2011年04月21日

『艦船乗員の伝統精神』 − (13)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第二章 海上作業の要訣 (承前)

 又下士官兵の日常作業を見るも、只形式に流れ、或は無意味に行なって不思議にも思って居らぬ例が甚だ多い。

 例えば、滑車の 「フック」 に安全止 (ラシン) 一つやるにしても其の目的は 「フック」 の開かんとする弱点を補う為にやるのか、又 「ブロック」 の跳躍を防止する為にやるのか、何の区別もなく只安全止をやれと言うからお座なりにやるに過ぎない。

 尚重大なる作業に於て、安全を期する為には 「フック」 の代りに鉄枷又は縫着を必要とすることも考えるだにせぬと言う状況にして、多くが形式に流れ或は形式をも知らず、遂には之を軽視し単に常識として片附くるに過ぎない。

 故に如何に簡単なる作業と雖も之を軽視することなく、常に運用術の本義に添う如く教え導き、乗員をして正しき作業を履行せしむることが術力向上の大切なる要件である。

 先年も長江で坐州した 「浦風」 を引卸すとき浮標索を附せずして錨を失い、又は新品の六吋及び五吋鋼索を解くにも、教範通りに行えば簡単に済むものを、只持寄りの常識にて行ない、「浦風」 の甲板上を大きく廻しても其の撚れ甚しく、遂に作業を甚しく遅延せしめたりと言う報告が救難隊指揮官より来て居る。 (注1)

 又先輩はこういうことを言っておる。

 海軍には自分の仕事を曲りなりに何うかこうか行なってゆける人は随分沢山あるが、十分なる余裕を持ち絶対安全に然も経済的な遣り方をする人は甚だ稀であって、其の原因は何処にあるかと言うに、

 (1) 注意と研究の足りないのに万事を安く見縊ること。
 (2) 経済の観念の足りないこと。
 (3) 自信なく常に 「ダロウ」 と言う曖昧な考えで作業に当ること。
 (4) 小事と見ては侮り、大事に会して怖れること。

 の四つに帰するものと教えて居る。

 要するに、運用作業は安全と経済とを離れては全く価値の無きものにして、如何なる作業に対しても心の準備を確かりとして置けば、当面の変化に応じ臨機応変すらすらと仕事が捌けると言うのであって、所謂、「運用の妙は一心に在り」 とは此の辺の妙諦を謡ったものと思う。
(続く)

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(注1) : 例えば、昭和9年に制定された 『運用作業教範』 (達149号別冊) では次の様に規定されています。


    「 第484 新しく受入たる鋼索を解くには枠入のものは枠の中心に心棒を通し軸受に載せて枠を廻転しつつ索端より引出し環状のものは麻索と同一方法に拠るか或は其の環状の儘転がしつつ解くものとす 然らざれば 「キンク」 を生じ又は過度の撚を与え若くは撚を戻し遂には処置に窮するに到るべし 」

本項での事例は、まさにこの手順を遵守しなかったがための典型的なものです。



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2011年04月17日

『艦船乗員の伝統精神』 − (12)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)


  第二章 海上作業の要訣

 運用作業の技倆方法等に関しては運用作業教範に明示してあるを以て之を略し、本項に於ては海上勤務者として作業遂行上特に必要と認むる注意事項を説明せんとす。

 前章に述べし如く、運用作業は海員の常識とのみ考え研究努力を怠る結果、著しき進歩も無く再三同様の失敗を繰返して居るに過ぎず。 然らば、艦船乗員は果して運用術の常識があるかと言うに、到る所に非常識とか海員の無智とか言う問題が曝露されて居ることを遺憾とする次第である。

 昭和2年某戦艦に在職の頃、佐世保軍港にて前後繋留をなせし時、当直将校数人に対し次の様な質問を試みたことがある。

 (問) 正横後4点より強風が来て艦尾繋留索が切断せば如何なる処置をとるか。
 (答) 船は風力に依り自然に回頭して風に立てて置きます。

 右は陸上の人の常識であって、船乗としては甚しい非常識である。 艦長に代わって船の保安を双肩に担った当直将校の回答としては驚かざるを得ない。 直ちに荒天処置に対する注意を申継簿に加えたことがある。

 即ち、斯る時艦尾索が切断すれば艦は一旦前方に圧流せられ、艦首材を以て繋留錨鎖を挟むか或は錨孔 (又は索道) にて錨鎖に急折作用を起し、錨鎖は艦の 「モーメンタム」 に耐えずして切断の虞あること前例に徴して明かなり。

 故に艦尾索が切断するや機を逸せず前部の繋留錨鎖を縮める暇なき時は増舫索 (ましもやい) を縮め、艦首が風向に立つに及んで徐々に之を伸して錨鎖に負担せしむるのが普通である。

 本件は簡単なる如く見ゆるも、実際に処しては相当に困難なる作業にて、不断の研究に基き心の準備無くんば、徒らに狼狽するに過ぎないと思う。
(続く)
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2011年04月12日

『艦船乗員の伝統精神』 − (11)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第九節 外力の征服

 海上勤務者にとり特に考慮を払わざるべからさることは、外力の影響なり。 之の研究予測の不用意に依り折角の按劃も徒労にきし、或は図らざる危険を惹起したる例尠からず。

 故に海上勤務者は、風潮波浪等に対する不断の研究と体得とに努め、常に之等を征服し得る信念を保持すると共に、更に進んで之を有利に活用する域に達することが肝要である。

 艦艇の横付、又は発着等に際し、外力の影響を利用すれば操縦も作業も極めて容易なるに拘らず、反って外力に征せられて種々の困難を生起し或は危険に瀕すること多きは、吾人の常に耳目にするところであって、短艇にて綱索一本運搬するにも風潮を利用すれば作業極めて容易なるが如し。

 尚外力の利用に伴い凡ゆる物の活用に努め、作業を有利に展開せしむることは吾人の日常考研し置くべき緊要の事項にして、之を等閑に附する結果、応用も進歩も低下し、海上独特の運用妙味を発揮する能わざるに至る。

 例えば、風潮の順なるとき浮標に繋留せんとする際、先づ投錨して艦を自然に回頭し、然る後舫索をとれば作業極めて容易なるに拘らず、投錨を無精し、派手な繋留を企図したる結果多大の時間を浪し或は艦を危険に導くと言う例甚だ多きは、物を活用し外力を利用すると言うことを忘れるからである。

 外力の征服並びに活用に関しては、吾人の常に研究実行を必要とすること勿論なるも、技倆以上に之が征服を企図することは、大切なる軍艦を取扱う吾人にとり更に考慮を要すべきことである。

 例えば、猛烈なる逆風に入港し、自信なくして出船に繋留を企図し回頭中、他艦に圧流の危険を醸成するよりも、沖合いに投錨して入港を見合せ、或は一旦入船に繋留し置き、天候恢復の後港務部等の助力により出船に繋留換えをなす方、遥に優れるが如し。

 又偉大なる外力に際会し之に逆うことは吾人の最も警戒を要すべきことにして、徒らに船体船具を毀損し、或は人命を失い、或は艦自体を危険に導く等被害多くして得るところなし。

 彼の漁船が荒天中船首より錨及び錨鎖を垂らし、汽機を停止し、波のまにまに漂泊し安全を期し得る所以は、外力に抵抗せざる為にして、艦船に於ても 「シーアンカー」 の有効なることは経験より立脚し昔より伝えられたる緊要の教示なるも、近代之等を顧みず研究実行の途に出でざるは、最も遺憾とする所なり。
(続く)
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2011年04月09日

『艦船乗員の伝統精神』 − (10)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第八節 実務主義と理論主義

 運用術は特に実務を重んずることは誰しも承知のことなるも、動もすると実務即ち船乗の常識として片附ける結果、理論的方向を放擲し、徒に実務万能主義に傾くは最も考慮すべきことなるが、又一方理論に偏して実務を軽視することは其れ以上慎むべきことである。

 要は、「実地実物に当り理論を消化し、理論に従って実務を処理する心掛緊要なり」 と言われている通りなり。

 故に海上勤務者は、常に学理を経とし、経験を緯とし、凡ゆる場合の感を養い置き、咄磋の場合適切なる処置を講じ得る如く技倆の修練を要するのである。
(続く)
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2011年04月05日

『艦船乗員の伝統精神』 − (9)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第七節 信頼と過信

 本項は説明の限りにあらざるを以て、之を人と物との2つに分かち先例を挙げて注意せんとするものなり。

 部下を信頼して使い、人に信頼することは大切なることなるも、之等を過信して禍を醸したる例は非常に多い。

 大正12年某駆逐隊司令が信号兵の言を過信し確かめざりし結果、衝突事件を惹起したる例あり。

 大正年間の終わり頃、軍艦 「伊勢」 が館山に入港の際、測鉛手の測深を過信して深海に投錨し、錨鎖を切断し数人を殺したる実例あり。

 又艦長が航海長を過信して坐礁したる例は甚だ多く、之と反対に航海長が艦長を妄信して坐礁せる例もある。

 大正13年軍艦 「朝日」 が菅島水道で坐礁したのは、航海長が所要の提言を為さず、艦長に対し妄信の結果が一因とされて居る。

 大正12年 「尻矢」 がホノルル入港の際桟橋にて怪我し、翌年 「北上」 が長江に於いて接触し、更に 「鶴見」 がタラカンにて触礁した。 之等の部類は水先人の技倆を過信したことが失敗の原因とされて居る。

 又大正14年某駆逐艦は嚮導艦長の技倆を過信し、艦位の測定を怠り、周到の注意を払わざりし結果、触衝事件を惹起して居る。

 之に反し、大正7年 「天津風」 は三番艦として航行中、艦位に対し不安を抱き、艦長として当然為すべき注意と警戒を怠らざりし結果、一番艦、二番艦相次いで坐礁したるに拘らず其の危機を脱し得たりと言う。

 次に、海図又は測程儀、測距儀等を過信して坐礁したる例は、吾人の度に耳にする所にして、某特務艦が徳山桟橋に横付の際、測距儀を過信したる結果行脚過大にして遂に船体を損傷し、又之に反し、大正14年 「矢矧」 が 「神宝丸」 を両断破砕したるは、目測を過信して何等の処置手段を講ぜざりしに因るものと言う。

 何れも海上勤務者として反省すべき問題なりと思う。
(続く)
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2011年04月03日

『艦船乗員の伝統精神』 − (8)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第六節 慣熟と油断

 運用術は日常遭遇する各種の状況を消化し、万遍なき苦心と修練を積み、漸く慣熟の域に達するものなるが、慣れて油断する者には怪我多く、初心者に却って過失の少ないと言うことは、昔から度々注意されて居ることで、無経験者必ずしも失敗あるに非ず、経験者とて油断すれば却って失敗を招く、要は何事を為すにも注意周到に緊張してやると言うことである。

 英国では航海の Sea Term として three "L"s と言うものがある。

    1. Look Out    2. Log    3.Lead

 吾々が船を取扱うにも、常に 「慣れても初心者なれ」 と言う訓言を守り驕慢を慎むと共に、虚栄心を起さざる様留意すること肝要なり。

 「天狗は芸の行き止まり、生兵法は大怪我の源」 と言うことも艦船操縦者にとりて味合うべきことである。

 昭和2年某船が長江に於て外国船に触衝したのも、自己の経験を過信し、無理をして他船の潮上に回頭を企図したことが主因とされて居る。

 大正13年寺島水道付近に於て某駆逐隊は三隻とも触礁又は坐礁した事件があるが、之れは慣れて居る海面の油断から来たものと言われておる。

 昔から、「同じ航路も初航路」 と教えられておる。 又 「保安に手加減は、保安の万全を期する所以にあらず。 常に万全を期することが保安の第一義なり」 とも言われておる。

 河野左金太少将 (海兵13期) は、「狭い水域で気を暢ばし、広い海面では警戒せよ」 と諭されておる。 要は油断なく而も虚心担懐なれと言うことであると思う。
(続く)
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2011年04月01日

『艦船乗員の伝統精神』 − (7)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第五節 沈着と機敏

 総て作業を行う場合、指揮者は常に沈着に構え、心を冷静に保たなければならないが、之が為率先窮行の敏捷性を欠き、或は勇断決行の機を逸しない様特に注意を要する。

 蓋し、海上作業に於ては、巧緻と言うよりも拙速を尚ぶ場合屡々起こり、あっと言う間に取返しのつかない様な事態に陥ることが多いからである。

 又妄りに拙速に近寄り過ぎると当然踏むべき手順を省略し、遂には運用術の常規を脱し、往々不慮の災禍を招くことあり。 之れ亦注意を要することである。 殊に兵に対しては、日常機敏性に対し充分の訓練を進め置く必要あり。

 昭和10年の春、軍艦 「神通」 が編隊航行中、無線通路にある糸屑が自燃し発火を起し、「テレモーターパイプ」 が熱して、舵故障となり列外に出づるの己むなき状況に至れり。

 此時総員配置に就け消火に努めたりしも、通路入口の狭さと有毒瓦斯と煙の為、誰が行っても火を消すことが出来ない。 此の時運用科の先任下士官は率先其の難に赴き一人にて消し止め得たと言う。

 又別に後部の倉庫にて吊光弾が燃焼を始めたる時、甚しい有毒瓦斯と濃煙とにて誰も手の下し様なかりしが、此の時も其の下士官は率先飛込んで行って毛布を以て燃えている箱を包み海中に投棄し、大事に至らずして事済みたりという。

 之等は沈着にして機敏なる適例にして、天性もあらんが平素の修練が然らしめたるものと思う。 乗員に対する貴重な教訓であると思う。
(続く)
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2011年03月30日

『艦船乗員の伝統精神』 − (6)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第四節 綿密と大胆

 事を為すに当り綿密に計画することは大切な要件なるも、海上に於ては天象気象の変化其の他種々状況の推移に依り、切角の計画も予測に反し屡々以外の経路を辿ることがある。

 斯る場合、如何なる変転万化にも直に応じ得る準備と覚悟は船乗にとりて最も必要のこととされて居る。 先輩は次の様に教えて居る。

 「計画は細心にして実行は大胆なるべく、所謂尽人事俟天命の心境に在るべし」

 即ち、船を操縦する場合には、あらゆる計器の善用に務め、風潮其の他に対しても綿密に計画を立つるも、いざ実行となれば目先に応じて大胆にやれと言うことにして、唯漫然と根據なき感に支配されてやるのは大胆ではなく、無精と言うものにして、船乗には禁物であると言うことを戒められたものと思う。

 大谷中将は 『運用漫談』 に斯う説かれておる。

 船を毀したり坐礁させたりする原因は、
    (1) 事前にぼんやりしていること。
    (2) 危険に臨んで泡を喰うこと。
    (3) 事の起るや狼狽して如何に之に応ずべきかを知らざること。

 錨作業又は曵船、被曵船等の作業に於ても、事前に綿密なる計画と準備なき時は順当に行って居る間はよいが、一旦予想外の事が起こると狼狽して為すことを知らざると言うことになる。

 又知らざるは大胆とか言い、危険に瀕して居っても気が付かず、平気で行なっているものもある。 之は無鉄砲と言うべきである。
(続く)
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2011年03月28日

『艦船乗員の伝統精神』 − (5)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第三節 熟慮断行と即断即決

 何事を為すにも熟慮して後断行せよとは、吾々の昔から教えられて居るところなるも、海上勤務者にとりて更に必要なことは即断即決である。

 之れは艦の航泊を論ぜず当直将校の寸時も疎かにすることの出来ない問題であり、又余程修練を積みたる人と雖も非常に困難なる場合が多い。

 熟慮断行に就て、運用作業上注意されておることは、凡そ事を為すに当たっては先づ研究に依り素養を作り、深き自信を以て着手の好機を選び、一旦熟せば全力を傾注して作業を断行すべしと言われている。

 然るに此位にして置けば出来るだろうかとか、やって見ればどうにかなるだろうと言う様な曖昧な態度にては概ね失敗を招くに至るべし。

 然れども、吾々海上勤務者の心掛て居らなければならぬことは、熟慮を許されない面も大切なる場合が多いと言うことである。

 即ち、霧中航行中の行遇艦とか水道通過又は編隊航行中の舵機故障とか、小にしては溺者の救助に至るまで日常即断即決を要求する場合は枚挙に遑なき程生起するものである。

 而して即断即決と言うことは、不断の研究熟慮に基づき修練競られたる自信力があって初めて成し遂げられるものにして、熟慮断行を為し得る人にして其の資格ありと言うを得べく、然らざるものは仮令甘く成功してもそれは 「当りぼっけ」 と言うものである。

 例えば、水道通過に際しては運用長は予め海図により水路や水深を能く研究し、応急投錨の処置を頭に描いて居ってこそ舵機故障 「錨入れ」 の号令があっても即断即決、錨鎖を伸すか其の侭止めて錨鎖を引摺るか適当なる処置を講じ、船を救い得るものにして、寺島水道の真中等で投錨したところで百米もある水深故只錨を捨てるか人を怪我させるかに過ぎないのである。

 又昭和5年 「阿武隈」 と 「北上」 が衝突せし如く、横陣の編隊航行中隣艦が舵機故障を起こして衝突して来たような場合、前々より自艦並に僚艦の突発的事件に対し常に之に即応し得る腹案があってこそ、即断即決、克く其の急を救い得らるるのである。

 大正14年一水戦の夜間発射運動中駆逐艦 「桂」 と 「萩」 は突然四点 (45度) 百米の近距離に出合せしとき、衝突を免れて触衝し僅かの損傷にて事済みたる如きは両艦長の危急に対する心の準備充分にして即断即決の処置適切なりしに依るものにして、平素の経験と修練とに依り自艦を救い得たるものと認む。

 従来、艦船擱岸坐礁等の状況を調査するに、其の多くは坐礁して始めて其の処置を考えるか、或は周章狼狽為すところをしらざるもの多きは、甚だ遺憾とする所にして、『運用作業教範』 第四章 擱岸坐礁処置法に明記しある通り、砂なれば何う、岩なれば斯うと平素よりの研究を積み、心の準備ありてこそ即断即決、適切なる処置を講じ得るものと信ずる。

 例えば、昭和9年某駆逐艦が岩礁に坐礁せしとき、驚いて直に後進原速を令し、推進器を坊主にしたるが如きは即断即決にあらずして、夢中無暴というべきではあるまいか。 又最近 「浅間」 が坐礁せるとき、若し直に離礁したりせんか、沈没は免れ得ざりしものと思う。

 要するに、海上勤務者は平素より各種の突発的事態に即応する研究を怠らず、仮令小事なりと雖も克く之れに善処し得る如く修練を積み置き、事に当たり動ぜず、立所に之が対策を定め躊躇逡巡することなく機宜善処し得る用意あることが肝要である。

 先輩は教えて曰く、「急に処し、拙速を尚ぶ真意は小の虫を殺して大の虫を生かす所以なり」 と。

 例えば、錨泊中荒天に際会し錨鎖を伸しても艦の絶対安全を期し難き様な場合には、泊地の広狭に論なく直に出港するのが万全の策にして、斯る際躊躇して其の好機を逸せんか、遂には救うべからざる窮境に陥るのは当然である。

 又斯る場合、揚錨又は捨錨の遑なき程危機切迫せば、錨を引摺りながら仮令錨鎖の切断を堵しても断然出港して大の虫を生かすに如かざるなり。
(続く)
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2011年03月25日

『艦船乗員の伝統精神』 − (4)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第二節 基本的型式の超越

 運用術は其の範囲広範千変万化にして、一定の方式に限定することは出来ないが、各種の作業に応じ古来幾多の経験に立脚して大凡軌を一にする型式があるものである。

 海上勤務者は平素之に依り基本の修得に努め、常に正して作業を遂行し、安全にして而も効率ある成果を収めなければならない。

 然れども、時に依り状況に応じては毫も型式又は習慣等に捉われることなく、或は原則をも破って敢行する用意と覚悟とが必要である。

 「兵に常勢なく水に常形なし、能く敵に因って変化す」 とは船に操縦する教訓として伝えられたるものなり。

 又衝突予防法に規定せらるる権利船と義務船との関係も結局は衝突防止上定められたる法式ではあるが、状況に依りては其の規定に依ることの出来ない場合もあり、相互が之を適切に運用して始めて価値を生ずるものである。

 尚一例を示せば、艦船が浮標繋留中、錨を投下する場合は浮標下の枝錨鎖を拘束せざる様投錨せよと戒められて居るも、荒天に際し繋留錨鎖が切断せる如き場合には之等の常例を破り迅速に反対錨を投下し、反て枝錨に引懸けた方が船の繋駐力を増大して安心なりと言うことになる。

 要するに運用術の妙諦は、唯型式に捉わるることなく 「当面の状況に即し臨機応変最善の仕事を達成するに在り」 と言われておる通りである。
(続く)
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2011年03月24日

『艦船乗員の伝統精神』 − (3)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)


  第一章 海上勤務の特殊性

 海上勤務に必要なる特質は、陸上に於けるものとは大いに其の趣きを異にし、海上独特の味合を有し、又修練を積まねばならぬ事項極めて多い。

 即ち、陸上における各種訓練は其の号令に於ても、亦操作にしても、常に劃線的気分と表現とを要求し、恰も 「スチールバー」 を聯想する如きこと多きも、海上に於ける作業は寧ろ 「スチールワイヤー」 式にして、柔にして剛、緩にして急を要求する場合多く、常に円滑にして角の無い号令と操作とを必要とするのである。

 例えば、一艦の危機に際会し急速大角度の転舵を要する場合に於ても、努めて尖鋭急激なる口調を避け一層落着たる態度を以て抑揚正しく円滑明快なる号令を下し、操舵員をして常に変わり無き操作を行なわしむる所に重大なる使命を有して居る。

 又短艇揚げ方に於ても、水切りは急に、終末は緩に、「弛め」 は静かに、「放て」 には急を要する如く玩味する程海上独特の興味を喚起するものにして、吾人は平素より之等の研究を等閑に附することなく、益々其の長所を伸ばすことに心懸けざれば、遂には艦内の号令も亦号笛の吹奏も無味乾燥に堕し、千変一律となり、随応随変の美風を滅亡せしむるに至るのである。

 殊に海上勤務者の特質として、今日迄先輩が遺されたる左記精神は、誠に貴重なるものにして一面矛盾する如き観ある所に価値あるものにして、克く其の本質を極め、常に之が修練を怠らず、事に臨み変に応じ、万遺憾なきを期さなければならない。


    第一節 注意力の特殊涵養

 古来、「注意力を集中せよ」 の金言は吾等の遵守すべきところなるも、海上に於ては、或る一事に注意力を集中する結果、他に欠陥を生じ思わざる危険を醸成したる例尠からず。

 故に海上勤務者は、四周万遍なき注意力の特殊涵養に努むると共に、分散式にして而も充分なる警戒力を保有しあるを要す。 故に先輩は教えて曰く、「注意は周密にし思慮を八方に配すべし、一事に心を奪わるる勿れ」 と。

 大正13年 「43号潜水艦」 が軍艦 「竜田」 と衝突沈没し、全員殉職の悲運に至りし其の主因は、襲撃目標に対し注意を傾注し 「竜田」 の行動並びに四周に対する警戒を疎かにしたる為なりと言う。

 其の他、或る一方、或る一事にのみ心を奪われ、衝突、触衝、坐礁等の例極めて多し。 殊に近時は視界狭小なる海面或は夜間訓練等に於て、各艦互いに高速無燈、而も不覊なる運動を敢行せざるべからざるを以て、操艦の任に当りしものは克く其の情況を知悉し、周到なる注意力を四周八方に配るにあらざれば、突発的事項に対し万全を期することは出来ない。

 右は、艦の保安に関することのみならず、日常の運用作業に於ても常に修練を疎かにする能わざるものにして、例えば、艦の動揺甚しき際 「メーンデリック」 (注1) を使用し機動艇を揚卸中、艇の状態にのみ気を奪われ 「ポルチェース」 (注2) の 「ツーブロック」 (注3) に気付かざりし結果、艇を堕落せしめ人命を損傷したる例あり。

 即ち 「運用の眼は八方に在るべし」 とは、誠に海上勤務者の味あうべき金言である。
(続く)

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(注1) : main derrick  デリックとは重量物を吊り上げて移動する荷役装置のことで、マストに取り付けられたものをメインデリックといい、艦船における典型的な構成例は下図のようなものです。


main_delick_01_s.jpg
( 「海軍兵学校運用術教科書」 より )

(注2): purchase  引き揚げ用滑車のこと。


(注3): two block  巻き揚げ索を引きすぎて上下2つの連繋した滑車が接触した状態になること。


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2011年03月23日

『艦船乗員の伝統精神』 − (2)


『 艦船乗員の伝統精神 』

 本書は先輩の教訓、講話等を熟読玩味し其の主旨に基きて本資料を纏め昨年度本府准士官以上に講演したるものにして、我海軍の伝統的精神 (良風) を明かにし、海上に生起する各種の事故を未然に防止し、併て艦艇の威容、乗員の躾等に関し常に厳正を保持せしむる目的に過ぎざるも、内容杜撰にして物足らず、先輩の遺されたる精神を徹底し得ざるを遺憾とするものなり。 希くば之を一段階とし将来更に改正増補を加え、海上勤務者の良参考書に更新せられんことを臨む。

     昭和12年1月

            海軍大佐  坂部 省三

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  緒  言

 吾々は、常に船乗の伝統精神と言うことを耳にするが、従来之に対して纒った文献も無く、一体何を指して伝統精神と謂ふのか誠に判断に苦しむ所あり。 茲に述ぶる内容も或は的を外れたる点なきにしもあらずやを憂ふる次第なり。

 然しながら昔より先輩の遺されたる各種の教訓、又は講演の資料等を熟読し其の精神を玩味すると、概ね落付くところに落付く如く認めらるるを以て、甚だ僭越ながら述べたいところを忌胆なく述べて見たいと思う。

 即ち海軍士官には特別に修練を要する精神がある。 此の修練は海上生活者として一日も疎かにすることを許さざるものにして、之を無視しては何遍でも同じ失敗を海上に繰返すと言うのである。 之を仮に海上勤務の特殊性と名付け、第一章に於て運用、航海術に関する範囲を以て述べたいと思う。

次に、海上に於ける大小各種の作業を実施するに当りては、古来幾多の教訓あれども、就中安全と経済とを離れたる海上の作業は其の価値極めて小なり。 之を海上作業の要訣として、其の要点を第二章に述べたいと思う。

 第三章は、艦船乗員の伝統的良風として艦の威容並に勤務と躾との二項に就き、先輩より口八釜しく教えられ戒められ来った吾々の心得とも嗜みとも称すべきものにして、吾海軍に於ても或期間甚だしき時代思想に捉はれ、艦船勤務の上下黙認或は暗示、放念等に流れ戒むべき所を戒めざりし積弊の余波が今日に及び、動もすれば貴重なる伝統的精神の忘れられんとすることを慮りて、茲に揚げたるものである。

 昭和9年10年に跨り、井上 「比叡」 艦長 (茂美、海兵37期) より運用術の堕落衰微に関し再三御注意を受けたことは未だ耳新しいことである。 曰く、

 「久振りにて軍艦に乗って見ると、例えば士官でも下士官でも銃口の位置の悪いのは矯正するが、短艇員の爪竿の取扱が間違っておるのを指摘し注意する者が一人も無い。 短艇を卸すにしても短艇索につく水兵の姿勢は見られたもので無い。 万事が此通りで金物一つ完全に磨けない。」

 運用術と言うものは其の範囲極めて広範にして、上艦長より下兵卒に至るまで総てが弁へねばならぬものであると言うことは誰しも承知して居るが、自分は船乗であると言う十分なる自覚の無い以上、只之を単なる常識として片付けて研究も努力もせず、自然指導も疎かになり、段々昔よりの遺風も戒めも薄らぎ遂には非常識の船乗が沢山殖へると言うことになる。

 極く最近に於ても、「浅間」 や 「浦風」 が坐礁し、又潜水艦の短艇が一度に二隻も沈没して艦長が溺死したこと等、例年繰返しつつある運用航海に関する各種の事故頻発は勿論、大にしては昭和11年聯合艦隊が寺島水道に於て際会せる荒天には大被害と大混乱を惹起して居る。 其の他の小事故は毎日幾つとなく繰返されつつあることと思う。

 大谷中将は 「運用の妙は一誠に在り」 と言われたが、此の至誠さえあれば艦上に住むものにとっては四六時中考えれば考える程、見れば見る程、心を用いなければならなぬことが目の前に一杯展開して居るので、運用も躾もつまらないものだと考える様な人があれば、其れは畢竟至誠が無いからであり、又心眼が開かれて居ないからであって、海軍軍人とは名ばかりであって陸軍軍人も余り変りない人であると言うことになる。

 苟も海軍軍人と銘を打たれ軍艦に乗って戦争をする以上、仮令如何なる術科の専門家にせよ、又如何なる配置にある人にせよ、平素より此根本精神が緊要にして、若し之を誤り本末顛倒の考えを持って居る人が集まったとすれば、其の海軍は到底戦争には勝てないものであると言われたことは、昔からの伝統精神の根底をなして居るものと信ずる。
(続く)
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2011年03月22日

『艦船乗員の伝統精神』 − (1)

 連載の開始に当たって

 先の大谷幸四郎元海軍中将の 『運用漫談』 に続き、これから連載を致します 『艦船乗員の伝統精神』 は、坂部省三氏 (海兵37期、海軍少将) が昭和10年に横須賀鎮守府付となったのを機会に纏められたもので、昭和12年に横須賀鎮守府より全海軍に配布されたものです。

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 坂部省三氏については馴染みのない方も多いと思いますが、海兵37期卒 (明治42年)、以後一貫して運用畑を歩み、大尉の後半からはそれに関連して運用術練習艦 (後、練習特務艦) となっていた 「富士」 「春日」 の運用長や兵学校教官などの教育畑を多く経験した後、昭和7年には 「富士」 特務艦長を務めました。

 昭和10年に横須賀鎮守府付となり、同12年には海軍少将、予備役編入となりましたが、この辺の経歴をみると、どうも途中で体を悪くされたような気がしないでもありません。

 本史料が書かれた経緯及び主旨については、巻頭言及び緒言に述べられておりますので省略しますが、艦艇の運航、海上作業等において、基本として守らねばならない古くからの教えが網羅されており、いわゆる 「シーマンシップ」 について非常によく纏められています。

 今から70年以上も前のものであるにも関わらず、読み返す度に現在の船乗りにとっても耳の痛い内容ばかりで、今日でも 「シーマン・シップ」 教育のための最良の資料の1つです。 是非とも現役の海自幹部諸官には熟読をして貰いたいものです。

 また、一般の方々にとっては 「海上勤務」 というものがどの様なものなのかをご理解いただくための恰好のものと考えます。 どうか、船乗りになったつもりでじっくりと味わって下さい。

 なお、ここで掲載いたしますものは、もう20年ほど前、私が 「はるな」 砲雷長時代にワープロで起こして第3護衛隊群内に配布したものからです。

 カナをひらがなに、一部の旧字を新字体に直し、適宜句読点を加え、段落を整えておりますが、それ以外は原文のままです。 もしかすると、誤字・脱字が残っているかもしれませんが、その場合はご容赦をお願いいたします。

管理人 桜と錨
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