2012年08月20日

大空への追想 (15)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第2章 支那事変の巻 (承前)

    第3話 南支沿岸封鎖作戦 (承前)

        その1 ジャンク狩り

 海上唯一の交通機関はジャンクである。 しかもこれらジャンクは大小さまざま (3トン〜200トン) で、荷揚場等を除けばバラバラに行動している。

015_01_s.jpg
( 原著より  積荷を満載した大型ジャンク )

 生活必需品か、その内容は全く知る由もない。 しかもジャンクの輸送は全く自由であり、いたる所の海岸から荷揚げする。

 したがって、海岸と道路の関係、蟻の集団をたどって発生地点を確認するにも似て、あたかも刑事の犯人捜査のような偵察を実施した後攻撃を開始する。

 昭和15年の時点で、過去一か年間に 「神川丸」 が攻撃したジャンクは853隻にも及んでいる。 海上交通破壊戦と言えば大げさであるが、実はほとんどがジャンク狩りのことである。


15年6月24日大密輸基地を発見す。

 陸軍のバイアス湾上陸作戦 (6月22日香港西方の広州湾) (まま) (注1) に伴い、海軍は同湾の封鎖作戦を開始した。

 「神川丸」 は急遽広州湾に進出、私は当日4機を率い悪天候を利用して仏印国境付近を巧みに縫いながら、援蒋ルートの写真偵察を実施した。

 仏国は香港を支給源として、仏印国境付近の港湾を利用し、盛んに物資を送り込んでいたのである。

 奇襲に近い我が小隊がタイミングよくこれを捕捉した。 安南海峡を避け海南島の南方を遠く迂回して良田港 (国境に近い支那領) (注2) に3隻の5千トン級貨物船が入港しつつあった。

 よく見ると、良田付近の小川や森の中に、牛車約5百台、擬装された倉庫群、航行中のものを含めジャンク約1千隻が集まっていた。

 好餌発見。 早速報告して、その日の午後から3日間にわたり、飛行機隊は獅子奮迅の銃爆撃を敢行して敵の輸送を挫折させた。

 航行中のジャンクの攻撃は余り効果がない。 積荷の状況によっては銃撃で燃え上るものがあるが、昼間の攻撃に恐れをなして夜間のうちに避退し、海岸や河口、小さな入り江等に引き込んで隠しておく場合が多い。

 支那沿岸は潮の干満が大きいので、干潮時を狙ってこれらに襲いかかり、爆撃するのが有効である。 木造船だけに、集中している所には60瓩1発でもかなりの被害が出る。

 広田分隊長は豪胆な人で、この攻撃時も列機に空中制圧を命じ、自らは敢然ジャンク群の中に着水し、銃撃しながら大型ジャンクに接近して着荷を調べ、それが火薬であることを確認したことがある。

 あの当時、ベトナムにおける米軍ヘリコプターのようなものがあったなら極めて効果があったと思うが、この時点では、小型水偵が最も作戦に適していたのである。
(続く)

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(注1) : 一般的には 「バイアス湾」 (Bias Bay) と言うのは香港東方の 「大亜湾」 のことを言います。 したがって、ここでは 「広州湾」 のフランス通称名での 「バイアール湾」 ではないかと思いますが、詳細は不明です。


bias_bay_map_1954_01_s.jpg
( 1954年版の米軍地図より  大亜湾付近 )

     なお、 「広州湾」 というのは現在の広東省湛江市のことで、明治32年 (1899年) にフランスが中国より租借し仏領インドシナの飛び地になっていましたが、第2次大戦後に中国に返還されました。


(注2) : 本項の文意からすると、「仏印国境付近を巧みに縫いながら」 というのはフランス領広州湾沿いのことと解釈されます。 したがって、この 「良田港」 もこの付近と考えられ、また前出の原著中の 「南支沿岸略図」 でもそのように記されていますが、その正確な位置は判りません。


ryota_map_01_s.jpg
( 原著より 先の 「南支沿岸略図」 より部分拡大 )

ryota_map_1954_02_s.jpg
( 1954年版の米軍地図より  広州湾付近 )

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