2013年10月17日

敵前大回頭と丁字戦法

先にご紹介しました 「日本銃砲史学会」 の会報誌 『銃砲史研究』 第377号の私の記事ですが、基本は黛氏の昭和44年の記事の再掲載に当たっての解題です。


この黛氏の記事で取り上げられている日本海海戦劈頭における東郷ターンについては、論ずべき点は2つです。 すなわち、一方的な被攻撃の危険性と、もう一つが “何故あのタイミングで” なのかです。

この両者については、今日的には黛氏の記事においても必ずしも十分とは言い難いところがあります。 ただしこれは、黛氏としても執筆当時の様々な制約・限界によって如何ともしがたいところであって、氏の知識・研究不足の故ではないことは申し上げるまでもありません。そのことは会報誌で述べたとおりです。

黛氏は氏の首尾一貫した主張として、日本海海戦劈頭の敵前大回頭、いわゆる東郷ターンについて、当該回頭中は連合艦隊側が射撃不可能であることはもちろん、バルチック艦隊側も有効な射撃は実施できないことを解いておられます。

ただ、被攻撃の危険性はその可能性がないということが、最近では一般の方々にも広く理解され始めているところですが、更なる理論的な具体的説明と、そしてもう一つの問題である “何故あのタイミングなのか” ということがキチンと書かれたものは、残念ながら黛氏の著作も含めて今日までありませんでした。

そこでこれらについて、もう少し判りやすくということと、併せて今日としてはどの様な説明が可能であるのか、ということが今回の私の記事で意図したところでもあります。

しかしながら、記事そのものは 「解題」 であるため、詳しく十分な説明は出来ませんでしたし、また命題である東郷ターン前後のことで、それ以降の経過と分析についても省略せざるを得ませんでした。

これについては、本格的に説明しようとするとかなりな紙幅になりますので、今後改めて纏めたものを書いて見たいと考えています。

で、取り敢えずは当該誌の私の記事の補足を少々。


東郷ターン実施時の状況及び経過について皆さんがよくご存じのものは、この第一会戦の航跡図でしょう。

BoSoJ_chart_01a_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より部分 )

これは公刊戦史にもあるもので、日露戦後に日本海軍によって日露双方の航跡を再構成 (リコンストラクション、通称 「リコン」 ) してプロットしたものです。

現在に至るまで多くの研究者、物書きさんなどによってその根拠とされ、これに基づいて様々なことが書かれてきました。

確かにこれだけによる限りでは、船に乗ったことのない人達には、東郷ターンによって反航対勢から同航対勢に変換し、後はダラダラとした並行戦となった、と見えるでしょう。  したがって丁字戦法も実現しなかった、と結論付けることに繋がります。

ところが、よく考えてみて下さい。 これは “地理的” に画かれたものです。 つまり、日露両艦隊がどのように動いたのかを、動かない地表を基準として座標上に後から書いたもの、ということです。 もちろん、これはこれで日本海海戦の全体像を概観する上で重要なものです。

では、当時、日露両艦隊の艦上にいた人々は、このような動きを互いに認識しながら戦っていたのでしょうか?

実は違います。 考えても見て下さい、広い洋上では街中を車で走るように(地理的に固定された)地形地物を背景にしながら船が航行するわけではありません。

対馬海峡と言えども、海戦時に見えるのは相互に動き回る相手の艦艇でしかなく、地理的にどこをどの様に動いているかは見えない (関係がない) のです。 したがって、互いに相手がどのように動いて“見える”か、なのです。

これが “相対運動” という考え方であり、物の見え方なのであって、船乗りにとっては日常的な常識のものです。

先程の航跡図のうち、赤丸で示した部分の東郷ターン前後のみを拡大したものが次の図です。 これも公刊戦史などで示されているものです。

BoSoJ_chart_02_mod_m.jpg
( 元図 : 『明治三十七八年海戦史』 より部分 )

そして、図上のグレー、薄いブルー及び薄い緑色で結んだ線は、それぞれ14時5分の 「三笠」 回頭開始時、同8分 「三笠」 が新しい針路に定針しロシア側が発砲を開始した時、そして同10分 「三笠」 の副砲による試射開始時における、「三笠」 と 「スワロフ」 の位置関係を示したものです。

この地理的に描かれた図の動きが、「スワロフ」 の艦上から “どのように見えていたのか” を、分単位にして作図し直すと次のようになります。  左下は日本側をもう少し大きく拡大したものです。

Mikasa_turn_C_s.jpg

( 図を簡潔にするために第一戦隊は戦艦4隻のみを示し、その後ろに続く 「春日」 と 「日進」 については省略しています。)

これが 「スワロフ」 を座標の基準とする “相対運動” です。

「運動盤」での作図ですから、海自の現役やOBの人達などが見れば、一目でお判りいただけるものでしょう。

これはつまり、「スワロフ」 艦上にいる人達、即ちロジェストウィンスキー提督や、艦長、砲術長、そして何よりも砲の照準を司る射手は、その時その時の 「スワロフ」 の実際の針路や速力がどうであっても、自艦の艦首尾線を基準として相手の艦がどの方向でどのように動いて “見えるか” ということなのです。

このことを抜きにしては、砲戦の実相は語れないと言っても過言ではありません。
(この項続く)

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次 : 「続 ・ 敵前大回頭と丁字戦法」

posted by 桜と錨 at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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