2023年06月27日

海自艦艇の食事と調理員 ・1


最近自称 “料理人” と言う人が電車に包丁を持ち込んでこれが騒ぎになる事件が報じられ話題になっていました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d0b285e3e88a8ac6d5caa7a9c3a527ae6d8c8663

これに直接関連することと言うことではありませんが、ついでに調理について海上自衛隊での昔のことを思い出しましたので、そのいくつかを。


もう何十年も前にさる護衛艦に乗っていた時のこと。 調理員の中にベテランの海士長がおりました。 

因みに、一般的には 「調理」 と言っておりますが、制式には 「給養」 で、旧海軍からの伝統として 「烹炊」 とも言います。

彼は本当に調理が大好きで、艦に備え付けの官品の包丁では満足できず、自費で高級なものを何本か揃えるほどでした。

もちろん艦内の居住区の個人ロッカーには置けませんので、調理員長預かりとなり、調理室の鍵のかかる保管庫に官品のものと一緒に管理。

その彼が停泊当直の時に出てくる夜食は、いつも大変に美味しいもので、しかも予め決められている艦の献立表に載っているものとはたびたび違うものでした。

そこである時彼に聞いたら、“夜食の決まった食材以外に夕食で余ったものがある特には、これらで自分なりのものを考えて作っています” と。

調理員長は員長で “彼は調理の腕は確かですし、艦の余計な保有食材を使うわけではなく本来なら捨てるはずのものを有効活用しているわけで、しかも艦の乗員達にも美味しいと評判も良いようですから、彼に任せています” とのこと。

まさに、この調理員にしてこの調理員長あり、でした。 私はまだ独身で下宿をとらずに艦内居住でしたので、当直勤務で無くとも彼の当直日の夜食が楽しみに。

ところが、です。 その彼がどうしても年1回ある3曹昇任試験に通りません。

そこで、他の分隊の人事に口を出すのもと思いつつ、総監部の人事課に顔を出すたびに担当者に “筆記試験の多少の点数くらいは艦の勤務評定が優秀ならどうにでもなるでしょう。 勤務は真面目で調理の腕は良いし、本人も今の仕事を気に入って一生懸命やっているのですから” と。

しかしながら私が転勤したあとも結局昇任試験に合格できず、確か5期目の継続任用の時(入隊9年後)に民間の就職先を斡旋することで首を切られたと聞きました。 上層部から “昇任試験に合格しない者はダメ” との指示が出て、人事担当者レベルではどうにもならなかったようです。

勿体無い話しですねえ。 調理の良し悪しというのは才能とやる気であって、筆記試験の点数では無いんですが。 彼を3曹にし、その後の昇任はともかくとして本人の希望通りに定年まで勤務させたほうが、どれほど海自の役に立ったことか。

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次 (2) :
    http://navgunschl.sblo.jp/article/190433875.html

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2023年06月30日

海自艦艇の食事と調理員 ・2


これももうかれこれ何十年も前になりますが、初級幹部で護衛艦勤務の時のことです。

停泊中の巡検前、副直士官は艦内を一巡して整理整頓や清掃の状況などを確認し、「巡検用意よろしい」 を当直士官に届けます。

で、ある日この艦内の見回りの途中で烹炊所(調理室)の前を通りかかった時、大きな釜でタラバガニの足を茹でているのが見えました。 「今日の夜食は豪華だねえ、カニかあ〜」 とにんまり。

が、巡検が終わって舷門から士官室に戻って夜食を楽しみに待っていましたら、出てきたのは普通〜のもの。 あれっ、あのカニは?

そこで、夜食を食べ終わってから烹水所に行って後片付けをしている調理員に 「さっき茹でていたカニは?」 と聞きましたら、「あれは冷凍庫に残っていたもので、当直の調理員や4分隊員でたいらげました」 と。

翌日調理員長からは、「それは言わば調理員の余禄ですね。冷凍庫にはかつて仕入れて使って余った中途半端な量の食材があれこれ色々と溜まりますので、それらは賞味期限が来ない内に適当に処分していかないと冷凍庫に新しいものを入れるのに中が一杯になって邪魔になりますので」 との返事。

まあ言われてみれば確かにそうだろうな、と納得はしたものの、カニ好きの私としては大きな釜で茹でているのを目の前で見せられては (^_^)


ただし、これは各艦が割り当ての食費額により独自の献立表を立ててその食材を調達できていた時代のことです。

その後は、事前に特別の許可を得た研究調理やレセプションなど以外では、通常では補給所 (現在の造修補給所) が作る標準献立に基づき、当該地方隊在籍分が一括購入される決まった材料 (食材やレトルト食品) を艦のその都度の食数 (人数) 分しか受けられなくなってからは、この様なことは無くなりましたし、できなくなりました。

この標準献立についてはまた後ほど。

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前 (1) :
    http://navgunschl.sblo.jp/article/190428469.html
posted by 桜と錨 at 18:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 海自のこと

2023年07月27日

「世界の艦船」 9月号


「世界の艦船」 誌が通巻1000号を迎えたことをご紹介したばかりですが、早速次の1001号の9月号の見本誌が届きました。

9月号の特集は 「今日のNATO海軍」 で、いつもながら大変素晴らしい写真の数々と記事が掲載されております。

SoW_No1001_cover_s.jpg


この記念すべき大台最初の1001号に、私も1稿を書かせていただきました。

題して、

    『 「いなづま」 座礁事故の調査結果を考える 』

ご存じのとおり、「いなづま」 は今年の1月10日、因島の民間造船所での定期の年次検査・年次修理とエンジンの修理を終り、母港たる呉への回航に合わせてそのエンジンの確認運転試験を伊予灘で行ったものですが、その時に周防大島と大水瀬島の間にあるセンガイ瀬近傍の小センガイで座礁したものです。

そして海上幕僚監部に監察官を長とする艦船等事故調査委員会が設けられて、去る5月9日にその調査報告書が出され、同時にマスコミなどに対してその調査報告書の概要が説明されました。

当該調査報告書そのものは部外には非公開のものですので、私の1稿はその調査報告書の概要の説明及び出席者のメモなどに基づいたものです。

是非 「世界の艦船」 9月号を手に取ってご一読ください。

ただここでも申し上げたいのは、

「調査報告書」 の本来目的とするところは 「艦船等事故の実態を明らかにし、事故の防止に資する」 もので、海自部内における勤務参考たるべきものです。

しかしながら、残念ながら実態は 「調査報告書」 のその本来の目的を大きく外れ、官僚や政治屋達に対する当たり障りのない、いわば “メイキング” の公文書となっています。

実際のところ、私の知る限りでは過去に遡ってこの 「調査報告書」 でキチンとその実際の詳細が論じられたものは見たことも読んだこともありません。

今回の 「いなづま」 の座礁事故についての調査報告書も、まさにその典型の一つといえるでしょう。


それを差し置いても、今回の 「いなづま」 の座礁事故は、艦船の航海に当たっての初歩中の初歩、基本中の基本を全くないがしろにした、“とんでもない” “常識的にあり得ない” “お粗末な” “船乗りとして恥ずかしい” “余りに酷い” ことであると言えます。

そしてその原因と責任は偏に艦長個人に帰することです。

ヒューマン・エラーが重なってたまたま起きてしまったこと、などとんでもないことで。

posted by 桜と錨 at 22:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 海自のこと

2023年10月15日

本家サイトの候校SGページ更新


本家サイトの今週の更新は、「世界の艦船」 紙の表紙・目次コーナーの追加をお休みして、「現代戦講堂」 の 「資料展示室」 で順次公開しております 昭和48年度幹部候補生学校1課程 (防大卒) 用のSGのページ をしばらく更新しないままになっておりましたので、当該ページで まだ公開しておりませんSGについて、残りの全ての表紙及び目次をご紹介する事としました。

   https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/02_OCS_SG_S48.html
   https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/tenji_main.html

これらの内、「海上実習必携」 と防大海上防衛学の教科書5つはSG、即ちアウトラインだけのスタディガイドではありませんので、それぞれはページ数が多くなっていることがお判りいただけるでしょう。

例えば、「海上実習必携」 では約480ページあります。

OCS_HDBK_Cruise_S48_cover_s.jpg

これは幹部候補生学校での授業内容を乗艦実習用のハンドブック的なものにしたもので、ほぼ全ての項目を網羅していますが、ただちょっと大きくて分厚いので、乗艦実習の際にポケットに入れて持ち歩くようなものにはなっていません。

とは言っても、海自艦艇好きの一般の方々にとっては、この1冊は楽しめるものと思います。 行く行くは本家サイトの当該ページで公開したいと思いますが、何しろ整形とゴミ取りの手間が膨大になりますので ・・・・ (^_^;

これは幹部候補生学校の後の内地巡航及び遠洋航海でも大変便利なものでしたが、持ち歩き用としては練習艦隊では更にコンパクトなものを貰ったものの、これは何時か誰かに貸し出してそのままになってしまっております。

その代わりに、平成5年版の練習艦隊司令部作成の 「初級幹部ハンドブック (主として副直士官勤務)」 というのを後に入手しました。 内容的には多少新しいものになっていますが、全般的には私達の時のものもほぼ同じだったと記憶しています。

posted by 桜と錨 at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

幹候校SG 「信号規則」


本家サイトの今週の更新にて 「現代戦講堂」 の 「資料展示室」 コーナー中で昭和48年度の幹部候補生1課程(防大卒)用に使用されたSG一覧を手直ししましたので、「航海スタディガイド (コールサイン、信号規則) 」 を新たに公開しました。

OCS_SG_Comm_S48_cover_s.jpg

   https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/02_OCS_SG_S48.html

表紙も入れて僅か20ページのものですが、使い古しといいますか、担当教官の手抜きといいますか、以前に作ったガリ版原紙は古くてヨレヨレな上に前回の印刷の汚れなどもあって、“こんなものが幹部候補生に対するSGか”と言うようなものです。

従いまして、整形とゴミ取りに大変な時間を要しましたが、この程度で精一杯とご容赦をお願いいたします。

また、授業中に私が沢山書き込んだものはほとんど除去しておりますので、基本的に元のSGの内容そのままです。

とは言っても、この種のものを海上自衛隊自ら公表することは (今後とも) あり得ないと考えますので、内容的には一般の方々にとって関心があるものでしょうし、横須賀や呉などの総監部所在定係港や江田内などで海自艦船をご覧になる機会が多い方々にはご参考になるのではと思います。

1つのPDFファイルで公開しますが、例によって独り歩き防止のために、ページの上下にロゴを入れ、かつ印刷・加工は不可の設定としております。

もし印刷可能バージョンなどをご希望の研究者の方などがおられましたら、ご要望をお聞かせくだされは考慮いたします。

posted by 桜と錨 at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2023年10月22日

昭和49年度遠洋航海 モーリシャス・ポートルイス


本家サイトの今週の更新として、「砲術への想い」コーナーで久しぶりに私が実習幹部の時の昭和49年度(1974年)遠洋練習航海についてのお話し更新しまして、その11回目、西アフリカのコンゴのポアントノアールを出港し、アフリカ大陸南端の喜望峰を回ってインド洋に入り、マダガスカルの東の小さな島国モーリシャスのポートルイスに寄港した時のページを作成し公開いたしました。

    http://navgunschl.sakura.ne.jp/omoi/omoi_002-4-11.html
    http://navgunschl.sakura.ne.jp/omoi/omoi_002-4.html

Port-Louis_S48T-S_01_s.jpg
( 仮泊地に向かう途中ポートルイスを遠くに望む )

ポアントノアールからポートルイスへはこの時の世界一周の遠洋航海で最も長い15日間の航海ですので、モーリシャスは寄港地というよりは実質的な“補給地”でした。

そして通年通しての荒海で知られるアフリカ大陸南の海域の通過時は、意外にも極めて平穏で、ケープタウン南の有名なテーブル・マウンテンも遠望できました。

ただ遠すぎて私のカメラでは写真が撮れなかったのですが (^_^;

posted by 桜と錨 at 20:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 海自のこと

2023年10月29日

幹候校SG 3つ追加公開


本家サイトの今週の更新にて 「現代戦講堂」 の 「資料展示室」 コーナー中で昭和48年度の幹部候補生1課程 (防大卒) 用に使用されたSGのページで、「気象」 「航空航法」 「勤務一般 (航空) 」 の3つを追加公開しました。


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OCS_SG_Duty-Air_S48_cover_s.jpg

いずれもページ数が比較的多くは無いものですが、質の悪い藁半紙にガリ版刷りで、しかもガリ版原紙も元々の状態が良くないものですので、整形と簡単なゴミ取りをしましたが、文字周りのゴミ取りなどは膨大な手間暇を要しますのでほとんど省いております。 それでもまあ何とかお読みいただけるのではと。

SG (スタディガイド) と言いますのは、以前も申し上げましたが講義におけるほんのアウトラインのみで、後は学生が講義を聞きながらこれに自分で書き込んでいくものです。

したがって、SGそのものには秘密事項は一切載っていません。 これもあって、今回の公開分も私が書き込んだものはそのほとんどを除去しております。

それにしても、まあ海上自衛隊といえども、これから幹部になろうかという候補生に対するものは、こんなものだったということです。

posted by 桜と錨 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2023年11月19日

艦船の 「行船法」 の概要


本家サイトの今週の更新として、 先週に引き続き 「現代戦講堂」 の 「資料展示室」 コーナー中で昭和48年度の幹部候補生1課程(防大卒)用に使用されたSGのページで、「行船法」 を追加公開しました。

OCS_SG_Ship-handl_S48_cever_s.jpg


海上自衛隊艦船のみではなく、一般の船舶が航行する場合に執るべき基本中の基本、原則中の原則の概要についてです。

ただし、いつも申し上げているとおり、元々が質の悪い藁半紙にガリ版刷りで極めて見難いものですので、整形と最小限のゴミ取りをしております。 単純作業の繰り返しでこれでもかなりの手間暇がかかりますが、この程度でも十分お読みいただけると思います。

なお、いつもどおり私が書き込んだものはそのほとんど (下線などを除き) を削除しており、基本的に元のSGの内容です。

一般の方々には船舶がどの様なことに注意を払って航行するべきなのはかなかなかネットなどではキチンと説明されたものがありませんので、興味を持っていただけるのではないかと思っております。

これをご覧いただけば、先日の護衛艦 「いなづま」 の座礁事故など、いかに幹部候補生学校でも習うレベルの基本、原則が守られていなかったかがお判りいただけるでしょう。

posted by 桜と錨 at 12:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2023年11月26日

遠洋航海残り2航路公開


本家サイトの今週の更新として、「砲術への想い」 で連載しております私の昭和49年度の世界一周の遠洋航海での帰国までの残り、マレーシアのペナン寄港、そしてペナンから横須賀までの2つの記事を追加公開しました。

    https://navgunschl.sakura.ne.jp/omoi/omoi_002-4.html

Penan_Geoge-town_S49_s.jpg
( ペナン・ヒルよりジョージタウン市街を望む )

これにて13回にわたる連載は終了ですが、この後当該遠洋航海についてちょっと補足を纏めることにいたします。

なお、「砲術への想い」 はこの後ミサイル護衛艦 「あさかぜ」 の艤装員、そして就役後の初代ミサイル士としての米国でのSQTについてお話ししたいと思っています。

現在では練習艦になっております 「はたかぜ」 「しまかぜ」 が退役しますと、日米からターター搭載艦が全ていなくなりますので、ターター・システムについてもその細部に触れることが可能となりますので。


因みに、ターター・システムは、とうの昔にそのミサイルであるSMー1の生産が終了しているばかりでなく、システムの維持・管理用のスペアー・パーツ類の生産や修理はもちろん、図書類の差し替えも含む技術サポートの全ても終わっています。

したがって 「はたかぜ」 「しまかぜ」 の2隻は既に実質的にミサイル護衛艦としては機能していないのですが、FCSやランチャーなどの装備機器がそのまま残っており、両艦の退役により完全にシステムが無くなります。

オーストラリア海軍の元 FFG-7 級は米海軍に合わせてとうの昔にターター・システムの運用は止め、中には前甲板のランチャーを卸した艦もある様ですが、元 FFG-7 級や元キッド級を使っている台湾海軍はどうしているんでしょうねえ。

posted by 桜と錨 at 13:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 海自のこと

2023年12月03日

昭和49年度遠洋航海記事補足


本家サイトの今週の更新として、「砲術への想い」で13回にわたって連載しました私の昭和49年度の世界一周の遠洋航海の思い出記事の最後として、この連載に関係する諸々のことを取り纏めてその補足として追加公開しました。

    https://navgunschl.sakura.ne.jp/omoi/omoi_002-4-supp.html
    https://navgunschl.sakura.ne.jp/omoi/omoi_002-4.html

Coins_S49_TS_01_m.jpg
( 寄港各国でのコインの残り )

これにて昭和49年度の世界一周遠洋練習航海の思い出を全て完了いたしました。

全話にわたりお読みいただいた方々がおられましたらお礼申し上げますと共に、もしいくばくかでもお楽しみいただけた方がおられましたら、それは望外の幸せです。

もちろん、本家サイトで連載しましたことは、ひたすら艦艇乗組みを目指してきた落ちこぼれの実習幹部であった私個人の記憶と所感であることはお断りいたします。

同期のエリートを始めとする他の実習幹部だった人達には、また別の所感があるかもしれません。

posted by 桜と錨 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2024年02月11日

「阪神・淡路大震災に伴う災害派遣詳報」 全文公開 !


本家サイトのご来訪80万名達成を記念して、その感謝企画第1段としての 平成7年に呉地方総監が出した 「阪神・淡路大震災に伴う災害派遣詳報」 (呉監防3第872号別冊) の全文を公開 しました。

https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/22_Hanshin-Awaji_JMSDF_Detail-Rep_H07.html

Hanshin-Awaji_JMSDF_Detail-Rep_cever_s.jpg

この阪神・淡路大震災に伴う海上自衛隊の災害派遣の具体的な詳細については、いまだに海上自衛隊、と言うよりは海上幕僚監部からは、本文書も含めて何ら公開されたものはなく、ただ 「海上自衛隊50年史」 の中で僅かに災害派遣を行ったことが簡単に記されているだけです。

https://navgunschl.sakura.ne.jp/omoi/hanshin-awaji/50yr_06_04_03.html

国民の生命、財産を守るために国民の税金を使っているにも関わらず、あの阪神・淡路大震災に伴う災害派遣で海上自衛隊は何をしたのかについてその詳細を全く説明してきておりません。 その説明責任を認識せず、かつ義務を放置してきたと言えるでしょう。

そして、海上幕僚監部の体質、その “制服を着た能吏” たる業務遂行ぶりからすると、今後ともこれが改善され、本文書に述べられたような具体的かつ詳細なものが公開されるとはとても考えられません。

私は1月17日の発災後から海上幕僚監部に転出する3月23日まで呉地方総監部防衛部第3幕僚室長として、そして呉地方総監加藤武彦海将を指揮官とする海上自衛隊災害派遣部隊司令部作戦幕僚として勤務しました。

派遣部隊司令部が神戸の阪神基地隊から呉地方総監部に戻った後に一人阪神基地隊に残った私が、神戸市長からの神戸市に対する大規模給水支援の終了確認証をもらって呉地方総監部に戻りました。 ところが、私を待っていたのが海上幕僚監部への転勤でしたので、転出までの僅かな間に本資料の下書きを書けるだけ書いて残しましたが、ほとんどそれに沿って纏められ、かつ諸データが追加されて立派なものに仕上がっていると思います。

本資料の公開は、当時の海上自衛隊災害派遣部隊の司令部作戦幕僚としてその 災害派遣活動の全容を明らかにするとともに、災害派遣に参加した全隊員に対してその労をねぎらうためのもの です。

そして もう一つは、災害派遣終了後に病死した故中村将君に捧げるためのもの です。  

中村君は私と候校同期で、呉監部防衛部第2幕僚室長として1年間一緒に勤務し、そして阪神・淡路大震災に伴う災害派遣では司令部の情報幕僚として大活躍をしてくれました。 それは本資料をお読みいただければ、彼の活躍があってこそ海自の災害派遣の業務が上手く行き、その活動、特に神戸市に対する給水支援が適切に実施できたことがお判りいただけるかと。

しかしながら、彼は災害派遣終了直後に体調を崩して入院し、あっという間に逝去してしまいました。 これは災害派遣での激務によるストレスの積み重ねがその引金となったことは火を見るよりも明らかですが、何故か海上幕僚監部はそれを認めようとしませんでした。 私達からすれば、間違いのない災害派遣の激務に伴う “殉職者” なのですが。

この2つが、今回本家サイトにおいて私が本文書を公開する目的です。

元資料を 一つのPDF形式にてその全てを公開 いたしますが、残念ながらご存じのとおりのネット事情により印刷及び加工については不可の設定としております。 全文をそのまま公開するのは本来海上幕僚監部の責任でであり国民に対する義務すので、私がそれを肩代わりするつもりはありません。 もし研究者の方などで印刷可能バージョンなどのご希望がございましたら掲示板又はメールなどでお聞かせ下されば考慮いたします。

勿論、公開いたしますファイルは、このままの形でしたら再配布などはご自由になされて結構です。


なお、平成12年になって海上幕僚監部の教育課から「参考事例集(第2刊:阪神、淡路大震災特集 『阪神、淡路大震災出動』」なるものが出されましたが、その中の証言者では加藤呉総監、仲摩阪神基地隊司令、それに当の海自災害派遣部隊司令部幕僚長としての川村呉監防衛部長の3者はともかくとして、その他の人選は海幕教育課が適当に選定したものです。

Hanshin-Awaji_MSO_cover_s.jpg

そしてその上で、「指導上のねらい」 などと笑止千万、チャンチャラおかしなことを上から目線で述べているのです。 当時、海幕教育課員などただの一人も現場に来て災害派遣の実態を見てもいないにも関わらず、です。

“制服を着た能吏” のやることというのはこんなもの、という典型の一つでしょう。 口先ばかり達者で点数稼ぎが上手い、という。

posted by 桜と錨 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2024年03月10日

幹部候補生学校SG集での追加公開!


今週の本家サイトの更新の2つ目として、「現代戦講堂」 の 「資料展示室」 コーナーにて、既に公開してきております 昭和48年度の幹部候補生学校1課程(防大卒)用SG集に、表紙・目次以外は元のディジタル化したままの整形・ゴミ取りをしていないものをPDFファイルとした 「(暫定版)」 を幾つかの課目で追加公開 しました。


とてもこれまで通りに整形・ゴミ取りをしたものを作成している余裕がありませんので、“取り敢えず”として公開することに。

大変に見難いものではありますが、それでも読めない程ではない、と・・・・(^_^;

今後手が空きましたら、整形とゴミ取りをして本来あるべき姿にしていきたいとは思っていますが、いつになるか。

定年退職以来無職の貧乏人で日々の生活に手一杯ですので、どなたかスポンサーになっていただける方はおられませんかねえ。

posted by 桜と錨 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2024年03月31日

防衛大学校 「船舶理論」 など暫定版


もう今年も早や3月も終りですが ・・・・

今週の本家サイトの更新は、「幹部候補生学校SG集」 の末尾にある防衛大学校学生時代のものでまだ表紙・目次だけだった 「船舶理論」 「運用学T(艦船概要)」 及び 「運用学U(停泊・錨泊)」 の3つをそれぞれ本文の全頁をディジタル化したままで整形・ゴミ取りをしていないものを入れた 「(暫定版)」 として公開 しました。

https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/02_OCS_SG_S48.html

既にお話してありますとおり、当時の防衛大学校の海上防衛学で使用しますのは、海上自衛隊の幹部候補生学校や術科学校などで使用する要点のみが書かれたスタディ・ガイド (SG) ではなく、テキスト、いわゆる教科書です。

かつこれらについては候補生学校で1課程、即ち防大卒の学生が習うよりははるかにレベルが高いものでした。

しがたって、私は幹部候補生学校卒業時には SG は捨ててこれら防衛大学校で習ったテキストの方を残すことにしました。

当時の防衛大学校において私達海上要員は 「船舶工学」 については海上防衛学と普通学とで2回習いました。

普通学で習った 「船舶工学」 は、いわゆる学問としての学術的内容で船舶技術者向け でしたが、講義レベル的にはとても満足の行くものではありませんでしたので、私は海文堂から出されていた 大串雅信氏の 『理論船舶工学』 (全3巻) を買い求めて、これを貪るように勉強しました。 この全3巻は今でも蔵書として活用しております。

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一方で、海上防衛学で習う 「船舶理論」 や 「運用学」、あるいは 「復元性能」 などについては、いわゆる学者向けでは無く、実際に船に乗る者を対象とした実践的な内容 となっていました。

今回ご紹介するこの 「船舶理論」 などは、その船乗りとしての実践的な内容であり、一般の刊行物などではほとんど語られないスタンスのものですので、お読みいただく方々にとっても珍しいものであり、かつその点からも貴重なものであるのではと思っております。

う〜ん、候補生学校時代SG集の残りはあと2つとなりましたが ・・・・ 「乗艦実習必携」 は練習艦隊での 「ハンドブック」 と一緒にしてお話ししましょうかねえ。 当時の実習幹部、初任幹部に求められる知識レベルはこの様なものだったということで。


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2024年04月21日

海上自衛隊の 「艦砲操法教範」 について


今週の本家サイトの更新として、『現代戦講堂』 の 『資料展示室』 コーナーにおいて、「海上自衛隊の砲術・艦砲射撃について」 と題して、その 第1段として 『1.海上自衛隊の砲術・艦砲射撃の3大教範について」 の頁を開設し、まず 「艦砲操法教範 (一般の部)」 をお話しすると共に、昭和51年版の同教範の全文を公開 しました。

https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/23_JMSDF_Shageki_Kyouhan.html

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同教範についての全文の公開はネット上も含めて初めてのことと思います。


なお、昭和51年版の 「艦砲操法教範 (一般の部)」 の内容は、現在の海上自衛隊におけるものとは若干異なるかもしれませんが、それは私がお話しする立場にありませんし、“知りません” (この意味はお判りですね (^_^) )

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2024年04月26日

第1砲術講堂解体式


昨日は今の私にとっては体力的にも気力的にも久々の “大遠征” となる、江田島の海上自衛隊第1術科学校までボロ車で往復しました。

呉から音戸大橋 (第1、第2)、早瀬大橋を経て1術校に至る現役の頃に数えきれないほど通った道ですが、安全のためにゆっくり走ることにして少し早めに家を出たものの道が良くなっている事もあり、アッサリと約1時間で着いてしまいました。

式そのものは当然ながら第1術科学校長が取り仕切るもので、まず厚生センターで昼食会、ついで1砲講前で解体式典、そしてその後は希望者に参考館や大講堂などの見学でした。

それにしても、実際に担当する (させられた) 砲術科は、科長以下幹部・海曹教官総員での事前準備及び済々とした実施で、立派なものでした。 大変だったろうな 〜、と (^_^)


学校側も招待者側もそれなりの肩書を有する人達が参集しますし、必ずしも鉄砲屋ばかりではありませんで、式そのものはいわゆる官公庁としての一つの儀式ですので、落ちこぼれの鉄砲屋の私としては “枯れ木も何とか” の一人として気楽に参加です。

昼食会は今は 「江田島クラブ」 と名前が替わっている元厚生センターの一階でです。 ここには業者の食堂があったのですが、現在では隣の学生・職員向けにコンビニや本屋・写真屋などが入っている古い昔の平屋の厚生館の委託食堂のところへ移っており、ここは多目的会場になっているようです。 したがって、食事は外の業者の仕出弁当で、サービスはコーヒーなどの飲み物の給仕も含めて全て砲術科の者の担当です。

Etajima_R060425_01a.jpg  Etajima_R060425_01b.jpg

昼食会の後は、学校側と部外参列者揃ってバスで1砲講前の解体式典会場へ。

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砲術科幹部・海曹教官と在校砲術科学生の総員が整列し、1術校長以下学校側と部外参列者は折りたたみ椅子の席に。

簡単な1砲講の歴史の説明のあと、砲術科長による1砲講入口に掲げられている木製の看板の取り外しと1術校長への返却、代表者によ献花と日本酒のお清め、参列者総員での記念撮影です。 まあ公的式典ですから、私は “枯木も” の一人で黙って座っていれば良いので (^_^)

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今回の第1砲術講堂解体式への私の参加の目的は、次の2点でした。

  一つは、鉄砲屋としての原点である第1砲術講堂の最後の姿を見ること。
  もう一つは、私が鉄砲屋として師匠と仰ぐお二方にお会いできること。

最初の目的である懐かしい第1砲術講堂の最後の姿ですが、講堂の中は既に全てのものが撤去されており、全くのガランドウになっておりました。

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実機演習室の3インチ砲などの数々は砲の据付座なども既に無く、机上射撃演習室の装置なども全て解体撤去済みとのこと。 また、倉庫に山積みになっていた古いスタディガイド類も処分したとのことでした。

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( 昭和56年の机上射撃演習スタディガイドより机上射撃配置図 )

二つ目の目的では、伊達氏は呉水交会での参加で、大変お元気なお様子でお目にかかりました。 もう一人の師匠と仰ぐ出羽氏は残念ながら既にお亡くなりになられておりますが、その御子息が砲術科の幹部教官として勤務されており、出羽氏の現役時代そっくりな顔立ちの立派な姿にお目にかかりました。


この1砲講の既に建物だけになっているガランドウをこれから解体した跡は当分更地のままとされ、今のところそのあとどうするかについては決まっていないとのこと。

砲術科長に、「せめて術科教育のメッカたる1術校らしく、砲術のみならず、水雷などの各種の装備を集めた記念の展示館などを作ったら?」 と聞いたところ、「それも要望としては挙げているのですが、どうなるか ・・・・」 だそうで。

術科を重要視しなくなった、昨今の “制服を着た能吏” 達が牛耳る官公庁組織の一つとなっている海上自衛隊の姿を良く表していますね。

一つ気になるのは、この古い1砲講の隣にある第2砲術講堂です。 ここは射撃指揮装置1型とMK42 5インチ単装速射砲の実機教材のためのものですが、前者は装備艦は既に無くここも用途廃止済み、後者は練習艦となっている 「さわかぜ」 「はたかぜ」 が除籍となれば装備艦は無くなり間も無くこれも用途廃止となります。 ここに一緒にあった砲術科教官室はとうの昔に学生館裏の総合術科講堂に移転済みですので、そうなるとこの2砲講の建物は今後どうなるのか ?


式典終了後はまず1砲講横の旧陸奥砲塔での砲術科の説明ですが、砲塔横での簡単な説明のみで砲塔内の見学はありませんでした。 う〜ん、中には何度も入ったことのある私としては、折角の機会なのにちょっと勿体ないかと。

横にいた砲術科の幹部教官に聞いたところ、連装砲の尾栓の所在が2つとも不明であることは勿論のこと、砲塔の横にある端艇用具庫となっている場所に元々はこの砲塔用の動力室があった事も知らないようでした。

陸奥砲塔の説明のあとは希望者に対する教育参考館などの見学ですが、通常の江田島一般見学者に対するものと同じ内容で、参考館の地階や大講堂の表側の皇族控室などの見学は無いとのことでしたので、私は参加予定を取り止めて早目に引き上げることに。

厚生センターまでマイクロバスで送ってもらい、土産物など売り場を抜けて裏の駐車場へ。 折角ですから土産物に何かめぼしいものがあればと覗いてみましたが、全くの一般見学者向けのものばかりになっていました。 流石は超有名な観光地になっていることはあります。

あとは自家用ボロ車に乗って正門を出て、来た道を帰るだけ。 復路も家まで約1時間でした。

う〜ん、江田島は防大海上要員の夏期定期訓練に始まり、これまで候補生、1術校学生・教官・部長など何度も勤務しましたが、一OBとなった身としてはもう見学に訪れる魅力は無いようですので、おそらく何か特別な用件でもできない限りこれが最後の機会となるのではと。

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( 防大2年の夏期定期訓練にて まだこれらもありましたね )

posted by 桜と錨 at 20:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 海自のこと

2024年05月05日

海上自衛隊の 『艦砲射撃教範』


今週の本家サイトの更新として、『現代戦講堂』 の 『資料展示室』 コーナーにて開設しました 「海上自衛隊の砲術・射撃について」 の 「1.海上自衛隊の砲術・射撃の3大教範について」のページにて、「艦砲射撃教範」 のお話を追加すると共に、昭和48年度版の同教範の全文を公開 しました。

https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/23_JMSDF_Shageki_Kyouhan.html#sec_02

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同教範についての全文の公開は、先の昭和51年度版 「艦砲操法教範」 に続いて、ネット上も含めて初めてのことと思います。


なお、この昭和48年版の 「艦砲射撃教範」 は、その後平成10年にミサイル射撃と一緒になった 「艦艇射撃教範」 となって、これとは異なったものに変わってしまっており、また後者は 「秘」 文書でもありますので、残念ながらそれ以降の内容は私がお話しする立場にはありません。

昭和48年版 「艦砲射撃教範」 は旧海軍からの艦砲射撃を色濃く残す、いわゆる “古典鉄砲” と言われるものです。 旧海軍が作り上げてきた艦砲射撃の真髄というものの基礎・基本をお楽しみいただけたらと存じます。

posted by 桜と錨 at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2024年05月12日

海上自衛隊の 「砲戦教範」 について


今週の本家サイトの更新として、「海上自衛隊の砲術・射撃について」の「1.海上自衛隊の砲術・射撃の3大教範について」 のページにて、3つ目の最上位教範である 「砲戦教範」 のお話を追加しました。

https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/23_JMSDF_Shageki_Kyouhan.html#sec_03

この海上自衛隊における 「砲戦教範」 は、当初は旧海軍のものの色が強く残っていたものですが、昭和56・57年頃になると流石に水上艦艇の対空・水上戦闘としては古めかしくなってきましたので、これを 「砲戦・ミサイル戦教範」 とするべく検討が開始されたようです。

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実際にはその後 「砲戦教範」 を破棄して全面的に新たなものとなった別のものが制定されたと聞いておりますが、これについては私は具体的な内容について言及する立場にはありません。

そこで、そのミサイル戦を含めた改訂の一検討案である昭和58年の1術校幹部課程における 「砲戦・ミサイル戦」 のSGの目次体系をご紹介しました。

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当時の検討案の一私案であり、かつ学生に配布されたSGですので全文をご紹介しても問題ないでしょうが、内容はほとんどが米海軍のものの引用、丸写しですので、これについては項を別にして改めてお話ししたいと思っています。

まあ、それくらい当時から海上自衛隊については、水上艦艇の戦闘様相については基本的に単艦が中心であり水上部隊としてのものではなく、米海軍に比べると遥かに劣るものである、ということです。

posted by 桜と錨 at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2024年05月19日

海上自衛隊の 「射撃指揮法」


今週の本家サイトの更新として、『現代戦講堂』 の 『資料展示室』 コーナーで、「海上自衛隊の砲術・艦砲射撃について」 の項に 「2.射撃指揮法と射撃要務」 の頁を追加し、「射撃指揮法」 についてお話しすると共に、昭和44年と56年のスタディガイド (SG) の全文を公開 しました。

Gunnery_Shikihou_SG_S44_cover_s.jpg

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「射撃指揮法」 と言いますのは、早い話がその艦に装備された砲熕武器システムをどのように運用するのか、ということです。

先にお話ししたように、現在では 「艦砲射撃教範」 は砲とミサイルの両方のシステムを合わせた 「艦艇射撃教範」 となっているように、「射撃指揮法」 そのものもかなり変わってきていますが、ここでお話しするのは砲熕武器そのものに限定した、いわゆる 「古典鉄砲」 で、砲熕武器の本来の射撃指揮法を示したものと言えます。

自己の過去の経緯たる公式の25年史や50年史さえ公開したことの無い海上自衛隊ですから、この射撃指揮法については、海上自衛隊自身から一般向けに説明されたことはこれまで一切ありません。

少々古いものですが昭和44年と56年の1術校幹部学生用のSGの全文を公開しますので、もちろんこの程度の内容でさえ一般の方々向けに公開されるのは初めてのことでしょう。

内容はマニアニックなものですが、この方面に関心のある研究家の方々にとっては興味のあるものと思いますし、私がやらなければ今後とも海自自身がやることもそのつもりもおそらく無いものでしょう。

posted by 桜と錨 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2024年05月26日

「射撃要務」 などの公開


本家サイトの今週の更新として、『現代戦講堂』 の 『資料展示室』 コーナーにて開設しております 『海上自衛隊の砲術・艦砲射撃』 において 『2.射撃指揮法と射撃要務』 の頁に2つ目の 「射撃要務」 の項を追加 しました。

https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/24_JMSDF_Shageki_Shiki_youmu.html#sec_02

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また併せて既にご案内しました 『史料展示室』 の 『海上護衛戦史料集』 コーナーで、その第2段として 昭和54年の新倉幸雄氏の『海上交通保護作戦に関する一考察』の海自複製版の全文を追加公開 しました。

https://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/73_Goei_Niikura.html

Goei_Niikura_S54_cover_s.jpg

いずれも本邦初公開となるもので、海上自衛隊ではこの種のものを一般向けに説明・公開しようとする動きが全く見られませんので、私ならではのものと自負しております。

今後とも海自自身からは出てこないであろうと思われるものを公開していきたいと思います。 もちろん秘密保全にかかわるものではなく、OBとしての守秘義務に該当するものでもありませんから。

posted by 桜と錨 at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと

2024年06月09日

「射撃一般」の公開 !


本家サイトの今週の更新として、『現代戦講堂』 の 『資料展示室』 コーナーにて開設しております 『海上自衛隊の砲術・艦砲射撃』 に 『3.射撃一般と射撃武器一般』 の頁を追加すると共に、「射撃一般」 のSG全頁を1つのPDFファイルとして公開しました。

https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/25_JMSDF_Shageki_Buki_Ippan.html

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この 「射撃一般」 は幹部中級射撃課程の学生に対する砲術・艦砲射撃の導入編、入門編の内容ですが、この方面に興味がある一般の方々にもその初級編としてご参考になるものと考えます。

しかしながら、これも本邦初公開となるもので、海上自衛隊はこの種のものを一般向けに説明・公開する動きは全く見られませんので、私ならではのものと自負しております。

posted by 桜と錨 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 海自のこと