2012年07月06日

大空への追想 (3)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第1章 水上機の巻 (承前)

    第1話 大空への憧れ (承前)

        その3 海兵時代の航空実習

 片田舎で育った人間が海兵に入り、正直のところ “い” と “え” の発音の区別ができないのだから馬鹿にもされ、かえって人気者になったりもしたが、とにかく苦闘の連続であった。

 ただ一つの息抜きは体育の時間である。 特に鉄棒、平均台、陸上競技は私の得意とするところであった。

 ここで一言ふれておくが、操縦の勘と、体操の勘は必ずしも一致しないものである。 その実例は数多く見ている。

 霞ヶ浦の軍医長から見抜かれた頭の方はどうも具合が悪かった。 大空への夢も何回となく消えかかろうとしたが、自ら “活” を入れて頑張り通した。

 海兵には夏冬の2回の休暇が毎年あった。 卒業までに8回のこの休暇をいかにして活用しようかと考えたあげく、故郷の地の利を占めて、霞ヶ浦航空隊での体験飛行を思いついた。

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( 冬と夏の帰省休暇中の著者  原著より )

 当時既に支那事変に入っており、航空隊も多忙であったが私は大歓迎された。  見学にゆく度に、各飛行隊から体験飛行に引っ張り凧にされた。 それは優秀な後輩を育てようというよりも、この生徒を一泡ふかせてやれという野次馬的歓迎の方が強かったように思う。

 青くなったり、酔っぱらったりはしたが、8回の体験を積んだので海兵卒業頃には操縦桿の動きと飛行機の姿勢くらいはよく分かっていた。 この体験は飛行学生適性検査に大きく貢献したことはもちろんのことである。

 海兵卒業前に毎年航空実習が行われた。 水上機母艦が江田内に入港して各種の同乗飛行が行われたが、その中で写真銃射撃が適性検査の一つになっていた。 九五式水偵の後席から、襲いかかる目標機を射撃し、照準点との関係からその成績を求めるものである。

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( 九五式水上偵察機 )

 当時私は射撃の名手であった。 拳銃小銃射撃ではこれまでに海兵で3回、舞鶴警備府で1回、海自4空群司令の時に群司令射撃大会で1回優勝している。

 写真銃射撃の結果は、専門偵察員を凌ぐものと賞讃されて、大空への希望にますます胸を膨らませていった。

(続く)

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