海軍特務少尉 有 延 芳 太 郎
日本海海戦砲後の感想 (承前)
十六、敵艦愈々降伏す
「砲員砲に就け」 との慌しき伝令の声に夢破られて梯子も一飛びの勢で我が砲につきますと、早や弾薬は装填され、将に発砲準備が出来て居る。 楯の後から外を眺めますと、露艦数隻白旗を揚げて居る。
敵艦降伏と知られたれども尚厳重なる警戒の下に命を待つ。 艦橋からは決して発砲してはならぬとの艦長からの命令
暫くすると 「敵艦捕獲員整列」 があり、短艇を卸して捕獲員出発す。
十七、戦後の朝食
残る砲員半数宛は朝食の飯がなくてメリケン粉と若布汁一杯に舌鼓を打って食事を済ませ、艦は漂泊のまゝ砲員の半数宛甲板を片付け装填弾薬を抜出したるは午前九時過であったらうと考へます。
斯くして最早勝戦は決定し、敵艦四隻の他は如何なったかと古参兵に聞きますと何れも撃沈したとのことなり。
噫! これで戦の局は結べたと思はれましたが、打続く浸水に船匠員や応急員は防水に努めて居た。 恰度我が艦隊の漂泊は本艦にとってはもっけの幸でありました。 それは速力低下の為浸水量は減じた為です。
十八、本艦負傷者の概略
親友二氏を初め艦員の安否を尋ねました処に同じパートの尾崎三等兵曹 (今の尾崎予備特務少尉) は踵をとられ、親友古谷四水も右踵をとられてはケビン砲員は仙波四水 (今の仙波特務少尉) 外全部が負傷、其の他知人の負傷も相当あり前後部戦時負傷者収容所を往ったり来たり、負傷者容態を心配してやる瀬なき胸を押へありしが、古谷とは永久の別れとなりました。
十九、捕虜将校来る
午後に至り捕獲員帰艦後甲板には朱髪の捕虜将校を迎へることになり、初めて敵将校を後甲板スクリーンバルクヘットで見た時、鳴呼! 気の毒であると思ひました。
夕方近く駆逐艦の何かが横付して軍需品の一部を積み込んだ時、沈没敵艦よく駆逐艦が拾ったといふ露兵下士官兵三名を本艦に移すことゝなったが、其の中の一名は衰弱甚だしく間もなく死亡し、残る二名は上甲板中部に居た。
艦長が訊ねられた処何れも露国の予備海兵にて、一人は無章二等兵曹、現に郷里には三人の子あり、敵ながら救はれし御恩は忘れぬと言って居たとの事です。
一人は一等水兵であった。 其の濡れたる服を脱がしめ一等兵曹の服を与へられましたが (昔時二等兵曹が漸く詰襟に変った時代であったが官給品不足のため殆んど水兵服を着て居たり) 手入れの悪しき頭髪に眼光のみ鋭く、恐怖の念に慓えたる様は捕はれた鳶の如くでありました。
未だ日本海の冷い海水に長時間漂流の疲労と救はれた安心とにがっかりした様であった。 之れに番兵を附し右舷弾薬通路に伴ひ行きたるが、中には自分の小型鏡を彼に与へて其の姿の変りしを眺めさせるものあり、又或者は酒保で食物を購ひ与へるやら伸びた髭をかってやるやら、溢るゝばかりの熱情を示したのです。
(続く)