2012年03月22日

日露海戦懐旧談 (49・完)

海軍特務少尉 古 川 甲 七

日露戦争中日本海海戦に就て (承前)


 午後の一時半頃、敵の煤煙を見、一同小踊して喜び勇んだ。 二時過敵より砲火を開き、三笠の信号に依り 「皇国の興廃此の一戦にあり」 を伝へられ勇気百倍、既に覚悟せることゝて初陣なるも更に演習と異なることなし。

 斯くて試し打方より始まり二時四十分過ぎ激戦となりたるとき、我が命中弾のため敵は火災を起し、水雷の命中に依り艦首より或は艦尾より逆立となりて沈没するを見て萬歳々々と小踊するを、艦橋より艦長は制して 「今から敵の一隻や二隻沈んだとて萬歳とは何だ、戦争はこれからだ」 と大剣突。

 時に激戦中主砲の旋同度の過大と且つ急射撃の砲声と空気の圧力に依り、此の時既に両耳の聴力は〇となりたり。

 遅れながら私の戦闘配置を申せば、一番十五糎砲揚弾機員として一生懸命弾丸薬莢を交互に当時の三番四番に渡したものだ。

 耳は聾でも未だ両眼あり。 耳側にありて如何なる大声を発するも蚤の庇程も通せず然れども、目は口程にものを云ふ。 口の動き方で察しつゝ動作して何等支障も来たさず、且つ完全に任務を完うした。

 此に於て 「浅間」 の列位を申上れば、二戦隊の三番艦で別働隊とされてあつたが海上模様の都合で途中変更になり、三番艦で戦闘し左舷戦闘で二、三発々射、又は右舷戦闘、同航戦で一時間余りに渉り大激戦を行つた。

 砲廓の扉の穴より投げ出した薬莢は通路と云はず、足の踏む所もなき迄に山と積み上げられた。 打方控へも待てもなく、連続七十六発打ったことは今に物凄く覚えてゐる。

 此の激戦で本艦は後部水線下に十二吋砲弾二発命申した。 痛手に隊列を離れて防水作業に全力を尽し、戦死者、負傷者の手当をしたが、此の時初めて我に帰り恐ろしくもあり哀れにも感じた。 然れども敵を前に控へて応急作業防水装置は完全に施され、更に排水にと全力を傾注した。

 斯くして此の日も没し日没後より本艦は特別任務、夜襲隊の総指揮官の旗艦として任務に就いたが、排水と哨兵との交互勤務で眠る暇もなし。

 九時頃より襲撃は開始され、多数の収獲ありて二十七日の夜も明け二十八日の朝となつたが、昨日昼に最後の飯を食つたきり米も麦も一粒も口にすることさへ出来ず、艦長始め夕も朝も又乾麺麭ばかり。

 然かも兵員の御渡り茶腕の奇麗な奴を持ち来りて之を艦長の食器とし (之れは爆裂のため准士官以上の食器室も公室も一物も残されないからだ) 艦長も食事には艦橋でビスケットをかじる事より外に食物としてはなく、上は艦長より下は若水兵に至る迄之が本統の寝食を共にする云ふのかと始めて思った。

 それは糧食衣服庫は海水に浸され、米麦を得んとせば水中より取り入れざれば他に一物もなきが為めなり。

 斯くして排水は片時も怠りなく二十八日午前竹島沖にて残艦を捕獲し、「朝日」 と共に 「アリヨール」 を護衛して舞鶴に回航することになつた。

 破損浸水其の他の関係上速力が出ないので止むを得ず途中四日を費し、大歓狂喜で久し振りに日本の面影に接した。 又戦勝の喜びと戦友の棺を送る哀しみと喜悲交々とは、ほんとに此の事かと思はされた。

 時に予め無線電信で依頼しありしものならん、入港入渠と同時に心から温かき麦飯を五日目に口にした。 其の美味なる事は永久に忘れる事の出来ない味で、今に物が不味とか何とか云へば此の時の蓼飯の味を思ひ出し決して贅沢はしない様になつたのも、基は皆此の戦争の賜で、之を子女の教育の資料にして教訓しつゝある。

 而して此の時迄釣床へ入つて温き夢を結ぶことはろくろくなかつたのである。 数日にして聴力も回復し、昼夜兼行の応急修理も完成して再び出征準備を整へ出港した。

 此の戦に於ける二十七日、二十八日を回顧してつくづく思ふことは、負け戦は決してなすべきものでない、戦をすれば必ず勝たなくてはならぬと云ふことである。

 敗戦の悲惨をまざまざと見せ付けられた私は、子孫に戦争には決して敗くべからずと遺言したいと思ふ。 我は戦勝の喜に引き換へ、彼の敗軍の痛ましさよ。

 此戦勝が因をなし遂に平和克復となり、東京湾凱戦に於ける歓迎の又壮大なることよ。

 斯くて曠古の大戦を終へた其の熱未ださめざる内に、之れを永久に記念すべき何物か企がなくてはならぬで大に斡旋するものありて、浅間戦友会が生れ今猶存在しあることを一寸付言して置きたい。

 日露開戦と同時に乗員は毎月俸給の二十分の一を積立て戦死者の遺族の救助其の他慰問費に当てゝ居たのが、戦後其の金額も相当に蓄積せられて其の処置は協議の結果 「浅間」 の記念館として下士卒家族共励会の発展の為め洋館建築一棟と同記念塔を砲身を以て造き永久に残すことになつた。 (注)

 之れ当時の乗員が艦長の徳を慕ひ戦友和親むの至情の迸であつて、当時の戦友は毎年記念日に戦死者の冥福を祈ると共に茶話会を催して当時の旧懐談に耽り、其の都度現存せる厳父八代大将の健康を祈る就電を発しつゝ戦友は同大将の写真を皆記念として永久に保存し居れり。

 世人には知られざるさゝやかなる会なるも、斯く永続し温みあるものは他にあらじと自ら誇りとする所なり。 幸多かれよ、浅間戦友会員。

( 完 )

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(注) : ここに出てくる 「浅間」 の記念館及び記念塔について、その所在地及び状況などについては寡聞にして判りません。 もしご存じの方がおられましたらご教示下さい。


posted by 桜と錨 at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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