2013年02月28日

大空への追想 (73)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第4章 太平洋戦争の巻 (16年10月〜20年8月) (承前)

    第5話 飛行艇かく戦えり (承前)

        その1 事前偵察と開戦第一撃

パラオ基地に集結してからは連日実戦的猛訓練が続けられた。 当時を考えてみると、戦争は避けられないと思いながらも、最後に外交交渉の好転を祈る気持ちが心の一隅にあったことを記憶している。

開戦]日は全く不明、東港空飛行艇隊としての第一撃は比島東方海面の索敵以外にはないと見て、既に索敵計画は作られていた。 投入兵力は12機である。

東港空の所属は十一航空艦隊の二十一航戦である。 不思議な縁とでも言うか二十一航戦の司令部は、支那事変の時の六航戦司令部の面々であった。 私はその先任参謀柴田中佐 (前出) をよく知っていた。 そこで三浦司令に対し意見具申をしておいた。

「 司令、柴田参謀は支那事変で一緒だったんですが、常に常用機全機を使われる人です。 恐らく第一撃の索敵には全機18機の投入が予想されますから、第二案を作っておく必要がありますよ。」

「 そんな非常識なことはやらんだろうが、万一に備えておこう。」

と了解された。 (案の定、第一撃は全機投入であった。)


11月下旬に入ると、軍令部から突如特別の任務が下令された。 九七式大艇一機をもって 「セレべス島メナド飛行場 (注1) の隠密写真偵察を実施せよ」 というものである。

この時点ではマレー半島、シンガポール方面の写真偵察が横空の高速偵察機によって既に終了していたのだから驚いた。 早速準備にかかる。

まず使用機の日の丸を消し、迷彩塗装を施した。 搭乗員がふるっていた。 隊内きってのクルーを集めた他、司令、飛行長、飛行隊長が乗り込むことになった。

私は余りにも大げさな編成に不満、撃墜されたら東港空はパーだぞ、俺一人でできることなのに ・・・・ 支那事変の体験を持つだけに多少自惚れてもいた ・・・・。

この偵察、高度7千米、雲の切れ間から見事に成功して無事帰還、ほッと安心したが、これが指揮官陣頭といえるのかなー、ちょっと首をひねったものである。

続いて再度秘密作業が命ぜられた。 当時日航 (大日本航空海洋部) の定期便 (九七大艇) が横浜 ←→ チモール間に初就航した。 サイパン、パラオ経由である。 この定期便を利用してアンボン飛行場 (注2) の写真を撮らせろというのである。

073_01_s.jpg
( 原著より  民間型の九七式輸送飛行艇 )

日航搭乗員も当時は、海軍満期者であったから彼らも快く受諾した。 パラオ寄航の際、特別待遇で整備を手伝いながら、海軍の航空写真機を渡し、撮影法やら写真機の海中投棄、ネガの隠し場所等を指示したものである。 これも成功し、貴重な資料ができたことを覚えている。


日米交渉は好転せず、開戦必至の感が強くなってきた。 12月4日を期して索敵行動開始の指令が出た。 敵地の30浬以内に入るべからず、攻撃は禁ずというものである。

4日の索敵は私が中央線を与えられた。 開戦の]日は未定。 早朝6機が発進した。

いくつかのスコール帯を突破しつつ、緊張したクルーに冗談をとばしながら雲上に出た。 比島に接近するに伴って晴れてきた。 距岸30浬、手にとるように比島の海岸や山々が見える。 不気味だが平穏だ。 レーダーがあるわけじゃなく、どうせ開戦は必至だ、15浬まで接近してUターンした。

雲の切れ間からチラリと一条の白波を発見した。 強引に高度を下げると、まさしく米軍の特務艦が一隻南下中である。

「 うーん、開戦なら一発見舞うんだがなー、残念ッ 」

自分自身を慰めながら帰る。 索敵隊としてはまず戦果第一号、幸先よし。
(続く)

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(注1) : このメナド飛行場についてはハッキリしません。 現在ではメナド市の北東約13kmのところにサム・ラトゥランギ (Sam Ratulangi) 国際空港がありますが、この空港の経緯はよく判りませんが少なくとも当時はありませんでした。

堀内豊秋大佐率いる海軍落下傘部隊の横須賀第一特別陸戦隊 (横一特) が降下占領したのはメナドから南約30kmにあったランゴアン (Langowan) 飛行場で、メナド近郊には他にはありませんでしたので、このランゴアンのことかとも考えられますが ・・・・ ?


Menado_map_1961_01_s.jpg
( 1961年版の米軍地図より ) 

(注2) : アンボン (ラハ) 飛行場は現在ではインドネシア・モルッカ諸島における重要な国際空港の Pattimura Airport となっています。 なお、1958年版米軍地図の左上に水上機基地が記されていますが、実際の位置は記号の右下になります。


Ambon_map_1958_01_s.jpg
( 1958年版の米軍地図より )

Ambon_sat_h25_01_s.jpg
( 現在のアンボン国際空港  出典 : Google Earth より )

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