2012年02月17日

日露海戦懐旧談 (44)

海軍機関特務中尉 沖  四 市

日露戦争懐旧録 (承前)


 放順口に封鎖されて居る敵東洋艦隊は我艦隊の隙を伺ひ浦塩艦隊と併合せんことを企画し、浦塩艦隊は当時の濃霧期を利用し常に日本海に出没、我が上村艦隊を苦境に陥らしめたが、遂に八月十日の黄海海戦及八月十四日蔚山沖海戦となるに至れり。

 「初瀬」、「八島」 爆沈後 「日進」、「春日」 は第一戦隊に編入され旅順封鎖任務に当れり。 殊に当時両艦の主砲は遠距離砲として重要され、封鎖中昼間は本隊に分れ旅順沿岸近くに進み、最大仰角を以て間接射撃を行び敵を威嚇す。

 八月十日も早朝常の如く旅順沖合に来り、本隊と分れ両艦は十二節の速力を以て旅順口陸岸近くに航行例により間接射撃と思ひしに、何時迄経るも射撃せず。 暫くして敵は港内に於て出動を準備するものゝ如く数條の煤煙立ち昇り、既に敵艦 「ツエザリウヰツチ」 は港外に表れたる。

 「三笠」 よりは両艦に宛て至急本隊に合せよとの信号あり。 予め用意の全力汽醸高速カを以て午前九時頃本隊に急行す。 本日は波静かなれども淡霧あり、視界漠然とした而かも真夏の蒸暑い天候で、殊に戦闘準備を為したる事とて機械室上部の天窓は全閉され、通風装置不完全にして力量微弱なる通風電動機及ベンチレーター通風筒に依り換気するのみなれば、室内温度一二〇度以上に達せるものと記憶す。

 時々呼吸の苦しさ時は主機械曲肱腕の煽り風を利用し、室内には殆んど中腰になり、時には海水を頭より浴びつゝ擦熟の憂ある各滑動部を手にて触れ又は注油しつゝ、今日こそ機関全能発揮に遺憾なからしめ日頃訓練の効果を現はさんと満身の努力を尽したのである。

 昼食は此の高温度の機械室で握り飯と梅干にて、正月より外に見ない白飯を油手にて食した。 其の美味さ今尚ほ頭に浮ぶ。

 未だ火蓋を切らないので上甲板に上り彼我の模様を見れば、敵は戦艦六隻、巡洋艦四隻、駆逐艦数隻、皆戦闘旗を翻して東北方向へ約十五節の速力を以て急航、勢力は我と殆ど伯仲せるものゝ如し。

 戦術の事は批評の限りにあらねど、是の戦争中我が艦隊は常に太陽を非戦闘側に負ひ、敵は戦闘側に光線を受けて戦った事は如何なる操縦の妙用により斯くの如き陣形を得たものか、少くとも此の点に関しては有利の対勢を得たものと素人考へにも合点せり。

 零時四十分戦端は開かれ午後二時半一時休戦、夫れ迄の戦に於ては彼我共に著しき損害なかりしも、午後六時頃より再び砲戦を開始し戦闘速力十五、六節、我が東郷司令長官には何か一大決心ありたるものと聞く。

 機関長入澤機関中監機械室にあり汽醸運転の指揮を司る。 本艦は第五番艦なるため艦橋より絶えず速力変更及敵艦隊の状況、彼我の戦闘距離等伝令あり。

 接戦酣となる頃は距離五千米より三千五百米まで近づき乱射乱撃、各砲側には薬莢の打穀小山を築く。 僅か一時間を越えざるに彼我の損害甚しく、旗艦 「三笠」 及六番艦 「日進」 を主とし各艦に敵弾命中し相当なる損害を蒙りたるも、未だ陣形乱るゝことなく依然として単縦陣を作り迫撃す。

 敵は我が砲撃により甚だしき損害を蒙り、旗艦 「ツエザリウヰツチ」 は司令長官参謀長即死し、殊に舵機を破壊されて針路を転じ、之が為各艦陣形を乱し四分五裂となる。 此の時午後七時過ぎなり。 敵は死力を尽して遁走せんとす。

 既に日は没し我が駆逐隊に夜襲の命下る。 我が艦隊にも相当命中弾を蒙りしと雖も何れも重要部を外れ、殊に幹部の死傷は司会官旗艦に一、二あれども、艦の行動作戦に影響なく、彼の暑熱に際し機関の故障故損なく乗員一同の士気は益々旺盛なりき。

 此れは唯作戦計画の適良と常時の熱烈なる訓練とに因るのみならず、何か眼に見えぬ偉大なる力の導きに依るならん。

 本艦に於ても敵弾数発を蒙りたるも、二番六吋砲々身切断されたのみ。 其の他は後甲板士官室、機械室通風筒破壊位にて、総て重要部を外れ死傷者僅か四名に過ぎず、何んと云ふ幸運であらう。

 我が帝国は神代ながらの血の流れが結晶したる国民で、殊に皇統連綿たる皇室を戴きたる大和民族は偉大なる力と国体擁護の紳仏の加護に依る者と信ずるのである。
(続く)


posted by 桜と錨 at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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