六、三笠損害及死傷
午後一時年頃敵の三十糎砲巨弾後部セルターデツキ司令塔右舷側の稍前方に命中、同甲板を斜に貫通して右舷機室通風筒に近き下部にて炸裂之を大破し、更に左舷機室通風筒を破壊して士官厠の一部及附近甲板を破壊す。
大檣も亦根本に於て僅かに其の全周の四分の一を余す迄に破損し甚だ危険なるを以て、第一次戦闘後八糎砲員等にて六吋スチールワイヤロープを以て後部司令塔と共に十数回捲廻し其の転倒を防止しました。
之がため、
戦 死 二名
重 傷 三名 (小倉参謀、准士官一名、市川五分隊長) (注)
軽 傷 十一名 (内、吉村主理一名)
(注) : 「三笠戦闘詳報」 によれば、小倉参謀は伊地知艦長負傷と同じ時午後6時半頃に前部艦橋において植田参謀と共に負傷とされています。
なお、以下の被害や戦死傷者の発生状況などについては原文のままとし、戦闘詳報などとの照合によるコメントは省かせていただきます。
午後二時頃敵三十糎砲巨弾後部砲塔左舷側甲板に命中炸裂、上甲板を貫通して中甲板士官室、主計長室、清水缶を破壊す。 人命に損害なし。
午後三時半頃彼我の距離益々接近し砲戦愈々激烈を加ふるや、敵の巨弾後部檣楼上にある重四十七密砲に命中炸裂し砲身は数十尺の高さの檣楼より甲板に墜落し砲楯は粉砕して海中に飛散せり、唯此の時檣楼砲員は既に大檣大破し居たるを以て其の部署に居らざりし為危害を免れたり。
之が為 戦死 品川三分隊士、畑五分隊士、下士兵三名。 品川中尉は初瀬の生残者にして戦死の際は弾丸のため腹部全部を奪はれ凄牡の有様は言語に絶す。
重 傷 高辻候補生、以下四名
午後四時敵三十糎巨弾第四号清水缶外側水準線下約五呎の所に命中、七吋鉄板を貫通して其の位置に止せる。
午後六時頃砲戦最も酎なる時、敵の一弾は第三分隊長 伏見宮博恭王殿下指揮の下にある後部三十糎砲右砲身中央部に命中し炸裂するや輪環部より切断し砲身は海中に墜落し、同時に砲塔は右舷側に同時して再び旋廻すること能はず。
又砲塔内部は防水鍔及揚弾機右砲駐退機を破損し、激動したる空気と砲丸炸裂の発生瓦斯の為め一時真暗となる。
重 傷 伏見宮殿下以下五名
軽 傷 八澤砲塔長以下十三名
然して塔内は鮮血迸り凄惨を極む。 指揮官少佐の宮は此の時胸部に打撲傷を負れ、軍服右袖及ヅボンの大腿部より膝下に至るまで甚しく裂け、軍帽、望遠鏡等は破損し、宮殿下には火薬瓦斯のため圧迫を受けさせられ、戦時治療所に当てられたる下甲板中部ネツチング上百度以上の所に板を敷きて一般兵員と共に御休みあらせらる。
午後六時過敵三十糎巨弾兵員病室に命中、中甲板を貫通し反対側にて炸裂し径約一米半の破孔を生ず。 此の際下甲板に整列し防火の命を待ち居たる機関科防火隊員十四名中戦死二名、重傷五名、軽傷六名を出す。
牛後六時半頃敵十五糎弾前艦橋セマホア信号機に命中炸裂し、前艦橋左舷甲板の一部其の他海図室附近を破壊す。
戦 死 藤瀬航海士以下 十一名
重 傷 植田参謀外一名 (植田参謀佐世保海軍病院入院後死亡)
軽 傷 伊地知艦長以下二名
危い哉、此の時コンパスブリツチにて東郷司令長官を初め島村参謀長其の他の参謀及伊地知艦長等八名相集まりて敵状を観望しつゝありし際なり。
伊地知艦長の傷は膝下に弾片突入し鮮血淋漓たるも、従容として看護手を呼び其の傷にて仮繃帯をせしめ、艦の指揮を継続せられました。
同時刻頃敵三十糎巨弾中甲板参謀長室と士官室との隔壁に命中炸裂、同室を粉砕す(死傷者なし)。
午後七時頃敵の巨弾左舷兵員厠を貫通、掌帆要具庫、潜水器格納庫を破損す。
重 傷 四名
軽 傷 六名
同七時過敵十五糎弾十四番八糎砲々楯に命中爆発し、其の上部を切断し砲身を墜落せしめ、後方にありたる準備弾薬約二十発を誘発せしめ、附近上甲板は凹陥の上部にありし第三カツターを粉砕し揚艇機大破して砲員を全滅せしめ、身首を辨せざるもの多数ありました。
戦 死 澤本候補生以下四名
重 傷 小山田水雷長以下十二名
軽 傷 六名
にして実に此の一弾にて二十二名の死傷者を出しました。
同時刻頃敵十五糎弾十番十五糎砲廓上部に命中貫通し、砲廓内に墜落し重軽傷五名を出しました。
午後七時半頃敵十五糎弾十四番十五糎砲砲門下部六吋鋼飯に命中炸裂し、砲門の下縁及側方を内方に屈曲せしめ、弾片は砲各部を破壊し、尚ほ弾片の一個は砲廓天上を通過せる士官厠の鉄管を破り糞汁上方よリ漏れ、砲員は背頭より汚物を被りたるも躊躇することなく発砲を継続し、戦闘緩なるを見て漸く応急処置を採りました。
此の戦闘中後部三十糎砲発射不能と在りました為後部の弾丸を前部砲塔に移すことゝなり、上甲板八糎砲員十二三名にて後部三十糎弾庫より前部三十糎弾庫迄数十分の間に十一発運搬しました。
又後部砲塔右砲二番砲手二水百坂清助は、戦闘半に尾栓腕毀損して之を交換することゝなり栓腕軸も同時に交換する必要を認められしが、該栓腕軸は砲塔弾庫に格納しありしを彼は直に弾庫に下り、単身該軸を担ぎ砲室に昇り来り一同を驚嘆せしめたり。
之等は何れも平時に在りては到底出来得ざる作業なるも、斯る場合には何程力が出るものか想像が出来ません。
斯くては八月十二日、戦死者藤瀬中尉以下三十一名を裏長山列島海浜に於て火葬に附し、翌十三日上甲板後部に祭壇を設け荘厳に戦友の英霊を慰めたり。



