2011年12月27日

日露海戦懐旧談 (35)

海軍特務少尉 有 延 芳 太 郎

日本海海戦砲後の感想 (承前)

   二十、敵艦護衛と本艦損所修理のため内地に帰る

 斯くして二十九日には東郷長官の破損個所検視の上本艦の露艦 「アリヨール」 を曳航して舞鶴に向ふことゝなった。

 後部下甲板以下浸水に拘らず艦長八代大佐は前部バウ、ケーブルを切断して後部砲塔に捲き露艦 「アリヨール」 曳航の準備をされしも、捕獲員の信号により八節位の速力を出し自力にて航行出来得るとの報に依り先づ一安心。

 「薄雲」 を先頭に次に 「アリヨール」、之に本艦並に敵艦の護衛として 「朝日」 が後に続き事なく三十日の午前十時頃と思ひます頃芽出度舞鶴に帰港しました。


   二十一、久し振りの握飯

 早くも内地の各地には此の大海戦の戦捷が報ぜられたるものか舞鶴軍港外まで (常時舞鶴は軍港として盛なり) 歓迎の汽艇を差向けられ、入港して見れば遥か市中は煙花を揚げ宛ら御祭の如くでありました。

 艦も一時も早く入渠せしめ船台に据えねば安心出来ぬので、入渠しある雑役船急遽引出し 「浅間」 を入れたのです。

 偖て二十七日以来完全なる食事もせぬので、入渠と同時に鎮守府命令で炊出しの大きな握飯をどしどし運ばれ一同盛に頬張ったものです。 人間が久しく常食に離れたら大人も斯く迄小供らしくなるものかと心恥かしく御座居ました。


   二十二、戦捷後初めての上陸と捕虜収容

 其の日半舷上陸。 地上に足の着くのを知らぬ程雀躍して上陸、到る処で大賑ひ大勝の催物あり、其の日は千載一遇の記念の日として各自郷里へ向け舞鶴への無事帰港を電報した。

 遥々面会に押しかける者、舞鶴は唯二艦の入港と捕獲艦見物に入り来れる者とで其れは其れは上を下への大騒動でありました。

 露艦の捕虜をシャラン船に乗せ本艦の捕虜将校に二名の露兵も之と共に海上より宮津へ送ったものです。 当時宮津には捕虜収容所がありました。


   二十三、至急修理と跡片付

 本艦では一刻を奪うて破損個所の修理と軍需品の積み換へを急ぎつゝも乗員の半数宛上陸を許され、残員総掛りで各倉庫の諸物件を担出し昼夜兼行で働いた。

 ここに苦痛と思うたことは、三、四日の間海水の浸潤の為倉庫内が非常なる臭気を帯びてゐたことゝ、缶詰類は別として他の悉く変色腐敗、紙顔の如きは跡形もなく解けて居たること、中でも一番臭気の甚しきは革製品でとても鼻持ちならぬ程でありました。

 総員は日課手人にしてもただ食卓附近の拭掃除位に止め、夜は十時頃迄此の激務に服して軍需品を元々通り満載す。 工廠側も特に職工を督励し昼夜兼行、唯舷側外板丈けを済まして数日後には早や出港艦隊集合地に向ひ再度長官の巡視を受けしも、時期既に海戦の終局を告げんとするときとて再度構須賀に帰港の上徹底的の修理をすることになりました。
(続く)


posted by 桜と錨 at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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