2012年07月15日

大空への追想 (5)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第1章 水上機の巻 (承前)

    第2話 待望の飛行学生 (承前)

        その2 水上機学生

(基本に忠実になることが上達の早道である)

 飛行学生の課程は座学は一緒であるが、飛行は最初から陸上機、水上機に分かれていた。

 私は戦闘機の希望はまず断たれて水上機専修学生となった。(注)  担当教官は61期船田 (正) 中尉 (後の渡辺空将)であり、補佐が斉藤飛曹長であった。

「 学生は丸坊主になれ。」

 という指導官のお達しが出て、船田教官自ら丸刈りにされて学生に範を示すという状況であり、ここに再び一号、四号の関係にたちもどったのである。

 最初の慣熟飛行は斉藤教官であった。 九〇式水上初練でいよいよ本格的訓練に入ったが、私は過去のすべてを捨て尋常一年生にもどり、基本を忠実に身につける覚悟をきめた。

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(九〇式水上練習機)

 言われるとおりに飛ぶだけだが、最初から離着水がうまくいったということで教官は、

「 飛行体験がない人としては、うまいねー、卒業前の練習生くらいの技量だ。」

 と独りで感心していた。 私には何がなんだか分からんし、うれしくもない。 やはりこの段階までは飛行体験プラス8回のおかげだったのかも分からない。

 13時間の飛行時間に達するころ、学生単独飛行の一番乗り3名が選ばれ、その一人に指名された。

 教官、学生注目の中で、3機が順々に出発した。 前席にだれもいない、自分独りの飛行、うれしい中にも、ひしひしと孤独感を覚えるあの緊迫した気持ちは永久に忘れられない。

(原注) : 初練は教官前席、後席が学生、中練以上の席はこの反対である。

 風力なんか余り気にしない、吹き流しの方向だけを守って、離着水もうまくできた。 着水点は余りにも遠かった。 恐らく誰も見ていなかったろうと思いながら意気揚々と帰って来ると、船田教官が待っていた。

「 あれでいい、もう少し近くに降りろ。」

 と一言、やはり教官である。 滑りを離れてから帰るまで、十二糎双眼鏡から目を放されなかったのである。

 飛行機の操縦だけは初棟の教官の一挙手一投足が一生身について離れないものである。 私の水上機操縦は、この時から堅実な船田式になっていた。
(続く)

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(注) : 基地名が書かれておりませんが、昭和13年当時はまだ水上機教育も霞ヶ浦航空隊で行っており、水上機班は同基地の青宿地区にありました。 後に土浦航空基地となったところです。 詳細については本家サイトの次の頁をご覧下さい。



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