2011年03月22日

『艦船乗員の伝統精神』 − (1)

 連載の開始に当たって

 先の大谷幸四郎元海軍中将の 『運用漫談』 に続き、これから連載を致します 『艦船乗員の伝統精神』 は、坂部省三氏 (海兵37期、海軍少将) が昭和10年に横須賀鎮守府付となったのを機会に纏められたもので、昭和12年に横須賀鎮守府より全海軍に配布されたものです。

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 坂部省三氏については馴染みのない方も多いと思いますが、海兵37期卒 (明治42年)、以後一貫して運用畑を歩み、大尉の後半からはそれに関連して運用術練習艦 (後、練習特務艦) となっていた 「富士」 「春日」 の運用長や兵学校教官などの教育畑を多く経験した後、昭和7年には 「富士」 特務艦長を務めました。

 昭和10年に横須賀鎮守府付となり、同12年には海軍少将、予備役編入となりましたが、この辺の経歴をみると、どうも途中で体を悪くされたような気がしないでもありません。

 本史料が書かれた経緯及び主旨については、巻頭言及び緒言に述べられておりますので省略しますが、艦艇の運航、海上作業等において、基本として守らねばならない古くからの教えが網羅されており、いわゆる 「シーマンシップ」 について非常によく纏められています。

 今から70年以上も前のものであるにも関わらず、読み返す度に現在の船乗りにとっても耳の痛い内容ばかりで、今日でも 「シーマン・シップ」 教育のための最良の資料の1つです。 是非とも現役の海自幹部諸官には熟読をして貰いたいものです。

 また、一般の方々にとっては 「海上勤務」 というものがどの様なものなのかをご理解いただくための恰好のものと考えます。 どうか、船乗りになったつもりでじっくりと味わって下さい。

 なお、ここで掲載いたしますものは、もう20年ほど前、私が 「はるな」 砲雷長時代にワープロで起こして第3護衛隊群内に配布したものからです。

 カナをひらがなに、一部の旧字を新字体に直し、適宜句読点を加え、段落を整えておりますが、それ以外は原文のままです。 もしかすると、誤字・脱字が残っているかもしれませんが、その場合はご容赦をお願いいたします。

管理人 桜と錨
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2011年03月23日

『艦船乗員の伝統精神』 − (2)


『 艦船乗員の伝統精神 』

 本書は先輩の教訓、講話等を熟読玩味し其の主旨に基きて本資料を纏め昨年度本府准士官以上に講演したるものにして、我海軍の伝統的精神 (良風) を明かにし、海上に生起する各種の事故を未然に防止し、併て艦艇の威容、乗員の躾等に関し常に厳正を保持せしむる目的に過ぎざるも、内容杜撰にして物足らず、先輩の遺されたる精神を徹底し得ざるを遺憾とするものなり。 希くば之を一段階とし将来更に改正増補を加え、海上勤務者の良参考書に更新せられんことを臨む。

     昭和12年1月

            海軍大佐  坂部 省三

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  緒  言

 吾々は、常に船乗の伝統精神と言うことを耳にするが、従来之に対して纒った文献も無く、一体何を指して伝統精神と謂ふのか誠に判断に苦しむ所あり。 茲に述ぶる内容も或は的を外れたる点なきにしもあらずやを憂ふる次第なり。

 然しながら昔より先輩の遺されたる各種の教訓、又は講演の資料等を熟読し其の精神を玩味すると、概ね落付くところに落付く如く認めらるるを以て、甚だ僭越ながら述べたいところを忌胆なく述べて見たいと思う。

 即ち海軍士官には特別に修練を要する精神がある。 此の修練は海上生活者として一日も疎かにすることを許さざるものにして、之を無視しては何遍でも同じ失敗を海上に繰返すと言うのである。 之を仮に海上勤務の特殊性と名付け、第一章に於て運用、航海術に関する範囲を以て述べたいと思う。

次に、海上に於ける大小各種の作業を実施するに当りては、古来幾多の教訓あれども、就中安全と経済とを離れたる海上の作業は其の価値極めて小なり。 之を海上作業の要訣として、其の要点を第二章に述べたいと思う。

 第三章は、艦船乗員の伝統的良風として艦の威容並に勤務と躾との二項に就き、先輩より口八釜しく教えられ戒められ来った吾々の心得とも嗜みとも称すべきものにして、吾海軍に於ても或期間甚だしき時代思想に捉はれ、艦船勤務の上下黙認或は暗示、放念等に流れ戒むべき所を戒めざりし積弊の余波が今日に及び、動もすれば貴重なる伝統的精神の忘れられんとすることを慮りて、茲に揚げたるものである。

 昭和9年10年に跨り、井上 「比叡」 艦長 (茂美、海兵37期) より運用術の堕落衰微に関し再三御注意を受けたことは未だ耳新しいことである。 曰く、

 「久振りにて軍艦に乗って見ると、例えば士官でも下士官でも銃口の位置の悪いのは矯正するが、短艇員の爪竿の取扱が間違っておるのを指摘し注意する者が一人も無い。 短艇を卸すにしても短艇索につく水兵の姿勢は見られたもので無い。 万事が此通りで金物一つ完全に磨けない。」

 運用術と言うものは其の範囲極めて広範にして、上艦長より下兵卒に至るまで総てが弁へねばならぬものであると言うことは誰しも承知して居るが、自分は船乗であると言う十分なる自覚の無い以上、只之を単なる常識として片付けて研究も努力もせず、自然指導も疎かになり、段々昔よりの遺風も戒めも薄らぎ遂には非常識の船乗が沢山殖へると言うことになる。

 極く最近に於ても、「浅間」 や 「浦風」 が坐礁し、又潜水艦の短艇が一度に二隻も沈没して艦長が溺死したこと等、例年繰返しつつある運用航海に関する各種の事故頻発は勿論、大にしては昭和11年聯合艦隊が寺島水道に於て際会せる荒天には大被害と大混乱を惹起して居る。 其の他の小事故は毎日幾つとなく繰返されつつあることと思う。

 大谷中将は 「運用の妙は一誠に在り」 と言われたが、此の至誠さえあれば艦上に住むものにとっては四六時中考えれば考える程、見れば見る程、心を用いなければならなぬことが目の前に一杯展開して居るので、運用も躾もつまらないものだと考える様な人があれば、其れは畢竟至誠が無いからであり、又心眼が開かれて居ないからであって、海軍軍人とは名ばかりであって陸軍軍人も余り変りない人であると言うことになる。

 苟も海軍軍人と銘を打たれ軍艦に乗って戦争をする以上、仮令如何なる術科の専門家にせよ、又如何なる配置にある人にせよ、平素より此根本精神が緊要にして、若し之を誤り本末顛倒の考えを持って居る人が集まったとすれば、其の海軍は到底戦争には勝てないものであると言われたことは、昔からの伝統精神の根底をなして居るものと信ずる。
(続く)
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2011年03月24日

『艦船乗員の伝統精神』 − (3)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)


  第一章 海上勤務の特殊性

 海上勤務に必要なる特質は、陸上に於けるものとは大いに其の趣きを異にし、海上独特の味合を有し、又修練を積まねばならぬ事項極めて多い。

 即ち、陸上における各種訓練は其の号令に於ても、亦操作にしても、常に劃線的気分と表現とを要求し、恰も 「スチールバー」 を聯想する如きこと多きも、海上に於ける作業は寧ろ 「スチールワイヤー」 式にして、柔にして剛、緩にして急を要求する場合多く、常に円滑にして角の無い号令と操作とを必要とするのである。

 例えば、一艦の危機に際会し急速大角度の転舵を要する場合に於ても、努めて尖鋭急激なる口調を避け一層落着たる態度を以て抑揚正しく円滑明快なる号令を下し、操舵員をして常に変わり無き操作を行なわしむる所に重大なる使命を有して居る。

 又短艇揚げ方に於ても、水切りは急に、終末は緩に、「弛め」 は静かに、「放て」 には急を要する如く玩味する程海上独特の興味を喚起するものにして、吾人は平素より之等の研究を等閑に附することなく、益々其の長所を伸ばすことに心懸けざれば、遂には艦内の号令も亦号笛の吹奏も無味乾燥に堕し、千変一律となり、随応随変の美風を滅亡せしむるに至るのである。

 殊に海上勤務者の特質として、今日迄先輩が遺されたる左記精神は、誠に貴重なるものにして一面矛盾する如き観ある所に価値あるものにして、克く其の本質を極め、常に之が修練を怠らず、事に臨み変に応じ、万遺憾なきを期さなければならない。


    第一節 注意力の特殊涵養

 古来、「注意力を集中せよ」 の金言は吾等の遵守すべきところなるも、海上に於ては、或る一事に注意力を集中する結果、他に欠陥を生じ思わざる危険を醸成したる例尠からず。

 故に海上勤務者は、四周万遍なき注意力の特殊涵養に努むると共に、分散式にして而も充分なる警戒力を保有しあるを要す。 故に先輩は教えて曰く、「注意は周密にし思慮を八方に配すべし、一事に心を奪わるる勿れ」 と。

 大正13年 「43号潜水艦」 が軍艦 「竜田」 と衝突沈没し、全員殉職の悲運に至りし其の主因は、襲撃目標に対し注意を傾注し 「竜田」 の行動並びに四周に対する警戒を疎かにしたる為なりと言う。

 其の他、或る一方、或る一事にのみ心を奪われ、衝突、触衝、坐礁等の例極めて多し。 殊に近時は視界狭小なる海面或は夜間訓練等に於て、各艦互いに高速無燈、而も不覊なる運動を敢行せざるべからざるを以て、操艦の任に当りしものは克く其の情況を知悉し、周到なる注意力を四周八方に配るにあらざれば、突発的事項に対し万全を期することは出来ない。

 右は、艦の保安に関することのみならず、日常の運用作業に於ても常に修練を疎かにする能わざるものにして、例えば、艦の動揺甚しき際 「メーンデリック」 (注1) を使用し機動艇を揚卸中、艇の状態にのみ気を奪われ 「ポルチェース」 (注2) の 「ツーブロック」 (注3) に気付かざりし結果、艇を堕落せしめ人命を損傷したる例あり。

 即ち 「運用の眼は八方に在るべし」 とは、誠に海上勤務者の味あうべき金言である。
(続く)

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(注1) : main derrick  デリックとは重量物を吊り上げて移動する荷役装置のことで、マストに取り付けられたものをメインデリックといい、艦船における典型的な構成例は下図のようなものです。


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( 「海軍兵学校運用術教科書」 より )

(注2): purchase  引き揚げ用滑車のこと。


(注3): two block  巻き揚げ索を引きすぎて上下2つの連繋した滑車が接触した状態になること。


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2011年03月25日

『艦船乗員の伝統精神』 − (4)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第二節 基本的型式の超越

 運用術は其の範囲広範千変万化にして、一定の方式に限定することは出来ないが、各種の作業に応じ古来幾多の経験に立脚して大凡軌を一にする型式があるものである。

 海上勤務者は平素之に依り基本の修得に努め、常に正して作業を遂行し、安全にして而も効率ある成果を収めなければならない。

 然れども、時に依り状況に応じては毫も型式又は習慣等に捉われることなく、或は原則をも破って敢行する用意と覚悟とが必要である。

 「兵に常勢なく水に常形なし、能く敵に因って変化す」 とは船に操縦する教訓として伝えられたるものなり。

 又衝突予防法に規定せらるる権利船と義務船との関係も結局は衝突防止上定められたる法式ではあるが、状況に依りては其の規定に依ることの出来ない場合もあり、相互が之を適切に運用して始めて価値を生ずるものである。

 尚一例を示せば、艦船が浮標繋留中、錨を投下する場合は浮標下の枝錨鎖を拘束せざる様投錨せよと戒められて居るも、荒天に際し繋留錨鎖が切断せる如き場合には之等の常例を破り迅速に反対錨を投下し、反て枝錨に引懸けた方が船の繋駐力を増大して安心なりと言うことになる。

 要するに運用術の妙諦は、唯型式に捉わるることなく 「当面の状況に即し臨機応変最善の仕事を達成するに在り」 と言われておる通りである。
(続く)
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2011年03月28日

『艦船乗員の伝統精神』 − (5)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第三節 熟慮断行と即断即決

 何事を為すにも熟慮して後断行せよとは、吾々の昔から教えられて居るところなるも、海上勤務者にとりて更に必要なことは即断即決である。

 之れは艦の航泊を論ぜず当直将校の寸時も疎かにすることの出来ない問題であり、又余程修練を積みたる人と雖も非常に困難なる場合が多い。

 熟慮断行に就て、運用作業上注意されておることは、凡そ事を為すに当たっては先づ研究に依り素養を作り、深き自信を以て着手の好機を選び、一旦熟せば全力を傾注して作業を断行すべしと言われている。

 然るに此位にして置けば出来るだろうかとか、やって見ればどうにかなるだろうと言う様な曖昧な態度にては概ね失敗を招くに至るべし。

 然れども、吾々海上勤務者の心掛て居らなければならぬことは、熟慮を許されない面も大切なる場合が多いと言うことである。

 即ち、霧中航行中の行遇艦とか水道通過又は編隊航行中の舵機故障とか、小にしては溺者の救助に至るまで日常即断即決を要求する場合は枚挙に遑なき程生起するものである。

 而して即断即決と言うことは、不断の研究熟慮に基づき修練競られたる自信力があって初めて成し遂げられるものにして、熟慮断行を為し得る人にして其の資格ありと言うを得べく、然らざるものは仮令甘く成功してもそれは 「当りぼっけ」 と言うものである。

 例えば、水道通過に際しては運用長は予め海図により水路や水深を能く研究し、応急投錨の処置を頭に描いて居ってこそ舵機故障 「錨入れ」 の号令があっても即断即決、錨鎖を伸すか其の侭止めて錨鎖を引摺るか適当なる処置を講じ、船を救い得るものにして、寺島水道の真中等で投錨したところで百米もある水深故只錨を捨てるか人を怪我させるかに過ぎないのである。

 又昭和5年 「阿武隈」 と 「北上」 が衝突せし如く、横陣の編隊航行中隣艦が舵機故障を起こして衝突して来たような場合、前々より自艦並に僚艦の突発的事件に対し常に之に即応し得る腹案があってこそ、即断即決、克く其の急を救い得らるるのである。

 大正14年一水戦の夜間発射運動中駆逐艦 「桂」 と 「萩」 は突然四点 (45度) 百米の近距離に出合せしとき、衝突を免れて触衝し僅かの損傷にて事済みたる如きは両艦長の危急に対する心の準備充分にして即断即決の処置適切なりしに依るものにして、平素の経験と修練とに依り自艦を救い得たるものと認む。

 従来、艦船擱岸坐礁等の状況を調査するに、其の多くは坐礁して始めて其の処置を考えるか、或は周章狼狽為すところをしらざるもの多きは、甚だ遺憾とする所にして、『運用作業教範』 第四章 擱岸坐礁処置法に明記しある通り、砂なれば何う、岩なれば斯うと平素よりの研究を積み、心の準備ありてこそ即断即決、適切なる処置を講じ得るものと信ずる。

 例えば、昭和9年某駆逐艦が岩礁に坐礁せしとき、驚いて直に後進原速を令し、推進器を坊主にしたるが如きは即断即決にあらずして、夢中無暴というべきではあるまいか。 又最近 「浅間」 が坐礁せるとき、若し直に離礁したりせんか、沈没は免れ得ざりしものと思う。

 要するに、海上勤務者は平素より各種の突発的事態に即応する研究を怠らず、仮令小事なりと雖も克く之れに善処し得る如く修練を積み置き、事に当たり動ぜず、立所に之が対策を定め躊躇逡巡することなく機宜善処し得る用意あることが肝要である。

 先輩は教えて曰く、「急に処し、拙速を尚ぶ真意は小の虫を殺して大の虫を生かす所以なり」 と。

 例えば、錨泊中荒天に際会し錨鎖を伸しても艦の絶対安全を期し難き様な場合には、泊地の広狭に論なく直に出港するのが万全の策にして、斯る際躊躇して其の好機を逸せんか、遂には救うべからざる窮境に陥るのは当然である。

 又斯る場合、揚錨又は捨錨の遑なき程危機切迫せば、錨を引摺りながら仮令錨鎖の切断を堵しても断然出港して大の虫を生かすに如かざるなり。
(続く)
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2011年03月30日

『艦船乗員の伝統精神』 − (6)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第四節 綿密と大胆

 事を為すに当り綿密に計画することは大切な要件なるも、海上に於ては天象気象の変化其の他種々状況の推移に依り、切角の計画も予測に反し屡々以外の経路を辿ることがある。

 斯る場合、如何なる変転万化にも直に応じ得る準備と覚悟は船乗にとりて最も必要のこととされて居る。 先輩は次の様に教えて居る。

 「計画は細心にして実行は大胆なるべく、所謂尽人事俟天命の心境に在るべし」

 即ち、船を操縦する場合には、あらゆる計器の善用に務め、風潮其の他に対しても綿密に計画を立つるも、いざ実行となれば目先に応じて大胆にやれと言うことにして、唯漫然と根據なき感に支配されてやるのは大胆ではなく、無精と言うものにして、船乗には禁物であると言うことを戒められたものと思う。

 大谷中将は 『運用漫談』 に斯う説かれておる。

 船を毀したり坐礁させたりする原因は、
    (1) 事前にぼんやりしていること。
    (2) 危険に臨んで泡を喰うこと。
    (3) 事の起るや狼狽して如何に之に応ずべきかを知らざること。

 錨作業又は曵船、被曵船等の作業に於ても、事前に綿密なる計画と準備なき時は順当に行って居る間はよいが、一旦予想外の事が起こると狼狽して為すことを知らざると言うことになる。

 又知らざるは大胆とか言い、危険に瀕して居っても気が付かず、平気で行なっているものもある。 之は無鉄砲と言うべきである。
(続く)
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2011年04月01日

『艦船乗員の伝統精神』 − (7)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第五節 沈着と機敏

 総て作業を行う場合、指揮者は常に沈着に構え、心を冷静に保たなければならないが、之が為率先窮行の敏捷性を欠き、或は勇断決行の機を逸しない様特に注意を要する。

 蓋し、海上作業に於ては、巧緻と言うよりも拙速を尚ぶ場合屡々起こり、あっと言う間に取返しのつかない様な事態に陥ることが多いからである。

 又妄りに拙速に近寄り過ぎると当然踏むべき手順を省略し、遂には運用術の常規を脱し、往々不慮の災禍を招くことあり。 之れ亦注意を要することである。 殊に兵に対しては、日常機敏性に対し充分の訓練を進め置く必要あり。

 昭和10年の春、軍艦 「神通」 が編隊航行中、無線通路にある糸屑が自燃し発火を起し、「テレモーターパイプ」 が熱して、舵故障となり列外に出づるの己むなき状況に至れり。

 此時総員配置に就け消火に努めたりしも、通路入口の狭さと有毒瓦斯と煙の為、誰が行っても火を消すことが出来ない。 此の時運用科の先任下士官は率先其の難に赴き一人にて消し止め得たと言う。

 又別に後部の倉庫にて吊光弾が燃焼を始めたる時、甚しい有毒瓦斯と濃煙とにて誰も手の下し様なかりしが、此の時も其の下士官は率先飛込んで行って毛布を以て燃えている箱を包み海中に投棄し、大事に至らずして事済みたりという。

 之等は沈着にして機敏なる適例にして、天性もあらんが平素の修練が然らしめたるものと思う。 乗員に対する貴重な教訓であると思う。
(続く)
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2011年04月03日

『艦船乗員の伝統精神』 − (8)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第六節 慣熟と油断

 運用術は日常遭遇する各種の状況を消化し、万遍なき苦心と修練を積み、漸く慣熟の域に達するものなるが、慣れて油断する者には怪我多く、初心者に却って過失の少ないと言うことは、昔から度々注意されて居ることで、無経験者必ずしも失敗あるに非ず、経験者とて油断すれば却って失敗を招く、要は何事を為すにも注意周到に緊張してやると言うことである。

 英国では航海の Sea Term として three "L"s と言うものがある。

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 吾々が船を取扱うにも、常に 「慣れても初心者なれ」 と言う訓言を守り驕慢を慎むと共に、虚栄心を起さざる様留意すること肝要なり。

 「天狗は芸の行き止まり、生兵法は大怪我の源」 と言うことも艦船操縦者にとりて味合うべきことである。

 昭和2年某船が長江に於て外国船に触衝したのも、自己の経験を過信し、無理をして他船の潮上に回頭を企図したことが主因とされて居る。

 大正13年寺島水道付近に於て某駆逐隊は三隻とも触礁又は坐礁した事件があるが、之れは慣れて居る海面の油断から来たものと言われておる。

 昔から、「同じ航路も初航路」 と教えられておる。 又 「保安に手加減は、保安の万全を期する所以にあらず。 常に万全を期することが保安の第一義なり」 とも言われておる。

 河野左金太少将 (海兵13期) は、「狭い水域で気を暢ばし、広い海面では警戒せよ」 と諭されておる。 要は油断なく而も虚心担懐なれと言うことであると思う。
(続く)
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2011年04月05日

『艦船乗員の伝統精神』 − (9)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第七節 信頼と過信

 本項は説明の限りにあらざるを以て、之を人と物との2つに分かち先例を挙げて注意せんとするものなり。

 部下を信頼して使い、人に信頼することは大切なることなるも、之等を過信して禍を醸したる例は非常に多い。

 大正12年某駆逐隊司令が信号兵の言を過信し確かめざりし結果、衝突事件を惹起したる例あり。

 大正年間の終わり頃、軍艦 「伊勢」 が館山に入港の際、測鉛手の測深を過信して深海に投錨し、錨鎖を切断し数人を殺したる実例あり。

 又艦長が航海長を過信して坐礁したる例は甚だ多く、之と反対に航海長が艦長を妄信して坐礁せる例もある。

 大正13年軍艦 「朝日」 が菅島水道で坐礁したのは、航海長が所要の提言を為さず、艦長に対し妄信の結果が一因とされて居る。

 大正12年 「尻矢」 がホノルル入港の際桟橋にて怪我し、翌年 「北上」 が長江に於いて接触し、更に 「鶴見」 がタラカンにて触礁した。 之等の部類は水先人の技倆を過信したことが失敗の原因とされて居る。

 又大正14年某駆逐艦は嚮導艦長の技倆を過信し、艦位の測定を怠り、周到の注意を払わざりし結果、触衝事件を惹起して居る。

 之に反し、大正7年 「天津風」 は三番艦として航行中、艦位に対し不安を抱き、艦長として当然為すべき注意と警戒を怠らざりし結果、一番艦、二番艦相次いで坐礁したるに拘らず其の危機を脱し得たりと言う。

 次に、海図又は測程儀、測距儀等を過信して坐礁したる例は、吾人の度に耳にする所にして、某特務艦が徳山桟橋に横付の際、測距儀を過信したる結果行脚過大にして遂に船体を損傷し、又之に反し、大正14年 「矢矧」 が 「神宝丸」 を両断破砕したるは、目測を過信して何等の処置手段を講ぜざりしに因るものと言う。

 何れも海上勤務者として反省すべき問題なりと思う。
(続く)
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2011年04月09日

『艦船乗員の伝統精神』 − (10)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第八節 実務主義と理論主義

 運用術は特に実務を重んずることは誰しも承知のことなるも、動もすると実務即ち船乗の常識として片附ける結果、理論的方向を放擲し、徒に実務万能主義に傾くは最も考慮すべきことなるが、又一方理論に偏して実務を軽視することは其れ以上慎むべきことである。

 要は、「実地実物に当り理論を消化し、理論に従って実務を処理する心掛緊要なり」 と言われている通りなり。

 故に海上勤務者は、常に学理を経とし、経験を緯とし、凡ゆる場合の感を養い置き、咄磋の場合適切なる処置を講じ得る如く技倆の修練を要するのである。
(続く)
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2011年04月12日

『艦船乗員の伝統精神』 − (11)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第九節 外力の征服

 海上勤務者にとり特に考慮を払わざるべからさることは、外力の影響なり。 之の研究予測の不用意に依り折角の按劃も徒労にきし、或は図らざる危険を惹起したる例尠からず。

 故に海上勤務者は、風潮波浪等に対する不断の研究と体得とに努め、常に之等を征服し得る信念を保持すると共に、更に進んで之を有利に活用する域に達することが肝要である。

 艦艇の横付、又は発着等に際し、外力の影響を利用すれば操縦も作業も極めて容易なるに拘らず、反って外力に征せられて種々の困難を生起し或は危険に瀕すること多きは、吾人の常に耳目にするところであって、短艇にて綱索一本運搬するにも風潮を利用すれば作業極めて容易なるが如し。

 尚外力の利用に伴い凡ゆる物の活用に努め、作業を有利に展開せしむることは吾人の日常考研し置くべき緊要の事項にして、之を等閑に附する結果、応用も進歩も低下し、海上独特の運用妙味を発揮する能わざるに至る。

 例えば、風潮の順なるとき浮標に繋留せんとする際、先づ投錨して艦を自然に回頭し、然る後舫索をとれば作業極めて容易なるに拘らず、投錨を無精し、派手な繋留を企図したる結果多大の時間を浪し或は艦を危険に導くと言う例甚だ多きは、物を活用し外力を利用すると言うことを忘れるからである。

 外力の征服並びに活用に関しては、吾人の常に研究実行を必要とすること勿論なるも、技倆以上に之が征服を企図することは、大切なる軍艦を取扱う吾人にとり更に考慮を要すべきことである。

 例えば、猛烈なる逆風に入港し、自信なくして出船に繋留を企図し回頭中、他艦に圧流の危険を醸成するよりも、沖合いに投錨して入港を見合せ、或は一旦入船に繋留し置き、天候恢復の後港務部等の助力により出船に繋留換えをなす方、遥に優れるが如し。

 又偉大なる外力に際会し之に逆うことは吾人の最も警戒を要すべきことにして、徒らに船体船具を毀損し、或は人命を失い、或は艦自体を危険に導く等被害多くして得るところなし。

 彼の漁船が荒天中船首より錨及び錨鎖を垂らし、汽機を停止し、波のまにまに漂泊し安全を期し得る所以は、外力に抵抗せざる為にして、艦船に於ても 「シーアンカー」 の有効なることは経験より立脚し昔より伝えられたる緊要の教示なるも、近代之等を顧みず研究実行の途に出でざるは、最も遺憾とする所なり。
(続く)
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2011年04月17日

『艦船乗員の伝統精神』 − (12)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)


  第二章 海上作業の要訣

 運用作業の技倆方法等に関しては運用作業教範に明示してあるを以て之を略し、本項に於ては海上勤務者として作業遂行上特に必要と認むる注意事項を説明せんとす。

 前章に述べし如く、運用作業は海員の常識とのみ考え研究努力を怠る結果、著しき進歩も無く再三同様の失敗を繰返して居るに過ぎず。 然らば、艦船乗員は果して運用術の常識があるかと言うに、到る所に非常識とか海員の無智とか言う問題が曝露されて居ることを遺憾とする次第である。

 昭和2年某戦艦に在職の頃、佐世保軍港にて前後繋留をなせし時、当直将校数人に対し次の様な質問を試みたことがある。

 (問) 正横後4点より強風が来て艦尾繋留索が切断せば如何なる処置をとるか。
 (答) 船は風力に依り自然に回頭して風に立てて置きます。

 右は陸上の人の常識であって、船乗としては甚しい非常識である。 艦長に代わって船の保安を双肩に担った当直将校の回答としては驚かざるを得ない。 直ちに荒天処置に対する注意を申継簿に加えたことがある。

 即ち、斯る時艦尾索が切断すれば艦は一旦前方に圧流せられ、艦首材を以て繋留錨鎖を挟むか或は錨孔 (又は索道) にて錨鎖に急折作用を起し、錨鎖は艦の 「モーメンタム」 に耐えずして切断の虞あること前例に徴して明かなり。

 故に艦尾索が切断するや機を逸せず前部の繋留錨鎖を縮める暇なき時は増舫索 (ましもやい) を縮め、艦首が風向に立つに及んで徐々に之を伸して錨鎖に負担せしむるのが普通である。

 本件は簡単なる如く見ゆるも、実際に処しては相当に困難なる作業にて、不断の研究に基き心の準備無くんば、徒らに狼狽するに過ぎないと思う。
(続く)
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2011年04月21日

『艦船乗員の伝統精神』 − (13)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第二章 海上作業の要訣 (承前)

 又下士官兵の日常作業を見るも、只形式に流れ、或は無意味に行なって不思議にも思って居らぬ例が甚だ多い。

 例えば、滑車の 「フック」 に安全止 (ラシン) 一つやるにしても其の目的は 「フック」 の開かんとする弱点を補う為にやるのか、又 「ブロック」 の跳躍を防止する為にやるのか、何の区別もなく只安全止をやれと言うからお座なりにやるに過ぎない。

 尚重大なる作業に於て、安全を期する為には 「フック」 の代りに鉄枷又は縫着を必要とすることも考えるだにせぬと言う状況にして、多くが形式に流れ或は形式をも知らず、遂には之を軽視し単に常識として片附くるに過ぎない。

 故に如何に簡単なる作業と雖も之を軽視することなく、常に運用術の本義に添う如く教え導き、乗員をして正しき作業を履行せしむることが術力向上の大切なる要件である。

 先年も長江で坐州した 「浦風」 を引卸すとき浮標索を附せずして錨を失い、又は新品の六吋及び五吋鋼索を解くにも、教範通りに行えば簡単に済むものを、只持寄りの常識にて行ない、「浦風」 の甲板上を大きく廻しても其の撚れ甚しく、遂に作業を甚しく遅延せしめたりと言う報告が救難隊指揮官より来て居る。 (注1)

 又先輩はこういうことを言っておる。

 海軍には自分の仕事を曲りなりに何うかこうか行なってゆける人は随分沢山あるが、十分なる余裕を持ち絶対安全に然も経済的な遣り方をする人は甚だ稀であって、其の原因は何処にあるかと言うに、

 (1) 注意と研究の足りないのに万事を安く見縊ること。
 (2) 経済の観念の足りないこと。
 (3) 自信なく常に 「ダロウ」 と言う曖昧な考えで作業に当ること。
 (4) 小事と見ては侮り、大事に会して怖れること。

 の四つに帰するものと教えて居る。

 要するに、運用作業は安全と経済とを離れては全く価値の無きものにして、如何なる作業に対しても心の準備を確かりとして置けば、当面の変化に応じ臨機応変すらすらと仕事が捌けると言うのであって、所謂、「運用の妙は一心に在り」 とは此の辺の妙諦を謡ったものと思う。
(続く)

========================================

(注1) : 例えば、昭和9年に制定された 『運用作業教範』 (達149号別冊) では次の様に規定されています。


    「 第484 新しく受入たる鋼索を解くには枠入のものは枠の中心に心棒を通し軸受に載せて枠を廻転しつつ索端より引出し環状のものは麻索と同一方法に拠るか或は其の環状の儘転がしつつ解くものとす 然らざれば 「キンク」 を生じ又は過度の撚を与え若くは撚を戻し遂には処置に窮するに到るべし 」

本項での事例は、まさにこの手順を遵守しなかったがための典型的なものです。



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2011年04月25日

『艦船乗員の伝統精神』 − (14)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第二章 海上作業の要訣 (承前)

    第一節 安  全

 作業は其の大小に論なく絶対安全を第一義とし、聊かも人命に危害を加え又は物を毀損せざることが大切な要件である。

 然れども海上作業に於ては寸時を争う突発的の境涯極めて多く、安全々々と言っては何事も手が出せないのであって、安全第一主義を穿き違えて引込思案に陥らざる様一層の警戒を要す。

 故に海上勤務者は特に鋭い目 (キーンアイ) の涵養に努め、概ね下記事項の修練と躾とを怠らざる様注意することが肝要である。


      第一項 事前の準備

 作業を行なうに当たりては事の軽重に論なく事前に周到なる研究調査を行い、正鵠なる胸算を立て確信を以て作業を遂行し、常に成果の万全を期すると言うことが安全を確保する要件であり、又其の習慣が其の人を 「シーマンライク」 に仕立てる根本義であると信ずる。

 故に、何事の按劃もなく漫然と只作業を行って居る様にては幾年経過するも何等の進歩もなく各種の失敗を繰返すに過ぎない。

 一例を挙げれば、「荒天に際し安全を期する要訣は、事前の準備を完全にして荒天を待ち、積極的に荒天に打勝つに在り」 と言うのである。

 昭和2年艦隊が厦門碇泊中、強風と潮とが一致せぬ為走錨の虞あり、多くの艦船が錨鎖を延出せるに拘らず、此の準備を怠りし駆逐艦は、走錨して隣艦に触衝し、其の艦の錨鎖を切断し錨を亡失して居る。

 昭和9年9月大阪港を襲った台風は未曾有のものにして、港内の大小船舶は殆ど総て坐洲、沈没又は危険の状態に頻したりしも、只一隻 「錫蘭丸」 は前日より上陸を止めて安全なる浮標に繋留換を行い、荒天に対する準備を完成し荒天を俟って居った為、全く無難に済みしと言う。

 此の美談は当時紙上にも掲載された有名のことにして、畏くも天聴に達せりと言う。 右は船乗として当然為すべきことを実行したるに過ぎず、海軍としては別に不思議とは考えられざることなるが、なかなかそう行って居らぬことを残念に思う。

 即ち、大正9年呉軍港にて首尾繋留中の某駆逐艦が荒天の為艦尾索が切断せられ艦尾が擱坐せるが、之は単に天候回復すべしと軽信し、午後一人の保安上適当なる将校を残さず上陸した為と言われて居る。

 又大正13年別府在泊の駆逐艦が坐洲せる時にも荒天前なるに拘らず、幹部は殆ど上陸した後であったと言うことである。

 斯の如き例を示すは誠に忍びざる所なるも、苟も、陛下の軍艦を守っておる吾々軍人の大いに三省すべき問題であると思う。

 又事前の準備と言うも作業の種類に依りては当時の環境に捉われることなく、先々の状況変化をも能く洞察し、各種の異変に即応し得る様安全にして確実なる方法を講じ置くべしと言うことは、昔より戒られたることにして、海上勤務者の特に注意を要する点であると思う。
(続く)
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2011年04月29日

『艦船乗員の伝統精神』 − (15)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第二章 海上作業の要訣 (承前)

    第一節 安  全 (承前)

      第一項 事前の準備 (承前)

 艦船出港前に天候静穏なる時、動もすれば其の環境に眩惑せられ油断を生じ、載貨に考慮を欠き、荒天に際会して危険に瀕する例尠からず。

 先年駆逐艦 「早蕨」 が台湾海峡に於いて顛覆沈没せしも、此の理由に当て嵌まる所が多分にある。

 艦船の移動物固縛と言う問題は昔より厳守せられたることなるが、近来は時化て来ない中は之を行わない船が殖えて来た様である。

 此事に関し先輩より教えられて居ることは、船は航海して居る以上何時、何処で坐礁又は衝突するかも知れない、坐礁すれば大体船は傾く、又衝突して浸水して傾く、傾けば移動物は一方に移動して船は益々傾き、各種の損害及び危険を伴う、其の時に至って急に固縛は出来ない。 故に天候の如何に拘らず移動物は事前に確かり固縛して出港するのが船乗の嗜であると言うのである。

 其の他流速大なる港湾に碇泊中の艦船は、絶えず他船の運動に注意し、衝突の危険ありと認むる時は迅速に錨鎖を伸し臨機の処置を講じ得る準備を要するとか、船舶の運航頻繁なる所に繋泊する船は、他船の近接に対し急速防舷し得る準備が必要であるとか、種々注意されて居ることは沢山あるも、之を実行して居る船は甚だ少ない。 之が為め損害を蒙って居る例は非常に多い。

 明治43年鈴木貫太郎大将が 「宗谷」 の艦長として呉淞を出港するとき、運動の命令に無理ありし為、「宗谷」 は回頭の際圧流せられ、其の横腹は刻々下流に錨泊中の 「千歳」 に接近し、あわや衝突の危険に瀕せる時、「千歳」 の前甲板には艦長並びに当直将校が立ち、作業員を配し捨錨準備が完成して居った。 此の状況を艦橋より目前に見下した時、誠に敬服の念に打たれたことを今直明白に記憶して居る。

 次に事前に関連して特に海上勤務者にとり必要なることは、時間の余裕を見積ると言うことである。

 昭和8年某船が針尾瀬戸に於いて触礁せるは出港時刻に余裕なく風浪の為速力減少したので潮の好時機を失したためであると言う。

 大正11年軍艦 「新高」 がカムチャッカ西岸に碇泊中、暴風の為覆没し生存者僅かに16名に過ぎざりし事件は、事前の準備に余裕を取らざりしものにして、彼の時出港し得たりとすれば其の難を逸れ得たらんも、汽醸が間に合わざりしと言うことである。

 時間の余裕と言うことは、啻に艦の保安に関するのみならず、日常生起する総ての作業に必要なる条件にして、船乗には当面の状況並びに作業の難易を事前に看破する眼力が必要である。

 此の眼力無き為作業に着手して後仕事を急ぐ結果、当然履行すべき手続を省略し、或は作業に無理を及ぼし各種の失敗を招致することになる。

 例えば、風潮の影響大なる時、揚錨出港に当り時間の余裕を見積らざりし為、抵抗多く揚錨機に無理を及ぼし、驚いて機械を休め或は静かに運転せんとするも、時刻切迫し遂に機械を焼損し、出港を遅延せしめ累を艦隊全般に及ぼしたる例あり。

 其の他周密なる計画の下に慎重なる操艦を行わず、行当りばったりの結果重大なる事故を惹起したる例甚だ多し。 誠に事前の準備は作業を安全に導く第一歩なりと言うことが出来る。
(続く)
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2011年05月05日

『艦船乗員の伝統精神』 − (16)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第二章 海上作業の要訣 (承前)

    第一節 安  全 (承前)

      第二項 作業の統制と静粛

 作業の実施に当り、指揮者が克く作業員を指揮掌握し常に作業をして円滑、静粛に進捗せしむることは、安全を期する為大切の要件なり。

 殊に不慮の事件突発に際しては、往々統制を乱し、喧噪混乱に陥り易きを以て、海上勤務者は平素より各種の場合を想起し、事に処し憶せず、騒がず、適法の手段を講じ得る如く心の準備を確りして置かざれば概ね不統制に陥るものである。

 昭和2年艦隊錨地に於いて軍艦 「常盤」 の機雷爆発するや、各艦は急速救援の方法を講ぜんとせしも乗員は亜然として号令通り動かず、救援に甚だしく時間を浪費せり。

 斯る場合総員又は軍事点検等の号音に依り先ず乗員を掌握し、艦内の統制を計り、然る後乗員を区署し作業を発令すべしとは従来先輩より教えられて来たことである。

 又日常百般の運用作業に於いて喧噪に陥り易き生因は、概ね上下の意志疎通を欠く為に依るものにして、之が為危険を惹起し、或は人を殺傷し、物を毀損する等、累を他に及ぼすこと多きを以て、指揮者は予め自己の胸算並びに実施の方法等を十分理解せしめ、常に作業を静粛円滑に進捗せしむる心掛が肝要である。

 従来運用作業には手先信号あり、号笛あり、日常の運用作業には、概ね之に依り遂行し得る如く指導するべきものにして、近来防毒関係より海軍の手先信号は漸く統制せられ躍進的進歩を促さんとする今日、益々之が活用を怠らざれば、艦内日常の作業も極めて静粛に進捗し、海上作業に一大革新を齎らすものと思う。

 意志疎通の問題は、作業の統制上常に密接なる関係を有するのみならず、艦船操縦者として立つべき吾人の更に考慮を要するものにして、古来相互の意志連絡の欠陥に基き、重大なる事故を惹起したる例は甚だ多い。

 大正13年特務艦 「関東」 が福井県海岸に坐礁破砕して、艦は全滅となり、且多数の人命を失いたる事件は、艦長、航海長の意志疎通を欠きたるに一因せりと言う。

 又昭和5年潜水学校教程演習に於いて、潜水艦と駆逐艦との衝突事件は艦長と学生との意志疎通に欠くる所ありしに因ると言う。

 昭和8年軍艦 「出雲」 が上海に於いて英船に触衝せし時、幹部は期せずして各配置に就き迅速適切なる処置を講じたる為被害を減少し得たるは、艦内真に人の和に依る協同精神の発露にして、言わず語らずの内に意志疎通の実を挙げ得たるものなりと言う。

 由来、攻撃力の訓練の方面に於いては、特に軍紀を重んじ極めて厳粛に実施せらるるを常とし、射撃の如き、砲術長統制の下に命令一下秩序整然として全員全能力を発揮し得ると雖も、運用方面の作業、例えば艦船横付等に際しても作業喧噪を極め、前後舫索を張合すにも相互の連絡なく、指揮統制上甚だ遺憾とするもの多く、其の他一般に厳粛を欠き作業の統制を乱し易し。 海上勤務者として大いに考慮すべき点であると思う。
(続く)

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2011年05月08日

『艦船乗員の伝統精神』 − (17)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第二章 海上作業の要訣 (承前)

    第一節 安  全 (承前)

      第三項 確 実

 日常生起する運用作業は一般に軽視せられ易く、為に注意を欠き粗漏に流れ不知不識の内に乗員の気分を無精に導き、遂には大事を惹起し、或は艦の保安に関し、或は人命を損傷し事物を毀損する等、其の波及するところ以外に甚大なるが如し。

 例えば日常の教練に於いて防水扉蓋の閉鎖に手を抜き形式に流れ常に其の作動並びに水防の良否を確めざる結果、実際に処して其の用を為さず艦を危険に頻せしめたる例多し。

 又入港に当りては、錨鎖を一時 「スリップ」 に持たせ確実に投錨する規定なるに拘らず、其の手順を省略し直接制動機に依り之を行い、遂に錯誤を生じ錨を亡失したる例あり。

 故に、「海上勤務者として最も必要なる性格は、何事も几帳面に処理し確実にして安全なる作業を遂行するに在り。」

 古来幾多の失敗は、放漫なる 「ダロウ」 主義に起因すること多し、注意を要す。 

 艦船繋泊中浮標に錨駐しある鉄枷の 「スモールピン」 一本離脱すれば錨鎖も次いで離脱し、大艦も忽ち坐洲又は触衝の大事件を惹起することとなる。

 一般艦船に於いても、強風の前後には必ず 「スモールピン」 の状態を調査し、其の良否を届けしむることを習慣とする必要あり、斯る手段は艦の保安のみならず、乗員に対し確実と言う気分を植付ける躾として軽視すべきものではないと思う。

 確実に事を処すると言うことは、安全を期す為万事に必要なることは勿論なるも、吾人は艦の保安に関しては絶対に之を厳守せざるべからず。

 艦船が艦位の不正確なるを知りつつ航行を続け、坐礁の悲運に際会したる例は枚挙に遑なき程多数に上りつつあり、注意を要すべきである。
(続く)

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2011年05月11日

『艦船乗員の伝統精神』 − (18)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第二章 海上作業の要訣 (承前)

    第一節 安  全 (承前)

      第四項 危険防止

 禍を未然に防止し常に安全なる作業を遂行する為には日常生起する万船の作業に対し細大漏さず 「危険防止」 なる運用眼を養成し置くこと肝要なり。

 此修練の積んだ人は仮令困難なる作業に直面するも、常に鋭敏なる眼力を以て的確なる判断を下し、突発的に起る諸般の異変に対しても危険を未然に看破することが出来ると言うのである。

 元来、運用眼とか船乗眼とか言うことは、昔より伝わって居る言葉であり、如何に機械万能の今日と雖も千変万化極まりなき海上の作業には依然として重要性の大なるものにして、運用眼というものは英国で言う 「キーンアイ」 と似たものなるが、之を簡単に言えば正確なる目安と良い勘とを合せた様なものにして、確りした眼力を有する船乗に対して言われしものと思う。

 先輩は教えて曰く、

 「船乗には目先の効くことは肝要なり、処置は遅れざるを要す。」

 勘の養成が船乗に必要なこと勿論なるも、正当なる勘を会得する為には常に学理的計画に基づき研究と修練とを積むことにより、段々正しい勘が其の人に植込まれるものであるが、愈々実行となると理論に偏したり数字の末節に捉われる様な事があってはならないと言われている。

 船を取扱う人にとり、勘の養成上軽視することの出来ない訓練の手段は、帆走であると言われて居る。 浜田中将は最も之に力を入れられた人である。 帆走訓練が船乗にとりて如何に必要なるかを述ぶること次の如し。

 (1 ) 帆走は艦の操縦に直接の影響の多い 「ツリム」 の関係を会得することが出来る。 又更に進んで 「ツリム」 を利用して操縦の妙味を発揮することが出来る。

昭和2年 「膠州」 が南洋に於いて坐礁した原因は、船の釣合が悪かった為、新針路距離が増大せしも之に気が付かざりし為と言われて居る。


 (2) 帆走は、風を薬篭中のものとする稽古が出来る。 風潮の影響を十分腹に入れておる者でなければ、本当の船乗とは言えないと伝えられて居る。 我薬篭中の風潮を更に善用して初めて船を立派に取扱うことが出来るのである。

従来、風落に対する考慮が不十分なりし為、浮標に触れて推進器を毀損し、或は坐礁したる例尠なからず。 最近 「浅間」 が坐礁せしも流圧が大因をなして居る。

大正13年 「長門」、「陸奥」 の触接事件も両艦の吸引作用も影響せりと雖も、主なる原因は風落の考慮に足らざりし点ありと言われて居る。


 (3) 帆船には 「リーウェイ」 がある。 又速力は零の事もある。 或時は針路は必ずしも目的地を指して居らない。 時に依りては反対のこともある。 之等を体得して居って初めて衝突を予防することが出来る。

曽て明石海峡に於いて軍艦 「平戸」 が帆船の船尾をかわり得るものと考え、艦を操縦して之に衝突して居る。 此時帆船の速力は零であったと言うことである。


 (4) 帆船に於いては指揮、艇長、艇員の気分が 「シックリ」 合って初めて微妙なる外力をも征服し、或は活用して立派なる操縦、航海が出来る。 又 「シートメン」 の守る 「シート」 一本の油断にて艇を顛覆し、風上側見張員のボンヤリにて衝突を起し、一人が一寸動いても大帆を瓢動し浦帆を打つと言うことになる。


 実に帆走は 「シーマンライク」 の気分涵養に大切であり、又士官が直接部下と小艇に乗り、一心一体壮快なる気分を以て部下を指導薫化することを得るものにして、上官は因より部下兵員を船乗に躾けるに最も適当なるものであると思う。
(続く)

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2011年05月14日

『艦船乗員の伝統精神』 − (19)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第二章 海上作業の要訣 (承前)

    第一節 安  全 (承前)

      第四項 危険防止 (承前)

 従来英国では海軍士官の養成に帆船を使用して居り、仏蘭西海軍に於いても帆走練習艦を復活して毎年兵学校生徒の半数宛を地中海に於いて練習航海せしめつつありと言う。

 又独逸の水上飛行学校に於いては、帆走を課して居る。 之は水上機の着水に風力の影響する所を会得せしむる企図が窺われる。

 之も浜田中将 (吉治郎、海兵33期) の御意見なるが、帆走訓練には決して大規模の設備を必要としない。 「カッター」 で十分であると言うのである。 手軽にして而も短時間無経費にて訓練の目的を達することが出来る。 何故かと言うに帆走の妙味は舵を握って初めて会得することが出来るからである。

 江田島の兵学校に於いても、最近100噸余の 「初加勢」 (注1) に於いて帆走の訓練を始めたと言う報告を得て、誠に頼母しく思う次第なるが、海軍全般としても斯くの如き船乗に大切なる訓練を行なう余裕を持つ様になることを希望しておる。

 目安の養成は海上勤務者にとり之亦疎かにする能わず、目測の訓練は勿論船具に及ぼす応力、或は材料の強度並に状態等に関しても運用術提要等を参考として常に確かなる目安の涵養に努め、之をして第2の天性たらしめ常に危険を未然に防止するようにしたい。

 然るに運用作業に対する海軍の現状を見るに、大抵腰試めのこと多く、殊に海上作業に於いては 「元へ」 又は 「待った」 の許されざる場合多く、アット言う間に各種の失敗を招致すること多し。

 艦内作業にしても危険を防止する為昔より注意され、戒められ来りたること数限りなく、聞いて見ればつまらなく思うようなことが多い。 然し其のつまらないことを疎かにする人が更に多い。 例えば、

 (イ) 「重量物は決して必要以上に高く吊り揚げてはならぬ」 と言うことは知っておるが、「メーンデリック」 を使って機動艇を必要以上高く吊り揚げて平気で居る。


 (ロ) 「重量物の直下に居ってはならない」 と言うことは百も承知だが、大抵一人や二人違反者があって叱られて居る。


 (ハ) 重量を担った鋼索を 「ビット」 に巻き止めるには5回以上巻かざれば滑るにきまっておるが、4回位で平気な顔をして居る。


 (ニ) 1本の索具にしても新品あり古品あり、或は一部の 「ヤーン」 が切れて脆弱のものもある。 然し使用者は5吋 「ホーサー」 は5吋だけの強度があるものと見て少しも其の現状に注意を振り向けない。


 其の他濡れたる索具は硬化して滑り易いから取扱いに注意すべしとか、動索に身体を托すなとか、色々言われており日常目の前に沢山出会うことであるが実行する者が少なく、又兵員を躾けてやろうと言う気分も少ない様である。

 昭和9年年齢満期となった長岡と言う特務大尉は、永年運用作業に従事し御奉公を完うせる人なるを以て運用作業に対する所見を聞いて見たところ、「何も申すことはないが、永年の間一人も怪我人を出さざりしことを何よりの満足と思う。」 と答られた。

 怪我を起さぬこと、即ち危険防止と言うことは作業上指揮者にとり最も大切のことにして、長岡特務大尉のやり方を見るに索具1本、足場1つにしろ、わかりきった様なことにも其の場其の場にて必ず事前に注意を与え、用心と言うことに気分を弛めさせない様にしながら作業を進めておる。 大いに学ぶべきところであると思う。

 要するに、

 「指揮者は常に確かなる眼力、敏感なる頭脳、冷静なる心の修養に努め、機会ある毎に感を養い、常に正しき号令を下し得る素養を涵養すること肝要にして、海上に眼を慣らすこと愈々久しく、艦上に術を練ること愈々精しなければ、是等の要求は感応的に働き、随応随変自ら運用の妙諦を会得するに至るべし。」

 「運用術の極致は智得にあらずして自得に在り」 と言うのである。
(続く)

==========================================

(注1) : 元皇室ヨット  船歴などについてはいつもお世話になっているHN 「hush」 氏のサイト 『近代世界艦船事典』 の次の記事を参照して下さい。



     写真は大正5年神戸港において御召艇を務めた時のもの (雑誌 『海軍』 大正6年12月号より)


hatsukaze_01_s.jpg

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2011年05月16日

『艦船乗員の伝統精神』 − (20)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第二章 海上作業の要訣 (承前)

    第二節 経 済

 「物を旨く使う」 と言うことは、運用作業上極めて緊要にして、之を亦経済的なりとも言い、能率ある仕事とも言う。 如何なる作業を為すにも能率と経済との関係は車の車輪の如く離るることを許さないのである。 而して経済の根本義は人、物、時とに論なく無駄を省き能率ある仕事を完成するにある。

 大谷中将 (既出) は次の様に説明して居る。

 「運用と経済は寧ろ同一語である。 苟も経済を無視したる運用は畢竟 「エネルギー」 の浪費にして、延いては国力の叛逆的消費である。」

 尚安全第一を唱えて徒に 「エネルギー」 を空費し、或は 「事勿れ主義」 を 「モットー」 として貴重なる時間、莫大なる人力と物との浪費を戒められて居る。 誠に至言であると思う。


      第一項 人の経済

 総て艦内諸作業を行うに当り、監督者は常に最小限度の配員を以て作業を最も簡易適切に遣り遂げると言う工夫を凝らして、之を部下乗員に教え導き、常に無駄のない仕事をやらせる様に仕向けることは海軍の現状を一新せしむる為に大切な要件であると思う。

 4年前永野大将 (修身、海兵28期) が赤軍の長官になられた時、私が伺候したら斯う言うことを言われた。

 「実に人を余計に使い過ぎる、1本の索にも沢山たかっておる。」

 誠に其の通りにして、天幕1枚を畳むにも、又短艇を1隻揚げるにも、人の経済等と言うことは頭に考えてない様である。

 吾々は候補生時代より作業に対する適負と言うことは、特に喧しく先輩より教えられて居ったのであるが、軍艦其のものの習慣や規則も人を経済的に使う様に改まって居らぬ点もあると思う。

 例えば 「メーンデリック」 にて、水雷艇を揚げる時、艦が少し傾斜して居ると一舷の 「ガイ」 は非常に楽であるが、他舷の 「ガイ」 はなかなか重い。 斯う言う時も分隊の受持と言う規定を墨守して楽の方の作業員を苦しい方に融通して経済的な運用作業を遂行せんとする人が少なく、只うんうん引張らせ多大の時間を浪費して居る。

 又毎日数回ある甲板掃除に一々出てくる兵員は行列の如く多数にして、手ぶらにて只続いて歩いてる者も相当にある。 自分は副長時代に随分八釜しく言って之を改めさせた。 元来海軍の様に人を不経済に使う所は無い様である。 日課手入等も断然改善する余地があると思う。

 第一其の方法が旧式であって、一々狭い隅々の 「パイプ」 の上を拭いて居る有様は、丁度障子の桟を一つ一つ雑布で拭いて居るも同然である。

 抑も居住区に塵埃の多いのは起床時に毛布を払うことに因るもの多く、奮発して毛布 「カバー」 を造ってやれば直ぐ解決のつく問題にして、石炭を焚かざる今日の船には塵埃の出ようが無いと思う。 之は人と時間の経済のみならず衛生上の見地よりも大なる問題であると思う。
(続く)
posted by 桜と錨 at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船乗員伝統精神(完)