2021年07月24日

海上自衛隊の古い史料 −1


常々、“海上自衛隊は自分で自分の足跡を消しながら前に進む組織” と言われており、私も全くその通りだと痛感しています。

そこで、私が持っている海上自衛隊が作成した古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” というものをご紹介していきます。

もちろん、現在の海上自衛隊にまだ残されているのかどうか、そしてもし残っているとしてもどこにどれだけあるのか、その保管状況は、などは知りません。

もし興味のある方がおられましたら、調べてみてください。


その第1回目が、海上自衛隊幹部学校が参考資料として昭和31年に作成した 『兵棋盤を使用する艦隊砲戦の研究』 というものです。

JMSDF_WG_Scieario_S31_cover_01.jpg

海自側はPFを主とする基本状況想定15本とそれぞれを更に細分化した全43本のシナリオとその回答例を収録したものです。

海上自衛隊初期の情勢と、PFを使うことに特徴があり、これはこれで面白いものであり、かつPFの能力が判りますので、第2次大戦期を考えても参考になるところが多いでしょう。

もちろんこれ、当時でも秘密文書でも何でもないものですが。


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次 : 2
    http://navgunschl.sblo.jp/article/188870990.html

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2021年07月29日

海上自衛隊の古い史料 −2


海上自衛隊が作成した古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という2回目です。

昭和30年に海上自衛隊術科学校 (当時) が作成した 『くす型警備艦初任砲術長執務参考書』 です。

JMSDF_PF_Gunnery-Officer_manual_S30_cover_s.jpg

第1回目でご紹介した 『兵棋盤を使用する艦隊砲戦の研究』 がPFを主にしたものですので、その砲戦力の実際を知るためには貴重な史料です。

作成当時の当初は 「秘」 指定の文書だったようですが、とうの昔に廃棄されており、これも今では海上自衛隊に残っているのかどうか ・・・・ ?

ただ、私の手許にあるものは、どうも最後の方 (少なくとも最終の編纂記録があるページは) が抜け落ちているようです。


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前 : 1
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次 : 3
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2021年08月03日

海上自衛隊の古い史料 −3


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という3回目です。

といっても海上自衛隊が作成したものでは無く、その前身である警備隊時代のもので、警備隊術科学校の甲種特修科学生砲術班に対する研究課題の一つ 『現用指揮武器を研究しその精度を検討せよ』 に対する答申 で、昭和28〜29年頃のものと思われます。

JMSDF_FCS_seido_cover_s.jpg

ただし、「現用指揮武器」 とは言いながら、答申の内容は 当時の米海軍の戦艦から駆逐艦に至る射撃指揮装置を中心とする指揮武器について であり、警備隊が入手し得た資料に基づくもので、今では大戦期後半 〜 大戦直後における米海軍の状況を知る上でも大変貴重なものとなっています。

私の手許にある複製では秘密区分や作成期日などは記されておりませんが、研究課題の 「第一」 に対する答申ですので、当初は他の課題と合わせて1つになっていたのかもしれませんが、これ単独でしかありませんでしたのでわかりません。

いずれにしても、米海軍においてさえとうの昔に無くなった過去の古いものに関するものですので、現在においては秘密でも何でも無い内容です。

とは言っても当時の学生の課題答申ですので、この類の資料は先にご紹介した2つ以上にその使用が限られますので、今となっては海上自衛隊に残っているのかどうか ・・・・ ?


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2021年08月07日

海上自衛隊の古い史料 −4


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という4回目です。

昭和30年に当時まだ横須賀田浦の旧海軍水雷学校跡に置かれていた海上自衛隊術科学校が作成した 『 射撃指揮装置 Mk-37 講義案 (第2編) 』 です。

000C_mod_s.jpg

太平洋戦争中に旧海軍が悩まされた Mk-37 方位盤射撃指揮システム (当時はまだ1つの射撃指揮装置という名称にはなっていませんでした) と5インチ38口径の単装及び連装両用砲、そしてVT信管付き対空通常弾の組み合わせによる砲熕武器システムの戦後型の解説書です。

戦後型ですから、射撃レーダーが Mk12 + Mk-22 のものからパラボラアンテナでコニカル・スキャンによって捕捉目標の自動追尾を行うための Mk-28 となっており、主としてこれに関連する部分の改良に伴って射撃盤は Mk-1 から Mk-1(A) に更新されたものになっています。

そして、この講義案は方位盤、射撃盤、垂直安定儀などに分かれていたものを1つの射撃指揮装置として纏めたことによる全体の解説書となっています。

したがって、この講義案は全5冊のシリーズものとなっており、各編は次のとおりでした。

    第1編 : 方位盤 Mk-37 及びその付属装置と動揺修正装置
    第2編 : 射撃盤 Mk-1(A) 及び照明弾盤
    第3編 : 射撃指揮装置 Mk-37 全体の試験・検査法
    第4編 : 射撃用レーダー Mk-28
    第5編 : 射撃指揮装置 Mk-37 による射撃指揮法及び操作法

しかしながら、海上自衛隊の艦艇でこの射撃指揮装置を装備したのは、米海軍からの貸与艦艇である 「あさかぜ」 「はたかぜ」 と 「ありあけ」 「ゆうぐれ」 の4隻のみであり、国産の艦艇の装備用にはリリースされませんでした。

したがって、この4隻が除籍、返還されるとともに装備艦艇は無くなりましたので、その後、本解説書も秘密指定が解除されて破棄されています。

私の手許にあるのは、この5冊のうちの第2編だけで、他の4冊については探しても判りませんでした。 破棄当時既に他の4冊は残されなかったのかもしれません。

この第2編は戦後型の射撃盤 MK-1(A) の解説書ですが、大戦中の戦艦の副砲用から駆逐艦の主砲用に至るまで幅広く使われた Mk-1 と基本的には同じですので、その意味では大変参考になるものです。

この第2編も現在ではどこかに残っているのかどうか ・・・・


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2021年08月11日

海上自衛隊の古い史料 −5


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という5回目です。

前回の4回目で昭和30年に作成された 『射撃指揮装置 Mk-37 講義案』 についてご紹介し、破棄となったあとこの全5冊セットの内の第2編しか参考資料として残されなかったのでは (これしか見つりませんでした) と申し上げました。

それでは、残りの方位盤 Mk-37 や射撃用レーダーについてのものが残されていないのでは、この射撃指揮装置全体を理解するには足りないのでは、と思われる方がおられるかもしれません。

この日本語になった残りの講義案は見つかりませんでしたが、その代わり、それらについてその元資料となったと思われる英文の原典史料が残されていました (かつては)。

例えばFCレーダーについては次のものなどです。

FCR_Mk12_cover_m.jpg

FCR_Mk-22_cover_m.jpg

FCR_Mk-28_cover_m.jpg

これらは、警備隊時代、あるいは海上自衛隊になってから米海軍から提供された資料の一部であったと思われます。

しかしながら、これらのものも現在となっては果たして海自のどこにどれだけ残されているのかどうか ・・・・


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2021年08月20日

海上自衛隊の古い史料 −6


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という6回目です。

前回の5回目で射撃指揮装置 Mk-37 の射撃用レーダー Mk-12、Mk-22 及び Mk-28 の史料についてご紹介しましたので、今回は捜索用レーダーについてです。

私が知る限りでは、昭和29年の警備隊術科学校、そして29〜31年に海上自衛隊術科学校において作成されたもので、次のものが (かつて) 残されていました。

何れも術科学校における 普通科及び高等科学生の課程教育用の 『レーダー機器教科書』 で、米海軍から提供された資料に基づいています。


◎ 普通科学生用

普通科学生用ですから、米海軍から貸与・供与された艦艇に装備されていた当時現用の 「SA」 「SL」 「SO-2」 「SO-3」及び 「SF」 レーダーのそれぞれの概要が纏められています。

JMSDF_Radar_Text_J_01_S29_m.jpg


◎ 高等科学生用

当然ながら、普通科学生より高度な専門的内容を纏めたもので、「SA」 「SL-a」 「SO-2」 「SG-1B」 及び 「SF-1」 の各レーダー機器ごとの教科書となっています。

JMSDF_Radar_Text_S_SA_S30_m.jpg

JMSDF_Radar_Text_S_SL-a_S29_m.jpg

JMSDF_Radar_Text_S_SO-2_S30_m.jpg

JMSDF_Radar_Text_S_SG-1B_S31_m.jpg

JMSDF_Radar_Text_S_SF-1_S29_m.jpg

これら以外のレーダー機器の教科書についても作られたのかもしれませんが、私が探した限りではこれしかありませんでした。

いずれのレーダーも大戦中に米海軍が開発して艦艇に装備した各シリーズものの戦後版で、各部がオリジナルのものから改善・改良が (多少) 加えられてはいますが、大戦中のこれらのレーダーを知る上で、しかも和文ですので貴重なものと言えます。

しかしながら、これらのものも現在となっては果たして海自のどこかに残されているのかどうか ・・・・


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2021年08月25日

海上自衛隊の古い史料 −7


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という7回目です。

前回の6回目で当時現用の捜索用レーダーについての術科学校普通科及び高等科学生用の教科書をいくつかご紹介しましたが、今回は、ではその各レーダーを教えるための基礎としてのレーダー理論についてどの様に教えていたか、です。

昭和30年に作成された 『レーダー理論教科書』 です。 本来は上下2巻のセットだったのですが、私の手許にはこの内の上巻しかありません。

JMSDF_Radar_thory_Vol-1_S30_cover_s.jpg

当時既に下巻はなかったのか、私が見落としたのか ・・・・ ?

内容的には、基礎的な部分は Bell社や MIT の理論書を元にしており、具体的な各回路についても当時の実際のものを例にして大変判りやすく纏められています。

これ、今にして思えば、下巻が無いのがちょっと残念です。

そして、これらのものも現在となっては果たして海自のどこかに残されているのかどうか ・・・・


因みに、旧海軍においては、昭和19年に横須賀海軍砲術学校が 『電波探信儀ノ原理並構造概説』 を作成しておりますが、編纂的にはこれと同じような形式なものの、内容は当時の日本海軍、というより日本の科学的・技術的なレベルを反映したものになっており、かつ表紙以外は質の悪い藁半紙に手書きガリ版刷りのものです。

IJM_Radar_thory_S19_cover_s.jpg

これはこれで大変に貴重で面白いのですが、やはりそこはそれ、全体的なレベルの差が (^_^)


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2021年08月30日

海上自衛隊の古い史料 −8


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という8回目です。

順番からすると、1〜3回目の後にご紹介するのが適当だったかもしれません。 昭和31年に海上自衛隊幹部学校が作成した 『現用砲熕武器の性能の見地より砲戦術の限界』 です。

Housen_Genkai_MCSC_S31_cover_s.jpg


内容的には米海軍から貸与された 「はたかぜ」 型をメインとし、PF及びLSSLを副とするものですが、「現用砲熕武器」 とは言いながら全て大戦中の米海軍資料に基づいており、かつ昭和30年に学生に講義したものを後から纏めたものです。

したがって今日においては、大戦中の米海軍のこれら砲熕武器について理解するためには大変貴重なものであると言えるでしょう。

しかしながら、当時から秘密文書にも何も指定されていませんでしたし、単なる “参考資料” の一つでしたしたので、おそらくこれら艦艇が全て除籍となった後には破棄されたと考えられ、これも現在となっては果たして残されているのかどうか ・・・・


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2021年09月02日

海上自衛隊の古い史料 −9


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という9回目です。

射撃理論や射撃指揮法などに入る前に、その前提となる 「弾道学」 についてどの様に教えてきたのかをお話しします。


この 「弾道学」 については、旧海軍においても、専門的なことになると特定の砲のデータは秘密事項ですが、そのための一般理論についての筒内、筒外弾道、そして終末弾道については学者・研究者による学問的なものとして進んできましたので、これを採り上げて1つの部門とすることは基本的にはありませんでした。

(旧海軍及び海上自衛隊における 「筒内」 「筒外」 などの 「筒」 の字は、正式には 「月」 偏に 「唐 」の字ですが、常用漢字にありませんし一般的なフォントにもありませんので、「筒」の字で代用しております。)

これもあって、海軍兵学校においては極く基本的・基礎的な内容を 「弾道学」 として教え、このための教科書も一連の砲術教科書の分冊の中で 「射撃誤差学」 などの他の項目と共に合わせて作成されていました。

Dandou_T10_cover_s.jpg
( 大正10年の砲術教科書の例 )

そして砲術学校などにおいては、その特定の砲熕武器についてのデータに基づく部分を含めてその詳細を 『弾道学参考書』 として纏め、主として学生の自学自習によることを前提として教えてきました。

例えば、次のようなものです。

Dandou_S13_cover_s.jpg

Dandou_S13a_cover_s.jpg


戦後の警備隊及び海上自衛隊になっても、「弾道学」 についての専門的なことは、一般の学問としての方が進んだものがありますので、米海軍において教えられている程度の簡単な基礎的事項に限定する方向で進みました。

私が知り得た限りでは、昭和28年に横須賀地方総監部が取り纏めた 『筒外弾道学』 が最初のもので、これは昭和29年以降の海上自衛隊術科学校でも使われたようです。

Dandou_S28_cover_s.jpg

おそらくこの時には 「筒内弾道学」 も作られたと考えられますが、これは見つかりませんでした。 私が見逃したのかもしれませんが、もしかすると既に無かったのかも。


そして、私達が第1術科学校の幹部中級課程 (射撃) 学生の時は、『弾道学講義資料』 と言うのが作られており、これは例によって質の悪い藁半紙に表紙以外は手書きガリ版刷りのものでした (^_^;

Dandou_S47_cover_s.jpg

もちろん中級射撃学生用とはいっても、それほど専門的なものではなく、したがって秘密事項のデータなども何も書かれていない “普通文書” のものでした。

その後、水上艦艇要員の幹部中級課程は砲術や水雷などの専門的な課程ではなく、共通の 「用兵」 課程、いわゆる “何でも屋” が主流になりましたので、この幹部課程用の 「弾道理論」 の内容は、更に平易なレベルのものとなっています。

Dandou_H12_cover_s.jpg


したがって、現在の海上自衛隊においては、「弾道理論」 を専門的に教えることはまず無くなったといえるでしょう。

これもあって、この昭和28年の 『筒外弾道学』 はもちろん、私達が学生の時に習ったSG (スタディ・ガイド) の一つとしての 『弾道学講義資料』 さえ、今では残されているのかどうか ・・・・


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2021年09月03日

海上自衛隊の古い史料 −10


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という10回目です。

お話ししてきましたように、警備隊及び海上自衛隊の創設期においては、砲術や水雷術に限らず、全てのハード及びソフトについて何はさておきまずは米海軍に倣ってということで、関係する資料も全て米海軍のものを翻訳して纏めることからスタートしました。

で、旧海軍が誇った砲術についても “取り敢えずは米海軍に準拠して” ということで、その射撃理論についても、旧海軍のものを参考にしつつ米海軍の資料を基に作成したものが 昭和28年の海上警備隊術科学校の 『射撃理論』 です。

Shagekiriron_S28_cover_s.jpg

とは言っても、内容的には初心者に対する極めて初歩的な内容ですので、これはこれでというところがあるでしょう。


そして、私が幹部中級射撃課程学生の時代の 「射撃理論」 のSG (スタディ・ガイド) は、何と高等科射管課程の海曹学生用に作られたものをそのまま流用したものでした。 教官の手抜きと言えば手抜きであったと。

とは言っても、内容的にはこの後でお話しする海上自衛隊の名著の一つである 『解析射撃理論』 の中から概要の部分をそのまま抜き出して纏めただけのものですが (^_^;

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もちろんこれらには具体的な現用装備についてのデータは含まれておりませんので、秘密でもなんでもない単なる 「普通文書」 でした。

そして更に平成の年代に入ると、1術校の砲術教育における 『射撃理論』 は幹部学生用及び海曹学生用共通のもので済ませるようになりましたが、これも 『解析射撃理論』 の内容から引用した簡略化されたものでした。

Shagekiriron_H13_cover_s.jpg


これらも現在となっては果たして残されているのかどうか ・・・・


因みに、昭和28年に警備隊術科学校が 「射撃理論」 を作成した時に参考としたとされる旧海軍資料は、おそらくこれではなかったかと考えられます。

Shagekiriron_S19_cover_s.jpg


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2021年09月04日

海上自衛隊の古い史料 −11


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という11回目です。

前回の10回目で昭和28年に海上警備隊術科学校が作成した 『射撃理論』 をご紹介しましたが、これはいわゆる入門用のものですので、旧海軍出身の砲術のオーソリティ達が “やはりこれだけでは” と考えたことは無理からぬところであります。

そこで、既にご紹介したことがありますが、まず作られたのが 昭和29年の海上自衛隊術科学校の 『攻撃理論概説並に射撃理論』 です。

Kougekiriron_S29_cover_s.jpg

そして、その射撃理論について詳細な分析を加えたものが 昭和39年に海上自衛隊第1術科学校が出した 『解析射撃理論』 全3巻と別冊 です。

Kaiseki_No1_S31_cover_s.jpg

この2つのものは、海上自衛隊が作成したものの中の “名著中の名著” とされるもので、現在に至るもこれだけの理論書が作られたことは無いと言えるでしょう。

私は遠洋航海に続き最初の艦艇勤務1年が終わった後、当時横須賀の船越にあった 「プログラム業務隊」 のプログラム2係 (現在では組織再編により艦艇開発隊の一部となっています) 勤務となり、この時にミサイル及び射撃関係を担当したことからその必要に迫られて、まだ任務射撃課程さえ出ていない身でこの2つを独学で貪り読みました。 (というより他に適当なものが無かったというのが実情ですが。)

両方とも当時既に廃板になっておりましたが、中身はまだ十分に理解できなかったものの、大変優れたものであることはすぐに判りました。

この2つ、今日においては、後者については1セット揃いで残っているようですが、前者については既に無い、というのが海上自衛隊の公式見解 のようです。

とはいっても、やはり良識のある海自OBの先輩もそれなりにおられまして、廃棄して処分してしまうのはあまりにも勿体ない、と個人的に入手して所持された方々がおられました。

ただし、それらの方々ももう相当なお歳ですので、もしかするとどこからかポロっと出てくるかもしれません (^_^;


海上自衛隊は何故このような素晴らしいものを簡単に捨ててしまうのか、その神経が理解できません。

「自分で自分の足跡を消しながら前に進む組織」 ということの表れの典型的な一つと言えますね。


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2021年09月07日

海上自衛隊の古い史料 −12


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という12回目です。

今回からは3回に分けて砲術・艦砲射撃に関する 「教範」 についてお話しします。

教範というのは 「部隊の指揮運用、隊員の動作等に関する教育訓練の準拠を示したもの」 と定義され、これは昭和40年に防衛庁訓令第34号 『教範に関する訓令』 により定められた、3自衛隊共通の用語です。 

そしてこれに基づき、海上自衛隊では昭和41年に 『海上自衛隊教範に関する達』 が定められ、これにより種々の教範が作成されています。

とはいっても 「教範」 という用語は旧海軍から使われており、海上自衛隊でも上記の訓令及び達以前に、『海上自衛隊教範類編纂に関する達』 によって、いわゆる “教範類” というものが作成されていました。

これらの中でも、旧海軍当時から砲術・艦砲射撃に関する “バイブル” とされてきたのが、『砲戦教範』、『艦砲射撃教範』 そして 『艦砲操式』 の3つ です。

旧海軍の 『艦砲操式』 は海上自衛隊では 『艦砲操法教範』 と名称が変わりましたが、この3つのレベルの教範の構成は、戦後の海上自衛隊でも踏襲されているものです。

まずはこの 『艦砲操法教範』 から。


旧海軍時代の 『艦砲操式』、そして海上自衛隊の 『艦砲操法教範』 は、その名の通り “砲機の操縦及び弾薬の供給に関し、射撃関係員の順守すべき操作を規定” するものです。

したがって、具体的な砲機が異なり、艦艇への装備方法が異なれば細部は違ってくるものですが、逆にどのような砲機やその装備方法であろうとも、共通するところがあります。

特に安全に関する部分や、号令詞などの最重要なところは同じでなければなりません。

海上自衛隊においては、この砲機の違いに関わらずその共通するところを 『艦砲操法教範(一般の部)』 として定めております。

この 『艦砲操法教範(一般の部)』 の最初のものは、昭和39年に海上自衛隊達第99号別冊として 「秘」 に 指定されて出されました。

Manual_Kanpou_Souhou_S39_cover_s.jpg

そしてこれは先の防衛庁訓令等に基づき、昭和41年に海上自衛隊教範第44号として改めて指定 し直され、かつ昭和47年には 「秘」 の指定が解除 されています。


私なども当初はこの時の教範で習ったのですが、昭和51年に海上自衛隊教範第240号 『艦砲操法教範(一般の部)』 となり、秘密指定の無い普通文書として出されました。

Manual_Kanpou_Souhou_S51_cover_s.jpg

教範の構成や内容などは基本的に以前のものと同じなのですが、砲熕武器や射撃指揮装置などの進歩に合わせて多少変更が加えられています。


そして私の現役の間には、更に 平成5年に海上自衛隊教範第364号 として改訂・改正が加えられたものになりましたが、これは当時の一連の秘密漏洩事件の影響を受けて 「部内限り」 とされてしまいました。

Manual_Kanpou_Souhou_H05_cover_s.jpg


なお、この平成5年版以降のことについては申し上げる立場にありませんので (^_^;


しかしながら、改訂版の昭和51年のものは多分どこかにまだ残っているのでしょうが、最初の昭和39年のものはまだあるのかどうか ・・・・


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2021年09月10日

海上自衛隊の古い史料 −13


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という13回目です。

続いて砲術・艦砲射撃に関する 「教範」 についてお話ししますが、今回はそのメイン中のメインである 『艦砲射撃教範』 です。

この 『艦砲射撃教範』 は、旧海軍においては近代射法の誕生に伴う大正2年に始めて制定されたもので、その後数度にわたり射法を中心とする艦砲射撃の発展と共に改訂が加えられ、最終的に昭和12年の全面改訂されたものが旧海軍における最後のものとなりました。

その教範の目的とするところは 「射撃関係員を訓練シ戦闘ニ当リ射撃効果ヲ最大ニ発揚セシムル為準拠スベキ原則ヲ示ス」 ものとされています。


戦後の警備隊及び海上自衛隊の創設期においては、当初は “ともかく何でも米海軍に倣え” ということで、米海軍資料に基づいていましたが、結局のところ、砲やレーダーについてはともかくとして、砲術・艦砲射撃そのものにつては米海軍に習うことはほとんどない、と言うことがハッキリしてきました。

これにより、旧海軍のものを参考にしつつ新たな教範を作ることとなり、これが 昭和33年の海上自衛隊達第11号別冊 『艦砲射撃教範』 として制定されました。

Manual_Kanpou_Shageki_S33_cover_s.jpg


この戦後初の 『艦砲射撃教範』 は 「射撃にあたり射撃効果を最大に発揮するため、射撃関係員の従わなければならない原則を示す」 とされ、旧海軍のものとは多少の表現の違いはあるものの、その目的とするところは同じものです。

当初は 「秘」 指定のものでしたが、昭和41年に なって防衛庁達とそれに基づく海上自衛隊達の制定に伴い、これを 「取扱注意」 とした上で、新たに海上自衛隊教範第10号の 『艦砲射撃教範』 として出し直し たのです。


そして、その後の装備武器などの進歩に伴い、昭和48年に これを多少修正・改訂したものが 「取扱注意」 指定 (後に文書管理の変更に伴い 「注意」 となりました) の 海上自衛隊教範第203号 『艦砲射撃教範』 となりました。

Manual_Kanpou_Shageki_S48_cover_s.jpg

ただし、「この教範は、艦砲による射撃に関する教育訓練の準拠を示すことを目的とする」 とされ、時代の世相を反映して実際の戦闘を匂わせる表現では無くなっています。

とは言っても、私達の若い頃はこれで習ったのですが、全体的な内容はそれまでの 『艦砲射撃教範』 の要旨を踏襲したもので、まだまだ旧海軍時代のものが色濃く残っており、流石は旧海軍の艦砲射撃の伝統に基づいた端的で緻密なものであると思いました。


しかしながら、その後の趨勢として短SAMも含むミサイル搭載艦が増えるにしたがって、このミサイル射撃も含めたものにしたらという声が出てきたことによって、 平成10年に このミサイル射撃と艦砲射撃とを一つにした新たな 『艦艇 射撃教範』 が「秘」 指定の海上自衛隊教範第376号 として出されたのです。

( 「秘」 指定の文書とは言っても、実際には本来の秘密部分はデータなどのほんの一部で、ほとんどのページは 「部内限り」 となっています。 )

ところが、この教範はミサイル射撃と艦砲射撃を一つにしてしまったために、元の 『艦砲射撃教範』 にあった旧海軍時代から続く用語の定義や射撃指揮に関するものを、ミサイル・システムに合わせた、いわゆる “現代風” にしてしまったのです。

このため、本来教えるべき艦砲射撃についての基本中の基本が判らないものとなってしまいました。

私達の多くは “これでは全くダメだ” と口を大にして指摘したのですが、その方面で名が知れたかの有名な人物が直接の当の担当者で、“これで良いんだ” と言い張って全く聞く耳を持ちませんで、この可笑しなものが制定されることになってしまいました。

結局のところ、これでは使い物になりませんので、艦砲射撃については従来のものに従って教えることになったのです。 (少なくとも私が現役の間はそうでした)

その後のことは、私は申し上げる立場にはありませんので m(_ _)m


そして、改訂版たる昭和48年のものは多分まだ残っているのでしょうが、最初の昭和33年のものはまだあるのかどうか ・・・・


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2021年09月15日

海上自衛隊の古い史料 −14


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という14回目です。

続いて砲術・艦砲射撃に関する 「教範」 についてお話ししますが、今回はその最上位である 『砲戦教範』 です。


旧海軍におけるこの 『砲戦教範』 は、昭和5年になってその草案が作られましたが、翌昭和6年には『砲戦操式』、7年には『第三改正海戦要務令 続編』、8年には 『第四改正海戦要務令』 の制定などなどの様々な要因が重なったために、やっと昭和13年になって正式なものとして制定されました。

そして、太平洋戦争における戦闘様相の変化に合わせるため、昭和18年に改正案 が作られましたが、これは結局終戦までにそれが正式制定されるに至らなかったとされています。

この 『砲戦教範』 の目的は 「主トシテ水上艦艇ヲ基準トシ之ガ砲戦実施上準拠スベキ事項ヲ示ス」 とされていました。

Manual_Housen_S18_cover_s.jpg


戦後の警備隊及び海上自衛隊の創設期においては、当初は “ともかく何でも米海軍に倣え” ということで、米海軍資料に基づいていましたが、一応昭和40年代に入った頃から海上自衛隊独自の考え方も取り入れたものとするとの傾向が出てきまた。

そこで、昭和44年になって 砲術・艦砲射撃についての最上位教範である 『砲戦教範』 が作成され、「秘」 指定された海上自衛隊教範第135号として制定 されました。

( 最後まで秘密文書のままでしたので、残念ながら表紙も含めてご紹介できませんことをお断りします m(_ _)m )

その目的とするところは 「艦艇による砲戦に関する教育訓練の準拠を示す」 ものとされ、水上砲戦、対空砲戦及び対地砲戦について纏められたもので、ミサイル戦については当時関連するその一部が記述されてはいるものの、当時の情勢としてまだ本格的な項目にはなっていません。

しかしながら、基本的には砲戦実施上の要点が述べられていたことと、かつこれが秘文書であったことから、艦艇幹部は学校教育での何かの時に読んでその趣旨は理解する機会はあったものの、現場において日々紐解くようなものではありませんでしたので、大抵は金庫の中にしまわれたまま、つまり “金庫の肥やし” ということに (^_^)

この点は、更に上位教範といえる 『海上自衛隊用兵綱領』 と似たような性格のものといえるでしょう。

このため、この 『砲戦教範』 は長い間修正・改善されることも、時代の変遷に応じた新しいものに改訂されることもないままで、手元にある残された資料では昭和58年頃にこれを 『砲戦・ミサイル戦教範』 とする改定案が検討されていたようですが ・・・・ 後に 『砲戦教範』 は一旦廃棄された後、全面的に新しくなった別のものが作られたと聞いています。

Manual_Housen_S58_cover_s.jpg


いずれにしても、その性格上から秘密文書でしょうから、昭和44年の 『砲戦教範』 ともども、海上自衛隊から公開されることはまずないでしょう。


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2021年09月21日

海上自衛隊の古い史料 −15


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という15回目です。

今回は 「射撃指揮法」 についてです。

砲術・艦砲射撃についてお話をするときに、この 「射撃指揮法」 というのはよく耳にされると思います。

では、旧海軍においても現在の海上自衛隊においても 「射撃指揮法」 という独立した一つの教範類などがあるのか、というと、これはありません。

何故かというと、砲戦・艦砲射撃というのは、その艦、艦型によってハードウェアが異なることはもちろんですが、ソフトウェアたる砲戦指揮官の艦長、そして射撃指揮官である砲術長の技量・経験などは様々ですし、ましてやこれを補佐する射撃関係員の技量・経験はそれこそ様々で、当然ながら艦における1つのチームとしてのレベルはその時その時で異なります。

したがって、艦長や砲術長はその時の状況に応じた艦の 「準則」 や 「戦策」 を作り、現状においてどの様な砲戦、射撃を行うのかを定めてこれの周知徹底を図り、かつそれに基づく教育訓練を実施していくかなければなりません。

そしてこれは人が交代したり、教育・訓練などの成果により射撃チームとしての状況や練度が変わってくると、それに応じて書き直していくことになります。

つまり射撃指揮法について海軍全体に共通する “これだ” という一つのものがあるわけではないのです。

とは言っても、砲術学校の高等科や専修科学生などのような、これから射撃指揮官への道を進もうかという者に対して何も教えないという訳にはいきませんので、その射撃指揮法のあり方や考慮すべき事項などの一般的な基礎を教えることが必要になってきます。

これもあって、旧海軍では射撃理論、弾道学や誤差学、射法などを纏めた 「射撃学」 あるいは 「射撃学理」 の中の1項目として、この射撃指揮法の基礎的な概要を教えることとしていました。

例えば、砲術の大家の一人であり 「武蔵」 艦長として戦死された 猪口敏平中将が、若かりし頃の砲術学校の専攻科学生の時の課題研究成果を 『射撃学』 全4編として纏め、その中の一つに 『第二編 射撃指揮法』 がありました。

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これはその後 海軍砲術学校の採用するところとなり、順次改訂が加えられつつ同校の高等科学生用の 『射撃学理参考書』 の中で教えられていくこととなりました。

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この 「射撃指揮法」 の考え方は戦後の警備隊・海上自衛隊になっても同じでしたが、私の手許にあるのは 昭和44年に第1術科学校砲術科が作成した 『射撃指揮法 (幹部学生用)』 が最も古いものであり、それ以前のものについては判りません。

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そして、私達が中級射撃課程学生で習ったときのSG (スタディ・ガイド) は 昭和56年の 『射撃指揮法』 です。

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この2つのSGは、先にご紹介した海上自衛隊の 『艦砲射撃教範』 や 『艦砲操法教範』 などに基づき、艦艇の砲雷長や砲術長に就いた時にどのような射撃指揮をすれば良いのか、そしてそのための射撃関係員の教育訓練をどのように行っていけば良いのかの基礎を簡潔に説明するものでした。

( もちろんSGはいわゆる教科書ではなく、講義を聞きながらこれに自分で色々と書き込んでいく類のものです。)

その後の現在に至るまで、この射撃指揮法についてどの様に教えているのかは、残念ながら手許に資料がありませんので不詳ですし、また私がそれをお話しする立場にはありませんので。

それにしても、この昭和44年と56年のSGもまだ残されているのかどうか ・・・・


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2021年09月24日

海上自衛隊の古い史料 −16


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という16回目です。

今回は 「射撃要務」 についてです。

射撃要務といいますのは、射撃を計画・実施する上での事務的な事項を包括的に言います。

しかしながら、旧海軍においてはこの射撃要務全体を1つの事として取扱ったり教えたりすることはありませんでした。

例えば、弾火薬の管理や取扱いに関する様々な規則類は弾火薬についての項目の中に含めておりました。

ただし、砲術学校の普通科測的術練習生課程 では、練習生が艦の砲術科に配属された時に、射撃全般についてどの様な事があり、測的に関する配置でどの様な事について上級者の手伝いをしていけば良いのかの基礎的事項を教えるためのものとして 「砲術要務」 と言うのがありました。


戦後の警備隊・海上自衛隊では、全てをまずは米海軍に範をとることとしたため、砲術に限らず全てについて日常の業務は米海軍流の書類による処理が重要になってきました。

そして、防衛庁・海上自衛隊という行政組織、即ちお役所になりますと、これに拍車をかける如く、ありとあらゆることが規則類として次々に定められてくることになります。

このため、この事務的なことを分かりやすく整理することを狙いとして、昭和44年に 『艦砲射撃要務教範草案』 を作り、関係部隊からの意見・所見を得て制式化しようとし、2次案まで作成されました。

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その 目的とするところは 「艦砲射撃教範、艦砲操法教範及び艦砲訓練教範に示された事項以外の射撃に関する艦上諸要務を効果的に処理するために必要な原則を示す」 もの とされています。

しかしながら、2次案まで行ったところで立ち消えてしまいました。 おそらく、規則類が次から次へと増えてくる状況に鑑み、「教範」 とすることは相応しく無く、かつあまり意味が無いと判断されたためと考えられます。


その後の経緯については不詳ですが、昭和56・57年頃には第1術科学校の各種課程において「射撃要務」として 教えられていました。

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その 目的とするところは「砲術科の任務を完全円滑に遂行するために必要な諸業務の処理をいい、主として教育訓練以外の様々な要務をいう」もの とされていました。

とは言っても、実際にはこの要務を含む射撃全般についてどの様に教育訓練するかは切り離せないところであり、そのための規則類に基づくことも細かく定められています。

要するにこの教育訓練も含めた射撃全般についての事務的な手続き、書類作成などのことが全て含まれることになります。


ところが、この時のSG (スタディ・ガイド) ではその全体を網羅しきれていませんで、特に関係規則類は大変に数が多く、かつ複雑に絡み合っておりましたので、私は中級学生の時にその関係規則類に漏れがないようにと調べて、各項目別に区分した一覧表に纏めてみました。

例えば教育訓練関係全体の規則類について、一覧表を更に体系図として作ったものをご紹介すれば次のようなものです。

Shageki_youmu_02_list_s2.jpg

画像が小さいために細部がお判り難いかと思いますが、大変に複雑なものであったことはご理解いただけると思います。

これらの一覧表一式はクラスメート達からも “俺にもコピーを” と大変に好評でした。 お役所たる海上自衛隊の、射撃の現場にいる者達にとっては、実務以外の問題としてそれほど面倒なものであったということです。


現在ではどのように教えているのかは存じませんが(私が申し上げる立場にありませんが)、少なくとも規則類の数が減るとは考えられませんし、ましてや艦砲とミサイルとの両方を扱わなければならなくなりましたので、今の若い人達は大変だろうな〜、っと。


いずれにしても、この昭和56・57年頃のSGはもちろんとして、昭和44年の 『艦砲射撃要務準則草案』 などはまだ残されているのかどうか ・・・・


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2021年10月06日

海上自衛隊の古い史料 −17


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という17回目です。

今回は 「弾火薬」 についてです。

警備隊及び海上自衛隊の創設期において、この 「弾火薬」 についてどの様に教えていたのかは、残念ながら史料も残されておらず不詳です。

火薬そのものについては、昭和30年に海上自衛隊術科学校が出した 『火薬学講義案 (航空武器学生用)』 というのが残されていますが、弾火薬については判りません。

しかしながら、武器も弾薬も国産のものはまだ無い状況にあっては、米海軍の史料をそのまま、あるいはこれを翻訳したものが使われていたものと考えられます。

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実際、私達が第1術科学校で学んだ時の史料である 昭和48年の 『弾火薬教科書』 及び 『砲銃弾薬及び加工品性能要目一覧表』 の最後のページには、参考としたものとして米海軍の教範などが列挙されています。

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この時の 「弾火薬」 の講義には、火薬学、弾薬、弾薬要務の項目が含まれていました。

記憶では、昭和56〜57年の幹部中級射撃課程の時もこの2つの史料だったように思います。

その後、新しい砲口武器が導入され、逆に3インチ砲などは無くなりましたので、弾薬については多少変わってきていると思いますが、弾薬要務は基本的に同じですし、また火薬学については一般の文献の方が詳しいでしょう。

これもあって、この2つの史料、もちろん秘密文書でも何でもありませんが、現在となっては残されているのか ・・・・


なおご参考までに、現在では教育体系の変更のために無くなってしまいましたが、昔の防衛大学校における陸・海・空要員の防衛学においては、現在とは比較にならないほどのものが教えられていまして、例えば 昭和33年の 『一般武器』 や 『弾薬』 においては、後の幹部候補生学校での教務などでは足元にも及ばない内容 が盛り込まれていました。

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現在の防衛大学校では、訓練や防衛学はもちろん、学生舎生活においても、「陸海空自衛隊の幹部となるべき者を育てる」 ことなどは全く軽視され、学士号をとるためだけの教育が幅を利かせる、単なる全寮制の “国立小原台学園” になってしまいましたが (^_^;


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2021年10月14日

海上自衛隊の古い史料 −18


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という18回目です。

今回は 「砲術・射撃一般」 についてです。

ここで言います 「砲術・射撃一般」 とは、始めて射撃畑に足を踏み入れることになる若い士官・幹部に対する砲術・射撃全般についての入門編ということを意味します。

旧海軍においては、海軍兵学校生徒時代に 『砲術教科書』 に基づいて砲術・射撃全般に関するの基礎が教育されてきました。

海軍兵学校がまだ当初の築地にあった時代には、この砲術も含めてすべての教育が基本的に英語により行われ、その教科書も英海軍の原典又はこれを邦訳したものが使用されていました。

これについては、私の 『加藤友三郎と砲術』 でも、パワーポイント及び拙論のPDF版をご紹介して、その中でお話しておりますので、そちらをご参照ください。


Tomosaburou_&_Gunnery_1_PPT_cover_s.jpg

そして明治21年に海軍兵学校が江田島に移転して以降は、いわゆる術科に関することは教官の手になる日本海軍独自のものとなって行きます。

砲術については、明治22年から同24年にかけて順次作成された 『砲術教科書』 全6巻が最初のもので、明治35年には全8巻となり、これは昭和期まで続く形態の基礎となりました。

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では、警備隊・海上自衛隊になってから、この砲術・射撃一般についてどのように教えてきたのかということですが、残念ながら当時の史料などが残されておりませんので、不詳です。

しかしながら、既に何度も申し上げてきましたように、ともかく米海軍に倣う、ということを基本としましたので、おそらくこの入門用の砲術・射撃一般については、米海軍の基礎的な教範である 『 Naval Ordnance and Gunnery 』 の1950年版もしくは1955年版をそのまま使用、あるいはこれの一部を翻訳したもので教えられたのではないかと思われます。

海上自衛隊の幹部候補生学校が出来た以降については、一般幹部候補生課程においては、防大卒はともかく、一般大学卒がその主たる対象となりますので、砲術・射撃一般については (も)、それこそ初歩の初歩、ということになります。

私が候補生の時の砲術SGについては、既に本家サイトにて公開しているところです。


OCS_Gunnery_Text_S48_cover_s.jpg

おそらく一般大卒の者に対するものも同じSGを使用しての教務であったと思いますが (確認はしておりません)、ある意味 “防大卒を馬鹿にしているのか ?” と思うようなレベルの内容のものでした (^_^;


そして、1尉になってから自己の専門 (特技) が決まる1年間の幹部中級課程 では、射撃課程学生でも中には初任幹部の間に任務射撃課程を出ていない (即ち、砲術士を経験していない) 者もおりましたので、一応射撃一般の教務から始まったと記憶しております。

この時の私の時のSGは残念ながら無いのですが、その後の昭和58年の課程用の 『射撃一般 (上・下) 』 が残っています。

1MSS_Gunnery_S58_cover_s.jpg

内容的には、「射撃概論」、「砲熕武器」、「射撃指揮装置」、「艦艇戦闘指揮システム」、「射撃指揮法」、「弾火薬」 の項目立てになっていますが ・・・・ ただし、私達の時の実際の講義は、冒頭の 「射撃概論」 をサラッとやっただけで、後はその後の各論の教務において詳細を習ったように記憶しています。


もちろん、この中級課程のSGでも秘密文書に指定されたものでも何でもありませんが、もう40年近く前のものですので、現在となっては残されているのか ・・・・


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2021年10月16日

海上自衛隊の古い史料 −19


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という19回目です。

今回は 「射撃指揮装置 GFCS Mk63 」 についてです。

GFCS_Mk63_photo_01_s.jpg

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この Mk63 ですが、ご存じのとおり 第2次大戦末期に3インチ砲及び40ミリ機銃用のフル・レーダー管制の射撃指揮装置として開発されたもの で、戦後の警備隊・海上自衛隊創設期には米海軍からの貸与・供与艦艇に装備されており、また戦後の 「なみ」 型などの国産護衛艦や小は 「みずとり」 型駆潜艇、そして 「はやせ」 などにも搭載され、昭和50年代中頃でもまだ現役のもの でした。

しかしながら、その頃には如何に多少の改善・改良を加えようとも、基本デザインそのものがもう旧式なものであることは否めませんので、1術校の幹部中級射撃課程学生や海曹高等科学生などによる年2回の教程射撃では、この Mk63 搭載艦を利用するのは私達の時の第1回目が最後で、以後は国産のI型装備艦を使用してになりました。

当然ながら当時の私達はその為に教務でも習ったのですが ・・・・ 修業後の配置としてこの Mk63 装備艦の砲雷長に補職されることは無いだろうと思われましたので、教務での試験と教程射撃のためにその要点だけを纏めることにしました。

配布されたB4版2枚を繋げた青焼きのブロック図に必要事項を書き込み、またその裏にSGを抜き出した要点を列記して、当のSGは処分してしまいました。

今にして思えば勿体ないことをしたと (^_^;

そしてこの青焼きのものも経年劣化で見難いものとなってしまいまして ・・・・

GFC_Mk63_Block_01_s.jpg

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( これでもかなりゴミ取りはしたのですが ・・・・ )

当初の警備隊・海上自衛隊創設期当時の教育用のものがどの様なものであったのかも判りませんが、Mk63 そのものについては残された米海軍史料 ( いまだにネットなどでも公開されていないものも多々ありますが ) の中で色々書かれておりますので、内容的にはそれでも十分判ります。

まあ、それほど複雑なものではなく、逆に射撃指揮装置についての基礎的・基本的なことを学ぶには良い射撃指揮装置であったと言えるでしょう。


もちろん、とうの昔に装備艦は無くなってしまい、残された実機もありませんので、私達の時のSGでさえ今となっては残されているのかどうか ・・・・


なお、この Mk63 で使用した射撃レーダー Mk34/SPG−34 について、まだディジタル化していない段ボール箱の中を探してみましたが、見つかりませんでした。 もしかするとこれも中級課程後に処分してしまったのかもしれません。


また、この Mk63 に似たような射撃指揮装置には Mk57 や Mk51 があり、私達が中級課程学生の時にはまだ現役でしたが、既に1型、続いて2型が装備されましたので、これら旧式なものについての詳細については習いませんでした。

流石に1術校砲術科としても、まさか海幕人事課が中級課程修業者をもうこれらの艦の砲雷長に補職することはないだろうと (^_^;

したがって、これら Mk57 及び Mk51 の個々については、警備隊・海上自衛隊創設期の史料も残されておりませんのでしたので不明ですが、これらもおそらく米軍資料をそのまま使用したのではないかと思われます。


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2021年10月21日

海上自衛隊の古い史料 −20


海上自衛隊の古い史料から、“かつては、こんなものもあったよ” という20回目です。

前回の GFCS Mk 63 に続き、今回は 射撃指揮装置 GFCS Mk 56 についてです。

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この射撃指揮装置 Mk56 は、第2次大戦において大活躍した5インチ砲管制用の Mk37 の対空用の後継というべきもので、米海軍では3インチ、5インチ、及び6インチ砲用とされましたが、海上自衛隊ではやっと 「たかつき」 型で5インチ単装速射砲 Mk42 の導入に合わせて米海軍からリリースされました。

( 海上自衛隊における建造計画の順としては 「やまぐも」 型の方が早いのですが、本来はこの5インチ砲用が主目的です。)

当時 米海軍では Mk37 に替わる対空・水上両用の射撃指揮装置として既に Mk68 が導入されていましたが、残念ながらこれは米海軍からリリースされなかった ことから、国産のT型ができるまでは 「たかつき」 型及び 「やまぐも」 型ではこの Mk57 で我慢するしかなかったのです。

このため、私達が中級射撃課程学生のときには、これらの護衛艦はまだ現役であり、課程修業後の配置としてこれらの艦の砲雷長への補職の可能性もあり得ました。

この Mk56 については実機教材は無く、かつ装備艦での実習も行われませんでしたので、したがって1術校砲術科における座学として詳細な教務が行われ、SGについても 「概論」 (一般) 及び 「機能説明書」 とともに、海曹専修科学生用の 「回路図」 も使用されました。

「概論」 と、「一般」 及び 「付図」 の2種類のSGが使用されましたが、表紙の見かけはともかく、中身は前者の方がタイプ印刷で新しく、後者は手書きのものですので、この後者は1術校砲術科での教育開始当初のものと思われます。

SG_GFCS_Mk56_General_S50_cover_s.jpg

SG_GFCS_Mk56_General_S56_cover_s.jpg

「機能説明書」 は MK56 の各部の機能・機構についての詳細なもので、これと 「回路図」 の併用により教務が行われたと記憶しています。

SG_GFCS_Mk56_Mech_S50_cover_s.jpg

SG_GFCS_Mk56_Circuit_S50_cover_s.jpg

この 「回路図」 は元々が海曹専修科学生用のもので、B4版2〜4枚に分割された回路図集ですが、この内の半数近くを1枚物に繋ぎ合わせた上で、教官の説明による書き込みをしておりますので、幹部中級課程においても詳細な教務が行われたといえます。


この Mk56 装備艦は全てとうの昔に退役し、また実機も残されていませんので、もしかするとメーカーによる建造時の装備品納入時に契約によって作成された 「取扱説明書」 一式はどこかに残されているのかもしれませんが、このSG類は課程教育終了に伴い全て破棄されたようで、防衛省・海上自衛隊には既に一切残されていないというのがその公式スタンス と聞いています。

とすると、当時の幹部及び海曹の学生だった者で他に今でもこれらを保管しているのがあるのかどうか ・・・・

( なお、現在、本家サイトの 「現代戦講堂」 の 「資料展示室」 コーナーにおいて、既に退役・破棄された国産の射撃指揮装置T型のSGについて順次公開しているところですが、余裕ができましたら、私が所持しております上記の Mk56 のSGについても公開していきたいと思っております。)

 http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/tenji_main.html


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