2012年01月07日

日露海戦懐旧談 (37)

海軍特務中尉 上 田 安 治

 私に何か戦争の思出を話せと云ふことでありましたが、私は漸く十二听砲の一番 (今の射手) でありました。 艦は第三艦隊の第五戦隊 「橋立」 で、帯に短したすきに長しとでも云ひたい使い道の少ない足の遅い攻防共に薄弱なものでありましたから、合戦と云ふ花々敷場面へ臨みません処へ、私は旅順開城後一時帰朝しました時砲術練習所が再開始になりまして練習生になりましたので、八月十日の海戦に取残の数隻の敵と交戦を致しました丈けでありますから面白い話もありせせん。

 何しろ十二听砲では如何に距離が近くても効力は殆どありません。 私は十七発程発射しましたが、二発位は命中した様に思ひました。 指揮法等も今から見ますと御話になりません。 只指揮する人は目標の敵艦と距離を示す丈けで、横尺なぞは示さんのであります。 横尺は射手が自分の判断で整へるのでありました (判断と申しましても練習所で敵速と角度に依り公式的のものを教授を受けました)。

 私の配置が艦橋直下でありましたから敵の状況も良く見えましたし、又艦橋の話もよく聞えました。

 四時頃と思払ますが、参謀が司令官に 「今少し近寄りませう」 と申しましたが、司令官は 「いや本隊の邪魔になるから不可」 と申されました。 成程自艦許りのことには行かぬものだと思ひました。

 其れから一時間以上も過ぎましてから司令官がもう少し近寄ると云はるゝのを聞きましたから、又射てると思ひましたが距離が遠いので副砲以下は発射しません。

 三十二糎を二、三発発射しまして一発は爆煙を挙げて敵艦を覆ひ要したので、艦長始め拍手をして喜びました。 其れで砲戦はやめになりました。

 此の時の合戦に下甲板十二珊砲射手の一人が発射するとき、右足の位置が悪ったゝめ砲の退却の時膝に当ったので撃たれたと思ひ 「やられた ・・・・ 」 と倒れたと云ふ滑稽もありました。

 又開戦以前から敵の艦形から要目を全部各砲の而も射手の見易い所に列記してありましたので、兵員は皆要目即ち敵の力量を知って居るのであり、皆落付いて居た様に思ひました。

 其の後は封鎖任務でありますから旅順の沖に許り居りました。

 其の頃から強行偵察として、戦艦の艦載水雷艇に各艦から交互に艇員を選抜して機雷を搭載して港口に接近し、偵察並びに沈置を実施されましたので、十月下旬に私も二回従事しました。

 艇員としては下士官一名 (操舵員)、掌水雷兵一名、掌砲兵一名 (四十七耗砲があるので) 指揮一名と機関部員であります。 機雷は六個積んで行きました。 出港するときには登舷礼式で送られ中々壮快でありました。

 港口近くなりますと煙突を倒し成るべく波を立てぬ様前進します。 私は掌砲兵でありましたから艇首の艇砲に就て居りましたが、第一回には何事もなく帰りました。

 第二回目にも同じ要領で出て行きましたが、港口近くなりますと黄金山の探照燈に照され光芒の真中に入りました。 皆一様にやられたと云ふ感じが致しましたが、其の中に他方に旋回しましたので無事に任務を果して帰艦致しました。

 第三回目に本艦から出ました人達は艇諸共行方不明になりまして、戦争が済んだ時に戦死と云ふことになりました。 皆私共より先輩の人許りでありました。

 又其の頃は浮流水雷を一個発見するか或は強行偵察に一回行きますと直ちに特別善行章を授与されるので、浮流水雷を発見しますと善行章が流れて居ると云ふ様な戯談が流行しました。

 つまらない御話を申し上げましたが、此れ位で御許しを願って置きます。
(続く)


posted by 桜と錨 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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