2012年08月10日

大空への追想 (12)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第2章 支那事変の巻 (承前)

    第2話 これが戦場だ (承前)

 次の攻撃に備え艦の錨地を馬祖山沖 (まま) (注1) に変更した。

 「神川丸」 には、不時着水等の救難船として、同じく徴用船 「ヌザン丸」 (百トン) (注2) が随伴していた。 これが錨地偵察中、大型ジャンクから銃撃を受けたとして救助を求めて来た。

 入港して見ると、錨地の西方2千米付近を陸岸に向かって航走中の大型ジャンクが一隻、よく偵察すると船尾に小型の臼砲が装備されている。

「 左砲戦ッ 」

 海戦だ。 高角砲射撃は何回か経験しているが、目標はいつも吹き流しだった。 人間の乗っている船を射撃するのは、初めてのことである。

「 直接照準 」  「 打ち方始めッ 」

 初弾舷側に命中、こんな機会はなかなかない。 砲台員は大張り切りで、たちまちのうちに20発を発射、ジャンクは、マストに白旗を高く掲げた。

「 打ち方やめ 」

 接近して調査すると舷側に直撃弾十数発、乗員12名が既に息絶えていた。 木材約50トンを押収し、めずらしい臼砲と、小銃を没収、負傷者には手当を加えて、そのままジャンクを解放してやった。

012_02_s.jpg
( 原著より  没収した臼砲と小銃等 )

 砲撃で倒れた遺体を見るのも始めてだが、“これが戦争か” 悲惨なものだと思った。 当方には被害はなかったのだから、威嚇射撃くらいで助けてやれなかったのだろうか、という顔をしていると、

「 そんな弱気じゃ、明日からの爆撃は出来んぞ。」

 と飛行長からたしなめられた。
(続く)

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(注1) : 原著も 「今日の話題社」 版でも 「馬祖山沖」 となっていますが、馬祖山というのは上海西方800km程、漢口近くの内陸部にあります。 福州東方沖の馬祖群島 「馬祖島」 の単なる誤植ですね。


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( 元画像 : 1972年版米軍地図及び Google Map より )

(注2) : 本家サイトで相互リンクいただいているHN 「戸田S.源五郎」 氏の素晴らしいサイト 『大日本帝国海軍特設艦船』 の中で 「瓊山丸」 というのが紹介されています。 特設駆潜艇となる前の昭和15年2月に一般徴用船となっており、大きさ的にも一致しますので、本項の 「ヌザン丸」 はこの船ではないかと思いますが、詳細は不明です。



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