2012年07月29日

大空への追想 (8)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第2章 支那事変の巻

    第1話 特設水上機母艦 「神川丸」

        その1 実戦目標の練成段階

 水上機専修学生は鹿島空を卒業すると、飛行学生終了となり、館山航空隊 (注1) において実用機課程の教育を受ける。 その後内地の各水上機部隊 (各鎮守府麿下に水上機航空隊1〜2) に配属されて、実力の養成に専念するのが普通である。

 その先は艦隊搭載艦 (潜水艦、水雷戦隊の旗艦、重巡、戦艦、水上機母艦) や、戦地にそれぞれ進んで行った。

 昭和13年頃から支那事変の主力水上機隊としては江上飛行機隊、特設水上機母艦 「神川丸」 が勇名を馳せていた。

 特に 「神川丸」 は長期にわたり、南支方面の炎熱風涛に抗しながら、沿岸及び奥地の攻撃に従事し、封鎖作戦に貢献するとともに海陸協同作戦において万難を排して友軍を窮地に救う等、その勇猛な行動は敵十九路軍をふるえあがらせていたのである。

(原注) : 「神川丸」 は、川崎汽船から海軍に徴用された貨物船を一部改造したもので、水上機母艦として使用されていた。 一方、速力15ノット、高角砲2門、搭載機数水偵約15機、飛行科、整備科を含み、乗員約6百名で水上機乗りたちの憧れの的となっていた。


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( 原著より  特設水上機母艦 「神川丸」 )

 艦隊水偵隊も内地航空隊も、若い搭乗員達は実戦に臨みたい熱烈な心情を抑えながら、ひたすら実力の練成に努めていた。

 私は館山修業後、舞鶴 (注2)、佐世保 (注3) と転任し、希望する 「神川丸」 への最短距離を進んでいた。

 当時の環境下においては、搭乗の実力養成の順序として、内地部隊で練成後艦隊勤務で実力を養成した後、戦場に赴くのが正常な進路であった。 しかし私のように、戦場が先になり、艦隊勤務が後になる場合もあった。
(続く)

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(注1) : 館山航空基地の概要については次の頁を参照下さい。


(注2) : 舞鶴航空基地の概要については次の頁を参照下さい。


(注3) : 佐世保航空基地の概要については次の頁を参照下さい。


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