2012年07月25日

大空への追想 (7)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第1章 水上機の巻 (承前)

    第2話 待望の飛行学生 (承前)

        その4 希望機種と潜在適性

(教官は学生の潜在適性を正しく把握せよ)

 パイロットはその適性によって大きく左右される。 機種選定にあたっては学生自身のいわゆる単なる憧れによる希望機種よりも、その学生の持っている潜在適性を重視せねばならない。

 私の場合、飛行学生となり、操縦と偵察に区分される段階で操縦に選ばれた。 ここまでは希望どおりに進んで来た。

 しかし戦闘機を希望しながら水偵にまわり、せめて格闘戦の出来る二座水偵へと希望しながら三座水偵にまわされた。 希望は裏目に出たのである。

 卒業時に、飛行長から、

「 君は三座水債を専修することになったが、大艇パイロット要員として最適と認められたためである。」


 と言い渡された。 私の希望と、私の潜在適性は違っていたのである。

 大艇パイロットとして活躍できた我が半生を顧みた時、教官が私の潜在適性を正しく見抜いてくれたことに感謝している。

007_01_s.jpg
( 原著より  昭和14年飛行学生 (水上班) 卒業記念 )

 源田先生 (實、兵52期、戦後空自に入隊し航空幕僚長、空将、その後参議院議員) の話によると、空自の例であるが、ある期間の統計で、3767名の飛行学生中パイロット技能証明をとったものが1238名、わずかに33%。 しかも最終的にF−104等戦闘機資格者は、その10パーセントに過ぎないそうである。

 全部が飛行機志望ではなく、採用条件も異なるが、我々海兵64期生の例を見ると、応募者約6千名、身体検査の結果は2分の1の3千名が残り、4日間の学科試験で初日に2分の1が落ち、最終的には750名が残っていた。

 このうち150名 (まま) が採用されており、飛行学生は55名 (パイロット30名、偵察25名) であった。 150名 (まま) のクラスから適性検査で30名のパイロットが選出されたわけだが、いずれにしてもパイロットの条件は昔も今もシビアなものである。

 教官が義理人情にほだされて潜在適性を無視し、不適格者を残すようなことをすると、本人の生命を失うばかりでなく十数名の搭乗員を道連れにするようなことになる。 学生教育における教官の責任はまことに重大なことが納得できよう。
(続く)

------------------------------------------

(注) : 著者の海軍兵学校第64期は、昭和8年入校、同12年卒業のクラスです。 1クラス僅か160名 (卒業時) に過ぎませんでしたが、それにも拘わらず55名、実に34%もが航空畑に進んでおります。

零戦の初飛行でさえ昭和14年であることを考えれば、たった一つの例ですが、これが何を意味するかは言わずもがなでしょう。

こういう事さえ無視して、戦後の結果だけによって旧海軍の戦備について “それ見たことか” 式の批判をする人がいます。 (お恥ずかしい限りですが、現実に先日それを広言する海自OBがいました。)

その様なものの見方は、歴史を学ぶ上で常々最も戒められてきたところです。 当時の状況を当時の立場になって考えない限り、将来に対する正しくかつ有益な歴史の教訓は何も得られないからです。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/57232150
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック