2012年08月06日

大空への追想 (9)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第2章 支那事変の巻 (承前)

    第1話 特設水上機母艦神川丸 (承前)

        その2 今生の思い出 “「高砂丸」 一等船客”

「 昭和15年5月1日付 神川丸乗組を命ず 」

 この電報は、かつて 「飛行学生を命ず」 の辞令をうけた時に次ぐ感激の辞令であった。

 海兵入学動機 ・・・・ 若いうちに暴れてパッと散りたいというあの希望がいよいよ実現の時棟到来ということで、まさに鬼の首をとったような感じであった。

 「神川丸」 は5月7日高雄に入港するという台北海軍武官府の連絡により、5月2日門司発の台湾航路豪華船 「高砂丸」 で鹿島立ちすることに決めた。 もちろん一等船客としてである。(注)

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( 大阪商船 「高砂丸」  9315総トン )

 見送り人はだれもいなかったが、心は既に南支の空に飛んでおり、基隆まで三日間の船旅は本当にもどかしかった。

 当時の一等乗船料が55円、軍人二割引で43円、ボーイのチップが一等で5円が普通であったが、私は10円を渡した。 ボーイがびっくりして 「多すぎますよ」 という。 まことに嬉しい時代ではあった。

「 私は選ばれて戦場へ行く。 飛行機乗りだから生死は考えていない。 この豪華船も今生の思い出だ。 遠慮なくどうぞ。」


 ボーイは感激するやら、喜ぶやら。 しかしこの結果は私にはちょっと困ったことになった。

 食事は船長と同席で、船客の最高位につくという。 ところが私は中尉である。 本船には同じく台湾にゆく海軍少佐がおられたのだ。

 ボーイに一任の結果、食事は自分の船室に運ばれ、一番風呂に入り、まるで殿様のような待遇をうけたのである。
(続く)

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(注) : 旧海軍士官は例え少中尉であろうと汽車は一等客車、汽船は一等客室とし、また宿泊は高級旅館、飲食は料亭又は一流レストランとして、その社会的品位を保つことを厳しく躾けられました。


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