2012年08月12日

大空への追想 (14)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第2章 支那事変の巻 (承前)

    第3話 南支沿岸封鎖作戦

 支那事変の説明は高橋海将の御説 (本ブログでも連載済みの高橋定氏の回想録 『飛翔雲』 のこと) もあるし、説明の要もないと思う。

 私の出動は、高橋海将とは時点も違うし、攻略のはげしい段階を終わって、言わば威圧の段階にあった。

 それにしても、揚子江河口から仏印国境に至る中支、南支沿岸線は一千浬にも達している。 この沿岸を封鎖するといっても、それには大兵力を投入する要がある。 したがって封鎖というよりも、この間を流しながら監視しているという方が適当であったと思う。

 陸軍部隊は、広州湾、欽州湾等から上陸軍が沿岸から内部へと掃討戦を続けており、時折、十九路軍の反撃が起こっていた。

 海軍航空部隊は、海南島、揚子江沿岸、台湾の主要航空基地から、昆明、成都、南昌、重慶等奥地に対し空襲を敢行し、零戦の誕生とともに支那空軍を圧倒しており、沿岸地区には全く敵機の姿が見られなかった。

 15年5月頃になると、沿岸に対する急襲作戦や封鎖作戦には陸上機の協力はほとんどなく、「神川丸」 水偵隊に一任された形となっていた。

 沿岸の封鎖は強化する一方であり、強化するごとに支那方面艦隊長官が布告するものであったが、支那以外の第三国にはもちろん適用されない。 したがって、作戦は第三国権益には一切手を出せないところに実施部隊の苦労があった。

 海上からの物資導入は、英、仏等の第三国船が、我が方の目をかすめて、直接あるいは香港を中継基地として南支沿岸の小さな密輸港に荷揚げするという方法がとられていた。 しかし我々はこれを発見しても、第三国船の手を離れない限り攻撃できないのである。 まことにじれったい次第であった。

 このような作戦に使用された水偵隊というものを考えてみると、攻撃の華やかな陰にあって地味な索敵任務をもつ、言わば国家の捨て石たらんとする水上機伝統の地味な闘志と粘り強さがあって初めてなし得たのであると信じている。

 このような持久作戦に堪えぬく精神力は、現在のASW (Anti-Submarine Warfare、対潜戦) に対処する海上自衛隊搭乗員に必要なことはいうまでもない。

 封鎖作戦における具体的行動を参考までにあげて見よう。

  @ 絶えず沿岸を機動しながら行う援蒋ルートの発見攻撃
  A 密輸地点 (港湾と限らない) の偵察
  B 物資陸揚施設の破壊
  C 水陸運搬機関の攻撃

    当時陸軍の制圧により、鉄道、自動車等は絶無、唯一の輸送機関は、ジャンク、牛車、手押し車であった。 人海戦術を誇る支那においては、このような小さな運搬道具は馬鹿にできなかったのである。

  D 秘匿された物資集積場、倉庫等の爆撃
  E 主要港湾都市の焼き打ち
  F 支援支那正規軍を掃討する陸軍、陸戦隊の地上戦闘協力

 これらの作戦実施は、すべて “三権” (第三国の権益) に被害を与えないという前提のもとに行われる。 しかもこれら “三権” のほとんどが支那軍のかくれ家に利用されているのだから始末が悪い。

 したがって一網打尽の奇襲攻撃等はあり得ない。 さらに無辜の民を傷つけないよう、焼き打ちするにも、低空擬襲や威嚇射撃等で、カウボーイが牛を追うような方法でまず市民を避難させねばならない。

 このような実態を知ったら、何と間の抜けたことをやっているかと思うであろう。 太平洋戦における米空軍の日本本土無差別空襲等に比べると、日米いずれが人命尊重を重んじていたかがよくお分かりと思う。
(続く)

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