2013年10月17日

続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法

先の相対運動作図を再掲します。

Mikasa_turn_C_s.jpg

それでは、この相対運動から東郷ターンの実相を分析・評価するならば、どういうことが言えるのでしょうか?


1.回頭開始のタイミング

映画やドラマなどでよく出て来るシーンで印象付けられるような、回頭開始のタイミングは 「三笠」 と 「スワロフ」 との距離が8千メートルになったからではありません。

回頭が終わった時に丁字戦法の対勢となり、かつ命中率が期待できる砲の最大有効射程6千メートルとなる位置に持ち込むための回頭開始点が、あのタイミングだったのです。

しかも、反航態勢から敵の意表を突いて、あれよあれよという間に、極めて迅速に実施してしまいました。

しかしながら、この運動は今日海上自衛隊の操艦訓練・競技として実施している 「反転入列運動」 と言われるものに極めてよく似た高い操艦技量が要求されます。

今日の様にレーダーなどが使えるわけでも、また予め運動要領を作図したものを手にした若手幹部の補佐があるわけでもない状況において、東郷提督は自分の頭の中で判断し、実にドンピシャリの位置とタイミングでこれを行ったわけです。 私達船乗りからすると、見事としか言いようがありません。


2.被攻撃の危険性

これはもう先の相対運動図を見ていただければ一目瞭然でしょう。 回頭開始時の14時5分から1分間隔で → ・・・・ の順に示したものが、“「スワロフ」 から見た” 「三笠」 以下第一戦隊の戦艦4隻の動きです。

どこに単縦陣での回頭による “動かざる定点” があり、どこに “射撃訓練より容易い” 状況があるのでしょうか。

陸上砲台からの射撃ならともかく、「スワロフ」 自身も動いていることを忘れてはいけません。 そして、その 「スワロフ」 の動きに拘わらず、表示の中心 (座標原点) は常に 「スワロフ」 であることに注意してください。

艦砲射撃の基本中の基本は、「正確な距離」、「正確な見越し」、そして 「正確な照準」 です。

「スワロフ」 から 「三笠」 以下の各艦の動きを見れば、その回頭によって距離は急速に縮まり (変化し)、曲線運動により射撃のための未来位置の計出は不可能であり、かつ照準線に対する方位変化が激しいために正確な照準は困難です。

つまり、この東郷ターンの最中、急速に回頭する 「三笠」 以下の第一戦隊はもちろんのこと、反対にそれを見るバルチック艦隊側からしてもこの3要件の全てが満たされないのであって、したがって第一戦隊側だけではなく、バルチック艦隊の双方ともに有効な射撃の実施は不可能なのです。

したがって、敵前回頭による被攻撃の危険性は全くなかったと結論できます。


3.丁字戦法

上記の被攻撃の危険性と併せて論じられるのが、丁字戦法実現の有無についてです。

これについても、先の相対運動図をご覧いただけば、一目瞭然のことでしょう。

「三笠」 が回頭を終えて新針路に定針して以後、第一戦隊は ……→ で示す方向に単縦陣で進みます。 しかしながら、「スワロフ」 自身も図の上の方向 (実針路ではなく、相対作図のために常に艦首方向が上) に進んでいますので、相対運動の結果として「スワロフ」 からは第一戦隊は単縦陣のまま各艦が ----→ の方向へ横滑りで近づいて来るように “見える” のです。

つまり、第一戦隊は敵前大回頭によって 「スワロフ」 の左斜め前方の位置を占め、そしてその優速をもって 「スワロフ」 の頭を押さえる如く運動していることがお判りいただけるでしょう。

これを丁字戦法の実現と言わずして何と言うのでしょう?

これを要するに、敵前大回頭によって、迅速に有効砲戦距離まで距離を縮め、かつ丁字戦法を見事なまでに実現 しているのです。

この事実が、日本海海戦における連合艦隊の勝因の大きな一つの要因となったことは申し上げるまでもありません。

これを証明するのに、船乗りにとっては当たり前のことである “相対運動による作図” を用いて説明したものは、何故か不思議なことに私の知る限りでは今まで見たことがありません。 今回の会報誌 「銃砲史研究」 での私の記事、及びその補足たるこのブログ記事が初めてのことではないかと思われます。

この証明によって、日本海海戦において 「丁字戦法は実現せず、ダラダラとした並行戦であった」 とか、ましてや 「敵前大回頭は危険な賭けであった」 などと言う人が今後二度と出て来ないように願うところです。
(この項終わり)

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次 : 「続々 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」

前 : 「敵前大回頭と丁字戦法」
posted by 桜と錨 at 19:44| Comment(14) | TrackBack(0) | 砲術の話し
この記事へのコメント
桜と錨さん、こんにちは。
運動盤によるカラーを交えた本解析は見事ですね。
非常に分かり易くて説得力があります。
あの単縦陣が迫ってくれば、袋叩きに遭うのは仕方が無い、とロシア艦隊も強く感じたことでしょう。

百年以上前にロジの乏しい中を一万五千海里もの大航海をして最後にこの鉄の暴風雨ですから、ロシア艦隊にも心から合掌です。
Posted by 荻野正憲 at 2013年10月18日 05:47
荻野先輩、ありがとうございます。

やはり元船乗りの方にはすぐピンときていただけたようで、嬉しいです。

ただ相対運動というのは、どうしても一般の方々には感覚的に判りづらいところがありますね。

丁字戦法もいまだに、「T」 の字でなければ、などと言い張る人もおりまして、これなども相対運動を考えれば、その狙いは形状的な「T」 ではないことはすぐに判る話しですが ・・・・ (^_^;

バルチック艦隊の大遠征は、当時のことを考えれば大変に凄い業績ですが、ただ最後の最後に判断を誤ってしまいました。 自艦隊の能力を過信したのか、東洋の小国の艦隊を過小評価したのか。

Posted by 桜と錨 at 2013年10月18日 18:02
以前、古鷹山でコメントさせていただいた者です。
たまたま「坂の上の雲」をDVDで観直ししていたものでたいへん参考になりました。
Posted by 飛鳥 at 2013年10月20日 08:59
飛鳥さん、こん**は。 「坂の上の雲」 のDVDですか、それは嬉しいですね。

海の上での艦船の動きというのは船乗りでないとなかなか判りづらいところがありますが、あのシーンについては “あ〜そうなのか” と見ていただけると、よりお楽しみいただけると思います。
Posted by 桜と錨 at 2013年10月20日 15:29
お久しぶりです、先生。

プロコンスルです。

目から鱗です。

「運動盤」で相対運動図を書いて説明すれば、不毛な議論をしなくても済んだんですね(何せ何を言っても「「丁字戦法」と思いたい方は、そう言っても良い」などという上から目線な論文もある始末でしたから)。

元電測員なのにそのことを失念していました。

航海長を歴任された外山三郎先生も、砲術長、航海長を歴任された北澤法隆先生も「運動盤」を用いての説明はされていません。

船乗りには当たり前すぎて、失念されていたのでしょうか?
Posted by プロコンスル at 2013年10月20日 17:13
桜と錨様
大変丁寧かつ解りやすいご教示に感謝です。

私、全くお船には素人のクセに件の海戦史の航跡図とかを見て、恥ずかしながら「戦隊所属全艦が前を走る艦の航跡を辿る」ような運動をしていたのかと勝手に思っていましたが、事実は全然違うのですね。スワロフから見る一戦隊の運動が大変に参考になりました。
「6000メートルの距離で一直線の単縦陣を即座に構成する」ように運動しているのですね。よくよく考えたら私の稚拙な理解で運動してたら、単縦陣を6000メートル付近で作る際、後続艦を待つ無駄な時間が出来てしまいますね。お恥ずかしい限りです。

今日、実は友人の協力を借りてこの運動を自動車の運転で再現してみたのですが、減速、増速、ハンドルの切るタイミング、持続時間とかを完璧に合わせないととても不可能でした。それをあの巨艦で、車とは全然運動特性が違うお船でやってたと思うと、本当にただただ脱帽するばかりです。

一連のご教示で旧海軍のとてつもない操艦技術を垣間見た気がします。
Posted by じょっぱり伍長 at 2013年10月20日 18:32
プロコンスルさん

ある意味、コロンブスの卵ですね (^_^)

>船乗りには当たり前すぎて
はい、地理的に画かれたものを見ていても、頭の中では自然に相対運動で考えていますから。

それともう一つ、通常は1対1の作図で、編隊運動などは相対作図はほとんどしませんし、それよりも編隊での作図にするとゴチャゴチャして面倒ですから、どうしてもそのような習慣がないですよね。

本稿の図も「三笠」1隻だけならそれこそいとも簡単ですが、4隻となると手間暇がかかりました (^_^;
Posted by 桜と錨 at 2013年10月20日 23:25
じょっぱり伍長さん、こん**は。

>前を走る艦の航跡を辿る」ような運動を

地理的にはというか、海面上を見ている限りではそのとおりなんですよ。 「敷島」 以下は前の艦の航跡をそのまま辿ることになります。

最も大切なことは “いつ、どこで” 回頭を始めるか、ということなんです。 これが正確であれば、その後の操艦はそれ程難しいことはありませんが、間違えると修正のためにアタフタすることになります。

これは自転車でやられても、地面の上は前の自転車と同じところを回ることになります。

肝心な点は、それを “動いている” 他の自転車から見ると、ということになります。

次回は是非、逆送してくる自転車相手にやってみて下さい。

Posted by 桜と錨 at 2013年10月20日 23:46
遅くなりましたが、読まさせていただきました。
目から鱗です。
「桜と錨」の解説が、広く世の中の常識となると良いなと思っています。
Posted by 名古屋貢 at 2013年11月03日 17:52
名古屋貢さん、こん**は。

ありがとうございます。 377号とこのブログでのご説明は、東郷ターンを終えて丁字戦法に持ち込んだところまでですので、次はこの後丁字戦法を持続できたのかどうかをお話しする予定にしております。

それにしても、いまだに地理的に画かれた航跡図を見て 「T」 (ティー) 字になっていないから 丁 (てい) 字戦法というのはおかしいとか言い張る人がいますから (^_^;

Posted by 桜と錨 at 2013年11月03日 22:47
いつも興味深い記事を拝見させていただいております一読者ですが、今回初めてコメントさせていただきます

T字戦法についてはウィキペディアで堂々と先生の言い分とは逆方向のことを書いてありますが、これも記事にある相対運動による作図についてわかっていないからかかれた事と考えていいのでしょうか

これからまた暑くなりますがお体にお気をつけてください
Posted by 六甲山住人 at 2014年07月24日 23:44
六甲山住人さん、初めまして。

>相対運動による作図についてわかっていないから

そのとおりです。 ウィキペディアの文面もそうなら、その引用文献を見ただけで明らかですね。
Posted by 桜と錨 at 2014年07月25日 08:14
はじめまして。
鹿児島県姶良市のコミュニティFM局で「あいら開運ラジオ」のパーソナリティを務め褪せていただいています。

東郷忌の本日の話題に、船の大回頭について探しておりましたところ、「このブログを発見いたしました。大きなコーナーではありませんが、話題の資料に使わせていただこうと思います。
なお、コミュニティ局で放送範囲が狭いため、放送後はYouTubeにアップしております。
「あいら開運ラジオ」で検索されたら出てきます。
東郷平八郎のご縁に感謝いたします。
ありがとうございます。

Posted by 観音寺生豊 at 2022年05月30日 08:08
観音寺生豊さん、宜しくお願いします。
Posted by 桜と錨 at 2022年05月31日 21:04
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