まったものです。


一昨日の土曜日は、朝5時に起きて6時過ぎに車で出発。 大分まで高速を走って、約5時間のドライブでした。

市内で昼食を済ませ、生花などの準備をしてから郊外にある父方の墓地へ。

一昔前までは、車の離合がやっと程の狭い一本道を30分ほど走った、それこそ辺りにはお寺さん以外は人家もない丘陵地の林の中にポツンと小さな墓地が有ったのですが、今では宅地化されて周りを人家に囲まれてしまっています。

お墓も大分整理されて今では30基足らずになりました。 その内我が家の墓が4つと親族の大きな合祀墓が1つです。

そして墓地の中で一際大きいのが祖父の墓です。 25年ほど前に父が礎台を組み直した上で、そこから上は礎石を2段ほど低くしかつ最上部の墓石もかなり小さいものにしましたが、それでもまだこの大きさです。

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我が家の父方は親族も含め大分には既に誰もおりませんので、通常の管理は本家のご厚意に甘えさせて貰っています。

とは言っても、本家の方もこの後はどうなるか判りませんので、このままずっとと言うわけにはいかないでしょう。

200メートル程離れたところにお寺さんがありますが ・・・・

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今後この小さな墓地をどうするのかの問題がお寺さんを中心に具体的に出てくると思います。


土曜日はそのまま大分市内に1泊し、昨日の日曜日は午前中に母方の祖父母のお墓へ。

こちらは農地が拡がる田園地帯が再開発されて綺麗な住宅地になり、あちこちに点々とあったお墓もお寺さんの敷地の一角に全て集められています。

そして母方の実家はすぐ近くにあり、叔母や従兄弟がいつも面倒を見てくれていますので安心していられます。


で、昼過ぎには大分を発って帰ってきました。 もっとも、途中でちょっとしたハプニングがあってかなり (3時間ほど) 遠回りをすることになってしまったのですが (^_^;

日程に余裕があるならば、それこそ別府や湯布院で温泉に浸かって久々にノンビリしたかったですね。

まあそれは老夫婦のまたの機会の楽しみに、ということに。

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2016年10月25日

先週末は


何か相変わらずバタバタ続きで、いささか旧聞に属しますが ・・・・

先週末は土・日の2日間連続の検討会でした。 土曜日は午後一からでしたが、いつもどおりのエンドレス状態になりまして、終わったのが20時近く。

ホテルのチェックインも早々に参加者数名で夕食がてら一杯やりにでましたが、結局そこでの話題も打合せの続きに(^_^;

翌日曜日は朝からで、これも予定よりかなり長くなり、帰るのに丁度良い時間となりましたので、もう一泊せずにそのまま新幹線に飛び乗りました。

結局、渋谷でエンジョイする時間はなし。 それでも2日間の討議は私も含め参加者皆さんの大好きな話題で、しかも皆さんそれぞれの分野での専門の方ばかりでしたので、大変に有意義なものとなりました。

実は今回の参加者の中に私の本家サイトやこのブログでも昔からご来訪いただいているHN 「IWA」 さんがおられました。

ネット上ではよく存じ上げている間柄ですが、実際にお会いするのは初めて。 冒頭の自己紹介で、お互いに “貴方でしたか” と大笑いでした。 これもあって、以後の討議がより盛り上がってしまったわけです。

と言うことで、残念ながらご紹介できるような写真は全くありません m(_ _)m  何をやっているのか早くお話しできるようになると良いのですが ・・・・


帰りはもちろん何はともあれお土産が無くては家に入れてもらえませんので、JR品川駅の駅ナカでこれを。

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「舟和」 さんの芋羊羹とあんこ玉の詰め合わせです。 どちらもなかなか美味しく、このところお土産の定番となっています。

前回は売り切れていて、代わりに買って帰ったのが家内に不評でしたので、今度は間違いなく (^_^)

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2016年10月20日

護衛艦 「あさひ」


昨日、三菱長崎において建造中の海上自衛隊の平成25年度計画の護衛艦が 「あさひ」 と命名されて進水しました。

https://www.facebook.com/JMSDF.PAO.fp/photos/pcb.1226529870742062/1226529610742088/?type=3&theater

う〜ん、汎用護衛艦で基準排水量5,100トンですか。 私の若い頃からすれば信じられないことです。


ところで、ご存じのとおり 「あさひ」 という艦名は海上自衛隊の創設期に米海軍から貸与され昭和50年に退役した護衛艦 「あさひ」 (DE262) に続き2代目になります。

この先代の 「あさひ」 は昭和39年に 「はつひ」 と共に第1練習隊を編成し、当時乗艦実習でこの両艦にお世話にならなかった海上自衛官はまずいないくらいでした。 もちろん防大及び幹部候補生学校での乗艦実習もこの2隻でした。

トップヘビーのため揺れがひどく、また当然ながら冷暖房設備もなく、乗艦実習には “最適” な艦と言われていましたね (^_^)

ところが、私が防大2年の夏期定期訓練の時にはこの両艦が修理か何かで使えませんでしたので、舞鶴の31護隊と大湊の32護隊にクラスの半数、残りの半数はPFで実習が行われました。

そして3年の時は8護隊、4年は22護隊で、候補生学校での護衛艦実習はまたまた32護隊でしたので、結局、私達のクラスの半数はこの 「あさひ」 「はつひ」 に一度も乗ったことのない初めてのクラスとなりました。 (少なくとも1期後輩は全員乗ったようですが)

このためもあって、私が撮った 「あさひ」 の写真を探してみたところ、この一枚しか出てきませんでした。 いつどこで撮ったのか記憶が定かではありませんが、昭和45〜48年頃の姿です。

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で、「あさひ」 というのは2代目と上に書きましたが、ご来訪の中には更に先代に旧海軍の戦艦 「朝日」 があるではないか、と言われる方がおられるかも知れません。

残念ながら、海上自衛隊の 「あさひ」 はあくまでも “あさひ” であって “朝日” ではありません。 読みは同じであっても 「あさひ」 と 「朝日」 は別物です。

確かに海上自衛隊の創設期には対外的な配慮もあって艦名には平仮名でしか命名しないことになっておりましたが、何故かこれが今日まで続いております。

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( 防衛省広報写真より )


私に言わせると何が “(旧海軍の) 伝統の継承” か、です。 しかも 「あさひ」 は “朝日” の意味? 冗談ではありません。 幼稚園児やまだ漢字を習っていない小学生でもあるまいし。

防衛省の役人も、そして制服を着た官僚である海自の将官達も、いまだにこれを直そうとはしません。 いや、直そうとする人がいません。 こんなことでさえ、です。

稲田防衛大臣、いかに防衛に関する経験が少ないとはいえ、ごく普通の一人の日本人としておかしいとは思いませんか? 艦名の由来である 「朝日」 という堂々たる日本語があるのに。

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2016年10月19日

ジャック・オ・ランタン


ハロウィンの季節がやって来ました。 家内の今年の飾りは小さな (自分では “控えめな” と言っています) ジャック・オ・ランタンです。

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中に小さな電池式の明かりを入れまして、玄関に飾っています。

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ただ、このまま月末まで保つとは思えませんので、多分これだけでは終わらないのではと (^_^;

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2016年10月17日

今日の庭


この夏の猛暑と引き続いての雨模様により庭は放りっぱなしになっていましたので、今では草茫々の荒野状態となっています。

その代わり、順番に次々と色々な草花が咲いてくれまして、今は紫色の花があちこち沢山咲いています。

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これはこれで可愛いので、草刈はこの花々が終わってからにしよう、と家内に弁解を (^_^;


そして我が家はナンテンの木が塀沿いに点々と十数本植わっています。 このナンテンの実がようやく赤く色付きはじめまして、これから冬にかけて庭の良いアクセントになります。

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でも、何でこんなに沢山植えたんでしょうねぇ ・・・・ ?

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2016年10月16日

秋祭り


今週末は地元の神社の秋季大祭です。

私は人混みが苦手ですので、昼間よりは人が少ないだろうと昨日は家内と一緒に夜祭りに。

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ところが田舎の小さな境内ですが、屋台が並んでいるせいか小学生〜高校生くらいの若い人で溢れていました。 この辺にこんなに若い人がいたんだと改めてビックリ。

でも、私の若い頃も屋台をあれこれ回るのが楽しみで、お祭りが近づくとワクワクしていたのを思い出します。

今日は午前中にそれぞれの町内をヤブと太鼓が回ります。 子供会の子供達も同じ法被を着て一緒です。

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こういう伝統・風習がきちんと子供達に伝えられていくのは嬉しいことです。

やはり日本ですね 〜

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2016年10月08日

コーヒー・ブレイク


世の中三連休ですが、別にどこかに出かける予定があるわけではなく、その一方で原稿は全く進まず ・・・・ で、何はともあれコーヒー・ブレイク。

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ここは先日見つけたところですが、確かにコーヒーは美味しいです。 今日のコーヒーはコロンビア。

あっパフェは、まあついでに、です。 季節ものですから (^_^;

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2016年10月03日

海上警備隊と旧海軍軍人


ネット某所で昭和25年に創設された警察予備隊への旧陸軍軍人の採用状況について話題になっておりました。

では昭和27年に創設された海上警備隊の場合についてはどうだったのか、と思われる方もおられると思いますので少々。


警察予備隊では昭和25年の創設時にはまだ戦後の公職追放もあって旧陸軍軍人は採用されませんでした。

しかしながら、当然のこととして軍事組織とはどういうものかさえ満足に理解していない一般の人々を集めてもまともに機能するわけがありません。

そこで26年には取り敢えず陸士58期 (終戦直前に少尉に任官) を採用したものの結局上手く行かず、知識及び経験のある佐尉官の旧軍人を採用せずにはおられませんでした。

これに対して昭和27年4月に創設された海上警備隊 (僅か4ヶ月後には 「警備隊」 となる) は、この警察予備隊での反省と海軍という特殊性もあり、また旧海軍軍人の採用もかなりの程度が可能な情勢となったことから、当初から旧海軍軍人が含まれました。

とは言っても、組織そのものが海上保安庁の一部局だったこともあり、保安庁からの転換者が主流を占めたのは当然のことです。

そして旧海軍軍人の採用に当たって、特に幹部については定員枠による採用数の関係や戦後既に7年も経っていたことなどから、それほどスンナリ行ったわけではありません。

それに旧海軍での知識・経験は有っても米海軍方式の採用により全く一からの出直しであったため、これに馴染めず拒否反応を示す者もかなりあったと聞いています。


そこでこれらの全体像ですが、

海上警備隊創設時の状況や経緯、そしてこれに先立つ 「Y委員会」 のことになどついては、一般の方々が入手できるものとして 「 (財) 水交会」 から出ている鈴木総兵衛著 『聞書・海上自衛隊史話』 があります。

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当該書はかつて水交会会報誌 『水交』 に連載されたものを改めて1冊に纏め直して出版したもので、このテーマについてその概要と流れを掴むには最適のもの、というより現在までのところこれしかないと言っても過言ではないでしょう。

なにしろ、後になって出された学者や研究者などがものしたものと異なり、当時の中枢にいた当事者が書いたものですから。

しかしながらデータなどの具体的な面ではやや足りないところもあり、かつ公的な裏付けも必要になりますので、やはり当該書だけでは不完全と言えます。

この足りない部分については、昭和57年に海上自衛隊が 『海上自衛隊二十五年史』 を 「本編」 及び 「資料編」 の2分冊で公刊しており、海上警備隊創設時の人事的なことも一応網羅されています。

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ただし、残念ながらこの年史は 「部内限り」 に指定されていたため、一般向けには公開されていませんので、まず目にされたことはないと思います。

( 国立国会図書館には平成15年の 「50年史」 は収蔵されてますが、この 「25年史」 はありません。 ただ、最近では時々古書店に出回っているようですが ・・・・ )


これらを要約すると、海上警備隊への旧海軍軍人の採用状況は、国内情勢、そして組織そのものが保安庁出身者に牛耳られていたことなど考慮すると “まあ上手くやった” のかなと評価されます。

そして何よりも、まず教官要員を最優先したことと、一から米海軍方式に従ったことがその後に繋がっていると言えます。


で、これで終わりなんですが、やはり具体的な数字などを挙げて説明しないと手抜きかな ・・・・ (^_^;

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2016年10月02日

昨日は渋谷


日付が変わってしまい、もう一昨日のことになってしまいました。

5ヶ月 (?) ぶりに渋谷へ出ましたが、代々木公園の国立競技場と野外ステージ間の通りで北海道フェアをやっていました。

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通りの両側と野外ステージ前広場に多数の出店・屋台が並び、通りの中央はテーブルと椅子がズラリと揃えられて巨大なフードコートと化していました。

金曜日の昼でしたが大勢のグループや家族連れの来場者があり、それぞれ思い思いの食べ物買ってきてはテーブル席に集まって、ワイワイガヤガヤ。 もちろんお肉や焼き牡蠣などで一杯やるグループも。

う〜ん、今日の打合せはここでやってもよいのではと思ったり (^_^;

フェアは100mくらいで、その向う側は普段の通りの姿。 何となく木々の葉の色も秋が近づいた雰囲気になってきています。

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で、13時半から始まった打合せですが、途中で2回のトイレ休憩があっただけ。 フッと気が付けば21時を回っていましたので、取り敢えず今回はここまでとました。

まだ具体的な内容はどうなるか判らない企画ではありますが、私と同様な部外からの参加者の皆さんもそれぞれ好きなテーマだけに中身の大変濃い討議となりました。 さて今後どの様に形作られて行くのか、これからが楽しみです。

結局宿に入ったのは22時頃。 ともかく何か食べに (と言うより一杯やりに) 出ることに。

しかしながら、花金ということもあってかこの時間でも渋谷の街はどこも若い人達が溢れており、お店も一杯のところばかりです。

折角の機会に新規開拓もままならず、仕方なくここならと思って以前一度お邪魔したことのある沖縄料理のお店へ。

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が、なんと外人さん数名も含めてここもほぼ一杯。 でも一人ですので何とかカウンター席に座れました。

もちろんここに来ればこれです。 まずは泡盛の水割り。

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本当は40度の瑞泉のロックでチビチビやりたかったのですが、最近めっきり弱くなりましたので我慢して27度の久米仙の水割りで (^_^;

注文した肴は沖縄では有名なものばかり。

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最後の写真のものはご存じですか? 豚のしっぽをトロトロになるまで煮込んだものです。 なかなかの珍味。

う〜ん、ちょっとカロリー高過ぎの夕食かな (^_^)


で、今朝はゆっくり起きて、昼頃代官山でのディアゴさんのジャズ・イベントに顔を出したいと思っていたのですが ・・・・ 急用ができまして帰宅することに。 これはちょっと残念。

そこで、朝食と昼食を兼ねてこれを。 駅弁屋さんで見つけたご飯の無いおかずだけのセットもの。 まさに車中でのビールのおつまみにピッタリです。

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安い割にはボリュームもあり、なかなか美味しかったです。

えっ、お土産は、ですか? もちろんそこは忘れません。 これが無いと家に入れてもらえませんので (^_^;

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2016年09月22日

お彼岸


今日はお彼岸の中日。 生憎の天気でしたが、日頃の不精をお詫びかたがた家内とお墓参りに行ってきました。

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秋分の日の祭日ですので、小雨の中を結構墓参に来られている家族の方々が多かったです。


で、帰りはお約束の休憩 (^_^) 新規開拓ということで、ポツンとある小さなカフェにお邪魔してみました。

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専門店を謳うだけはあって、コーヒーはなかなか美味しかったです。 時々は寄ってもいいかも。

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2016年09月17日

家内の陶芸教室


家内が月2回週末に陶芸教室に通っています。

もっとも陶芸教室とはいっても、先生の指導により定番の茶碗類から始まる一般的なところではなく、毎回自分の好きなものを作り、あとは先生が (何とか使い物になるように) 手を入れて焼くところまでやってくれる、結構気ままでアバウトな教室のようです。

まあ私の父の例からしても、本格的な陶芸教室に通うと本人は “どうだ良い出来だろう” とは言うものの、家族にとっては迷惑なだけの茶碗やお皿などが家中に溢れることになりますので、これはこれで家内も気楽で良いようです。

で、先日娘達が遊びに来た時に次女が面白そうだと一緒に行って、自分も作ってみたものがやっと焼き上がりましたので家内が持って帰ってきました。

私への遅ればせながらの誕生日プレゼントだったのだとか。

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??? ハリネズミの置物? ハリセンボン?

始めは箸置きのつもりだったそうですが、これでは ・・・・ (^_^;

次女よ、ユニークなものをありがとう。 早速私の仕事部屋に飾ることにしました。


今回は家内の作品も色々と出来上がって持って帰ってきました。

その一つがこれ。 私が注文した蚊取り線香立てです。 でもこんな形で良いのかなぁ?

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まあ、こんなのをあれこれ作っていれば、それはそれで楽しいかも (^_^)

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2016年09月12日

「武蔵」 生存者は隔離された? (続2)


それではコレヒドールに収容された後の 「武蔵」 生存者の状況ですが、はっきり申し上げて纏まった史料はありません。

戦後に第2復員局残務処理部が将来の戦史編纂に備えて纏めたもの (以下 「二復資料」 という) の中に断片的に出てくる他は、ほとんどこれと言ったものがありません。

また吉村昭氏が小説 『戦艦武蔵』 を書くに当たって 『軍艦武蔵戦没者慰霊祭記念誌』 を始めとする元乗員達の手になる資料を参考にしたとされていますが、同小説の最後で描かれている生存者達のその後は、二復資料と合わないところがあります。

これらを前提に纏めると次のようになります。


「武蔵」 乗員の実際の生存者数 (便乗者等を除く) は前回お話ししたように確定されたものはありませんが、“少なくともコレヒドールに収容された段階では” 准士官以上73名 下士官兵・傭人1303名 計1376名であったことは、これが戦闘詳報の根拠になっていることからも間違いのないところでしょう。

沈没艦船の乗員の身分は次の正式な配置が決まるまでの間は補充部付となりますので、「武蔵」 乗員もこの時点でマニラの第5海軍補充部付となったと思われます。

そして10月26日に到着したこの 「武蔵」 の約1400名はコレヒドールのどこに収容されたのかは全く不明です。

参考までに20年1月末の段階での同島の防衛図、及び米軍が撮影した戦前の写真をご紹介すると次のとおりです。

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( 元画像 : 二復資料より )

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( 元画像 : 1943年の米軍資料より )


さて、二復資料によると 「武蔵」 生存者がコレヒドールに到着する直前の10月18日現在の同島の海軍兵力は、第331設営隊の他第12、25及び31魚雷艇隊の計1137名であったとされています。

これに19年10月18日以降、第328、第333設営隊の676名の他、「鬼怒」 など海没艦船4隻の乗員を合わせて802名が加わり、コレヒドールの海軍兵力は計1939名とされておりますが、これには 「武蔵」 の乗員は含まれておりません。

そして20年1月末までにコレヒドールには更に震洋隊6隊を始め、防空隊や第103工作部30名などが次々と増加され、計約4500名になったとされています。


その一方で、コレヒドールに収容された 「武蔵」 の1376名の内、約1ヶ月後の11月23日に副長以下の主立った者420名が客船 「さんとす丸」 で、続いて12月6日に第2陣200名が空母 「隼鷹」 で内地送還となり、これによって残留者は756名 (それぞれの内地送還者の正確な人数は不明ですので概数) となります。

これら756名については、二復資料などによるとその後の配属先が判っているのは次のとおりです。

  マニラ防衛部隊 : 161名
  クラーク防衛部隊 : 316名
  エルフレール島守備隊 : 35名
  レイテ : 2名 (配属部隊不明)

したがって残りの242名が配属先不明と言うことになります。


二復資料によると19年12月20日に31特根隷下にマニラ湾口防衛部隊 (指揮官:31特根首席参謀) が編成され、コレヒドールの他、次の島及び地区に配置されています。

  カバリオ : 約400名
  カラバオ : 373名
  エルフレール : 35名
  マリベレス : 160名

しかしながらこれらの兵力の構成及び派出元についてはエルフレール以外は明らかではありません。

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( マニラ湾口防衛部隊配備位置関係 元画像 : 1954年の米軍地図より )

以上のことを総合すると、残りの242名については、吉村氏の 『戦艦武蔵』 での記述内容なども考慮すると、時期的には不明なものの、コレヒドールの他、カバリオ島、カラバオ島などにおける海岸砲台及び対空砲台の要員として相当数が組み込まれたとものと推定されます。


結局のところ、このマニラ湾口防衛部隊への配属を始めとして、「武蔵」 残留者756名は第5海軍補充部付のままで各部に割り当てられたと考えられますが、補充部における管理業務的なことは全て各沈没艦船ごとに行われていましたので、きちんとした記録などは残っておらず、今となっては具体的にどこにどの様に配置されたのかなど正確なことは不明です。


なおクラークフィールドに配属された316名は第315設営隊に配属されて飛行場建設に従事したとしているものがありますが、時期的に見て既にその時期ではなく、防衛部隊の中に割り当てられて防御陣地構築などに当たり、そして引き続きその後の防衛戦に従事したものと考えられます。

またエルフレール島守備隊は 「武蔵」 乗員35名だけで構成されていたとされ、昭和20年3月25日に総員玉砕 (自爆したとも言われている) していますが、それ以外の状況は全く不明です。

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2016年08月31日

NHKドラマ 「戦艦武蔵」 ・ 続報2


今週土曜日 (9月3日) の午後9時からNHK総合テレビでスペシャルドラマ 「戦艦武蔵」 が放映されます。


これは8月6日にBSスペシャルで放映されたものですが、時間が73分と少し短いものに再編集されています。

BSを見逃された方は是非こちらでどうぞ。 なかなか面白い人間ドラマになっていると思います。

でも、あれっ? 予告動画の途中にどこかで見たことのある人の後ろ姿が (^_^;

posted by 桜と錨 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年08月27日

臨時クラス会


昨日は同期のM君が広島出張に合わせてわざわざ呉まで出てきてくれましたので、先日の定例クラス会に続いて臨時のクラス会でした。

今回は主賓を併せて6名でしたので、呉駅ビルにある 「徳兵衛」 さんで。

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ここは広島では有名なお好み焼きの 「徳川」 さんの系列店の一つですが、駅ビルの中にあることもあって小グループの宴会には便利なところです。

飲み放題付きの制限時間の2時間を大幅にオーバーして、昔話とクラス・メンバーの現況の話しで大いに盛り上がりました。 周りのグループの方々、うるさくてごめんなさい (^_^;

そして呉のクラス会の良いところは、ハシゴをせずに一次会でサッと引き揚げること。 これが集まり易く、長続きするコツでもあるようです。 今回も幹事を務めてくれたK君、ありがとうございました。

で、もちろん我が家へのお土産はお好み焼き。 この 「徳兵衛」 さんのは広島風お好み焼きとしては割とオーソドックスなものかと。

posted by 桜と錨 at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年08月24日

今日は江田島


親しくお付き合いいただいている通称 「軍医長」 氏が、関西での会議のついでに遠路わざわざ呉までお見えになりました。

昨日は夕方、広島の新幹線駅からご友人の車で呉に来られましたので、取り敢えずは 「大和ミュージアム」 だけをご覧いただき、その後は呉名物の屋台村へ突入 (^_^)

で、今日は氏のご希望により江田島をご案内することに。

車で音戸と早瀬の大橋を通る陸周りでしたので、まずはこれも定番、艦隊桟橋を。

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先日在泊していた 「いせ」 の姿がありませんでしたが、隣の造船所へ修理に入っていました (^_^;

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今回珍しかったのは訓練支援艦の 「くろべ」 と 「てんりゅう」 が並んでいたこと。 この2隻が同時に停泊しているのはあまり見たことがありません。

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「てんりゅう」 の格納庫に標的機の 「ファイアー・ビー」 が見えましたので、当直士官にお願いして後甲板に揚げてもらって見学を。 一般の方はあまりこういうものは間近に見る機会はありませんので、軍医長氏には喜んで貰えました。

後は陸路を2台の車で走って海上自衛隊の第1術科学校へ。

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ここの通常の一般見学は、定時に集まった人達を纏めて指定された案内者が連れて校内の規定の見学コースを回りますが、これとは別に 「OB案内」 というシステムもありまして、OBが腕章をつけて自分の友人・知人を案内することができます。

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ただ、そのままでは一般見学と同じコースしか回れませんので、プラスα も見られるように広報係の了解を得ました。

・・・・ で、まずは一般見学と同じ場所を見て回り、その後に陸奥砲台へ。

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先日海上から陸奥砲台を見た時の記事でご紹介しました 「40口径15糎砲」 です。

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同じものが参考館脇にもう1基置かれていますが、これらはサイパン島に陸上転用され戦後も放置されていたものを、2年前に江田島に移したものだそうです。

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( 残念ながら2基ともかなりの部品などが失われています )

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( 案内板 )

(注) : 後半の由来はともかくとして、残念ながら前半の本砲の説明はかなり間違っています。 そもそも旧海軍には 「安式四十口径六吋砲」 という名称はありません (^_^;

(8月28日追記) : 当該砲について少し纏めてみました。


そして プラスα+α で、こんなものもご案内。

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( 50口径3インチSF単装砲 )

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( 50口径3インチRF連装砲 )

これら以外の更なる +α の個所は ・・・・ ナイショです (^_^;

軍医長氏は夕方の新幹線でお戻りになられるとのことで、ご友人の車を切串のフェリー乗り場までご案内して、ここでお別れしました。

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帰りは元来た道と同じではつまりませんので、秋月側の細い脇道を通って。

途中、船舶解体業を専門とする有名な 「古澤鋼材」 の前を通りましたら、退役した潜水艦を解体中でしたので停車してパチリ。

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事前に知っていたら軍医長氏にもご覧いただいたのに ・・・・

そして 「エアクッション艇整備場」 の脇も通りましたが、残念ながら外に出ているLCACはありませんでした。

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いや〜、それにしても今日も実に暑い日でした。
posted by 桜と錨 at 22:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年08月22日

久々に海の上へ


お盆休みで娘達や孫娘がやって来る前日でしたので、バタバタしていて少々古い話になってしまいますが、現役を離れて以来10年ぶりに海の上に出ました。

とは言ってももちろん外洋ではなく、取材のお手伝いで波静かな広島湾 (広義の) の中をぐるっと回ってきただけですが (^_^;

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( 元画像 : Google Map より )

小さなレジャーボートを借りまして、私も含めて総勢8名でのクルージングです。

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操縦は小型船舶の免許を持っているスタッフさんですが、広島湾は初めてとのことで、私が水先案内役を (^_^)

マリーナを出てすぐに 「音戸の瀬戸」 を通り、呉港内へ。

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( 手前が古い第1音戸大橋、奥が最近出来た第2音戸大橋 )

まずは錨泊していた 「おおすみ」 の 周りをぐるっと一周します。

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そして潜水艦桟橋と艦隊桟橋へ。 小さな船ですので、ググッと奥まで突っ込んで思いっきり停泊艦艇に近づきます (^_^;

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今は無き 「大和」 の建造ドックも。

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次いで江田内に向かいます。 元船乗りにとっては懐かしい 「屋形石灯台」

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江田内への出入り口 「津久茂の瀬戸」

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海自第1術科学校 (旧海軍兵学校) の表桟橋。 42年前に3等海尉に任官してここから巣立ちました。

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海側から見た陸奥砲台。 その脇に40口径15センチ単装砲が最近になって新たに置かれていますね。

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そして江田内側から望んだ古鷹山。 全てが懐かしい思い出です。

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江田内を出た後は、本日のメインの一つ、かつての旧海軍の 「柱島泊地」 へ向かいます。

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( 柱島泊地全体図 元画像 : Google Map より )

当日は海上に薄いモヤがかかっていまして、ようやくはっきり見えてきました。 この島の向こう側 (西側) が柱島泊地です。

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その泊地側から見た柱島。 こちら側には人家も含めいまだに全くと言ってよいほど何もありません。

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柱島横から泊地の南方向を望んだところ。 遠景が屋代島で、左手奥が 「陸奥」 引き揚げ時の拠点となった伊保田 (当時を記念した 「陸奥記念館」 があります) になります。

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ここまでで出発してから約4時間。 柱島の東側にある柱島港で小休止することにしました。

柱島は西側には何もありませんが、この東側には昔から小さな町 (集落) があります。 そして今では漁港や定期船の発着場を兼ねた立派な港が整備されています。

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港近くには、岩国市役所の支所や郵便局、そして釣り客用の旅館などもありますが、暑かったこともあってか通りには全く人影がありませんでした。

で、折角ですからクーラーの効いた柱島郵便局に入って、局員さん以外お客さんは誰もいないのをよいことにしばし涼を。 郵便局をこういうことで利用したのは生まれて初めてです (^_^)

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う〜ん、それにしても余程のことが無い限りこの島を再び訪れることはもうないでしょうねえ。

小休止の後は倉橋島の南側を回って元のマリーナへ。 倉橋島南東端の旧海軍の射場があった亀ヶ首です。

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いや〜、それにしてもこの日も強烈な暑さでした。
posted by 桜と錨 at 10:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 気ままに