2013年04月05日

大空への追想 (89)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第4章 太平洋戦争の巻 (16年10月〜20年8月) (承前)

    第5話 飛行艇かく戦えり (承前)

        その10 橋爪大尉ミッドウェーに散る (注)

ハワイ第二次攻撃は見事に成功した。 米軍の油断を突いた奇襲であり、二式大艇の偉大なる航続力がものを言った実証でもある。

3月5日橋爪大尉は大任を果たして、ヤルートに帰還したが、すぐ本隊のいるウォッゼに移動した。 基地ではこの英雄を迎え、横井司令以下祝盃をあげて、その労をねぎらった。 ところがこの日の午後、軍令部から無情とも思われるような命令が届いた。

「 二式大艇2機をもって、ミッドウェー、ジョンストン両島の写真偵察を実施せよ 」

というのである。

柳の下の泥鰌を狙ったわけでもあるまいが、今にして考えると無謀としか思われない。 実動組はハワイを襲って今帰った二組しかなかったのである。 3か月後にミッドウェー攻略作戦が計画されていたにせよ、何故このように、火の中に飛び込む夏の虫のようなことを計画したのだろうか。 しかも現地の意向も確かめてはいなかったのだ。

ハワイ奇襲後、米軍は即時厳重な警戒態勢を布きハワイ周辺 (ミッドウェー、フレンチフリゲート) は蟻一匹這い込む隙もなかったはずである。 また当時米軍基地には対空レーダーが装備されていた。 無かったのは日本だけである。 二式大艇いかに優秀なりを言っても、見張力は目視だけに過ぎなかったのである。

ハワイ空襲後2日目にミッドウェーに再びこの大艇が進入できよう等とは誰もが考えられなかった。 司令以下激憤を懐いていたところ、この命令を聞いた橋爪大尉は、「命令が出た以上私が征く」 と完爾として受けて立ったのである。

当時浜空総務科員だった矢吹氏は当時の模様を次のように語ってくれた。

「 私は一主計兵であったが、作戦上止むを得なかったのであろうか、ハワイ攻撃の大任を果たし、基地全体が喜びにあふれたのも束の間、ミッドウェー偵察命令が出たのは帰還して間もなくであった。 同じような作戦が再度成功するのだろうか、敵も警戒を厳にするのは目に見えている。

私は秘かに冷水を浴びせられたような気がした。 それと言うのも基地の食糧事情の悪化と、デング熱の脅威、考えて見てもゾーッとするような情況を併せて、悲常に不安を感じたのは私だけではなかった。 横井司令以下全員が再出撃に不安を感じとっていたはずである。 しかし橋爪大尉は横綱相撲のようにガッキとうけて立ったのである。 私はその時見た。 大尉の緊張した風貌の中にわずかに浮んだスマイルを ・・・・ 」

笹生中尉機は艇修理のため、少し時期が遅れたが、最も危険な、ミッドウェーを橋爪大尉が担当したことは言うまでもない。 今回は写真偵察が任務である。 昼間強行偵察以外には方法がないのである。

ハワイ攻撃は3日間の行動であったが、決行するまでの約3か月にわたる血の滲むような努力にクルーが疲れ切っていたことは相像に難くはない。 しかし橋爪大尉がこのくらいのことで弱気を起こす人でないことは誰もが知っていた。

直ちに準備が進められ、翌6日0100 (帰還した晩である) 基地総員の歓声に送られ、9名のクルーは再び敢然として暗闇の海を蹴ったのである。 これが橋爪大尉のこの世における最後の姿にになろうとはだれが考えたであろうか。

「命令だから俺が征く」 と言われた時に、恐らく死を覚悟されたはずである。 二式大艇の先駆者として後に続く我々搭乗員に対し、無言の激励を残し、「後を頼むぞ」 と心の中で叫びながら永遠の旅路に立たれたのである。 まことに悲壮な出来事であった。

ウォッゼ、ミッドウェー間は1200浬、片道7時間は要する。 幸いにも、ミッドウェー付近までは敵との遭遇はなかった。 しかしレーダーが待ち受けていたのである。

0800 頃、高度7千米、太陽を背にして全速力とし、飛行場上空を航過しながら写真偵察に移ろうとしたとき、既に上空で待機していた米軍戦闘機数機が襲いかかって来た。

大艇対戦闘機の空戦は、尋常では勝負にはならない。 ただ一つの活路は超低空で応戦するだけである。 7千米の高空の勝負は時間の問題である。 艇体下方から射ちあげられたら手の下し様がない。

橋爪大尉とて百も承知のはず。 写真偵察という任務上やむを得ず採った処置であるというよりも、初陣の功に酔って、その運用法を知らぬ輩に、身を以て警告したことだったのかも分からない。 「敵戦闘機見ゆ」 という悲壮な報告を最後に、遂に還らなかったのである。

二式大艇の華々しい初陣に溺れ、ただ性能のみを過信し、敵戦闘機に対しても、橋爪大尉ならばというわずかな勝率を神頼みとして、軍令部の打った大きな博打だったような気がしてならない。

海軍飛行艇隊を背負って立ったであろう橋爪大尉を、緒戦において死地に投入してしまったことは誠に残念でならない。 しかし大尉はなんら悔ゆることなく、日本の勝利を確信しながら完爾ととして靖国の御社に神鎮ったものと信じている。

当時浜空副官をされていた高橋主計大尉の話によると、ウォッゼ基地で橋爪大尉の遺品整理をした時、驚いたことに室内はきちんと整理され、なんら手をくだす必要もなく、遺品はそのまま遺族に送られるようにできていたと言う。 大尉はハワイ攻撃出発時既に、かくあるべきことを見抜いておられたのであろう。
(続く)

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(注) : 本項は今日の話題社版では大幅に加筆修正されていますが、原著のままとしております。 興味のある方はそちらの方をもご参照下さい。


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