2012年01月23日

日露海戦懐旧談 (39)

海軍特務大尉 佐 竹 玉 吉


 私は日露戦争常時は一等兵曹で軍艦 「春日」 で戦役に徒事致しました。 明治三十七年五月十五日軍艦 「吉野」 の不幸な事件がありまして、「春日」 は損傷個所の修理のため一時呉に帰港しました。 私は其の時 (六月五日) 兵学校教員から 「春日」 に乗艦、間もなく出港、裏長山列島の根拠地に居た第一艦隊に会しました。

 当時旅順根拠地に居た敵の東洋艦隊は露国の精鋭を集めたものでありました。 旗艦の爆沈、名将マカロフ並にキール大公の戦破等其の他相当の損害は被って居たが未だ中々の勢力で、殊に我が軍でも 「初瀬」、「八島」、「吉野」 等を失ひ実は侮り難き有様でありました。

 六月二十三日に敵艦隊は全部脱出を試みましたが、我艦隊の追撃急でありました為め敵は間もなく転回して全部港内に入りました。


   一、黄海々戦

 越て八月十日黄海の海戦となりました。 当時の艦長は故加藤定吉大将、副長鈴木貫太郎大将でした。 此の戦闘は彼我の勢力殆んど伯仲して居たため仲々の大海戦で、とても日本海々戦の様に立上り三十分で勝負がついた様な愉快な戦争ではなく、一時はどうなることかと思ふ様な有様で、殊に日光直射の炎天で午後一時頃から始まって日没まで引き続き、主に左舷戦闘でありました。

 私は後部八吋砲塔左砲の一番砲手 ( 「日進」、「春日」 はアルゼンチンより購入せられたもので、各学校、練習所、等の教員が大部沢山乗艦したもので後任一曹は斯様な配置であった) でありました。 先づ此の海戦の砲塔内の状態を御話したいと思ひます。

 物事は準備が大事と云ふことは申すまでもありませんが、実際に当って見ると中々思ふ様に行かないのです。 此の日は予備品等皆下甲板の倉庫内に置きまして事ありたるとき運ぶ事にしてありました。

 凡そ十二、三発々射後から段々尾栓の開閉が困難になりました。 二番砲手は色々苦心して居ました。 それでもまた五、六発々射しましたが遂に閉鎖不能となりました。 時恰も距離は接近して四千米突以内に入り実に気が気でない。

 尾栓頭に紐状火薬の燃滓が焼け石の様に固く喰っ付く状態は日頃の教練の尾栓頭拭ひ抔では何んの役にも立ったものでなく、必ず之が禍をなし居るものと思払込んで居たのであったが、良く々々調査して見ると石綿環の一部損傷が原因でしたので、是れはいけないと 「石綿環を換へ」 をやった。

 七番砲手は倉庫に走り、塔内では直ちに分解に掛る。 やっとの事で出来上って又打ち初めたが、大事な距離は遂に遠ざかって実に々々残念に堪へなかった。

 之等も日頃予想せざる出来事で、後日の為めには実に良き参考となったのである。 或る程度の石綿環破損ならば破損の部分を切り取り火門環牝螺を緊縮して発射すれば敢て差支なきものとの経験を得たのである。

 此の日砲塔内は炎天と砲身の熱気とで百度以上にも昇ったと思はれます。 実に焦熱地獄も斯くやと思ふ計りで非常な苦しみでした。 夫でも千載一遇の戦争であるから一同勇気を出して奮励努力したのでした。

 偶に砲眼口から敵情を見れば、いつ迄やっても敵の陣形も変らないと云ふ有様。 運弾盤で弾を運び装填杖で装填するにも腕も萎える有様で、大角度の仰角になっては時々とんでもない近距離に弾丸の落ちる事もあって互に激励し合ってゐましたが、遂に敵旗艦のマストを打折り陣形乱れたるを見て、それ勝ち戦さだと一同勇気百倍し、段々と落ち付きも出て愈々精確な射撃も出来た訳である。 実に勝利は最後の五分間であるとの言葉が今以て頭の中に浸み込んでゐる次第であります。

 此の日 「春日」 に命中した敵弾は十五糎砲弾以下八発位であったと思ふ。 後部砲塔の両砲身の間から甲板を貫いて士官食器室に入り、士官室も大分損害を被って運弾員が負傷しました。

 此の敵弾の来た時バチンと云ふ様な音がして甲板を木片が飛散したのが砲眼口から見えました。 先づ第一発が来たなと思うと、それから大いに心が落付いた様に感じた。 所謂敵弾の洗礼を受けた次第である。

 戦闘中止の時中部甲板に出て見たら、艦橋通路附近にあった端艇用の浮標が敵弾の為に打揚げられマストの中腹に引掛ってゐた。 艦内誰言ふとなく 「武威」 を揚げたと云ふ洒落で持切った。

 つまらぬ事の様ではあるが、かゝる場合のことゝて如何にも武威を発揚する前兆とも思ほれて嬉しかった。 次の接戦には必らず大勝利と勇み立った次第で、果して近距離の戦闘となり敵は大混乱に陥って大勝利を奏した訳であった。
(続く)


posted by 桜と錨 at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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