著 : 日辻常雄 (兵64期)
第4章 太平洋戦争の巻 (16年10月〜20年8月) (承前)
第5話 飛行艇かく戦えり (承前)
その2 悲壮 !! 雷撃隊長の自爆
開戦後破竹の進撃を続ける東港空は、17年2月2日にはダバオを攻略し、その直後ここに、水上基地 (注) を設置した。
東港空の基地進出は、指揮下にいる 「葛城丸」 輸送船に空輸可能の人員物件を除き全てを搭載のうえ、早目に出港して攻略輸送船団の列に入る。
攻略部隊と共に第二波敵前上陸を敢行し、海岸線を確保すると、直ちに自隊警備体勢を固めておき、整備隊を主力として基地物件を陸揚げし、係留ブイを設置する。 一方舟艇隊は退艦とともに概略の掃海を実施し障害物を標示する。
この方法で基地転進が行われた。 常に飛行艇の作戦行動を優先して基地を整備していくのである。
飛行隊は新たな前進基地が設定されるまで、現在の基地で残留員をフル回転しながら作戦を続行している。 ダバオ進出は、船団到着の午後、全機が移動を完了している。 基地転進の際は、飛行隊進出の前後約2日間くらいは缶詰食で暮すのが常であった。
12月31日大晦日、17年の新春を控え、椰子の木の下では景気のよい餅つきが始まっていた。
私は4回の正月を戦場で迎えたのであるが、如何に激戦下であっても、この餅つきだけは不思議に欠かしたことがなかった。
日本人の慣習というか、心和ませる行事で、明日への闘志を掻き立てるとともに、血生臭い戦場に団欒を巻き起こすにはもって来いの楽しい行事である。

(原著より 当日の餅つき風景)
この日攻撃待機中の私は、同じく待機組の太田大尉 (寿双、兵63期) とともに飛行服のままで杵をふり上げて一汗かいていた。
「 敵巡洋艦見ゆ、攻撃隊出動 !! 」
走ってくる伝令のけたたましい声に、思わず振り上げた杵を投げ捨てて桟橋に駆け出した。
索敵機が発進したあと、毎日攻撃待機として、爆撃、雷撃の各3機が指定される。 敵情により、いずれか一方が出動するが、今回は全機出動である。 私は爆撃隊長を命ぜられていた。
桟橋で飛行士から敵情を貰った。 モルッカ海を南下中の米軽巡一隻に飛行艇が触接中であるが、時間的に限度が来ている。 これに対し協同攻撃を実施せよ、というのである。
敵の位置を貰って、集まったクルーと共にそれぞれゴム艇に飛び乗った。 ライン整備員は既に先行している。 愛機に乗り込む。
「 エンジン起動、モヤイ離せ 」
6機が先を争うように水上滑走を始める。 号令を聞いてから15分間、訓練を積むと鈍重な飛行艇でも戦闘機なみの発進が可能になるものだ。
3機の集結を待って慎重な離水を開始。 1300 ダバオを発進した。 電撃隊は10分後に太田大尉を指揮官として続行した。
敵の位置まで450浬、空中で雷撃隊と攻撃要領を打ち合わせる。 爆撃隊がまず先攻して敵の注意をできるだけ上空に引きつけておき、その間に雷撃隊が三方向から飛びかかるということで意見は一致した。
60瓩爆弾を12発ずつ抱いた爆撃隊と魚雷を2本ずつ持った雷撃隊が、単艦に対して36発の爆弾と6本の魚雷を叩き込むんだから、成功すれば轟沈疑いなしだ。 しかし下手をすると48名の搭乗員が海の藻屑と消えかねない。
「 大晦日の餅を食いそこねたなー 」
と冗談口をたたきながら生死は念頭になかった。
夕闇迫るモルッカ海はどんよりと黒ずんで静かである。 触接機と連絡が取れた。 よく頑張ってくれた。 もう燃料も限度にきているはずである。 重い機体に鞭を入れて現場に急ぐ。
(続く)
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(注) : ダバオの水上機基地については、その正確な位置も含めて詳細は判りません。 現在の衛星写真を見てもそれらしいところはハッキリしません。 もし情報をお持ちの方がおられましたらお願いします。

( 1954年版の米軍地図よりダバオ周辺 )
なお、下の写真はダバオの大艇基地とされるものですが、撮影時期などは不詳です。

本 「大空への追想」 は連載冒頭にも記しましたように故日辻常雄氏がかつて海自部内誌に寄せられたもので、この貴重な回想録がこのまま失われるのを惜しんで私の責任においてここで公開しているものです。
したがいまして、残念ながら大田壽双氏につきましては本項の内容以上には判りませんことをご了承下さい。