2011年12月15日

日露海戦懐旧談 (33)

海軍特務少尉 有 延 芳 太 郎

日本海海戦砲後の感想 (承前)

   十四、小憩時の艦内巡硯

 「暫く時間がある」 との通報があって、砲長から艦内を一廻り見物に行けと許さる。

 先つ直後部隣の種兼君の大砲の肩当が敵弾で飛んで居る。 第二煙突のケーシングを右舷から左舷迄打抜き、其の敵弾は奇蹟にも左舷ウオーターウエーに転がって居ます。

 そして右舷後部では目も当てられぬ様。 七番三吋砲の周囲にありしハンモックマントレットのベットの裂けたのもあり、十一番砲廓外内舷には血潮が附着してゐるやら。

 後甲板はモグラの穴の如く左舷から右舷に甲板上面に近く通ってゐる弾痕幾條あるや知れぬ程であり、スタリンオークは海中に没し士官ハッチ、ケビンハッチのドアーは大破、ケビンも爆破。

 左舷水準線に二、三十吋の大孔二個、スチヤレージ全部浸水、ケビンやスチヤレージのドア−は大破し効力更になし、スチヤレージは艦動揺につれ海水が甲板に打揚ぐる様になってゐる。

 堀田中尉分隊長 (予備海軍中佐子爵堀田正路) (29期) の正装の写真が浮きつ沈みつして居ます。 其の他浸水に浮んだ諸物件が艦動揺と共に中甲板に打揚ぐるのは凄惨の極みである。

 庶務室並に士官食器室は爆破、前部燈具室は数弾を受け中孔三個、一、二番三吋砲は砲門より二発程這入つとか、艦は全体として後部に傾きラマは浮きスタルンは没して居ました。

 今まで何も知らずも我が戦闘配置に就いて居たが、斯様に敵弾が当って居やうとは少しも気付かずに居たのです。 斯く我が配置を懸命に盡す艦員なればこそ十二分に威力を発揮し得るのでありませう。

 夕日は傾き、何時艦は沈み我等も艦と共に運命を共にするやも知れぬと覚悟して居ました。

 夕食は全部誰かに奪はれ、臨時焚出しを仕様にも烹炊室では茶鍋も汁鍋も弾が当り (当時浅間はざる鍋で米をざるで蒸したものでした) 蒸鍋さへも破損して之が修理に全力を注ぎつゝあるので御座います。


   十五、飴二、三本にて夕食を済す

 米倉は御承知の通り後部最下甲板なる為め全部浸水し、小出し糧食庫も左舷から受けた敵弾のために米俵も飛散し埃混りの米が少しあるも到底乗員の粥さへ炊きかねる程であるので、ただ酒保の朝鮮飴二、三本に依って夕食を済ます。

 夜間は二直哨兵配備、他の一ケ直の水兵は後部の排水にかゝる。 滲水喞筒は不具合だしラオンドポンプは破損し、少しく速力を掛くれば舷側後部を圧する海水の強圧が内部よりチエストや毛布、ハンモック等を当てがった防水手段もコリジョンマットも何等功を奏せず、瀧つ瀬の如く奔流する様はとても御話になりませぬ。

 船匠長と掌帆兵とは必死となって防水に努めてゐる。 各部各ハッチの上にはシーヤスを立て、一廻半もあらうと思ふドラバケツを急造して之を艦外に引張り出す様な次第で、排水カの微々たる到底浸水の速さには及びませぬ。

 随って本檻は列外に出て速力を止め鬱陵島附近で殆んど漂泊同様にて防水作業に艦員全力を盡し、やっとハンドポンプを直しケビンの後部からスタルンウオークに通ずる扉を開放し之れよりホ−スを出し之を急転する。 又一方上甲板では 「張れ」、「引け」 の掛声でバケツ一杯の水でも汲み捨てんとあせりますが、他にせん術も御座いません。 疲弊と空腹とによりへとへとになりつゝも一生懸命であった。

 暫く休めと言はれて准士官室前の通路でゴロ寝したのは確か午前四時過であったろうと思ひます。
(続く)


posted by 桜と錨 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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