著 : 日辻常雄 (兵64期)
第4章 太平洋戦争の巻 (16年10月〜20年8月) (承前)
第5話 飛行艇かく戦えり (承前)
その3 昭和の広瀬中佐、相沢飛行長の最期
(飛行艇による魚雷水上発射) (承前)
アンボンの300浬手前で、厳戒態勢に入る。
「 全機銃配備に就け、航空灯を消せ 」
静かに高度を下げ始めた。
この頃から編隊の左後方に青い光が現れた。
「 敵機 !! 」
と叫びながら機長席について、十二糎双眼鏡でよく見ると、飛行機ではなく、流れ星のような一つの青い光である。 しばらくすると光は右側に変わった。
雷撃隊が追いついて来たものと思ったが、この光は約30分間右に左に移りながら追って来て姿を消した。 不思議な光である。 目の錯覚かと思ったが、偵察員も見ている。
セラム島がかすかに見え出してきた。 あの山の向こう側にアンボン飛行場がある。 さらに高度を1500米に下げた。 幸いに月を前にして接敵できる針路になっていた。
0400、エンジンを絞り、セラム島北岸から山の谷間にそって高度を下げる。 飛行場の滑走路が月に白く光っていた。
「爆撃用意」 を下令し、どんどん降下した。 もう爆撃照準の要はなかった。 遂に高度400米、そのまま飛行場に進入し、36発の陸用爆弾をバラまいた。 この間全く反撃なし。
低空のため、爆発の衝撃が体にまで跳ね返ってくる。 全弾投下後、単縦陣Uターンして高度300とし、主として隊舎付近に集中銃撃を浴せた。 この時になって
「 射って来ましたッ 」
という尾部射手の声に外を見ると、あちこちに発射の光が見えるが、弾着がない。 上空を見ると、余りの低空に敵は信管調定どころではなく、1500米も上空で破裂しているのである。 そのあわて振りは見事なもの、爆撃隊は悠々と飛行場を離脱できた。
「 0400 奇襲成功、全弾命中、我に被害なし 」
報告をすませてホッとした。 まさに疾風迅雷の奇襲、その間わずかに20分である。
アンボン湾には3隻の艦艇が停泊していた。 当然のことながら雷撃隊が血祭りにしてくれるものと信じていた。 燃料が既に余裕がなく、見届けることはできなかった。
ダバオ基地に帰還したのは7日0900、13時間に及ぶ爆撃行である。
桟橋に着いて驚いた。 雷撃隊員が手放しで泣きながら迎えに来ていたのである。 ここで初めて相沢飛行長の前記戦死を聞かされたのである。
あそこまで備準を進めて来た相沢中佐にしてみれば、この度の悲運は諦めきれないことであろう。 しばし呆然としてなすことを知らず。
報告が終わると、三浦司令が静かに労をねぎらってくれた。
「 飛行長はさぞかし無念だったろうと思う。 しかし爆撃隊はよくやってくれた。 飛行長もきっと喜んでいるだろう。 御苦労だった。」
あの飛行長がなぜ死んだのだろう。 今更愚痴になるが、指揮官機を二番機と入れ替えればよかった。 一番機のパイロットはやや自信過剰の人間だったことを皆知っていたはずだ。 運命の悪戯だろうか。
飛行長の霊前で司令に語ったが、一体あの青い光は何だったのだろうか。 飛行機ではない、星でもなかったことは確認している。 司令は言った。
「 事故を知らずに出発した爆撃隊を飛行長の霊魂が護衛してくれたのではないか 」 と。
迷信を信じない私だが、司令と同じことを今でも私は信じている。 もし事故を知って出撃していたなら、恐らくあの光は現れなかったであろう。
飛行長の遺品整理をした時に、机の中に書き残された一枚の短冊を司令が発見された。 墨痕鮮かに一句が書かれていたのである。
“ ひとり減り ふたり減りして またみたり
いずれの時ぞ われの番なる ”
(続く)