2012年02月28日

日露海戦懐旧談 (46)

海軍特務少尉 内 山 虎 夫

日露戦争半ばより従軍の感想 (承前)


 午前五時突如哨艦信濃丸より 「敵艦見ゆ」 との警報に接し一同大に勇躍。 「総員上れ、水雷防御網収方」 誰言ふともなく 「収め方も之が最後だ速にやれ」 といふ意気込みにて、戦はざるに巳に敵を呑むの概がある。

 午前六時戦隊順序に威風堂々海を圧して出港した。 ( 「富士」 の第一艦載水雷艇は昨夜荒天のため鎮海に避難したるにより出港に間に合はず。 残念ながらそのまゝとなりぬ。 指揮中島中尉 )

 出港後晴衣の軍装に着替へ、「当直石炭を海に捨て方。 非番直は合戦準備、マンドレット作方」の令あり。

 偶々自分は六時より七時迄を前檣楼見張の配直にありしため聯合艦隊出港の状況を手に取る如く見るを得、まことに仕合せなりき。 一、二戦隊は早く陣形整ひたれども、旗艦 「三笠」 は昨夜鎮海に在りしため出港が少しおくれて戦隊の右舷側を最大速力を以つて通過先登の定位置に入れり。 此の光景は勇壮を通り越して形容すべき言葉もない。

 九時頃甲板も片付き戦闘準備も整備し茲に初めて休憩となる。 時に同郷出身の金田一水 (後部砲塔砲員) 来りて日く 「貴様等は何んの防禦もなき露天甲板で便りにするものは只三吋のホーサーのマンドレットのみではないか。 戦闘開始になれば第一に敵弾に見舞はれるぞ。 俺は十二吋もある鋼板の防禦内にあるを以て如何在る敵弾が命中しても大丈夫故、若し戦死の場会郷里への遺言及貴重品等あれば俺のところへ持って来い」 など冗談を交へながら御互に戦闘配置についた。

 正午少し前に総員後甲板に集合。 松本艦長より戦闘中に於ける各自の覚悟職責等について訓示。 終つて掌砲長たる兵曹長寺西益治郎氏と後部砲塔長たる山本上等兵曹を総員の前に出して 「今日の戦闘間は掌砲長は後部砲塔長、後部砲塔長は掌砲長の職を執れ」 と申渡された。 其の理由は常時砲塔長は右砲射手を兼ねて居たが寺西兵曹長は日本海軍で射撃が第一位であつたとの事で適材を適所に使はれたのである。 終つて 天皇陛下の萬歳を三唱して解散。 酒は後甲板に準備しあるを以て戦闘に先立つて祝盃を奉げよと申渡され、各自自由に杓飲した。

 斯くして午後一時四十分遥かに西方水平線上に数條の煤煙棚引くを見。 次で黄土色の煙突が濛気の中から一つ、二つ、三つと次第に多く列んで見え始めた。

 一時五十五分頃旗艦 「三笠」 の楼頭に一流の信号旗が掲げられた。 之が有名な 「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」 との信号である。

 直ちにこ此の信号は艦内隈なく伝へられた。 砲員は砕けよとばかり砲弾を抱き締めた。 石炭をすくふ十能は破れよと計り舞ひ初め汽罐は真紅に燃え機械は唸りを生じて回転する。 将卒の噛み締めた唇からは血も滴らん計り。 全艦の将卒、声なく燃ゆるが如き眼と眼とを見合すのみで、物凄いばかりである。

 敵は二列より単縦陣に陣形を改めた。 我が艦隊も回転した。 此の時第一戦隊の附近に巨弾の雨注ぎ水煙と爆煙にて艦影を蔽ひかくす程であった。 本艦は打方開始の非らざるに、早くも敵弾は右舷側後部の外板を貫き中甲板の水槽に命中爆発して火災を起し、為に非戦闘側砲員三名負傷せり。

 斯くて午後二時過ぐる頃戦機熟し果然 「打方始め」 の号音は鳴り渡つた。 いざとばかり射撃は開始され、茲に日本海海戦の幕は切つて落された。 私は初陣なるが故に若干落付を欠く恐れがあつた。 然し全身血湧き肉躍り言ひ知れぬ緊張を覚えた。

 海上は彼我発砲の砲煙と砲弾炸裂の爆煙と各艦の煤煙とで天日為に暗し、敵の先登に居りし 「スワロフ」、「オスラビア」 は我が猛射に堪えずして逃げ始めたが忽ち両艦共火炎を起し大損害を蒙り、煙突は裂け檣は折れ、遂に居たゝまらず戦列外に出た。 而して敵艦隊は遂に四分五裂となつた。

 其の間本艦は (午後四時頃) 左舷戦闘距離三千五百の時大激動あり。 瞬間機雷に見舞はれたと思ふ間もなく、後部の砲塔火炎の報あり。 見れば主砲は左舷に旋回したるまゝ動かず、二砲身の中間楯 (厚さ十二吋) を十二吋の敵弾にて打貫かれ、後部の楯は海中に打込まれて片影だになし (後部の楯に命中の際爆発したるものならん)。 天蓋下のビームは全部落ち、予備装薬も共に爆発し、火薬庫に及べり。

 此の一弾にて左砲射手を除く外寺西砲塔長以下砲塔員全部倒されたり。 実に其の惨状目も当てられず。 負傷せる寺西砲塔長は高松候補生が救助して塔外に出し、其の他のものも全部戦時治療所に収容せり。 火傷のため触れば全身の皮膚がとれ誰が誰やら定かならず。 中には足を失ひし者が露助奴、露助奴と呼んで階段に手をかけよぢ登らんとする如き悲壮極まる光景もありき。

 其の中にて午前雑談を交へし砌り我に郷里への遺言あらば伝へ呉れんなど冗談交へし当の本人同郷の金田二水も此の一弾にて名誉の戦死を遂げた。

 時間不明なるも上甲板左舷艦長予備室に積載しありし石炭に敵弾が命中し、更に中甲板電線倉庫に入り其処に格納したる味噌樽に中りて爆発 (六吋砲弾ならん)、味噌樽のタガ破壊して味噌は全部飛び散れり。 敵弾の破片も味噌には困らしものと見え人員に損傷はなかりき。
(続く)


posted by 桜と錨 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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