2021年10月29日

海上自衛隊の古い史料 −21


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という21回目です。

今回は前回の射撃指揮装置 GFCS Mk 56 に関連して、そのFCレーダーである Mk 35 についてです。

FCR_Mk35_photo_01_s.jpg

前回の Mk56 でお話ししましたように、私達は幹部中級射撃課程においてこの Mk56 は詳細な講義を受けましたが、その時にこのFCレーダー Mk35 についても一緒に受講しました。

FCR_Mk35_SG_cover_s.jpg

ご参考までに、この射撃指揮装置 GFCS Mk 56 についての米海軍のマニュアルとしては次の OP-1600 シリーズが出されております。

    OP-1600   Gun Fire Control System Mk 56
    OP-1600A Radar Equipment Mk 35
    OP-1600C Gun Fire Control System, Director Maintenance
    OP-1600D Gun Fire Control System, Control Room Maintenance

海上自衛隊が米海軍から Mk56 を導入した時に、メーカーの説明書一式とともに、この OP-1600 シリーズもリリースされたものと思われます。

実際、上記の Mk35 のSGは、この OP-1600A シリーズに基づくものとされており、回路図はその第4巻のコピーそのままです。 これもあってこのSGは 320ページ もあります。

ただし、残念ながら私はこの OP-1600 シリーズはもちろん、米国メーカーによる説明書も見たことがありません。

海上自衛隊において装備艦が全て退役し、1術校における課程教育も終了した時点で全て破棄されたのかもしれません。

そしてこのFCレーダー Mk35 のSGも、Mk56 のSGと一緒で、防衛省・海上自衛隊には既に残されていないというのがその公式スタンス のようです。


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2021年11月03日

海上自衛隊の古い史料 −22


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という22回目です。

私がもう45年前に幹部中級射撃課程において学んだ時の射撃指揮装置は、Mk 63、Mk 56、1型及び2型でした。 この内2型はその派生型を含めて、そして次の3型は現在現役ですので、残念ながらご紹介できません。

そして装備艦が全て退役となり、かつ廃棄となりました1術校砲術科の実機教材の1型については、そのSGを本家サイトの方で順次公開中です。

したがって、一応射撃指揮装置についてはここまでとし、次に砲熕武器ですが ・・・・

当時中級射撃課程修業後の補職先として可能性のある砲雷長として、3インチ連装速射砲、5インチ単装速射砲、そして装備が始まった76ミリ単装速射砲の搭載艦がありましたので、この3種については詳細な教育が行われました。

しかしながら、5インチ速射砲については練習艦に種別変更になったとはいえこれを搭載する「はたかぜ」型2隻はまだ現役ですし、76ミリ単装速射砲もCIWSも現役艦が揃っておりますので、残念ながらお話しできません。

したがって、この連載においてご紹介できるのは3インチ連装速射砲についてのみ、と言うことになります。

3inRF_photo_01_s.jpg


その3インチ砲ですが、海上自衛隊が使用した3インチ砲のうち、警備隊・海上自衛隊創設期に米海軍から貸与・供与された艦艇の内、PFについては、本連載の第2回でご紹介しましたたように、3インチ50口径単装砲 Mk22 で、一般的には「商船型」、あるいは俗に3インチSF(Slow Fire)砲と呼ばれるものでした。

この砲は、「あさひ」 「はつひ」 の2隻にも装備されていましたし、また国産艦である敷設艦 「つがる」 及び訓練支援艦 「あづま」 に搭載されたことで知られています。


しかしながら、流石に昭和50年代中頃になっての幹部中級射撃課程では、当然ながらこの砲についての教務は行われませんでした。

3インチ砲については、3インチ50口径速射砲で、これについては海上自衛隊では単装砲の Mk34 が 「あけぼの」 「いかづち」「いなずま」に、そして連装砲 Mk33 と、これを国産し 「いすず」 型、「おおい」 型や「かとり」などに搭載された 57式 がありましたが、1術校砲術科としては最も装備数の多い Mk33 で教務を行っておりました。

単装砲にしても、連装砲にしても、そして国産のものにしても、基本的な機構としては大差はないからです。

(「あけぼの」など3隻は、当初3インチSF砲を装備しましたが、昭和33年に揃って特別改造が施され、この時に 3インチ単装速射砲 Mk34 に換装されました。)

このため、私達が使用したSGは次のものでした。

1.概説、砲架・砲鞍部機構、砲尾機関

3inRF_01_Gaisetsu_cover_s.jpg

2.装填機機構、発砲装填管制機構

3inRF_02_Reload_cover_s.jpg

3.装填機構同期試験及び調整法手順書

3inRF_03_Maint_cover_s.jpg

4.Mk35動力操縦装置

3inRF_04_PD_cover_s.jpg

5.Mk35 Mod N411&412

3inRF_05_PD-2_cover_s.jpg
( Mk35動力操縦装置をトランジスター化したものです )

6.付図

3inRF_06_Fig_cover_s.jpg


そして射表については、SFでもRFでも砲身は同じ Mk22 ですので、弾種による違い以外は同一のものです。

この射表としては、昭和29年のものと、昭和56年のものがありました。

3inRF_07a_RangeTable_S29_cover_s.jpg  3inRF_07b_RangeTable_S56_cover_s.jpg


因みに、警備隊・海上自衛隊創設期には次のものを含む米海軍史料がリリースされて使用されていたものと思われますが、その全容については不詳です。

OP-811  3" Gun Mounts Mk 20 and Mods, Mk 21 and Mods and Mk 22 and Mods
OP-984  3" Gun Mounts 50cal DP Pedestal Type Mk24 and Mk24 Mod 1
OP-1566 3"/50 Twin Mount Mk27 Mod 1
OP-1753 3" Mount Mk27 and Mk33
OP-861  Range Table 3"/50cal AA Gun, 2700 fsiv 13-lb AA Projectile


さて、3インチSF砲も含めた米海軍史料、国産に当たってのメーカー(日本製鋼所)の取扱説明書類、そしてここでご紹介した3インチ速射砲のSG及び射表などについては、現在となっては残されているのかどうか ・・・・

( 余裕ができましたら、 「現代戦講堂」 の 「資料展示室」 コーナーにおいて、私が所持しております上記の3インチ連装速射砲のSGについても公開していければとは思っておりますが、何時になりますやら (^_^; )


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2021年11月10日

海上自衛隊の古い史料 −23


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という23回目です。

幹部中級射撃課程の始めに習う 「射撃武器一般」 及び 「射撃指揮装置一般」 です。

前者については、新旧の武器及び武器システムの概要と続き、最後に世界のミサイルの一覧紹介となっています。

SG_Weap-Sys_General_cover_s.jpg

SG_Weap-Sys_Shirane_s.jpg
( 内容例 : 今は無き 「しらね」 型の射撃武器システム概要図 )

また後者は現有射撃指揮装置の概要ですが、射撃武器一般と異なり、射撃指揮システムの原理の説明が中心で、新しいものの紹介などはありません。

SG_FCS_General_cover_s.jpg

SG_FCS_General_Antenna-Sweep_18_s.jpg
( 内容例 : アンテナ・ビームの捜索法の一例 )

これらは、お話の順序としては本連載の18回目に続いてご紹介しても良かったかもしれません。

第18回 : 砲術・射撃一般
     http://navgunschl.sblo.jp/article/189063188.html

「射撃武器一般」 及び 「射撃指揮装置一般」 は、「射撃一般」 に続いて、そのSGにある内容よりはもう少し詳細にしたもので、私の記憶では 「射撃一般」 はその冒頭の項目だけで終り、射撃武器及び射撃指揮装置の概要については、こちらで習ったような記憶があります。

そしてこれらに併せて 「レーダー概説」 や、既にお話しした 「射撃理論」や「弾道学」、「弾火薬」 などが続いたように思います。

SG_Radar_General_cover_s.jpg


さて、これらのSGなどについても、現在となっては残されているのかどうか ・・・・


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2021年11月17日

海上自衛隊の古い史料 −24


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という24回目です。

前回で一応射撃・砲術関係を終わりにしまして、これからはアットランダムで他の術科のものをご紹介していきます。

まず最初が、航路啓開についてです。

警備隊・海上自衛隊創設時には航路啓開の任務を引継ぎましたので、その実任務としてのノウハウが残りました。

申し上げるまでも無く、米軍による内海を中心とした日本近海の航路・港湾の機雷封鎖により、艦船の移動はもちろんのこと、沿岸航路の海上輸送もほぼ完全にストップしてしまいました。

このため、戦後処理の重要なポイントの一つとして、この航路啓開が行われました。

終戦により旧海軍は機雷掃海を含む一切の作戦行動を停止されてしまいましたが、とは言ってもこのまま放置することは連合軍の占領政策にも影響があることから、昭和20年8月19日の「連合軍最高司令部一般命令第1号」及び9月3日の「同 第2号」に基づき、連合軍司令部の海軍代表の指示の下に日本政府の責任として全国における掃海が行われることとなりました。

これにより、日本側は一旦体制を整え直した後、9月16日から海軍省軍務局に掃海部が設置され、組織的な掃海作業が進められることになったのです。

そして戦後の日本沿岸の航路啓開業務が開始され、その後第二復員省、復員庁、運輸省海上保安庁と所管を替えつつ継続され、昭和27年8月1日に保安庁・警備隊発足によりこの航路啓開業務が引き継がれ、これは防衛省・海上自衛隊の掃海部隊の前身となりました。

この航路啓開業務としての旧海軍時代からの変遷・経緯については、昭和36年に林幸市氏などの手により 『航路啓開史』 として纏められ、海上幕僚監部防衛部から部内に配布 されました。

Kourokeikaishi_orig__S36_cover_s.jpg

これは、その後海自における現業とは関係のないことから破棄処分となり、部内でも暫くは保存・保管していたところもありましたが、次第に残っているところは少なくなり、私が所有する原本も、昔某所で表紙の発刊番号や発刊元の部分が切り取られた上で焼却処分のためにゴミ箱に棄てられていましので “何と勿体ないことを” と貰っておいたものです。

この 『航路啓開史』 は、平成21年になって文字起こしすると共に図や写真などを新しくし、かつ原本の記述ミスなどを修正したものが海上自衛隊掃海隊群の公式サイトにて公開され、現在では更にこれに補正を加えた平成24版となっています。

海上自衛隊においては、この種の資料が公開されることは極めて珍しいことで、流石に実戦経験を積む掃海部隊ならではと言えるものでしょう。

Kourokeikaishi_H21_cover_s.jpg

Kourokeikaishi_H24_cover_s.jpg


ただし、私などからすると、元のオリジナルはオリジナルとしてキチンと残し、これの修正・訂正については、文字起こしの際にも、その箇所を明確に区別して残していくべきであろうと考えます。


なお、戦後の航路啓開に従事した人達により 「航啓会」 が組織され、その会報誌には様々な記事があったようですが、関係者の老齢化により平成16年をもって解散してしまいました。

その元会長であった細谷吉勝氏が 『語り継ぐ 太平洋戦争後の掃海戦』 と題して航路啓開の概要を纏めたものを水交会誌に投稿しております。

Kourokeikai_Hosoya_cover_s.jpg

これも簡潔に纏まった良い記事ですので、この方面に興味のある方は一度読んでみられるとよろしいかと。


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2021年11月19日

海上自衛隊の古い史料 −25


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という25回目です。

前回、昭和36年に纏められた 『航路啓開史』 をご紹介して、戦後の航路啓開業務についての資料についてお話ししました。

しかしながら、申し上げるまでも無く、その航路啓開というのはその対象である機雷そのものと、それを除去・処分する掃海についての知識・取扱技量が必須です。

そこで、今回はその 「機雷」 についてです。

警備隊に航路啓開業務、即ち掃海の任務が付与されたことにより、昭和28年に警備隊術科学校が、それまでの航路啓開を通じて得られた旧海軍及び米海軍の機雷についての情報を取り纏めた 『機雷講義案(機雷一般)』 を作成しました。

Mine_S28_cover_s.jpg

当然ながら、旧海軍が使用した機雷については、詳細なデータが残されており、その概要については本家サイトの 『水雷講堂』 の 『水雷兵器解説』 コーナーでも日米の情報を纏めて 『機雷兵器一覧』 としてご紹介しているところです。

    http://navgunschl.sakura.ne.jp/suirai/heiki/kirai/kirai_list.html

しかしながら、米軍が日本周辺海域に敷設した機雷、特に感応機雷たる磁気、音響及び複合の機雷の詳細についてはやはり米軍からの情報に拠らざるを得ないところであり、また掃海用の訓練機雷についても纏められています。

Mine_A6_Circuit_01_s.jpg
( 内容例 : 米軍磁気水圧式機雷起爆装置回路図 )

Mine_Training_Type1_Mech_01_s.jpg
( 内容例 : 訓練用磁気機雷一型全体図 )

昭和28年の警備隊における教育訓練用としては、十分な内容であったといえるでしょう。


もちろん、戦後処理の航路啓開業務としては終了しておりますので、現在となっては、一般的な機雷・掃海についての知識はともかくとして、当時のものも含めた機雷そのものの詳細については、掃海関係者以外では特段の教育は行われなくなっております。

したがって、この昭和28年のテキスト、当時の機雷について詳細に記述されたもので、その意味では大変に貴重な史料ですが、今となっては残されているのかどうか ・・・・


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2021年11月26日

海上自衛隊の古い史料 −26


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という26回目です。

前回、警備隊・海上自衛隊創設期の 「機雷」 についての資料をご紹介しましたが、今回はその掃海法も含めた 「機雷戦」 についてです。


警備隊・海上自衛隊創設期にはまだ戦後処理としての航路啓開業務がその実務として引き継いでおりましたので、前回ご紹介しましたように 昭和28年に警備隊術科学校において 『機雷講義案(機雷一般)』 が 教育訓練用に作成されました。

そして、これを受けた形で、昭和30年になって海上自衛隊術科学校が 機雷戦についての教育訓練用として 『機雷掃海戦参考書』 を作成しました。

Mine-Warfare_S30_cover_s.jpg

当然ながら、旧海軍が使用した機雷については、詳細なデータが残されており、その構造・作動や取扱・掃海法についても熟知しており、また大戦中に敷設した港湾防備用の機雷原・機雷堰についても正確に判っております。

しかしながら、米軍によって敷設された機雷については、ほとんどが航空機に依るものでしたので、概略の場所は判るものの、その個々の正確な位置については米軍自身でも確認のしようがありません。

Minelaying_Kanmon_S20_chart_01_s.jpg
( 米軍による関門海峡の機雷敷設データ例 )

したがって、戦後処理としての航路啓開業務における掃海、特に感応機雷たる磁気、音響及び複合の機雷については、危険かつ気の遠くなるような地道な作業を延々と強いられることとなりました。

この航路啓開業務における掃海作業の実績・教訓により、海上自衛隊の機雷戦についての能力は世界的に見ても高いものを保有することになったのです。

そして、この機雷戦についての当時のノウハウを纏めたものがこの 『機雷掃海戦参考書』 であるとも言えます。

当該参考書は、機雷、敷設法、掃海法、機雷対策などについてその概要を解説したもので、かつ巻末には各国海軍の機雷、掃海具などが一覧表として纏められております。

機雷の一覧表としては、各国海軍の触発、管制、感応の機雷別に区分され、この中には、主として冬季にソ連の浮遊機雷の漂着も多かったことから、当時のソ連製の機雷の一覧表も含まれています。

Mine-Warfare_S30_USSR_01_s.jpg

また、掃海具の一覧表については、機雷の種別ごとの各国海軍の掃海具として纏められ、例えば日米の磁気機雷の掃海具の一覧表として次のものがあります。

Mine-Warfare_S30_mag_01_s.jpg


したがって、大戦期から当時の機雷戦全般を理解する上では、大変に良い史料であると言えると同時に、ネット及び一般書籍ではここまでの内容のものはありませんので、その意味でも貴重なものであると言えます。

しかしながら、この昭和30年のテキスト、当時の機雷戦全般について記述されたものですが、今となっては残されているのかどうか ・・・・


なお、当然のことながら、機雷そのものの進歩により、新たに開発・装備されたものの構造・機能や取扱法はもちろんのこと、敷設法や掃海法も変わってきます。

海上自衛隊においては、現在でもこの機雷戦については重視してきておりますので、これに伴って順次新たな教範類や資料などが作成されておりますが、残念ながら秘密の問題でほとんどは明らかにされることはありません。

このため、一般の方々にとっては、例えば防衛庁 (省) の記者クラブに対するブリーフィング資料や、「Proceeding」 「 All Hands」 などの海外公刊専門誌などで断片的に掲載される記事などによる他は無いといえます。

もちろん、これらはこれらで面白い記事が色々あるのですが。


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2021年12月07日

海上自衛隊の古い史料 −27


やはり歳なのか体調がなかなか元に戻りませんが、そうはいっても寝てばかりいては、と言うことで少しずつ。

海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という27回目です。

今回は、対潜戦における 「対潜攻撃法」 についてです。

太平洋戦争において、潜水艦戦及び対潜戦については米海軍にはるかに及ばず、通商保護どころか海軍艦艇でさえ次々にやられてしまった反省から、警備隊・海上自衛隊創設期においては、ともかく徹底的にこれらを米海軍に倣うこととしました。

このため、米海軍からリリースされたものによって学ぶことから始めた訳ですが、それでも昭和29年になってそれなりに日本語で纏めたものが作られました。

海上自衛隊術科学校において昭和29年に作成され、翌30年に増刷された 『対潜攻撃法教科書』 です。

ASW_Attack_S30_cover_s.jpg


内容は 「対潜攻撃理論」 「対潜攻撃指揮法」 「対潜攻撃訓練」 について平易に纏められていますが、当時としての攻撃武器である爆雷、ヘッジ・ホッグを主 とするものです。

当初は 「部外秘」 とされましたが、昭和31年には廃板とされて 「取扱注意」 となり、その後この教科書自体が廃棄となったようです。

これは、その後の水上艦艇においては、対潜魚雷、対潜ロケット発射機 Mk-108、そして海自におけるボフォース・対潜ロケットの導入、更にはアスロックや無人対潜ヘリ DASH の採用と、ソーナーを始めとする水測システムの進歩により、対潜戦術も大きく変化していくことになった結果によると言えます。

しかしながら、当時の海上自衛隊における対潜戦の実情、そして 特に、大戦期における米軍の対潜攻撃法についてを理解するための貴重な史料 でもあるといえます。

この昭和30年の教科書、今となってはまだ残されているのかどうか ・・・・


なお、第2次大戦時の大西洋方面における対潜戦闘についての分析は、昭和21年(1946年)に米海軍の作戦分析グループ(OEG、Operationai Eveluation Group)が出した報告書である 『OEG Report #51 Antisubmarine Warfare in World War II』 と、これを昭和30年になって海自が部内参考資料として邦訳した 『第2次大戦中の対潜戦闘』両者を本家サイトにて全文公開しております。

これも大変すばらしいもので、第2次大戦における対潜戦の実態を理解する上でも是非ご参照いただきたいと思います。

   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/31-ASW_WWII.html

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2022年11月13日

海上自衛隊の古い史料 −28


海上自衛隊における個艦の操艦・運動法については、私が 『操艦三部作』 と名付け、かつ私が操艦法についての教科書とした、故伊藤茂氏により極めて具体的にその機械・舵の使い方を示した 『操艦日記』『操艦の記録』 及び 『艦艇長勤務参考 (その2)』 という素晴らしいものがあります (ありました) ことは既にご紹介したところです。

そして、操艦についての一般的な事項を示した旧海軍からのものを何度か改訂してきた 『操艦教範』 などが刊行されております。

旧海軍においても、海上自衛隊の初期においても、“まずは立派な船乗りたれ” ということが強調され要求され、また事あるごとに厳しく躾けられてきたものです。

このため若年士官・幹部のときから操艦・運動法については口うるさく指導されてきました。

しかしながら、どうもこのところの海上自衛隊では、艦及び艦隊部隊における操艦・運動法などは等閑視され、かつ “制服を着た能吏” としての出世には重要視されていないと思わざる点が多々見られます。

その良い例が、先日行われた国際観艦式です。 如何に外国艦艇が混ざっているからと言って、キチンとした単縦陣の陣形維持さえ行われておらず (維持法さえ知らず、指示もされていない ?)、陣形はグニャグニャであり、対艦距離でさえバラバラであったことは、数多くの写真で皆さんもご覧いただいたとおりです。 私に言わせると、ちょっと恥ずかしい。

“艦 (艦隊) の威容” を保つということは、旧海軍からのことの極めて重要で喧しく言われてきた伝統精神の一つですが、そのようなことは “制服を着た能吏” には関心が薄いようです。

その証拠に、冒頭に示した 『操艦三部作』 などは私がコピーをとった時以降見たことがありませんし、これに替わる新しいものが海上自衛隊で作られ、配布されているとは聞いたことがありません。

ましてやその 『操艦三部作』 以前の海上自衛隊創設期における操艦・運動法についての史料については、いったいどこにどれだけ残されているのか ???


ということで、この今では幻ともいえる海上自衛隊創設期の史料をご紹介することに。

まずは、個艦における操艦・運動法についてです。

昭和28年に警備隊術科学校が教育用に作成した 『操船法教科書』 で、海軍兵学校の航海術教科書を元にして井上団平二等警備正が編纂したとされています。

Soukan_Txt_S28_cover_s.jpg

もう一つは同じく昭和28年に警備隊術科学校が作成した 『操船法講義案 (甲種高等科学生用)』 で、同じく井上団平二等警備正が編纂したとされています。

Soukan_Rect_S28_cover_s.jpg

前者は、舵や推進器の作用を始め、運動力検測、単艦での操船などの基礎について解説したもので、また後者は前者を理解した上で、出入港や横付け、編隊中の操船などについてその基本を纏めたものです。


そして、当時は “まずは米海軍に習え” という時代でしたので、米海軍の資料を元にその米海軍での基礎を教えていました。

一つは、昭和29年6月の警備隊時代に警備船 「くす」 が航海術科担当として出した 『駆逐艦操艦参考』 で、これは 米海軍の 『 On a Destroyers Bridge 』 を翻訳したもの。

Soukan_USN 01_S29_cover_s.jpg

もう一つが、昭和29年9月に海上自衛隊術科学校が出した 『駆逐艦操艦参考書』 で、米海軍の 『 Ship Handling Destroyers 』 を翻訳したもの です。

Soukan_USN 02_S29_cover_s.jpg


これら日本側が纏めたものも米海軍資料を翻訳したものも、いずれも私の現役中にコピーしたもの以外では見たことはありませんし、また退職するまでの現役時代の間に他から聞いたこともありませんので、今では果たして海上自衛隊に残されているのかどうかは判りません。


これらの史料についても、キチンと整形とゴミ取りをして公開してもよいのですが、とても時間と労力がかかりますので ・・・・

どなたかこの古い史料の公開に向けてのこれらの作業にスポンサーとなっていただけるような方はおられませんかねえ。


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2022年11月17日

海上自衛隊の古い史料 −29


前回 28回では警備隊・海上自衛隊創設期における個艦の操艦・運動法についての史料をご紹介しましたが、それに続き今回は部隊 (隊、艦隊) としての操艦・運動法についてです。


1つ目は、昭和29年1月に警備隊術科学校が 『船隊運用参考書』 というタイトルのものを教育用に出しました。 これは、当時差し当たってはPFおよびLSSLでの事を念頭に置いたものですが、米海軍では単縦陣にしても、いわゆる部隊としての “威容” というのは重視されない体質ですので、これについての良い資料がありませんでしたので、旧海軍において米村利喜元中将が作成した 『艦隊運用講義付録』 をそのまま文字起こしし直したもの です。

Fleet_Manu_01_S29_cover_s.jpg


2つ目が、昭和29年10月に海上自衛隊術科学校が 『艦隊運動講義案 (甲種高等科学生用)』 として作成したものですが、内容は昭和28年に警備隊の 第1期甲種特修科学生であった薮下利治三等警備正の課題答申をそのまま複製したもの であり、古代の帆船時代に始まり、艦隊運動の基本的な考え方について論じたものです。

Fleet_Manu_02_S29_cover_s.jpg


3つ目が、昭和28年10月に警備隊術科学校が 『操船参考書 (船隊運動)』 というタイトルのものを教育用に出しましたが、内容は 旧海軍の 『操艦参考書 艦隊運動』 をそのまま複製したもの です。 このため、警備隊・海上自衛隊創設期当時の史料は既に左綴じですが、本史料は元の旧海軍時代のものそのままであるため右綴じで印刷・製本されています。

Fleet_Manu_03_S28_cover_s.jpg

Fleet_Manu_03_S28_cont-02_s.jpg

内容は、旧海軍における艦隊運動について網羅されていますので、旧海軍における艦隊運動法について理解、研究する上でも格好の史料の一つであると言えます。


さて、これらのものも今となっては海上自衛隊に残されているんでしょうか、そして残されているとして、どこでどのように保管・管理され、研究に活用されているんでしょうか ・・・・ ?

特に3つ目のものなどは、内容は旧海軍の史料そのままですが、もう一昔前に私が複製を作った時点でも既に他では全く知られていませんでしたので、その意味では大変に貴重なものの一つであると言えるのですが。


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2023年02月26日

海上自衛隊の古い史料 −30


今回ご紹介するのは、昭和33年に海上自衛隊術科学校横須賀分校が出した 『艦隊運動程式の研究』 です。


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これは昭和32年の第7期甲種専攻科学生の研究課題の答申を海自部内に検討のために配布したもので、当初は 「極秘」 文書でしたが、昭和44年になって解除されています。

旧海軍においては、明治期に艦隊・戦隊においてタイトな陣形をとる場合の各艦の運動要領などについて 『艦隊運動軌範』 続いて 『艦隊運動程式』 が定められ、後者に改訂を加えつつ今次大戦の終戦まで存続しました。

例えば有名なものでは、ミッドウェー海戦において機動部隊4隻の空母壊滅後の避退中に、第7戦隊の 「三隈」 と 「最上」 がこの 『艦隊運動程式』 による緊急回頭信号の解釈を誤った結果両艦が衝突して、それが元でその後の 「三隈」 の喪失に繋がったことは良く知られているところです。

警備隊を経て海上自衛隊の創設期において、艦隊 (船隊) などにおける運動はこの旧海軍の 『艦隊運動程式』 を基に、これに米海軍による指導の基となった連合軍戦術書 (ATPやACPなど、通称 “AP類”) などによる改訂を加えて 『自衛艦隊運動程式』 が作られましたが、米海軍から一人立ちするに当たり、更に海上自衛隊独自の本格的なものとすることを目指したものです。

ところが、その後は米海軍との共同連携作戦が強く重視される方向に進んだことと、海上戦の戦闘様相の変化によりタイトな陣形での運動が重視されなくなってきたことなどから、結局新たな 『艦隊運動程式』 (あるいは『艦隊運動教範』) が作られることはなく、各種戦における戦術も、そのために必要となる通信・信号類も、米海軍によるところが強くなり、まさに “AP類全盛” となり、必要に応じてその補足事項が護衛艦隊などから出される程度となりました。

私の初級幹部の頃は寝ても覚めても二言目にはこの “AP、AP、AP” という状況でした。 既に “艦隊運動程式 ? なにそれ ?” と。

私は昭和末期になって本史料が残されているのを見つけて複製をとっておきましたが、旧海軍における艦隊運動の基本的な考え方、そして米海軍との違いを研究するためには極めて高い価値があるものと考えています。

しかしながら、本史料、そしてその元となった 『自衛艦隊運動程式』 などは (も)、現在の海上自衛隊に残されているんでしょうか ? 既にこれら古いものは全て廃棄処分されて現存していないのではとの強い疑念がありますが。


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    http://navgunschl.sblo.jp/article/189931100.html

posted by 桜と錨 at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 海上自衛隊の古い史料