2013年03月14日

大空への追想 (80)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第4章 太平洋戦争の巻 (16年10月〜20年8月) (承前)

    第5話 飛行艇かく戦えり (承前)

        その5 大艇基地を襲った米潜水艦

17年、1月中旬にはセレベスを制圧し、ボルネオ、ジャバへの先制攻撃が酣となっていた。

二十一航戦は、陸攻、戦闘機隊がセレべス南端のケンダリ基地 (注1)、大艇はセレベス北東端のケマ基地 (注2) に転進した。 海軍落下傘部隊が既にケマ基地の北側メナドを占領していた。 大艇の索敵重点は、バンダ海、チモール方面に向けられていた。

Chart_Celebes_Sea_L_mod3.jpg
( 元画像 : 昭和17年版の海図 No.801 より )

ケマ基地は良好な湾で、大艇24機を洋上係留し、支援船 「葛城丸」 (前出) も湾の奥に投錨していた。 官舎は土人の小屋や、バナナ畑に建てた天幕小屋を使用した。

1月24日、チモール島方面の索敵の任を受け、0400 ケマ基地を発進した。 未だ基地は暗い闇に包まれており、灯火管制も厳重であった。

基地を出て約10浬南下した洋上で、航海灯を点じてケマ方面に向かう艇種不明の北航船に遭遇したが、味方と判断し、無線封止のため特に報告もしなかった。 後説のとおり、これが大きなミスとなったのである。

この日発進した索敵機は6機、私が最後に出たのであるが、前続機はいずれもこの船を認めていなかった。

ケマ基地には 「葛城丸」 の他、係留飛行艇18機と東港空所属の特設砲艦 「妙見丸」 (200トン) (注3) が停泊していた。 静かな大艇基地に予想もしていない大事件が発生したのである。

1300頃湾口付近を哨戒中の 「妙見丸」 (いずれも軍属) が潜望鏡らしいものを発見し、銃撃を加えるとともに基地に急報した。 ほとんど同時に魚雷の雷跡2本を発見したが、その一本が不幸にも 「妙見丸」 に命中した。

しかし轟沈に近い状態で沈みゆく船上から、船員たちは最後まで銃撃を続けた。 人員は無事救助されたが、まことに勇敢な軍属の行動である。

他の一本は海面航走しながら巧みに係留飛行艇を避けて砂浜に飛び上って来た。 驚いたのは兵器員達である。 丁度その砂浜で爆弾調整作業をしていた彼らが、「妙見丸」の爆沈にビックリしていると、大きな飛び魚のようなやつが海面を跳ぶようにして向かってくるのだ。

あッと言う間に勢いよく作業場に飛び込み、しばらくペラが回転していたが、やがて停止した。 よく見ると、米軍の魚雷である。 幸いにも不発に終あった。

彼らは早速分解調査にかかったが、現用米潜水艦の魚雷であることが確認され、意外な戦利品を入手することになったのである。

基地は直ちに対潜警戒を令し、整備中の飛行艇を除き、4機が緊急発進をして哨戒を開始した。

と言っても、その当時潜没潜水艦を探知する兵器なんて何もない。 爆撃をやる以外にはないのである。 静かな基地はただならぬ戦場と化し、夕方まで哨戒が続けられたが、残念ながらこの米潜は逃がしてしまった。

実は0400頃に私の発見した船は、浮上潜水艦だったのである。 米潜も巧みに潜入して来たが、少し遅れて出発した私の一機にばったり遭遇し、観念して、咄嗟の手段として航海灯を点じたのである。 私の方が間抜けだった。

我が機をやり過ごすと直ちに急速潜航し、湾口付近で約9時間も粘りながら偵察を続けていたのであろう。 湾の奥に停泊中の 「葛城丸」 を狙ったに相違ないが、その魚雷が甚だお粗末。 照準して射ったのであろうが、慌て者どもの射った魚雷は斜進し、「妙見丸」 をやっつけたものの、一本は前述のような結果となったのである。

しかしながら真昼に大艇基地を襲撃したこの潜水艦長に対しては敬意を表したい。 この勝負、明らかに大艇隊の負けである。

この事件以後、水上基地警戒は上空だけではなく、潜水艦という忍者に対しても警戒の要があるということで、以後自隊基地の対潜警戒として、基地出入の航空機、試飛行機は、特に湾口付近の哨戒を実施することになった。

潜水艦を見逃した小生は、米潜水艦から感謝状を貰いたいところだが、これもならず、日頃の功績からか特にお叱りも受けなかった。

「妙見丸」 船員に対しては感謝状が授与されたが、それだけが目出度し目出度しであった。
(続く)

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(注1) : 当時のケンダリ (Kendari) 航空基地は、ケンダリの市街より南西に約20kmほど内陸部のところにあり、現在では 「ウォルターモンギシディ空港」 (Wolter Monginsidi Airport) となっています。


Kendari_map_1961_01_mod1_m.jpg
( 元画像 : 1961年版の米軍地図より )


なお、上の地図の右側の大きな赤丸のところが、連合艦隊の泊地で有名なスターリング湾です。


AB_Kendari_19420127_01_s.jpg
( ケンダリ基地とされる写真  撮影時期など不詳 )

AB_Kendari_sat_h25_01_s.jpg
( 現在のウォルターモンギシディ空港  画像 : Google Earth より )


(注2) : ケマ (Kema) の水上基地については、その正確な位置などについては判りません。 しかしながら、本項で 「良好な湾で」 とされていることを合わせると、現在のケマ市街の面する外海に開けた小さな湾ではなく、その北の Lembeh 島とに夾まれる水道の中と考えられます。


Kema_map_1969_01_s.jpg
( 元画像 : 1969年版の米軍地図より )


(注3) : 特設砲艦の 「妙見丸」 は総トン数4124トンとされていますので、著者の誤記と考えます。 「妙見丸」 についてはHN 「戸田S.源五郎」 氏のサイト 『大日本海軍特設艦船』 の次の記事をご参照下さい。



なお、この時ケマ基地を襲撃して 「妙見丸」 を撃沈したのは、米側の記録では 「ソードフィッシュ」 (SS-193 Swordfish) とされています。 ( 「 The Official Chronology of the U.S.Navy in World War II 」 )


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