著 : 日辻常雄 (兵64期)
第4章 太平洋戦争の巻 (16年10月〜20年8月) (承前)
第5話 飛行艇かく戦えり (承前)
その13 北方作戦、マラリヤ、自殺決意 (承前)
(4) 第一線離脱
人事局に出頭し早速退院の報告をするとともに、一刻も早く東港航空隊への復帰をお願いした。
「 気持ちは分かるが、開戦から連続戦地に勤務しており、これから先がまだまだ長いんだから、しばらく休養のつもりで、佐世保航空隊で後輩指導をやって欲しい。」
となだめられ、遂に第一線を去ることになった。
アンダマンを離れてからわずか7週間にすぎなかったが、この間に大金飛行隊長 (茂、兵57期) が戦死したのをはじめ、ミッドウェー海戦が悲劇の中に終わっていた。
損害については極秘のベールで覆われていたが、横病の一郭に続々と戦傷者が運ばれ、そのほとんどが火傷であることから相当の被害を推察することができた。
と同時にマラリア等で戦列を離れたことが無性に腹だたしく、思いはただ戦場に走るばかりで部下の身が案じられてならなかった。
貴島中尉のみがアリューシャンの支隊に復帰し、近藤分隊長も横空教官に転任して行った。
いらいらしながら、病後の身体に鞭打ちつつ、久し振りに佐世保空教官として飛行艇搭乗員の教育に取り組み、余暇を見つけては、飛行艇の索敵作業に関する実戦の記録をまとめながら、これを生きた教科書とするのがせめてもの生き甲斐であった。
17年8月に入ると、ソロモン方面の激戦の情報が続々と入って来た。 そのうち、横浜航空隊の全滅の悲報が伝わったのである。 もう居ても立ってもおられなかった。
東港航空隊がアリューシャンを撤退し、本隊と合流してソロモンに馳せ参じ、横浜空の弔い合戦に死闘を演じていること、私の後任に投入された同期の米山大尉 (茂、兵64期) も既にこの世を去ったこと、ただ一人退院後原隊に復帰した貴島中尉も靖国の社に旅立ってしまったこと等、相次ぐ悲報が胸をしめつけるばかりだったが、人事局は私との約束を忘れてはいなかった。
「 東港航空隊分隊長に任ず 」
辞令を握って勇躍ソロモンに馳せ参ずる日がやって来たのである。
(続く)